はてなキーワード: takeとは
その週末に会う予定だった人から「やっぱり行きたくなくなったからキャンセルしたい」と連絡があった。
当時は、すごく正直な人だなーとしか思わなく、了承したものの、チャットの整理をしていたらこのやり取りを見つけ、
時間が経った今「あれ何だったんだろう?」とちょっとモヤモヤしてきたので、整理するためにブログに書いてみてる。
モヤモヤしていることは、とりあえず何なのか考えてみた。
相手からのお誘いだったのに、他に誘う人や、店の予約など相手の希望を聞いてすべて私が手配しなくちゃいけなかったこと?
まぁ、あれ?なんで全部私が提案しているのか?とは若干思ったものの、だらだら決まらないよりはいいと思っていたので、これは得意な方がやればいいと思ってたからこれは違う。
直前にキャンセルされたから、店への連絡など発生して、めんどくさいなぁ。と思ったこと?
たしかに、めんどいなぁとは思ったけど、さすがに時間が経った今、それが原因でモヤモヤしない。
おそらく、これが理由な気がしている。嘘でも体調とかを理由にしてほしかったなと、振り返って思った。
キャンセルの連絡をもらったときに、私はなぜか相手に「気が回らずごめんね」と、謝っていた。
遊ぶことについての決め事で、なにかしら会うモチベーションを下げる要因を私が作ってしまったのかと。
他に誘った人の気持ちを考えると正直に言えるはずもなく、当日は、その人は病欠であると他の人に嘘をつかなくちゃいけなかったことも、あまり気持ちよいものではなかった。
正直な理由を告げることで私がどう考えるかとか、どう思うか等は、あまり相手にとって大切ではなかったのだな。
(って思いたい)
なにも、私を困らせてやろうと思ってそんなことをしたとは思えない。
(って思いたい)
自分勝手な人だったなーで済まないこの感じ。
もうちょっと考える。
自分の十数年来の友達が同じような理由でキャンセルをしてきたら、自分はこんなにモヤモヤするのか想像する。
しないな。
何それ?正直すぎない?って笑って終わり。
基本的に、そんなことをしない友達たちなので、正直に行きたくなくなったと言われたら心配するし、正直に話してくれたことを嬉しく思う。
そして、遊びの企画も持ちつ持たれつなので、私の企画がまずかったのかな?とは思わない。
あぁ、私はキャンセルをしたその人と友達になれると思っていたけど、
友達に対する見解、価値観が違うと感じていたからモヤモヤというか残念な気持ちになっていたんだ。
私の【友達の価値観】は、Give and Take と言ってしまったら冷たい感じがあるけど、
お互いがいい時間過ごせるように思いあったり、困ったことがあったら持ちつ持たれつで相談したりすることだったけど、
キャンセルをしたその人の【友達の価値観】は、お互いがはっきりGiveを求めることで成り立つ関係性だったのかなと感じて、
私はこの人と友達になれない判断をして、ちょっと残念だったなーという気持ちになっていたということか。
別にどちらがいいとか悪いとかではない。
私はその人と友達にはなれなさそうという実感を半年後に思っただけ。
そして、こんなに友達作るのってむずかしかったっけ?とも思った。
子供のころはある程度、学校だったり、地元だったり、何かしらの文化やルールの中に生きていて、距離感や価値観が合う人を見つけやすいのかもしれない。
大人になってからは、育ってきた環境が違う方と一緒に過ごしていくことも多く
色々な方に出会う分母は大きくなるけど、それは気心しれた友人と出会うことには比例しないんだな。と改めて実感した。
ここまで読んでいただいた方、モヤモヤの棚卸に付き合っていただきありがとうございます。
その違いを楽しめることもあるけど、楽しめないことも多いよね。って話でした。
社会学者の宮台真司さん「トリチウム生体濃縮の根拠!」と1週間以上の沈黙から論文をミスリードし引用→総ツッコミ
https://togetter.com/li/2223352
そもそも論文一つで、なにか一般的な真実が明らかになることはほぼないと言っていい。
特に、一般性が高い大きなテーマや、論争になるような結論を簡単に出すことができないテーマにおいては。
論文というのは「◯◯の条件で△△の結果が出ました。そこから考えられるのは□□です」というフォーマットに則っている。
□□はその論文の結論と言っていいものだが、たいていの場合で語気が弱められている(断言しないような言い回しになってる)。
「□□の可能性がある」とか「□□は【より重要で一般的なテーマ】にとって重要な知見を与える」とかそんな。
件の社会学者が引用した論文でいうと(アブストラクトしか見てないけど)、
This paper presents a laboratory experiment developed to identify previously untested scenarios where tritium may concentrate or transfer in biota relevant to Baltic coastal communities.
