はてなキーワード: 人を動かすとは
http://d.hatena.ne.jp/Lobotomy/20120121/p1
むちゃくちゃ同意。
人の笑いや泣きがどれだけ簡単に操作できるかについては
http://www.nicovideo.jp/watch/sm8905211 でも見れば一発で分る。
世の中って、感動屋の方が人を動かすことが多いのだよね。
というか、本当に
・「嘘だとかって言う前に感情が動くほうが人生充実してない?」
・より多く感動した方が素晴らしい人生を送っているというのが正しいとすれば、我々の大半の人生はオウム真理教の信者よりもつまらないことになってしまう
こういう人多い。
で、こういう人が多く集まって、それが正しいのだって空気が形成された空間、プチ社会は本当に息苦しい。
私にはこれが形を変えた体育会系とか吉本喜劇のクソヒエラルキーのように、脳が酸素欠乏になればなるほど偉いみたいなドMの集団にしか見えない。
はてなは、そういうのが苦手な人が多いと思う。他人に笑顔を強いられるくらいなら自虐することを選ぶくらいそういうのが嫌いな人が多いと思う。
上の記事のような、ユーモアやアイロニーでこういう空気に冷水を浴びせる記事が人気になりやすい。
多くの人が批判記事を書いて抵抗の意思を示す。
ハイテンションな人がちょっと本気をだせば、あっという間に2500ブクマ越えを達成してしまう。
ゲーセン少女など可愛く思える、病弱な少女を酷使して死に至らしめておいて、泣けばすべて許されるという初期ケータイ小説的な道徳を描いた虐待推奨小説が300万部のベストセラーになることを止めることはできない。
ハイテンションな人の熱狂には結局勝てないのだ。
その理不尽な現実はますますはてな民を苛立たせるが、早いところ受け入れざるを得ないのも事実だろう。
頭が冷えているときは、「人と人って簡単に分かり合えないよね、というか絶対に分かり合えないよね、みんな一人で生きて一人で死んでいくんだよね」ということと向き合わざるをえない。
そういうのは人気がでない。人気が出ないと言うか、あまりオススメしない。
特に今みたいに、支えとなるものが金くらいしかなかったのに金すらもない状態で、そういう訓練したことがないのにいきなり一人で向きあうのはむしろ危険だとすら思う。
ある程度みんなそれがわかってるから、すごくつまらないことでも共有して盛り上がってハイテンションにはしゃぐ。
とにかく泣く、怒る、やばいやばいと黄色い声で絶叫する。そうやってうすっぺらい経験を少しでも濃いものとして錯覚しようとする。
自殺しないで生きていくためにはこういう必死の努力が必要なんだろう。
そういうことを考えると彼らは彼らなりに生きるのに精一杯なのであって、愚か者といって批判するのもなんか違う気がする。
命がけではしゃぎまわり、群れようとする彼らには勝てない。
でも負けを認める必要もない。負けを認めて、彼らのルールに適応しようとして頑張ってモテ系の記事を読んでも、どうせ一度冷めた熱は上がらない。
日本人のうち9割はドMなんだ、でも僕はMじゃないんだ、体育会系ではないんだ、とはっきりとカミングアウトする勇気が必要。
意識して別路線を選ばないと、その自覚を持ってないと、生きるのが苦しくなる。
そんなことより今週のハンターハンターがめちゃくちゃおもしろくて生きるのが辛い
うわーそうきたかー。 蟻編とはなんだったのか、どころか、24巻あたりの伏線がこんなところで生きてくるとは。富樫神すぎるだろ。
追記
だから、私はその上下とか高低ってのがいやだから、横に広げようとしてるわけよ。ヨコのものをむりやり縦に考えないといけない病気でないならそこは理解してください。
H×H単行本はシリーズ累計5500万部でていてケータイ小説のトリプルミリオンなんか鼻で笑えるくらいハイテンションな人御用達コンテンツと思うけど。あたなが横と思ってるものこそ縦かもしれんぜ
系のツッコミありがとう。それについては一つ目のトラバの返信に書いてあるから読んでね♪
ハンターハンターを好きなオレは縦社会から抜けだしたヨコの人間だと主張するつもりもないし、どんなマイナーな作品が好きだろうが、それはただのマイナー好きです。
あと、文中でも述べているように、ハイテンションな人たちを批判するつもりは全くないんですよ。それどころか彼らの気持はよくわかるつもり。
私が言いたいのは、「ただそこしか居場所がない」という考えから抜け出したい、ということなんですね。
必要ならみんなで盛り上がっていい。 何かをきっかけにして、人とつながりあう感覚は時々必要になります。キャッキャウフフな人たちを批判するつもりなど毛頭ない。
分かりやすいように話をぐっと傾けると、「・・・してたら楽しかった!」が逆転して盛り上がることやつるむこと自体が目的化され、常態化されるような状態は嫌だってことです。
これずっとやってると感情が薄まるんですよね。良い方向でも悪い方向でも自分の頭が麻痺してくる。
形的的を追い求め過ぎて、外からみるとリア充だけど中身は・・・って経験は誰にでもあるでしょう?
