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はてなキーワード: 必要十分条件とは

2024-02-17

anond:20240216220017

で、右や左を厳密に定義できましたか

私はあなたの言う通り「イメージをよりどころにしたら無限後退する」から、そして数学もまた原理的にどこかでイメージによりかかざるを得ないので、数学定義は厳密ではないと言っている。

イメージをよりどころにしたら無限後退するからイメージをよりどころにするのは間違ってるんだという主張をされてもそりゃ永遠に平行線しかならんよ。

だいたい意味を見たら行われるイメージは、その意味を満たす対象のなかで自分にとって対象的なものを描く確率が強いってだけでしょ。

不等辺三角形でも直角三角形でも正三角形でもある、量子力学的な?イメージの基?みたいなのがあって、実際その言葉を見たとき自分にとっての代表的イメージが高い確率で描かれるという感じ。

意味を見たときイメージ意味に対する必要十分条件だというような主張が詭弁なのは正三角形イメージした人に対して、不等辺三角形を見せて「これは三角形ですか?」と問うたら当然というように肯定するのが想像されることわかるでしょう。

2023-10-14

anond:20231014124726

自分で考え始めるときは極端な値を入れるところからやるけど、人様にお見せする段階では必要十分条件で特徴付けしない?

2023-10-03

必要十分条件だの逆裏対偶だの悪魔の証明だのオッカムの剃刀だのストローマンだの循環論証だの無限後退だのと

いろいろお勉強を積んだ成果が誰の記憶にも残らないレスバトルって

どうなの

2023-10-02

anond:20231001234128

男性共感性がうまれつきない(少ない)わけよ。

でもどの人間子供としてうまれてきて共感を親か保護者からめちゃくちゃに奪って消費するわけよ。

さら生理女性自身でさえ止められない子供をつくるための無駄なわけよ。

(厳密にいうと、低容量ピルをのみつづけるか子宮をとる手術をする場合だけは自分意思生理を止められるが妊孕性に悪影響がありぶっちゃけ少子化になるわけよ)

少子化とめろ子供産め」と日本国民が適齢期女性要求するなら、

生理存在としくみを理解するのは全体の義務なわけよ。

ぶっちゃけ生理女性無理解のまま無理強いしただけで一生不妊とかよくある話なのでね。

一方男性不妊は数も少なく研究もすすんでおらず女性よりさらに原因不明だし

不妊男性の多くは病識がないかあっても不妊を苦にも思わずゴムなしでヤれてお得といわんばかりに自分受精性能を粗末にしており治療にまじめにとりくまない。

特に増田男性は生きづらさはすべて自分にだれかが「女を宛がえ」ば解決すると解釈しており、その妄想は実際に「通常の努力で達成されて奥さんから共感されて幸せになっている男性も多く存在する」

ことで妄想補強されている。

まり自分には女がいない」の一言共感されるに必要十分条件なのだと誤解している。

女がいないと発することはその人間共感能力の重大な欠如を表出している行為である

共感子育てサポート)を期待できない男には、女がよけいによりつかなくなる。

まり男が「自分には女がいない」と発すれば女がよりつかなくなる自業自得悪循環にハマる。

それは増田下方婚おじさんの存在だけでも十分に証明され続けている

QED

2023-08-25

anond:20230825133630

これは相手否定したいだけで、自分が何を言っているのか理解していない例ですね

命題として下記が真といっています

「○○ができない → ××ができない」

しかしこれは必要十分条件ではないので

「○○ができる→ ××ができる」

とはなりません

まり、同じ事を言っているのに「違う」と言っているだけなのです

ちなみに成立する命題は下記になります

「 ××ができる→○○ができる」

まりこうなります

「正しい思考ができるなら、小学校算数なら100点とれる頭がある」

2023-06-30

anond:20181201125559

田舎高校から頑張って勉強していい大学入った奴が口を揃えて言う言葉、「まわりからバカがいなくなって快適になった」。

これはほんとに感じた

何の気も使わなくても、特に優しく砕いて言わなくても、普通に話が通じる

例えば円周率3.14をほぼ全員10桁以上知ってるのが普通必要十分条件理解しているのが普通、1を聞いて10わかるのが普通

まじで快適っていうかむしろ自分が劣って気を使われる側だった

そして会社に入るとまたバカが増えて快適でなくなった

2023-05-03

anond:20230502231506

論理学必要十分条件でよくある表現だと「セックスしたとき、かつ、そのときに限り出られる部屋」になる気がするけど、これを日常言語として読むと、セックスが終わったら部屋に戻されそうな気もする。

