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2012-02-06

日経エコ探偵団、脳内妄想見出し詐欺を産む

最近、ウチの日経宅配が時々配達忘れる日があって、

回文句言おうと思うのだが、配達忘れあった土曜日の「エコ探偵団」に

脳内妄想全開な記事があったのを「はてなブックマーク」経由で知った。

「今年はベビーラッシュ震災で実感「一人は怖い」」

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.nikkei.com/news/topic/article/g=96958A96889DE1EAE7E1E0E1EAE2E2E1E2E0E0E2E3E085E3E6E2E2E2;q=9694E0E3E3E2E0E2E3E3E7E2E3E4;p=9694E0E3E3E2E0E2E3E3E7E2E3E1;n=9694E0E3E3E2E0E2E3E3E7E2E3E3;o=9694E0E3E3E2E0E2E3E3E7E2E3E0

この見出し「だけ」を見た人は、

「今年はベビーラッシュなのか!?」と早合点してしまいそうである

しかし、記事の中身をよく読んでみると、

「街で妊婦をよく見かける」という「個人の観測範囲内での出来事」を

出発点として取材開始するものの、結局出産数増加は確認できなかった、というお粗末記事である

恐らく、

「昨年、家族の絆が再認識されたことだし、出生率も上がるのではないか?」と

「仮説」を立てた日経記者が、仮説を立証すべく各方面に取材に走ったが、

結局芳しい結果が得られなかった・・・そんなところじゃないか

であれば、この脳内妄想な「ベビーラッシュ」なんて見出しは、「見出し詐欺」もいいところで、

紛らわしいので改訂すべきでは?

>「街で妊婦さんをよく見かけます。今年はちょっとしたベビーラッシュになるんですかね」。

>近所の主婦の話に、探偵の深津明日香が身を乗り出した。

>「東日本大震災で人との絆が見直されたそうだけれど、出産につながっているのかしら」

震災後の妊娠出産の状況を調べた統計はまだない。「そういえば妊婦向けの雑誌があるわね」。

明日香リクルートに問い合わせると、雑誌『妊すぐ』の実売部数は昨年3月以降、前年よりも24%増えたとの答え。

編集長佐々木寛子さん(36)は「芸能人妊娠出産が昨年多かったことが影響しているかもしれません」と推測する。

妊娠しやすい体づくりなどの情報を発信する「妊活・net」へのアクセスも増えていた。

>月間で数千回だった閲覧数が昨年7月には3万5000回超に。運営する医薬品会社

メルクセローノ(東京都品川区)は「最近子どもを欲しいと強く思う人が多くなったように感じます」という。

>「出産を控えた女性の声も拾ってみよう」。東京都文京区母親学級を訪ねると、この日は満席

>小中あゆみさん(32)は「地震で一人は怖いと実感しました。先でいいと思っていた入籍を5月に早めると、

>すぐ子どもができました」とほほ笑む。結婚を前倒しし、妊娠したと打ち明ける女性は他にもたくさんいた。

>「震災結婚出産に変化が出てそうね」。家族の現状に詳しい中央大学教授山田昌弘さん(54)に聞くと、

山田さんは首を振った。「結婚についていうと、予定を早めた人はいるかもしれませんが通年では増えませんでした」

厚生労働省によれば、2011年婚姻件数は推計で67万件と戦後最少。

派遣社員フリーターなど非正規社員を中心に未婚率は上昇している。

>「生活に不安があると、結婚に至らないことが多い。現在経済雇用環境では難しいですよね」

以下略

出生数増加の「唯一のエビデンス」は、「妊娠雑誌妊娠サイトアクセス数増加」だけだが、

これはむしろ「放射能妊娠医学的関係を確認したい」という需要が増えた、

それだけのことじゃないか、と思う。

しかし残念なのは日経エコ探偵団って、

「その程度の薄弱なエビデンスで以って、毎週記事を「量産」している」

という「実態」が暴露されたこと。

多少なりとも日経新聞一定クレジットを置いていた自分がバカだった。

震災後の妊娠出産の状況を調べた統計はまだない。」としれっと書いているが、

少しでもアタマを使えば、いくらでも調べる方法はある。

例えば自治体は「妊娠届け出数」(=母子手帳交付数)を集計しているが、各自治体妊娠届け出数を電話取材すれば、

カンタンに傾向を予測できる。

実は自分

放射能問題を嫌悪して、カップルが子作り行為そのもの自粛する結果、2012年は相当数出生数が減少する」

という仮説を持っていて、知り合いの週刊Pの女性記者に各自治体に取材するように頼んでいるのだが、

なかなか動いてくれない。

市井の個人である自分自治体妊娠届け出担当電話取材しても、相手はマトモに応対しないだろう。

マトモに取材できるのは、マスコミ名刺を持った記者だけなのだ・・・

と思ってたら、以下のような、エコ探偵団を完全否定する記事が飛び込んできた。

日経エコ探偵団、赤っ恥(笑)

