はてなキーワード: 夢物語とは
掃除は今でも好きではありません。
でも、上手になればいいのです。
美しく清潔に暮らす快適さを知ってしまった今、私にとっての掃除は、心豊かに暮らすための大切な「儀式」になりました。
忙しい毎日に行う儀式ですから、できるだけお金も時間も労力もかけたくない。そのコツさえ手に入れれば、
手間暇かけずにパーフェクトに、部屋はきれいに見えます。
合理的な掃除とは、まさにこのこと。
これこそが、まさにドイツ人の好きなGemutlichkeit(心地のいいこと)の世界です
私は、ドイツ人の時間も労力もかけない上手な掃除のテクニックを私なりに手に入れてから、
ドイツ人のように、いつもきれいな住まいの空間をキープするための掃除ですから、汚れがたまらないのです。
この方法と感動を一人でも多くの皆さまに、ぜひお伝えしたい!
そんな思いを抱き続けています。
簡単で、時間がかからない楽しいドイツ流スーパーお掃除テクニックで、あなたの家がそこそこきれいで、
それを願って、本書を書きました。
真面目な話。
「国会」にしろ、「自治体」にしろ、選択可能な範囲になんて収まってないぞ。
協議されるのなんざ、ごく僅かだ。
その前段階で捨てられる(協議すらされない)案件なんざ、ごまんとある。
彼らが「センセイ」と呼ばれてちやほやされるのは、全然進まない陳情も、「センセイ」が一声かければ解決するからだ。
超絶優秀な独裁者が敷く独裁性がなぜ捗るかって、そうした優先順位の決定すら協議する必要がないから。
夢物語だけどね。
今のところ、落としどころとして一番いいのは、やっぱり間接民主制なんだよ。
人民の意見を代弁する議員が、それぞれの利害を調整する合議制が、一番デメリットが少ない。
二大政党制とかになると、各所の調整はしやすいが、その代わり国民の声よりも、政党内の政治ゲームに陥りやすいんで、
もう少しばらけた方が良いと個人的には思っている。
年の瀬に少し時間ができたので、再レス。恵まれた人だなあ、というのが言葉にならない気持ちを代弁してくれてたので、あらゆる意味で頷いてしまったんだ。でも折角やりとりがあったので、今更だけど返信をしようと思う。
元の記事を見た上でその提案だとしたら、夢一杯すぎて話が通じない感があった。沢山の問題提起を無視しての語りだと思わないかい。夢という結論ありきで文章を読んでいなかったかい。この提案をやろうと腰を上げ実現させる図書館は、数少ないがあるかもしれない。だがそれはあなたが見落としたり無視してしまった問題点を必死で解決してこぎつけた奇跡の催しなんだ。
というわけで、中途半端にしか仕事を理解していないなりの、問題点を挙げておく。
「図書館は人も予算も足りない」から廃棄本の話題が出たことを念頭に入れて、下記の問題点について考えてほしい。
・廃棄処分を「探検隊」の方々に提供するための体裁をどうやって整える?
(捨てる場合、紐とじや箱詰めで積み上げてる場合がある。それを崩して怪我がないよう整頓し催し物の体を整える。)
・催し物のお知らせ、人員を割く、場所の確保を、誰がどうやる?
どういう規模を想定しているんだろう。とりあえず名称からして、最低限の「稀覯本図書館」について考えてみた。
必要なもの:土地代、施設建設費、維持費、運営費、責任者、職員、書籍の修繕費、修繕の専門家(日本じゃ育たない)、資料を提供するためのデータ、図書館間でデータ共有するための加入金、盗難防止の対策(費)、…まだありそうだけどこんなか?
歳を経た方々にそういった催しを提供するだけなら、市や区を巻き込んだ企画が必要かなと思う。
有志のボランティアが企画、スポンサー見つけて開催までこぎつける。その過程に図書館を巻き込む、ってならまだ実現が見込めるよ。今なら老人向けサークルやグループホームなどに声をかけるのも面白いかもしれない。
図書館が動くのは難しくても、催しに乗っかるだけ(本を提供するよっつって資料の運び出しもボラさんと共同で)なら多少開催しやすそうだ。図書館という一団体にメリットがあるからね。宣伝になるし、図書館運営しながら本もより良い形で処分できるしさ。実績として残るから広報としても次の催しに乗っかりやすく、よく言われる「開かれた図書館」ってスローガンを実践しましたっつって上にアピールもしやすい。
善意と熱意だけで施設を動かすのは難しい。営業と同じ。
本が好きってだけじゃ動かし難い問題は山積してるけど、やりようと手配次第で不可能ではないかもしれない。
…ボラ主催じゃなくても、図書館の要らない本を持ち帰ろうってだけの催しなら、既に各地で行われてるんだけどさ。
他人に仕事を押し付けやがって、それだから駄目なんだ、と思わせたらごめんな。
美味しいとこだけ持ってくのは意外と難しいものなんだ。次に繋がらないしね。
できれば働きたくないけど、先のことを考えると就職したいタイプです。
正社員にはなりたい、でもやっていける自信がない、怖い、年下にアゴで使われるのも嫌、多分精神壊れる。
正直言って、残業は嫌、サービス残業はもっと嫌、休みが少ないのも嫌。
ウィンウィンで働けるなら良いのだけど。
甘いのはわかってる、でもこの社会構造がおかしいこともみんなわかってるよね。
オランダのワークシェアをyoutubeで観たけど、あんな感じになればもっと幸せになれるんじゃないかと思うんだけど。
どうやってそういう風に変えていくか。中心になるのは俺みたいな奴等じゃないかと思う。
ニート100人会議とかいうのがあったらしいけど、ニートも100人いればなんとかならんのかしら。
100人いれば色んな才能いるはずだし、全員で一緒に起業できないかな、みんなニートだから誰にも劣等感抱かないし。
あ、でも誰も営業やりたがらないだろうな、営業は委託かな。
http://anond.hatelabo.jp/20111029232710
の続きね。結構気になっている人が多いのだなと思ったので、さらに追加解説を。
最初に書いておくと、Amazonはアコギだけど、ユーザーには(短期的に)歓迎される可能性が高い。
それ故に対応を間違えると、日本の電子書店は太刀打ちできずに壊滅するだろう、
それはAmazonが世界最大級の小売りで十分利益を上げているからだ、という話。
(あくまでも友人が出版社につとめていてその話を聞いた中から)さらに説明しようと思う。
迷惑かからないようにぼかして書いてあるし、版面権や絶版、DRMや市ヶ谷方面の話題は煩雑すぎるので割愛している。
一ツ橋が出版社の全てみたいな話をするな!とか気になる人も居ると思うけれども、大枠で読んで欲しい。
(それに、これがググらずに判る人は、たぶん説明は不要で十分判ってると思うので)
最初に「経費圧縮による分は、安く出来るはずだ」というところから。
取り分は、作者(10%)→出版社(60%)→取次(8%)→書店(22%)→読者
例えば講談社がOnline書店を新たに作ったとして、取り扱いの本が講談社だけなら、取次8%分は削れる。
なぜなら、取次とは「多数の出版社と多数の書店を繋ぐ役割」だから。
ここで「多数の出版社と、講談社Onlineを繋ぐ役割」だと、0%ではできない。
そして、経費が削れても、利益を上乗せする方向にいっちゃいけないって事はない。
「ネットでの課金徴収、データ管理やバックアップにサーバ管理で、コレぐらいの値付けはしても使ってもらえるだろう」
という見込みがあってやってしまっても悪くはない。
それは「そこは消費者に還元しろよ」という感情はわかるけれども、商売としては別。
元々「電子出版なら安くなるはず」と圧力のある状況で売っても、一冊あたりの利益は薄い。
すると、その面倒なところ(他の出版社への声かけ、販売対応、サーバ管理等々)を、既存出版の割合でやってくれるなら、ギリギリなくはないかな、
といくつかの出版社は考えてもおかしくない、というのが前回のお話。
まずは、お金の流れの一般論として再販制度の仕組みについて触れておこう。
(矢印がお金の流れ、その逆向きが本の流れ)
判り難いので、具体例で列挙すると以下のような感じになる。
(出版の70%は作者の10%含み。本屋群の78%は、本屋の取り分の22%を引いたもの)
これに月末締めの翌月払い、条件返本相殺締日とかが絡むけども、胃が痛くなるので割愛した。
……ついてきているだろうか?
差し引きで見てみよう。
ほぼノーリスクで作者は100万円を手にするのに対して、本屋は頑張って110万、出版社も250万。
クリエイターに対する印税10%が低すぎると思っている人は、少しだけで良い。お金の流れを追って欲しい。
(ただ、返本率は、実際には4割程度だろう)
また、取次の集金機能にも着目して欲しい。
配本流通集金と、色々やってるのが取り次ぎだ。
さあ、管理も煩雑、処理も大変、もはや本が札束に見えてくると言う悲惨な状況下の中、Amazonが提示したのが55%という数字だ。
さて、例のリーク記事のAmazonが提示した契約書とされている部分、実はあの式にはちょっとしたポイントがある。
Amazonは当月中の各本件電子書籍の顧客による購入の完了につき、希望小売価格から以下に定める金額を差し引いた正味価格を出版社に対して支払うものとする。
先ほどの金額の流れを見た後だと、気がつくことがないだろうか?
