はてなキーワード: 記念写真とは
俺も一人前のオタクである。コスプレには正直興味はあった。しかし、見てくれは我ながらキモいとしか言いようがない感じである。しかし、デビューしてしまったので、ここに記す。
そこに「いいかんじに荒れてるからちょうどいい」(※)という理由で、コスプレイヤーご夫妻とそのご友人ご一行がいらっしゃった。
※ 「荒れてるんじゃなく自然を生かしたキャンプ場を作ってる途中なんですよ(^ ^)」 と訂正はしました
楽しそうにやってんなあ、と見てたら「やってみます?」と声をかけてくれて、コスプレ衣装が一式用意されていて、言われるままにポーズをとって写真をとってくれた。
先ほどその写真がデータで届いたのだが、これが、僕……?(ぽっ) みたいな心境である。
先日、わが弟の結婚式があった。
実は当方、結婚式は初めてだ。子どもの頃に招かれたことはあるかもしれないが、全く憶えていない。
当初は出ないつもりだったが、貴重な機会だと思って参加させてもらった。父、母、妹、俺の四人だ。
以下、数百字にわたって感想を述べたい。
チャペルの隣にあるホテル風の建物に入った時は、まあそんなもんかって感じだった。親族側なので、ほかの招待客よりも早めに行く必要がある。待機時間は長かったな。二時間くらい待ったよ。小ぢんまりとしたホールで、スタッフの人が泡でふわっふわのコーヒーを持って来てくれた。あれはコーヒーだったのか?
ああ、そうだ。トイレに行こうとしたら別のスタッフに停められたんだよな。すぐそこを新郎新婦(弟と嫁)がリハーサルで歩いていたらしい。やっぱり、事前に姿を見そうになると止めるものらしい。
時間が経って、ほかのスタッフの人がホールに入ってきて、親族その他参加者を呼んだ。そんでチャペルに着くと、牧師の人や讃美歌のチームがいて、青が基調のステンドグラスがあって、ドラマで見るのと一緒の光景だった。
それで、式が始める前に参加者みんなで記念写真を撮って、外国人の牧師が挨拶をして、いよいよ新郎新婦が登場するわけだよ。
いやあ、恰好よかったね。新郎は細身のタキシードがシャンと決まっていた(追記:よく思い出してみると、ズボンの右ポケットにスマホが入ってるのが明らかだった。人によっては萎えるポイントかもしれない)。その次に入ってきた新婦も、ドレスがめっちゃ清楚にまとまってる。お父さんと一緒に、ゆっくりと牧師の前まで歩いていくんだが、その後ろで参加した親戚の女の子たちがさ、新婦のウェディングドレスの尻尾のところを持ち上げながら歩いてるんだ。いや、あれには参ったね。はっきりいってお洒落だった。
それで、讃美歌があって、聖書の言葉を読み上げるのがあって、「やめるときも、すこやかなるときも」っていうのがあって、あとは流れだった。くちづけの時、弟が相当に緊張していた様子が伝わってきた。その辺は兄弟だからな、わかるのだ。
それらの儀式は、テレビドラマで見るのとほとんど一緒でびっくりした。そういうものなんだな。ドラマと違うのは、花嫁がほかの男に奪われないことくらいだ。
最後に、一時間半ほどの食事会があった。出てくるものは、ワインでもジュースでも刺身でもパンでもステーキでも、とにかく何でもうまかった。ほかの参加者ともしゃべりたかったけど、俺はわけあってあまりしゃべることができない。
ほかの親族とか、参加者の人達は大騒ぎしていた。新郎新婦を囲ってやりたい放題だったし、小さい男の子らもやっぱり楽しそうだった。はしゃいでいた。
小中学生の女の子らは、新郎の方に駆け寄っていて、いっしょに二人並んでの記念撮影を求めていた。弟はイケメンで、はっきりいっていい会社に勤めている。性格もいいのを知っているのだろう。
父も母も妹も、新郎新婦と記念撮影をしていた。俺もそっちに呼ばれたけど、結局行かなかった。俺にはいくつか障害があるから、あまり動けないのだ。できれば人前にも出たくないが、たぶん人生で最後の結婚式参加だからなあ。
俺は、ひたすらに烏龍茶飲んで、パンを食べていた。食べ物が小さいので油断していたけど、お茶漬けが出てくる頃にはお腹いっぱいになっていた。もしかして、食べ物のサイズが小さくても、上等なものだとお腹いっぱいになりやすいのだろうか。