http://iryou.chunichi.co.jp/article/detail/20120130170603835

国立社会保障・人口問題研究所は、30日に公表した将来人口の推計に当たり、

東日本大震災東京電力福島第1原発事故への不安から

>「全国的な『産み控え』が起きている可能性も考えられる」として、2012年の合計特殊出生率が下がると仮定した。

研究所は、47都道府県の約800市町村に10年と11年の母子手帳の申請件数を問い合わせ、

>約500市町村から回答を得た。

>その結果、11年の申請件数が10年に比べ全国的に減少していた。

2011-09-06

http://anond.hatelabo.jp/20110906150347

俺も先輩として書けるかな。

少なくとももう母からネグレクト、兄から精神的、身体的虐待過去を持ちだしてわーわー言う必要はなくなった。

完璧主義のような性格的な特徴はおそらく残っているけど。



自分ACに気付けたのは良かった。ACであると自覚し、過去を振り返り、死にそうになりながらも自分生き方、あり方を模索して、現在に至ってる。

でもACは生涯ついてまわるものではない、というかそうあるべきものではない。

自分ACであるということに固執すると、それを逃げ口上にして、免罪符にして傲慢に振る舞いたくなることがある。そうなると悪循環だ。



辛い気持ち、死ぬほどの絶望感にさいなまれるのは分かる。

他の人は家族の話題で盛り上がると一刻も早くその場から消えたくなるだろう。

昔の写真も、母子手帳もない… 語りたくない、語れない幼少期…



でも、ACであると自覚している限り、そうした免罪符逃げ口上を使い続ける。AC視点自分を捉え続ける。

早く捨てるべきだ。

ACの人のblogの主旨の多くは「ACなんだけど、ちゃんと生きてる… ちゃんと生きていこう…」と言ったもの

違うんだ。ACは早く捨て去るべきなんだ。



捨て去れないから困ってるという気持ちも分かる。俺にそのための技術的なノウハウがあるわけではないからそこはフォロー出来ない。申し訳ないけど。

でも、一言いうなら、まず泣きまくるんだよ。そして自分を慰めてあげる。その上で自分を満足させてあげる。インナーチャイルド出会おうとしたこと、意識の奥を垣間見れたことは+になった。

バカにしないでやるべきだと思う。 

あとは徹底的に過去を分析する。感受性がなくても、虚無感に襲われててもそれは出来る。 

紙に書いたり、パソコンに書いたりすれば、その記録は消さないか無駄にはならないよ。 



最後になるけど、俺はサバイバーって呼称が好き。 一生懸命に生きようとする強い気持ちが宿されているから。

でもう一つ。 今辛い人は克服したって俺みたいな人間の言うことは話半分で聞いておいたほうがいい。

精神的に強くなってるから自分を棚上げして辛い人を弱い人だと思ってしまう嫌いがある、どーも

2011-03-08

赤ちゃんをむかえることから、稽留流産のことまで

2011年2月初旬、はじめての妊娠がわかって、とてもうれしかった。

昨日、稽留流産の手術をした。まだ、気持ちの整理がついていないけれど、幸いに術後の痛みもほとんど無いので、記憶が確かなうちに記録する。

様々な方が経験を手記やブログとしてネットで公開されていて、それがおおきな助けになったので、自分増田として一助になれればと思う。長文お許し下さい。

 

赤ちゃんをむかえること

筆者、36歳、自宅で自由業。結婚10年目。夫は38歳、研究職。ふたりぐらし。

仕事が落ち着き、経済状況も安定してきたので赤ちゃんをむかえることに、2010年からとりくみはじめた。

基礎体温に基づき、排卵日近辺にがんばる方法をとった。

基礎体温2010年7月から記録をはじめた。葉酸は、1年ほど前から意識して摂取するようにしていた。

 

夫は頭の中が研究のことばかり。いつも帰宅が遅く、ごはん食べてそのまま泥のように眠るのが日常

仕事を家にもちかえって、私がデータ整理を手伝いながら、夜半まで趣味とも仕事ともつかない作業をする日も多い。

そんなわけで、いままでかんばる回数は月に2回あればいいほうだった。

それでも、自分では夫婦の仲は良好だと思う。 

 

夫の妊娠についての知識は「排卵日にがんばれば命中する」というもので、

顕微鏡でためしに自分精子を観察したところ、活動も活発で数もいた」という自負がある。

私の周期は28日で、サイクルはわりあい正確、基礎体温もはっきり2層に分かれる変化をしていた。

 

基礎体温記録、周期の予測、予告などで、下記のサイトを有効活用させていただいた。

ウーマンコム Inc. の基礎体温表

記録をまとめて印刷することもできるので、医師妊娠の経緯を説明する時にとても便利だったし、「がんばる日」の予想もしやすい。

 

妊娠に至るまで、5ヶ月を要した

上記の通り、夫の妊娠に対する知識はかなりアバウトであったし、私もネットを使って本気で調べるまでは、知らない事が多かった。

挑戦して、3ヶ月くらいまでは、基礎体温から予測した「だいたいこの日が排卵日」という日を中心に一晩か二晩、がんばった。

夫が仕事でつかれていて、お願いした日に寝てしまったり、お酒を飲んでいい気持で忘れて寝てしまうこともあった。

このころ、夫は精子卵子寿命の違いを知らなかった。

 

年齢の事もあり、また自分に自信がなくなってきたので、不妊治療の事も真面目に調べた。

とてもお金がかかり、体への負担も大きい事が分かった。

 

20代子供を産み、子供小学生に育て上げてから仕事をはじめた友人や、

同じく20代で2人の子供を産んでいる妹の事などを考えた。

いくら自分健康に自信があっても、赤ちゃんをむかえるのは早い方がいいと強く思う。

結婚する前から、夫と私は2人とも子供を望んでいた。

私の20代には、経済的にも精神的にも余裕はなかったし、夫も自分の身を立てることで精一杯だった。

たいへんでも、親に援助をもとめても、もっとはやくに赤ちゃんをむかえることにすればよかったのかな……

 

冬になってから、もっと真剣になった。排卵日に関係なく、回数を増やした。それでも週に1度くらい?

