はてなキーワード: 人民裁判とは
この時、どうして匿名でされたと言ってる人の意見だけが尊重されるのか分からない。
法的に不味いから裁くのは裁判所でしょ?問題だー!って騒いでる人らは法治国家で人民裁判やりたいの?
セクハラ文化だ!恥ずかしい!って主張してる人も居るけどそもそもMeTooを見ればわかる通り世界中であることなんだけど
日本だけだ見たいな主張をするのは何故?
で、財務省としてはうちの弁護士に名乗り出て相談してくれって言うのは理に適ってるでしょ?
お互い主張が違うのであればヒヤリングして状況等を聞くしかない。
財務省も別に直接出てこいではなく、法的に認められた代理人に指名できる弁護士を立てて
弁護士経由で出てきてもらってもいいって話でしょ?
それを直接ー見たいな話にしているのは誰?そして何故?
編集したテープでは証拠能力もないので全編無編集で出してくれも正しいと思うんだけど。
事実認定も曖昧なまま片方の意見だけを聞いて問題視して罰則を与えようとするのは人民裁判だよね?
ご自由にどうぞ。
勝手に自警団を名乗り出るのも人民裁判を好き勝手に始めるのも、マッドマックスみたいな終末感があって素敵ですね。
そのうちショットガンや釘打ちバットならぬスター連打での吊し上げや、ブックマークへの直接ブクマやメタブでの集中砲火が見られるようになるのでしょうか。
間違っているかどうかは俺様が決める!!っていうのが、世紀末救世主っぽくて潔さを感じます。
スターリニズムやマオイズムのように時代がかった気もしますが、勧善懲悪は昔から親しまれてきた物語でもありますし、それに抗う方が無理というものです。
よりよいブクマカライフを満喫(恐怖政治の監視の下)というわけですね。了解です。
考えてみれば、IT最先端を突き進んでいる中国では共産党による監視社会のおかげで人民が平和を満喫しているようですから、それに倣うということなのかもしれません。
党ならぬはてな運営がきちんと管理しないのでユーザーたる我々が自ら他人の言動をチェックするというのは、運営の負担を減らして相互監視で秩序を維持するという素晴らしい発想だと思います。
まさに「人民の人民による人民のための政治」そのものを体現した活動、賞賛致します。
以前ブコメ等で「リベラルは不倫に対して寛容であるべきだ」と書いたことがあります。
このタイミングにおいて、この件についてもう少し書いてみたいと思います。(*追記:できれば文末の追記1〜4まで含めてお読みいただければと思います)
リベラリズムにおける基底的な考え方の1つとして、「善に対する正の優越」という考え方があります。
この考え方は、リベラリズムは特定の「善の構想」(何が善い人生であるか)を前提することなく、それぞれの個人が持つ「善の構想」を各人が自由に追求するための「フェアなルール」を整備することを目指すものである、という考え方です。(*この説明で腑に落ちない方は、「善に対する正の優越」や「善に対する正の優先」で適宜ググってみてください)
例えば、リベラリズムは「結婚すること/結婚しないこと」について特定の善の構想を持ちません。つまり、結婚する人生も、結婚しない人生も、どちらが「善い」ものかということについてリベラリズムは関知しません。リベラリズムが目指すのは、「結婚する人生」が善いと思う人も「結婚しない人生」が善いと思う人も、どちらも”えこひいき”することなくフェアに暮らせるためのルールを整備することになります。
私は、上記の「善に対する正の優越」という意味で「リベラルは不倫に対して寛容であるべきだ」と考えています。
多くの人々の感覚とはズレるかもしれませんが、「不倫は悪いもの」というのも人生における「特定の善の構想」を前提とした考え方になります。人には色々な事情があり、家族には色々な事情があります。色々な事情に応じて、人々には色々な「善の構想」が — 甘いものも苦いものも酸っぱいものも含めて — あるわけです。
もちろん各人の「善の構想」の追求も無制限に許されるものではありません。例えば、他者に危害を与えるような「善の構想」の追求は当然に制限されることになります。その意味で、「不倫」についても不倫行為により危害を受けうる当事者の家族や親しい関係者から非難されたり断罪されるのは正当なことでしょう。どんどん非難されたり断罪されたり(あるいは赦されたり)するとよいと思います。
逆に言うと、不倫行為について非難したり断罪することの正統性があるのは、その当事者の家族や親しい関係者だけだと思います。関係ない第三者が他人の「善の構想」に口をはさむというのは、(その構想が他者の人権の尊重に抵触しない限り)少なくともリベラリズムの立場からは、やるべきではないことだと私は考えます。
また、そもそも、「誰を愛するべきか/誰と一緒にいるべきか」について社会(関係ない第三者)から指図されない、というのは現代において我々が獲得した「自己決定権/人権」の中でもかなり基底的なものなのではないでしょうか?
