はてなキーワード: 自己満足とは
昼職一本だからひたすら節約して、なんとかお金を捻出しては美肌治療・整体・エステ・ボトックス等その他諸々美容行為を受けている。
趣味なんだ。
これしか好きなことがない。
痛い思いをする→綺麗になる。この一連の流れで何かを成し遂げた気になれる。手軽に成功報酬を得られる。幸福のコスパがいい。
ずっと自分は浪費家なんだと思っていた。というか思ってる。
でも好きな人ができて、結婚も視野に入ってきたからいい加減やめなくてはと思った。
彼氏に、私は毎月美容に10万円も使ってろくに貯金もしていないダメな女だから、これから気をつけますと伝えた。
「なかなかそんなに頑張れないよ!えらいねえ!努力家だねえ!」と言った。
正直、努力と言われても寝転がってるだけだし、いくらだろうと美容は贅沢!浪費!と思って罪悪感抱きながら通っていたから、そういう考えもあるのか…と衝撃だった。
正直彼氏がどう言おうと月10万は自分でも高いと思うし、今後はセーブしようと思うけど、5万くらいならやってもいいのかなあと思った。
問題解決に使えるリソースが人によって異なり、他人がその人のリソースを知るために踏み込むのは非礼だから。
次に、その人の持っているリソースや阻害要因もわからないのに問題解決策を出すのは単なるクソバイスだから。
これは女性に限らず、はてブなんか見てたら「仕事上の問題をこう解決しました!」みたいなドヤエントリーに対して「参考にならない」「素人が真似したら詰む」「こいつは恵まれているだけ」みたいなコメントがむちゃくちゃつく。自炊レシピにすら「ナンプラーなんて使い切れないから買わねえよ」だの「まず、調理するスペースがない」だの言う。結局、男でも女でも、自分のもってないリソースを前提とした問題解決策を出されたら不快になるものなのだ。
問題解決大好きマンには、おそらく友達がいない。たとえ相手を不快にさせても「問題解決させてやった」って自己満足したいメンタルが幼い人間だから。
中高生ぐらいの年代だと、同級生であればそんなに持ってるリソースに違いはないし、毎日一緒にいる相手の持ってるリソースを理解できてる前提があるから、問題解決志向でも特に嫌われることはないかもしれない。しかし、大学に上がるともう友達の生育歴とか実家の状況とかは全然異なってくる。普通にコミュニケーションをしていたらだいたいその段階で「問題解決志向は限定的な関係性でしか成立しない」ということを理解する。一部の共感力に乏しい人だけが問題解決にこだわったまま中高年になる。
(女は共感ベース、男は問題解決ベースっていう話も、男が男同士で話すときには距離感を見誤ってクソバイスすることは少ないが、男女で話すときに男は「女の持っているリソースを把握できていて問題解決ができる距離感にいる」と思い込んでしまいがちであるということではなかろうか?)
女に問題解決視点がないのではなく、問題解決策を出すことに対して慎重な人が多いのだ。
特に、白ハゲ漫画の読者層である主婦や非正規労働の若い女子はその傾向が顕著になる。
たとえば、同じように子供を公園で遊ばせている仲よさげなママ友グループがあったとしても、彼女ら個人個人の経済状態、住宅環境、実家や義実家との折り合い、家族構成、夫婦仲の良し悪し、自身の学歴職歴や特殊な技能、職業面でのコネの有無、友達の有無、運の良し悪し、子供の性格や能力、何もかもすべてが違う。
そんな中で相手があるリソースを持っていること前提でアドバイスをすると、クソバイス、ヘタをすると加害になってしまいかねない。人間関係においてそんなリスクを負うわけにはいかないので儀礼的共感にとどめている、というのが実情かと思う。(バリキャリ層ではそこまでの多様性はないので、問題解決志向でもトラブルにはならない)
文章を読むことは他ならぬ知識の蓄積である。しかしながら、脳裏に浮かんだ取り止めのないことも形として残さなければ、それはただ消えゆくのみである。
書けば文学、書かねば妄想。誰が言った言葉かも覚えがないが、実に的確なように思う。
怠惰で自堕落、そして堪え性のない私のことだから、明日は日記を書かないのかもしれない。
習慣化は難しいことで、習慣化してしまうことによって失われるものもきっとある。
自分の思ったことをただ文章に書き連ねていると、それによって分かってくることもある。
書くべきか書かぬべきか。それすらも文字として並べていく。
データは何年も残らない。
自己満足とはなんなのか、追い詰められた人間の搾り滓が文章なのか。
その心の気休めとして書く文章に、私だけは誰よりも価値を見出したい。
文章を書くことが、何よりも真摯に己に向き合うことだと信じて。
この余白の片隅から、誰にも見せない日記、その一節だとしても。
何も出来ない人間なりに、栄えある先達をささやかに見送らせて頂く。
別にメリットのために親切にするわけでもないし、親切にされたからってお返しする必要だってない。
親切にされることに戸惑う必要もないし、「ありがとうございます」って言うのは別に良いけど心から思っている必要だってない。
親切にしてくれた人が、親切心からやってくれたのかだって分からない。
だからあなたがよくわからないってのも普通じゃないの?というか人に親切にされて、よくわかって親切を受け止めてることなんてある?
私は困ってそうな人がいたら声をかけるし、それで感謝されたら嬉しい気持ちになる。そして1日いい気分でいられる。
逆に、困ってそうな人を見かけても声をかけられなかった日は、(あの人大丈夫だったかな?声かけてあげればよかったな…)と1日中モヤモヤする。それが嫌だから、困ってそうな人には積極的に声をかけている。
でもそれで良いでしょ。もちつもたれつよ。