妊娠しやすい体にしていくためには、普段から夫婦の接触が大事で、がんばる日が多いと、

お互いのホルモンが活発になって、生殖機能が活性化されていくらしい科学的根拠は不明?

そして、妊娠しやすい期間の前に4日やすみの日をつくり、排卵日周辺に2日おき、または1日おきにがんばった。

 

カレンダーに「がんばる日」の印をつけて、多忙な夫が忘れないようにしてみたけど、それでも夫は忘れることがあった。

夫は、理性では、子供と私への気持から、その「予定」に前向きだったが、仕事の締切りや年末進行などで体力的にきつかったし、プレッシャーも感じていた。

私も強制して性交させるのはとても嫌だったので、時に喧嘩になることもあった。夫はいつも一方的に謝るばかりだった。

夫が最大限に努力してくれている事はよくわかっていたはずなのに、自分は焦って思いやりを忘れていた。

 

 

年末年始大掃除もてきとうにして帰省をせず、はじめてふたりだけの大晦日とお正月をすごした

いつもは組立てない炬燵を出してきて、パソコン並べて仕事しながら、お雑煮おせちをたべてゆっくりした

初詣地元神社に参拝し、男根型の岩を撫でてみたりもした

 

 

その甲斐もあって、1月のおわりにくるはずの月経が来ず、基礎体温も高いままだったので、

妊娠検査薬を使わずに、2月の初めに産婦人科にいった。病院は、近所の奥様がすすめる病院を選んだ。

病院で尿検査をして陽性を確認し、エコー検査した

子宮のなかに小さな黒いまるうつっていた。なかみはまだ見えないけど、子宮妊娠はない事がわかりほっとした

担当先生は事務的で素っ気なく、少々心もとなかった。

 

妊娠が確定して予定日を告げられてから そのママ夫婦で登録し、

毎日メールで送られてくる赤ちゃんの成長を楽しみにしていた。

 

2月の半ばに2回目の検診にいった。

先生カーテンをあけて、心臓が動いているのを見せてくれて「順調です」と言ってくれた。

黒い楕円の中で、ちいさい心臓がぱくぱく動いていて、思わず涙腺がゆるんだ。

赤ちゃんは週数のわりに少し小さかった。

調べると、後から追いついて大きくなったり、排卵日が遅かったりしていたために小さく見えたりするそうで、

あまり問題はないということだったけど、今思うと、その時のことがとても気になる。

 

つわりは、吐くようなつわりでなく、とにかく眠くて眠くて夜も早く眠くなり、昼寝で夕方まで寝てしまう事もあった。

つわりは人それぞれで、これで赤ちゃんの状態を推測する事はできないということだった。

1月の初めにがんばったときから性交はずっと止めていた。

回数を増やすようにがんばってから、夫が活性化したらしく、要求が増えたので、手などを用いて別の方法でお世話をした

 

稽留流産のこと

3月の初めに3度目の検診に行った。

この日に母子手帳の手続きができるはずで、その後に、しかるべき人々に報告しようと思っていた。

ちょうど夫の仕事休みだったので、いっしょにうきうきしながら行った。

いつものように、エコー検査をしてもらうと、時間がいつもより長く、先生が焦っているようだった。

カーテンをあけて、「心臓が動いていないです」といわれた。

何度も確認してみても、前回の検診から大きさもあまり変化していなくて、あんなに動いていた心臓のあたりがしんとしていた。

先生によれば、大きさからみて一週間前に心臓が止まってしまったそうだ。

稽留流産、といわれ、先生から説明を受けた。自分では一週間前に何の心当たりもなかった。

夫によれば、ちょうど一週間前から私が吐気でえづくことが増えたので、変化?と思っていたそうだ。

ネットで調べればいろいろ書いてあるので、細かい説明は避け、私個人の体験を記す。

 

 

最初は心もとなかった先生対応は、まじめさゆえだった。

丁寧な説明を受け、自分でもどうして良いかからなかったけど、

とにかく、早めがよいということで、4日後に手術の日を予約した

待合にいた夫を呼んで、小さな部屋で、助産師さんからより詳細な説明を受けた。

「わからないことや不安な事は何でも聞いて下さい」といわれたけど、何が不安なのか、何がわからないのかも見当がつかなかった。

 