上記の考えから、私はこれまで報道された有名人の不倫について非難したり断罪したことは一切ありません。
今回、小室哲哉さんが「不倫疑惑」によって 昨今の不倫に対する不寛容な世間的アングルの中で出た、不倫に対する疑義についての報道を契機として(しかも、不倫に類する行為は実際には存在しないであろうことがほぼ明白であるにもかかわらず)(*追記2)、その潜在能力の発揮が妨げられることになったのは、リベラリズムの信奉者として残念としか言いようがありません。
(リベラルが考えるべきなのは、その不倫行為等の帰結により何れかの潜在能力の充足が果たされないような状況 --- 子供の貧困など --- を生じさせないためのルール整備だと私は考えています)
#追記:殺人への第三者からの批判については本文中の"(その構想が他者の人権の尊重に抵触しない限り)"の但し書きの部分に該当すると考えています。「他者の人権の尊重」に抵触する行為については第三者からの批判は当然許容されるべきです。
#追記2:小室さんへの言及が舌足らずだったので変更しました。ブコメでご指摘いただいた方、ありがとうございました。
#追記3:私が勉強不足なのは認めます。皆様のブコメは大変勉強になります。「不倫」ではなく「婚姻外恋愛」としておけばよかったですね。あと色々異論は全然たくさんあると思うので異論をたくさん書いていただければ嬉しいです。(*特にガチプロがガチプロの観点から何か書いてくれれば嬉しいなあ)
#追記4:「現状でリベラルが不倫に不寛容である」とは一言も書いていない(し思ってもいない)のですが。。。以前に「リベラルは不倫に寛容であるべき」とブコメ等で書いたときに、「何言ってんだこのクソ馬鹿野郎」みたいな反応をいくつかいただいたことがあるので、自分としての上記の考えの理路をメモ的にまとめたのが本エントリーです。「リベラリズムの敗北」は道徳主義的人民裁判みたいなもので人の社会的人生を終わらせてもやむなしという世間の流れが定着したことを指したものです。
ただし、貴女の行動で立憲民主党には結党からいきなり縛りが入りました。
ハニートラップに引っかかるのは論外ですが、プライベートで妾やツバメをいくら囲おうが、異性とイチャコラしようが勝手です。
むしろ、政治家がモテないってヤバイですよね。たかが異性すら魅了出来ずに、海千山千の海外の政治家と渡り合えるわけがない。
ただし、シモの話は与党叩きの格好の材料ですが、貴女が入党する事によって立憲民主党が不倫を叩く事は出来なくなりました。
当然ですがメカケ、ツバメ、子育て放置不倫、奥さんが妊娠中に不倫なども非難出来ません。
まさか私の不倫は認めてないからオッケー。与党の不倫は死ぬまで追求とか言いませんよね?
