はてなキーワード: カラカルとは
『けもフレ』も『けもフレ2』も5分で切った俺だが、2の9話がまた物議を醸してると聞いて興味が湧き、今回はじめてちゃんと見てみた。あーこりゃダメだなと思った。イエイヌが不憫すぎる、ボロボロになるまで守ってくれた彼女を放っておいてサーバルと談笑に興じるキュルカスまじキュルカスなど既報どおりの印象を持ったが、単純にクオリティが低いとも思った。
イエイヌに対して登場人物みんなが本当に無関心だ。なぜキュルルをさらったのか、その後どうしたかったのか、どうしてボロボロになってまでキュルルを守ろうとしたのか聞きもしない。その無関心っぷりはイエイヌと別れた後、存在そのものを秒で忘れるんじゃねーのと思うほどだ。
その象徴が「おうちへおかえり」という言葉を望んだイエイヌに対し、首を傾げながら表情をまったく変えずにオウム返しするキュルルである。
キュルルは間違いなくイエイヌがそう望んだ理由を理解していない。それどころか「なぜそんなこと言わせようとするんだろう」とすら考えない。本当に、一ミリも、イエイヌに興味を持たずに終わる(その証拠に、イエイヌの目的や事情は彼女が一方的に説明するだけでキュルルから尋ねることはついぞなかった)。
これはキュルルがカスだとかbotだとかの以前の問題で、ここまで感情のやり取りがないと物語が成り立たないレベルで致命傷だ。だから必然的に視聴者として感じ入ることができない。これは例えばたった一言、ボロボロになってもキュルルを守ろうと立ち上がるイエイヌに対し「どうしてそこまで……」と声をかけるだけで話が違ってくる。それがあれば例えば「だってそれがイエイヌですから!」と信念を示すこともできる。いや、画面ではまさにそういう意味合いを持ってイエイヌは戦っているわけだが、それに対するキュルルの興味・理解・共感がないからただただ虚しいシーンに成り下がっている。意味ある物語を作ろうとするなら相手への無関心・無理解は絶対に避けなければならない。
ついでに言うなら「ビーストに襲われる」ことと「イエイヌが別れを選んだ理由」が直接つながってないのも出来が悪い。イエイヌがキュルルとの別れを選んだ理由は「キュルルさんを引き離すような真似をしてすみません。仲間を失う気持ちはよく知っていたはずななのに」にあらわれているが、これはビーストと戦ったことやボコられたことと直接関係ない。ビーストにボコられたところからつなげたいなら、「私ではキュルルさんを守れませんから」を理由にすべきだし、キュルルとサーバル&カラカルの絆を理由にしたいならキュルルと仲違いしたカラカル(&サーバル)が戻ってくる理由をスケッチブックの返却ではなくビーストの唸り声を聞いたからにすべき。ケンカしたのにキュルルに危機が迫ると知るや取って返すふたり、キュルルを守るために傷つきながらも強敵を撃退する、という流れにすればあの3人の絆をイエイヌが理解でき「引き離すような~」というセリフにつなげることができる(その布石としてキュルルを悪く言うカラカルにイエイヌが不満を持つ、外は危険だからと言うイエイヌに「ふたりが危険なのに家でじっとなんてしてられないよ」とキュルルが言うなどあれば尚良い)。
実のところ似たようなことはどれもやってるのだが、必要なセリフや演出をことごとく欠いているためそれっぽいけど全く違う醜悪ななにかに成り果てている。
創作者のはしくれとして俺ならどうするかについても述べておく。
まずイエイヌのやっていることは代償行為である。キュルルはヒトだが本当の主人ではない。彼女には帰りを待つべき主人が別にいる。しかし主人が帰ってこないため、キュルルに偽の安らぎを求めており、そんな「弱さ」を彼女は抱えている。1人&2匹との出会いによってイエイヌは主人の帰還を信じる「強さ」を手に入れ、キュルルたちとの別れを選択する――という点を軸にする。1人&2匹との出会いがイエイヌの心の問題を解決するのがポイントだ。
具体的には以下のような流れ(※筆者はガチでこの9話しか見てないのでキャラに違いとかあるかも)。
『けもフレ』5分切りを豪語する俺がひとつだけちゃんと見た『けもフレ』コンテンツがある。それはJRAとのコラボ動画『けいばじょう』。
内容は他愛のないもので、「おおきなたてもの」のそばを通りすがった一行は、その中でサラブレットのフレンズと出会い、「おおきなたてもの」であるところの「けいばじょう」を案内してもらいつつ最後はかけっこ勝負をする。時間にして3分半ほどと短いが、俺はこの動画が好きである。
その理由の大部分を占めるのが3:10から流れるたった5秒の映像だ。
サーバルのかけっこ相手であるあおかげは、その直前、客席(スタンド)に視線を向け、耳を澄ませる。聞こえてくるのはかつてこの競馬場を埋め尽くした大歓声だ。今は失われてしまった、華やかで賑やかだった頃の残響。感傷に耽るあおかげの後ろ姿に胸が締めつけられる。彼女は何も語らないし表情すら画面に映らないが、この場所が或るいはかけっこが彼女にとっていかに大事か、そのワンシーンで伝わってくる。
まあ否定が9割なわけで、自分もなんであれでいいと思えるのかわからなかったんだけど完全に納得行く理由を見つけた。
