はてなキーワード: 自家用車とは
ちゃんとツリー読んで文脈を把握していれば分かるが、
「車を持っている人にとって、元増田の『自家用車持ってて』と言う条件を満たす事はマイナスになる」のは何故か分からん、と言う意味なのに
何脊髄反射して見当違いな事を書いてるんだ。
年収が600万円以上で ×
身長175cm以上で ×
年齢は35歳未満で △
貯金は500万円以上あって ×
自家用車持ってて ×
次男か三男で ×
自分として欲しい条件。
25歳喪女だから分からないだけなのかもしれないけど、世の中の女性は一体どんなハイスペックを求めているんだろうというのが正直な感想
>MARCH以上の大学出身で、 私も駅弁だしあんまり頭良くても話しが合わなそう
>東証一部上場企業の正社員で 安定して働けてるなら正社員ってだけで十分な気がする
>年収が600万円以上で 年収600万がどれほどの物なのか良く分からない。私は350万くらいしかないけど今のところ生活できてる。
>身長175cm以上で 自分(165cm)より低くなかったらそれで良い
>オタク趣味を持って無くて パンチラフィギュアとかコスプレ強要は勘弁して欲しいけど萌えアニメみて俺の嫁!とか言うのは平気
>年齢は35歳未満で 10歳も離れてると話あわなそうだけど自分が30歳なら気にしないと思う
>貯金は500万円以上あって 別にその貯金が私のお金になるわけじゃないと思うんだけどどういうことだろう。私は100万位しかないし。
>自家用車持ってて 都会暮らしなら維持費とか駐車場代考えたらむしろいらないと思う。田舎なら必須だけど。
>次男か三男で 逆に末っ子って親に溺愛されてそうで嫌だなーとは思うけど長男だから云々ってイマドキ重要か?
○が6/11。
年収が600万円以上で ○額面800
身長175cm以上で ×
年齢は35歳未満で ○
貯金は500万円以上あって ○現金で800万、その他あわせて1000
次男か三男で ×
だが女だ(既婚一子)。女がんばれ。自力で。
11こフル○はむずかしいなー。
・基本どうにもならないもの (4こ)
・ MARCH以上の大学出身 ←学歴ロンダという手もあるけど
・ 身長175cm以上
・ 次男か三男で
・なんとかできる可能性があるもの (5こ)
・ 年収が600万円以上で
・ 貯金は500万円以上あって
・ 自家用車持ってて
・ 年齢は35歳未満で
・ 結婚しても同居不要で ←両親の老いとともに事情が変わる可能性高し
身長175cm以上で ×165
年齢は35歳未満で ○
貯金は500万円以上あって ×じーさんの遺産が300万円くらい
次男か三男で ×長男
俺は5/11。
年収が600万円以上で ×
身長175cm以上で ○182
年齢は35歳未満で ○
貯金は500万円以上あって ×何に使ってるのか不明…
次男か三男で ○次男
俺は○が1/11。
年収が600万円以上で ×0
身長175cm以上で ×165
年齢は35歳未満で ◯
貯金は500万円以上あって ×2万
次男か三男で ×長男
横だが。
単純に送り迎えから、まとめ買い、病気のときなど、「あればかなり楽になるシーン」は沢山ある。
家に車がある利点は、行動を起こすときの制限が減る事。
そんなに使わないからこそ、家庭で持ってた方がいちいち業者用借りるより安上がりなんだろ。
そもそもここで指摘されてるのは、不可欠な生活ツールとして所有してる田舎暮らしの人の話ではなく
それ以外の部類の所有の話ないだろう
そんなに使わないからこそ、家庭で持ってた方がいちいち業者用借りるより安上がりなんだろ。
トナーで稼がれるくらいに大量に印刷するなら業務用プリンタ借りた方が安上がりじゃね?
自家用車→通勤で使うならともかく、週末とかワンポイントでしか使わないのなら、維持費高すぎじゃね? タクシー毎回使った方が安上がりじゃね?
