はてなキーワード: 臨死体験とは
1. もう苦痛がこりごりだから。人生の中でさんざん苦痛を味わってきたから。最大の問題・関心事は、生死というよりは、ただただ「苦痛」を感じるのがもう嫌。(他の人との比較はしない)基本的に、健康寿命と死の間って10年くらいあるらしいじゃないですか、そんな苦痛の10年間は過ごしたくないんですよね。
2. このまま寂しさを抱えたまま年を取っていって、脳や体の機能が衰えていく中で、他者に危害を加えず、迷惑をかけずに正気を保っていられる自信がないから。老害という災害をさんざん見せつけられてきたから。自分自身が災害となる前に"防災"すべきである。まだ判断力があるうちに。
3. なるべく安楽な自殺方法はあるのかも知れないが、それでも社会的コンセンサスが取れない形での死は後処理の迷惑がかかるから。とはいえ、他者に危害を加えるよりは自殺のほうが全然マシだけども。なるはやで発見される形で。
そもそも、社会は頑なに死と向き合い考え対処の決断を拒むけど、いくら拒んでも誰にでも死は訪れる。先延ばししたってタイムリミットは全員に訪れる。そのとき後悔してるでしょ?絶対。そうなる前に真面目に向き合ったらどうなんだ?
死にそうになった経験が無い人のほうが多いのかな。
みんな臨死体験すべきなのでは
私達が生きてる世界って「今生きている人間の意見」と「当時生きていた頃の人間の意見(遺言とかも含む)」しかない
それは当たり前のことなんだけど、それだと「生きている」っていう立場のバイアスが絶対にかかる
生と死っていうのは1:1のように並び立っているようで、人間の社会においては生の側に比重が大きく偏っている
だからどうしても私達の世界に存在する「言葉」「意見」「考え方」っていうのはどうしても「生きてこそ」「生きるべき」「どう生きるか」という側に偏る
死人は意見を言えないし、「死んだらいい」「死んでもいい」「死ぬべき」なんて考えの人間から先に消えていくんだから偏ることが必然だ
生存本能なんて言うけど、それは実際は「生きようとする意思が残った」のではなく「死のうとする、死んでもいいという意思が淘汰された」だけだ
キリンは首を伸ばそうと思って伸ばしたんじゃなくて、首が伸びたキリンが残っただけなのと同じように
「know」はその壁を部分的に乗り越えたことを表現したのだと思った
「戻ってこられたんならそれって死後の世界じゃなくて単なる臨死体験によるトリップなんじゃないの?」
「戻ってこられるような可逆性があるならそれは死じゃないんじゃないの?」
という当然のツッコミも認めつつ、彼女は死後の世界(感覚)を知ることによってその逃れられぬバイアスを一部脱して
だとすると「know」の後の世界っていうのは「生と死が限りなく等価値に考えることのできる世界」なんじゃないかなって思った
あの世界では宮崎駿の「生きろ」とか富野監督の「頼まれなくたって生きてやる」なんてキャッチコピーは「古臭い価値観の押し付け」って思われるんじゃないかなって
消化されたとか言いつつ文庫がどこ行ったのかわかんないけど
私は
タバコを吸っているとき、自分が生きている人間であるかを繊細に感じられる。人は生まれてから
何も知ることなく、そして失うことなくぬくぬくと生きてきたならば、自分が生きている一人の人間
であることを痛感することはないように思える。私は少なくともそうであった気がする。確かに現時
点で生存していて、やがて死を迎えることに変わりはないのだが。
そのほかにも、人間の『死』を目撃したとき限りなくそれに近い感覚を覚えることがある。人間は当然
だが生きた状態で生まれてくる。無意識的に生きている。臓器を動かすことも全身に血を巡らせることも
そうである。当然、何かの病を患わない限りは心臓が止まった感覚や全身の血が止まった感覚を体感する
ことはない。生きていることも同様であるように思える。要するに、心臓発作で心臓が止まった人を目撃
すると自分の心臓が、一瞬苦しくなるように、誰かの死を目撃すると疑似的ではあるが死に限りなく近い