結論から書くと制作陣及びあれを褒めてる人たちはフレンズのことを人間じゃなくて「人型の人と言葉を交わせるモンスター」、わかりやすくいうとポケモンみたいなものだと思ってるんだよ。
キュルルは傷ついたイエネコを無視してサーバルを褒め、ただ家に帰れと言った。そこがサイコパスじみてると避難されている。
でもGBA以降のポケモントレーナーなら知っているだろう。傷ついたポケモンをボックスに入れれば自動回復することを。ポケモンバトルをした人間なら覚えがあるだろう。バトルで倒れたポケモンを労るのを忘れて、勝負を決めたポケモンを褒めてしまうことを。キュルルはフレンズへの接し方がポケモントレーナー気分なのである。
ちょっとだけ擁護するとポケモンでもポケモンと人との絆は最重要視されていて、キュルルもサーバルやカラカルとの絆は感じているはずである。
だが、人とポケモンとの関係は一般的には人と人の友達(フランズ)同士との関係とは決定的に違う(ポケモントレーナーにもいろいろな人がいて本当に大切にしている人もいるけれど)。
特にけもフレ1期を熱心に見た層から言わせればフレンズは精神性の面では人よりも優れた生き物であるとすら感じられる。サーバルちゃんは間違いなくヒロインだった。2のサーバルは連れ歩いているポケモンレベルの扱でしかない(サトシとピカチュウにも特別な絆はあるけれど、サトシはピカチュウのそういう文脈でのカップリングはさすがにマイナーだと思う、ましてやほかのポケモンなんてもっとぞんざいな扱いである)。
その違いがもたらす致命的な解釈違いは9話にはっきり表れた。大多数のけもフレファンにはイエイヌが傷つく場面で、日常が壊れ戦って傷つく女の子が見えていた。でもあれがただのモンスターバトルに見える人にとってはモンスターが傷つくのは日常茶飯事であり特に心が痛む光景ではない。
どうしてこんなことになったか。監督が深夜アニメ出身でないことが深夜アニメにおける少女の扱いの文脈を踏まえない結果につながったのはあるだろう。せめて艦これの如月ショックを押さえておけば。脚本家も前作が深夜の美少女ものとはいえ、身体的なダメージがギャグになるゾンビという設定だったのが災いしたか。
イエイヌの声の井口裕香さんが悪いという考えもある。ちょっと重い愛のある女の子に定評のある井口さん。イエイヌの声からは人間的な感情がはっきり感じ取れた。もっと最初に獣的な粗暴で怖い感じをだしたり、最後に含みを持たせずあっけらかんと「ありがとう」と言えば大分印象は変わっただろう。9話で主人公をたてるという意味ではマイナスの仕事をしたといえる。だが、イエイヌを"フレンズ"にするという意味ではキャラのために最高の仕事をしたと思っている。
以下の記事を受けて。
「けものフレンズ2」9話は過去最高に”優しすぎる世界”だった。 - けものつれづれ
https://ironyart.hatenablog.com/entry/2019/03/14/090915
3%のフレンズが愉快犯ではなく実在していたことに驚きつつ、その感想視点がイエイヌの扱いという一面からでしかなかったので、より多方面にわたる、わたしの9話に対するツッコミを書き記したいと思います。
いつ壊れたの?何が起きたの?ピエール瀧がやってきて壊してくれたの?2話でも同じ過ちを犯してたよね?
最初からそうしろよwww・・・という当然のツッコミに、どうあらがおうというのか。
「キュルルー!」とか言ってる時点で見えてるだろ。遠目に発見しろよ。足元だったらせめて「あっ!」って言ってから見つけろ。
もうちょっと遅さを強調するカメラアングルと「間」を入れてから言わせたほうがおもしろかったのでは。
なんで「イエイヌ」って直接言わないのか、恐そうに紹介しちゃうのか、さらにはこれまで暴力的な手段も辞さなかったのか。せめて「視聴者のドキドキを高めるため」以外の、あとですっきり納得できる理由を用意しておくのが脚本の仕事では?
ご主人様をけなげに待つイエイヌとしては、強そうなオッドな黒縁おめめは合わないのでは?このデザインのイエイヌがアプリ時代からいたのだとしたら、この外観のキャラにこのエピソードがそぐわないのでは?
唐突やろ・・・。手に取ってすぐ退場しちゃうから余計視聴者が置いてけぼりになる。せめてその場ですぐ開けて食べてくれ。
天真爛漫なサーバルちゃんの割に、わかりやすいきっかけや手がかりもなしに、深い推測が走りすぎてない・・・?
電池アイコンにバッテンとかならまだ「お子様」視聴者にもわかりやすかったのでは・・・?お子様を無視するにしても、オトナ目線からもそもそもユニバーサルデザインにしとけよと思う。
遅い。でも食べるシーンがあって本当によかった。唐突なものを登場させたら、すぐ説明!
センちゃんたちは、なんで意味もなく敵対的なんですかね・・・?自分たちにも依頼主にも悪気はないのに、敵対する意味なくない・・・?
かわいい(´ω`)
「口にくわえて持ってくるのは不自然だから・・・かな・・・違和感あるけど・・・まあしょうがないのかな・・・」と、いうような妥協感を読者に与えないような工夫はできなかったのかな?
