はてなキーワード: シュリとは
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170724-00010000-sippo-life
なるほどスコ猫は優性遺伝形質を持つので,繁殖には注意を要するだろう。イギリスでは実際に繁殖が禁止されている。ひろく動物愛護の観点から見れば,惨いと思うのは当然の感情だ。だが「かわいそう"だから"やめろ」と批判する論調には,若干の疑問を覚える。感情に訴えた煽情的な言い回しについては,詭弁ではないかとも感じる。
スコティッシュフォールドは自然発生した突然変異の猫を,1960年代に発展・固定した品種である。耳を折れ曲がる遺伝子変異をホモで持つ猫は耳折れ(いわゆるスコ猫)となり,ヘテロでは立ち耳となる。ホモ,ヘテロいずれにおいても(時期の差はあれ)宿命的関節炎を呈する。この変異遺伝子は特定されており,人間において関節炎を呈するものと同じと見なせるのだという。病気の個体をかわいがっているのである。猫当人(当猫?)にとってはたまったものではなかろう。ダックスフンドやパグなどもそうだ。悪趣味である。本当に,人間は,業が深い。
ところでブロイラーという鶏がいる。代表的な肉鶏で,日本では毎年数億羽が出荷されている。
>> ブロイラーは徹底した育種改良の研究により、過去50年間で、成長率が1日25gから100gへとあがっている。自然界の鶏は成鶏に達するのに4〜5か月かかるところをブロイラーは40〜50日で成鶏に達する。その急激な成長によりブロイラーの30%近くは体を支えることが難しく歩行困難となり、3%はほとんど歩行不能となっている。心臓にも負担がかかり、100羽に1羽は心臓疾患で死亡する。(Wikibedeiaより) <<
あるいはピンポンパールと呼ばれる金魚がいる。丸々と太った短い尾の金魚で,泳ぐのが極めてへたくそである(そこがかわいいので人気だ)。チンシュリンという品種の金魚から,より短尾で丸手な個体を選別交配して生まれた。これに限らず,金魚は異形のオンパレードだ。
猫の先天性奇形や動物実験などに比べて,これらがネットで話題になることは少ない。家猫や犬は大事にされているほうだと思われる。それは彼らが人間の私生活と深くかかわりあってきたからである。繁殖に幾度も手を加えられ,人間にとって「かわいい」「便利」と認識されるような形質が固定化された。
結局のところ全ては人間のエゴなのである。この手の話題になると必ず,猫を飼いたいならペットショップではなく保護猫を,という意見が登場するが,わたしはこの意見が好きではない。違和感を感じる。その辺を突き詰め始めたら,そもそも愛玩目的で動物など飼育するべきではない(愛玩ではなく家族,などという考え方は個人的には想像の埒外なので納得できない)。愛玩動物も産業動物も,人間が人間のために動物を利用しているのである。
もちろん,薄利多売を目的とした無責任な繁殖業者を擁護したいわけではない。それらは当然批判されるべきで,専門性の高いブリーダーが繁殖を行うべきだ。そして供給というのは需要のあるところに生まれるので,飼育者側の倫理感も重要である。そしてイオンで鰻丼を買って食べなければ鰻の絶滅が遠のくわけじゃない(水産庁による介入が必須)ように,本件についても結局のところ行政による介入が必要であろう。思うに犬猫はもはや市場が大きすぎる。そのためには地道なロビー活動が必要だ。それはわかる。
でも,人間が人間のために生き物を飼育しているという大前提から目をそらし,「猫がかわいそう」などというきれいな言葉で大衆を扇動する。そういうやり方に関しては,詭弁を感じるので,わたしは不快感を覚える。
病気の猫をかわいがってもそれが人間の業だと思う。我々がすべきことは,その種が他種と不用意に交雑せぬよう適切な管理下で飼育していくことではないだろうか。持続可能なペット社会。それがひいては人間のためである。決して猫のためではない。
現代ライトノベルの価値観から言えば「ブギーポップは笑わない」「ロードス島伝説」「イリヤの空、UFOの夏」などを挙げたい。
まずブギーポップは作品の評価そのものは一段落ちるが、当時ファンタジー全盛の商業文学ジュブナイル業界においてこのような作品が許される、という前例をぶち上げた点として小説そのものと電撃文庫合わせて評価されるべき作品として推薦できる。奈須きのこや西尾維新が打って出る決心に影響を与えた功績もある。
次にロードス島伝説。ロードス島“戦記”ではなく“伝説”である。よく名作として戦記が挙げられるし、お題としては知名度の観点から戦記の方が適切かもしれない。しかし今一度読み直せばその評価が思い出補正に過ぎないことは明確だ。そしてその思い出は伝説で具現化されている。完成度の高いファンタジー小説の一角として推薦した。
最後にイリヤであるが、青春小説として読後感もよく、完結作品として非常によくまとまっている。ただ感性が若く豊かでなければ素直に評価しづらいという部分はあるのは否めない。中学生までに読むことができたかどうかで評価が別れる(個人の感想です)僕は中学生の時に読めて幸せです。
そして「ソードアート・オンライン」
これは間違いなく、誰もが認める名作扱いしてもよいだろう。だがちょっと待ってほしい。この作品はライトノベルか?