あまりに突然の事で、夫婦して感情が固まってしまった。とにかく、私の母と夫の両親に報告した

母が祖父の看病で家を離れられないため、義母が私の手術前から家に来てくれる事になった。

義母がくることに私はとても不安を感じていたが、案の定、相変わらず、無邪気に笑ってはしゃいでいたので、応対にひどくつかれた。

夫があとで「こんな時に笑うな」と言ってくれたので、助かった。

未婚の友人は、よく「夫を産んでくれたお姑さんに批判的になるのは変よ」と言うが、誰でも最初はそう思うのだ。

誰が好き好んで尊敬すべき立場の人に嫌な感情をいだくだろうか……それなりの経緯というものがあるのだ。

これを書いている今も、横で笑顔で孫がはやく欲しいなどと言っているが、赤ちゃんが亡くなった直後の無神経な発言に気分がささくれ立った。

前夜に話を戻すと、義母ひとりで付添いをするとはりきっていたが、頑なに拒み、夫ひとりについてきてくれるように頼んだ。

義母は多分いい人かもしれない。しかし、いい人がよいことをするわけではない。私は自分が我侭だと思ったが、あとでこの判断はよかったことがわかる。

海外で稽留流産をされた経験のある方の手記をネットで読んだ。その人は夫が激務でひとりで手術に行く事になったそうだ。

手術前夜から入院で、夜中に耐えられずに泣いてしまったら、年配の看護師さんに抱きしめられて慰められ、

夫を病院に呼ぶようにすすめられ、夫が来てくれたのでとても助かった、と書かれていた。

自分は朝に入院して、夕方に退院する日帰り手術だ。

手術前夜は、飲食禁止だったが、家で留守番をする義母と付添の夫のお昼に炊き込みご飯おむすびをつくり、

病院に持っていく分と帰宅後の安静時に飲むための番茶をたくさん煮出して、空のペットボトルにつめ、

いつもより丁寧に歯を磨き、お風呂で体をよく洗ってから寝た。

 

夫は、手術の前夜も仕事を家に持ち帰っていた。年度末の仕事ギリギリで、とても忙しい時期だ。

そういうわけで、夫は、赤ちゃんがいた実感も、赤ちゃんが亡くなった実感も薄く、私も事務的に手術の仕度をするだけで、

何が起こってどうなるのか、わからなかった。ただ、ネットで様々な人が書かれた手記や質問の応答などを読んで、

「こういうことがある」のがわかり、ふたりで「痛いことはたくさんあるようだけど、いちばんつらいのは赤ちゃんから、耐えよう」と思った。

 

当日、3月7日朝9時、夫と直接、産婦人科病棟ナースステーションに行き、書類を出して手続きをした

病院には自家用車で行った。服装は、お腹をゆるく保護する妊婦用のやわらかい部屋着のズボンTシャツパジャマの上着、フリースの長いコートで、

家に帰ったらそのまま寝られる服装で行った。手記をみると電車で行き帰りする人もいて術後は歩いて移動できるようだけど、楽にできるならその方がいいと思った。

ナプキンをつけてから担当医とは別の当直の先生が、子宮口を開く処置をしてくれた。

処置の前に、もう一度、エコー赤ちゃんを確認してもらった。

赤ちゃん最後の検診の時と変わらず、動いておらず、形も少しいびつになってしまったように見えた。

この処置はとても痛いという手記が多いが、私の場合は、それほど痛くなかった。痛覚が鈍いのかも知れない。

 

それから点滴で輸液をし、午前中の外来が終わるまで病室で安静にしていた。

午後になり、手術着に着替え、点滴をつけたまま、手術する部屋へ歩いていった。夫は病室で待機。

多分、分娩とおなじ場所だと思う。途中の廊下で元気な赤ちゃんの声がたくさん聞こえた。

担当医の先生が手術の道具を調えていて、天井には大きなライトがあったり、

計器をつながれたり、看護師さんがてばやく準備を整えはじめたので、急に怖くなった。

台の足の部分が開かれて持ち上がり、足にカバーをかけられて、足首を固定された。

肩に麻酔を効きやすくする筋肉注射を打たれた。これが全ての経過の中で最も痛く、

思わず呼吸が大きくなり、その痛みが引かないうちに、アイマスクをつけられ、看護師さんに点滴を刺している手を胸を載せられると、

先生の「麻酔を入れたら、手術を始めます子宮口に詰めた消毒綿をとります。はい麻酔を…」というとこで、

器具の冷たい感触があって、下腹部が激しく痛くなったと感じたら、麻酔が効きはじめ、突然、幻覚が始まった。

 

事前に「意識はうっすらとあって、声が聞こえるくらい。眠くなったら寝て下さい」といわれていた。

しかし、私は意識はしっかりあったと思う。ただ外とつながっていないだけで。

もし、赤ちゃんが次に何処かに生まれることができるなら、できるだけ暖かくて自然がいっぱいあるとこへいけるといいなと考えて、出張した時に見た熱帯の森を手術中はイメージしていようと思い、痛みをこらえて、その木々の茂る風景イメージしてみた。

だけど、アイマスクで暗いはずの視界が急に明るくなって、上からレゴブロックの白いのみたいな小さなものがザーッと落ちてきて、自分の体がとても小さくなってしまったように感じた。痛みも体がある感じも消え、白と灰色と黒の格子みたいのがある空間の底にいて、格子がうねりながら昇っていった。うねった隙間から、キミドリピンクの光がでてきて、渦を巻いてまるくなってくっついたり離れたりして激しく動いていた。私は自分の家や猫のいる温かい感じがあるとこへもどりたい気がしたけど、仕事や、大学のころに勉強していた事、その意味が、バラバラに浮かんできて、消えていって、その間、気持ちいいテクノたい音楽フロアに流れるかすかなオルゴール環境音がアップテンポに聞こえた?)がずっと流れていた。格子の四角がだんだん大きくなってきて、その合間にフラッシュバックみたく家にいて西日が当たる暖かい感じが懐しく浮かんできて、そして、キミドリピンクの光がうすれ、シューッシューッと機械が動く音が聞こえて、視界がもやもやした暗い灰色になって、人の話す声がなんとなく聞こえてきた。