無実であると言いながら、一切説明せずに離党で誤魔化した山尾志桜里さん。
出馬してみそぎが終わったという事で民進党の後継である立憲民主党に舞い戻ったわけです。
別に良いと思います。選挙こそ民主主義の根幹。有権者の意思は尊重されねばなりません。
ただし、有権者が選べばみそぎ完了ルールを自分に適用した以上、与党の政治家にも適用せざるを得ません。
様々な失態を演じた稲田朋美
そうでなければ立憲民主党に復党(あえて言います)するわけが無い。
山尾志桜里さんの復党を許した立憲民主党も、選挙に当選した議員はみそぎ完了ルールですよね。
法律違反が有ったとしても、公民権停止から復帰して当選すれば当然オッケーですよね。
まさか、俺はオッケーお前はダメのジャイアンルールを振りかざす事は無いと思います。
上記2点を踏んだ瞬間、各方面からブーメランとの誹りを免れないでしょう。
私としては日本の政治がつまらない事で停滞しなくなるなら歓迎です。
不倫は認めてないからノーカンとの意見ですが、無実なら離党する必要は有りません。
まさか、腐敗を追求する正義の国会議員山尾志桜里ともあろうお方が、無実でも人民裁判によって罰を受けるべきなどという前例は作らないでしょ。日本は近代法治国家です。
非を認めて離党、その後やってないとだけコメントして後はノーコメント。
そして自ら離党した政党の後継である立憲民主党に復党する理由は?繰り返しますが自分から離党したのに。
東京五輪エンブレムの使用中止に、ネット炎上の影響が「無かった」とは言えないと思う。
もちろんこの「思う」は、関係者に取材をあてて話を聞いたわけではないし、感想レベルだ。
でも、まあそうかな。そうだろう?当たり前だろ!というネットの個々人の反応は予想がつく。
何の証明も無く、何の責任も負わず、ただの「感情」のうねりが、エンブレムを使用中止に追いやったのじゃなかろうか。
そうした“リアルの与論”に近い性質を帯びるようになった“ネット世論”が、警察や裁判所や第三者機関を介するでもなく、リツイートやシェアやまとめサイトを経由して増幅し、テレビや週刊誌を先回りするかたちで問題を暴き、批判し、蹂躙していく――その風景が、私にはとても恐ろしく感じられた。
(与論はたぶん世論の誤字なんだろうけど、何箇所も有るし俺の知らない用法なのか……?まあ良いや)
シロクマセンセイの「メシウマしたい個人が大挙して押し寄せて、それが世論になるの怖え」というのは、感覚として判る。
ただ、ネット→マスコミ→世論、という、ワイドショーロンダリングによるお茶の間意思形成に一役買ったのじゃないかとは、思う。
その意味で、ギリギリ一歩踏みとどまって、既存のメディアスクラムというか、メディアリンチまでで済んでいる。
勿論この社会的制裁ってやつだってどうかとは思うが、「捏造確定」のような報道は、少なくともしていない。
まあ老獪とか言うのかもしれないが、流石に法務があるようなところで、無茶はしなかろう。
例えば、シロクマセンセイへのブコメにこんなものがあって、スターを集めてる。
augsUK 盗用や捏造の指摘を「叩き」と言ったり「暗い情念」と表現するのは、単純にその人の倫理観がねじ曲がってんのかなとは思う。そもそも「ネット」が一つの人格で動いているような表現がとても気持ち悪いけど。
ブコメ中で「盗用や捏造」と言っているが、何のことだろうか。立証されただろうか。それasgsUKさん個人が、責任取れるだろうか?
捏造していないと裁判の末に証明されて、名誉棄損で訴えられて、30万くらい払う覚悟でブコメ、してないよね?(してたらゴメンネ)
法治国家における倫理観としては、「疑わしきは罰せず」で、容疑者を犯罪者として扱わないことなのかな、と思う。
で、たぶんこの流れを読んでギョッとしたんじゃないかな。
え、いきなり個別のブコメを取り上げてナンカ言うのかよ、みたいな。
そう思ったのであれば、それは「「ネット」が一つの人格で動いている」となんとなく思っているからだ。多分そうだと思う。
当然、それぞれのネット上の発言は、それぞれ別の人格で、それぞれ別々に各発言に意思と責任があるんだけど、そう思ってないんじゃないかな。
だから、言葉が「軽い」し、覚悟がない。まあそんなもんだとは思うけど。
例えば、ザハ・ハディドの個人攻撃あったよね、ちょっと後味悪かったよね、みたいな記事に、こんなブコメがあってスターを集めてる。
Matsuriame そうかなぁ。競技場に関しては「ねっとのひとたち」は「高すぎる」と言ってただけだし、「ザハのせい」にしたがって、建築家だけに責任を押し付けて降ろしたのはむしろ発注者の人達だったけど。
まあ、「そうかなぁ」って書いときゃ免責みたいな空気感、あるよね?