って話。割とマジな話、「安上がりじゃね?」って言ってる方が本当に安上がりになるケースの方が多い。
正直なところ、何も感じなかった。
ボラバスで現地に到着すると、家屋が土台から吹っ飛んでいたり、半分もぎ取られて中が丸見えになっていたり、小川に自家用車が頭から突っ込んでひっくり返っていたり、瓦礫をひっくり返すとそこに在った生活の匂いを感じる日用品が大量に発掘されたりしたけど、俺は何も感じなかった。
行く前は、「現地に行くとやはりショックを受けたりするんだろうな」と思っていたので、かなり意外ではあった。同行したボランティアの人達は比較的ショックを受けていたようなので、単に俺が異常なのだろう。
結局のところ、外から来た俺には、津波が襲った場所に日常生活があった頃を知る由はないわけで、その地の現状に対して、自身に共感の情を呼び起こす事はなかなか難しい。
あとは、SFの見過ぎなのかもな、とも思う。瓦礫で埋まった町の光景を見た時、驚きよりも「既視感」の方が強かったのも事実だ。本物のアマゾンのジャングルを見た時に、「ディズニーランドのジャングルクルーズとそっくりだ」と思ってしまう、あの感覚。
であるので、地元の方が嗚咽を漏らしながら我々の作業に対して感謝の言葉をくれた時、かなり面食らった。もちろん、自分の作業に感謝してもらえるのはうれしいのだが、自分の中では「そこまでのことをした」実感が湧いていなかったので。実際のところ、バス一台に詰め込んだボランティアが半日作業したところで、片付けられるのはほんのわずかな面積に過ぎない。海岸沿いの小さな町から被災の跡を取り除くだけでも、その何十倍もの労働力が必要だろう。
しかし、その地元の方の涙は、我々の作業の成果に対するものではなかったんだろうな、と今は思う。憶測だけど、「自分達の町は見捨てられていない」と思ってくれたのではないか。
現地では、生活の基盤が根こそぎ破壊され、茫然自失して何も手に付かないまま、震災後の日々を送っている方々が多数いるのだと聞く。東北は地域共同体が根強い場所だというけど、逆に言えば外部との繋がりもそれほど強くないのだろう。自分達の生活の場が、自身の力で立て直せる範囲を遥かに超えた被害を受けた以上、「見捨てられたら終わりだ」というのははっきりと恐怖だろう。
「自分達のために外から人が駆けつけてくれること」。そのこと自体が、被災地の方々の救いになる部分はあるのだろうな、と感じた。
というわけで、「自分が行っても足を引っ張るだけなんじゃないか」と思って躊躇している人も、とりあえず行ってみるといいと思う。「ハンパな覚悟で被災地に乗り込むと迷惑だからやめろ」と脅かす人も多いが、最近は旅行会社が企画しているボランティアツアーが増えてきたので、そういうのに乗っかるといい。三大鉄則である「食べ物」「寝る場所」「移動手段」を確保する手間をかなり軽減できるので。
あ、装備だけはちゃんと情報収集してきちんと揃えるように。特に、踏み抜き防止加工の中敷きとかは、わりと入手難度が高いのでそのつもりで。
元々の社会構造はマイカーが空気のように当たり前に存在していたから、
その意味では、震災後の現状は「大多数が交通弱者」という状況である。
しかしそれは、見方を変えると
「全てが白紙だから、地方版モーダルシフトを展開する好機」とも言えるのである。
三陸鉄道をハブとして、「漁村山村エリアでもモーダルシフトができるか?」を試す
「壮大な社会実験」が試行できる。
勿論、こういう社会での公共交通インフラが、従来同様のシステムでいいはずがない。
軌道の枠を飛び越えたデュアルモードビークル、ITによるオンデマンドバス&タクシー、
http://anond.hatelabo.jp/20110319172127
「都市伝説だ」とか「ネタだ」とか「自分の周りにはいない」とか
いろいろ言われているようなので、
東海道新幹線は、大体1日に15万人を輸送する能力がある、と聞いたことがある。
メチャ乱暴な仮定だが、輸送力15万人のうち半分、7.5万人が「疎開民」だったと仮定し、
かつ疎開輸送が先週末から、延べ7日間なされていたと大胆に仮定して、
7.5万人×7日間≒50万人
その他、航空便による疎開組、自家用車による疎開組もいるので、
これまたメチャ乱暴な仮定で「航空機疎開組と自家用車疎開組の合計が新幹線疎開組と同数」と割り切っちゃうと、
「えらい疎開したなあ」とも思うが、首都圏の人口が3,500万人だか3,700万人だか4,000万人だか
(人により首都圏の範囲が違う)とも言われているから、「2~3%の人が疎開した」ということになる。
これを、多いと見るか、少ないと見るか。
実際には、この「2~3%」という数値は、属しているコミュニティーによって大幅にズレるだろう。
「仕事放ったらかして逃げられない」ということで、疎開率は1%もないんじゃないか?
だから、自分の周りが社畜だらけ、というコミュニティー内の人は、
一方、ヒマしているフリーター、学生だったら、逆に3~4%はあるんじゃないかな?