別に定義論争をシたいわけではない。僕は「あなたがそうだと思うものがライトノベルです」派だ。その立場から言わせてもらう。
SAOはWEB小説です。異論は認める。WEB小説としては「無職転生」に並ぶ誰もが認める名作だろう。だが断じてライトノベルではないのだ。これだけは主張したかった。
次点として「銀河英雄伝説」「デルフィニア戦記」といった有名作品、ややお題からずれるところとして「星の大地(冴木忍)」「傾物語(西尾維新)」「帝国の娘(須賀しのぶ)」「聖刻シリーズ(千葉暁)」「とある飛空士への追憶(犬村小六)」「ROOM NO.1301(新井輝)」など推薦したい。
またライトノベルとWEB小説は別の文化であるということを踏まえた上で、WEB小説側としては「ソードアート・オンライン」「無職転生」「本好きの下剋上」、次点として「異世界迷宮の最深部を目指そう」「レジェンド・オブ・イシュリーン」を挙げたい。
グレンデルって漫画とレディ&オールドマンって漫画を読んだ。久々の感想文です。
グレンデルは中世っぽいファンタジー世界の話で、一巻だけしか刊行されていないんだけど、物語の広がり方に期待が持てる作品だった。何かしら、世界の裏に潜む真相が見え隠れする物語って読んでいて楽しい。獣人や亜人の存在や、森の怪物やゴーレムや魔法みたいな、ありがちなファンタジー要素を網羅しつつも、様々な人物や団体の多種多様な思惑が張り巡らされている感じがびんびん伝わってきて、読んでからとても満足できた。展開が早いのも素敵。濃密な漫画体験を得られる作品だと思う。
また、主人公の女性騎士が独特な性格をしているのも面白い。重い罪を犯して死か使命を果たすかを選ばされる人物なんだけど、大体こういった場合その罪事態は止むに止まれず犯している場合が多いと思う。けれどこの主人公は自ら率先して仕えていた主君を見殺しにしている。自分が生き残るために可能性の高い方を選んだわけだけど、こういった我の強い(そしてとてつもなく強い)主人公をよく主役に抜擢したと思う。シュトヘルなんかも似てるっちゃあ似てるんだけど、結構早い段階でユルールと和解してる描写があるのがこの作品と違うところかな。
異形の者と人との二人連れって作風は結構多いけど、ちょっと毛色が違う作品が出てきたなあって感じ。海外ファンタジー小説にありそうな世界観がとても良いです。
もうひとつのレディ&オールドマンはシュリーがひたすら可愛らしい漫画だった。もちろん内容もしっかりあるんだけど、兎にも角にもシュリーが可愛らしかったということを声を大にして主張したい。
オノ・ナツメの漫画って、いままで大体主役が男性だったから余計にシュリーが可愛らしく見えた。ウルトラジャンプに掲載されてるらしいから、もちろん読者層を慮っての絵柄なんだろうけど、本当に、本当にかわいい。いつも目がキラキラしてるし、はにかんだ表情とかもう素晴らしいの一言。
内容としてはどうやら不老不死っぽい相棒のロブ(この人物もどこかぬけているし憎めないし、愛着が湧く)と共に、昔父親が営んでいた運び屋の仕事をシュリーが始めていくっていうストーリーなんだけど、それだけじゃない独特の味わいが出ている作品だった。コマ割りとか台詞わましとか。時代設定もいいと思う。1960年台とロサンゼルス。60年代の気風が見えてくるかどうかと言われるとよく分からないんだけど、ところどころで瀟洒な雰囲気が漂ってくるのが素敵だった。絵だけで魅せる漫画はやっぱり格好いいと思う。
さておき、ゼノンコミックスってどんな読者層をターゲットにしてるのかなあってふと思った。女性向けっぽいのかしらん。ビームコミックスやヒバナなんかと同じで、個人的に最近購買してしまう出版社です。
しかしながら最近は漫画まで積読本が増えてきてしまった。困った。小説だけで二百冊くらいあるのに。困った。ヒーロークリッカー、何も考えずに遊べるから楽だし面白いし辞め時がないんだもの。