しばらくして、アイマスクがはずされた。目を開けようとしても薄くしか開かず、まだ視界がぼやけていて、遠くから声が聞こえた。

お腹はいたくないですか?」 「わかりません」と答えたと思う。

顔を横にして時計を見てみたら、20分くらいしかすぎていなかったのがぼんやり見えた。

ご主人を呼んできます、と看護師さんが出て行き、夫が来て手を握ってくれた。

 

すごく暖かい感じがして、涙が出てきた。夫も泣いていた。

麻酔がしっかり醒めるまで、一時間ほど、その場所でそのまま2人でいた。

時折、看護師さんが来て出血を確認していった。

つの間にかパンツを履かされていて、看護師さんがナプキンを交換してくれた。

持参したナプキンのうち未使用の2コをとり、交換したナプキンと今着けたばかりのナプキンの空袋を持って、計量にいった。

重さの差から出血の量を計測しているのだろう。種類を混ぜて持ってこなくてよかった。

なので、手術の日に持参するナプキンは全部を同じ種類のものにしておくとよいと思う。

 

麻酔が醒めてくると、点滴の支柱と夫に支えられて、歩いて病室にもどった。不思議とどこも痛くなかった。

病室でズボンはいて横になり、点滴がはずされると、遅い昼食がでた。

夫も昼食をとっていなかったので、いっしょに食事をした

夫は前日まで、「手術してる間にちょっと外でごはん食べてくるからおむすびいらないよ」と言うほど、

手術の時にどうするか何も知らなかったし、手術の間は待機しているようにと説明された事も忘れていた。

私は飲み物をのんでおかずを少し食べてみたが、点滴のせいかお腹がすいていないので、勿体ないけどほとんど残してしまった。

夫は「自分がここにいるべきだし、おむすびお茶を持ってきてよかった」と言った。

 

薬がでて、会計が終わると、手術着を脱いで、帰る仕度をした。このときも、お腹は全く痛くなかった。

看護師さんが手術前に、担当医の先生は手術がはやいと言っていたが、きっと処置が上手だったのだろう。

子宮を収縮させる薬を飲むとお腹が痛くなるというが、薬をちゃんと飲んでいる1日後も痛みはほとんどない。

来週に検診があって、また病院にいく。

元気になったら、赤ちゃんのことをおぼえておけるように、地元で名木の桜の保護をしている会から苗木を分けてもらって、実家土地のいい場所に植えようと思う。

その木がもっと時間が経って大きくなって花をたくさん咲かせたら、それとは知らなくても、いろいろな人が見に来てくれると思う。

 

今後

基礎体温記録再開、葉酸摂取を継続する。

・次の月経以降の周期に、「妊娠したい 私はこれで妊娠しました」 を参考に、排卵検査薬を使って、排卵基礎体温変化の様子を観察し、今後に役立てる。

運動する機会を増やす。近所の温泉に定期的に通う。

いままでは質実剛健、質素倹約を旨としていたが、余裕をもって魅力的な女性になれるよう努力する。

2010-11-09

http://anond.hatelabo.jp/20101109213255

どーでもいいが、その界隈を見ていると「自然分娩」と言う単語大分偏った認識をお持ちのようで、

その辺の母親出産世間話中で「自然分娩だった」とか言おうものなら即カルト扱いしそうで心配だ



と、某総合病院で点滴用ルート取りながら会陰切開して出産したけど母子手帳に「自然分娩」とでかでかと書いてある増田は思う

2010-09-22

http://anond.hatelabo.jp/20100922214657

詰めが甘い。

間違ったことをしたら、「それは間違いだよ」と教えるのが教育

危険なことをしたら、「それは危険」と教えるのが教育

危険じゃなければ、多少間違っていても咎めちゃいけない。

教えられる側が何も考えなくなるから。

「間違ったことはしちゃいけない」としか言われないのは???だよ?

そりゃ、「間違ったことはしちゃいけない」理由を分析している人が少ないからだよ。

皆が皆、児童教育学単位なんぞもっとらんし。

児童教育学に触れることの出来る母子手帳付属の冊子ですら読まない。

これって知識云々の話?何も知らないのがいけないのかい?

知識が無いのに求めないのがいけない。

少なくとも、親は子育て経験してるんだし、他にも子育てスクールとかそういうのに参加したり、保育園幼稚園先生に質問したりすればいい。

2010-08-03

http://anond.hatelabo.jp/20100802162503

市役所に行って「子育て相談をしたいんですが窓口はどこですか?」と聞けば、

家庭児童相談室というものを紹介してくれる。

子育てがつらい!遊びたいのに!」って愚痴話するだけのために行っても文句言われないよ。

当然タダで話を聞いてくれる。場合によっては解決策を模索してくれる。

個室で一対一のところが多い。そこで社会保障についての提案を受けることもある。

いろいろな申請も一緒にやってくれたりする。

親がどうしても遊びたいときに預けられる場所なんかも教えてくれる。

子供の発達発育の相談もできるから、一石二鳥のこともある。

母子手帳をもらうとき、自治体によっては案内のパンフ

はさんで配ってくれるところもあるから知られていると思ったが。

ホストクラブでうさ晴らしよりはよっぽど現実的で、かつ、リーズナブル

しかも根本的な解決まで可能なこともあるし。

実は、解決策がまったく無い、八方ふさがりな状況ではなかったと思う。

件の母親も、ホストクラブではなく市役所の窓口で「つらい」といえれば、

もしかしたらもう少し好転していたのかもしれないなあ、と思うんだな。

うそう、大事なことを言っておく。

つらいときは、つらいって言おうぜ!