個人的には「カラカルは小学生の道徳教材に出てくるような(後に改心する)子なんだ」と理解したけど、顧客が求めていたものとは違うよね。そこは善意に解釈すれば、監督は承知の上のようだけど。
「ボクのほうこそ心配かけこそごめんね」だろそこは。しかももっと早いタイミングで。このあたり、とにかく登場人物たちの感情の流れがめちゃくちゃ。誰にも感情移入できない。
完全に道徳教材やNHK教育のちびっ子番組の流れ。でもな、オレらが求めているものとは違うんだ。
大胆すぎない?そういう提案はもうちょっと状況を飲み込んでからにしたら・・・?
いや、そういう優しさ持ってるなら、カラカルの話をもっと聞いてあげなよ・・・
イエイヌのセリフとの繋がりがご都合過ぎてひどい。「中にはその逆もいますけど」まではもっと普通のテンションで話した上で、遠吠えを聞いてから「あっ、噂をすれば!」と驚くべき。
侵入してくるんじゃないかと心配する視聴者をよそに平然としている。だったらもっともっと遠くの方で聞こえる程度の遠吠えにしてほしかった。
近くにいるならサーバルたちにも聞こえるやろ。サーバルに聞こえてないなら、少なくともいま家を出ちゃうキュルルのほうが危険やろ。せめてそういう疑問や不安について納得できる材料を視聴者にくれよ。せめて、遠吠えが複数回聞こえた上で、「サーバルたちが歩いて行った方向に移動しているようだ!」とか。そして、(とっても強いという話の)イエイヌをいっしょに来るように連れ出す、とか。
BGMも相まって、直前の緊張感がいったん解きほぐれてしまう。このシーンは、遠吠えよりも前に挟むべきだったのでは?
いや、善意に解釈すれば、サーバルが「カラカルがキュルルと仲直りするきっかけはないかなぁ・・・」と考えていたら思い出したと解釈できるけど、単純にトラクターまでたどり着いてから目で見て発見するほうが自然じゃろ?意味のない不自然さは罪やぞ。
イエイヌ擁護派多いけどワイはこのセリフは許さんよ。そして「キュルルの身の安全のために、敢えて思ってもないことを言っただけ」という擁護は通じない。逆に、そこまで言わせるなら、もっともっとせっぱ詰まった極限状況まで緊迫感を作っておかないとダメだ。
もっと警告らしい音出せ。
一撃でダメージ受けすぎやろ・・・。あそこまでボロボロにするならもっと格闘させろ。作画がしんどいならせめて「激しい格闘の末に・・・」と伝わるシーンを挟め。
あのさあ・・・。これまでのシリアス感はなんだったわけ?コミカルにしたいの?まさかずっとコミカルのつもりだったの?
強敵感の無さよ。ゴリラなどの精鋭揃いだった5話でもみんなで逃げ出したビーストなのに、カラカルとサーバルだけであっさり追い払えるの?少なくともセルリアンよりはるかに強い、ひょっとするとラスボス級かもという認識だったけど、今後ビーストの怖さをどう捉えたらいいの?
さっき起きてたやん。倒すなら倒れるシーン挟めよ。
急すぎる。子供はもちろんふつうのオトナでも共感が追いつかない。(高尚な3%のオトナにしか刺さらない)
イエイヌちゃんのこれからが不憫すぎない・・・?せめて、せめて、イエイヌの心情変化やキュルル側の心情ももっと描いてあげて、「心にしみる別れ」をもっともっと演出してあげないと、急すぎるイエイヌの涙だけじゃ、とても報われない。
冷たすぎる。そりゃ大切なものだし失望するのはわかるけど、届けようとしてくれた善意に対する感謝の気持ちがあれば、そんな第一声は出てこないやろ・・・。ましてそっからギスギスし始めるなんて論外オブザ論外。せめてせめて、語尾や言い回しを少し変えるだけで、コミカルなケンカに仕上げることもできていた気もするが、そうはなっていない。
以上です。
【コミュニティの一生】
↓
↓
住み着いた凡人が居場所を守るために主張し始める
↓
面白い人が見切りをつけて居なくなる
↓
残った凡人が面白くないことをする
↓
面白くないので皆居なくなる
ニコニコ動画はいつからこんな頭の悪い子しかいない残念な空間になってしまったのか。
9話が駄作であることは異論はない。が、あまりに駄作すぎるせいか、たたいてるやつらも雑すぎてレベルが低い批判ばかりがニコニコ動画で人気になっている。ランキングに入ってた動画全部ゴミ。これが今のニコニコの視聴者のレベルなんだな。これってさ、はあちゅうや尊師が明らかにアウトであるのは誰も異論がないところだが、あまりにアウトすぎてたたいてるやつらまで頭が悪くなり、的を外した批判やゲスな人間がめだつため結果として信者と叩く側が同じレベルになってしまって、むしろはあちゅうや尊師は傷つくどこかより肥え太る現象をほうふつとさせる。
9話はイエイヌ視点で考えればやろうとしてることはわからんでもなかった。叩きたいのはわかるがそこすら読み取れてなさそうなバカコメントばかり。むしろニコニコ動画で「イエイヌがかわいそう!」ってコメしてるやつらのほとんどが「自分がかわいそうだと思う」という話ばかりしていて、イエイヌがどういう気持ちだったかを考えようとしていないというのがすごい。お前らブーメラン頭にはえてんぞ。少なくともイエイヌ自身はすべて納得して行動し、「いえにお帰り」もイエイヌが望んでキュルルに言って欲しがった言葉だということを読み取れていない総統閣下シリーズ動画などを賞賛してる人間は、もうアニメ見るのやめろ。見てもいいが目と口をふさいで静かにしてろ。まして「なんで一緒に行こうと声をかけないんだ!」みたいなことを言ってる人は制作スタッフを批判する資格もない。ばかじゃねえの。「やっぱりヒトであればだれでもいいわけではない。自分が本来待っていたヒトとキュルルを混同してはいけない。キュルルとサーバル・カラカルのように、自分と<本来待っていたヒト>との絆を大事にしよう」と決めたイエイヌの気持ちをキュルル以上に踏みにじっている。一体君たちは誰のために怒っているのか、とあきれる。