きょうもえhttp://kyoumoe.hatenablog.com/のウイッシュリストに載ってるしそれ買ってくれたらいいよ
http://anond.hatelabo.jp/20150126171604
シリア内戦で亡くなった欧米の記者のうち経歴が見られる人の場合
http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_journalists_killed_during_the_Syrian_Civil_War
メリー·コルビン 米 http://en.wikipedia.org/wiki/Marie_Colvin
リチャード·エンゲル 米 http://en.wikipedia.org/wiki/Richard_Engel
アンソニー·シャディッド 米 http://en.wikipedia.org/wiki/Anthony_Shadid
ジル・ジャキエ 仏 http://en.wikipedia.org/wiki/Gilles_Jacquier
ジェームズ·フォーリー 米 http://en.wikipedia.org/wiki/James_Wright_Foley
http://jp.wsj.com/articles/SB10001424052970203403704580104791021448612
スティーブン·ソトロフ 米・イスラエル http://en.wikipedia.org/wiki/Steven_Joel_Sotloff
レミ・オシュリク 仏 http://en.wikipedia.org/wiki/Remi_Ochlik
以上の7人には軍歴の記述は無い、徴兵制のある国の場合はわざわざ書いてない可能性もあるだろうが
軍歴があるのが
Yves_Debay ベルギー・仏 (ベルギー軍)http://en.wikipedia.org/wiki/Yves_Debay
ポール·コンロイ 英 (英軍)http://en.wikipedia.org/wiki/Paul_Conroy_%28journalist%29 この人は負傷
「男は男を、女は女を好きになるのがふつう」
男と女の関係なんて信じられない。世界を「逆転」させた映画が全米で話題 http://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20140730/E1406650835497.html
現在、日本語字幕付き版が8/1までスターチャンネルのwebサイトで限定公開されている。以下あらすじ、及び結末に触れるため、未見の方は取り急ぎ見てみてほしい。
この作品では「全世界の標準が同性愛者である」「異性愛者は異端として迫害される」といった世界を描き出し、
つまり既存の価値観をただ単純に逆転することによって同性愛者へ進行形で行われている差別の残酷さを浮き彫りにしている。
同じつくりをした作品としては最近ではアバター然り、第9地区然り。
主にSF映画にありがちな、最初から”価値観の逆転”を前提とした舞台設定のもとに広げられる、
異端である『異性愛者(=ブリーダー)』の少女・アシュリーは作中で、周りと異なり異性を愛してしまう自分に気が付く。
ふとした一言からそれが周囲に知られることになり、彼女はクラスメイトにとって侮蔑の対象と変わる。友を失い、得かけていたパートナーから拒絶され、
親族の理解も得られない。周囲すべてが自分を認めないことに耐え切れず自死を選ぶ。
作中にむごたらしく描かれる差別・暴力行為。迫害といっていいそれらは、すべて現実の同性愛者自身の体験を元にしたものだという。
作品の大半を占めるそれらは具体的に、執拗に描かれる。からかいと嘲笑。止まない蹴り。メール、ネットを利用した侮辱、名誉の棄損。
そのすべてがアシュリーの視点に切り取られ、悪と偏見に満ちた不快なものとして視聴者に与えられる。