・・・と、ココらへんまで話を傾ければ誰にでもわかってもらえるとは思うんだけれど、私がいいたいのはそこまで傾けない状態のことです。
ここまで極端な話をシなくても、もうちょっと手前の微妙なところで、しんどいって言うくらいはいいじゃない、と思うんですがどうでしょう。
単純に言えば、あんまり周りに振り回されずに、好きでないものや、必要でないもの、必要でないタイミングにはNoという。
その代わりに好きなものやここだというタイミングではワッと楽しみたいです。感情を濃くしたい。そんだけ。
追記2
反応が帰ってくるのは予定していたとおりだけれど、内容は予想以上。我ながらナイスアシストができたと胸を貼りたい気分。
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20120124/1327388248
彼がまともな記事を書くと、普段の彼とバッティングするというのが非常に味わい深い。
私はこれからも岩崎さんの綺麗な面を際立たせるような、彼がまともな記事をかけるような問題提起をしてきたいと思います。
今回は、直接作品について、しかも悪口の形で触れてしまったのである意味反則です。
そうではなく、岩崎さんの正義の心を激しく揺さぶるようなテーマを提供していきたい。
最近岩崎さんはスランプらしく、自分で考えて記事を書くことができないみたいなので、みんなもアシストして行きましょう。
あと非常に悲しい誤解があります。
またぼくの悪口がはてなに書かれていた。
私は岩崎さん個人は大好きですよ。
点数を貰うのや馴れ合いが大事って意味じゃない、そこを勘違いするからおかしなことになる
ちょっと長文になるが
絵にかかわらずなんでも他者がいてはじめて力がわかる
文章読んでもらう、料理食ってもらう、プログラムを使ってもらう、格闘で相手と戦う
それで自分のできる事が素晴らしいんだ!って客観的に思えるようになる
一人でも理論的には上達できるが、哲学者や仙人にでもならないと精神的にもたない!普通は無理ッ!
人にみてもらう事で精神的な燃料は補充できるし、自分の表現で他者に燃料を補充することもできる
これを馴れ合いだ自己愛だといって否定するやつは表現むいてない
上手い下手の問題じゃねえ
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/cg/1323767312/742
「上手くなりたいだけなら (ニコニコ|Youtube|pixiv|tinami|Twitter|その他なんちゃらいろいろ) にうpったり張ったりしなくていいよね。点数欲しいだけだよね。ちやほやされたいだけだよね。」
ネットという舞台でだれもが気軽に表現できるようになって、こういう批判をしたがる人が本当に増えたと思う。誰にも見せてないけど満足してるよって人は、自分が第一の観客なことに気づいていないだけじゃないか。
人にいくらパワーを与えてもオリジナルが磨り減る事はないのが表現。一つのオリジナルから、受け取り手それぞれの中で様々な形でパワーになるのが表現のすごい所だし、面白い所だ。
自分の表現で他人が心を動かすのは、ものすごくエクスタシーを感じる。これほど気持ちのいいことはないよ。本能的なものを満たしてくれる。他人を動かすのが他人に与えるのが気持ちいいからしている。俺はモチベーションを維持するのにこれほど質の良いドラッグを他に知らない。馴れ合いだと頭から否定する人は仙人にでもなれってんだ。
オープンソースってなんで成り立ってるの?無償でなんでわざわざ参加するの?と知人が言ってたがこれも似たようなもんじゃないのか?自分の仕事で他人が何かを与えられるのは、エクスタシーを感じることだからじゃないのか。もっと言えば、自分がやったことが文化に還元されるのはエクスタシーを感じることだからじゃないのか。この気持ち良さは金で買えることじゃない。
この気持ち良さを一切理解しようとしない、消費するだけの人とは分かち合うのが難しい気がする。
http://anond.hatelabo.jp/20111209095945
ライフハックとか自己啓発とかの記事の中には、単に昔から上司が部下に教えてきた「普通の仕事の常識」のポイントをまとめたものにすぎないものも多くって、それって、どこが啓発でどこがハックなんだよ、単なる新入社員教育じゃん、みたいなところがある。
fromdusktildawnさんのこれは名言やなぁと思う。
というわけで、ライフハック好きの人たちのために「色々漁るよりまず基礎固めしろ」ということで新入社員をターゲットとした自己啓発書をおすすめする。
良書に特徴的なのは「上司の単なる言いなりのロボットではなく、会社から必要とされる人間になるためには何が必要か?」という問からスタートしていること。
それに対して、「まず会社という環境で自分の居場所を確保せよ」「まず存在を認められる何者かになれ」ということを目標に掲げ、そこから応用していく仕組みになっていく。
この2つについて、読んで満足して終わり、のスローガンではなく、実際にステップを踏んで実践方法を書いてある。