自然言語は難しい。

2023-03-29

から」と「ならば」のニュアンスの違い

816ご冗談でしょう?名無しさん2023/03/29(水) 14:04:10.05ID:???

807

義務教育理解出来なきゃ極限も理解できないのはわかるけどだからどうした?

義務教育を受けてないならば極限を理解できないのは真だけど、その事実から義務教育を受けてない『から』極限を理解できない」という文章を紡ごういう発想は常識的言語感覚からは発生し得ないよ

あくま必要条件であって必要十分条件ではないからこそ、少なくとも義務教育を受けていても極限を知らない人はごまんといるのだからね。

どうしたって「極限を知らないのは義務教育を受けてないからか?それ以外の事情からか」というのははっきりしないんだから、「受けてないから」なんて書く気には普通感覚ならならんよ

2023-03-20

確率で次の単語を繋げてるだけのみなさん!

そんなんじゃ必要十分条件すら理解できないのも仕方ないですね

もうみなさんには期待しないです

2022-09-27

anond:20220927140154

それは自分個人情報になる形では語らないという意味であって

普通にリベラルはお前らと違ってインテリ」「もちろん俺もお前らよりずっと賢い」「中学で習うことすらわからないのがお前ら低能ネトウヨ

っていうスタンスだったよ

中高の範囲言葉ばかりやけに多用して(「必要十分条件」がマイブームだった時とかあった)、ちょっと大学レベル用語が出てくると「自分言葉で語れよ低能」とか言って逃げ腰になるあたりでお察しだったんだけど

2022-07-20

いま、宮台真司オウム本を読む(権力の良き理論可能か)

ここに宮台真司(1995)『終わりなき日常を生きろ――オウム完全克服マニュアル』がある。社会学観点からオウムがなぜのさばり、オウム的なものに立ち向かうにはどうすればよいかを記した本で、少なくとも10年ほど前は哲学批評・(現代社会学近辺では必読文献だった気がする。

そんなわけで本棚たまたまぶっ刺さっていたので「終わりなき日常を生きなきゃならないんだよなあ」ぐらいしか覚えてない状態で再読した。以下では、この本の要約ではなく、気になったポイントを断片的に取り上げていく。ちなみに私自身は特に宮台のファンではなく、ほかに宮台の本は『権力の予期理論』『サブカルチャー神話解体しか読んでないと思う。宮台が今回何を言ってるのかもほとんど把握していない。

 

まず読み始めて思ったのは、知識人対応がどうやらオウムと今回ではだいぶ異なるのだなあということだ。冒頭で宮台は、オウム事件がそれまでの歴史における過去から理解する、言ってしまえばそれまでの歴史の延長線上におけるものとして理解することを激しく拒絶することにまるまる一章を割いている。オウム事件を(それまでの文学等々より悪しき・劣った)オタク文化の影響とか、連合赤軍の二の舞であるとか、そのように理解する知識人批判する。

この辺りは論壇における立ち位置を示すパフォーマンス結構まれている気もするが、そもそもオウムについて語りたいわけではないので内容には深入りしない。ここで問題にしたいのは歴史出来事の間の関係である

今回の事件について、いまのところ過去歴史連続的に語る言説は私の見る限り絶無といってよいのではないかと思う。右派にせよ左派にせよ、「これまでの日本では起きたことがないたぐいの出来事」として捕らえているようにみえる。流れた川の水が戻ることはないので、むろんそれはある程度正しい。しかし完全に歴史から切り離された出来事可能ものか、という点に関しては議論があるだろうし、宮台自身かれの歴史の中で取り組んできたことだろうから、とにかく歴史との連続性を強調する言説がないこと、それがオウムときとは逆であるらしいことだけを指摘しておく。