彼女は誰からも理解されることなくその命を散らす。「異性愛者は地獄に落ちる」と神に明言されながら。
昨晩妹とこれを見て、浮かんだ疑問はふたり共通していた。
それは「ここまで惨たらしく暴力を描くのならば、そもそも同性愛者・異性愛者を逆転する意味がどこにもない」というものだ。
たとえば作中世界が異性愛者が大多数というこの世界と地続きのものであり、アシュリーが異端としての同性愛者であったとしても、
リアリティが付加された暴力に基づく「差別はいけない」という強烈なメッセージを与えられるところまで、
更にいえば、余分な設定がなくなることでプラスになる効果も当然生まれる。
たとえば映画中、男女が言葉を交わすシーンが幾つか登場する。当然彼らはアシュリーを異端視する側、つまり同性愛者である。
観賞中、彼らの会話が発生するたび「こいつらはどういう関係なんだ?」「それはタブーなんじゃないのか?」と幾度も首をひねってしまった。
アシュリーが異性と手を繋いでいたことがもとで差別を行っていたある女のキャラクターが、アシュリーを捕まえるべく共に駆けだすシーンなども同様だ。
ではなぜ、わざわざこのような設定を使ってまで世界を置き換える必要があったのか。
話題性か? それもあるだろう。突飛な設定は当然大きな観賞動機に成りうる。この設定の上でどのような物語を展開するのだろうか?と。
だが「同性愛者が当然の世界で、異性愛者となった少女」という設定を聞けば、「ああ、同性愛者への差別を見せたいんだな」とすぐに気付いてしまうはずだ。
ゆえにそれは強い動機とは成り得ない。
では何のための世界かといえば、何のことはない。攻撃のためだ。
作品中、暴力は極めて陰惨に、かつ念入りに描かれる。ほぼすべてのシーンがアシュリーへの迫害であるのだから、それは当然のことだ。
ここまであからさまに不条理な痛みを伝え、かつ死をもって閉じることで物語を「年若き美少女の悲劇」として完成することで生まれるメッセージ性とは何かといえば、
「お前たちはこれだけひどいことをしている」
「お前たちの不理解がわたしたちを苦しめる」
いまここにある現実に対する、問いを投げかけることのない一方的な罵倒。
映画の中、それによって苦しめられていたのはほかでもないアシュリーではないか?
確かにこの映画は、「STOP!同性愛者差別!」といった、何の実情も伴わない、くだらないフレーズの印刷された、
男同士、女同士が手を繋ぎ抱き合うポスターよりも数万倍も意義のある作品だ。
だがこうした喚起映像が「ただしい」のだとすれば、その最終的なかたちは、
視聴者の顔をモデリングした俳優が理由もない暴力に絶え間なく晒され続ける映像を見せ続けるものになるはずだ。
確かにおぞましいインパクトを残すことだろう。見た者の考えも変わるかもしれない。が、そこに相互理解が生まれることは決してないはずだ。
それは互いの喉元に刃物を押しつけ合うことと何の違いがあるんだ?
まあ気持ちはわかるよ
だけどお前があんまり気にすることではない
本気で学問したい奴は
そこで本当の学問を始めると思うんだ
そして本当に学問をしたい奴は
考えつづけているだろうと思う
http://en.wikipedia.org/wiki/Srinivasa_Ramanujan
研究の深さと広がりは格段に大きくなるだろうね
お前らが入ってきた枠の外側に
本当に学問したい奴が押し出されてたらと思うとやりきれなくなる。
切込隊長のブログ記事「なんかエコ活動とかやってる奴がいるけどさ」に、ブクマを見るとほぼ全面支持なのに驚いたのでちょっと書いてみる。「エコ」がこれほど不人気となると正直、日本や人類の未来は暗いと思わざるを得ないからだ。またその一方で、そうなるのも仕方がないのかなと諦観する気持ちもある。理由は、グリーンピースをはじめとする「環境保護団体」には確かに、隊長が指摘するような非合理性と偽善性がつきまとっており、一般人が不信感を抱いて当然だからだ。