乳幼児連れ、もしくは妊婦という場合が一番確率が高いと推察される。
毎日新聞に「幼稚園の卒園式をブッチして・・・」という家庭が紹介されていたし、
「幼稚園・小学生を家庭内に抱えている場合」は、それらのしがらみがあるから、
2~3%に留まっていると思う。
しかし、そういうしがらみがない場合、例えば第一子が2歳以下で、幼稚園にも行ってない、という場合、
あるいは第一子妊娠中、というような場合は、それこそ5%超えているんじゃないかと推察される。
ということで、「1~2歳児のママ友」とか「妊婦教室友達」というコミュニティーに属している場合は、
「疎開率=5%以上」となるので、「ちょくちょく聞く話」ということになる。
ただ、この妊婦の疎開率も、多分5%強で打ち止めじゃないかな?
「西日本に実家があったり、お金に余裕がなければ」誰でも疎開できるわけじゃないので、
これを書くと「情弱」「ヘタレ」「デマを流すな」といろいろ書かれそうだが、備忘録の意味で書いておく。
23区でも割と都心寄りに住んでいるので計画停電の影響は殆どないし、
にもかかわらず疎開させたのは、ひとえに「放射能対策」、それ以外に理由はない。
文系ではあるが、もともと原子力についてはいくつか本は読んでいる。(推進派・反対派いずれも)
なので多少の予備知識はあるつもりなのだが、
結局「ワーストシナリオの場合でも、23区内は(乳幼児にとっても)大丈夫」という確たるクレジットが、
自分が探した範囲内で得られなかったから、疎開の理由はそれに尽きる。
恐らく、「ワーストシナリオで、23区内に放射性物質が飛来し、健康被害が生じる」確率は、
1%あるかないかだろう。
なので、通常であれば、99%の確率を信じて、都内に留まるということになるだろう。
それは「99%に掛ける責任を、自己責任で負ってもいい」と自己判断したからである。
(自分もいわば「中年メタボ」なので、「ガンで死ぬ前に、脳卒中とか心臓病で死ぬワイ」という
開き直りの気持ちもある)
親が判断を代理行使しなければいけないのだが、不幸にして「1%」の事態に陥ったときに、
自分は、自己決定できない子供に成り代わって、「1%であっても、回避できるのであれば、回避する」
のが親の務めと思って、回避させた。
もともと13日の水素爆発の時点で、「事態の収拾が難航しそうだ、最悪の場合は避難しなければ・・・」と
妻と話していて、妻の実家にも下話はしていた。
その後様子を見ていたのだが、
「2号機の圧力容器破損」
「4号機で火災」などのトラブルが相次ぎ、「どうも事態収拾ができなさそうだ」と判断した。
特に「高レベルの放射線量が計測された」というニュースが決定打になった。
※その日、新宿でも低レベルの放射線量が計測されたが、それは疎開の理由ではない。
医学的知識が少ない人の場合、少量の放射線に怯えて疎開している向きもあるようだが、自分の場合は
「自然放射能」とかも知っているので、低レベル放射線自身はこわく無かった。
「(放射線防護しながらの)現地作業員の回復作業が困難、というより不可能になる」と判断したからである。
単機のトラブルだと兎も角、複数機のトラブルなので、現地作業員による事態収拾は「まず絶望的」と思ったのである。
恐らく、このあと数日は、「放射能を避けながらの最大限」の作業が行われるだろう。
しかし、それは通常の「放射線を気にしないで行う作業」の、10分の1、100分の1の作業効率しか上がらないと予想された。
(実際、15日以降、今日までの事態はそのように推移している)
となると、遅かれ早かれ、「事態収拾困難」で白旗を上げる時期が来る。
その後はメルトダウンなのか再臨界なのか「神のみぞ知る」状態になる。
そういうワーストシナリオであっても、風向きが南風だったり北西風であれば、
しかし自分は「関東は、時々北東~北北東の風が吹いて、天気がぐづつく」という気象現象があるのも知っていた。
恐らく1年365日のうち20日程度だろうか、全国的に晴天なのに、関東だけ曇りや小雨という気象条件の時があり、
そういう場合は関東東側に小さな低気圧があって北北東の風が吹いているのである。
※茨城福島沖の湿気を含んだ空気が、北北東の風に乗って関東山地(箱根など)にぶつかり、弱い雨が降る。
冬型気圧配置で、日本海側、それも日本海側の内陸で降雪があるのと同じ理屈
となると、折悪しくこういう気象条件の場合にワーストシナリオが発生した場合、
汚染された気流が関東に流れ込む形になり、しかも悪いことに「降水」する危険性が高い。
今回の原発事故以降、毎日数時間は原発関連テレビを見て、かつ「はてな」で情報収集しているのだが、