感覚を感じているように思える。ただ、このような感覚には重要な点が一つあり、その感覚をもたらす
ファクターが他人であるか自分であるかによって感じ方が変わってくる気がする。その中でも「死」という
のは不可逆的なものであるからして、それと同一の体験を経験の中に蓄積することはできない。
だが、もしも自分自身がファクターとなって「死」に類する感覚を体感できたとすれば、それは
この世で最も本当の自分自身の『死』に近い経験であると思う。私は、喫煙しているときこの感覚に
全身が支配されているような気がする。喫煙は一般に寿命を縮めるとされる行為であり、それを
習慣的に行うことは一種の長期的な自殺行為である。喫煙するたびに「死」が迫ってくる。
この事実が自分自身に一種の臨死体験的感覚をもたらしているのではないか。
当然この体験のファクターとなっているのは喫煙行為を行っている自分自身であるからして、
いい加減禁煙したいお。
学校で進化論をはじめて学んだとき、死ぬのが怖くなりませんでしたか?私は考え始めると止まらなくなました。そして今もその恐怖から逃げられずにいます。
進化論によれば、我々の感覚は進化のメカニズムによって調整されてきたといいます。我々に痛覚があるのは痛覚がないよりも生存に有利だったからだし、セックスが気持ちいいのはそうでない場合より生殖に有利だったからです。他のあらゆる感覚も、神の見えざる手によって、利己的な遺伝子に都合がよい塩梅に調整されています。
ですが命が消えていくその瞬間の感覚はどうでしょう?死にゆく個体がなにを感じていようと遺伝子の戦略には興味のない話。関係式は成り立たず、解は不定です。つまり、死は人間にとってとんでもない苦痛を伴うものである可能性がある。
私たちを安心させる話として、死の淵から帰還した人たちが語る臨死体験があります。死に際に脳はありったけの脳内麻薬を放出するから、人はみな幸福に包まれて死んでいく、恐れる必要はないのだと。
けれど、私の友人であった薬物常習者が語ったところによると、強烈なドラッグほどその切れ際にくる反動はキツいものなのだそうです。涅槃に登るほどの多幸感からのジェットコースターの苦しみ。それはいかほどのものだったでしょう。
脳内麻薬の効果が切れ、人の魂が肉体から離れようとするその瞬間、肉を少しずつ剥がれるような肉体の苦痛と、家族をいちどに失うような精神の苦痛を、永遠のものとして感じ続けるとしたら。有史以来、この世に生まれ落ちた生命がみな、煉獄の火に焼かれ続けて死んでいったのだとしたら。その全ての苦しみを背負える魔法少女など存在しないのです。
きっと運動と野菜と瞑想だけが私を救うのでしょう。でもそれはただの気分で
誰か私を安心させてくれませんか。
突然ですが所謂地下アイドルのライブってちょっと行きにくくないですか?
プレイガイドで購入したチケットを持って入場、いざ指定席へ着席!ならまだ分かる。
予約(取り置き)って?どうやって行けばいいの?
物販って?何持っていけばいいの?
そんな理由で現場デビューを躊躇っている方のために、ざっくりですが
【花言葉を君に】のライブ参加方法を書いてみました(全て2019年1月現在の情報、またあくまで非公式の一ファンによるまとめです)。
全てのライブにこの方法が適用されるとは限りませんが、あくまで参考としてご活用いただけると嬉しいです。
(分からないことは #花言葉を君に や #はなこと のハッシュタグを活用してツイッター等で問いかけてみよう!どこからともなくはなこと沼の住人が現れて助けてくれる... かもよ!)(ザバァ)
花言葉を君に公式Webサイト(www.hanakotobawokimini.jp)、若しくは公式Twitter(@hanakotoba_kimi)などから、直近のライブ出演情報が確認できます。
出演ライブ名、会場(活動は主に都内です)、入場料(大体ここにドリンク代が別途必要です)、ライブ会場の開場時刻、ライブ開始時刻、出演(=パフォーマンス)予定時刻、物販(チェキ撮ったりお話出来る!スゴイネ!)時刻...