そう、これは「出版社に対してAmazonが支払う金額」についての式なのだ。
具体的に見てみよう。
1500円のハードカバーを、出版社が「電子版だから、じゃあ1000円にするよ」と希望小売価格を決めたとする。
Amazon.com でのKindle版の価格から鑑みるに、おそらく、500円で売るだろう。つまり50%OFFだ。
すると、希望小売価格 1000円x55%=550円を差し引いた金額、450円をAmazonが出版社に支払う事になる。
希望小売価格は出版社が決められるが、紙の本より高くは出来ない。
そして、Amazonは希望小売価格から55%を引いた額を出版社に払えば良い。
50%OFFで売れば、Amazonの儲けは、一冊あたり5%になる。
どういうことになるか、火を見るよりも明らかだろう。
Kindleが8000円、Kindle Touchが1万円ぐらいで発売されてしまったら、どうなるだろうか。
紙の本には手に取れる書き込みできる、そして所有する喜びがある。
しかし、紙の本 1500円 vs kindle本 500円 ならどちらを選ぶだろうか。
10冊買えば本体代の元がとれると思った時に、Kindleデバイスを買わない自信があるだろうか。
Kindleデバイスを売る為だとか、ロングテールで値下げせずとも良い本から利益を回収する為だとか、色んな理由があるだろう。
でもきっとAmazonは、市場で無視できないサイズとなって十分利益が回収できるようになるまで、じっくりゆっくり粘り強く低調に成長を続けるだろう。
なぜなら、オンライン小売の巨人は、他で利益を出せば良いからだ。
もちろん出版社は、1500円の本を、他の電子書店には1000円で卸して、Amazonには1500円で卸すことだって出来る。
忘れてならないのは、Amazonは1500円x45%=675円を出版社に払うことだ。
他の電子書店は、1000円で卸された本から20%だけとって800円払うこともできる。売れればだが。
そして、Amazon対抗のためだけに他の電子書店に750円で卸したとして、電子書店側も決意の10%として675円を出版社に払っても良い。
1万冊売って75万円利益の電子書店、しかも様々なフォーマットでデバイスも様々で、本当に継続できるだろうか。
読者が安い本を買うことは止められない。非難も当然出来ない。
安いKindle版を出さずに独自の電子書籍を出す出版社に、文句を言わないだけの理性があるだろうか。
そして、(アメリカのペーパーバックがでかくて重いという理由があるにせよ)電子版が紙の本を売り上げを上回る世界で、
Amazonを無視して自己流を貫く事での機会損失を、オーナーや株主は許容できるだろうか。
流石にアマゾン、(アメリカ市場からの推測でしかないが)相当にえげつないことをする。
出版社は、既存の電子書店に卸してもAmazonに卸してもそう代わりはないが、消費者は安い方から買う。
そして、Amazonは限界まで値引きをして売るだろう。ダンピングにならないように5%程度の利益を抑えた上で。
黒船Amazonが、日本の電子書店と違う点は、既に成功したネット上の小売業者である点だ。
赤字をものともせず待ち続けられるのは、アメリカの市場で証明済みだ。
商売なんだからきちんと儲けてくれよ、金なら払うから経費圧縮分は利益にしてくれよ、
そう消費者が言ってくれないことは判ってる。
でも、電子書籍は安くて当たり前、デジタルなんだから薄利多売で消費者に還元してくれ、
そういう意見一辺倒だと、現状ではAmazonは無視できる存在ではない。
そしてこれは、Amazonの用意したハードルを乗り越えて契約できる出版社が増えれば増えるほど、
これだけでは、わからないと思うけど
怖いなと思ったのは、10年以上前に親がいきなり来た時に、相談に行った共産党系の医療生協の病院の車椅子のいかにも正義派のように見えるケースワーカーが、やたらにこちらを責めてきて、婦人相談所も他の街で駄目だったと言っているのに、半ば強制的に怒って、あなたが行かないから!と責めて、行かせたくせに、区役所からの問い合わせには、こちらの紹介じゃありません、と言った事
ナイーブな人潔癖な人、自分を良い人だと思いたがる人たちの方が怖いんだなと思いました。
自分たちが、良い人と思えなくなる事実を排除したり否定したりするから。私はこの時私の立場で言っても、全部被害妄想にされる可能性もある、と怖がってました。そうしたら、「この前、こちらの紹介で、パラノイアの患者さんを夫の暴力から逃がすために、入所させました」と怒られたり「言ってどうなったか、聞かせて下さい、このN里が聞きますから!」と自分の胸をどんと叩くと言うパフォーマンスさえ演じました。
区役所職員は私の前で電話をかけ、「そう 言ってる事がわからんの」 などと言ってました。 (同じ頃県議の選挙のポスターで知った立候補してその後の選挙では落選弁護士の事務所に相談に行った時、事務員にそんなふうに言われませんでした。弁護士には弁護士会に言って下さいと断られましたが。弁護士とはそれしか話してません ) その区役所職員は、あなたは自活していて、信念も持ってるようだから、一人でやっていっていいと思います、と言って保護しませんでした。 私が信念を持っていようといまいと関係ない事だと思います。持ってても親からの被害には遭います。 その前に電話で、言ってる事がわからないと言いつつ、信念持ってるって・・・? 言ってる事がわからない人を医者の手当ても受けさせずに放置して良いのでしょうか? 共産党系の病院と区役所が、そんなに仲が良いとは知りませんでしたし。。。 国や行政の批判は、よく書いているから、そういうものが行き届いてないという事を言ったら怒ってくるとは思いませんでした。
こういう人たちは、日本が民主的な法治国家で、何の問題も無いと思いたいから、それを信じられなくなる事実を否定したり排除したりするのではないかと思い、変な宗教家のようで怖くなって、良い人と潔癖な人は恐ろしいと思いました。
残念ながら、行政が訴訟を起こされることも、あるし 色々あるから、弁護士のような職業もあるわけなのに。。。
共産党だって、そのへんのところを指摘して食ってるようなものなのに
いつかの選挙の時に近くのスーパー前に来て、大音響で演説してたから、聞こえてきたけど、実現できるとも何とも言えないような事を、当選したらこうします、どうします、とか夢物語のように何かに酔ったように語り、明るく()笑 楽しそうに 演説して行きました。
共産党は不況で少しは票を伸ばしましたが(他地域)、共産党に入れる人は、そんな現実的な実行力に期待して入れる人ばかりじゃないと思います。
ピーターフランクルさんも、昔書いてました。 一番理屈に合っているから、支持する と。
共産党は、過半数取らないと運営を維持できない党でもないのに、少しの議席も保てず減らしてしまう。。。 明るく楽しくばかり、他の政党の真似をしてやっても仕方ないのに。 だって、共産党が存続を維持するために必要な票の数は、他と全然違うのだから、もっとニッチな層に受けるように、食い込むように、政治に関心がないわけではないけど、だからこそ選挙に行かないとか、もっと言えば白票で出すような層に働きかければいいのに・・・
そういう人は騙せないからと言って、そんなに貧乏な人がいるわけでもない街で、弱者救済だけやってても、票は取れないと思う。(私は貧乏ですけど)
つけたし
上に出てきたケースワーカーは、区役所で職員に合った後、医療生協の病院に電話したら「N里先生は、お帰りになられました」と言われ音信不通です。その後お変わり無いのでしょうか?車椅子の調子はどうでしょうか?事故か何かで人生の途中から、脊椎損傷で下半身不随になられたのに、健気に働く殊勝ないかにも正義派で弱者の味方に見える方でした。顔はちょっと辻本氏に似てました。あんな感じでいかにも正義派w
http://anond.hatelabo.jp/20111011004006
多くの人の(大衆の?)わからないというのをわかって、わきまえて暮らしてきましたが
私が今まで被害を被ったような事に専門に取り組んでいるはずの人たちや、それを批判してお金を得ている人たち(出版など) もいるのには、何とも言えない気になります。
実際、変なというか普通はしなくて良い親を保証人にできない場合の不動産賃貸に関する情報交換が載っているスレもあります。そんなに見てませんがあまり雰囲気は良くないです。
http://alfalfalfa.com/archives/1494324.html
みんなで、行政に言うべきだし、どこかに陳情するべきと言っても、全然盛り上がらず、当事者ではない叩きも来てるようだし
こういう事で、私の頭がおかしいと思いますか?と聞いたらそうは思わないけど、自分はわからないからと書かれたりもしました。
わからないなら、もっと広めて欲しい
怖いなと思ったのは、10年以上前に親がいきなり来た時に、相談に行った共産党系の医療生協の病院の車椅子のいかにも正義派のように見えるケースワーカーが、やたらにこちらを責めてきて、婦人相談所も他の街で駄目だったと言っているのに、半ば強制的に怒って、あなたが行かないから!と責めて、行かせたくせに、区役所からの問い合わせには、こちらの紹介じゃありません、と言った事
ナイーブな人潔癖な人、自分を良い人だと思いたがる人たちの方が怖いんだなと思いました。
自分たちが、良い人と思えなくなる事実を排除したり否定したりするから。私はこの時私の立場で言っても、全部被害妄想にされる可能性もある、と怖がってました。そうしたら、「この前、こちらの紹介で、パラノイアの患者さんを夫の暴力から逃がすために、入所させました」と起こられたり「言ってどうなったか、聞かせて下さい、このN里が聞きますから!」と自分の胸をどんと叩くと言うパフォーマンスさえ演じました。