この関東特有の気象条件について言及している学者が一人もいないのが不思議である。
※希望的観測を言えば、福島茨城県境に山地(八溝山など)があるので、そこである程度放射性物質が
落下してくれるかもしれないが・・・
で、「ワーストシナリオ」発生時に「あわてて家族一緒に避難する」という選択肢もある。
15日の放射線量データを見てもわかるように、関東山地以西、山梨や静岡は、
北北東気流が遮られるので、格段と影響が小さくなる。
関東4,000万人が一斉に避難行動を開始した場合、様々なパニックが予想される。
実際に避難できる方向は静岡方面と山梨方面だと思うが、自分がラフに計算したところ、
「東名高速と中央道が徒歩避難者に開放されたとしても、両高速道路で関東脱出できる人数は32万人/時、
関東全員が県境を越えるのに125時間かかる」という結果になった。
要は東京マラソン状態になって、「125時間の大渋滞」が県境で発生するのである。
「徒歩」という前提で計算したが、自家用車とかだともっと悲惨な結果になる。
要は「ワーストシナリオ発生後に関東脱出できる」人は「関東全人口のせいぜい10%もいない」のである。
事実上、ワーストシナリオ発生後の脱出は「不可能」と言ってよい。
「ワーストシナリオ発生する前に、事前に疎開させる」というのが親として取るべき行動、という結論になった。
勿論、個々の事情はあって、自分の場合は「妻の実家が関西」という有利な条件がある。
※親類が西日本に居なければ、「1%のリスクを甘受して、東京に留まる」という選択肢を取ったと思う。
唯一のネックは「上の子が小学1年生で、まだ終業式を迎えていない」ことである。
春休みまでの数日間、学校を「ズル休みする」格好になり、この点を妻はさんざん抵抗した。
「終業式以降じゃダメなの?」
「A=今避難して、その後何もなくて、「取り越し苦労だった」と嘆く。
B=今避難せずに、その後万一のことが起こって、「あの時避難しておけば・・」と後悔する。
Aの嘆きなんて、所詮「後になれば笑い話」だし、子供の長い人生の中で、1週間の休みなんて、どうということはない。
「Aの嘆き」と「Bの後悔」では、全然質が違う」
それでも渋る妻に、奥の手も使った。
大学時代の友人で、今は某私大の准教授(専門は化学)に、「疎開を考えているがどうだろう?」と
で、その准教授の肩書きとともにメールを見せて、いわば「権威付け」して、妻も納得した。
(後日その准教授は自身のツイッターで「西日本へ疎開できる家庭環境の人は、疎開していいのでは?」と書き込んだようだ)
「今ワーストシナリオになってないだろうか?子供は大丈夫だろうか?」と
15日以前は、常に原発が気になり、正直仕事が手につかなかった。
その点、16日以降は「後方の憂えがない」状態なので、仕事がはかどる、はかどる。
「自分はワーストシナリオでも、まあガン化確率がちょっと上がるだけじゃん、んなもん気にしてられっか!」と
自分なりに「事態が収拾され、ワーストシナリオが回避される」時点を見極める必要があるから。
早期に事態収拾されるなら、終業式くらいは出席させよう、というハラである。
私見だが、冷却電源が確保され冷却(原子炉&使用済み燃料プール)に成功すれば、
事態収拾と判断していいと思うのだが・・
まずは、この度の大地震・大津波で被災された方々の安寧と一刻も早い復旧を祈ります。
私の叔父の一人が、被災地域のひとつに非常勤で働きに行っていた医師なのです。
と言っても臨床経験は浅く、今までは裏方的な仕事をしていた人なので、
実際には長期安定した患者さんに定例の薬を処方するのが主な仕事のようです。
そこは普段からかなり交通の不便な場所で、いわゆる限界集落というものだろうと思います。
街の病院から往診車が山道を通って月に数回来る以外、何の医療設備もありません。
今回、その基幹となる病院が津波の被害を受け、機能停止状態に陥っているそうです。
叔父は往診車でその集落へ向かう日以外は都内に暮らしており、震災時も都内に居ました。
当初はその地域の情報がなかなか入らず、どうにか病院関係者と連絡が取れたものの
上記のような有様で、叔父は集落の人たち(ご老人ばかりらしい)の事を心配しています。
何とか自家用車で集落へ行けないかと、地図を見たりしていますが、
渋滞による物資の輸送遅延を防ぐために極力個人で被災地域へ向かうのは避けて欲しい、という
当該地域の公式HPの記述もあり、私としてはこの場合はインフラの復旧を待つしか無いと思っているのですが、