②チケットを予約!
行きたいライブが決まったら、チケットを予約しましょう!前もってチケットを予約することで、前売券価格での入場が可能です。おトク!
花言葉を君に では、メンバー個人のTwitterアカウントへのリプライ(返信機能)やSHOWROOMという生放送の動画配信時のコメント投稿を通じてメンバーへ直接チケットの予約がお願いできちゃいます。ワーオ
予約をお願いしたいイベント日時・予約名・人数(=チケット枚数)の記載をお忘れなく!
そんな... メンバーへ直接なんて... ヤダ恥ずかしいワ...♡というあなたは、公式Webサイトの予約フォームを活用しましょう!
ライブ詳細下部に、
こちらは予約に必要な事柄が全て項目化されているため、情報の書き漏れがなく安心!
チケット代は基本的に会場受付にて当日支払い、事前発券の手間も特には不要な場合が多いです。
③いざ出陣!
チケット予約が済んだら、あとはワクワクしながら当日を待つのみ。ちゃんと寝るんやで!
もちろん事前に会場へのアクセス、花言葉を君にライブ開始時刻の確認をお忘れなく!
ライブイベント自体の開始時刻には間に合わない... という場合も、多くのライブでは途中入場が可能なため 花言葉を君に のライブ開始時刻までに到着出来れば大丈夫。
ライブは見られないけど物販は行ける!という場合ももちろんオーケー。
ライブハウスがちょっと分かりづらい場所(地下フロア等)にある場合は、入り口付近にライブ詳細が記載された立て看板等がある場合も多いので目印にしましょう!
④入場!
ドッキドキの入場。この関門を突破すればその先にはパラダイスが待っています。
とは言っても難しいことは特になく、会場受付にて
予約(取り置き)アーティスト名、チケット予約枚数、予約名を伝えられたら完璧!花言葉を君に で○枚予約した〇〇(予約名)です、と伝えましょう。受付の方がお目当はどなたですか〜と聞いてくださることも多いので、上記を伝えられたら大丈夫です。
チケット代金と(ほとんどのライブハウスにおいては入場時必須の)ドリンク代を入場料としてお支払い!よく出来ました!ハナマル!
⑤ライブを楽しもう!
多くのライブは、色んなアーティストさんが数多く出演されタイムテーブル(タイテ)通りに進行しステージに代わる代わる登場されます。
花言葉を君に のライブ開始時刻までにはしっかり事前準備を済ませておきましょう!
大きな荷物は受付・クロークやロッカーに預ける、ドリンクを引き換えておく(もちろんライブ鑑賞後でも○)、サイリウムを持参した場合には電池の残量を確認しておく(中の人はよく電池切れになります。アウト)などなど... 前後のアーティストさんのパフォーマンスを楽しむ余裕があれば尚素敵!
ライブ自体に必要なものは特になし、ライブを楽しむ気持ちだけがあれば十分です。
サイリウムなどの光り物があれば、推しメンの色に光らせて振るのも楽しい!オススメです。
ライブ鑑賞時には最低限周りの方へ迷惑を掛けるような行為を慎めば大丈夫です、コールや振りコピ(一緒に振り付けを踊ってみる)も一層楽しい気分になること間違いなし!
⑥物販に行ってみよう!
ほとんどのライブにおいて、花言葉を君に は物販も行なっています。
物販には 平行物販 と 終演後物販 の大きく2種類があり、平行物販の場合はライブイベント開催中に、終演後物販の場合はライブイベント終了後に所定場所にて開催されます。
お手紙やプレゼント、差し入れなどもここでお渡しすることが出来ます。
終演後物販の場合、物販開始時刻まで間が空くことが多いので(詳しくは公式Webサイトの物販開始時刻をチェック!)、ライブ会場が再入場可か確認してお外に休憩へ出ることも可能です。再入場時には再度ドリンク代の支払いが必要であったり、会場やイベントによっては再入場不可なこともあるのでしっかり確認!
物販とは、メンバーとチェキ写真を撮りながらお話したり、最近ではランダムで様々な豪華商品の当たる はなことくじ に挑戦することが出来ます!