区役所職員は私の前で電話をかけ、「そう 言ってる事がわからんの」 などと言ってました。 (同じ頃県議の選挙のポスターで知った立候補してその後の選挙では落選弁護士の事務所に相談に行った時、事務員にそんなふうに言われませんでした。弁護士には弁護士会に言って下さいと断られましたが。弁護士とはそれしか話してません ) その区役所職員は、あなたは自活していて、信念も持ってるようだから、一人でやっていっていいと思います、と言って保護しませんでした。 私が信念を持っていようといまいと関係ない事だと思います。持ってても親からの被害には遭います。 その前に電話で、言ってる事がわからないと言いつつ、信念持ってるって・・・? 言ってる事がわからない人を医者の手当ても受けさせずに放置して良いのでしょうか? 共産党系の病院と区役所が、そんなに仲が良いとは知りませんでしたし。。。 国や行政の批判は、よく書いているから、そういうものが行き届いてないという事を言ったら怒ってくるとは思いませんでした。
こういう人たちは、日本が民主的な法治国家で、何の問題も無いと思いたいから、それを信じられなくなる事実を否定したり排除したりするのではないかと思い、変な宗教家のようで怖くなって、良い人と潔癖な人は恐ろしいと思いました。
残念ながら、行政が訴訟を起こされることも、あるし 色々あるから、弁護士のような職業もあるわけなのに。。。
共産党だって、そのへんのところを指摘して食ってるようなものなのに
いつかの選挙の時に近くのスーパー前に来て、大音響で演説してたから、聞こえてきたけど、実現できるとも何とも言えないような事を、当選したらこうします、どうします、とか夢物語のように何かに酔ったように語り、明るく()笑 楽しそうに 演説して行きました。
共産党は不況で少しは票を伸ばしましたが(他地域)、共産党に入れる人は、そんな現実的な実行力に期待して入れる人ばかりじゃないと思います。
ピーターフランクルさんも、昔書いてました。 一番理屈に合っているから、支持する と。
共産党は、過半数取らないと運営を維持できない党でもないのに、少しの議席も保てず減らしてしまう。。。 明るく楽しくばかり、他の政党の真似をしてやっても仕方ないのに。 だって、共産党が存続を維持するために必要な票の数は、他と全然違うのだから、もっとニッチな層に受けるように、食い込むように、政治に関心がないわけではないけど、だからこそ選挙に行かないとか、もっと言えば白票で出すような層に働きかければいいのに・・・
そういう人は騙せないからと言って、そんなに貧乏な人がいるわけでもない街で、弱者救済だけやってても、票は取れないと思う。(私は貧乏ですけど)
失礼しました。
いわゆるコミュ不足だと思われる原因で、いまだに就職活動を続けている私。
最近、明らかに周りの学生の雰囲気が変わってきたのを肌で感じる。
あるグループ面接時。
左から2番目に座った彼は、椅子に斜めにもたれかかり、最初の自己PRで「私のこと最初から理解するのは無理なんですよ…中略…一緒に働く中で私の力をご理解できるとおもいまーす」と発言。
真ん中に座る彼女は身なりはきちっとしていて、好印象だったのだが、面接では同じことを何回も繰り返す。
これにはさすがの私もびっくりしてしまった。そして、私は彼等と同じラインに立っていることにショックを覚えた。
国営放送なんかで「100社受けたけど・・・」なんて答えている学生と同じラインになっていると思うとつらい。。。
最近の説明会や面接は大体こんな感じの顔ぶれである。そもそも、説明会や面接にいける数がもう少ないのだが。。。
早くなんとかして職につきたい。
・2012年卒採用、企業は予定人数確保に難航――マイナビ調査[Business Media 誠]
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1110/05/news096.html
・民間企業「厳選採用してるはずなのに、クソみたいな学生しか来ない。なぜだ」暇人\(^o^)/速報
http://blog.livedoor.jp/himasoku123/archives/51668356.html
この調査によると文字通り人材確保が上手く進んでいないようだ。
しかし、やっぱりコミュ力基準の厳しい審査を通過しなければ、選ばれないという。。。
コミュ力。。。
想定される答えに対して漫然に下準備を行なうことは別に面接に限ったことではないことを、あるインターンの時に思い知った。
下準備を行なう。。。準備なんかせずに今まで過ごしてきた私にはとってもたいへんなことである。
受験勉強も好きなことを勉強して、嫌いなことはやらないで高校に入れたし、大学にも入れた。まわりが予備校で必死こいて勉強している姿はなんだかうらやましかったし、尊敬を感じていた。
部活では、問題に立ちあたってから考えることがほぼ全てだった。
やりたいことは、やっていくうちに何とかなった。それはもちろん、生活費がかからないことが前提であるが。
こんな感じで過ごした学生生活、別に後悔なんてないが、思わぬハードルを背負っているのかなと今になって思う。
ケチな性格な私は、お金に関しては計画性を持って取捨選択も行なってきた。また、そのための情報収集もかなり得意な分野である。
一方、全員ではないが大学生は金持ちが多い。平気で対しておいしくない駅前にある居酒屋チェーンの店で1人3000円とか落とすし、隣にスーパーがあってもわざわざ高いコンビニで買い物するし。。。
「お金ないんだよね~」としゃべりながら“いろはす”買ってるし。。。
この点で、他と差別化を出して個を出すべきなのかなと思った時期もあるが、この個を説明するためには現状の大学生のお金に対するルーズさを説明する必要がある。
世の中の消費は決して牽引しているとは思っていないが、わりと身近な点ではルーズなことを。
こうなるとやはり、面接官に説明が無くてもある程度理解できることを説明していく必要が出てくるが。。。
大学時代に“まあそんなこともあるよね”と聞き流せないようなことをやっている人がいくらいるか。。。
内定を決めた人はみんなわりと”まあそんなこともあるよね”ってことを自分だけのものにして上手く説明していると思う。
“まあそんなこともあるよね”ってことを“まあそんなことあるよね”って感じでしかしゃべれない点で私はコミュ力無しであり、それを理解しながら対処方法を見出せない、もしくは対処方法を実行できない私は。。。
追記。
私が労働者現役時代に野菜工場が完全自動化して、農業もほぼ自動化されて、欲を満たすための産業、研究だけが残るなんてことが起こりそうかなと夢物語を想像するとやる気が。。。
なんだかテレビに随分な逆風が吹きつけているように見受けられる。無理やり推し進めたデジタル化に世論は割合反発を強めているし、ネット世論ではフジテレビ騒動から業界が抱える根幹の問題としての電波利用のモラルハザードが周知されることになってしまった。そしてこの度の島田紳助の引退である。この件は政治的側面から語られることも多く、そこらの事情通はこの引退はまだ端緒に過ぎず、ここから続く一連の出来事を見守る気構えでいるようだ。そのあたりは情報の真偽を確かめる術を持たないので知らない、けれど彼の引退(ここでは敢えて「勇退」とでも言うべきか)は少なくとも「テレビに関わっている人達」に大きな影響を与えたし、そして今後与えていくことになるんだろうと思う。庇護のもとにあった芸能人は勿論、視聴率の稼ぎ頭として頼っていたテレビ局、そしてなにより様々な背後関係になど感心も向けずに、ただテレビのスタートして彼をモニターの向こうから見守っていた何千万の無辜の市民は芸能界の一時代を築いた彼の引き際をどう見守ったのだろう。
テレビを慈しむ人々というのはそれはもう絶対的になっていて、少しインターネットに触れるようになり物知り顔になってしまうと見落としがちな側面なのだけど、やはり依然として社会において支配的な行動様式というのは朝新聞を読んで、ご飯を食べながらテレビを観て、そして学校や会社で話題の中心を占めるのは「昨日テレビで見たあの話」なんだ。これはWEBの業界にいたり、ネットを主要な情報源にする仲間たちと群れ合うようになると薄れがちになる感覚なのだけれど、人々の中でそのような旧態依然とした行動様式を採る人々というのは未だ支配的なのは明らかなんだよね。
娯楽としてのテレビがこれまでかくも人々の関心の総量において支配的であった理由というのはそこまで明確ではない。戦後豊かになって時間ができはじめて、生得的に「惰性」という性質を持ち合わせたがゆえのに、ただ受動的に、そして非常に楽な形で情報を受け取ることができるメディアとして非常に便利な箱は家庭に頒布され、今日までアタリマエかのように人々の話題の中心で在り続けた。そしてテレビのCMなんていう綺麗な俳優女優の顔でしか認識しないような広告に莫大な広告費がぶら下がることになってきた。
インターネットがこれらの流れを崩すことになるかもしれないよね、なんて話は梅田氏以来、ネット牧歌論的な肯定派の中で何度も云われ続けてきたことではある。しかしこれまではそれはただの業界人のポジショントークであり、楽観的すぎる夢物語として終始してきた。しかしいよいよ本当に人々の眼がひらかれる時が来ようとしているのかもしれないね。テレビを「面白く」してきた、有能な大道芸人が辞世し、その箱を通して見る風景が相対的な魅力を失う、同時にスマートフォンはじめとするより開放的な情報体系としてのインターネットへのアクセシビリティが拡充されたときに人々は情報の扱い方を緩やかにでも変えていくのだろう。
大袈裟なのかもしれないよ。でも人々の考え方において大きな影響を与えてきたのは教育とマスメディアの中で、そのうちの後者がいま大きく音を立てて崩れようとしているように少なくとも自分には見える。能動的に情報を得ることを覚えた人々は、ネットで調べたあの面白そうなお店に行ってみようということになるかもしれないし、新しい趣味を始めることになるかもしれない。結局これまでのテレビというものが多様な人間の余暇生活の中で過大なシェアを占めていたのが、「その中の一部」へと収斂していく過程を僕らは見ているのだと思う。それは明らかに始まっているし、鼻息を荒げるには実はまだ早すぎるのかもしれない。でも僕はその崩壊の彼岸にある景色は今より少し綺麗なものが見れるんじゃないかなあと、少しだけ期待をしているんだ。
先日、高校の頃からの友人と食事をする機会があった。彼は体育会に所属する学生で高校の頃は優秀だったが大学では知への放棄をしてしまった残念な人である。その彼から珍しく食事を、ということだったので楽しみにしながらその日を待っていた。