叔父は「自分は医師であるから、一般の個人とは事情が異なる」と言っています。
それにしても肝心の病院が動いていないのでは、薬の処方もできないし…
食料や水の補給といった目的で行くのなら、医師は関係無いのでやはり一般人扱いな気がします。
しかし、普段見ている人たちが取り残されて心配な気持ちも分かります。
追記:
お返事ありがとうございます。今は時間がないので、あとでゆっくり拝見します。
往診車の基幹となっている病院ですが、津波で浸水したのと電気が通じないのと(自家発電も長く持たなかった)で
元々人手不足気味の病院なので、この非常事態では医師の数も決して足りてはいないと思いますが。
逆に言えば、電気が通じるようになれば、ある程度機能するのかもしれません。
2011年2月初旬、はじめての妊娠がわかって、とてもうれしかった。
昨日、稽留流産の手術をした。まだ、気持ちの整理がついていないけれど、幸いに術後の痛みもほとんど無いので、記憶が確かなうちに記録する。
様々な方が経験を手記やブログとしてネットで公開されていて、それがおおきな助けになったので、自分も増田として一助になれればと思う。長文お許し下さい。
筆者、36歳、自宅で自由業。結婚10年目。夫は38歳、研究職。ふたりぐらし。
仕事が落ち着き、経済状況も安定してきたので赤ちゃんをむかえることに、2010年秋からとりくみはじめた。
基礎体温は2010年7月から記録をはじめた。葉酸は、1年ほど前から意識して摂取するようにしていた。
夫は頭の中が研究のことばかり。いつも帰宅が遅く、ごはん食べてそのまま泥のように眠るのが日常。
仕事を家にもちかえって、私がデータ整理を手伝いながら、夜半まで趣味とも仕事ともつかない作業をする日も多い。
そんなわけで、いままでかんばる回数は月に2回あればいいほうだった。
夫の妊娠についての知識は「排卵日にがんばれば命中する」というもので、
「顕微鏡でためしに自分の精子を観察したところ、活動も活発で数もいた」という自負がある。
私の周期は28日で、サイクルはわりあい正確、基礎体温もはっきり2層に分かれる変化をしていた。
基礎体温記録、周期の予測、予告などで、下記のサイトを有効活用させていただいた。
記録をまとめて印刷することもできるので、医師に妊娠の経緯を説明する時にとても便利だったし、「がんばる日」の予想もしやすい。
上記の通り、夫の妊娠に対する知識はかなりアバウトであったし、私もネットを使って本気で調べるまでは、知らない事が多かった。
挑戦して、3ヶ月くらいまでは、基礎体温から予測した「だいたいこの日が排卵日」という日を中心に一晩か二晩、がんばった。
夫が仕事でつかれていて、お願いした日に寝てしまったり、お酒を飲んでいい気持で忘れて寝てしまうこともあった。
年齢の事もあり、また自分に自信がなくなってきたので、不妊治療の事も真面目に調べた。
とてもお金がかかり、体への負担も大きい事が分かった。
20代で子供を産み、子供を小学生に育て上げてから、仕事をはじめた友人や、
私の20代には、経済的にも精神的にも余裕はなかったし、夫も自分の身を立てることで精一杯だった。
たいへんでも、親に援助をもとめても、もっとはやくに赤ちゃんをむかえることにすればよかったのかな……
冬になってから、もっと真剣になった。排卵日に関係なく、回数を増やした。それでも週に1度くらい?
妊娠しやすい体にしていくためには、普段から夫婦の接触が大事で、がんばる日が多いと、
お互いのホルモンが活発になって、生殖機能が活性化されていくらしい。科学的根拠は不明?
そして、妊娠しやすい期間の前に4日やすみの日をつくり、排卵日周辺に2日おき、または1日おきにがんばった。
カレンダーに「がんばる日」の印をつけて、多忙な夫が忘れないようにしてみたけど、それでも夫は忘れることがあった。
夫は、理性では、子供と私への気持から、その「予定」に前向きだったが、仕事の締切りや年末進行などで体力的にきつかったし、プレッシャーも感じていた。
私も強制して性交させるのはとても嫌だったので、時に喧嘩になることもあった。夫はいつも一方的に謝るばかりだった。
夫が最大限に努力してくれている事はよくわかっていたはずなのに、自分は焦って思いやりを忘れていた。
年末年始、大掃除もてきとうにして帰省をせず、はじめてふたりだけの大晦日とお正月をすごした。
いつもは組立てない炬燵を出してきて、パソコン並べて仕事しながら、お雑煮やおせちをたべてゆっくりした。
その甲斐もあって、1月のおわりにくるはずの月経が来ず、基礎体温も高いままだったので、