xevra ザハの物を本当に作ろうとするのはクレイジー。ザハは模型を見て楽しむ物であって実際に作ろうとしちゃダメだ。デザインは素晴らしいからコンペは通過しちゃうが実現性無視してるから到底作れない。
はてブで1000超えってワリと珍しいんだけど、xevraさんの他にも「金かかるのデザイナー(ザハ)のせいなのね」というブコメの大合唱ですね。
他にも記録はイッパイあるけど、Matsuriameさんは、ググったり、ブコメを振り返ったりしない人なのかもしれない。(スターつけてるヒトもね)
そういう自分の発言がホントかどうかの責任を意識しないし、取るつもりもないのは、まあ放言じゃないかなぁ。(無責任話法)
勿論ここでは、「そうかなぁ」って書いてて、強く「いや違う!」とはコメントしてない。
感想だし違ってたらゴメーンネってすれば、別に良いじゃんブコメだし、みたいな空気感、あるよね?
「「ねっとのひとたち」は「高すぎる」と言ってただけだし」って、嘘ついても、いや嘘じゃないよ感想だしそういう言い方はヒドイ、とか思うのではないかな。
見境なく社会的制裁を振るう現状は、褒められたものではない。昔だったら居酒屋談義で終わってしまったはずのネガティブな情緒が、インターネットを介してこんなに繋がり、こんなに盛り上がり、こんな風に“世論”に直結して構わないものだろうか?
「構わないものだろうか?」というか、法治国家ならシステム外のプロセスも経ていない圧力でひっくり返るのはマズイと思うよ。
とはいえ、感情や情緒は大切にしましょうというのは、日本のシステムにはプロセス中に組み込まれているし、拡大傾向にある。
amakanata 今回のシロクマさんの見方はちょっと違うんじゃないかなぁ。世界的な賞を許可を得ずに素材を使ったデザインでごまかし続けた人間の作ったものを神輿にしたくない、という庶民の感情の健全な発露でしょ。
「ごまかし続けた人間の作ったものを神輿にしたくない」という「ネガティブな情緒」で、「庶民の感情の健全な発露」として「“世論”に直結」。
シロクマセンセイの見立てとそう言ってること違うようには思わないけども、amakanataさんの感覚は、ざっと見ブコメの5割くらいの感覚には近いように思う。
(本人の属性で作品の価値が上下するのは日本では良くある話だし、事業に関わる人の身ぎれいさを要求するのは日本だけじゃないしね)
amakanataさんは「ごまかし続けた」という具体例とかそれが真実ごまかしたのかを立証する責任があるとは思ってないだろうし、まあ実質ないんじゃないかな。
ちょっとブコメするのと同じ気軽さで簡単クリックで1万人自動訴訟できる世の中になったら、またちょっと違うんだろうけど、その非対称性の話はまた別の機会に。
ただ、「ホントだったらヒドイ(=嘘でも責任は俺にはない)」みたいなデマ一直線の発言も、居酒屋談義や床屋政談ならアリだと思うし、そこを気にするのは健全ではない気もする。
監視社会じゃねえのにそんな発言まで責任持ってしなきゃいけねえの?みたいな。いやほんとは責任もってしなきゃいけないんだけど。
信頼出来ない上司の業務命令には疑いの目を向ける、ではないけれども、本質的なところに不信感があるのではないか。
つまり、知性主義というエリートのやることに、なんか違うのではないか、どうも信頼出来ない信用出来ないとの思いがあるのではないか。
それが、判りやすい形で出た今回のエンブレム炎上騒ぎで、「普通の市民の道徳的な感覚として、まっとうな結果」と思う人が多いのであれば、
それは「メシウマ」が(ホフスタッターの言う本来の意味での)「反知性主義」として機能し始めたということなんじゃないかな、と思う。
エリートの言うことは信頼出来ないから、市民団体が監視をします、では無く。
一人ひとりの小さな放言や、調査結果や、情緒からくる感覚や感想が、まとめサイトに束ねられてマスコミがすくい上げて拡大する。
そこには警察の捜査も、弁護士や検察官の立証も無く、過去の蓄積からの裁判所の判断もなく、法律もルールも無縁の所で、