と、ひとしきりお互いの近況報告が終わったあと彼は言った。彼は体育会に所属しているが、うちの大学にセミプロは存在しない。当然、彼の大学にも純然たるセミプロは存在しない。彼の疑問点はここにある。セミプロの場合、その体育会はひたすら勝つことを目的に活動すればいい。つまり、早慶に代表されるセミプロ集団に属する人間は(例えば野球部ならば)チームとしての実績を積み、その中で個人としてレギュラーの座を射止め活躍することにより、ドラフトで指名され晴れてプロ集団の仲間入りすることが目標であり同時に目的化される。つまり、常に就職活動をしているようなものなのである。しかし彼は違う。
彼は週に5~6日活動し、過酷な(ただしセミプロのそれと比べれば実に緩いであろう)練習を積み、筋トレに励み、より良いパフォーマンスができるような身体を作る。彼自身はチームの中では指折りのキープレーヤーである。主将候補筆頭でかつ1年生の時から出場している。彼がよく体育会に加入した理由を聞かれた時に答えていたのは「すぐに試合に出れる自信があったから」であった。とはいえ、彼のスキルは、セミプロも含めた場合、並以下である。彼の個人的なスキルは組織内の比較優位としては高いがとてもじゃないけれどプロにはなれない。
とまぁここまで詳しく語れるお前は何なんだと思った人もいるかもしれないが、それは当然のこと、ぼくは彼と高校の頃に同じ部活に所属していた同期なのである。これはかなり重要な事実であるが、ぼくも同じように比較優位があったので体育会加入はよくよく考えた結果、しなかったのだ。これが正しかったのかは別問題であるけれど。つまり、彼と同じように学部1年の頃、「セミプロ以外の体育会の存在意義」について悩みに悩んだ末に体育会に所属することなく大学生活を送ることを選んだだけの話であるが、体育会には体育会の論理で彼らは仲間にしようと誘ってきた。その話を彼にも同じようにした。セミプロ以外の体育会には最終目標がないじゃないか。
高校球児はみな甲子園を目指す。果たしてこれは本当なのであろうか。ルーキーズの様に、その先に待っているものがなければそれでもいいかもしれない。しかし、現実はそうではない。進学校の高校生は部活をやっていたとしても、当然その中には「受験勉強」を優先する人たちが一定数存在する。当然、受験勉強に精を出した方が、「比較優位」で彼らは部活に人生を注ぐよりもはるかに有益なものになるだろう。
同じように比較優位を考えるとセミプロ以外の場合、体育会に所属してそのスポーツに精を出すよりも、勉強に励んだり留学したり等々のそれ以外の活動に大学生活を費やすほうが有益なものとなるだろう。セミプロは全国から指定推薦などで才能ある選手を集めてくる。しかし旧帝大の様な国立大学はそういうわけにもいかない。受験勉強を勝ち抜いてきた人間が趣味としてスポーツをやるのならばやはり体育会ではなくてサークルでやればいい。ぼくははっきりと言った。
いや、口では「リーグ2部昇格を目標に活動...」とか言っているような奴らだってプロになれるとは思っていない。勝負事に負けることを意識して臨んでいる時点でクズだと言える。あの大学には勝てないな、とか、あの大学には負けるけど他で勝ちを拾おうとか。ではもう正直に、セミプロ以外の体育会に所属しているなら正直に言えばいいのに。
って。それがむしろ潔い。勉強することから逃げ、好奇心のままに自由な大学生活を送ることを犠牲にしてまで手にしたコネクションであり、「運動会」という肩書きなのだから必死になって守ればいい。守るために努力する。その身体を鍛えるのも組織内での評価を上げることととほぼ同義だ。やるなら徹底的にやれ。
「たしかに俺らはセミプロじゃない。けど、やってる以上は勝ちたい。すべて。」
と、彼は少し悲しそうな顔をしながら言った。そんな後ろ向きな努力をしているとは知らなかった。どうせやるなら勝つためにやるのが普通のような気もした。とはいえ就活を意識していないのも嘘ではなさそうだ。彼に限っての話だが。どう考えても好きなことを好きなだけやっているように見えるが組織全体としては違う。
彼らは新歓期に仲間を増やそうとするときに「うちはOBが強いから就職有利だよ」とか見当違いの勧誘をする。まだ大学に入学して数日しか経っていない、明るい未来しか見えていないフレッシュマンに対する誘い文句としてはエゲツないんじゃないか。まるで高校生が同じクラスの女の子を口説く時に、「うちのお父さん年収5,000万だから俺と付き合えば金持ち気分味わえるよ」とか言うようなもので、下品な上に、まるで自分たちの活動には価値がないかのような言い分である。正確に言えば価値がないのだろう。
当然、一つ目の理由は情報の非対称による格差である。簡単に言えば、新入生という情弱を騙して、雰囲気や勢いで仲間に入れてしまうその常套手段のことだ。往々にして体育会に勢いで入ってしまう人間に限って、やめる勇気がない。やめる勇気がないのだからやめられず続ける。そのうちどんどん体育会の論理が身体に染み付いていく。さらにやめられなくなる。そうして、やめようと思ってもサンクな部分に気を取られて続けることを選択してしまう。そして続ける。続ければ成果が出るのは間違いない。事実、運動会は就職に有利なのだ。
二つ目の理由は、これが複雑とも言えるけれど、組織内における優位性だ。高校の頃は公立高校で勉強ができた人間が一流大学に入ったら都内進学校や灘、ラ・サールのようなレベルの人間と勉強というフィールドで戦うことを(本能で?)避けてしまった結果として、自分の得意分野に所属するのというアレだ。体育会の序列は年功序列だが、その中にも実力主義な部分があると聞く。つまり、実力さえあれば試合に出れるし試合に出れれば活躍できてチームに貢献できる。チームに貢献する人間が劣悪な状態にされるはずもなく丁重なもてなしを受ける。それが実力主義な部分である。
しかしこの友人は違う。バンプオブチキンでもなければもしドラでもないが、圧倒的不利な状態で勝ちたいらしい。はて、どんな夢物語を考えているのか。しかし、人の夢を哂うことは許されない。ぼくは真剣に話を聞いていた。
「俺は勝ちたくてやってる。本気でセミプロに勝つための努力をしている。だけど周りはそうは思っていないらしくて温度差がある。練習中にサボっている奴もいる。そいつらにどうやって注意すればいいのかわからない。俺には注意する権利があるのかもわからない。そいつらの体育会の存在意義が俺のそれと違えばサボる自由があるのかもしれないじゃんか。」
間違いなくこういう人間がいる限り、周りからすれば迷惑だろう。なぜか。生きていく上で、本音と建前の使い分けは非常に重要だ。体育会に所属していることだって就職活動のためかもしれないけれど、やはり外受けが良いように「勝つため」と言うしかない。もちろん他の理由がないわけでもない。ぼくが体育会に所属している他の友人になぜ体育会に所属しているのか聞いてみたところ、次のような理由(建前)があった。「(そのスポーツを)本当に好きだから」「精神を鍛えられるから」「高校の先輩がいて逃げられなかった」「新歓でお世話になったから」「先輩がいい人だったから」「同期がいい人だったから」「酒の勢いで」。。。。。。中には建前にすらなっていないものもあるけれどそれはまた別の話だが、彼らがいかに物事を考えていないかがよくわかるような気もした。
しかしそれとはまた別の話である。セミプロ以外の体育会に存在意義はあるのだろうか。ぼくの立場は一貫して「勝てない体育会には存在意義がない。」というものなので、セミプロ以外の体育会には存在意義が一つしかないと思っている。そのスポーツが好きで大学でもやりたいのであればサークルに入ればいい。練習は緩いし拘束時間も少ない。サークルがないのであればクラブチームに入ればいい。野球で言えば、草野球チームだ。高校時代の友人とチームを作ってもいいだろうし、親の会社のチームに参加させてもらうのもいいだろう。
「勝ちたい」のであれば、セミプロに行けばいい。セミプロがない大学の場合は、再受験して早稲田や慶応に行けばいいだけの話である。別に体育会に所属しないからといって精神が鍛えられないわけでもないし高校の先輩がいようが強い意志さえあれば断ることはできる。新歓中にお世話になったからという理由で大学4年間を犠牲にするほど安い期間ではないだろうし、先輩がいい人なのは新歓中はどこに所属している人も自分たちのいいところしか見せないだろう。同期なんて概念を捨てて外に飛び出せばより多くの同世代がいるし酒の勢いってお前は未成年ではないのか?という話だ。
つまり、セミプロ以外の体育会の唯一にして最大の存在意義は「日本の就職活動で有利である」ということだ。要するに就職活動を4年間やっているようなものであって、体育会が就職活動で有利と言われるのはセミプロの存在があっての事であり、セミプロ以外はその恩恵に肖っているだけの存在とも言えるような気がする。
これだけ書いておいて言うがぼくは決して体育会をdisっているわけではない。が、ぼくは個人的にこのぼくが大好きな友人以外で、本当の意味で真剣に「体育会」を全うしている学生を知らないというだけだ。彼のような人が煙たがれるような体育会であればさっさと滅びるべきだしぼくは彼の姿勢に心底尊敬の念を抱いている。
Twitter上にいる体育会の学生をちらほら見るけれど、本質的に描く「体育会」像が違う。勝つつもりがない体育会の連中が一般に言う「意識高い学生」をしている状態に違和感を感じてやまないしそういう奴らをぼくは、体育会におけるフリーライダーと呼びたい。
体育会に所属している人、特にセミプロ以外の体育会に所属している学生はその辺をよく考えた方がいい気がする。人生は有限である。貴重な時間を体育会に費やしているのならば堂々と「就活に有利だからテキトーにやってるわ」と宣言するくらいの図々しさがあってもいいような気もするけれど。
特に大学に入学して3ヶ月ほど体育会でぬくぬくやっているキミへ。強い意志でやっているのではないならば、今すぐやめるべきだ。高学歴な人たちは尚更やめるべきだ。身体を鍛えるついでに頭を鍛えるのではなく、頭を鍛える気分転換程度でスポーツをやった方が楽しめるんじゃないか?