妊娠検査薬を使わずに、2月の初めに産婦人科にいった。病院は、近所の奥様がすすめる病院を選んだ。
子宮のなかに小さな黒いまるがうつっていた。なかみはまだ見えないけど、子宮外妊娠ではない事がわかりほっとした。
妊娠が確定して予定日を告げられてから そのママ に夫婦で登録し、
2月の半ばに2回目の検診にいった。
先生がカーテンをあけて、心臓が動いているのを見せてくれて「順調です」と言ってくれた。
黒い楕円の中で、ちいさい心臓がぱくぱく動いていて、思わず涙腺がゆるんだ。
赤ちゃんは週数のわりに少し小さかった。
調べると、後から追いついて大きくなったり、排卵日が遅かったりしていたために小さく見えたりするそうで、
あまり問題はないということだったけど、今思うと、その時のことがとても気になる。
つわりは、吐くようなつわりでなく、とにかく眠くて眠くて夜も早く眠くなり、昼寝で夕方まで寝てしまう事もあった。
つわりは人それぞれで、これで赤ちゃんの状態を推測する事はできないということだった。
回数を増やすようにがんばってから、夫が活性化したらしく、要求が増えたので、手などを用いて別の方法でお世話をした。
3月の初めに3度目の検診に行った。
この日に母子手帳の手続きができるはずで、その後に、しかるべき人々に報告しようと思っていた。
ちょうど夫の仕事が休みだったので、いっしょにうきうきしながら行った。
いつものように、エコーの検査をしてもらうと、時間がいつもより長く、先生が焦っているようだった。
何度も確認してみても、前回の検診から大きさもあまり変化していなくて、あんなに動いていた心臓のあたりがしんとしていた。
先生によれば、大きさからみて一週間前に心臓が止まってしまったそうだ。
稽留流産、といわれ、先生から説明を受けた。自分では一週間前に何の心当たりもなかった。
夫によれば、ちょうど一週間前から私が吐気でえづくことが増えたので、変化?と思っていたそうだ。
ネットで調べればいろいろ書いてあるので、細かい説明は避け、私個人の体験を記す。
丁寧な説明を受け、自分でもどうして良いかわからなかったけど、
とにかく、早めがよいということで、4日後に手術の日を予約した。
待合にいた夫を呼んで、小さな部屋で、助産師さんからより詳細な説明を受けた。
「わからないことや不安な事は何でも聞いて下さい」といわれたけど、何が不安なのか、何がわからないのかも見当がつかなかった。
あまりに突然の事で、夫婦して感情が固まってしまった。とにかく、私の母と夫の両親に報告した。
母が祖父の看病で家を離れられないため、義母が私の手術前から家に来てくれる事になった。
義母がくることに私はとても不安を感じていたが、案の定、相変わらず、無邪気に笑ってはしゃいでいたので、応対にひどくつかれた。
夫があとで「こんな時に笑うな」と言ってくれたので、助かった。
未婚の友人は、よく「夫を産んでくれたお姑さんに批判的になるのは変よ」と言うが、誰でも最初はそう思うのだ。
誰が好き好んで尊敬すべき立場の人に嫌な感情をいだくだろうか……それなりの経緯というものがあるのだ。
これを書いている今も、横で笑顔で孫がはやく欲しいなどと言っているが、赤ちゃんが亡くなった直後の無神経な発言に気分がささくれ立った。
前夜に話を戻すと、義母ひとりで付添いをするとはりきっていたが、頑なに拒み、夫ひとりについてきてくれるように頼んだ。
義母は多分いい人かもしれない。しかし、いい人がよいことをするわけではない。私は自分が我侭だと思ったが、あとでこの判断はよかったことがわかる。
海外で稽留流産をされた経験のある方の手記をネットで読んだ。その人は夫が激務でひとりで手術に行く事になったそうだ。
手術前夜からの入院で、夜中に耐えられずに泣いてしまったら、年配の看護師さんに抱きしめられて慰められ、
夫を病院に呼ぶようにすすめられ、夫が来てくれたのでとても助かった、と書かれていた。
手術前夜は、飲食禁止だったが、家で留守番をする義母と付添の夫のお昼に炊き込みご飯でおむすびをつくり、
病院に持っていく分と帰宅後の安静時に飲むための番茶をたくさん煮出して、空のペットボトルにつめ、
夫は、手術の前夜も仕事を家に持ち帰っていた。年度末の仕事がギリギリで、とても忙しい時期だ。
そういうわけで、夫は、赤ちゃんがいた実感も、赤ちゃんが亡くなった実感も薄く、私も事務的に手術の仕度をするだけで、
何が起こってどうなるのか、わからなかった。ただ、ネットで様々な人が書かれた手記や質問の応答などを読んで、
「こういうことがある」のがわかり、ふたりで「痛いことはたくさんあるようだけど、いちばんつらいのは赤ちゃんだから、耐えよう」と思った。