メンバーと一緒にチェキ写真が撮りたい場合には、チェキ写真撮影1回につきチェキ撮影券 を1枚購入します。推しメンとたくさん撮るもよし、メンバーそれぞれと撮るもよし!簡単なポーズのお願いも出来たり、メンバーのみのソロ撮影も可能です。撮影メンバーによるサインも入れていただけ、更にその間お話も出来ちゃうちょっとした臨死体験です。
はなことくじ は毎回物販に登場するか確実ではないため、出会えたあなたはラッキー!是非運試ししちゃいましょう!くじの中身は随時追加されている模様!
更に今なら初めて 花言葉を君に の物販を訪れた方限定でお好きなメンバーとの無料写メ撮影実施中!
⑦気をつけておうちに帰ろう
いいですか、おうちに帰るまでがライブです。幸せを噛み締めつつ、また元気にライブへ来られるよう帰り道は足元に気をつけて!
ほとんどのライブイベントでは、お好きなタイミングで退場可能です。
ライブ後に用事があれば帰ってよし、物販まで楽しんで思い出を胸にルンルン帰路に着いてよし、もちろん終演まで他のアーティストさんのパフォーマンスを楽しんで良し!なんです。
ちなみに撮りたてのチェキを見ながらぼんやり歩いていると道に迷います(実体験)。
ここまで出来たあなたはもうライブマスター!次回以降も同じようにすればライブにまた来られちゃいます。
花言葉を君に は、本当にメンバーも運営もファンも皆がとっても穏やかで優しい界隈です。
もし会場で困ったことがあれば、会場の係員さんやお近くの方に尋ねれば、きっと優しく助けてくださること間違いなしです。
是非最初の一歩を踏み出して、一緒に楽しいライブ空間を創りましょう!
大体ライブハウスに辿り着けないのでメチャクチャ早めに会場付近へ到着しメンバーの1人霞湊士さんが大好きすぎて最早グループ公認ドリンクのようになったタピオカを飲みながら時間を潰す一ファンより
ネットフリックスっていう課金制の映画視聴サイトがあるんだけど。
そこで視れるんだけど。
かなり面白かった。
お医者さんになってみると、「精神病」ってのを疾患として理解できてしまって、
私小説とか、メンヘラ的な小説への感慨みたいなのが一気にそがれてしまっていた。
文豪の神経症を見ても、「この時代は薬がなかったからねー」とか、「あ~これは典型的な貧困妄想ですねー」とか。
現代では、治るっていうか、超絶重い状態の精神病ってのが滅茶苦茶レアになってしまった。
で、そういうのをもう一度手に入れさせてくれたわ。
「本当に精神病なのか?」という疑いを持てるぐらい説得力があるんだよね話に。
ストーリー展開も神がかっていて。『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』的に2つの話が行ったり来たりして、最終的につながるっていう。
更に素晴らしいのが、登場人物たちの人間性やどうしようもなさが伝わってくる。
文学的な意味合いとして、「臨死体験と精神病を繋いだ」というのがうまいと思った。
現代では宗教的なオカルト的なものは一笑にふされちゃうんだけど。
実際に臨死体験を経て超絶能力得てるとかあるから、謎な部分とかは確かにあるんだよね。
ここを結び付けてきたのがうまい。
精神病を奇跡だの神秘だのでごまかさずに書いてたり、周りの人の空気感をごまかさずに書いているのに。
それなのに、奇跡を書けるってのがすごい。
完成度が異常に高い作品だった。
鬱だ。手軽に死にたい。
が、死ぬのは嫌だ。生きているのは面倒だが、未練たっぷりである。
目をキラキラさせながら「生きてるだけで素晴らしい!」と言ってみたい。できるだけ安全に。
そこでバンジージャンプなど、手軽にできる臨死体験(ちょっと意味が違う)をしてみたいんだけど、
何がいいんだろう。