宴も竹縄な感じになって、新郎と新婦が最後にみんなに挨拶をしていたっけ。親への感謝が主だった。ふたりが音楽とともに退場して、俺達一家もさあ帰るかとロビーに降りて、父母の着替えを待ちながら妹とゆっくりしていると、新郎の弟が帰ってきた。妹と話をしている。互いの労をねぎらっているようだ。
弟は、その後こっちに話してきた。「兄ちゃん。来てくれてありがとう」だって。「おめでとう」とだけ言って、ちょっと会話をして、「じゃあ、またな」で締めた。あいつは、俺の結婚のことは口にしなかった。したくてもできないとは思うが、ハレの場で考えることではない。
新婦側の親族がまだ残っていた。さっきの子ども達が新郎に群がっていた。男の子はスプラトゥーンの攻略法を聞いていたし、女の子はやっぱりツーショットの写真を求めて並んでいた。
それから、新婦方の親族とちょっとだけ雑談をして、それで解散になった。
楽しかったなあ。いい式だった。一生の思い出になった。
ところで、もし俺が健常者で、弟みたいにイケメンで、いい会社に勤めていたとしたら、結婚式は挙げなくないな。だって、恥ずかしいだろう。あんなに見られて。写真を撮られて。耐えられそうにない。恥ずかしすぎる……。
とまあ、いろいろ想像をしてみたが、こんなのだって結婚式に参加しなければ得られなかったものだ。参加してよかったと今では思える。弟よ、どうか幸せに。 兄より。
・
・
・
いろいろですねえ・・・
ttps://gigazine.net/news/20221118-twitter-office-close-staff/
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/gigazine.net/news/20221118-twitter-office-close-staff/
本題の本社一時閉鎖すら本当かちょっと分からないが、少なくとも情報源はこれのようだ。
ttps://twitter.com/ZoeSchiffer/status/1593391604785504257
これより明らかに問題なのは、記事で紹介されてる以下のツイート。
一方でマスク氏は職務規定をわずかに緩和し、従業員を慰留する試みも行っていることを元Twitter社員であるアレックス・コーエン氏が明かしています。
I was laid off from Twitter this afternoon. I was in charge of managing badge access to Twitter offices.
Elon just called me and asked if I could come back to help them regain access to HQ as they shut off all badges and accidentally locked themselves out.
Twitterオフィスで入退室管理をしてたんだけど、今日の午後、Twitterを解雇された。
しばらくしてイーロンから「入退室の認証が通らなくなってオフィスから全員締め出されちゃったので、復旧のために戻ってきてくれないか」と連絡が来たよ。
まずこのアカウント、bioに「Mostly parody account」とパロディアカウントであることを説明している。さらに認証マークはTwitter Blue(月額数ドル)で取得している。
で、FTX破産のときにもそれっぽい冗談を飛ばしている(界隈の人なら「ARK Invest」とか「web3」って単語を羅列してる時点で何となく冗談言ってそうと分かるだろう)
I was let go by FTX today. I was in charge of all of Sam's personal finances. This was my first job in finance and living in the Bahamas.
I'm sad but excited to share that come January, I will be starting a new role at ARK Invest, leading our early stage web3 investments!