なお、私は環境問題の専門家ではなく、市井の理工系の人間に過ぎない。ただ、多少の科学知識があればこの程度のことはわかるはずだということを示すためにこの記事を書いている。
隊長曰く、
なんかみんな、エコバッグ持ってたり、スタバとか逝ってマイカップ持ち込んで飲んでたり、してるけどさ。
本当にエコとか考えてるなら、風呂の回数減らせよ。一日おきでいいだろ。ドライヤーも使うなって話だ。マイカーでぶんぶん通勤してる奴が、得意げになって使用済み天ぷら油の再利用とか言ってて馬鹿なんだろうかと思う。
これは全くその通りと言わざるを得ない。ここでは話を単純化してCO2の削減についてのみ考えることにすると、生活の中でCO2を直接的・間接的に最も排出しているのは自動車と光熱費(特にエアコン)であるのは余りにも明らかなのだ。CO2は基本的に炭素を含むものを燃やしてエネルギーを取り出したときに排出される。そして、物理を少し学んだことがあれば自明のことなのだが、日常生活の中ではものを動かしたり熱したりというのが圧倒的にたくさんエネルギーを使うことなのだ。そして、50kgぐらいの人間1人を動かすために、1tぐらいの乗り物を使い、そしてゴムタイヤでアスファルトの上を走る自家用車というものがいかに、たとえば鉄道と比べればエネルギー効率が悪いかは明らかなわけで、エコバッグとかマイカップとかをやっていても車通勤をしているだけでおつりが来るぐらいのCO2を排出することになる。
つまり、個々人が「忍び難きを忍び、堪え難きを堪え」るような「エコ」活動は自己満足以外の意味はほとんどないのだ。
では、本当の「エコ」とはなにか。上に書いたことからおわかりだろうが、エアコンや冷蔵庫を高効率のものに買い換えさせ、人間やものが移動する必要を減らしつつ、できるだけ自動車に依存しないように路面電車の整備や業務のIT化を進めていくといった社会構造の改革をするほかない。同時に、エネルギー源をできるだけ化石燃料に依存しないように、その方面での技術開発も進めていくことだ。
要するに、「エコ」とはどこまでも今後のエネルギー・資源戦略の話であり、マクロ経済、都市工学、そしてエネルギー工学といった堅い分野の成果を積み上げていく話なのだ。本質的に、「忍び難きを忍び、堪え難きを堪え」たり、経済成長を否定したり、科学技術を悪と糾弾したりするような話ではない。
ちなみについでに言うと、温暖化CO2原因論に対する懐疑論も跋扈している(どういうわけか、池田信夫氏を筆頭にラディカルなリバタリアンは判をついたようにそうなのだが)が、化石燃料の枯渇を見据えればどのみち取らねばならない対策は同じである。だからそのことは考えなくてよい。
もう一つ、隊長の書いている
「環境を考えて、太陽電池パネルをつけました」とかさ。太陽電池パネルを生産するのにまず二酸化炭素やエネルギーロスがかかるっつーの。
はよくある誤解で、最近では太陽電池では余裕でエネルギーの元が取れるようになっている。
ではなぜ、このような誤った「エコ」のイメージとそれにたいする反感がここまで広まってしまったのか。それは、グリーンピースに代表される環境保護団体の姿を考えてみるとわかりやすい。彼らの中には菜食主義、呆れるほど不合理な反捕鯨運動、経済成長や科学技術や物質文明への否定的評価、そしてオカルトじみた「スピリチュアル」といったイデオロギーへの親和性が強く見受けられる。これは本来、上に述べたように「エコ」と必然的な結びつきはどこにもない。にもかかわらず、世間では「エコ」というと、もっぱらこうした偽善的で胡散臭い印象ばかりがはびこってしまっている。これはなぜなのか。