「けものフレンズ2」叩き以外でこんな解釈や発言をしている人がいたら、「自分が気持ちよく感情移入できる作品じゃなきゃダメっていうのは幼稚すぎる」と言われていたのではないか。ニコニコ動画を見ている人たちは決して若い人たちだけはないはずなのに。とりあえずたたいておけば何言っても褒められるという状況ができると、こういう知能指数3のバカが調子に乗るから嫌なんだよな。
まず、本編途中でやべえな…と思い、ツイッターで検索をした結果イエイヌが不憫などという話が持ち上がっていたが、突っ込みどころが多すぎてそこにしか焦点が向けられないのってすげえアニメだな…
サーバルちゃんが連れ去られた後に突然おうちを見つけた~のくだりを話し始めるのがよくわからなかった。何の脈絡もなくそこにたどり着けるだけの知識がサーバルちゃんに備わっているわけもない。例えばかばんちゃんとの記憶を失ってなんちゃら~というのも今調べて発覚したが、おうちという知識はかばんちゃんとやりとりしたわけでもない。それと、サーバルちゃんが友達が自分より家を優先させる人だと思っているドライな所が悲しかった。一緒にここまで冒険してきた(見てないから知らんけど)筈のキュルルちゃんがおうちを見つけて、だからもういいんじゃないかなくらいの割り切り方…けもふれ1話のさ…かばんちゃんについてきたあげたサーバルちゃんじゃない…声が一緒なはずなのに抑揚の付け方が、台詞回しのせいで今の方が淡々としていて優しさが現れなくなっている…
サーバルちゃんならいなくなった後「どこ行っちゃったんだろ。でも、頑張って二人で探そうね!きっと元気にどこかでやってるだろうし、ボスもいるから大丈夫なはずだよ!」とか、カラカルを元気づけるくらいしただろ…
励ますだろ…いくらでもそういう言葉選びが出来たんじゃないか…おうちというワードに固執させたかったんだろうけどそれだったら「もしおうちが見つかってたら、やっと帰れるんだね、キュルルちゃん!でも心配だし、早く探してあげたいな」とかで充分いけただろ…
キュルルちゃんがさ、サーバルちゃん呼び捨てしているのも強烈に違和感があった…サーバルちゃんって、呼び捨てもちゃん付けも色んなフレンズにしているけど、かばんちゃんにはかばんちゃんだし、サーバルちゃんもサーバルちゃんってお互いに呼んでいて。キュルルちゃんが呼び捨てにしてたら自分もキュルルって呼び捨てにしたんだと思うんだ…その微妙な二人の距離感がすごくどちらとも可哀想…と思ってしまった
カラカルがキレている所らへんも、イエイヌに対しての言い方とかもう少しあったと思う。いや怒るのは正論なんだけど「遊ばない」とか、言うにしても…というかけもフレ一期ならキレるキャラとしてツチノコとかが居たけどアレは知識が無い事と勝手に色々かき回すってところにキレていたわけで性格とかそういう考え方を否定してたわけではないので、嫉妬しているから怒っているという風に見えるカラカルがとてもメンドクサイ女子のように表現されているのがモヤモヤする…ただ単に心配してて上手く言えなくて、だったらそれをサーバルちゃんがそこで…賢いなら…察してほしかったのと、追いかけ回してた子たちは関係ない悪くないって言うなら、イエイヌに対しての態度がただ悲しい…カラカルがあそこで一緒に遊んでたらあそこまで胸糞悪くなかった…キュルルちゃんはただほんともっとかばんちゃんより幼いってことでもあるのかもしれないし、能天気だし、おうちを探すってこととかそう言うのが意外と希薄で、カラカルが一番真剣に考えてあげてるのに空回りで伝わってないのも悲しい…カラカルが悪いわけじゃないので…
キュルルちゃんが勧められたお茶を飲まないのを見ていて気がついたけど今回だけかわからんけど「~しない」っていう行動の拒否と否定がものすごく多いよな…けもフレ一期は「わからないことがあっても、それにみんなで立ち向かう」だけの団結力とか、こういう否定をするときも「ごめんね、今気持ちが一杯で…」みたいな表現で言うと思うんだ…そもそも一期なら紅茶飲むと思うけど……
そんでここまででいったん中断して調べ回ってから本編を見始めたらサーバルちゃんが「これでよかったのかな、ほんとうのおうち…」って言い出すの「は?」としか言えない。いや最初におうち見つけたんじゃないって言ったの自分だよね?というか何でそこはカラカルに言わせないの?ここサーバルちゃんなら「寂しいけど、キュルルちゃんが幸せになってくれるなら…」とかっていうタイプなのになぜカラカルに問いかけるんや…それと、サーバルちゃんはここでカラカルに行くって言わせないで「カラカルも一緒にいこ!キュルルちゃんと仲直りしたいでしょ!」って連れていくタイプだと思うのにそこをカラカルに言わせてどないすんねん…「ちょっと、私は!」って言えたならそこで「さ、サーバルが無理矢理!」っていうカラカルちゃんの心の中の体裁を保てたんだよ……