新入社員だけでなく、未だに会社で居場所がない、何者にもなれない、と感じる人間は大勢いて、そういう人はライフハックを求めているのだと思う。
難しいやつは読んでも実践できないだろうから、まず「ライフハック入門編」「ライフハックを実践できる自分の確立」を目指してこういうところから読んで行かれると良いと思う。
自己啓発目的なので、考え方やコミュニケーションを中心にして、「マーケティング」や「会計意識」などについてはあえて削除してます。
http://www.amazon.co.jp/dp/4480878181/
新人にとって最初にぶつかるであろう社内コミュニケーションに関する話が中心の本。
自分の立場をしっかりと確保するための戦略について述べられています。
http://www.amazon.co.jp/dp/4478015422/
酒井譲さんの「リーダーシップでいちばんたいせつなこと」とどっちかで迷ったけどこちらをチョイス。
ちょっと要求レベル高いです。自己裁量で動き、成果を挙げるところまでについてのアドバイス。
http://www.amazon.co.jp/dp/4479300554/
この本でなくても良いです。なんでもいいので、最低1冊はコーチングの本を読みましょう。
書いてる内容が直接役に立つことは少ないでしょうが、
自分の心に問いかけ、気持を開示することによって、自分の意識を変えうることは知識として持っておきたいところ。
自分だけでUnlearningが出来るかどうかは人によりますが、他人やツールの力を借りればだれにでも可能です。
行き詰まったときなどに、このことを知っていると必ず力になります。
「自分がやるべきこと」と「自分のやりたいこと」の区別、すりあわせなどもコーチングの得意分野です。
http://www.amazon.co.jp/dp/4422100513/
定番ですが、本当に本書に書かれていることを実践すれば効果があるのだから仕方が無い。
これは新入社員の時にこそ読んでほしい。力がないからこそ真剣に読めるはず。
Wikipediaとかで項目だけ読むのはNG。ちゃんと本に挙げられている実例とともに読もう。
「人を動かす三原則」「人に好かれる六原則」「人を説得する十二原則」「人を変える九原則」とありますが、新入社員にとって重要なのは前の2つ。
まず「人を動かす三原則」だけを10回くらい繰り返し読むべし。これが身につくまで先に進まないほうが吉。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4766416244/
あえて「学問のすすめ」ではなくてこちらを。実際こっちを先に読むべきだと私は思う。
新入社員である自らを、「列強国に囲まれた日本」「他国と対等に語る手段や言葉を持たぬ日本」といったイメージにあてはめて読むと心にグッときます。
危機感が足りないと思ったらこの本読んで喝入れましょう。
http://www.amazon.co.jp/dp/4569571182/
新入社員にとっての最終関門。
一言で言えば社内で「会社人生におけるメンター」を獲得するための戦略について書かれている。
この本の要求をクリアできれば会社で成功するのはほぼ約束されると思う。
ただ少し古い本なのでアレンジも必要。今は社内にこだわらずWeb上に目標となる人やメンターを見つけるのもよいと思う。
http://www.amazon.co.jp//dp/4561233857/
この本じゃなくてもいいですが、セルフアセスメント(自己評価)のためのツールは何か持ってるといいと思います。
3年ほど前に「さあ、自分に目覚めよう」のストレングス・ファインダーがブームになりましたが、コミュニケーションのきっかけとしても便利なのでお勧めです。
定期的に「客観的な基準で」(社内の基準ではなく)自分の棚卸をする習慣がないと、会社の中で腐る危険があります。
http://www.amazon.co.jp/dp/4904336275/
セルフアセスメントとのバランスとして、組織のアセスメント手法も学んでおくとなおグッドです。
ジョブズを絶賛しているような人はアップル社は客観的に評価するとどういう会社なのか、などがわかって楽しいでしょう。
ただちょっと値が張るので、組織文化の分類にどんなものがあるのか、とチェックシートだけを立ち読みするくらいでいいと思います。
一方、読むべきでない本
タイトルからはわかりにくいですが採用活動に関するアドバイスの本です。
悪いことは言わないから読むのやめておこう。確実に胸糞悪くなります。
この人も中小企業のオーナーであり、また採用活動のアドバイザーです。つまりきれいごと理想が高いです。
自らの採用スキルの高さを強調し、自社のブランド価値を高めたいのはわかるけど、基準に満たない学生の扱いがひどいことになってます。
ただ、一般に上の人は新入社員をこういうふうに見ているということは嫌というほどわかるでしょう。
問題であることを問題ではないと考えている人に気づかせるためだと思ってた。
とりあえずだめなんだぜーって言う。
↓
そうか!だめなのか!でも、だめなんだったら、どうしたらいいの?
↓
知識がないからわかんない!頭いい人、だれか答えてよー!