 

宮台は「普通若者普通オウムに入ってサリンを蒔いた」という見立てを行う。そのため、「マインドコントロール」(宮台は使っていないようだが「洗脳」もここでは同義語としていいと思う)について、何か特殊技術であったり、明確な必要十分条件定義できるものではないことを強調する(自分講義だってある種のマインドコントロールだと言いながら)。これは社会学社会心理学近辺ではわりと常識的な考え方であると思う。なので被害弁護団が「洗脳」をかぎかっこ抜きで自明用語として使っているのには、少なくとも私は少し抵抗を覚えないでもない(「洗脳」と言いたくなるような事実があることを否定しているのではなく、あくま用語法の問題)。

 

本全体の骨子となる主張として、宮台はオウムに関わった若者が抱える問題は「『終わらない日常』に耐えかねて『輝かしきハルマゲドン』を夢想し、キツさに耐えかねて『夢想現実化』しようと」した点にあると主張する。その処方箋として「終わらない日常を生きる知恵」が必要とされるが、その知恵を持っているのがブルセラ女子高生なのだそうだ。なぜならブルセラ女子高生は決してオウムに入ってサリンを蒔いたりしないから、とのこと。まあ妥当性については何も言うまい

 

すでに見たようにこの本は世代論の本でもある。宮台は江藤淳やその後の加藤典洋、あるいは宮台と同世代大塚英志も含め、年長世代が新しい世代を「何かが欠けた存在」とみなすことを強く批判する。「あんたがただって年長世代におんなじこと言われてただろう」というわけであるばかりか、そうした言説は不要きらきらしさを持った「幻想」を下の世代に押しつける有害ものである、というのが宮台の主張だ。そして大塚に対して「われわれ新人類世代はまだ何かを諦めたが、ブルセラポスト団塊ジュニア世代はようやく諦めるべきもの最初から持たず、そのため何も諦めていない。なのにまた旧世代幻想彼女たちを縛り付ける気か」的な批判を行っている。どうでもいいが大塚英志が軽く30年以上同じスタンスを取り続けているのを見ると本当に安心する(20冊かそこらは読んでる程度にはファン)。大塚ツイッター(ていつから本人がつぶやくようになったの? 俺の知ってる大塚タイピングができなかった気がするが)を見ると、メディアなり知識人なりが統一教会自民党安倍との関係を追求しないことにブチ切れてて、やはり信用できるなと思った。政教分離観点から国葬にも激しく反対していて、こっちは大塚立憲主義観点からそう言うのは分かるが、私が政教分離についてよく分かっていないので(天と地の分離ってけっこうキリスト教特有の考えだったりしない?というレベル)、問題意識は共有できていない。こういう場合経験上5~10年くらい経ってから共感できるようになることが多いが、今回はどうだろうか。

 

話が逸れた。宮台は可能かもしれない処方箋として(異性を念頭に置いた)コミュニケーション検討する。「全面的包括欲求」に対して応えることが可能なのは宗教恋愛だけだからだそうだ。そして恋愛社会再生産を行う家族システムへの動機でもあるため、社会宗教より恋愛をプッシュする。にもかかわらず恋愛からはじき出されて宗教に飲み込まれ若者が多いのだから恋愛処方箋ではあるが「やれるなら最初からやってる」程度のものしかないと宮台は言う。

から現実的な処方箋としては、旧世代が押しつけてくる「輝かしさ」など忘れて「まったり終わりなき日常を生きろ」ということになる。

感想

処方箋」の妥当性はさておくとしても、少なくとも統一教会は「若者問題」ではない(原理研については詳しく知らないが)という一点においてすでにそのまま転用はできないなあというのが第一感想であるし、さておいた妥当性をほじくりたくなるなあというのが第二の感想である