答えを書いてしまうと、これは近代現代欧米に特徴的な「ニューエイジ」と呼ばれるある種の疑似宗教的社会運動の産物なのだ。ダーウィンの進化論などの影響によりキリスト教的思想基盤が揺らいだ後、既存の価値観を否定し、オルタナティブを「東洋」に求める動きが西洋社会には発達した。それが「ニューエイジ」なのだ。西洋にはなぜか、日本のあらゆる事物を「禅」に結びつけ、むやみやたらと親日的な人(それでいて捕鯨のこととなると途端に北朝鮮まがいの反日戦士になる)が多いが、これも一つには「ニューエイジ」の影響である(日本がそれを利用した面も多分にある)。このほか、北京オリンピックへの反対運動の旗印がなぜ「チベット解放」ばかりで「ウイグル解放」ではなかったか、本質的に同じ宗教の分派であるイスラム教があれほど嫌われる一方で紛れもない異教徒であるダライ=ラマがなぜあれほど尊敬されるのか、そういったことにもこの「ニューエイジ」が背景にある。そしてついでに言えば、オウム真理教とか船井幸雄とかはたまた「水からの伝言」といった訳のわからないものは、日本にこうした「ニューエイジ」が「逆輸入」された結果であるといっても間違いではない(早い話、オウム真理教が伝統的な漢訳の仏教用語ではなくサンスクリット語やパーリ語をカタカナ書きした用語を使っていたのはこのためだ。これが「阿吽真理教」であったり、ホーリーネームが「マイトレーヤ」や「マンジュシュリー」ではなく「弥勒」や「文殊」だったらあれほど信者を集めたかどうか想像してみるとよい。オウムは仏教の原理主義でありつつ、伝統回帰ではなく伝統否定なのだ)。
少し脱線気味になったが、要するに「エコ」を敵視している人は戦う相手を間違えているのである。グリーンピースをはじめとする「ニューエイジ」運動がキモいことには何の疑いもない。ああいう偽善的かつカルト的なものは叩いておくべきだと私も思う。しかし、「エコ」全体を一緒くたに攻撃するのは誤爆もよいところなのだ。
鳩山内閣のエコ政策が嫌悪されたのはこう見ると当然の話だ。鳩山氏の「いのちを守りたい」というエコ政策は、本物の「エコ」のような国家戦略ではなく、もっとナイーブな感情に端を発していて説得力がまるでなかったからだ。鳩山夫人のオカルト嗜好ともども、これも「ニューエイジ」の影響の産物である面が多分にあり、国民が偽善臭を嗅ぎ取ったのはおそらく当たっている。
しかし、エコは本来国家戦略であり、未来にわたる豊かな生活を保つために不可欠である一方で、日本の国益にも繋がる可能性をも秘めているのだ。上に述べたように「エコ」のためには重工業の技術力が強く求められるのだが、これは日本の得意分野であって、中国や韓国といった新興国に対して優位を比較的強く持っている分野でもある。同様の事情を抱える独仏が「エコ」に梶を切り、オバマも「グリーン・ニューディール」を提唱しようとしているのはこのためなのだ。日本政府がこの方面に消極的なのは、重電産業に身を置くものとして実に歯痒いものがある。どうか、もっと事実を冷静に理解し、お涙頂戴物語としてではなく国家戦略としての硬派な「エコ」の推進の世論の形成に手助けをしてくれる人が一人でも増えて欲しいものだ。
1.「限りなく透明に近いブルー」 村上龍
5.「国のない男」 カート・ヴォネガット
7.「夢渓筆談」 沈活
8.「神は妄想である―宗教との決別」 リチャード・ドーキンス
11.「冬の夜ひとりの旅人が」 イタロ・カルヴィーノ
12.「高い城の男」 フィリップ・K・ディック
13.「しあわせの理由」 グレッグ・イーガン
16.「きつねものがたり」 ヨセフ・ラダ
20.「フェルマータ」 ニコルソン・ベイカー
21.「四十七人目の男」 S・ハンター
22.「逆転世界」 クリストファー・プリースト
24.「謎の女」 福田恆存
28.「神秘の島~ミステリアスアイランド~」 J・ヴェルヌ
29.「連射王」 川上稔
34.「ほとんど無害」 ダグラス・アダムス
35.「黄落」 佐江 衆一
38.「リレイヤーⅢ」 鴻上 尚史
39.「糞尿大全」 柳内伸作
40.「十六の話」 司馬遼太郎
45.「穴」 ルイス・サッカー