そうだろう、そうに違いない、絶対そうだという、責任のない感情的な判断が積み重なることで、「事実」になる。
それはある人から見れば「暗い情念」だし、ある人にすれば「常識的な市民感覚」だろう。
動機が行為を正当化するとも免責するとも思わないけど、そういうものかもしれない。
クリックで参加できる人民裁判だし、結果死人も結構出てるけど、改まらないしね。
(この増田も、5人から訴えられる可能性あるしなあ。たぶんダイジョブだと思うけど。裁判面倒だよなあ)
「反知性主義」判り難いという指摘を直接受けてまあそうかなとおもったので追記。
「知性主義」は、「専門家主義」と置き換えてもらうのが、一番ホフスタッターのニュアンス近いと思う。
「反知性主義」は、「反専門家主義」となって、つまり「専門家の判断ではなく、むしろ専門家ではなく専門的な知識がないからこそ、正しい判断が下せる」という主義とか態度のことね。
模倣の判断や、建築実現性、刑事民事の責任まで、デザイナーや建築士や弁護士でない、知識を持たないヒトが正しい判断をくだせていると考える(またそれを支持する人がいる)というのは反専門家主義(反知性主義)が受け入れられる土壌が育ってきているのではないか、という話。
専門家でない人達の声で(途中に週刊誌や新聞の専門部署を経ずに)、専門的な判断が覆る怖さについての話なのかなと思っている。
まあ、医療や災害に関しては、ネットでもまだ反専門家主義者が批判されるのを見ると、専門家たちが丁寧に説明することが重要なのかな、と思う。
(とはいえ、教育関係のひっくり返らなさを観ていると、今回の炎上は個別事案であって、脇が甘かったからこそってことなのかも知れないけど。ぬ、訴えられる可能性が上がった気がする。熱狂的な個人は手打ちが面倒だからボカスぞ)
262 コピペ隊(コピー&林家ペー) sage 2005/09/01(木) 09:59:08 ID:7YLjKm6z0
中国の歴史は繋がっていない
中国は漢民族と文化や言語の違う55もの少数民族からなる多民族国家
中国・韓国・北朝鮮による虐殺の多さ(虐殺は日本人の国民性に合わない)
中国はブラックホール → 世界中の経済、労働、資源、技術を飲み込む
代わりに世界に撒き散らすもの → 不況、原油価格の高騰、環境破壊、平和への脅威
北と統一して困るのは韓国
事大主義の問題
朝鮮民族の民族性は変わらない。日本が36年も統治しても変わらなかった
例え反日が無くなったとしても、小中華思想が無くならない限り日本人を差別するので友好関係は築けない
被害者を装う
263 コピペ隊(コピー&林家ペー) sage 2005/09/01(木) 10:01:49 ID:7YLjKm6z0
・現在の在日韓国・朝鮮人は密航してきたり、出稼ぎに来た人達である。
・朝鮮の人達に望まれて日韓併合条約を結び、国際法上なんの問題も無く合法的に朝鮮と合併した。
・日本の敗戦時に韓国・朝鮮人が日本人に対して集団強盗、略奪、殴打暴行、レイプ、殺人、破壊、占拠監禁、人民裁判などあらゆる犯罪を犯した。
・日本は韓国と日韓基本条約を結び無償で3億ドル(約1080億円)、有償で2億ドル(720億円)、民間借款で3億ドル、韓国内の日本の財産の全てという当時としても莫大な額の賠償をしている。
・日清戦争で日本は清と命をかけて戦い、清(中国)の属国であった朝鮮の独立を認めさせた。
・我々日本人には関係無い破綻した朝鮮銀行・韓国系銀行に3兆円もの日本の税金が使われている。
・2002年日韓ワールドカップでスタジアムを作る資金が無い韓国のために7000億円もの日本の資金が使われた。
・韓国の経済危機の時にIMF経由で日本が多額の資金を出し韓国を救った。
・日本海の漁場が韓国の漁船に荒らされまくり、水産資源が激減している。
・韓国の武装スリ団、犯罪集団によって日本人が多くの被害を受けている。
・日本での韓国人による犯罪は国籍別検挙人員第2位、不法残留第2位である(平.15年上半期)。
・韓国人は海外で悪い事をして捕まった時などにすぐ日本人のフリをする。
・韓国人はベトナム戦争に参戦した時に、ベトナム人に対して虐殺やレイプをしまくった。