もう少し有意義なことを言うのであれば、この「まったりしたコミュニケーション」こそが統一教会本質なのではないか、という気が脱会者や現信者ブログツイッターなどを見てるとするのだ。10年代に流行った「居場所」の問題はいまだ解決していない。

社会学者としての宮台には、大文字歴史および未来連続的な形で個別具体的な出来事意味を与える仕事を期待している。

2022-01-25

anond:20220125174840

調べたら数Ⅰの範囲だったわ

中学受験の時に必要十分条件やった気がしたか小学校で習うと思い込んでた

謝罪しま

2021-10-12

収入と育ちに相関がある気がする

感覚で当たり前だと思っていたけど、改めて考えると理由がよく分からない。

 

ある商品がそこにしか置いてないから、安いスーパーマーケットに行く。

そこにはほぼ毎回と言っていい頻度で育ちが悪そうな子供がいる。行動で言えば冷凍食品を握って戻す、肉を叩きつける。見た目で言うと襟足が長かったり、完全にコントロールされていないだろってレベルで太った子供が走り回っている。

さすがに紀ノ国屋とまでは言わなくても、イトーヨーカドーレベル価格帯ではほとんど見ないんだよなー。

収入が高いほど教育レベルが高くなるのは分かる。だけど躾くらいは収入関係なくできるんじゃないか?低収入は全員ケーキの切れない親なわけでもなかろうに。

 

もちろん収入が高ければ全て育ちが良いわけではないし、低収入だろうが育ちが良い人は沢山いるか必要十分条件は成り立たないのは理解しているが、

なぜ自分収入と育ちに相関がある気がしているのだろうか。

 

命題メモ

高収入→育ちが良い(対偶:低収入←育ちが悪い)

高収入←育ちが良い(対偶:低収入→育ちが悪い)

2021-10-08

anond:20211007234035

訳語として創作された造語からな。定型句としてone of the most意味しているのであって、「最も」という既存の語彙と論理的整合しているわけではない。

こんにちは」が「今日は」を意味するわけではないのと似てる。

ちなみに数学ではよく「〇〇であるための必要十分条件は××である」という言葉遣いがされるが、これもif and only ifの訳語として創作された造語であって、「~~は××である」という日本語構文と論理的整合しているわけではない。なぜなら「〇〇であるための必要十分条件」は××以外にも無限にあるはずで、「××しかない」訳では無いからな。

2021-03-04

今日も僕らのしたいを誰かが叶えていて必要十分条件を身にまとい的を射る笑顔を受け取って悲しみをひととき忘れて世間は動いておりどこかで春麗らなんて聞いた気もするのに囀るのは換気扇の静かでさざ波のような遮りだけであるかのようで

2020-12-13

実家の裏山が切り崩されてソーラーパネルが設置されることになった

その一報を父から聞いて胸中に去来したのは、幼き日の思い出ではなく、むしろ長じてから度々意識した故郷の衰退のイメージだった。

元より地場産業として誇れるものが取り立ててあったわけではない地元は、緩やかだが確実な経済的衰退と人口減少の影響を受け、公共施設老朽化や各種インフラ経年劣化という形で自治体としてのほうれい線を隠す術を失っていった。

それでも、いや、それゆえに明確な転換点などなく、ただゆっくりとした老化から鈍感なふりをし続けた首長自治体、そして何より住民が半ば共犯のように地元の腐敗と死滅とを看過していった。

からこそ、いまさら太陽光発電などで延命を図ろうとする醜さにほとほと嫌気が差した、その実感があった。

それでも友人の結婚式に出席するために数年ぶりに帰省してみると、どうも聞いていた状況と乖離があったために改めて確認を取ったところ、どうやらこの度設置が決まったのはソーラーパネルではなく、例の宇宙太陽光発電の受電設備ということらしかった。

年齢を重ねたが故に知識と語彙の更新をやめた父をいまさら責める気も起きず、数か月前にニュースサイトで多少話題になっていたトピックに思いを馳せることで2次会の無聊を慰めていた。