46.「宇宙の戦士」 ロバート・A・ハインライン
47.「ギャシュリークラムのちびっ子たち」 エドワード・ゴーリー
50.「伊平次とわらわ」 坂田靖子
51.「食肉の帝王―巨富をつかんだ男 浅田満」 溝口敦
52.「だれも知らない小さな国」 佐藤さとる
55.「楽園の知恵」 牧野修
56.「鳩どもの家」 中上健次
57.「古事記」 倉野憲司
60.「魔獣戦士ルナ・ヴァルガー」 秋津透
66.「モルグ街の殺人」 エドガー・アラン・ポー
67.「世界の中心で、愛をさけぶ」 片山恭一
69.「百頭女」 M・エルンスト
74.「不可能性の時代」 大澤真幸
79.「他人をほめる人、けなす人」 フランチェスコ・アルベローニ
80.「星虫」 岩本隆雄
83.「おとなもブルブルようかい話」 木暮正夫
84.「ヨーロッパ文学講義」 ウラジミール・ナボコフ
85.「サマー/タイム/トラベラー」 新城カズマ
87.「死の蔵書」 ジョン・ダニング
88.「死のロングウォーク」 リチャード・バックマン
91.「フロイト先生のウソ」 ロルフ・ゲーデン
92.「ライ麦畑でつかまえて」 J・D・サリンジャー/野崎孝訳
94.「針の上で天使は何人踊れるか」 ダレン・オルドリッジ
95.「歴史」(上・中・下) ヘロドトス
97.「愛はさだめ、さだめは死」 ジェイムズ・ディプトリー・ジュニア
98.「幾千の夜を越えて」 神月摩由璃
100.「アルジャーノンに花束を」 ダニエル・キイス
この人たちが将来選挙に立候補したら今日の日のことを思い出そう。
長野聖火リレー 2008.04.26 8:26-12:30 曇・小雨 気温10.1℃
走者のリスト(80名中64名:50音順)
アシュリー・ヘイズ, 阿部可菜子, 新井美貴子, 荒家遼太郎, 有森裕子, 板倉敏和,一橋忠之, 大槻計典, 大野豊, 岡崎朋美, 荻原健司, 北島康介, 窪田里江, 久保田寛, 黒岩隆, 黒山こずえ, 越和宏, 小林和幸, 小林恵子, 小林光一, 酒井登, 佐藤政子, 清水和江, 清水正洋, 末續慎吾, 杉山侑, 高橋准一, 高橋揚子, 高見澤靖,滝澤明美, 竹田恆和, 竹内忠雄, 竹内愛国, 玉井秀樹, 千葉真子, 勅使川原郁恵,寺島美千代, 中原里実, 中山翔太, 西澤弘子, 野口みずき, 萩本欽一, 橋本聖子,林理恵, 林衛, 早田卓次, 福原愛, 藤澤純, 星野仙一, 細川佳代子, 堀内拓也, 松岡修造, 松本賢一郎, 丸山佳織, 丸山博明, 三澤拓, 皆川賢太郎, 宮尾啓子, 宮下智成, 宮林侑梨, 矢田雅子, 山岸重治, 雪入忠司, 吉田沙保里
辞退:青山祐子
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/news/1205255797/
Amazonほしい物リスト、個人情報漏れまくりで祭に発展|デジマガネット
このサービス、名前とメールアドレスのどちらかで検索することができるのだが、
このメールアドレスが曲者だ。率直に言おう。メールアドレスが分かれば
その人の本名を知ることができるのだ。
で、アフィとか貼ってるひとはアカウントからメルアドがばれて購入履歴がばれるに発展してるっぽ。
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/news/1205262805/1-100
これお届け先登録してあれば、その人のほしいものリストから商品をカートに入れると
あて先を登録した住所にできて、購入の最終確認までいけば住所確認できるぞ。
そんなわけでウイッシュリスト。あとはよろしく。
俺の購入履歴は素敵なほどまじめだ。
AmazonOK!
↓
伝説になったな。
[一万時間][努力][天才][反復][質より量][閾値][九九]
Genius is 1% inspiration, and 99% perspiration.