飛び降り自殺は飛び降りてる途中でショック死すると聞いたことがあるので、
万一死んでしまったら元も子もないし、
何よりむち打ちとかなりそうでやだ。肩こり腰痛持ちだし運動不足だし、
なんか腰とか変に捻って痛めそう。無駄に怪我のリスクは負いたくない。
パラシュートとかパラグライダーならまだいいのかもしれないが、
バンジージャンプより高いので怖すぎる。たぶんかなりの確率でちびると思う。
何よりそれこそショック死しそうだ。
となると、崖の上から足だけ掴まれて落とされそうになる「西の覗き」あたりが無難だろうか。
でもどうせそういったのをやっても、しばらくすればまた元に戻って、
そしてリスカする勇気もなく(っていうか痛そうだし死ねるわけじゃないし)、
首吊る勇気もなく(場所選ぶよね。富士の樹海まで行くのも面倒だし)、
また惰性で毎日を生き続けるのだろう。
趣味は適当にあるんだけど、名をなせるほどの実力がないのはわかってるし、
だから、極限状態を経験することで、生のありがたみを痛感したいんだけど、
都合よく人生観が変わるような、一種の宗教体験めいたことがポンと起こるわけもない。
惰性以外でどうやって生きていけばいいのかわらかん。
自殺をしたいと、本気で考えている。
自社工場を持つ会社の営業として、年間売上1.2億、利益率40%近くを達成した。
無理はしてきたが、やりがいはあった。
実現できたことに、達成感もあった。
自分でも、よくやったと思っている。そこに後悔は無い。
また、様々な技術について聞きかじり程度の知識があったり、オタク特有の(と私は思っている)異常な好奇心から、
しかし、売上1億を超えたあたりで自分のキャパシティを突然超えた。
仕事が回らない。回らない。回らないことで頭が一杯になり、回らない。
全て自分の頭の中で管理し、コントロールしていたのが原因だった。
当然、そんな状況に陥っては、人に見せられるほど整理する時間も能力もない。
どこかで戻さなくては。
そう思い続け、とにかくいま、目の前の事を片付けようとしていた。
その、「目の前の事」はめまぐるしく変わり、目の前の事をやっているつもりが、
新しく目の前に別の事がやってきて、破綻しきった。
目の前の事は過去の事になり、中途半端なまま、終わらせる事無く放置され続けた。
それが重なって、まさしく今の時点で、どうやっても収拾がつかない状況になっている。
常に死を考えている。求めている。
人の心を持った自分は、おそらく完全に死んだ。
肉体的な死は、いつ訪れるのだろうか。
長いけど勘弁な。
なぜか生き残らされてしまった話。
当然、そんな時間帯だし走るのは二車線の直線。
見晴らしのいい街道だから制限速度ちょい超えるくらいのスピードで走ってたんだ。
まあみんなやってる程度の速度超過。
レンタルショップやスーパーで買い物等々、寄り道なんかしてね。
そんな日常を繰り返してた。
で、ある日疲れがたまってたのか寝坊した。
もちろんソッコー着替えていつもより飛ばしたよ。ただ気が急いてたから正確なスピードは分からん。後々ブレーキ痕で判明するんだけど。
しばらくして大きめの交差点、横断歩道のシマシマ模様が見えてくる。
視界を少し上に向けて信号は青。少し左に振って歩行者信号の点滅もなし。アクセルは緩めない。
と、なぜか右から左へおっさんぽい人影が動いてくる。対向車線のど真ん中。赤信号のはずなのに。
え?信号無視?
直進の信号が変わった?
正面に視界を戻した時には
「え?小走りになってね?」
「ホーン!!ブレーキ!!」
ってのが0.5秒ぐらいの間に一気に頭を駆けまわり必死に操作する。
けどもう間に合わない。
ホーンにも気づかず正面きちゃったようわぶつかるまじかよ全然気付かねーよどーなんだよドン!!
全身を強く床に打ち付けられるとしばらく動けなくなる経験ってないか?