まとまってないけどこんなところで。
テーマ:多角的に考える
・インセンティブの持っていき方を考える
・義援金の正しい使い方を考える
経済のケの字も知らない俺だが無い頭をひねって考えてみた。
「ヒトモノカネが流れる所は『勝手に』発展していく。」というのは事実だと思う。
そこで、被災地が最も早く復活するために、その考え方で発案してみようと思う。
ヒトが多く訪れる方法を検討しよう
Q.ヒトはどんな所に集まるのだろうか。
A.欲望を満たしてくれる所だ。
・普遍的で継続性のある満足を与えてくれる所にヒトは多く集まる。
・集まるコストを低下させるとすそ野が拡がる(母体数が増える)。
・滞在コストを低下させるとヒトは継続してそこに残ろうとする。
スポーツ会場、イベント会場やカジノを作るのはどうかな。描いた絵図はこう。
①「スポーツイベント、コンサート、秋葉系コンベンション等を被災地近くで開催する。」
大規模なイベントに対応出来る設備を自治体等主導で作る。その会場使用料を自治体が負担する。
- 周辺の消費需要が増す。(輸送、移動、滞在、宿泊、飲食、土産等買い物)
- 参加者が行きたくなる仕組みが必要
→ これは被災地域の費用負担を下げ、参加者のインセンティブを高めるために輸送、移動コストを低減する。
- 新幹線やJR特急の料金を下げる。(往復の場合のみ等にしないと踏み台にされる?)
→ それにより、安くいけるんだから(行った先、すなわち被災地で)ちょっとぜいたくしよう。という
インセンティブにもつながる。
②「カジノを常設する」
- 治安の悪化を防ぎ、安心して利用出来るような環境作りを行う。
- 現金への換金率よりも被災復興券への換金率を上げて被災地で多く使ってもらうようにする。
→ 被災復興券は特別債権の役割を果たす。こちらもしっかり自治体と国が管理する。
- パチンコは禁止
③「税負担を下げる」
- 住民税を低減させ、そこに定住するヒトを増やす。
- 消費税も被災3県で段階的に設定する。
→ 本各被災地域=0% / 周辺地域=3% / 同県内=5% / 他県等は現在議論されている段階的に引き上げの対象
ヒトが多く訪れる場所にはモノが沢山必要になる。
モノを多く流入させるためにも、前述の輸送コスト低減策が効いてくる。
- 輸送コストは商品コストに反映される。安価で小売業者が仕入れ出来れば値下げもしやすく、また利益の拡大にもつながる。
→ 被災地での商売は儲かるというインセンティブになり、そこで商売するヒトが増える。
→ よりモノが必要になり、ヒトも増加していく相乗効果が期待出来る。
→ こうしてカネも動くようになり
- 宅配便等にも補助金を出して集配所の運営費を自治体等で負担する。
被災地で商売するとすごく得をする仕組みを用意する。
→ 本社を被災地に置き、総従業員の勤務地として最も多い人数を設定させる事で脱税目的の移設を防ぐ対策が必要かもしれないけど。
◎結論
ヒトを集めるだけで、モノとカネは自動的に集まってくるんじゃないかな。という事
素人だけど、こんな考え方がもし復興の参考になったら、それはとっても嬉しいなって。
1.で何もかも自治体や政府負担を勝手に描いた。そんなに都合良くお金がポンポン出てくるわけがない。
だからそこに義援金の多くをあてがう方法ではどうか。お金の都合は主に以下で行う。
・義援金
・消費税段階値上げ分の充当
債権は少しづつ自治体と国で返済していく形しかないだろうけど、金余りの不況が長く続いた今、長期の優良債権は確かに需要があると思う。
まがりなりにも円が対米ドル高めで推移しているから外資も食指を伸ばしてくれそうだし…(というのは甘々か?!)
私のクラスタでは東電解体!とか電力の寡占許すまじ!な空気があったりして、概ね賛成なのだけれど、ここは一つしばらく放置と言う案はどうか。
東電は電力株と呼ばれ市場では高配当で株価が安定していると定評があった。
都バスが電力株の配当で経営を維持していて赤字転落のニュースは記憶に新しいが、本来高配当安定株だった。
じゃあ、いうなれば、東電は元々そのビジネスモデルで銀行からいくらでもカネを引っ張れる優良企業の筆頭だったわけ。
今回潜在的リスクが莫大な被害と損害をもたらしたわけだけど、その業務継続にどれだけ不安があるのだろう。
1兆でも10兆でも銀行から借りて、50年でも100年でもかけて返済するプランを作ってはどうか。
有利子負債を多量に抱えるので経営は苦しくなるしこれまでのように従業員や幹部にぜいたくはさせられないけれど、それでも事業は継続していけるんじゃないかな。
そのお金で補償や放射能除去、原発の今後の運営にかかる費用をまかない、しっかり返済していくのがいいと思う。
前述した復興券と同様、市場に不足した長期安定商品になると思う。
トンデモ案かも知れないけれど、東京以外の電力6社にもカネを出させると言う手があるかもしれない。
もし東電解体なんてことになればお前らも道連れだぞと脅す形で。
電力全社上げたら10兆ぐらい行かないかな。その辺のスケール感覚皆無なので適当書いてます。
放射線量が高い地域を思い切って封鎖して、その土地から建物までを東電に買い上げさせてはどうか。
立入は自己責任で。封鎖後のエリアは消防警察その他一切行政の支援は受けられない。
ここまで言えば必要なものを持ち出した上で人は住まないと思う。リアル北斗の挙状態だから。ヒャッハー
そして、原発を含むその地域を浄化する事、その一点に集中して力を注ぐ。
世界中から実用化済技術をどんどん試そう。眉唾や実験的なものでもいい、どんどん受け入れてみてはどうか。
既存のフィルタ除去方式やひまわりのタネ撒きまくリング方式、イスカンダルに設計図取りに行ってもいい。
この機会はまたとない実用実験なんだ。どんどん募集して世界に貢献し、技術に助けを求めてみてはどうだろう。
日本の独自技術として放射能除去を実現すればまさに「日本の奇跡」として核抑止力に対する一定の影響力を持ち、100年の悲願、国際発言力に貢献するかもしれない。というのはまさに夢物語ではあるが。
こんな文章を書いたのは日本政府が、被災者を含め日本人が、あまりにも長く思考停止+場当たり対応に終始していて、とても不満で不安でしょうがないからなんだけど、書いた内容としてはみんなヒトモノカネの動きをちゃんと考えて行動しようよ。
ってことなんだ。
無理やりカネを流し込んで復興するのか?
大声で「がんばろう東日本!」と叫んで頑張れるのか?