・韓国は、日本や世界の文化やモノ(剣道、サムライ、生け花、サッカー、キティーちゃん等、数え挙げたらキリがない)を自分たちが最初につくったと捏造している。
1 : ◆PENGUINqqM @お元気で!φ ★:2009/11/24(火) 22:21:24 ID:???0
このところ東京市場の一人負けが鮮明になってきた。海外市場の株価が相次いで今年の最高値を
更新しつつある中で、東京市場だけは下落基調から抜け出せない。
大はしゃぎをしたのは鳩山さんだけ。国民の多くはただ白けただけのオバマ大統領の訪日も終わり、
鳩山さんは彼に「Trust me」(私を信じてほしい)と直接言ってあるから何も問題はないと考えて
いるようだが、市場はまったく反対の反応しかしていないのは大いに気になる。
その後のオバマ大統領の日程を見ても一目瞭然だが、明らかにこれからも米債を確実に買ってくれる
中国と、勝手に東アジアをまとめたがっている日本とではアメリカがどちらのウエイトを高くするかは
素人にも分かる。
そんな情勢を反映してこのところ東京市場の一人負けが鮮明になってきた。海外市場の株価が相次いで
今年の最高値を更新しつつある中で、東京市場だけは下落基調から抜け出せず、NY市場が上げても上海が
上げても、「そんなの関係ない」といったまったく気合の見られない腑抜けた市場になってしまった。
かねてから東京市場の無気力ぶりに警告を発してきてはいたが、それも程度問題でここまで無気力に
なると、ことは重大である。しかも東京市場低迷の原因のひとつが大企業による大型増資だそうだから、
本来資本調達の場であるべき市場が調達を嫌気して下げるという、何ともおかしな現象になっているのは
大いに気になる。
(»2以降に続く)
▽画像:日米首脳会談で「私を信頼して」とオバマ大統領に訴えた鳩山首相
ttp://moneyzine.jp/static/images/article/181574/premiere.gif
▽MONEYzine
ttp://moneyzine.jp/article/detail/181590/
前スレ ★1が立った日時 2009/11/23(月) 14:57:49
ttp://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1258967504/
3 : ◆PENGUINqqM @お元気で!φ ★:2009/11/24(火) 22:21:34 ID:???0
(»1の続き)
米国もリーマンショック以来大型増資を重ねてきたが、経営陣の頑張りや株主の応援が功を奏したの
だろう、GEやGSなど株価は見事な回復を見せている姿とはまったく対照的である。
JALなどまさに日本的資本主義の典型であり、まるで非上場の中小企業が金繰りのために増資を繰り返す
ようなことばかりやっていれば、本来歓迎されるべき増資が忌避されても仕方があるまい。
金融機関もそうだ。本来普通株式で自己資本の充実を図るべきときに劣後債や優先株でBIS基準を保って
いたので、今回利益と自己資本を重視するように基準が変わってくるとなると、利益目標が立たないまま
増資をしなければならなくなる。
既存の株主にしてみれば、その分だけ希釈化され1株あたりの価値が下がるのではとっても持っては
いられないと、ぶんなげたくなるのはあたりまえだろう。
かくして本来の市場の機能が大きく低下しているところに、円高や経済成長にはまったく無関心な
「友愛内閣」が出てきたのだから、株などおっかなくて持ってはいられないとなるのは人情だろう。
本当の意味の友愛はそんなに資本が足りなくてお困りなら出してあげましょうか、となるはずなのだが
この友愛はどうやらばら撒きという意味らしいから、市場にとって優しいものになる友愛ではないことは
覚悟しておくべきだろう。
閣僚の市場に対する態度も酷いものだ。前原国交相など不用意にJALの法的整理の可能性を口走り、
あっという間にJALが急落してしまい、この損害を投資家は泣き寝入りしなければならないなら、これは