ガキの頃少し高めの場所から飛び降りようとして失敗したとかさ。
アレの強烈版だった。
呼吸が出来ず、うー。うー。って唸りながら身動きがとれない。
けど何とか、ゆっくりだけど腕は動く。
真っ暗だった視界がゆっくりと明るくなってきて真っ黒な血だまりが目に飛び込んできた。
おまけにどうやら俺の顔のどこかからまだポタポタと血がたれ落ちてる。
そーゆー時って不思議なもんでまず口元に手を当てるのな。
ドラマで何かに気付いて「ハッ!!」ってやるみたく。
俺はジェットヘルを被ってた。
で、どうやら下顎から思い切りアスファルトダイブをしたっぽい。
そっから出血してるのか?コレまた不思議なもんで無造作に口元に指先を当てた。
手触りでいつもの形と違うのが分かる。
もう滅茶苦茶な造作になってて血でヌルヌルして唇が避けてるな。
前歯もぜんぶねーっぽいぞ?それにしても出血ひどくね?
上顎が痛い。
変な感じがする。
手を突っ込んでみると折れた下の前歯が上顎に突き刺さってるのがわかった。つまみ出す。
でも身体は動かず、唸りながらも「おっさんどーなった?」と身体を何とかよじらせて見回したけど視界に入らない。
そーこーしてる間に「おい!ひでーぞこれ!大丈夫か!?」なんて声が聞こえてくる。
どうやら通りがかったドライバーが駆け寄ってきてくれたらしい。
なにか話しかけてくれてたけどその時俺は顔、滅茶苦茶になっちゃったのか?ってのと、人身かよまじかよつー二種類の恐怖を味わってた。
時折口の中に手を突っ込んで様子を探ったりしながら「ダメっぽい。そーれより相手の人はどーなってますか?」って話してるつもりなんだけど唇がめちゃくちゃになってるから上手く話せない。
気付けば救急隊員が目の前にいて質問してるけどうまく答えられない。
そのまま意識飛んだのか今度は病院のストレッチャーに載せられてる。
看護士や医者の「よいしょ!」って掛け声とともに処置用のベッドに移し替えられ、速攻で唇を縫われてる感覚はあるんだけど、だんだん周りの声が聞こえなくなってくる。
視界が狭まってやがて真っ暗になる。漆黒の闇ってやつだ。
あれ?死ぬか?
よく耳にするけどホントあの時は「恐怖感」ってのが全然なかった。
あー、このまんま消えるのか俺。ぐらいの軽い感じ。
過去を振り返るとかそんな余裕もなく意識、つーか思考が徐々に小さくなっていく。
気が戻ると入院棟の、あのフカフカベッドに横たわってた。点滴つけられて。
あ、まだ生きてんだ俺って思ったな。
後になってケータイ見て驚いたけど、その時自画撮りしてんだよね。
せっかくだからとか生還記念に、とかバカなこと無意識ながら思い付いてやってたのかもね。
パンッパンに顔を晴らした朝青龍みたいな俺が写ってた。
ここから少し端折る。あと自分に起こってることとはいえ記憶とんでるのと医者からの後聞きなので「らしい」とか「っぽい」みたいなボンヤリした書き方になるけどスマン。
聞いた話だと病院に運び込まれた時、本当に俺は死にかけだったらしく、くも膜下出血と顔面多発骨折の状態で、頭部(脳?)にあまり刺激を与えたくないから唇は最小限の処置だけされてた。
当然即入院。
でもって外科の前にまず生き死にだろってことで脳外科の病棟へ。
運良く運び込まれたのが某大学病院だったから各科との横断的な治療を受けることができた。
そんで顔面からのダイブだったってことで不幸中の幸い、頭部以外は外傷ほぼなし。
気になる顔面の壊れ具合はつーと下顎と鼻の下の骨がパックリ縦に割れてた。
下唇は顎の途中までバックリ断裂。
事故後、初めて鏡見た瞬間「ああ、もう前の顔には絶対戻らないんだな」ってガックリきたよ。
イケメンでもなんでもないけどコレまで付き合ってきた自分の顔は一生見れないんだから。
毎晩寝るとき「このまま二度と目を覚まさないんじゃないか?」って死の恐怖に襲われてた。
1週間ほどで脳内の影も消え、異常なしって診断貰って今度は顔面の修理。