令和4n-21年に決定された第n次エネルギー基本計画では、ついに原子力発電の占める発電電力量の占める割合が0%になった。

平成震災とそれに連なる事故以降窮地に立たされていた原子力産業はついに時勢に降参し、明るい未来エネルギーから歴史教科書上の記述となることを選んだ、という建前を本気にしている奴は少々イデオロギーに傾倒しすぎているきらいがある。

現実は、国内ソーラーパネルメーカーの開発した、そこまで安価とは言えないまでもそこそこ効率改善の図られた新型パネル推したい産業界が、細々と開発を続けていた国産ロケットペイロードの使い途を探していた経産文科省に仮託した、おままごとのような科学技術国威発揚煽りを受けた全廃、と言ったところだ。

どこまで行っても消極的な退場に、却って日本という国を感じざるを得ず、左派メディアのこじんまりとした勝利宣言にわざわざ難癖を付ける余力もなかったと見え、平成後期から令和初頭に掛けてあれほど紙面を賑わした役者とは思えぬほど粛々としたレームダック期を享受していた。

実際、人々とメディアの関心は、中国による、気前の良い提供と、経済協力を人質に取った押し付け中間の様な形で供与された受精遺伝子改変技術をどれだけ受け入れるかという議論にあった。

(科学技術という側面において現代日本中国に対して如何にサブジェクト・トゥしているか、という話だ。宇宙太陽光発電所はさながらパクス・シニカに立ち向かうドン・キホーテのようだ、と明に暗に揶揄された。)

米原子力協定の次回更新がないことは誰の目に見ても明らかであり、山のように余っているMOX燃料の行き先はIAEAも知らないようだった。

そんなことだから中間貯蔵施設という名目の、事実上最終処分場たる六ヶ所にすべてを押し付け政府行政と大多数の国民NIMBY精神遺憾なく発揮することで各々の精神の安寧を獲得していった。

とにかく、ことの主犯たる国産宇宙太陽光発電所は「ひかり」という、加齢臭むせ返る横文字候補からはなんとか逃げ果せた通称を拝命し、20GWもの大電力を供給し始め、東京万博会場の灯りが一斉に点った日をもってひとまずのプロジェクト成功と見る向きもあった。

(日本による宇宙開発の数少ない世界成功に肖って「はやぶさ」なんてネーミングを推す動きもあったが、流石にこの国にも一抹ながら恥の概念は残っていたらしい。また、「まりし」などという旧動燃残留思念、いや怨念が具現化したかのような案も提出されていたもと聞くが、真偽の程は定かではない。)

実際、こんな大規模プロジェクトを実行する能力エネルギーをこの国がいまだに持っていたことに驚いた。

ただ、ひかりから降り注ぐ高密度マイクロ波分散して受電する設備、すなわち受電所の立地が不足していると言う問題は依然として解決の目を見ていなかった。

安全よりも安心を求める国民性に変わりはなく(「焼き鳥デモ」の映像を見たときは流石に乾いた笑いしか出なかった)、電源交付金雀の涙と来れば宜なるかな積極的に手を挙げるごく少数の自治体は奇異の目で見られた。

とはいえ、大流量の循環水系のために沿岸部であることが求められる汽力発電でもなく、大規模な河川と高低差が求められる水力発電でもなく、只広い土地さえあれば良いというだけの必要十分条件は今まで大規模電源立地となることなど考えもしなかった自治体の目には福音として映ったらしく、それらの首長は新たな時代権益ホルダーとなることを選んでいった。

反対に、新規基準適合審査の遅々とした進展と繰り返される住民訴訟、そして最終的な結論としての廃炉の影響をもろに受けた原子力立地の反応はさっぱりであり、政治の影響をもろに受ける歳入に頭を悩ませられるエネルギー立地はもう懲り懲りと言った風情で、役人の誘いをアイリスアウトの向こう側に押しやっていた。

結局、ひかり設計容量のすべてを受電するに必要な30GW分の受電所を運開当初から用意することを諦め、漸次募集という名の先送りを決定した政府は経産文科省を矢面に立たせることを選び、自らは飄々としていたというのだから大したものだ。