自己責任以前の大きな問題である。
直嶋経産相のGDPの事前漏洩も酷い。インサイダーの塊のような大事な数字をケロッと喋って反省
どころか薄笑いでごまかす始末。きちんちとルールを守っているエコノミスト諸氏は猛然とクレームを
つけ大臣の座から引きずり降ろすべきではないのだろうか。
(»3に続く)
4 : ◆PENGUINqqM @お元気で!φ ★:2009/11/24(火) 22:21:49 ID:???0
(»2の続き)
■日本は酷い国になりそうだ
また事業仕分けもある種国民のあく抜きのための人民裁判みたいなもので、こんな衆愚に阿るような
国の株など、あの人民裁判をさんざん経験した中国人ならまず買ってはこないだろう。ましてや他の国の
投資家に魅力的に見えるはずも無い。
かくして有り余る金を持ちながら東京市場の低迷は長期化をよぎなくされるだろう。いま注目する
のなら資源国か、環境などテーマ性のあるグローバル企業の押し目買いしかあるまい。それにしても
酷い国になりそうである。
-おわり-
今回の事業仕分けでの科学政策の予算削減になりそうだという件を見て「赤の女王とお茶を」というブログのこのあたりの記事を思い出した。ブログは新しい記事に注目が行きがちなのでリンクをはっとこう。
http://d.hatena.ne.jp/sivad/20070129#p1
http://d.hatena.ne.jp/sivad/20070224#p1
事業仕分けに対する意見はさまざまだけど、ネット上では悲観的な意見が多く目につくように思う。しかし
この方のようにかなり悲観的で海外へ脱出しよう、後輩も海外へ脱出させようという意見も出てきてる一方、
そういう声を受け止める必要がある。研究者はラボをでよ、街に出よう、ということだ。
『行動を起こそう』
この方のように日本の状況を変えようという声も上がってきている。
民主党の政策は、自民党時代のように市民から国の統治を丸投げなどされては困ると明確に語っている。だから、民主党の政策には2言目にはディスクロージャーやオープンの文言が出てくるのだ。
『神保哲生:検証・民主党政権で日本はどう変わるのか!<第1回>「まかせる政治」から「引き受ける政治」へ──マニフェストだけでは見えてこない民主党の政策理念を』
http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2009/07/1_1.html
今回の事業仕分けには人民裁判とか文革という批判も出ているが、最悪上記の神保哲生氏の言うようなオープンネスさえ確保できていれば少なくともすぐに行動を起こすことができる。だから記者会見の開放などにこだわっていかなければならないというのも理解できるし、それができないなら民主党には退いてもらわなければならないと思った。(というよりこの状況にならって言うなら民主党にやらせなければならないと言うべきか)
****************************************
▽
遠山の金さんといえば庶民感覚で犯罪者を裁いた”名裁判官”として歴史に残る。通俗大衆小説のモデルにもなり、何回かテレビドラマにもなった。
お白砂には花吹雪舞う刺青の松方弘樹扮する金さんが颯爽と登場して悪を懲らしめ、弱き庶民から拍手喝采をあびる。
江戸時代までは検非違使の伝統が息づいていた所為か警察、検察、司法が同じ行政機関で行われた。警察が逮捕し、検察が起訴し、裁判所が法に従って結審するという近代の概念はなかった。火つけ強盗改めの長谷川平蔵も然り。
大岡越前守も温情主義裁判で庶民に人気がある。考えてみれば南町と北町奉行所の同心だけであらゆる民事裁判をまかなっていたのである。
江戸時代を世界同時代的に俯瞰すると日本はたいそう治安が良かった。日本人が裁判沙汰を好まなかった証左にもなる。
水戸黄門様は印籠をかざして即席裁判。これは超法規行為であり、そもそも黄門様は司法の独立って概念を知っていたのかな。
そういうわけだから日本人は争い事が嫌い、裁判は避ける。なにごとも裁判で決着をつけ、交通事故でも弁護士をよぶ米国とは法律の風土が違う。