みんな少なからずつらいと思いながら子育てしてるから、

つらいって言うと「うんうんわかるわかる!」って意外と輪が広がるんだぜ。

子育てはつらくて当然だが、つらいときにつらいといってかまわない。

言う相手がいないっていうなら、家庭児童相談室に行けばいい。

そこに行くのは恥ずかしいことでも、悪いことでもない。

自治体が、むしろ来て欲しくてやってるサービスなんだから。

ちゃんと聞いてくれる人はいるんだよ。私に話して、って待ってる人はいるんだよ。

こんな社会でもまだ捨てたもんじゃないよ

2009-12-08

http://anond.hatelabo.jp/20091208202821

妊娠2週目・・・?

受精した日を妊娠2週0日とするわけで、で妊娠2週目なんかでは妊娠検査薬もまだ反応しないはずで、子宮妊娠じゃないと分かる(=胎のう確認)のが大体妊娠6週くらいで、「妊娠おめでとうございます。母子手帳貰ってきてください。」って言われる(=心音確認)のはもっと先で、・・・ってことを考えると、その友人の発言が謎すぎる。

妊娠の確認できてないじゃん。万が一妊娠検査薬が反応したのだとしても子宮妊娠じゃないことも確認できる段階じゃないし。

その友人の言ってることってただ単に「数日前の排卵日に避妊せずセックスした」っていう報告なだけっていうか。

えー、何それ。妊娠2週目で妊娠報告?ありえない。

2009-06-24

http://anond.hatelabo.jp/20090624162911

知らんの?

なんでも男と同格にならないと気がすまない女がいるけど、見ててイライラする。母子手帳おかあさんといっしょってネーミングが気に入らないとまで言い出したのにはイライラを通り越して笑った。女がみんなああいう人種だとは思って欲しくない。

知らんのにまるで今までずっとヲチしてたような文章だな。

http://anond.hatelabo.jp/20090624135905

男と同格じゃなくていいってことか?女は格下だと。それはどうして?格下でいると楽だから?矢面に立たずに済むし?

どうしてそんなにイライラするの?イライラする理由はなに?

ていうか、まずそもそもどんな場面で「母子手帳はおかしい!」「おかあさんといっしょはおかしい!」って発言に出会ったんだ?

女だが、フェミ女が嫌いです

なんでも男と同格にならないと気がすまない女がいるけど、見ててイライラする。母子手帳おかあさんといっしょってネーミングが気に入らないとまで言い出したのにはイライラを通り越して笑った。女がみんなああいう人種だとは思って欲しくない。

2009-04-17

知り合いの占い師が出してるお店で、五千円くらい出して占ってもらった。結果はわりと示唆に富んだものでよかったんだけれど、おうち帰ってからなんとなく母子手帳引っ張り出してびっくり。出生時間十二時間間違えて覚えてたorz でもなんかもういいや……朝生まれたってことで。なんとなくそんな気はしてたんだけれども。んー。出した額がわりといいお値段だけに、自分にがっかり。

言われた中で心に残ったのは、「あなたは宝石の生まれなのだ」ということ。宝石というのは自分ひとりじゃ輝けない。ので、誰かあなたの才能なり人柄なりに惚れ込んでくれる人を見つけられるかどうかが、大事なんだとか。ひとりでなんでもしようとしないで、周りを頼りなさいとのこと。独りで生きていけるようにあれこれ身につけてきた私は一体www