当日、3月7日朝9時、夫と直接、産婦人科病棟のナースステーションに行き、書類を出して手続きをした。
病院には自家用車で行った。服装は、お腹をゆるく保護する妊婦用のやわらかい部屋着のズボン、Tシャツ、パジャマの上着、フリースの長いコートで、
家に帰ったらそのまま寝られる服装で行った。手記をみると電車で行き帰りする人もいて術後は歩いて移動できるようだけど、楽にできるならその方がいいと思った。
ナプキンをつけてから、担当医とは別の当直の先生が、子宮口を開く処置をしてくれた。
赤ちゃんは最後の検診の時と変わらず、動いておらず、形も少しいびつになってしまったように見えた。
この処置はとても痛いという手記が多いが、私の場合は、それほど痛くなかった。痛覚が鈍いのかも知れない。
それから点滴で輸液をし、午前中の外来が終わるまで病室で安静にしていた。
午後になり、手術着に着替え、点滴をつけたまま、手術する部屋へ歩いていった。夫は病室で待機。
多分、分娩とおなじ場所だと思う。途中の廊下で元気な赤ちゃんの声がたくさん聞こえた。
担当医の先生が手術の道具を調えていて、天井には大きなライトがあったり、
計器をつながれたり、看護師さんがてばやく準備を整えはじめたので、急に怖くなった。
台の足の部分が開かれて持ち上がり、足にカバーをかけられて、足首を固定された。
肩に麻酔を効きやすくする筋肉注射を打たれた。これが全ての経過の中で最も痛く、
思わず呼吸が大きくなり、その痛みが引かないうちに、アイマスクをつけられ、看護師さんに点滴を刺している手を胸を載せられると、
先生の「麻酔を入れたら、手術を始めます。子宮口に詰めた消毒綿をとります。はい麻酔を…」というとこで、
器具の冷たい感触があって、下腹部が激しく痛くなったと感じたら、麻酔が効きはじめ、突然、幻覚が始まった。
事前に「意識はうっすらとあって、声が聞こえるくらい。眠くなったら寝て下さい」といわれていた。
しかし、私は意識はしっかりあったと思う。ただ外とつながっていないだけで。
もし、赤ちゃんが次に何処かに生まれることができるなら、できるだけ暖かくて自然がいっぱいあるとこへいけるといいなと考えて、出張した時に見た熱帯の森を手術中はイメージしていようと思い、痛みをこらえて、その木々の茂る風景をイメージしてみた。
だけど、アイマスクで暗いはずの視界が急に明るくなって、上からレゴブロックの白いのみたいな小さなものがザーッと落ちてきて、自分の体がとても小さくなってしまったように感じた。痛みも体がある感じも消え、白と灰色と黒の格子みたいのがある空間の底にいて、格子がうねりながら昇っていった。うねった隙間から、キミドリとピンクの光がでてきて、渦を巻いてまるくなってくっついたり離れたりして激しく動いていた。私は自分の家や猫のいる温かい感じがあるとこへもどりたい気がしたけど、仕事や、大学のころに勉強していた事、その意味が、バラバラに浮かんできて、消えていって、その間、気持ちいいテクノみたいな音楽(フロアに流れるかすかなオルゴールの環境音がアップテンポに聞こえた?)がずっと流れていた。格子の四角がだんだん大きくなってきて、その合間にフラッシュバックみたく家にいて西日が当たる暖かい感じが懐しく浮かんできて、そして、キミドリとピンクの光がうすれ、シューッシューッと機械が動く音が聞こえて、視界がもやもやした暗い灰色になって、人の話す声がなんとなく聞こえてきた。
しばらくして、アイマスクがはずされた。目を開けようとしても薄くしか開かず、まだ視界がぼやけていて、遠くから声が聞こえた。
「お腹はいたくないですか?」 「わかりません」と答えたと思う。
顔を横にして時計を見てみたら、20分くらいしかすぎていなかったのがぼんやり見えた。
ご主人を呼んできます、と看護師さんが出て行き、夫が来て手を握ってくれた。
すごく暖かい感じがして、涙が出てきた。夫も泣いていた。
麻酔がしっかり醒めるまで、一時間ほど、その場所でそのまま2人でいた。
時折、看護師さんが来て出血を確認していった。
いつの間にかパンツを履かされていて、看護師さんがナプキンを交換してくれた。
持参したナプキンのうち未使用の2コをとり、交換したナプキンと今着けたばかりのナプキンの空袋を持って、計量にいった。
重さの差から出血の量を計測しているのだろう。種類を混ぜて持ってこなくてよかった。
なので、手術の日に持参するナプキンは全部を同じ種類のものにしておくとよいと思う。
麻酔が醒めてくると、点滴の支柱と夫に支えられて、歩いて病室にもどった。不思議とどこも痛くなかった。