でもこの考えがたった一人じゃ頭いい人を動かすことは出来ないと思うんだ。。
この考えをもった人が沢山いることで頭いい人を動かすことが出来る。
だってそれが悪いかどうか分からないし、特定的に批判することでそれ以外の悪い点が曇ることがある。
その後何が出来るかはみんなで考えようよ。
頭いい人も、悪い人も、君だって考えられるでしょ。
結局、だらだらと長文を書いたところで、人の心に引っかかるのはたったの一言だったりする。その一言がひっかかって、人を動かしたり、唸らせたり、止めたりする。だからこそコピーライターなんて職業が成り立つわけで。
なぜこんなことになるかといえば、概して人は自分の認めたいものしか認めないためだ。仕事や学業以外の、いわゆる第三者的な視点が入り込まない趣味の空間では、誰しもが自分の見たいもの、聞きたいものにしか関心を向けない。デイリーミーなんていったのは誰だったか忘れてしまったが、インターネットなんてメディアではその傾向がことさら強くなる。だから、文章の中にはたった一言のスイッチがあればいい。それがいかにキャッチーか、あるいはセンセーショナルか、はたまた誰かの願望を適切に表現しているか、それだけだ。その一言さえあれば、人々はそこに列をなしてコメントするし、ブックマークだってする。
思いつきで長文を書こうとする前に、人を動かす一言を考えよう。それさえあれば、結構な確率で人は興味を示す。それがあなたの書きたいこととは関係なくてもね。
一言で言えば気持ち悪い、と同時にまあそれも部分的には必要だなとも思った
1人目は部屋を魔界と呼び その部屋のものを捨て去ることで心がすっきりしましたとか どんな宗教だよ
2人目は親の遺品を捨てていくが最後に親の遺品のすずり箱に最終的に残すことにした遺品だけをいれてこれから新しい人生を始めますってとこで終わる
そこに他者のないナルシシズムとエゴが見えてこの上なく気持ち悪い
結局のところ今までの整頓術に邪術的ライフハックで精神的なインセンティブを与えたものに見える
自分探しするようなB級市民には神罰覿麺なんだろうけどこんなものを持ち出す時点で他者に対する悪意が見える
赤松健のいう感情を持って人を動かすって奴だろうけど 邪術世界そのものだ
その方法もありふれたもので
規範などにより負い目または承認を与え(片付けられないのはだらしない、情けない)
それを元に闘争の形にする
闘う者は自分の問題と向きあっている戦士であり
負けたならそいつが弱いのがいけない
こうすればどちらにせよ やっていることの正当性は保たれる
その枠組自体が正しいかは問われない 内部に対しては無敵の論法だ
こんなのが流行っている事自体頭の弱い人が溢れているってこと、そしてそんな奴らを騙して使うのがオ・ト・ナとか思っているろくでなしが正しい社会人とされている証拠だ
これ自体がありだと思ったのは、捨てる必要性自体は存在するからだ
物は捨てなきゃ溜まり続けるし、物をいくら残しても自分はいなくなる。自分が存在した影響もなくなる
何処かでそれは受け入れなきゃいけない
親自身半ばどうでもいいと思ってもいたのではないだろうか
もしくは死後まで自分の跡がどうなるかを考えるのは辛かったためかもしれない
これは取捨選択したところで最終的には変わらんのだけど
自分を否定しているように見えるのだろう
ただ気持ち悪さと感じる理由については違うと思う
結論としては、命は投げ捨てるもの
上がったか下がったかじゃない、自分と同じか、違うかが問題だ。
上がろうが下がろうか違うものは違う。連続したものが断たれれば、それはそれまでとこれからで比較される。
もちろんたいていは自分側を優位にして語るものだから、かくして「ゆとりはバカ」となる。
後にそれを受けて「しっかりやります」として改正されれば、上がらず、下がらずとも「まともになった」と見なす。それだけ。
実際どうか、というのは感情においてもっとも邪魔なものだ。なぜならそれは自分の思想信条を揺るがし、しまいには自分の立ち位置すら危うくする。
だから大義名分が必要になる。正義こそが人を動かす。実際どうか、ではなく、これからどうするべきか、そしてどうするか、が人を動かす。どうあるべきかは些事にもならない。
人を動かす立場は辛い。まとめる、って言ってもいいけど、結局は「動かす」だと思う。
「人一倍がんばって」も、大抵、ほかのやつからは見えない。
頑張って当たり前、成功したらみんなの手柄、でも失敗したらそいつの責任。
だから誰もやりたがらない。やった時点で人生負けてる。
そこでは、学内イベントとかに合わせて、年に一回くらいのペースで大きいプロジェクトが企画されてた。
でも、同期で統括的な立場に立ったやつは、関係者からボロクソに言われて悪者扱いされるか、気を病むかで潰れてしまった。
結局、やりたがる奴がいなくなって、でもその年、何もナシってのも嫌だったから、俺は一回だけ引き受けた。
睡眠もプライベートの時間も削ってやったけど、結局、俺自身もその過程で払った対価を背負いきれなかった。
で、俺も、卒業前にひっそりと部室から消えることになった。
今思えば、プロジェクトを形にすることに必死で、協力してくれた皆と十分に話せていなかった。