Thomas Alva Edison
イチローに学ぶ「天才」と言われる人間の共通点 - 電子書店パピレス
イチローに“偉大《いだい》な才能”を与えたのは、名古屋空港の近くにあるバッティングセンターである。
イチローは小学三年から中学三年までの七年間、そこに毎日通いつめた。
それも一週間に一日くらいは休むといったレベルの生易《なまやさ》しいものではない。
一年間に三六三日通いつめたという。休んだ二日は、バッティングセンターが休業した、正月の二日間だけだった。
天才と言われる人間であっても、絶《た》え間ない精進《しょうじん》を繰り返して、初めて彼らは成功者の仲間入りをすることができる。
イチローが一流選手としての称号《しょうごう》を得たのは、二一〇本の安打を打ち、打率三割八分五厘で首位打者に輝いた九四年の秋である。
なんJ PRIDE : 【野球】門田博光(40) .311 44本 125打点 OPS1.062
ホームランバッター門田博光氏が・・・《500本塁打は誰でも打てる!》|ベースボールバイブル
門田博光の本塁打一閃―ホームランに魅せられた男 : 門田 博光 : 本 : Amazon.co.jp
http://www.h-kadota.net/profile.html
小学校の頃からプロ野球を目指し、中学、高校(天理高校)と野球部に籍をおいたが目立った成績もなく、
ホームランも公式戦はおろか練習試合でさえも打つことは出来なかった。
40歳を迎えた1988(昭和63)年には打率.311、44本塁打、125打点で2冠王に輝き、チームが5位ながらMVPを獲得。
ホームラン記録は王氏(現ダイエー監督)、野村氏(現楽天監督)に続き
史上3位の567本を打った。
OCN繝悶Ο繧ー莠コ縺ョ繧オ繝シ繝薙せ邨ゆコ�縺ォ縺、縺�縺ヲ�ス廾CN 繝悶Ο繧ー莠コ
あらすじ検索サイト あたまにスッと入るあらすじ:無形の力 楽天を応援しようという気になる野村克也氏の私の履歴書
2年目で解雇されそうになるが、泣いて頼んで残して貰う。
それまで歯が立たなかった大投手稲尾も、クセを発見して3割近くまで打ち込むことができるが、同僚の杉浦がオールスターで3人一緒になった時に、稲尾にばらしてしまう。
404 Blog Not Found:一発は百の空振りから生まれる
伝説のインドの天才数学者ラマヌジャンは、貧乏で進学できなかった子供時代、
一人で分厚い数学の辞典「純粋数学および応用数学における基本結果概要」にでてくる5000の公式、方程式を丸暗記していたそうだ。
体の中に埋め込めたらいいのに。
そしたら料理しながら耳に仕掛けてある超小型装置で音楽も聞けて、信号待ちの時間で立ちながら検索も出来て、
半透明のスクリーンが自分の目の前35cmに映し出されて、それを指先だけで手も挙げることなく操作できて。
記憶も完璧に出来るし、思い出すことも造作も無いし、それどころかネットワークの活用による共有知だし。
眼に映るものをプリントスクリーンする装置が出来て、カメラも持ち歩かなくていいし。撮ってアップロードなんてことする前に、知人に直接見てもらうことが出来るし。
ゲームだって囲碁だって将棋だってバスに乗ってる隣のおじいちゃんと一緒にすることが出来るし。外国に行ったらチェスでも遊べるし。
ウイッシュリストを歩く人々に見せて、他の人が助けてくれるかもしれないし、自分の得意なことや興味あることを助け合えるかもしれないし、そしたらもっと人と人が繋がることが出来るし。
スーパーに行くと昨日作った料理や冷蔵庫の中身やレコメンドを表示してくれて何を買えばいいか一緒に考えてくれるし。
服屋に行けば店員と自分の持ち物と相談しながら決めることも出来るし。そこで200円払えばファッションアドバイザーに第三者の視点でアドバイスがもらえるし。
学校に行って授業前や授業中に先日の授業を重なる部分をハイライト表示して復習なんかもさせてくれるし。参考先のリンクもどんどん出してくれるし。耳にしこんである超小型装置で教師の話してることも録音できるし。
その録音したことは即座に解析処理されて文だけでなく図示すらされて出てくるし。
条件付けやチェック機能で忘れ物もなくなるし、忘れたら損をする前に音を使って知らせてくれるし。
音楽なんかも悲しい時だとか嬉しい時だとか雨の日だとか冬の寒い日だとか運動中なんかの括りで誰かが選んだものが流すことが出来るし。
一人でランニングしてる時だってどこかの誰かが同じ距離を走ってる時の映像や効果を感じて何万人とも一緒に走ることが出来るし。それどころかライブで息遣いを感じながら走ることが出来るし。
ヲタクの人だって外に出てこなくなる理由がなくなるし。
そろそろ孤独なインターネットは飽きたし。皆と一緒にインターネットしたいし。
誰かと一緒に自分自身ともっと一緒にいたいし。