おれは、ちがうとおもったんだ。
考え方は面白いと思うな。
「負けないで」とか「TOMMOROW」が流行った頃って、バブル破裂した後なんだよね。
世間ががんばろうってなってた時期で、はっぱ隊の「YATTA!」とかも記憶にある人多いんじゃないかな。
そのあと、0年代とか言われ始めるわけだけど。
このころになると、「世界に一つだけの花」みたいな流れになっていく。
失われた10年なんて時期に、自身を否定されたような状態になってる人へ向けて「君は大切なんだよ」ってメッセージに変わっていく。
で、今なんだけど・・・
今は、ラブソングが多いね。
これはそう思う。
これが反映してる世相はなんだろうとか、思わないでもないけれど、すでに「夢物語」を求めるステージに移ってしまったのかもね。
ちなみに追記すると、バブル絶頂期はとにかく「金」を匂わせる歌が多かった。
これは作品を批判するとかそういう事を意図してるわけじゃなくて(私もかなり楽しんだ。傑作だと思う)
最終回まで見た結果残った「もやっとした物」をどう取り扱っていいのかよくわからなくて書いてみる、と断った上で。
「魔法少女 まどか☆マギカ」は従来の「魔法少女」という物を一つ一つ壊していくことによって出来上がっている作品だ。
そして壊し尽くしたところに劇的な展開によって「魔法少女」の再構築を見事成し遂げたした作品でもあるだろう。
この破壊と再構築の手法は素晴らしいとしか言いようが無い。多くの人の興味を引きつけネット上に「祭」を呼び寄せたのは放送延期など他の要因はあれど作品自体のクオリティによる所は大きいと信じる。
ところが、その再構築した「魔法少女」というものはまどマギ前にあった「魔法少女」というものでしかない。これを端的に表すのが12話Bパートのほむらとキュゥべえの会話だ。
だとしても証明しようがないよ
君が言うように宇宙のルールが書き換えられてしまったのだとすれば
今の僕らにそれを確かめられる手段なんてないわけだし
最後にたどり着いた世界(それは、本作以前からあった「魔法少女」の世界)からみたらこの作品が12話かけて描いてきたものはオッカムの剃刀によって一刀両断に切り落とす事ができるものであり、その構造は作中でかなり自覚的に表されてる。そしてそれは、これまでの出来事に意味があったのだろうか、という身もふたもない疑問につながってしまう。こんな所にたどり着くために、わざわざ「魔法少女」というものを一旦破壊し尽くす事が必要だったのか、と。
個人的にはそれは否定される事であってちゃんと答え(それは、まどマギ以降の「魔法少女」作品のスタート地点たるような)が用意されていると思ってるんだけど、うまく整理できなくてもやもやしている。どうしたもんだろう。
反原発叩きに精を出してるアカウント、はてなでもツイッターでも結構みるんだけど。
大抵が、原発完全停止なんて馬鹿みたいって話しかしないんだよね。
いやいや、そりゃ馬鹿みたいだろ、いきなり原発全廃したって、どうせ燃料棒は冷やし続けなきゃいけないし、あんまり意味ないんだから。
そこはドヤ顔で主張するとこじゃない。
そんなのに付き合ってると、同じ穴にいる馬鹿に見えるだけだ。
でまぁ、現実路線の話、福島の代わりどうすんの?って聞くと、既存の原発動かして、福島跡地を再利用ってな夢物語で終了。
それも今年いっぱいのエネルギーについては触れようともしないし、下手すれば反原発運動のおかげで電力不足と言い出す始末。
実現可能性の低い事象を持ち出して、それができれば問題解決と嘯いて、できない理由は反対勢力の所為ってか。
原発推進すると、どういうステップでどのくらいの期間で電力供給を安定化できんのって話は、「私の専門じゃない」とか言って答えない。
カタログスペックで見れば、今とまってる原発を動かせば安定化可能と言っていたその口が、東電が「夏は何とかなりそうだ」と発表したとたん、
カタログスペック通りに計画するとか考えられない、インフラはそんな風に動かせないとか言い出すんだぜ?
本当に、問題解決なんてどうでもいい連中が遊んでるだけなんだろうな。
お返事遅くなりました.気が付いたらいろいろ話が展開しているみたいですが,素直に返信.
ちなみに私はアンチ原発派ではなく原発容認派です.なので原発=ダメ=即刻停止という考え方はしておらず,代替できるものがあればそちらに移りたいと考えているだけです.
原子力発電所のリスクなんてあんなもんでしょ。今まで運良く一人残らず目を背けていられたってだけで。
もっとも、仮にあそこに火力発電所が建っていたとしても、重油の流出やら火災やらでやっぱり相応に被害を周囲にお呼びしていただろうし。
「リスクなんてあんなもんでしょ」とのことですが,私が質問した「リスクのコスト」についてはどうでしょう.今回の危機は想定の範囲内であり,原発のコストパフォーマンスを活かして得たお金で万全の補償ができるので誰にも文句は言わせません,壊れた原発は直すだけ,原発はこれまでどおりです.と,考えているなら,「リスクなんてあんなもんでしょ」とのとおりですが,原発推進派?の方々だって,
という具合にリスクのためにかかるコストを高く再計算しているわけですよね?この原発の最大の利点であるコストパフォーマンスについて,推進派さえも再計算が必要と考える状況において(しかもその原因が最大の欠点である原子力の危険性),原発との付き合い方に再考の余地はないのか?と考えるのは決しておかしい話ではないと思いますが.
俺が言いたいのは、
じゃあ仮にずーっと火力発電オンリーだったら、日本は今と同じような繁栄を享受できていたのか?
今から火力発電に切り替えたらそれで全部解決なのか?
だよ。
今回の議論の中で「原発は不要だった.あれがなければ日本はもっと良くなっていた」なんて話をしましたっけ.私はそんな考えは全く持っていませんが,もしそのように受け取れる発言をしていたらすみません.
私が呈した疑義は「今回の状況を見ると,原発の合理性について再考する余地があるのではないか?」そして「太陽光発電と省エネは考慮するに値するものではないか?」です.
電子力発電所が建ち始めた1960年代の専門家の評論とか色々漁ってみるといい。あちこちで散々に議論され尽くされた上で「まあ原子力発電しかねえわな」と関係者達は渋々(一部は喜色満面に)承諾してる。最後まで反対し続けたのは社会党や共産党みたいなコミュニストの狗みたいなのばかり。
えーと,以下の話は1960年代の評論を読まずに書いています.すみません.
1960年代当時の判断を否定したいわけではないです.現実としてこれだけの繁栄を支えたわけですから.戦後15年で原子力を選択したという話ですが,これを聞いた時「そうなのか!」と驚きましたが,良く考えたら戦争突入の理由の一つが油の枯渇なんだから油からの脱却を狙うのは妥当な選択ですね.
そして当時,油以外のエネルギーの選択肢がどれだけあったかというと,太陽光発電の世界初の実用化が1958年,国内初の地熱発電所が1966年,風力発電にいたっては1980年代,ましてや省エネなんて戦後復興時に考える話ではないでしょう.原子力発電を選択するのは合理的な判断だったと思います.
http://solarsystem-history.com/history/his_1958.html
1954年に初めて太陽電池が発明されたものの、当時の太陽電池は大変高価なものでした。そのため現在のように一般家庭で利用できるようなものではなく、特殊な用途に限定して利用されていました。その“特殊な用途”として代表的なものに、人工衛星への電力供給が挙げられます。実は世界で初めて太陽電池が実用化されたのは、人工衛星だったのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%86%B1%E7%99%BA%E9%9B%BB
日本では1919年に海軍中将・山内万寿治が大分県別府で地熱用噴気孔の掘削に成功、これを引き継いだ東京電灯研究所長・太刀川平治が1925年に出力1.12kWの実験発電に成功したのが最初の地熱発電とされる[17]。実用地熱発電所は岩手県八幡平市の松川地熱発電所(日本重化学工業株式会社)が1966年10月8日に運転を開始したのが最初である。
http://www.nedo.go.jp/kankobutsu/foreigninfo/html9908/08229.html
風力発電は、1980年代にアメリカにはじまり、1990年代にはヨーロッパでの開発が大いに進展し、今や、インド、中国でも化石燃料に代わる、環境に無害な有望エネルギーとして大きくとりあげられている。日本では、1980年に試験用の40kWの風車が設置されたのが最初であるが、1980年代から電力会社等での試験・研究がはじまった。
繰り返しになりますが,別にいますぐ原発全部止めろ!なんて言うつもりもないです.上記に挙げた新エネルギーが原発とそっくりそのまま代替可能とも思っていません.しかし,このように1960年代当時には選択肢として存在し得なかったものが増え,そして今回のような事故が起こったた今でも,当時の合理的判断は再考の余地がないのでしょうか?
で,私の意見は太陽光と省エネと言うのは,まぁ一見すると鼻で笑ってしまいそうな話ですが,一考の余地があるのではないかと.以下,それを説明します.