なんでそこまで助けてくれたのに「イエイヌさん」なんだ…何でさん付けしてるんだそこ…
「頼りないわね!」って言うよりもキュルルに対して「もう、弱いのになんで外に出てるのよ!」って言えばまだよかったな…って…結局イエイヌに嫉妬していることがわかってしまうこの台詞悲しいわ…
わかったことがあるんだけどキュルルちゃんは多分5歳くらいなんだと思う…(あくまでも小学校に入る手前の年齢という解釈なので何となくで5歳というしかないだけだけど)…だから守ろうとかそういうワードになってくる…けもフレ一期のかばんちゃんの成長と違って、キュルルちゃんは目の前で見たことに対しての反応しか出来ない…だからイエイヌに対しても煮え切らない態度しかとれなかったし…
今回の序盤の「鋭い爪~」とかそういうくだりがあるせいでイエイヌがそういう特徴があるのに実はたいしたことないみたいな描写しているのがすごくやるせない…目に迫力があってすごいんです!とか言わせておいて、その最後泥だらけになっている所でビーストを睨みつけて撃退してたらすごくきれいに伏線も何もかもまとまっていたんだけどな…
イエイヌが一人で自己完結してしまうところで5歳児のキュルルちゃんに何も言える筈はなかったんじゃ…それはそうとしてカラカルちゃんが嬉しそうってなってるところがまたイエイヌちゃんがいなくなってよかったみたいに捉えられかねないやり方やめろ…もうここで一期の人間は一期におかえりって言われてるのと同じだから何とも言えない、もうけもフレ2は一挙放送があっても見ることはないでしょう…この量の文字数だけ毎回違和感出るんだなってわかったし苦行以外の何物でもない…
イエイヌを汚れたままにしてるのもキツイ、あんなに可愛いのに薄汚れたままにしておかえりはないでしょ…水浴びとかちゃんとさせるかあそこまで泥だらけにする必要がない…イエイヌちゃんがまるでおうちを無理矢理キュルルちゃんに押しつけて結果役に立てずに汚れて戻っていくっていうストーリーをこんだけ嫌味にして引き延ばして一回の登場だけで終わらせるの勿体ないとしか言えない…
「なにやってんの?」ってスケッチブックの事忘れてたのに怒る五歳児…仕方ないね五歳児は幼稚園鞄を持ってもらうことが前提なので怒るしかない…
ココに出てくるキャラみんなご都合展開で喧嘩して仲直りということがさせたいしワードをいくつか出して終わらせておけばみたいなのが見え透いているのが耐えかねる…キャラクター自体はいいのにそれの使い方が全部間違っている……キャラは悪くないと思う。問題は動かし方と考えさえ方…っていうかビーストを早く解放してあげて…かばんちゃんとサーバルちゃんなら「フレンズを助けなきゃ!」ってなるでしょうが……今まで一回も観なくてよかったし感想だけ読んでればいいよ皆…
漫画貼った人だけど
アニメの中でヒトと一緒に旅していた事をカラカルはしってるし、サーバルも記憶が無くなった話をしてるからな
お前がいう原作が何を指してるかわからないけどアプリ版の野中藍サーバルがいた事がけもフレ1期のろっじで示されてる以上、ほぼ間違いなくけもフレ2のサーバルはたつきサーバル
雑文になるけど、思いつく限り書く。
これが一番きつい。
「サーバルはなんでもすっごーいと褒めてくれるキャラ」ではあるけども、流石に程度がある。
なんでそう感じたのか。
1で「すっごーい!」とサーバルが言っていたのは自分が記憶する限りでは、セルリアンを打ち破っただとか、カバンがフレンズの間を人間的マネジメントで取り持った時だと思う。サーバルが「はえ~さすが人間さんすげーわ。」ってなった時にいってたように感じる。
2のサーバルはなんというか、自分が考えつかなかった事全部に「すっごーい!」を言ってる気がする。遊具を直すだとか、扉が開くだとか。1で言う所の「パークの地図を見つけた」部分にも、2のサーバルはすっごーいと言ってそう。
もうそれが「サーバルはなんでもすっごーいと褒めてくれるキャラ」という記号化に思えて仕方がない。
ちょっと気持ち悪い言い方をすると、1のサーバルは聖母だったのが、2のサーバルはキャバ嬢だという感覚が鼻につく。
絵は2の方が可愛いと思います。ぶっちゃけ1のサーバルはチープすぎた。
化粧を覚えて、世渡り上手になった幼馴染サーバルを陰キャの俺は目をそらすことしか出来なかった。
レッサーパンダですね。
いや、レッサーパンダが見栄っ張りで後先考えない子っていう風にするのは良いと思う。
でも、なぜそういうキャラにしたかっていう説明ぐらいはほしい。そういうのを旧しんざきおにいさんのコーナーや現ナショジオのコーナー(以降、CM前解説)でやるべきなんじゃないのか。てか、その話のそのコーナーで関わりが深かった方を出すべきで、「パンダとパンダ」だからCM前解説はパンダではなく、レッサーパンダが強烈に主人公陣に関わってきたんだからレッサーパンダをやれよ!と言いたくなった。
なんでレッサーパンダが自分を地味だと思っているのか、見栄を張るのか、後先考えないのか。そういう性格の補完を現実の動物からできるのがCM前解説の役割なんじゃないかと、思うわけ。