ハリガネみたいので歯を縛り固められ、ユルユルだった骨折部分が多少落ち着いたら今度は手術。
臨死体験をした身としては、またあーなんのかな?とか思う間もなく深呼吸数回でサクッと落ちた。
手術は無事終了。
チンコに差し込まれたションベン管も「あ、あああ、あああああ~~~~……」ってな感じで引き抜いてもらった。
術後しばらくしてからレントゲン見せてもらったけど顔のあちこち、少なくとも10ヶ所以上はボルトが埋め込まれててサイボーグになった気分。
見舞いに来てる家族にもどうなったのか尋ねたけど「全身打撲で入院してるみたい。まずはアンタの代わりに謝罪してきた」てな返事。
助かったと聞いて胸をなで下ろす。
とにかく当事者の俺が謝罪しなくちゃなんない。けど手術もある。
向こうも落ち着くまでしばらくかかるかもしれないし、間を置いて謝罪した方がいいのかも。
あーそうか人身だよな免許取り消しだろうなー。とか思ってたな。
そーこーしてる間に移動はまだ車椅子だったけどだいぶ落ち着いてきた。
退院の日もほぼ確定。まずは第一段階終了かー。
みたいに一息ついて母と話してる時「相手の方、実は即死だったの」と言われた。
そう。俺は殺人者になってた。
母が言うには「手術前に精神的ショックを与えないように警察からアドバイスされてた」とのこと。
けど俺が生き残っておっさん死ぬってどーゆーことだよ天秤が吊り合わない。
落ち込みまくること数日。交通刑務所行こう。償おう。そう考えるに至った。
口の周りは神経が切れてるから動くけど痺れは10年単位で回復していくと言われ、無くなった前歯はブリッジと入れ歯がはめられた。
ホッとする間もなく警察から連絡があり取り調べたいという。実況見分も。
日程が決まり取調室でここに書いたような話をし、事故現場に足を運んだ。
それ以前に正面衝突の衝撃で血がこびりついたスピードメーターは65キロをさしたまま潰れてた。
おっさんも俺も40メートル近く吹っ飛んだそうだ。ホットロードどころの話じゃない。
事故現場に立てられた目撃者求む、の立て看板からは数件の目撃情報があったという。
街道の交差点だっつーことで設置されてた監視カメラにも事故の映像が残っていたらしい。
事故を担当してくれてた交通課の担当者、検察局の検事は同じことを言った。
「目撃情報もカメラの映像も、どう見ても飛び込みなんだよねー。そしてあなたはホーンも鳴らしてるしブレーキもかけている。避けられない事故ってのがあるんだよ。どうしても」
相手の方が亡くなっている以上、警察にも、もちろん俺にも飛び込んだ理由を問うても答えは出てこない。
運転ミスじゃなかったのか?
飛ばし過ぎじゃなかったのか?
1年間免許取得出来ません。つー欠格期間が付けられた。
そして保険。
個人情報の関係で詳細は知らされちゃないけど、相手の方は生活保護を受給している65歳の男性だった。
役所でその男性の担当をしている職員と警察の間で情報の交換をしたけど、どうも故郷の家族とは30年近く連絡をとっていないっつー状態。
なんとか調べて見つけた家族に事故で亡くなったことを伝えても「家を捨てた人の死には関わりたくない」てなスタンスだとか。
なんでそーなるんだよ。
もちろん前述のように個人情報の都合で俺から先方のご遺族へ謝罪する、どころか訪ねていくことさえ一切できない。
どうやってこの罪の意識を背負い込み続けていけばいいんだっつって軽く絶望した。
事故の夢を時々見てはうなされる。いっそのこと交通刑務所にぶち込んで欲しかった。
事故現場に献花して冥福を祈るくらいじゃ全然気持ちが収まらない。
ひどい話かもしれないけど、罪を償って少しでも気持ちを楽にしたかったってのが正直なところ。
半年ほど合間を見ては警察に連絡したり足を運んだり。ご遺族の状況を尋ね続けた。
保険金を受け取ってくれないかと、何とか伝えることはできないものか。
最終的には保険会社が間に入ってご遺族を説得したのか、ご遺族内でなんらかの気持ちの変化があったのか、保険会社と何度か書類のやりとりを済ませ、無事ご遺族に保険金が支払われた。
