はてなキーワード: エアコンとは
翻訳は、村上の作品を組み立てる原理だとさえ言えるかもしれない。
彼の作品は翻訳されているだけでなく、翻訳についてのものだと考えられるのである。
村上的ストーリーにおける至上の愉しみは、とても普通の状況(エレベータに乗っている、スパゲッティを茹でている、シャツをアイロンがけしている、など)が
突然非日常(不思議な電話を受ける、魔法の井戸に落ちる、羊男と会話する、など)へ変貌するのを見ることだ。
言い換えるならそれは、登場人物が存在論的に盤石な立場から完全な異世界へと投げ込まれ、
たどたどしくも二つの世界の間をとりもつことを余儀なくされる瞬間だ。
村上作品の登場人物はある意味でいつも、根底から異なるいくつかの世界のあいだで翻訳をしている。
言い換えれば、彼の全作品は翻訳の作業を劇に仕立てたものなのだ。
村上の車の後部座席に戻ろう。
多くの企業の本社や、巨大な船のかたちをしたラブホテルを通り越していく。
およそ1時間後、風景は急峻な山道になり、私たちは村上の家に到着した。
木の生い茂る丘の上、山と海の間にある、こぎれいだが平凡な外観の二階建てだ。
靴をスリッパに履き替え、村上に連れられて彼のオフィスへと入る。
自らデザインした小部屋であり、『1Q84』のほとんどはここで書かれた。
同時にそこは彼の膨大なレコードコレクションの住処でもある。
(10000枚くらいだろうが、怖くて実際に数えてはいない、と彼は言う)
オフィスの幅広い壁二つは、床から天井までアルバムで覆いつくされている。
山々に向けて突き出している窓の下、部屋の端には巨大なステレオスピーカーが君臨している。
室内のもう一つの棚には村上の人生と作品にまつわる思い出の品々がある。
彼が『海辺のカフカ』で殺人者として想像したジョニー・ウォーカーを描いたマグカップ。
はじめてマラソンを完走したときの、くたくたの彼を写した写真(1991年ニューヨーク市にて、3時間31分27秒)。
壁にはレイモンド・カーヴァーの写真、グレン・グードのポスター、ジャズの巨匠の肖像がいくつか。
村上がもっとも好きなミュージシャン、テノールサキソフォンのスタン・ゲッツの写真もある。
私はレコードをかけてもらえないかと頼んでみた。
『1Q84』の始まりを告げ、その物語のなかで繰り返し鳴り響く曲である。
それは速く、アップビートで、劇的──まるで普通の曲が5つ、ペンキの缶のなかで決闘しているかのようだ。
同時にそれは熱狂し、ねちねちとした、暴力的な『1Q84』の冒険の主題曲として、もっともふさわしい。
村上はその奇妙さを買って「シンフォニエッタ」を選んだという。
「オーケストラの後ろにトランペットが15人いた。変だった。すごく変だった……その奇妙さがこの本によく合う。この物語にこれ以上よく合う音楽は思いつかない」
彼は何度も何度もその曲を聴いて、そして開幕のシーンを書いたという。
「シンフォニエッタを選んだのはまったく人気がない音楽だったからだった。でも本を出版してから、日本では人気が出た。小澤征爾さんに感謝されたよ。彼のレコードがよく売れたからね」
「シンフォニエッタ」が終わると、私は最初に買ったレコードは何か覚えているかと尋ねてみた。
彼は立ち上がり、棚をごそごそと探して、一枚のレコードを手渡してくれた。
「The Many Sides of Gene Pitney」。
カバーを飾るのは、華やかな姿の Pitney。60年代前半のアメリカのクルーナー歌手である。はまだらのアスコットタイに艶のある赤いジャケットを着て、髪型は崩れ落ちる波を凍らせたようにみえる。
村上は13歳の時、このレコードを神戸で買ったという(当初のものは擦り切れたため、何十年か前に買い直している)。
針を下ろすと、流れ出す Pitney の最初のヒット曲「Town Without Pity」。
劇的な、ホルンの即興とともに Piteny の歌声が黙示録的な叫びを歌う。
「若者にはつらいことがある、たくさんある/分かってくれる人がほしい/助けてくれよ/土と石でできたこの星が壊れるまえに」
終わると村上は針を上げ、「バカな歌だ」と言った。
『1Q84』を書いているあいだ、『1984年』を読み直したかと尋ねてみた。
彼は読み直したといい、それは退屈だったという。
(これが悪い評価だとは限らない。野球のどこが好きかと尋ねた際、彼は「退屈だから」と答えた。)