まあ朝生まれたていならば、そういう生まれじゃないのかもだけどねー。んーやっぱ気になるからそのうちまた、「間違えてましたてへ」って行ってみよ。

2009-04-16

中国人日本人ハーフの俺も便乗したい

俺は元増田さんよりもう少し若い世代なのかな。

というか26です。

俺の母親純粋中国人で、父親は日本人というハーフ家系

ハーフと書くと聞こえはいいけど、アジア人同士のハーフなので

特に何か特徴があるわけでもなく、見た目はハーフだなんて分からないと思う。

まえおき

俺は先のエントリの方々と違って生まれたときから母親は既に帰化していたため、

本名日本名前、生まれも育ちも日本

住んでいたところも普通団地だったので友だちはみんな日本人だし、

自分母親中国人だったとは知らされていなかったので穏やかに少年期を過ごした。

ただ、今思い返すとお正月旧正月は一般的な日本とは少し違ったなあ、と思う。

ハーフを知ったとき

自分ハーフであると知ったのは、小学校5年生のとき。

保健体育の授業の一環で「母子手帳を持ってきてください」と言われたので

母親にそれを伝えたところ、母は頑なに拒んだ。

その理由を尋ねたところ母子手帳を持ってきて名前の部分(要するに帰化前の名前)を私に見せ、

「おかあさんは、これをみんなに見られてあれこれ言われてほしくないの!」と

泣きながら私に伝えたときだった。

そのとき、自分日本人中国人ハーフであることを知った。

結局私は母子手帳を「忘れた」ことにして授業をこなしたけれど、内心は複雑だったのを覚えている。

「なんでハーフであることを隠すのか」と。

ただ、母親が泣いてまで拒否した母子手帳の件があったので

ハーフであることを人に伝えることはなかった。

幼稚園の頃からの友だちが何十人かいるけれど、99%の人間は私がハーフであることを知らない。

言う必要もないと思ってる。

当時の私は小学生だったので、歴史認識も甘かったし、差別があることも知らなかった。

また、中国人の中に日本人をいまだに恨んでいる人がいるなんてことも知らなかった。

でも「戦争をして中国が負けてしまった」ということは授業で習ったので、

漠然とそのことが関係しているんだろうか、とは思った。

帰化差別について教えてもらった

そんなことがあってからだいぶ年月が過ぎ20歳を迎えたある日、

何かの拍子で母に帰化について、と母の幼少の頃、と在日特権、と差別について、を聞く機会があった。

その場には父も同席していた。

帰化について

昔は、帰化するのはものすごーく大変だったそうだ。

申請してから何ヶ月かに一度面接、自宅訪問、旦那がいるならば旦那の職歴、収入家族構成などなど。

端的にしか教えてもらえなかったけれど、まあそれはそれは大変だったらしい。

加えて、私を生んだ頃の両親はまだ若かったので(父27 母23)収入が厳しく、

一度は帰化却下されそうになったらしい。

周りの人の協力もあって何とか帰化が認められ、無事に日本国籍を取得することになった。

「なんで帰化したのか?」という問いには「そりゃ、日本が好きだからよ」と言っていた。

・幼少の頃について

母は中学までは中国教育を受けていた。

校内での会話は中国語日本語が入り混じり、かなりカオスだったそうな。

当然戦争教育も受けたけれど学校がよかったのか、はたまた時代の流れだったのか

日本は悪者だ」という教育はあまりされなかったらしい。

まあ、ある程度はされたみたいだけど、母は「いやいや私は日本好きだし」というスタンスだったので

全く興味なかったそうな。強いおかんです。

高校からは一般の高校に通い、そこで出来た日本人の友人とは今でも付き合いがあるようだし、

母自身も高校の友人を一番大切にしているのを知っている。

在日特権について

これは開口一番ズバッと。

母「んなもんあったらもっといい暮らししてただろうね。

  一部の人にはあるのかもしれないけど、かあさんみたいな普通の人には無いよ。

  親戚友人含めて、周りでそうした特権を受けてる人も知らない。」

とのこと。自分は幼い頃結構貧しい生活をしていたので、これはそうなんだろうと思う。

差別について

これは最後まであまり喋りたがらなかった。

つらい記憶を呼び覚ますのも悪いとは思ったけど、言える範囲で教えてもらった。

前述した特権については、それはもう色んなところで嫌味のように言われたらしい。

でも自分達はその特権がなんなのかも知らないし、

祖父母の意向で通名は使わなかった(持ってない)ので、特権について嫌味を言われてもただ困惑していたんだとか。

母は「悪いことしてないのに『お前は悪人だ!』って言われているのが一番悔しかった。」と言っていた。

後はありがちな名前をからかわれたりしたことをぽつぽつ話していたけれど、

何か隠している風があったので、もっとつらいこともあったのかもしれない。

そんなこんなで母の話は終わり、その後父との出会いについて根掘り葉掘り聞いてその日は終わった。

両親が合コンで知り合った仲だったと知ったのはこのときだった。

周りの在日中国人について

名前問題

母方の親戚は私が知る限り30人ほどいるんだけど、帰化している人は少ない。

確か5人ほどだったと思う。

それと、通名を名乗っている人はいない。

せっかく貰った名前を隠すような真似はしたくない、というのが主な理由みたいだけど

親戚の多くは中国人の多い地域神戸)に住んでいるので、無理に通名である必要もないのだろう。

まあ中国人通名はあんま意味ないしね。

日本についてどう思うか

これは、もうみんなめちゃくちゃ好きです。

特に男陣営はプロ野球大好き。

「この子は巨人入団して二年目だな。将来に期待が持てる(キリッ」とか言ってる。

まんま『レベルE』です。

女陣営はしょっちゅう男性俳優の話してる。

ま、普通のおばちゃんです。

関係ないけどうちのおかんは生ブラピを見たとき泣いてました。あほです。

戦争のことについては、もう起きてしまったことで仕方が無いことだという認識

というか戦争の話はもううんざりみたいで全然話題にあがらないし

聞いても有耶無耶にされちゃう。

最後に

エントリや他の方のエントリを読んで

自分環境人間もとても恵まれて育ったのを実感した。

何の差別もなく理解ある人たちに支えられて今まで生きてこれたことに感謝する。

私は日本で生まれ、日本で育ったので日本が大好きです。

納豆無いと生きていけないし、縁日やお祭は楽しい

正月初詣に行くし、

風情のある日本の文化が大好き。

中国の独特の文化も好き。

結婚式獅子舞とか、春節とか、歴史を大切にする中国は好き。

でも、パクリ文化はよくないよね!