反省点は沢山あった。けれど、一緒にやった人間から悪い噂を立てられていた、って話を聞いて、もう限界だと思った。
確かに完璧ではなかっただろう。でも、おそらく誰よりも努力した。これだけは言える。結果も残した。
それなのにこの仕打ちは何だ、そう思って死にたくなった。あいつらもこういう気持ちだったんだなって思った。
思うに、協力して何かをやる、って、並み大抵のコトじゃないんだ。
使う側も、使われる側も、自分の責任は自分でとれる人間、大人でないといけない。
一緒にやる相手は選ぶ必要がある。プロフェッショナル、っていうのはその姿勢が最適化された人間なんだ。
重要なのは利害関係、あとは金銭。これ大事。思いやりだの友情だの、そんなものに頼ってはならない。
統括者も、動く側も、自分の中で収支を越える行動を強制すればどこかで歪みが生じる。
だから、人を動かすときは、自分の利益も他人の利益も、全力で守る義務がある。
そして、責任の所在はハッキリしておかないといけない。
何らかの不利益が生じたとき、躊躇無く他人を利用できる人間は常に存在する。
澱は全て統括者に返る。自分の利益と自分の立場は、自分で守るしかない。
人と一緒に何かをやるのは途轍もないことだ。
社会的に自立したメンタリティと、かつ相手を尊重できる器が必要だが、そんなん社会人でも持ってない奴は持ってない。
そして、今のままでも縁を繋いでいてくれる奴を手放すな。
縋りつくんじゃない。手放さないんだ。相手を喜ばせる努力を怠らず、相手にとっての利益であり続けろ。
それはホンモノの友人だ。
俺が居たサークル内に居た「頑張りすぎて、結果フェードアウトした人間」は、
ウザさいから人が離れる、その噂を利用して、プロジェクト上の失敗を全部そいつに押し付ける奴が出る、その悪循環。
彼らを見ていたのに、俺は見事に同じ轍を踏んだ。その後一年くらい、ずっと辛かった。
おかしい、自分のこの感じ方は理屈に合わない。そうわかっても、思考のデフレスパイラルを止められない。感情が重い。
素因はあった。そもそも「誰かのために、自分の利益を度外視しても」頑張る奴は根本が病んでる。
身の丈に合わないことをやろうとした。幾らかの失敗をした。立ち回りをしくじって、周りの人間に否定される結果になった。
だからといって、そこに注ぎ込んだエネルギーが本当に無駄になったのか、それを決めるのは自分だ。
自分が何をやったのか、それは増田自身が知っている筈だ。お前が逃げてたらお前が関わったプロジェクトは完成しなかった。
完成したプロジェクトは関わったすべての人間だが、責任者はお前だ。誰が何と言おうとお前だ。
そして、その経験に学べ。何に失敗したのか気づく機会は、今お前が苦しんでいる現実そのものに立ち現われているはずだ。
気づいた瞬間、全部返ってくる。
今は大変だと思うけど、頑張れ。
頑張って、っていうのは今と違う自分になれ、変われ、って意味じゃない。
生き延びろ。乗り切って、諦めずに人と関われ。また違う世界が見える。
俺はそうだった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E3%82%92%E5%8B%95%E3%81%8B%E3%81%99
o 批判も非難もしない。苦情もいわない。
o 卒直で、誠実な評価を与える。
o 強い欲求を起こさせる
o 誠実な関心を寄せる。
o 笑顔で接する。
o 名前は、当人にとって、最も快い、最も大切な響きを持つことばであることを忘れない。
o 聞き手にまわる。
o 相手の関心を見抜いて話題にする。
o 重要感を与える―誠意をこめて。
o 議論に勝つ唯一の方法として議論を避ける。
o 相手の意見に敬意を払い、誤りを指摘しない。
o おだやかに話す。
o 相手が即座に'イエス'と答える問題を選ぶ。
o 相手にしゃべらせる。
o 相手に思いつかせる。
o 人の身になる。
o 相手の考えや希望に対して同情を持つ。
o 人の美しい心情に呼びかける。
o 演出を考える。
o 対抗意識を刺激する。
o まずほめる。
o 遠まわしに注意を与える。
o まず自分の誤りを話した後、相手に注意を与える。
o 命令をせず、意見を求める。
o 顔を立てる。
o わずかなことでも、すべて、惜しみなく、心からほめる。
o 期待をかける。
o 激励して、能力に自信を持たせる。
o 喜んで協力させる。
個人的に助言すると、原則を全部覚えるのではなく
自分が特に足りない部分を把握しておくこと。
人を動かすことほど、難しいことはないですよ。
それに「暇そうだから」なんて言われてるのは、裏を読めば「あんまり働いてくれてないから」としか・・・
会社の荷物と思われてそうな雰囲気がぷんぷんしてきてますよ。
http://anond.hatelabo.jp/20100613125658
この記事を読んで、「自分は余程恵まれているのかなあ」と思ったので初はてダ。自分の場合は、少なくとも「理屈で正しいことは正しい」と言ってくれる上司(課長クラス)が居るし、自分も基本は理屈で正しいことを追い求める仕事をしている。ちなみにSE4年目。(ま、お金の大小が絡む仕事とは珠にしか関わったことが無いから、そもそも話が違うのかもしれないけど)