「始まりはいつも暗く、雨で、人々が不幸せそうにしている。コルマック・マッカーシーの『The Road』は好きだし、よく書けているけれど、でも退屈だ。暗いし、人間が人間を食べるし……ジョージ・オーウェルの『1984年』は近未来小説だけど、この本は近過去小説だ」
『1Q84』について「我々は同じ年を反対側から見ている。近過去なら退屈じゃない」
「オーウェルと僕はシステムについて同じ感じを受けていると思う」と村上は言う。
「ジョージ・オーウェルは半分ジャーナリストで半分小説家だ。僕は100パーセント小説家だ……メッセージを書くことはない。よい物語を書きたい。自分は政治好きな人間だと思うけれど、政治的メッセージを誰かに向けることはない。」
とはいえ村上はここ数年、彼にしては珍しく、政治的メッセージを大々的に言明している。
2009年、批判のなか彼はイスラエルでエルサレム賞を受賞しに行き、そこでイスラエルとパレスチナについて語った。
この夏、彼はバルセロナでの受賞式典の機会を利用して日本の原子力行政を批判した。
一度目はまったくの被害者としてだったが。
バルセロナの演説について尋ねると、彼はパーセンテージを少し修正した。
「市民として言いたいことはあるし、求められればはっきりと言う。あのときまで原発について明確に反対する人はいなかった。だから自分がやるべきだと思った。自分にはその責任がある」
演説に対する日本の反応は概ね好意的だったという。
人々は津波の恐怖が改革への媒介となってくれることを、彼と同じように、期待していたのだ、と。
「これは日本にとって転機になると、日本人のほとんどが考えていると思う」
「悪夢だけれど、変化のチャンスでもある。1945年以来、僕たちは豊かになるために働いてきた。けれどそれはもう続かない。価値観を変えなければならない。どうやって幸せになるかを考えなければならない。お金でもなく、効率でもなく、それは人格と目的だ。いま言いたいことは1968年から僕がずっと言っていることなんだけれども、システムを変えなければならないということ。今は、僕たちがまた理想主義者になるべきときなんだと思っている」
その理想主義はどんなものか、アメリカ合衆国をモデルケースとして見ているのか、と尋ねた。
「いま、僕たちにはモデルケースがない。モデルケースを作り上げなければならないんだ」
地下鉄サリン事件、阪神大震災、そして今回の津波……現代日本の数々の災害は、驚くほどにまで村上的だ。
地下での暴力的な衝動、深く隠されたトラウマが大量破壊を引き起こすものとして現れ、地上の日常を襲う。
彼は深さのメタファーを多用することで知られる。
登場人物たちはカラの井戸に降りていき、東京の地下トンネルに生きる闇の生き物に出会う。
(彼は別のインタビューで、井戸のイメージをあまりに何度も使って恥ずかしくなったため、8作目以降、できるだけ使わないように心がけたと話している)。
毎日机に向かい、集中力に満たされたトランス状態の中で、村上は村上的キャラクターになる。
それは、自らの無意識の洞窟たる創造性を探検し、見つけたものを忠実に報告する、普通の人物である。
「僕は東京に住んでいる。ニューヨークやロサンジェルスやロンドンやパリのように文明的といっていい世界だ。
魔法じみた状況、魔法じみた物事に出会いたければ、自分の中に深く潜るしかない。だから僕はそうしている。
魔法的リアリズムとも呼ばれるけれども、自分の魂の深みのなかでは、それは単なるリアリズムだ。魔法ではなく。
書くときには、非常に自然で、論理的で、リアリスティックで、合理的に感じる。」
執筆しないとき、自分はどこまでも普通の人だと村上は強調する。
彼の創造性は「ブラックボックス」であり、意識的にアクセスすることはできないという。
彼はシャイであり、メディアにあまり登場したがらない。道端で読者から握手を求められた時にはいつも驚く。
人が話すのを聞くほうが好みだと彼は言う。
実際に、Studs Terkel の日本版のようなものとして彼は知られている。
1995年サリンガス事件があったとき、村上は被害者65人と被疑者らを1年かけてインタビューし、
その結果を分厚い2冊組の本として出版した。
のちにそれは『Underground』として、大幅な簡略化をしたうえで英語に翻訳された。
この会話が終わったとき、村上はランニングに誘ってくれた。(「僕が書くことについて知っていることのほとんどは、毎日のランニングを通して学んだ」と彼は書いている)