今回の問題は「一カ所集中発電のリスク」と「原子力のリスク」が原因ですよね.で,元増田は前者についてはたくさん原発を造ること,後者についてはより性能のよい原発を造ること,で解決するという案を提案しています.今回のようなトラブルはより良い原発(ひいてはより良いエネルギー供給体制)のために避けては通れない通過点だ,と捉えるのは原発推進戦略としておそらくまっとうだと思います.
これに対する私の反論ですが,私は今回の事故を見て,どう頑張ったところで人の想定の斜め上を行く出来事は起きてしまう,と感じました.よって「原子力のリスクはどう頑張ったって抑えきれない」と考えます.そうであるならば,最悪の事故が起きた時にそれを最小化する戦略しかないので,あちこちに原発を作るという戦略はありえないと考えます.
もちろんこれは「原子力のリスクはどう頑張ったって抑えきれない」という前提のもとに成立しているので,それが解決されれば主張は変わる可能性が大です.あとは「最悪の事故が起きた時にそれを最小化」すればいいので,原子力が漏れても平気などこぞの奥地だとか月に原発を作るならokです.
人里から数キロしか離れていない,しかも津波も地震も台風も来るのが毎度,の土地に原発を作り,しかも旧式とわかってもなお動かし続ける,という現在のやり方はいくらなんでもリスク対策をケチりすぎじゃないかと.
で,一番最初の話に戻ると,太陽光発電と省エネに期待したのは,両者のリスクを持っていないからです.いろいろ言われていますが,やはり太陽光発電は停電時にはそれなりに役立ったようです.
あとビジネス的にも,原発も太陽光も(あと省エネも)日本に強みのある分野で,CO2絡みで注目されている分野ですが,今回の事故は前者には向かい風で後者には追い風です.
「計画停電で使用できない」 太陽光発電、操作周知にメーカー躍起@産経
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110321/biz11032101270000-n1.htm
家庭用の太陽光発電装置は、パワーコンディショナー(パワコン)という装置を使い、太陽電池で発電した直流電流を、家庭で使用できる交流電流に変換している。ただ、パワコンを動かすための電気は、通常、電力会社から送られる系統電力に依存しており、そのままでは日中発電していても、電気が使えない。
使用するためには、家のブレーカーをオフにし、パワコンに付属したコンセントに直接、電化製品の電源コードを差し込む必要があるが、意外に知られていないのが実情だ。
脱原発はまだ夢物語に過ぎないとしても,少なくも現在のエネルギー資源ポートフォリオを組む上で,今回の事故を「大丈夫だ,問題ない」とスルーするのはおかしいのではないか,原発(火力も似たようなもんだけど)が持つリスクとちょうど補完関係に太陽光発電(と省エネ)を現実的手段として考える良いタイミングなのではないか,というのが意見です.
まぁ本音は原発やめろじゃなくて太陽光やろうぜ!だった気もしますね.こうやって整理すると.太陽光について反対派は「割高でしょ」といい賛成派は「回りだしたら安くなる」という.今回の騒動で太陽光発電のコスト以外のメリットが見えたので,これを機にいっちょ太陽光電池にもチャンスを与えてあげていいんじゃないかと.
手間もお金もかかるけど、利益も大きい@産総研 太陽光発電研究センター
http://unit.aist.go.jp/rcpv/ci/about_pv/economics/benefit.html
太陽光発電は現時点では一般的な発電方式よりもまだコストが高いのですが、大量生産を進め、計画的に普及を図ることで十分に安くできると見られています。補助金や電力会社による買取などの助成策は、コスト低減と普及を進める効果があります。開発・普及には大きな費用と相応の年数が必要ですが、化石燃料の輸入と異なり、その費用は国内に大きな経済効果や雇用をもたらします(図2)。先行するドイツなどでは既に普及費用を遙かに上回る経済効果と数万人の雇用を創出し(*2)、これにならって欧州、さらには中東・アジア諸国や米国も積極的な普及に乗り出しています。
あと,当分電力不足が続きそうなわけですが,原発なんてそうそう作れないですよね.一方で太陽光発電は市販のソーラーパネルを買えばすぐに発電所のできあがり.太陽光発電では昼間だけという問題はあるが,ピークはむしろ昼間にあるんだからそれを避けるのには十分貢献するのでは.
どうやって普及させるかという問題も,高速無料化とETC,エコポイントと家電,この辺の事例を思えば補助金うまく使えば可能では.あと気になるのは生産が追いつくかどうかだけど,それこそ元気な西日本で(がんがん電力使って)作って東日本に送ればいい.サンヨーもシャープもパナソニックも西の企業だしちょうどいいのでは.
id:aionarapです.自分のブログがなく,ブコメじゃ情報を書き足りないのでこの場をお借りしました.
“徒弟制度”や修士論文の廃止求める 大学院博士課程で中教審答申 - MSN産経ニュース http://sankei.jp.msn.com/life/news/110131/edc11013122040003-n1.htm
はてなブックマーク - “徒弟制度”や修士論文の廃止求める 大学院博士課程で中教審答申 - MSN産経ニュース http://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/life/news/110131/edc11013122040003-n1.htm
この中教審の答申に関して,ブコメでは否定的な意見が多数,というか肯定意見は皆無ですね.しかし,私個人はある程度この試みに賛成です.あ,先に書いときますが,完全肯定じゃないですけどね.修論は書いたほうがいいし,徒弟制の完全廃止もどうかとは思っています.
じゃぁ何が賛成なのよ,という話ですが,Qualifying Examの導入,及び広い範囲の教育に関してです.これは必須,と私は考えています.この辺りのお話に関するご意見を皆さんに聞いてみたいと思い,当エントリを書くことにしました.
今回の中教審の答申は,博士の現状の問題を反映した意欲的な取り組みに感じる.丸呑みにするには良くない部分もあるが,期待しても良いのではないのか.
さて,そもそもの出発点ですが,博士は「スペシャリスト」でありさえすれば良いのでしょうか?私は否と考えます.博士こそ「ジェネラリスト」にもならねばならない.…と書くと誤解を招きますね.要は専門馬鹿になっちゃいかん,ということです.
勿論,博士課程の人間は自分の専門分野に関して,国際的な第一線に立てるような知識と経験が必須です.一生懸命に自分の研究に取り組む必要があります.ですが,それだけではダメで,最低限隣接領域(まぁ定義が微妙ですが)に関して,可能であればもっと大きな枠組で知識を深めなきゃいけません.科学技術はどんどん煮詰まってきて,先に進むためには学際分野の融合による新しい概念の創出が必要です.それをイノベーションと呼ぶこともあるでしょう.それを生み出すためには,少なくとも2つの分野に関してよくものを知っていないといけません,そうですよね?
テクニシャンとして分野を極めるのもひとつの道かもしれませんが,博士に求められているのはそういうことではないと私は考えています.
加えて,博士が「スペシャリスト」のみを意識していると,博士課程の人材の活用先は研究者,それもかなり狭い分野に限定されます.
ここで,大学院設置基準が定めている博士課程の役割を見てみましょう.昭和49年の時点では,
「専攻分野について,研究者として自立して研究活動を行うに必要な高度の研究能力及びその基礎となる豊かな学識を養うことを目的とする。」
「専攻分野について,研究者として自立して研究活動を行い,又はその他の高度に専門的な業務に従事するに必要な高度の研究能力及びその基礎となる豊かな学識を養うことを目的とする。」
と,敢えて変更を行っています.差分は,
「又はその他の高度に専門的な業務に従事するに必要な高度の研究能力」
「社会の多様化,複雑化等に対応し,博士課程において,大学等の研究者のみならず,社会の多様な方面で活躍し得る高度の能力と豊かな学識を有する人材を養成する必要から明確化」
(以上,http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/05090501/021/003-3.pdfの2ページ目より引用.)
平成元年の時点で,大学院設置基準は博士課程学生に「社会の多様な方面で活躍しうる」人材たることを求めているのです.
「おいおい,博士が研究者にならなくてどうするのよ…」という意見もあるでしょう,それは理解します.ですが,包含関係を取り違えてはいけません.研究者として生きて行けるのは,博士号を取得したうちの一部の人間です.研究者になるのは博士号取得者でしょう.ですが博士号取得者は全員研究者にはなれません.国家として,限られた国庫の中から博士を全て取り込めるほどポストを恒久的につくるのなら別ですけどね….
それに,(ありえませんが)もしそうなったとしても,全員研究者になるのもどうかと思います.一人ひとりが研究テーマを持って,プロジェクトリーダー的な役割を果たしつつ,世界の最先端を突っ走ってきた人間が,その経験と知見を他の分野に持っていくことは非常に意義があるでしょう.ある意味,一人でプロジェクトチームに求められる役割を全て果たす必要があるのですから,その能力は推して知るべしです.是非,社会のあちこちで活躍するべきです.
非常にポピュラーなのは,専門を活かした職業でしょう.企業での研究開発を初めとした「明示的に博士を求めている」職業は多いです.…まぁ敢えて書く必要はないですね.
初等,中等教育の教師もいいでしょう.勿論高専も.起業もいいですね.
そして,本当はその他の「博士が求められていない」と考えられている職業にも行ったほうがいいと思うんです.だって,ずっと知的体力を鍛えてきたわけですから,同年代の博士号非保持者と比較してその辺りは大きくリードしているはずです.