確かに、会社の中で同僚とかに話を聞いていると、いろいろ理不尽と思えることが押し通されていることもあるし、自分自身も納得いかない状態で仕事していることもある。でも、それって結局、「正しい」ということを「正しいから」という理由でしか主張してない結果なのではないかと思う。
D・カーネギー著「人を動かす」にもある通り、人に決断させたり、人を何らかの方向に誘導するのって、結局は「相手の利害で物事を話す」ことができるか否か、に関わっているはずだ。例えば、
と主張されたときに(俺はタバコ吸わないけど)、
というのは、確かに特定の側面からは正しいのかもしれないけど、でもそれで通るような日本の現代社会じゃない。
「相手の利害で物事を話す」という観点で主張するならば、例えば、
「お得意様には、たいへんな愛煙家がいらっしゃいます。
あなた(上司)との商談の際に、喫煙室で気軽に会話できる時間ががあったほうが、
話がよりスムーズに進むと思いませんか?」
という主張のほうが、何十倍も通りやすい。そういう主張ができてこその、社会人だと思う。
確かに、上記のような話の切り替えができない、やりたくない、とかほざいているならば、そこには「甘え」があるかもしれないが、だからって「長いものに巻かれる」ができない人間を全て「非社会人」と切って捨てるのは、さすがに乱暴というか、社会に対して諦めが強すぎるんじゃないかと思う。
というか、本当に「長いものに巻かれる」しか生きる方法が無かったとすると、日本はもっと早くに潰れてたんじゃないかなあ…(今後数十年もすれば日本は潰れるよ、という意見に対しては1ミリも否定できないんだけど)
切込隊長のブログ記事「なんかエコ活動とかやってる奴がいるけどさ」に、ブクマを見るとほぼ全面支持なのに驚いたのでちょっと書いてみる。「エコ」がこれほど不人気となると正直、日本や人類の未来は暗いと思わざるを得ないからだ。またその一方で、そうなるのも仕方がないのかなと諦観する気持ちもある。理由は、グリーンピースをはじめとする「環境保護団体」には確かに、隊長が指摘するような非合理性と偽善性がつきまとっており、一般人が不信感を抱いて当然だからだ。
なお、私は環境問題の専門家ではなく、市井の理工系の人間に過ぎない。ただ、多少の科学知識があればこの程度のことはわかるはずだということを示すためにこの記事を書いている。
隊長曰く、
なんかみんな、エコバッグ持ってたり、スタバとか逝ってマイカップ持ち込んで飲んでたり、してるけどさ。
本当にエコとか考えてるなら、風呂の回数減らせよ。一日おきでいいだろ。ドライヤーも使うなって話だ。マイカーでぶんぶん通勤してる奴が、得意げになって使用済み天ぷら油の再利用とか言ってて馬鹿なんだろうかと思う。
これは全くその通りと言わざるを得ない。ここでは話を単純化してCO2の削減についてのみ考えることにすると、生活の中でCO2を直接的・間接的に最も排出しているのは自動車と光熱費(特にエアコン)であるのは余りにも明らかなのだ。CO2は基本的に炭素を含むものを燃やしてエネルギーを取り出したときに排出される。そして、物理を少し学んだことがあれば自明のことなのだが、日常生活の中ではものを動かしたり熱したりというのが圧倒的にたくさんエネルギーを使うことなのだ。そして、50kgぐらいの人間1人を動かすために、1tぐらいの乗り物を使い、そしてゴムタイヤでアスファルトの上を走る自家用車というものがいかに、たとえば鉄道と比べればエネルギー効率が悪いかは明らかなわけで、エコバッグとかマイカップとかをやっていても車通勤をしているだけでおつりが来るぐらいのCO2を排出することになる。
つまり、個々人が「忍び難きを忍び、堪え難きを堪え」るような「エコ」活動は自己満足以外の意味はほとんどないのだ。
では、本当の「エコ」とはなにか。上に書いたことからおわかりだろうが、エアコンや冷蔵庫を高効率のものに買い換えさせ、人間やものが移動する必要を減らしつつ、できるだけ自動車に依存しないように路面電車の整備や業務のIT化を進めていくといった社会構造の改革をするほかない。同時に、エネルギー源をできるだけ化石燃料に依存しないように、その方面での技術開発も進めていくことだ。
要するに、「エコ」とはどこまでも今後のエネルギー・資源戦略の話であり、マクロ経済、都市工学、そしてエネルギー工学といった堅い分野の成果を積み上げていく話なのだ。本質的に、「忍び難きを忍び、堪え難きを堪え」たり、経済成長を否定したり、科学技術を悪と糾弾したりするような話ではない。
ちなみについでに言うと、温暖化CO2原因論に対する懐疑論も跋扈している(どういうわけか、池田信夫氏を筆頭にラディカルなリバタリアンは判をついたようにそうなのだが)が、化石燃料の枯渇を見据えればどのみち取らねばならない対策は同じである。だからそのことは考えなくてよい。
もう一つ、隊長の書いている
「環境を考えて、太陽電池パネルをつけました」とかさ。太陽電池パネルを生産するのにまず二酸化炭素やエネルギーロスがかかるっつーの。
はよくある誤解で、最近では太陽電池では余裕でエネルギーの元が取れるようになっている。