レッサーパンダ自体のモデルはかわいいとおもいます。特に首のもこもこがかわいい。
あー、描いてくれたらなー、描いてくれたら、コミックマーケットみたいなところで買うんだけどなー、あー、誰か描かないかな。
セルリアンが居たので困った、フレンズの特性発揮!問題解決!みたいなのが見ていて気持ちがよかったのに。
カルガモが引きつけて、なんで無事だったのかみたいな描写もほしかった。
カバと比べてしまうと、「カバは顎の力がすごい」と「カルガモは雛を守る時、敵を自分に引きつけて飛んで逃げる」は絵だけでわかりやすいのはカバだから仕方がないだけに、カルガモの特性にまで話を割いて上げてよかったんじゃないか。
CM前解説で「カルガモは雛を守る時、敵を自分に引きつけて飛んで逃げる」って言ってれば、カルガモの行動を見た視聴者は「あ、これナショジオで見たやつだ!」ってなったのにもったいないなと思う。まぁ、1話だから仕方がないけど。
なんかこれ、さっきの項目で書くべきだな。
いる。(強い肯定)
としか言えない。自分はツンデレが好みだからいるとしか言えない。
これならいっそ、サーバルじゃなくてカラカルとキュルルにふたり旅をさせて「けものフレンズ1はサーバルとカバン、けものフレンズ2はカラカルとキュルル」っていう風にしたほうがカラカルがもっと輝けた気がする。
いる。(強い肯定)
なんというか、アライさんとフェネックは「カバンは一体なにものなのでパークではどういう風にカバンが見られているのか」を補完してくれる存在だったように思うけど、なんというかアライさんとフェネックが人気出たから後追いをさせてる感が強い。
最後までは見る。
最後までは見るが、最後まで見てけものフレンズ1と比べず評価しろと言われたら、それは無理。
なぜなら全く新しいけものフレンズを提供してくれればそれも出来たのに、1に沿わして作らている以上、そんなに比較してほしいのか、となってしまう。
もっと簡潔に「ワクワク感がない」といってしまえばそれまでなんだけど、自分もなんでそう思っているのかを一度吐き出したかった。
自分が見た感想は、悪くないけれどそこまで面白くもないというのが感想。皆と同じように前作と比較すると物足りないというのは正直なところ。
というより、意識的なのかなんなのか、いまのところ前作をなぞるような展開なので、絶対評価しづらい。
前作序盤は、自分が何者なのかわからないかばんちゃんが、サーバルとともに自分の正体を確かめに冒険に出て、行く先々で「人としての知恵」を見せて正体を少しずつ見せていく、というストーリー。
一方の今作は、自分が何者なのかわからないキュルルが、サーバル・カラカルとともに自分の「おうち」を探しに冒険に出て、行く先々で「人としての知恵」を見せて正体を少しずつ見せていく。
目的こそ違えど、やってることが同じなので、正直いまのところの目新しさはあまり感じないというか。
それを敢えてやってるとしたら、このあとの大変身に期待なのだけど、1期と同じことをやるつもりだったらそれみたことか、となっちゃうよなー。
( 2019年冬アニメ1話ほぼ全部観たから感想書く その2 からの続き )
ハイファンタジー世界の学校生活。Cygamesお抱えの新規アニメスタジオ、CygamesPicturesによる初制作アニメ。Cygamesアプリ「神撃のバハムート」のアニメ化企画を立ち上げた頃から自社制作を構想し始め、神撃のバハムート内イベント「マナリアフレンズ」をアニメ化することに。ところが諸事情で放送が延期され、ついでにスタッフも刷新(制作:スタジオ雲雀→CygamesPicturesに)という紆余曲折を経て、今期ショートアニメとして放送開始。d'アニメストア等配信サイトでは2分程度のショートアニメが追加されたロングバージョンが配信されている。ショートアニメの内容は、主人公のお姫様に仕えるパラディン君が主人公の物語。
本作の監督は、百合姫Sの漫画原作アニメ「このはな綺譚」で監督を務めた岡本英樹。お察しの通り百合アニメ。非常に丁寧な作画、演出によって主人公の心情を非言語的に描くハイクオリティ作品。魔法学校が舞台なので魔法使うシーンもあるけど、そういう特殊効果なんかも綺麗。埃がキラキラしてるの良いよね。
主人公の心情を描くシーンで一番好きなのが、図書館での騒動が終わったあとの会話。「あの、他になにか手伝えることがあれば…」という主人公のセリフに「大丈夫」という優しい拒絶からの、突っ立ってる主人公に目配せもせず黙々と業務に戻る司書さん。トボトボ帰る主人公のロングのバックショットは、彼女の心情が痛いほど伝わるシーン。ピアノが中心の優しい音楽が心に響く(音楽:渡邊崇)。
今期のアニメの中でも特に背景がすごい(背景:草薙)。基本的に学校の校舎くらいしか映らないけど「さよならの朝に約束の花をかざろう」みたいなハイファンタジー世界みを強く感じる。いかにつくり手が(神撃のバハムートの)世界観を大事にしているかがわかる。もうね、騒動収束後、主人公が帰ってきた食堂の静寂感が最高に美しい。
2018年冬アニメ「刀使ノ巫女」大ヒット御礼につきショートアニメ化。登場人物のうち半分はゲームアプリからなので、ストーリーを追うならまずはアプリをDLしてみてね!