文体も似てるし、実際多くの人がジョークだと補足でツイートしている。
ttps://twitter.com/JohnAllison_PGH/status/1593408882021376005
イーロン・マスクもこのツイートに乗っかってツイートをしているので、文面だけを読むと本当のことに聞こえるが、
先日イーロン・マスクが「元Twitter従業員」と勘違いされてインタビューした2人と記念写真を撮影したように、これもジョークに全力で乗っかるイーロン・マスクのいたずらと見て間違いないだろう。
都市圏在住の婚約者が自分と会った翌日にコロナ陽性と判定された。
そりゃあ、布マスクしかしないし、非同居の友人ともよく会うし、詳細は伏せるけど大声で歌ったりする集まりにも行ってたし、いろんな施設の入り口に設置されてるような手指消毒スプレーも無視してるし、まあ、同情の余地ナシ。帰宅時の手洗いうがいは欠かしてないけど、それを上回る高リスク行動の多さ。フォローのしようがない。
自分は以前から、せめて不織布マスクを使用するように言ってた。2年ほど使ってる布マスク(市販品)をいつまで使うつもりなのか、仮に商品が「○○回繰り返し洗濯して使用できます!」と謳ってたとしても、2年ほど3〜4枚を使い回してるのだから、1日に2枚使うときもあるのだから、その回数を超えているだろうとは思わないのかということも言った。医療用のN95マスクを使えとは言わないが、せめて不織布マスクを着用してくれと。
だけど聞き入れてくれなかった。
せっかく一人暮らしなのだから、今どうしてもしないといけないこと以外はやめてくれということも伝えてた。
ずっとじゃない。感染者数が落ち着いてる時であれば、あるいはワクチン接種から2週間経った頃であれば、そこまで気にしなくてもいいと思ってたし。自分もそんなに気にしてなかったし。ただ、第n派の真っ只中に、どちらかにどうしても動かせない大事な予定があったり、どうしても出張しないといけないこともあったりしたから、せめてその前1週間は重々気をつけた行動をとるようには言ってたけども。さすがにいい年の大人なのだからそのへんの分別はつけてくれと。
だけど聞き入れてくれなかった。
結局、婚約者の陽性判定の数日後、自分も発熱し、陽性と判定された。
自分は医療従事者でもエッセンシャルワーカーでもないけども、近からず遠からずの業界にいる。その上、部署の主任のような立場にいて、他部署との連携も自分に任されているものだから、自分が出勤できないとなると誇張抜きで部署が止まってしまう可能性がある。
また、別部署ではあるが、自分の同居家族も責任者として勤務しているため、職場全体が止まってしまうことも考えられる。
自分の同居家族に、「重症化リスクが高い」とされる人物がいる。
お互いにワクチンを3回接種しているとはいえ、自分経由で感染させたい人はあまりいないだろう。自分もそうである。
③その他の理由
婚約者が陽性と判定されたのは、婚姻届提出予定日の前日だった。
ふたりで「この日に提出しよう」と決め、それに合わせて諸々の手続きのために有給を申請し、姓と住所が変わることに伴う必要な手続きを調べ、無事に終わったら記念写真を撮り、ちょっとよいディナーに行ったり、お互いの両親に挨拶に行ったりしようと言っていた。
でも、婚約者が陽性と判定されたため、全てがパーになった。
予約していた諸々の予定をひとつひとつキャンセルした。たくさん謝った。直前で申し訳ないです。お手数おかけします。療養明けに改めて伺いますので何卒……。
陽性と判定されたのは婚約者だ。自分が、この先の人生を一緒に過ごすと決めた人だ。だけど、敢えてキツい言葉を使うのだが、婚約者のせいでキャンセルせざるを得なくなったことに関して、どうして同居もしていない自分が謝らなければならんのか。(婚約者だからだろう、という意見は求めてないです)(配偶者ではないんだがなぁという気持ち)
各所はみな優しい口調で対応してくれたのがせめてもの救い。内心どう思われてるかはともかくとして。