だが世の中が変わり「国際化」というアメリカ化が進んだ。外国人の犯罪ばかりか、外国企業との軋轢、特許係争が頻発し、あげくは米国からの強い要求が突きつけられる。日本に弁護士が少ない、と。
この結果、二つの政策が実現した。まずは大学に雨後の竹の子のごとく誕生した法科大学院。
そして日本に馴染むかどうか不明な新制度、すなわち裁判員である。しかもこの裁判員が臨む裁判と言えば殺人、傷害致死、放火、身代金誘拐などの重大犯罪であり、死刑か量刑か無罪かを決める「大岡越前」の小型ヴァージョンとなる。実際に最初の判決が八月初旬に実現し「業界予想よりすこし思い」量刑が下った。世間の常識が裁判官の常識を変えた例になった。
ともかく裁判員制度の発足は米国からの圧力が遠因、これに財界の要求が一致し、日弁連が便乗した。奇妙な、面妖な裁判員制度が日本にうまれた。
左右の境界線がないまま賛否両論が渦巻き、「ともかく始めてみなければ分からない」ということになったわけだ。
議論は曖昧なまま、米国へのジェスチャーのごとくに審議が進み、国民が誰も知らないうちに米国流の「陪審員」制度の誕生となったことは述べたが、米国には黒人奴隷制やリンチによる縛り首があった。日本とは異なり犯罪者も多く、弁護士は百万人以上、なかには悪徳弁護士、アンビュランス・チェイサー(救急車を追いかけて患者から事故の弁護士を成功報酬でいかがかと注文をとる)もいれば、マッチ・ポンプもいる。セクハラをでっち上げて日本企業から大枚をせしめた手合いもいる。
だから伝統重視の保守派がいきり立って反対の論陣を張る。教養の低い、裁判官に比べると法律知識のない素人にそんな重大犯罪を判定させて良いのか、それこそ左翼の思う壺ではないのか、と。
第一に無知蒙昧なる庶民が重大犯罪を裁けるのか。冷徹な判断が出来ず情実に走り、死刑を避ける傾向が顕著になるのではないのか。
第二に陪審員は買収されやすく誤審、冤罪が多く死刑執行後に真犯人がでるケースが米国では頻発している。だから「逃亡者」というテレビは大ヒットした。反面で、陪審員を黒人ばかりにして、妻殺しの「無罪」を勝ち取ったO・J・シンプソン事件のような法廷テクニックの悪用がおこる。
第三にこれは基本的に人民裁判であり、ソクラテスの「法は法なり」と言って毒杯をあおいで死ぬようなケース、あるいはマリー・アントアネットのように左翼お得意の人民裁判が復活する恐れはないのか。
▲上告審には適用されず、なんのために必要なのかは不明
細かな問題点はほかにも多々ある。
一、選挙管理委員会のリストを元に無作為に選ばれる「裁判員候補者」は面接で拒否されることもあるシステムとはいえ、拒めば罰金とか、法廷の密室での協議内容は一切喋ってはいけないが、違反した場合、数十万円の罰金とか馴染めない特徴あり。
四、多数決で裁定することが本当に妥当なのか等々、問題点が沸騰する。
ところが新制度では凶悪犯罪の一審でしか適用にならず、高裁から最高裁へと上告するに従い、裁判員はおかれない。どのみち現在の裁判で一審で終わる裁判は稀だから、それならいったい何のためにこういう「改革」が必要かも論議された。
裁判員制度導入に賛成する保守の論客も意外に目立つ。代表選手はコラムニストの高山正之氏だ。
高山氏は産経新聞ロスアンジェルス特派員時代に多くの裁判を傍聴し、陪審員制度に精通し日米の裁判に関連する著作も多い。
法律の解釈しか知らない裁判官、世間知らずの無知な裁判官より大衆の叡智、つまり民度が裁いたほうが適正な判決が出やすく、主知主義、インテリの暴走、左翼優勢といういまの偏向状況を覆せる嚆矢になるかも知れないという。世間智の欠如甚だしきインテリの裁きより大衆のほうが賢いという日本人への信頼がそう言わせるのだろう。これぞまさしく遠山の金さんの時代への回帰ではないか。
ただし米国の陪審員制度といい、今度の日本の裁判員制度といい、これらは民主主義の発展とは相関関係にはない。司法の民主化などというお題目は寝言の部類であり、推進側だったはずの日弁連ですら一部は反対に回っているそうな。
通巻第2702号