ノリは「てーきゅう!」みたいな高速コント。アプリネタもアニメネタも拾ってくれるシナリオ好き。細かい事だけど、アニメでは登場しなかった夏服に衣替えしてて、制作陣の愛を感じた。
「生徒会役員共」横島ナルコ先生の中学生時代。10分位のショートアニメ。きたないシモネタ全開のラブコメ。
中学生どうしのラブコメを描いた作品でいうと「からかい上手の高木さん」を思い出すけど、高木さん(理性的、積極的だけど表面上は慎ましい)と西片(直情的、積極的だけど恥ずかしがり)に対して、上野さん(直情的、理性が限界を迎えている、きたない)と田中(鈍感、打っても響かない)みたいな。特に田中の響かなさが好き。キャラデザ的にもっと感情表現を豊かにできるポテンシャルがあるのに、どんなにちょっかいを出されても表情がほぼ(´・_・`)で笑う。西片の反応が面白すぎてからかいがエスカレートする高木さんに対し、いくら打っても全く反応が返ってこない田中のせいで理性が限界を迎え、どんどんからかいが雑になる上野さん。何故か、からかう側が追い詰められていく。からかい上手の高木さん2期おめでとう。
動画工房による、ロリコン大学生と幼女(小5)のラブコメ。幼女?原作は百合姫コミックス。
動画工房は先の10月クールで幼女が主人公のアニメ「うちのメイドがうざすぎる!」を放送してたけど、本作と幼女の描かれ方がかなり違う。うざメイドは主人公の幼女が成長する姿を、ロリコンと変態が見守るハートウォーミングコメディだったのに対し、本作は原作が百合姫ゆえ、幼女の描き方が完全に恋してる人からの視点。幼女の立ち位置も、うざメイドはロリコンと変態の奇行に対して主人公の幼女が何らかのリアクションを返す形式で進むコメディなのに対し、本作は幼女の愛らしい行動に対して主人公のロリコンが悶絶するという流れ。まさに恋。物語も基本的に主人公の家の中で進み、家の外を描いた背景だけが淡い感じ(背景:スタジオオリーブ)になっているのが、「秘密の園」とか「楽園」とか「家の外は外界」みたいな雰囲気に包まれている。そういえばタイトルで天使って言ってるし。
動画工房作品はコミカルでヌルヌルしたアニメーションが印象的な作品が多いけど、本作は比較的おとなしい。幼女こそ元気ハツラツだけど、主人公があんまり動かない。一方で静かなアニメーションはすごく丁寧で、特に髪の毛の演技は主人公の心が揺れ動く様子が伝わってくる感じが良い。2話の「好きな子が迫ってきて、間近で見た髪の毛があまりに綺麗だったのでつい視線を集中してしまう様子」を描いてるところが好き。
本編とあんま関係ないけど、母ちゃんが電子タバコ持ってるシーンがすごく自然なの良いよね。最近だと「ひそねとまそたん」で小此木さんが喫煙スペースで吸ってたっけ。
ディスガイアの2週目。STUDIO五組(制作)xかおり(監督)xあおしまたかし(脚本)xなもり(キャラ原案)によるオリジナルアニメ。いい最終回だった。
インタビュー記事で監督曰く「前のめりで正座しながら観なきゃいけない……というよりはTVの前でゆったりだらっと、大人の方はお酒を飲みながら観ていただけると嬉しいです(笑)。」とのこと。割と何でもありのファンタジー日常アニメ。ゆるい。このすばよりゆるい。監督繋がりで「ゆゆ式」っぽいノリ。
飯塚晴子のキャラデザ好き。原案こそなもり先生だけど「クジラの子らは砂上に歌う」に近い、柔らかい色味とデザインになっている。ちなみにクジラの子は微塵もゆるくないアニメ。
物語は勇者パーティvs人生2周目の魔王による戦いが中心なのだけれど、魔王の方に感情移入しちゃう作りになっている。魔王マジ不憫。なので、魔王ががんばる→勇者が苦戦する→やったか!?→なんか主人公補正で勇者パーティが勝つ(オチ)という、勇者パーティーの成長物語が一転して「今回もだめだったよ…」というコントになってるのが面白い。ノリが「秘密結社鷹の爪」に似てるかも。デラックスボンバー(オチ)とか。
やっぱ音楽すげー好き。音楽は「となりの吸血鬼さん」に引き続き藤澤慶昌。このすばもだけど、日常パートの音楽と戦闘パートの音楽が両方良い(このすば音楽:甲田雅人)。シリアスパート向けの音楽を日常パートのネタとして使うセンスよ。
EDはメイ役・水瀬いのり個人名義による楽曲。ほんと歌うっまいよね。「僕らが目指した」の部分が意図せず脳内再生される。
AmazonPrimeVideo独占
「ガーリッシュナンバー」の監督が送る、クズの本懐。ディオメディアって、エロい女の子を描くアニメ作りがちだよね。本作は(3話まで)原画をほぼ自前でやってて、かなり気合が入っている模様。背景もスタジオちゅーりっぷだし。
クズの本懐はいろんなクズ同士の物語なので相関図がカオスだったけど、本作はひとつ屋根の下なのでかなりわかりやすい。わかりやすい?1話は関係性の判明までだったけど、恋愛モノのお約束っぽい展開(が若干こじれた感じ)。
主人公と瑠衣が割とリアルな高校生しててかわいい。School Daysの誠くんみたい。青春がテーマではあるけれど、徐々に先生や瑠衣が心を開いていく様子を丁寧に描いていく部分が重要なテーマなのかな。先生が彼氏と話す時、声がワントーン低くなるの凄く良かった。
草。Vtuber文化祭。制作の株式会社リド…株式会社ドワンゴ、株式会社KADOKAWA、株式会社カラー、株式会社インクストゥエンター、アソビシステムホールディングス株式会社が共同で2018/12/14に設立した、Vtuber特化した事業をする会社とのこと。本作は同社のアドバルーンみたいな感じ?