結局、運開から5年が経過した段階でもひかりの擁する200k㎡に及ぶパネル3分の1は折り畳まれたままであり、白衣十人黒衣五人などと不必要比喩披露した大臣メディアの総バッシングを浴びる権利を恣にしていた。

そうした、古式ゆかしい伝統的な時勢の中で、2次立地募集に手を挙げた自治体の内の1つが、我が郷里だったのである

「親父が色々動き回ってたみたいなんだけど、さ。正直言うと、あんま関わりたくないなってのがあって」

私の友人であり本日の助演男優、またの名を新郎が、半分ほど空けたアサヒビールのジョッキをテーブルに慎重に据えながら、疲労を隠さぬ赤ら顔で言う。

彼の父親町議を務めており、「太郎」というシンプルすぎる名前出馬を見越して付けた名前だと言っていた。

(国政選挙に出るわけでもないのにな、とは彼の自嘲だ。)

その親父さんはどうやらこの度の誘致に際し懸命に旗を振っていたという。

しかし、僅かばかりとは言え受け取る交付金と、"多少の"造成による環境破壊と、電源立地になるという誇り(この価値観だけは共有が出来なさそうだ)と、それら3つをとりまく可愛らしい権力闘争の予感に、父親の説得と説教とに玉虫色の回答を重ねることでのらりくらりと回答の明言を避けてきたのだという。

彼のこの手の身のこなしは素直に凄いと思うし、そうした人付き合いに嫌気が差していた、というのは私の上京に係る動機の半分を占める。

「でもお前、今更そんなこと訊いてくるだなんて、本当にここの人間じゃなくなっちまったんだな」

この地でこの話題が取り沙汰され始めたのは軽く2年以上は前だという。

誘致か否かで侃侃諤諤の論争があり、どこに建てるかでまた侃々諤々の論争があり、さら用地買収に係るあれやこれやのトラブルがあり、それでも最終決定がなされたのがひと月前というのだから、どれほど地元の世情に疎くなっているかを実感させられる。

あるいは、上京して好き放題やっている(ように見える)私に対する軽蔑嫉妬の念が多少なりとも混じっていたのかも知れない。

なるほど、確かに私には家庭もなく、親族との濃密な付き合いもなく、仕事周りの土地付き合いもなく、自由気ままにやっていると言われても反論する材料がないことに気づく。

であるなら、こんな日くらい友人の愚痴と誹りを受ける義務も果たすべきだろう。

そう思って、コークハイを傍らに、言葉少なに彼の言葉に相槌を打つことに決める。

まったく、本当に大変な役回りだと思う。

返す返す、自分には出来る気がしない。

翌朝、久々に実家の自室で目を覚ますと(物置と化していなかったことに驚いた、こうした面に関する母の義理堅さには感謝しても仕切れない)、やはり気になっていた裏山に足を伸ばした。

アルコールが多少残ってはいたが、丁度良い運動だと体に言い聞かせて路を辿っていく。

子供の時から変わらない、というのはフィクションの中にだけ許される情景で、長らく人の手が入っていないことを伺わせる荒れ様には流石に心のどこかが痛んだ。

…いや、いや。

地元を出て戻らぬお前に心を痛める権利などあるのか?

よそ者同然と化したお前が捨て犬に見せるような仏心を発揮して碌なことになるのか?

もはや何も言う権利などないことに遅ればせながら気付き、せめて在りし日の遊び場の記憶が損なわれぬよう、路の途中で踵を返した。

もう2度と見れぬであろう山の景色を視界から追いやり、そういえば客先から急ぎの問い合わせを受けていたな、などと頭からも追いやり、足早に帰路に就いた。

帰路。

実家への帰路か、東京への帰路か、自問せずとも回答は明白だった。

思い出深き裏山は、もはや私の裏庭ではない。

2020-03-04

感想『痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います。』

Kindleアンリミテッドラノベ二巻まで読んだ感想アニメ見てない。

ゲーム世界雑魚職業無双する」という定番文脈ながら、シリアスもなく異世界でもない。女の子たちがただネトゲで楽しく遊んでるだけ。こういうのでいいんだよこういうので。THE・必要十分条件という感じでした。