ただ、ネットで嫌でも目にしてしまう中国人朝鮮人罵倒する書き込みは

読むと胸がズキッとする。

血統以外は日本製なのに、なんでなんだろうね。

遺伝子レベルでのことなんだろうか。

逆に中国朝鮮の人たちが日本を罵ってるのを見ると

やっぱり胸がズキッとする。

私は中国に知り合いがいなし中国語はからきしなので

まずは日本の方に伝えたい。

少なくとも、自分と、自分の周りにいる中国人日本日本人も好きです。

まあ50人ぐらいしか知らないけど、そういう人もそこそこいるんだってことは

知って頂けるとうれしいです。

文章がなんだかぐちゃぐちゃになってしまった。

乱文ですいません。

おまけ

中華料理お菓子を食べる機会があったら、

料理

大根

お菓子

・馬拉糕(マーライコー)

・魚雲酥(イーワンソー)

を是非食べてみてください。

安価でとても美味しいです。

2009-03-08

自己責任論の正体がやっと分かった

やっとですよ。最近マンナンライフの件とかで自己責任ロンの正体はなんなのかずっと考えていたけど。

やっと分かった。つまり「自分には関係ないしぃ論」なんだな、自己責任論って。

「お前の責任だろ?俺には関係ないし」みたいな放り投げ感に対して俺はモニョモニョしてたんだな。

というか、関係なくないって。例えばマンナンの件で言えば、「お前が子どもに食わせたのが悪い」じゃなくてさ。

どうすれば、そういった事故が減るのか考えようよ。危険表示を大きくするとか、母子手帳にでも書いて周知を徹底させるとか。

「やだよ。俺の家族子どもにそんなもの食わせない」ってどうして言い切れるのか。お前のばあちゃんがお前の子ども

凍らせたこんにゃくゼリー食わせる確率は「ある」ぞ。

でも、自己責任論に終始せず、建設的な意見を出すことによって、その確率を減らすことが出来る。

それって社会を良くすることでもあり、自分の周りの環境を良くすることでもある。

つまり、自分人生をより良くするためでもあるんだよ。

派遣切りの問題にも言えるし、何にでも言える。

自己責任論で他人に責任を擦り付けることによって、自己の「考え、社会をより良くしていく」責任を放棄しているんだよ、結局。

2008-11-27

http://anond.hatelabo.jp/20081127002810

どんな手段で完璧にやろうとも、100%回避はありえないから、いざって時のために腹くくっとくのはよいと思う。

まぁよい機会なので、低用量ピルを検討するとか、一緒に婦人科に行ってかかりつけを見つけとくとか、ついでにSTD検査をやっとくとか、

中絶費用をどっちがどのぐらい出すとか、お互いの結婚観とか、子供を持つことに対する考え方とか、話し合っとくのもいいかもね。

かしこういう事がなければ中々調べないというか、普通にしてると情報を仕入れる機会がないというか、母子手帳もらうまで

産科や婦人科なんて行ったこともなければ周期の数え方もわかんないし、ピルはきいたことはあるけど見たこともなく、アフターピル

存在すら知らない、みたいな人(男女限らず)を時々見るので心配になってしまうよ。

今まで(色んな意味で)無事だったのがラッキーとしか…。

2008-01-16

http://anond.hatelabo.jp/20080116220058

母子手帳もらえば自治体等から各種補助が出ることを知らない→初等・中等教育課程段階でそういった制度の周知教育を行っていない

2007-09-08

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070907i307.htm

満床でもかかりつけの医院なら(そこでちゃんと定期健診受けてれば)余程分娩を受け入れてくれるんじゃね?

自分でやっておけることを怠っておいて、医療現場が悪いみたいな報道っておかしくね?

こういう「飛び込み客」って、母子手帳も持ってなさそう

2007-05-24

はしかワクチン

http://anond.hatelabo.jp/20070524193242

病院行った時に中の人がどこかに電話してたですよ。はしかワクチンがどうのこうのって。でも厚生労働省の言い分だと「2種混合がまだいっぱいあるから大丈夫」って話じゃないのかな?

ちなみに自分は2歳のときと14歳のときに接種してました(母子手帳で確認)。現在23歳。

2007-05-21

はしか流行してるみたいね

どっかで「あのBCGを復活させるのか」みたいな論を見たけどBCGって結核予防のような。

当方34歳、親が小児科医なんだが母子手帳にははしかの予防接種しか記入されていない。えー、おたふくはー。(BCGは陽性だったためせずに済んだ)

はしかよりおたふくが恐いよ。種が…種が・・・!

2007-01-14

新生児血液型検査が必須になったのはいつから?

http://anond.hatelabo.jp/20070114194555

なぜか私の母子手帳には血液型が全然書かれてないのだけれど。

新生児血液型検査が必須になったのはいつからなんだろう?

誤判定などざららしい

http://anond.hatelabo.jp/20070114191935

血液型母子手帳見れば書いてあるってのはいいとして

新生児には必須だったはずだよ)

 

小さい頃から言われてた血液型が20歳過ぎて再検査したら

違ってた、てのを身近に2人知っている。

元カノ兄貴

 

赤血球型よりも白血球型(HLA)の方が知りたい。

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