(この論文は、トリチウムが濃縮する可能性がある未検証シナリオを特定する実験を示したものである)
current legislation does not adequately take into account the nature of organic forms of tritium and therefore may be underestimating accumulation and toxic effect of tritium in the environment.
(現在の法律はトリチウムの生体内での性質を十分考慮しておらず、それゆえトリチウムの濃縮と毒性を過小評価しているかもしれない)
may | かもしれない、を使ってちゃんと(?)結論をぼかしている。
(法律がトリチウムの性質を考慮していないの部分はmayがないので確信があるんだね。)
なぜこうなっているかというと、論理的に出せない結論は書いてはいけないから。
もし書いたら査読に通らない。
Aって書いてるけど、BかもしれないしCかもしれないよね?とか査読者に言われちゃう。
万が一査読に通っても、学会や論文で他の研究者に遅かれ早かれ指摘される。
でも「我々の実験はAかもしれないことを示した」は論理的に間違いではないから査読に通る。
逆にいうと、mayさえつけとけば何書いても許されるみたいなところはなきにしもあらずなところがある。
あまり良くないようにも思えるが、だからといって何を明らかにしたい(したかった)論文なのかは目立つところに書いておいてもらわないと読みにくいので、今の書き方が慣習となったのかもしれない。
結論を言いきれなかったからといって価値のない論文なのかというと、そんなことはない。
◯◯の条件で△△の結果が得られたことは、学術的に重要な知見である(かもしれない)のだ。
トリチウムがわずかでも生体濃縮するかどうか、みたいな結論を簡単には出せないテーマに対しては、あまり強い主張はできないけど限定的な条件でいいから少しずつ知見を積み重ねていくのが、現代の学術のありようだ。
この論文では生体濃縮の可能性を示した、あの論文では生体濃縮の可能性は見出されなかった、というのを積み重ねていくのだ。
一見相反する結論の論文があるように思うかもしれないが、実験条件がちがうのだし、ここまで書いたように結論を断定した論文は少ないので、おかしなことではない。
これで、一つの論文を引用しただけでイキったこと自体が、おかしなことであることを分かってもらえただろうか。
(論文の内容にもケチがついているようだが、その論文を読んでないし他の関連文献も見てないので、特に触れない)
これは余談にはなるのだが、もし何かの研究結果を調べなくてはならなくなったとき、たとえばトリチウムの生体濃縮について調べなければならなくなったとき、
一つの論文で結論を出せるものではないなら、どうしたらよいかを書いておく。
ようするにその研究テーマの主要論文を押さえればよいのだが、そのやりかたについて。
基本的にはGoogleかGoogle Scholar(Googleの論文検索サイト)で適当なワードで検索すればよいのだが、ほかにも一般の人はあまり知らないであろう方法をいくつか書き留めておく。
プログレッシブ英和中辞典(第5版)の解説 pride /práid/ [名] 1 [U][C](…の)誇り自尊心,プライド≪in,at≫;(…した)満足(感),得意≪to do≫. take [have, feel] (a) pride in ... …を誇りにする(◆無冠詞のほうがふつう) hurt a person's pride 人のプライドを傷つける feel a glow of pride 胸が膨らむ思いがする His face is beaming with pride. 彼の顔は得意な気持ちで輝いている 1a [U]〔通例the [one's] ~〕自慢の種. the pride and joy of the family 家族の自慢の種 2 [U]うぬぼれ思いあがり,高慢,横柄,自負(心). in high pride 横柄に He swallowed his pride and kept quiet. 彼は自負心を抑えてだまっていた Pride goes [comes] before a fall. ((諺))おごれる者久しからず 3 〔the ~〕(集団・階層で)最良[最上]のもの,精華. the pride of one's collection コレクション中でも自慢の品
アーティストやTHE FIRST TAKEは「私たちはホンモノですよ」というのを売りにしてかっこよく見せている人たちなので「実は録り直してるし修正もしてるけどそんなの分かってますよね?」が成り立たない。