で、保険金が支払われたからといって俺の精神状態は全然落ち着かなかった。
顔面に埋め込まれたボルトを抜き取る再手術入院のとき、主治医に相談してメンタルヘルスを紹介してもらうことになった。
結果、鬱傾向にあると診断された。
正直落ち込みは激しい。っつか波がかなりある。
事故から2年ほど経つけど免許証はまだ取得する気にはなれない。
メンタルヘルスにゃいまも通院してる。
事故のことを知らない久しぶりに会う知人に「おや?」って感じで顔を凝視されるのはつらい。
ビートたけしはどうやって気持ちを持ち直したんだろうか。なんて考える。
もし仮に、あのおっさんが世をはかなんで飛び込み自殺したんだとしたら。
自殺は増え続けてるってゆーよな。
けど死にたい奴はひとりで富士の樹海にでも行ってひっそり死んでくれ。
誰に何が起こるかなんて誰にもわかりゃしないけど、死の方向に他人を引っ張り込むような真似だけはやめてくれ。
エラソーかもしんないが、この話が教訓になればいいけど。
例えば、今期放送中の『グラスリップ』。未来が予知できる二人の少年少女がその仲間たちを介して様々な臨死体験を重ねて時かけよろしく未来を変えていくという内容(と筆者は思い込んでる)だが、筆者はカタストロフィー論に特に秀でてる訳でもないので割愛する。
で、何が言いたいのかと言うと、折角のファンタジー要素があんまり役立っていない上に清涼感が場全体を包み込んでるというのに
甘酸っぱいといえば多少語弊はあるが、要するに恋愛というジャンルにおいてファンタジー要素は必要ないのでは?と思う事がある。
ここの会社の前作、西村純二監督でという意味において、『true tears』では、乃絵という少女がやはり電波であった事が実はあまり意味を為していなかった。
その上彼女は別にシナリオ全体のキーパーソンでもなく、道先案内人という役柄でも誰かに当てつけるような恋のライバルであったわけでもない。
ただそこにいただけである。
その意味から察するに、彼女自身がファンタジー要素なのではないかと時々思う事がある。
彼女は主人公ともう一人のヒロインを繋げるキーパーソンとして存在していた訳ではないが、少なくとも主人公の優柔不断な態度を改めさせる重要人物という地位にあったのかもしれない。
乃絵という少女は結局鶏と話す事が出来ると言ったり、また兄に主人公の恋人候補を突いて貰う役割を担わせるだけに存在していた、引っ掻き回し担当だとするならば、グラスリップの未来予知もあながち不必要ではないのかもしれない。
要はこのファンタジー要素も不必要ではない、何かを成し遂げるためにあえて不確定要素を残しておいたのではないだろうか。
少なくとも本編の主人公透子はこの未来予知に同じくそれを覗く事が出来る駆もそれによる繋がりを意識しているのだから、恋愛アニメにおけるこのファンタジーはある一定の成果を齎すのかもしれない。
ただ、恋愛アニメ、つまり『君に届け』とか『好きって言いなよ。』のような完全な青春ドラマにはこの要素は必要ないし今後も出て来る兆しはない。
恐らくそれが必要になるのは、恋愛に対してある一定の共鳴や共感を覚えるために必要な不確定のファクターが作用する時だけであろう。
死後の世界が本当にあるのかどうかは知らんが、科学で解明できないことは山ほどある。解明できない以上、信じるか信じないかだけである。信じたいなら信じればいい。
科学的に"解明できていないこと"と"解明できない"事は全く別のことである。
この件に限って言えば、「有能な脳外科医」という立場で、そのような「臨死体験をした」という事を装い、
それによって本を売っている。
はっきり言って詐欺だ。
まあ、買う人は強制されてるわけじゃないから罪とまでは言わないが。
"解明できない"、とか言い切ってますが、もし、この脳外科医が、実は全部本売るためのうそでしたーwwwって言ったらおもしろねw