④自分の都合
婚約者にも伝えていたのだが、これを機に転職するつもりだった。
婚姻届の提出とほぼ同じタイミングで有給消化に入り、転職活動に集中しようと思っていた。直後に面接予定の会社も数社あった。
それに、普段は仕事ばかりでなかなか行きづらかった病院なんかも行きたかったし、溜まった家事を片付けたりもしたかった。二人暮らしに足りないものを一緒に買いに行きたかった。
でも全部白紙になった。
幸か不幸か、もともと有給消化の予定だったため、それが前倒しになったようなものだった。
同居家族は、自分の濃厚接触者として出社できなかった。その後はお察しの通りである。
職場は、ギリギリのところでなんとかなっているように見えた。少なくとも自分に連絡は来なかった。……まあ、繰り返しになるがもともと有給消化ののち退職予定だったため、自分の抱えていたことは引き継ぎを終えていたし、退職する人間に連絡したところで、というところはあっただろうが。
婚姻届の提出は、まだ発熱も咳もなかったので自分ひとりで行った。
自分が婚約者の濃厚接触者であることは言われるまでもなくわかっていたが、不要不急ではなく要の予定のため仕方ないだろう。
蛇足ではあるが、待ち時間は他人と距離を置いていたし、N95マスクを着用し、自分用の消毒用エタノールスプレーも活用していた。
転職先は、なんとか決まった。
だけど、自宅療養中に面接が決まっていた企業と、もし面接していたら、もっと良い条件だったのでは?と思ってしまう。
結局、婚約者の考えが浅かったせいで、自分に大迷惑がかかることとなった。
・美容室の予約を取り直す羽目になった
・チケットを取っていた野球の試合に行かなくなった(なおリセールに出していた。売れていた)
自分の心が狭いのかもしれないけど、責めないで優しくしてと言われても難しい。
・結婚式を告知しておいて、新婦の都合(ジューンブライドが良い!友達みたいに爽やかな夏挙式にしたい!誕生日に結婚式したい!等)で何度も場所や日程の変更をかける。なお発生した式場の契約料、キャンセル料は全額親持ち。その事を「家がお金持ちだから~」と自慢してくる(コロナ前の出来事なので本当に新婦の都合)
・結婚式の2週間前に突然送られてくる招待ライン➡️延期の繰り返しで招待客疲弊しまくり
・座席表通りに座ったが私だけ席札なし
・他参列者は品物5つ+カタログギフトなのに私はカタログギフトのみの引出物(言い訳しておくが、ご祝儀は相場程度包んでいる)
・キャンドルサービスで「太ったね~!そのままだと本当に一生結婚できないんじゃないw」と笑い、
記念写真撮影で「ブーケ重すぎて限界wどうせ結婚できないだろうし一瞬だけ持たせてあげるw」と鉄アレイ並に重いフェイクブーケを押し付ける新婦
・新婦ご自慢のミケポ体型を強調したセクシー過ぎて目のやり場に困るドレス
ってレベルでしょ
ちなみに新婦は幼なじみだけど、結婚後も香ばしい行動や言動が多過ぎてほとんど連絡を取ってない
元々結婚式にあこがれは微塵もなかったけど、「人様に迷惑かけるし金もかかるから、万が一結婚できたとしても、結婚式は絶対にやりたくないな」って思うようになったよ
そんなわけないよな
変わり種があるから書いてみたらクッソ長くなって推敲めんどくさくなったから短縮した。
大筋はあってるけど特定予防はかけてある。
MMORPGで成り行きでネカマしてたら、ある界隈で有名なゆるふわ系の女の子と親しくなった。
恋愛相談を受けたり愚行を叱ってたりしてたらなぜか滅茶苦茶気に入られて同性でもいいからって猛烈にゲーム内結婚を迫られた。
待ってくれ、それは幻想だ、実は男なんだとカミングアウトしたら「にゃ!?」と普段言わないことを言ってログアウトしていった。
間もなくその子の親しい女友達からチャットアプリで猛烈な質問攻めにあって辟易した。
そうだよネカマだよって開き直ったけど、普段からみんなのことを手助けしまくってたお陰か反発どころか歓迎された。