身軽で、安定していて、実践的だ。
たがいの走り幅がつかめて1、2分たつと、村上は自分が単に「丘」と呼ぶところに行ってみないかと尋ねてきた。
それは試合の申し込みか警告のように聞こえた。
そんな言い方をした理由はすぐに分かった。
というのもまもなく「丘」を登り始めることになったからだ。
もはや走るというよりは、急な坂にさしかかって足をとられているというほうが近く、
地面が傾いたランニングマシーンのように感じられた。
道の終わりに向けて一足踏み込むと同時に私は村上に向けて「大きい丘でしたね」と言った。
そこで彼は指をさして、先にジグザグ道が続いており、私たちはまだほんのひと曲がり目を終えたにすぎないということを教えてくれた。しばらくして、二人の息が切れ切れになってくると、このジグザグ道には終わりがないのではないかと心配になってきた。
上へ、上へ、上へ。
しかし、やっとのことで、私たちは頂上に着いた。
海ははるか下に見えた。
それは秘められた巨大な水世界、日本とアメリカのあいだの、人が住まない世界だ。
その日見たかぎり、水面は静かだった。
そして私たちは下りを走り始めた。村上は村を通る道に誘ってくれた。
大通りのサーフショップ、漁師の家がならぶ界隈を通り過ぎた(彼はそのあたりの庭に古くからの「漁師神社」があるのを指差して教えてくれた)。
空気は湿っていて塩のにおいがした。
私たちは並んで浜まで走った。
村上がかつて名もない翻訳者だったころセントラルパークでジョギングをともにしたジョン・アーヴィングについて話をした。
セミについても話をした。
何年も土のなかで生き、地表にぽっと出て、わめき、最後の数ヶ月を木の上で過ごすのは、どんなに変だろうかと。
走り終えて家にもどると、私は村上の来客用バスルームで着替えた。階下で彼を待つ間、食堂のエアコンの風を受けて立ち、大きな窓からハーブと低い木のある小さな裏庭を見ていた。
最初それは鳥 – おそらくはその飛び方からして変な毛をしたハチドリのようにみえた。
が、すぐに2羽の鳥がくっついているようにみえだした。
飛ぶというよりはふらついているといった感じで、体の一部がそこかしこから垂れ下がっているようだった。
最終的に、それは大きな黒い蝶だと私は結論づけた。
見たことがないほど変な蝶だった。
浮かびながら、異星の魚のようにひらひらしつづけるその姿に幻惑させられ、
私はそれを既知の何かに分類したくなりかけたが、成功することはなかった。
それはひらひらと、およそ村上と私が走った道を引き返す形で、山から海に向けて飛び去った。
蝶が去ってまもなく、村上は階段を降りてきて、食堂のテーブルに静かに腰を下ろした。
見たこともない奇妙な蝶に遭遇したことを伝えると、彼は自分のボトルから水を飲み、私を見上げて言った。
「日本には色々な蝶がいる。蝶に会うのは変なことじゃない」
http://www.afpbb.com/article/politics/2846317/8208785
この記事だと高齢者の扱い悪いよねってアルカイダに言われちゃってるって話なんだけど、そもそも儒教文化がかつてはあって、老人大切にしようずって教えも親から受けてたはず。なのに何で老人の扱いが悪くなったのか?と。社会に出てお金を稼いで税金納めたりしてるなかでその使い道とか、それを決定している政策や政治やら投票やら諸々見聞き体験して、ギリギリ若者側に位置する30歳男子としては思う所あるんですよ。
老人って大切にしなきゃならんのか?という疑問。
まずこれが生まれちゃってるからそもそも大切にしない。大切にしなければなららないという確信持ってないんだったら迷いが生じる。当たり前の様に助ける行動に躊躇やスルーが選択肢に生じる。この選択肢は自動選択されるので本人が意思決定してるわけではないってところもポイント。だから目の前で倒れてる老人が居ても、普段の思想や行動力から勝手に決定されるので、何で助けなかったの?って聞いてもいや、べつに、とかこれと言って意思決定された形跡がある回答は得られない。
こういう現象の積み重ねがリンクの記事とかに現れてるに過ぎないんだと思うんだな。
俺自身も老人たすけなきゃならんの?とは思ってるけどね。倒れてる人は老人に関わらず助けるよ。そりゃ。こないだも大岡山で倒れた老人介抱した。周囲に東工大生とおぼしき大学生いっぱいいたけど誰も助けないのな。びっくりしたわ。老人だからなのかどうかは分からないけどね。