病室でズボンをはいて横になり、点滴がはずされると、遅い昼食がでた。
夫も昼食をとっていなかったので、いっしょに食事をした。
夫は前日まで、「手術してる間にちょっと外でごはん食べてくるから、おむすびいらないよ」と言うほど、
手術の時にどうするか何も知らなかったし、手術の間は待機しているようにと説明された事も忘れていた。
私は飲み物をのんでおかずを少し食べてみたが、点滴のせいかお腹がすいていないので、勿体ないけどほとんど残してしまった。
夫は「自分がここにいるべきだし、おむすびとお茶を持ってきてよかった」と言った。
薬がでて、会計が終わると、手術着を脱いで、帰る仕度をした。このときも、お腹は全く痛くなかった。
看護師さんが手術前に、担当医の先生は手術がはやいと言っていたが、きっと処置が上手だったのだろう。
子宮を収縮させる薬を飲むとお腹が痛くなるというが、薬をちゃんと飲んでいる1日後も痛みはほとんどない。
来週に検診があって、また病院にいく。
元気になったら、赤ちゃんのことをおぼえておけるように、地元で名木の桜の保護をしている会から苗木を分けてもらって、実家の土地のいい場所に植えようと思う。
その木がもっと時間が経って大きくなって花をたくさん咲かせたら、それとは知らなくても、いろいろな人が見に来てくれると思う。
・次の月経以降の周期に、「妊娠したい 私はこれで妊娠しました」 を参考に、排卵検査薬を使って、排卵と基礎体温変化の様子を観察し、今後に役立てる。
246から道玄坂、ハチ公前を左折して公園通りをNHK前までのわずか数百mの間に、
マンガ喫茶、アイドル、バイト募集サイト、出会い系、ギャル向けのモバイルサイト、etc。
当然、駅周辺は常に渋滞。本来なら幹線道路のはずの246も渋滞気味。
もちろん今に始まった話じゃないんだが、こういう宣伝トラックを仕込んでる連中というのは、
意図的に渋滞を巻き起こしていることについて、どう思ってるんだろうか?
あと10台同じサイズのトラックが渋谷をぐるぐる旋回し始めたら、おそらく駅周辺の交通は完全に麻痺する。
というか、今も既にそうなりかかっている。
ああいうトラックって、交差点に長く留まって人目を集めるために、ほぼ全ての交差点を右折するルートを設定してるんだと。
トラックにとっちゃ、渋滞してるほうが通行人の眼にとまるわけだから広告効果もあるだろう。
でも、そういうトラックが常にレーンをふさいでるおかげで、自家用車だけじゃなく、バスやタクシーも
「アドトラックで効果的な屋外広告を!」なんて売り込んでる代理店や、それにホイホイ乗っかるようなアホな広告主は、
自分たちの宣伝が街に不快の種をばらまいてることについて、どう思ってるんだろうか。
ま、どうでもいいんだろうな。
不快だ。
登場人物:
・A氏:40代後半。既婚。2児の父。勤めている企業では管理職クラス。見た目は髪が薄くておっさん体型。
一度目は長女が3歳くらいの時、二度目は次女が3歳くらいの時。
一度目も二度目も妻にバレて関係が終わっているようだ。
「社員の〇〇さんが気のある目で俺のことを見ていた」とか得意げに話していた。
不倫経験自慢も平気でする。特に罪悪感とかそういうものは感じられない。
普通一度でも妻にバレたら懲りて二度目はバレないようにしようとするものだと思うが、
(浮気癖が酷いと妻にバレようが何だろうが繰り返すのでやめようという意識はない)
どうもそういうところが無頓着のようだ。
…無頓着?
いや、関係が面倒くさくなったら敢えて妻バレさせて別れの口実を作っているようにも思える。
不倫がバレた時の妻の反応は半端無くすごいものだった。
家の中をめちゃくちゃにしたり、自家用車のシートにはさみで切りつけたり、怒り狂うにしても常軌を逸している。
A氏曰く妻はうつ病なのだそうが、SSRIなどの抗うつ剤による副作用で他害行為に及んだものなのか
(http://oisha.livedoor.biz/archives/51250019.html)
他の精神疾患のせいなのかは分からないが、ともかくそんな状態になったら一刻でも早く入院させ治療させるのが
家族のつとめだろう。
しかし、A氏はそういう対処もせず、妻と彼女行きつけのカウンセラーのところへ行くとそれだけ。
この人はうつ病の知識もないのか。
二度不倫がバレたA氏だが、家庭が崩壊することもなく今も何ら変わらず生活を続けている。
たまに昔の不倫相手が懐かしくなり連絡することもあるのだという。
そしてまた妻にバレて妻が半狂乱しておわり。
自分の好きになる金が手元にあるうちはこれを繰り返すことになるだろう。