なんだかしらんが応援してくれるらしい。
数日後、ゆるふわちゃんからやっぱり結婚してほしい、現実でも恋人になってほしい、と改めて告白された。
まじか、と喜んだのも束の間、東と西の遠距離恋愛で金のない学生同士、会うことは難しかった。
その分、ゲーム内などではべったりと甘えてきていた。
話してる最中に突然発情しだしてオナニー始めたりするかわいくてエロい子だった。
自分は複数組織を持つギルド長で相手も大手ギルドの幹部ということで、記念写真が画面に収まり切らないほどの大規模な結婚式だった。
ネカマだという事は公言していなかったが男だと知られていたら行く先々でPKされていたかもしれないと思った。
そう思うようになった理由がほんと変。
十数年前に、Webで二次創作をすることを私は覚えた。同人活動という趣味があることは、もっと子供の頃から知っていたけど、顔の見えない相手と交流しながらそれをやるという事は、自分のパソコンを持つまで知らなかったのだ。たぶん2008年くらいの事だったと思う。
その翌年くらいにpixivが二次創作オタクの間で爆発的に人気になって、民族大移動みたいに個人サイトからpixivに移っていった。当時の、個人サイト衰退末期くらいの頃に、私が「二次創作活動」が嫌いになった原因がある。
携帯無料ホームページサービスにて、自分の二次創作サイトを初めて持った時には、それなりに楽しんでいた。だが、ジャンルを通して交流の幅を広げていく度に、なんか変だな? と気づいた。ジャンルの人達、猫も杓子も「かの国」の悪口をブログに書き込むのだ。日常雑記に隙あらば「かの国」disを書き込む。創作をサボり萌語りを休んでも、「かの国」disだけは休まない。要は、ジャンル全体が広く浅く時にはかなりディープにネトウヨ化していたのだ。
二次創作という趣味の場で、それとは全く関係のない政治活動が活発に行われている。それ自体が私にはとても不快なことだった。私はネットの門戸が一般人にも開かれた時の2ちゃんねるの文化に浸かり込んだ人間ではない。けれども、同世代や自分よりも少し上の世代でネットにずぶずぶの人達が、2ちゃんねるを通して右翼思想にどっぷり浸かり込んでいることは一応知っていたので、まぁそういう人達とWeb上の二次創作オタクの多くがカブっているのだから、二次創作界隈が右寄り(一時期はスーパーライトだったと思うけど)なのは仕方のないことなのかと諦めた。
毎日のようにジャンルの仲間達のお友達サイトを見てまわる日々。多くの二次創作者がブログに脈絡もなく「かの国」disを紛れ込ませているのを目撃する日々。そんな日々の中で、最高にヤバいスーパーライト二次創作オタクのサイトを発見してしまった。ブログ開いて秒でそっ閉じ。一目見てコイツはヤベェと思うくらいの極まりっぷりだった。一体何がこの人を突き動かすのだろう? と疑問がむくむくと膨れあがった。当時は何だかよくわからねぇがヤベェなこの人……と思うだけだったけど、今思えばあれは一種の布教活動のようなものだったのだろう。おかしなブログ記事の数々は気の触れた者のご乱心ではなく、わざと信者獲得のために書かれたもので、二次創作の方はメインではなく釣り針だったのではないだろうか。
同ジャンル者のサイトを転々と見ていくと、ジャンルのオンリーイベントの記録なんかが出てくるわけだが、キレキレスーパーライトのブログ主が、あんなにヤベェ言動ばかり繰り返している割に、他人から遠巻きにされるどころかむしろジャンルの中心でカプとか関係なくちやほやされており、記念写真のど真ん中に美少女のコスプレをしてダブルピースで映っていたりする。アフターにも勿論参加していて、他のジャンル者とキャッキャと交流しているのがわかる。
だが、スーパーライトはスーパーライトとしての活動の手を弛めることはない。時々怖いもの見たさでその人のサイトを覗いたが、常にガンギマリ状態で一つもぶれないようだった。