で、なんで老人大切にしなきゃ成らないの?と思わせてしまったかについては諸説あると思うんだけど、俺が思う老人大切にする必要無い風潮の原因をいくつか挙げてようと思う。
* 投票権に関する問題
この3つ。
一つ目の投票権に関する問題は、20歳以上の日本国民男女に与えられるが、その後、剥奪される事は無い。
15歳くらいには政治に関して関心を抱くし、10代で興味持ったものって凄い勢いで知識を吸収して行くから20歳までは正確な判断できないと断定しちゃうのはちょっと無理がある。まぁ20歳以前までは煽動に乗せられやすいから非知識層に与えるのはどうかとは思う。暴走族やってる輩とかは背後に893だし893は日本国民でないものが多く混じってるっていうから若者を使っていくらでも糞政治家に有利にできてしまうだろうし、まぁこれは20歳以上までって切り捨てておいた方が安全だわ。
一方、引退してあとは老後の生活だけって老人達、たとえば65で引退して80で死ぬとすると、あと15年分は社会の荷物になるわけだ。その間の15年感は年金だとか生活保護とかで確実にお金がもらえる。負担はそれ以下の年代全体で受け持つ。そして投票の歳も残りわずかな人生のための投票を行う。誰のためって自分の為。
49 名前: 名無しさん@涙目です。(東日本) 投稿日:2011/12/17(土) 14:08:10.54 ID:kmN9yLA+0
要は、こういった輩が大半を占めてるし、その結果、若者世代からしたらこいつらのこういう思考には反吐が出る訳で、Hateも溜まるよね。
だからさ、昔の話じゃないけど、税金を一定以上納めてる人間でないと投票すべきじゃないんだよ。
■現状
■理想
とういうわけで20歳以下を切り捨ててるのと同じ理論で、60歳以上の人間からは投票権を剥奪しましょう、というのが一つ目の問題と解決案。
橋本徹がねずみ講って言ってる通りだし、若者から搾取しすぎて疲弊してるじゃん。さっきの投票権の話でも言ってるけど未来ない老人に金使っても何も良くならないわけで、それなのにこれからを作り出す若者を疲弊させてどうすんの?
情報の乖離なんて何処の世代でもあるんだけど、根性論とか精神論ベースにしている老人団塊世代以上は非常に厄介で、事実に基づいた話も可哀想とか主観的感情で無駄な行動に終止するし、その無駄のとばっちりは良く受ける。これは近くは自身の両親との乖離、遠くは現役政治家のネットに対する理解度の低さなど、幅広い所で存在している。
例えば、アパートに一人暮らしの老人がいました。家族は2ヶ月に1度ほど会いに来ます。暑い夏、エアコンを設置する話をしてましたがエアコンは身体に悪いと老人は断りました。家族は本人が我慢するのであればと引き下がりました。老人は熱中症で死にました。熱いので腐敗の進行早いです。部屋には強烈な腐臭がふちゃくしましたとさ。
これ、老人死んでるだけじゃん、と思うかもしれないけどアパートの持ち主はアパートに損害出されてて、価値を定価させられてるわけ。財産を傷物にされてるんだよね。老人の無知が招いた結果なわけです。
他にもね、抱きぐせが付くから赤ん坊は抱きません、という主義の老人は多く居る。これはちょうど今団塊の世代がやっていたことで子供をだっこすると何でもかんでも抱っこしてくれって癖がつくから止めましょう、という理論から発生して、この手の情報が古いままな事に起因する。現役で子育てしてればその手の情報を新しいものに置き換えて行くだろうけど、子育てが完了したらわざわざアップデートはしないから仕方ない。が、孫が生まれてもそのままの知識を適用したがる。
ちなみに現在ではスキンシップによる精神発達と脳の発達に大きな影響があることがわかってるので、積極的におこないましょう、だっこもしておきましょう、という話が主流だ。統計も取られているしぐぐったらかなりの量の情報が出て来る。
これにより老人に育てられた子は発達が遅い可能性があり、社会の一員の能力を著しく損なうわけだ。ちょっと極端だとは思うけど。
まぁ、老人からうける損害によって単純にHateが溜まるよね。という話でかまわない。
これら3つの理由によって溜まるHateの量と、理由1で見られるふんぞり返った老人たちに業を煮やす若者、理由2で疲弊して余裕を失った若者は、老人に敬意をもって摂することなんてあるだろうか?