彼ら/彼女らが持っている問題発見能力は,必ずや企業にとって大きな助けになります.
前節の内容に関して,同意して頂けましたでしょうか?して頂けた方も,そうでない方もいらっしゃるでしょう.
でも,同意/非同意にかかわらず,ほとんどの人は「夢物語乙!www」という感想を抱くのではないでしょうか.いえ,私もそう思います.
例えば,id:scicom 氏の快著,「博士漂流時代「余った博士」はどうなるか?」(http://goo.gl/Pd0ls amazonへのリンク)には現状の博士号取得者,特にポストドクター(PD)の状況が整理されています.
簡潔に言えば,現状は散々たる物です.企業は博士号に魅力を感じていません.これは伝聞ですが,採用担当者は「博士は当たり外れが大きい」と感じているようです.ハズレを引くリスクを恐れて採用を控えるそうです.
そもそも,皆さん,博士号をとっている人間が「最低限」「共通して」何を出来るか,分かりますか?
言い換えると,博士号が担保しているものは何か,知っていますか,ということです.
特に,博士課程では,①学生に特筆すべき顕著な研究業績を求める大学院もあるなど,博士の学位が如何なる能力を保証するものであるかについての共通認識が確立されていないこと,②博士課程(後期)の教育が,個々の担当教員がそれぞれの研究室等で行う研究活動を通じたものにとどまり,学位プログラムの整備という観点から不十分であること,③大学と産業界等との間において,大学院が養成する人材像と産業界等の評価や期待に関する認識の共有が十分でなく,修了者が産業界等の社会の様々な分野で活躍する多様なキャリアパスが十分に開かれているとは言えないこと,といった問題点が見られる
(http://goo.gl/Jq0LU, pdfファイル,5ページ目)
文科省は,博士号が担保するものに関する共通理解は無い,と述べています.また,教育の質もバラけていることを指摘しており,このことも共通理解の妨げになるかと思います.
個人的には,博士号は「専門知識」と「プロジェクト(研究)遂行能力」は担保していると思います.…が,サンプル数が少ないので断言はできません.
この「一般的な博士像の不存在」が,世間一般への博士の浸透を妨げていることは想像に難くありません.
当の本人たる博士号取得者は活躍の場が減る,すなわちたつきの道の選択肢が減ります.
納税者の皆さんは,せっかくお金をつぎ込んで育てた人材が有効に活かされず,「税金の無駄だ!」と感じるかもしれません.
後進の学生は,この惨状を見て博士に進まなくなります(というかそうなってます).
こうして,本丸たるアカデミックの世界ごとジリジリと衰弱し,…あとは言わずもがな.
勿論,「これさえやれば万事解決!」みたいな簡単な処方箋はないでしょう.でも,チャレンジは出来ます.
私は,そのチャレンジの一環が今回の中教審の答申だったのではないか,と考えています.(というか資料はそれを物語っています)
専門の知識だけではなく,基礎知識や計画力,語学力,倫理観などもちゃんと持っていることをQualifying Examで保証しましょう.
どこに放り出しても生きて行けるほど強くするために,総合的な教育もちゃんとしましょう.
そういった取り組みが,今回の答申の意図ではないのでしょうか.
この新課程を出た博士がその有用性をアピール出来れば,在野の博士号取得者にもスポットが当たり始めるでしょう.
さて,ここで,「大学院に進んでまで人に教育を受けるとかwww自分で学べよそれぐらいwww」という気持ちになる人もいるかもしれません.
正直,私も「それぐらいじぶんでするわい」と思ってたりします.
でも,主眼はやっぱり「質の保証」なんだと思います.ちゃんと大学院は「最低限」「共通して」一定の能力を持った博士を輩出しますよ,という保証.
さぁ,経営者の皆さん,安心して共同事業を博士が経営するベンチャーと行って下さい.
さぁ,保護者の皆さん,安心して博士の教員を迎え入れてください.
そういう事を,皆が自信を持って主張できるように,ということでしょう.
ええ,上記の効果を狙ったとしても,逆効果になる部分もあるでしょう.
徒弟制を完全廃止すると,一本軸の通った研究ができなくなって,結果として「スペシャリスト」にもなれなくなります.
(念の為に再度主張しますが,博士は「スペシャリスト」の能力を最低限備えてなければなりません,と考えています)
博士課程に進学希望の学生が修士論文書かないと修士/博士の間のフレキシビリティを損なうことになります.
なので,細かい部分は考える必要があるでしょう.
でも,今回みたいに,現在抱えている問題に対してちゃんとコミットメントしたということで,私は文科省をちょっと見直しました.
というかなんか雰囲気で「お役人は肝心なことに取り組まない」みたいな思い込みがあったのですが,やっぱりそんなこともないよなぁ,と思いました.
なんせ,前述の「博士漂流時代」を読んで気になったことを調べ始めたら,殆ど中教審の資料にまとめられていたのですから.
さて,長くなりましたが,これにて本エントリはお終いです.お付き合い下さり誠にありがとうございます.
http://d.hatena.ne.jp/chnpk/20101222/1292945197
常連客にはいくつかの派閥があり、派閥内にはリーダー的な人もいるのだそうだ。そして、同じ派閥の中では、その日勝った人が派閥の仲間にコーヒーを振る舞うなど、頻繁にコミュニケーションの機会が持たれ、今日は誰が来ていて何回当たったとか、来てない人はどこそこに行っているとか、そういう話をのべつ幕なしにしているのだそうだ。要するに学校の教室と同じである。
専業主婦のように学校を卒業したあと仕事をしていない人や、仕事はしていたとしても例えばトラックの運転手のように他人と接する機会があまり多くない仕事に就いている人は、学校や会社のような特定のコミュニティに属して日々を過ごすという経験に乏しい。そしてそれはおそらくとても寂しいことだと思う。だから多くの人はパチンコに行くのではないか。パチンコのように結果が定量的に把握できるゲームは、コミュニティの軸として非常に優れていると思う。
まぁこういう意見は多いと思うの。
ちなみにこのちゅんぷくという人はエンドルフィン欠乏症だと思うの。
誰かによく思われたくて、よく池田信夫DISを繰り返しては相手にする価値のない意見として無視されることが多く打率が低い。
こういう人はあんまりギャンブルには向いてないからギャンブルの話をするのもやめたほうがいいと思うの。
今回も微妙。
「都条例規制派をバカにしながらタバコやパチンカスに対しては同様の頭悪さを発揮しているやつ」を煽りたくて書いてるだけの記事っぽいから都条例ネタで言うと、
反対の理由に「俺とか俺の周りの人間は自制できるから(全体も)問題ない」という論理を使うくらい馬鹿げた話なんだけどね。
というか、もっと悲惨な実例あげたらどうするつもりなのか。
HENTAIどもにしてもパチンカスにしても、やはり、こういう論法を使うのはバカのやることではないか?
HENTAI相手で示されたように、1でも疑わしきものがあったら100すべてを規制しないと気が済まない国みたいだからなぁ。
正直ね、上記引用くらいのハマリ具合の人はまぁ問題ない思うよ。
で、こういう話聞いたらパチンコについても和やかなイメージが想起されるのかもしれないね。
でもさ、これって「自制出来てるHENTAIども」の話に過ぎないよね。
暇つぶしに韓流ドラマとかと同じような使い方をしてるようなやつだけだと思うの。
問題になってないところを「ね?問題ないでしょう?」って言われてもなぁ。
ワンピースを出してきて都条例に反対するくらい頭悪いと思うのよね。
パチンカスにおけるコミュニティ要素は明確なピラミッド構造になってる。
そこに触れなかったのはやっぱり同じような構造のピラミッド持ってる金融業界かばってるの?
どっちかというとパチンコのイメージはこれとかネットワークビジネスに近いんだよね。
http://blog.livedoor.jp/funkasoku/archives/1988808.html
まとめどうしでスカイプやってオフ会とかやってるのは知ってたけど 凄い気持ち悪いよなあれ
俺もかなり昔作った事あったが、そういう横のつながりでアクセス稼いでるの知って速攻で辞めた
おっさんがやってる奴多いと思ってたけどみんなガキだったし
パチンコはギャンブルだという認識はいい加減捨てたほうがいいよ。
パチスロ・スロットはもう完全に情報であって、あれはプロのお仕事。
情報持ってるのは若い店員さんですから、第二新卒とかおよびでないし、30代すぎたおっさんに生きる道なんてないよ。
こういう希少でしかもすぐ失われるものを取り合う業界で、和気あいあい?
こういう構造では必然的に下流食いが発生するのってご自身の業界でご存知ですよね?
で、底辺でもなんとか食っていけるという優遇されすぎな業界なら自業自得とかぬるいこと言ってられるのかもしれないけど
トップくらすがようやく年収600万~1000万って世界で自業自得とか言ってたら死人続出ですよね?
無知なやつは人生を破壊され、自覚的なやつは分かっていても歯車にならざるを得ない世界がコミュニテイ?
ちょっとソーシャルゲームで友達つくろうってのと同じくらいゆるいコミュニティの定義ですよね。
あとさ、ちょっと考えてもらえばわかると思うけれど上記記事の