そんな人を平然と受け入れるジャンル。懐が深いとか、器がでっかいとか、言えるのかもしれない。が、些細なことで揉めては敗者を叩き出しているので、別に緩くて平和という訳でもなかった。
ずっと、もやもやとした居心地の悪さにつける名前もなく、何となくこいつらと一緒にされるのは嫌だと思い続けてきた。だから私は二次創作はするけど二次創作を通して他人と交流することはろくにせず、書いた作品をpixivに投げ捨てるように投稿するくらいだった。
最近、ネットニュースやはてブを見て色々思うことがあった。色々端折って結論だけ言うけど、二次創作界隈という境界のぼんやりとした集団というのも、何か別の活動に使おうと思えば使えるのであり、ただ推しカプのエッチな二次創作が見たいという助平な私欲の為にポリシーも捨てるという人が多くいたりする、ということなんだと思った。
そうとわかったので、二次創作からは本格的に足を洗うことにした。
昨夜GoogleがPixel6を発表して紹介動画をざっと見てたけど
カメラ機能の紹介で「AI技術を駆使してこんなに簡単自然に写真の中の〇〇が消せます!」みたいなのにやたら力が入ってて、なんだかなーという気分になった
新型コロナが流行る前の年、娘の幼稚園の入園式の記念写真撮影を友人が買って出てくれた
おかげで俺と嫁はスマホやデジカメを気にする事なく式に参列することができた
数日後、友人から写真が送られてきたのだが、その中にぎょっとするものがあった
娘と嫁以外の人間が一人も写っていなかった
全く同じ構図で他の参列者や児童や先生が写っているものもあったので、何かのアプリで除去したものだとすぐに気づいた
友人なりにサービスしたつもりだったのだろうが、その写真を見た娘は泣き出してしまった
俺と嫁は「きっとカメラが壊れていたんだよ」と娘をなだめてその場をごまかした
この一件があってから、写真を精密に加工する(特に、写っていたはずのものを簡単に除去できてしまう)技術には俺は否定的だ
写真(ビデオもだが)は、レンズに写った(映った)もの全てを余すところなく残すから価値があるんだと思う
後から都合よく消したり足したりするのが当たり前になったら「そこには本当は何があったのか」「そこには本当にそれがあったのか」が分からなくなり、過去を振り返る触媒としての価値がなくなってしまう
10年後、20年後、あるいはもっと先の未来、娘との思い出に浸る時に「はて、確かここには誰かがいたはずだが」「おかしい、この場にこの人がいるはずがない」「この時の娘は不機嫌だった記憶があるが、なぜ笑っていたのだろう」と首を傾げながら、娘との思い出そのものが曖昧模糊とした物へ劣化する年老いた自分を想像して胸をかきむしりたくなる気分になった
最終章ではありますがまだやるべきことが残っているので第1篇となるでしょう。
- 母親の介護から逃げてから、その後 anond:20210322144223
- 母が精神病棟に入院した anond:20210403022555
以前に語ったとおり、母親は病気で自活が不可能となり父親による老老介護を受けた後に精神病棟に入りました。その後は体調不良のたびに転院を繰り返し、最後は実家からほど近い病院で息を引き取りました。最期を看取ることはできませんでした。そもそも職場から2時間近くかかりますし一報があった時点ですでに危篤状態でした。
その少し前から体調不良が続きいつ旅立ってもおかしくない状態でした。でもコロナにより面会はかなりの制限がついていたので、病院からほど近い父でも最期を看取ることは難しかったのとこと。特に第5波の現在ではまともに病院に入れることすら怪しいのですが。
母親に関しての良い記憶は殆どありません。私が子供の頃から彼女の周囲はストレスと負の感情が渦巻いていました。あらゆることに怒鳴り散らし厄介事を量産します。隣人、宅配業者や取引先とのトラブルは枚挙にいとまがありません。家族の中にあっても暴力と暴言は絶えず、幼いときから母親は嫌悪と畏怖の対象でした。常に誰かしらを敵に回すことでしか自分を保てず、最後は泣きわめいて八つ当たりを繰り返す人でした。機械音痴だったのが救いでしょう。彼女はスマホやPCどころか自身のケータイ電話すらもっていませんでした。仮にスマホを扱えたとしたらツイッターやらでどんなことを書いたかわかりません。