昔っていつさ、ってのはあえてぼかして書く。というか私にもよくわからん。
ただ、相対的な話だけれども、錯覚かもしれないけれども、
私が思うに、昔のお客さんって結構手ごわかったはずなのよね。昔はお客さんが店主に負けないくらい賢かった、と。
知識の問題じゃなくて、信用できる人かどうかって見てたんだと思う。
なんせ比較対象が「ほかの店」じゃなくて「自分の家でやるのとどっちが楽か、得か」だったのだろうから。
だからこそ、お客さんをうならせるのって楽しかったのだと思う。
時間も手間もかかるけどやりがいがあったって、うちのばっちゃんが言ってた。(ちなみにうちは香川県)
そもそも客と対話するってのが楽しくないわけはないだろうな、と。
今から考えれば、ばっちゃんたちの時代は、恵まれてたんだともう。
で、今の時代はこうなるわけだ。
http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20110915/1316084952
あのさー、うちの店、あなたが来たときに、本来はセルフサービスのコピー機、全部かわりにやってあげてるよね。儲けにほとんどつながらない収納代行だっていやな顔ひとつしないし、手が届かないところにあるおーいお茶の350ペットとか、パートのおばちゃんがよく代わりに取ってあげてるよね。なんでそこまでするかって言ったら「来てくれた」からじゃん。商売やってて「来てくれた」ら、それが理不尽な用事でない限り、できるだけのことはするよね。エアコンの修理依頼で来店ってそこまで理不尽な用事かな。
理不尽ではないと思うが、楽しくはないと思う。少なくともそれ単体を見たら。
nakamurabashiさんのように、コンビニの運営全体を考えて、こういう作業に「意味」を付与できないと、やってられないと思う。
あるいは、凡百のバイトのように、何も考えずに言われたことはそのままやるような思考停止したバイトなら平気なのかもしれないけれど。
nakamurabashiさんのように言われたら納得できるだろうが、
世間一般でいう「お客さんに喜んでもらえたらうれしいやん?」みたいなのは全然ピンとこない。
だって、お客さん全然感謝なんかしよらんやん? 当たり前のことやと思ってるやん?
「やらないと買わないから、来ないから」なんて後ろ向きな理由では私には耐えられん。
このあたりは向き不向きの問題でどっちが正しいとおかじゃないと思いたい。
ばっちゃんは2年前に腰がアレになって引退したけど、たぶんその前からやる気失ってたんだと思う。
恵まれた時代に生きていた人は、劇的に時代が変わらんと、もうがんばれないと思う。
プロ意識をしきりに強調されてましたけど、幸せな時代の人は、幸せな時代の意識のまま、客に文句言いながら、フェイドアウトしてくのでいいと思う。
まぁ実際には、国が悪いとか市が悪いとかジャスコ死ねとか言ってるので、私もnakamurabashiさんみたいなことを言いたくなったりもしますが。
でも、商店街じゃないけど、ラーメン屋がコンサルタントとか入れて、無駄にこぎれいにしたりして、「来店動機」だけがんばってるのとか見るとそれもどうかな、と思ってしまうわけですよ。
経営者としてはこっちのほうが正しいのかもしれないけど、それを認めると、社会がくそ、客くたばれ、経済嫌い、とか言い出しそうだから認めにくいよ。
会社ヤバイ。まじヤバイ。
都内のくせに、3/11の地震で外壁タイル崩落とかトイレのタイル崩落とか土台にヒビ(支柱ごと)とか入って会社がちょっと浮いてる状態だし、その後電車が通る度に震度2くらいの揺れが発生したり、6階建てのビルの3階の階段のなぜか壁や排水管に面してない床から大雨の時大量に水が漏ったりしたけど、そんなもんじゃない。
今日気づいたら壁に新しいヒビ。しかも9箇所。そのうち2箇所は1メートルくらいあるの。柱のとこなのにヒビあるの。
あと他のヒビのうち4箇所から水漏れしてるの。エアコンとかじゃなく、この大雨で。外面からは厚さ10センチはあるのにものともせずに水漏れてるの。
さらに、この状態を管理部とか親会社にも報告してるのに、金かかるからって何もしてくれない。まじヤバイ。
次大きい地震あったらビル崩れてもおかしくないのに、対策しないの。一部署しかこのビルに入ってないからって完全に見捨てられてる。
ホントヤバイ。ヤバすぎる。
とりあえず今ヒビと水漏れを見てもらう為に管理会社呼んだとこだけど、どうせうちの会社は何もしてくれないし。