ではなぜ、このような誤った「エコ」のイメージとそれにたいする反感がここまで広まってしまったのか。それは、グリーンピースに代表される環境保護団体の姿を考えてみるとわかりやすい。彼らの中には菜食主義、呆れるほど不合理な反捕鯨運動、経済成長や科学技術や物質文明への否定的評価、そしてオカルトじみた「スピリチュアル」といったイデオロギーへの親和性が強く見受けられる。これは本来、上に述べたように「エコ」と必然的な結びつきはどこにもない。にもかかわらず、世間では「エコ」というと、もっぱらこうした偽善的で胡散臭い印象ばかりがはびこってしまっている。これはなぜなのか。
答えを書いてしまうと、これは近代現代欧米に特徴的な「ニューエイジ」と呼ばれるある種の疑似宗教的社会運動の産物なのだ。ダーウィンの進化論などの影響によりキリスト教的思想基盤が揺らいだ後、既存の価値観を否定し、オルタナティブを「東洋」に求める動きが西洋社会には発達した。それが「ニューエイジ」なのだ。西洋にはなぜか、日本のあらゆる事物を「禅」に結びつけ、むやみやたらと親日的な人(それでいて捕鯨のこととなると途端に北朝鮮まがいの反日戦士になる)が多いが、これも一つには「ニューエイジ」の影響である(日本がそれを利用した面も多分にある)。このほか、北京オリンピックへの反対運動の旗印がなぜ「チベット解放」ばかりで「ウイグル解放」ではなかったか、本質的に同じ宗教の分派であるイスラム教があれほど嫌われる一方で紛れもない異教徒であるダライ=ラマがなぜあれほど尊敬されるのか、そういったことにもこの「ニューエイジ」が背景にある。そしてついでに言えば、オウム真理教とか船井幸雄とかはたまた「水からの伝言」といった訳のわからないものは、日本にこうした「ニューエイジ」が「逆輸入」された結果であるといっても間違いではない(早い話、オウム真理教が伝統的な漢訳の仏教用語ではなくサンスクリット語やパーリ語をカタカナ書きした用語を使っていたのはこのためだ。これが「阿吽真理教」であったり、ホーリーネームが「マイトレーヤ」や「マンジュシュリー」ではなく「弥勒」や「文殊」だったらあれほど信者を集めたかどうか想像してみるとよい。オウムは仏教の原理主義でありつつ、伝統回帰ではなく伝統否定なのだ)。
少し脱線気味になったが、要するに「エコ」を敵視している人は戦う相手を間違えているのである。グリーンピースをはじめとする「ニューエイジ」運動がキモいことには何の疑いもない。ああいう偽善的かつカルト的なものは叩いておくべきだと私も思う。しかし、「エコ」全体を一緒くたに攻撃するのは誤爆もよいところなのだ。
鳩山内閣のエコ政策が嫌悪されたのはこう見ると当然の話だ。鳩山氏の「いのちを守りたい」というエコ政策は、本物の「エコ」のような国家戦略ではなく、もっとナイーブな感情に端を発していて説得力がまるでなかったからだ。鳩山夫人のオカルト嗜好ともども、これも「ニューエイジ」の影響の産物である面が多分にあり、国民が偽善臭を嗅ぎ取ったのはおそらく当たっている。
しかし、エコは本来国家戦略であり、未来にわたる豊かな生活を保つために不可欠である一方で、日本の国益にも繋がる可能性をも秘めているのだ。上に述べたように「エコ」のためには重工業の技術力が強く求められるのだが、これは日本の得意分野であって、中国や韓国といった新興国に対して優位を比較的強く持っている分野でもある。同様の事情を抱える独仏が「エコ」に梶を切り、オバマも「グリーン・ニューディール」を提唱しようとしているのはこのためなのだ。日本政府がこの方面に消極的なのは、重電産業に身を置くものとして実に歯痒いものがある。どうか、もっと事実を冷静に理解し、お涙頂戴物語としてではなく国家戦略としての硬派な「エコ」の推進の世論の形成に手助けをしてくれる人が一人でも増えて欲しいものだ。
20代後半男です。
自分は浮気なんて絶対しないと思ってたのになぁ。むしろしたくないと思ってたくらいだ。
自分には10年近くつきあってる彼女がいる。現在わけあって日本と海外の遠距離恋愛中。遠距離になってから今2年くらい。そして遠距離が終わるまでさらに1年くらい。年2-3回は彼女と会うために長期休みとってるし毎日連絡もしてるけど、最近は彼女に対する少し気持ちが薄れてしまってた。直接会ったときにはやっぱ好きだなぁ、って思うものの普段はそれほどでもない。10年近くつきあってるってのもあって、もうなんか家族に対する感情みたいになってる気がする。
今回浮気をしてしまったのは同じ会社の女の子(以下A子)。A子は最初会ったときから一緒に話をしていると心地よくて、自分と波長が合うって感じだった。だから好きになっちゃまずいな、と思ってあえてあまり仲良くしないようにしていた。
でもA子が僕のことを好きなんだろうな、というのは前から気づいていた。「彼女と別れてよーw」とか、たまに会ったときには「会えて嬉しい」とか言われていたし、そういう言葉は自分以外の他の男にかけているのを見た事がなかったから。
A子とふとしたきっかけから二人で食事に行った。改めて一緒に話してみるとすごく楽しくて、さらに遠距離恋愛が若干マンネリ化してることも加わって、案の定A子の事を好きになってしまった。その後も何度か二人で食事に行ったり遊んだりした。