2019-11-03

アンチフェミのための本当の社会構築主義入門(続き)

https://anond.hatelabo.jp/20191103163514

の続きです

 ハッキングの偉大な点は、「社会的構築」の定義を諦めてその意図問題にしたところにあります。いわく、「社会的構築」というのは問題提起のための語なのだと。似た構造を持つ言葉として「搾取」があるとハッキングは言う。彼は例として「中産階級の男女が、代理母搾取している」とか「大学が、奨学金を餌に、バスケットスター選手搾取している」といった表現を挙げる。この2つの用例だけでも「搾取している」の必要十分条件を考えることはできそうにない。しかし、何かそこに問題がありそうなことはわかる(その問題が本当に「問題」なのかは別としてともかくそういう印象を与える)。同じキーワードで言えば筆者は「やりがい搾取」もまたこリストに入れられると考えています。誰が誰から何をどうやって何されているのかはわからないが、ともかく悪そうなことはわかる。実際、やりがい搾取がどうしていけないのかと論理的に導き出すことは多くの人の望みにもかかわらず永遠にできないでしょう。だからワタミとかのふわっとキラキラした言い訳がいまだに野放しにされているのであるワタミが「最賃以下で非人道的労働させたあげく自殺に追い込むの最高!」と言ってくれれば批判は容易だが「ありがとうという言葉は素晴らしいものです」と言うだけでは批判は難しい)。でもって社会的構築主義意図としてハッキングは次のリスト抽出します。

(0)現状では、Xは当たり前のことだとされており、不可避の事柄のように思える。

(1)Xのこれまでの存在には必然性がない、ないしはそれが現在あるような仕方をしている必然性はまったくない。今日のXのありようは、物事の本性によって決められているわけではない。端的に言って、それは不可避的ではない。

おうおうにして、社会構成主義者は、さらに一歩進んで、次のようにも主張する。

(2)Xの今日のありようは、まったくもって悪いものである

(3)もしXが根こそぎ取り除かれるか、少なくとも根本的に改められるかすれば、われわれの暮らしは今よりずっとましになるだろう。

 どこかで見た論調というか今やどこでも見かける論調ですね。Xには先程のリストのどれを入れてもいいし、「日本」「在日韓国人」「吉本興業を筆頭とするお笑い」や、もちろん「ジェンダー」「萌え絵における女性へのまなざし」「リアルでの性犯罪対象となる女性」などを代入しても構いません。以下ではX=宇崎ちゃん献血ポスターとして考えてみましょう。するとオタクはまず(0)で引っかかる。「現状では、宇崎ちゃん献血ポスターは当たり前のことだとされており、不可避の事柄のように思える」。いや献血ルームに数枚貼られてるだけやし、と。しか批判者たちは「日赤(という公共団体)が公共の場所に張り出した」という点を持って(0)を満たしていると考えているのでしょう。どこからどこまでが「当たり前で不可避」かはなかなか定義するのが難しそうなので、その点はオタクが譲ったとしましょう。(1)はまあよいのではないか献血ポスターが宇崎ちゃんである必然性あんまりなさそうである。確かに宇崎ちゃんのおかげで献血はいくらか増え、その点では必然性があると言えなくもないが、それは高木さんでも多かれ少なかれ同じことであり、批判者たちはどうせ高木さんも批判するのでこの点にこだわってもあまり生産的ではなさそうであるしかし(2)と(3)への「一歩」はオタクにとって断じて受け入れがたいものでしょう。ハッキングも述べているように、この一歩はまったく必然的ものではない。「Xは、現在の状況では不可避なものに思えるかもしれないが、しかし実際は不可避なものではなかった。しかし、だからといってそれは悪いものではない」と考えることも可能であるはずなのに、多くの社会構築主義たちはXへの嫌悪ゆえに(2)(3)へと進む。こうなるともう議論がまとまらなくなりますさら事態を複雑化させているのは「X=宇崎ちゃん献血ポスターに/代表される/(オタク男性/のまなざし」とかの場合でしょう。代表されてねえよとかオタクよりDQNのほうが問題だろとか女はいいのかとかまなざしがどうしていけないのかとか議論百出である。こうなるともう議論は無理でしょう。