各Vtuberはそもそもツールが同じじゃないと共演できないという技術的ネックがあった的な話を聞いたけど、そこらへんを克服したと言う意味で画期的なのかな。「へー、こんなことできるんだー」っていう、知らない人向けのショーケース的側面が強そう。
内容はアドリブでわちゃわちゃするのではなく、(ある程度ベタを踏襲して)作ったショートコント。色んなVtuberが出演するが、全員が全力でやりきってくるところを見ると流石プロフェッショナルのエンターテイナーって感じ。
ニコニコ生放送では各話の放送前後で生配信をしていて、そこにVtuberが直々に参加している。本編上映中もコメント参加してたり非常にアットホームな内輪ノリで楽しい。割とこっちが本編な気がするくらい、作品を通して身内ネタが豊富。Vtuber界隈の空気を描いた作品っていう意味もあるのかな。
Vtuber全く知らない勢の印象として、現時点でVtuberはゲーム生配信が主戦場なので、こういう動画形式は彼らの魅力が一切伝わらないんじゃ?という感じなのだけれど、一方で株式会社リドとしてはそこに頼らない、別の戦場を探しているのかなぁとも思う。簡単に言うとバーチャルアイドルが活躍する場所づくり。Vtuberの歌番組、Vtuberのニュースコメンテーター、Vtuberの写真集、Vtuberのラジオ番組、Vtuberのコント番組(これ)、Vtuberのスポーツ大会とか作られてそう。
空軍版「蒼き鋼のアルペジオ」。マクロスやシンフォギアでお馴染みサテライト制作のオリジナルアニメ…ではなく、電撃文庫のラノベ原作アニメ。
未知の脅威(メカ)と、脅かされる日常、そして突如現れた、謎の戦う少女(メカ)っていうサテライトらしさを感じるシナリオ。ちなみに河森正治デザインのロボは出てこない。監督、脚本はシンフォギアの人。シンフォギアと比べると、主人公は多感なお年頃の少年なのでラブ要素があるっぽいけど、ライブ要素は無いみたい。
サテライト制作だけあって、戦闘シーンはやっぱりすごい。戦闘機が戦うアニメなので敵も味方も見た目は実在の戦闘機だが、コックピットでバターが作れるレベルの超人的なハイスピードバトルを繰り広げている(乗ってる少女は特別な訓練を受けているんだよーっていうくだりは2話以降で)。直線的にカメラの手前→奥に移動からの急旋回で直角に曲がりカメラに向かって飛んでくるミサイルとか、めっちゃサテライトっぽい。
特に2話は(アルペジオのイ401よりもおしゃべりな)戦闘機ちゃんとのデート回だけど、同時に「人間らしさ」「兵器らしさ」の間にある存在としてのアイデンティティを掘り下げていくキッカケになっていて面白かった。
2期。制作はヤオヨロズから別の会社(トマソン)に。OPは引き続きおーいしおにいさん。
1期で「フレンズって?」「ジャパリパークって?」「ヒトって?」「セルリアンって?」等あらかたネタを彫り尽くしたので、そこら辺を知っているテイで話が進む。序盤の展開は1期と同様「見たことのないフレンズ(主人公)がサーバルちゃんに出会い、パーク内を観て回る」っていう感じ。ノリは軽め。1話あたりに登場するフレンズがまだ少ないので、もっとたくさん出てくれないかな。
1期から続投してるのはPPP、アルパカ等。カラカルはアプリのシナリオでお馴染み。彼らがどの世界線のフレンズかは明言されていない(1期はアプリと同じ世界線)が、強いて言えば1期を見てから2期を見ると非常に悲しくなるので注意(ここは1期「ろっじ」においてアニメサーバルとアプリサーバルの関係を描いた、早起きのシーンを踏襲してるのかな)。
1期と同じBGM使ったり(音楽:立山秋航)、同じ構図を使ったり、「すっごーい!」等節回しが健在だったり。1期を通じて「けもフレらしさ」がアップデートされている感じがある。らしさといえば、些細な仕草にも動物だった頃の仕草が反映されている仕様はけもフレらしさを強く感じた。特に2話のジャイアントパンダ、レッサーパンダめっちゃかわいい。あとAとBパートの間にちゃんと本編もあるよ。へー。
吉崎観音が言ってた「けものフレンズは原作:実在の動物で、すべてのけものフレンズプロジェクトは二次創作」を思い出す。プロジェクト自体ずっと続くと良いね。