そんな母も亡くなりました。
一番最後に家族が聞いた言葉は「来てくれてありがとう」だったそうです。数すくない面会の中で唯一話せたのはそれだけだったとか。そもそも、4月以降の入院生活の多くで彼女は心を閉ざしていたようです。閉鎖病棟という空間が耐えられなかったのかもしれません。彼女自身が介護状態になってから父への依存がマックスになっていたこともあり、父に会えず家族の顔を見れない寂しさが彼女を内向的にしていったのでしょう。だから面会時に言葉を話したことに周りの看護師が驚いた、と聞きます。おしゃべりだった母親がおとなしく心を閉ざすということはよほど病院の生活が心を折るに充分だったに違いありません。
父はそれを後悔しているようです。
葬儀は直葬でした。リーズナブルで早いというそれだけの理由でしたがコロナ禍では最善の方法だと思います。母親の親戚縁者数名と私の家族だけで執り行いました。
葬式自体は何度か経験があるものの、直葬は初めてです。住職もなく火葬場に直接集まって遺体を焼いて納骨するだけというもので、移動時間を除けば1時間半で終わりました。
従来型のように通夜と告別式を執り行うことが悪いとは思いません。故人を悼む人の多さや気持ちの整理をつけるために必要な儀式もありますから。
高くとも50万せず、極めて簡易的でスピーディ。遺族の負担が本当に少ないのです。
なぜ喪主が大勢の人の前で挨拶をしなければならないのか。多くの時間とお金をかけて悲しみと疲れをふくらませる必要があるのか。ほとんど交流のない親戚や会社の人々に頭を下げなければいけないのか。お坊さんの固いお話。。。
それらをすべて省くだけでここまで楽になれるのかと感動しました。いままでの葬式は何だったのでしょう。
コロナは多くのものを奪いましたが、葬式に対する考えを改める機会をくれたことだけはメリットと受け取っています。
さて、旅立ちのあと家族と合流していくつかわかったことがあります。
母親はいくつか不動産を持っているのですが、その一つが少々どころかかなり厄介な物件だということ。保険嫌いだったのにいくつか保険に入っていたこと。預貯金はそこそこあるのですが、額よりその中身についてここで書くことが憚られるものであること。デパートの預け金が結構な額になること。そして、母親が成人後に殆ど健康診断等を受けていなかったということ。
母親が病院を嫌っているのはわかっていましたが、健康診断そのものをまともにしていないのは驚きです。歯もぼろぼろだったので長く歯医者にも行っていなかったのでしょう。
思えば母親の数々の病気は、去年の夏に倒れてからようやくわかったものですばかりです。糖尿病やガンなど、本当は健康診断で発覚するものばかりです。少なくとも献血でいいからしておけばなんらかの予兆を見て取れたかもしれません。
恐らく長いあいだ健康上の不安を抱えていたと思います。でもそれを認めずに騙し騙し過ごしていた結果がこれです。
さらに病気がわかっても頑なに医者を信用せずかなり説得が難しかったと聞きます。
自分の家族が崩壊寸前だった記憶が強いがために、幸せな家族という存在が実感できないのが本音です。配偶者の実家にお邪魔したとき、リビングに家族との写真が所狭しに飾ってあったのはかなり印象的でした。そうやって家族と記念写真を撮って飾っておく習慣が失われた家庭でしたから。実家で目につく写真といえば、唯一仏間くらいにしかありません。本当は以前にもありましたが引越しの際に殆どなくなってしまいました。
今一番不甲斐ないのは、遺産や死後の手続きの諸々を実家の家族に任せっきりだということでしょうか。でも多くがオートメーション化されているのでかなり手続きは簡単とのこと。いい時代ですね。
遺産の整理がついたら第2編を書くかもしれません。