本当はこの時点で自分が身を引かないといけないな、というのは頭ではわかってた。でもついついA子のことばっかり考えてしまう自分。会いたくて仕方がない。人を動かすのは理屈じゃなくて感情だってのを実感した。
そんな中ある日会社の同僚からA子に彼氏ができたらしい、という話を聞いた。同時にそれでもやっぱり僕のことも好きらしいってことも。
ちょうどいいきっかけだったので、A子に自分の気持ちを伝えた。A子の気持ちも確認した。そして僕は「お互い恋人がいるんだから二人で会うのは今日で最後にしよう」と言った。A子は「残念だけど仕方がないね」と言った。でもその晩は気持ちを押さえきれずA子とセックスをしてしまった。次の日には何事もなかったかのように別れて、それ以来A子とは会っていない。
彼女がいるにもかかわらず最低のことをしてしまったのはわかってる。でも今はまだA子のことが頭から離れない。つらいけど時間が解決してくれるまで待つしかないかなぁ。
誰かに話したかったけど誰にも話すわけないかないのでここに書きました。
残念だが仕方がない。あなたやその友人が敵に回ったとしても、彼らはもっと多くの味方を獲得するだろうし、それを分かっていてやっている人も多くいるからだ。人を動かすのはより過激な表現であり、そしてこれはその「過激な表現」を守るための言論なのだから。
追記:甘いかな。では一歩譲って「この問題について何かしら認識を持とう」という人(おそらく彼ら主観ではそれさえも味方だろう)が増える、というふうに言い替えよう。理性的に思考ができる人なら「凌辱エロゲは規制した方がいい、しかし表現の規制に関してはしっかりと見守っていかなければならず、そして一度始まってしまった国家権力による検閲は非常に止めにくいため大局的にはこの規制法案に反対した方が得である」というごく簡単な結論が出せるのではないかな。どうも元増田ははてこ氏の炎上やダンコーガイあたりの煽りをまともに受け止めすぎているように思う。ちゃあんとhttp://d.hatena.ne.jp/AntiSeptic/20100321/p1みたいにまともな認識もあるんだから安心すると良い。
もうその子とメールしたり話したりしてるってことは「運命的に恋に落ちる」はもう期待できないな。
だったら、どっちかがきっかけつくらないと、新しい関係ははじまらんよ。
つきあってからもそうだよ。どっちかがデート行こうとか言わないと、デートもできんよ。
ただときどきは、どちらともなく手をつなげたり寄り添えたり、以心伝心みたいな幸せがあるんだけどな。
で、告白失敗したら二度と話せなくなるっていうのは、そういう決まりなんじゃなくてお前さんがそうしたいってだけだよ。
日頃の接しかた、告白のしかた、失敗したときの態度による。そりゃ一時期は気まずくなるかもしれないけど、
よっぽどそれまでひどいことしてなきゃ、自分から逃げなきゃちょっとずつ良くなってくもんだよ。
さらにいうと、べつに何回だって同じ人に告白したっていいんだぜ?
ま、相手を見下してるのって態度に出るし伝わるとおもうし、そんな増田との仲を、仮に告白→失敗の後で、向こうさんが修復したくなってくれるのかは知らん。
ブスっていう奴もいるけど、俺にとっちゃそんなの関係ねえ。どうしても好きなんだ! ってところはねえの? それとも、おまえの欲望をかなえてくれそうだからつきあいたいの?
いや、動機は何であれ否定しないよ。エロスは人を動かすパワーの元なんだし。
ただ、おまえにとっての「おつきあい」と、彼女にとってのそれが、重なってるといいな。
始めるための支援ではなく、続けるための支援を
ttp://smashmedia.jp/blog/2010/02/003332.html
恐怖や不安は人を動かす、というような話がちょっと前の『エンゼルバンク』に書いてあったけど(正確には「不安を煽れば人を支配しやすい」とかそんな文脈)、まあ悪徳商法に限らず、コンプレックス系の商売とかってそんなところがありますね。
ネット代理店――代理店に限った話じゃないな、まあうさんくさい連中――にも同じことが言えて、かつては「Second Life」、いまは「Twitter」がトレンドワード。いわく「いま参入しないと致命的な遅れになる」とか「消費者が繋がったいま、そこに参加する企業と参加しない企業で生き残るのはどっちだと思いますか」とかとにかく煽る煽る。
言ってることが間違ってるわけではないんだけど、なんか違和感があるんだよね。まあ言ってる連中がべつに提案先企業の顧客のことなんて考えてないし(だからどこの会社にも同じ提案しかしてない)、必死にテレアポしてくる(ひどいときにはTwitterのDMで営業してくる)連中に煽られて、行動することほどバカバカしいことはない。
期限を決めなければほとんどの予測は当たるわけで、それこそこれを読んでるあなたは必ず死にますよ、と言えば予言的中なんですよ。100年もすればほぼ的中してる。そんときはぼくもいないだろうけどね。
トレンドを追うことは大事だし、知識として学ぶことも将来に向けて準備することも大事だけど、必要じゃないならやらないほうがいい。続かないし、失敗するら。