どうすんのこれ。
なんかすげー一家が出て来た。電気代が毎月1,800円とか。
まあ8割がたヤラセだと思うけど、もし本当に実践してるとしたら奇人変人の部類。
まず家の電球、一部屋を除いて全部外してる。なので日が暮れたら完全に真っ暗。夜は太陽光充電式のランタンを使ってる。
テレビも常時押し入れに収納していて、必要な時だけ取り出すらしい。
エアコンは勿論なし。お風呂の水は、黒く塗ったペットボトルを外に置いて暖めたやつを使う。
スタッフが節約の理由を尋ねると、おばさんは「(家電製品を)必要だと感じないから」「何となく」「趣味で始めたら止められなくなった」と。
家自体も、築50年近くの年代物でタダ。家具含めて居抜きで、払ったのは土地代だけらしい。
そして何より驚いたのは、子供が二人居るという点。1歳と4歳。
それを見た嫁、「この人、子供の教育費とかもケチりそうだよね。『必要無いでしょ』って言って高校にも行かせてくれなさそう」「女の子がいたみたいだけど、結婚とか出産の時どうするんだろ」「成長した子供が外の世界を知った時の反動が怖い」。
「いやいや、そういう人なら最初から子供なんて産もうとは思わんでしょ。子供達の将来のために節約してるんだと思うよ。多分」と一応返しておいたが…。
エアコンで交感神経が馬鹿になったのえはなくて,単に設定温度が低すぎるか冷風に直接当たって熱を奪われすぎているのと,乾燥しているのと,もしかしたら空気が汚いのと,だと思うよ.
私は不動産会社にクレームを入れるべきではなかったのだろうか。私が窓を閉め耳栓をすれば万事丸く収まったのだろうか。もしかしたら、階上の子どもは情緒や発育に何かしらの障害があるのかもしれない。母親はギリギリのところで子育てに奮闘しているのかもしれない。しかし、その母親に「目が覚めるほどの騒音を立てないこと」を期待するのは間違っているのだろうか。
間違ってない。自分にはどうしようもないことで自分を責めるな。その子のお母さんがもし追い詰められているのなら、その家族が相談先と解決法を見つけてくれることを祈ろう。あまり心配なら、「虐待が心配です」と不動産屋に相談するといいと思う。
私も以前、隣のマンションで発達障害の子が金切り声を上げてて、参ったことがある。それでも45分も続いたことはなかったが。そして、隣のマンションだから相談する不動産屋もなかったのだが、町内会の人が話をつけてくれ、その家の人が窓を閉めておいてくれるようになった。その後、私が引っ越したのでどうなったのかはわからない。
ところでブクマ見たら「クーラーつければ」的なこと言ってる人がいるが、エアコンなしで窓開けて過ごす季節のない場所に住んでるのかな、その人は。
以下を読んで
http://agora-web.jp/archives/1354654.html
以下を参考に考えてみる。
授業時数について
http://www.bunri.co.jp/infosrv/shinkatei_s.html
まず、入学試験にも使われず、「これで飯が食える」という観点では微積分以上に役に立たない実技科目を削る。
小学校では…
生活 207
音楽 358
図工 358
家庭 115
体育 597
合計1635
中学校では…
音楽 115
美術 115
保体 315
技家 175
合計 720
あと、ふやす方は…
学校にエアコンを導入して夏休みを1.5カ月から二週間にすることで、
中学校は
週休二日制を20年前の土曜午前までの週休一日半にすることで、夏、冬、春で2週間ずつ長期休暇があるから、
小中合わせて
合計2238時間!
減らした方と会わせて2350+2238=4588時間!!
すっげー勉強させられる(もしくは遊ばさせる)じゃない!
節電対策として昼間は閉館となっている
→http://www.meguro-library.jp/modules/topics/index.php?page=article&storyid=213
使用される電力量はかえって増えてしまう結果となる。
多くの人が集まる共有空間では、逆に多くの人が一か所に
集るようにしたほうが、個別のエアコンによる電力量が
むしろ積極的に、多くの人に来てもらったほうが、
節電対策になるはず。
そして社会全体の節電にならず、本末転倒の結果になり、過剰反応もいいところだ。
図書館の昼間閉館処置はまったく何の得にもならない。
いっこくもこのような間違った対応はやめてもらいたい。