 ここまで読んで、「社会構築主義ってろくでもねぇな」と思ったあなたちょっと待ってください。これが有効機能する場合もあるんです。たとえばハッキングはX=児童虐待の例を挙げていますが、日本におけるX=セクハラもまた社会構築主義的なフェミニズムがうまく機能した例といってよいでしょう。かつて日本ではセクハラ(という名前すらなかった行為)が当たり前だったが(0)、それはじつは不可避的な仕方のないものではないと女性たち(少し遅れて男性も)が気づき(1)、それが悪いものであると多くの人々が納得し(2)、まあかつてに比べれば圧倒的に改められ女性たちはましな暮らしができるようになった(3)のです。筆者は、フェミニストたちが基本的にこの理屈で動いていると考えており、それ自体はそこまで悪いものだと考えていません。が、今回問題となっているのは(0)についての根拠立て、そして(2)(3)への飛躍(とあえて言いますが)の論理的欠如であると考えています。たとえば太田弁護士の「公共空間環境セクハラしてるようなもの」という迂遠物言いは(0)および(2)への根拠立てが不足していることを示していますし、表現規制との関係では(3)について「もし〈ある表現〉が根こそぎ取り除かれるか、少なくとも根本的に改められるかすれば、われわれの暮らしは今よりずっとましになるだろう」ということがそもそも可能かが問われており、フェミニストはそれに明確な論理を提出することができていないように思われます。たとえば以前読んだ実写ポルノについてのジェンダー論者による論文では「女性搾取されている」という点から出発してはいものの、「なぜ搾取が悪いのか」「本当に搾取されていると言えるのか(ポルノグラフィは時として女性自己表現であることもありえます)」「ポルノを楽しむ女性はどうなるのか」「表現の自由という人類権利女性権利の兼ね合いはどうか」といった論点を丁寧にすくい、煮え切らない結論に至っていた記憶があるのですが(丁寧な結論はたいてい煮え切らないものです)、宇崎ちゃんについての議論はたいていそうした丁寧さを欠いており、そのために「お気持ち」と揶揄されているように思われます

 最後に筆者の「お気持ち」を表明させていただくとすれば、表現の自由という人類が勝ち取った偉大な権利を、これまでにそれを上回る理屈を持って規制し得たのは児童ポルノと『我が闘争』ぐらいのものであり(個人的後者はどうかと思ってますが)、それに比肩するだけの理屈けがフェミニストにできるとは思えないし、そもそもそれができないのは(インターネット上の、と言っておきますが)フェミニスト知的研鑽の欠如によるもののみならず、そもそもそれに表現の自由と天秤にかけられるほどの問題がないからだと考えています。まあこれもかつてセクハラを当たり前だと思っていたオッサンと同じく滅びゆく思想なのかもしれませんが、それならフェミニストの皆さんにはもっと論理的に以上の点を説明していただきたいなあと思う次第です。

2019-06-14

戦略の良し悪しが判断出来るくらいには、戦略勉強したいんだが

軍事的戦略というよりかは、国家戦略資料を見てどうなのか判断できるくらいの知識をつけたいのだが、

いかんせん、検索ワードだったり、書籍名だったりがわからない。

データを見て予測線を描くわけだが、逆境になっていた場合が多く、優位性を確保するにはどうすればいいのか、というシナリオを描けない。


日々のニュースを見ていても、個別政策についてダメそうな部分は議論されるが、全体として目指すゴールに対してどのピースなのかよくわからない。

(Socity 5.0のためにとか、SDGsのためにと冒頭数行で必要十分条件満たしているか判断は難しい)

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