あれには狭義と広義があると思うよ。
狭義の一発録りは、いわゆる同録ってやつだね。スタジオにオケとシンガーを集めてせーので録る。マルチトラックを使うにしてもパート毎に差し替えるためでなくマイキングやミキシングのためで、何テイクも録るもんじゃない。美空ひばりとかの大御所の時代だね。あるいはテレビの生オケ生歌唱の歌放送もそれに近いですかね。
広義の一発録りというのがたぶん THE FIRST TAKE が主張しているところ。テイクとしては初回に近いものを使うがマルチトラックレコーディングした素材のエディットを許すというもの。このエディット作業がまるでないかのような番組演出を例のバンドマンは問題視している。その一方で彼は「補正はお化粧」としてエディット自体は否定していない。
このエディット、ボーカルトラックのピッチ補正が一番派手だから問題にされやすいけれど普通にリズムやタイミングやブレスの補正も入る。たとえば声が小さそうなアイドルはがっつりコンプで叩いてダイナミクスを均一にしてあるよね? ほどよくリバーブもかかっているでしょう。多少の素材の良し悪しがあってもレーベルとしては番組として質を均一に整えるのが大人の仕事なわけで、ここにはちゃんと人手を掛けて聴きやすいものを届けないといけない。むしろあれ観てると丁寧に仕事してるなと感心するよ。
余談だけど、テレビの収録モノの歌番組も事務所に素材を送り返して修正してから放送というのもよく聞くよね? これは制作費が事務所側の持ち出しだったりするから当然なんだけど、なにもお茶の間の視聴者は審査員でもなんでもなくて、単に耳障りのいい音楽を求めてるお客さまなわけじゃん。だからこれでみんなハッピーだし現に補正の効かない生一発のライブでもみんながっかりせず違和感なく楽しめてるわけですよ。なんの問題もないよね?
THE FIRST TAKE は映像の絵力の吸引力でワンテイク無編集だと騙されちゃうのも無理はないと思う。明らかに作ってる側もそれを狙ってるんだよね。ほんとに初回のテイクだけで作ってる? と言われるとそこも演者次第なんじゃと思うけど、絵と違和感がでない程度には切り貼り少なめですよ、バックトラックも専用に誂えてあってボーカルが映える薄めのオケで悪くないやん、くらいに捉えておくと楽しめるんじゃないですかね。ゆーてあのオケもシーケンストラック敷いてありそうですけどね。ま人生短いし細かいこと気にしてたらなんも楽しめなくなりますよ。
まぁ多くの人は、録音音源とは違う「一度きり」の緊張感の中の「素の声」を期待していて、THE FIRST TAKE側もそこを狙って売り出してんだから、「撮り直します」「補正かけます」が実態なら炎上するわな
ライブ会場にわざわざ出向いたのに流れてたのは録音でした、みたいな話だろ
一度きりにこめる。
THE FIRST TAKEは一発録りじゃないとかピッチ修正しているとかで話題になってるけど、
それに関して、尾崎豊は基本的に一発録りだったという記事を紹介したい。
これは尾崎豊のプロデューサーであった須藤 晃氏へのインタビュー記事だ。
https://www.musicman.co.jp/interview/19700
須藤:僕は自分がプロデューサーとしてレコードをつくっていくときに、ボーカルは一回しか歌わせないんですよ。「じゃあやろうか」と言って、歌ってもらって「はい、オーケー!」「えっ、もう一回やらせてください」「何回でもやっていいけど、俺は帰ります」と。
−− 普通は何回も録ってボーカルセレクタでいいところだけ繋いだりしますけどね。
須藤:高久さんもそうやっていましたけど、「それはないな」って僕はいつも思っていました。結局それが確信になったのは尾崎さんをやったときですね。尾崎さんも僕もキャリアがなかったですから、「歌って一回しか歌えないんだよ」「そういうもんだ」と彼に説明して「分かりました」と。
−− あれ全部一回なんですか?
須藤:ほぼ一回です。ボーカルの鮮度みたいなものがあるじゃないですか。きっとレコードを出すくらいの人というのは、歌はみんな上手いんですよ。それで上手い人って何度もやっていくと、どんどん技巧的になる感じがするんです。でも、人を惹き付けるのって下手な部分だと思うんですよね。
今の若い子のレコードを聴くと、みんなピッチコントローラーを使っていて音程は良いんですが、ひとつも面白くないですよね。音程がいいってことはそんなに重要なことじゃない、って僕は昔から思っています。
歌ってそんなものだし、誰かに自分の想いを伝えるときって理路整然とは言えないじゃないですか。どもりながらでも「好きだ」と遠回しに言ったりするわけで、かっこつけて「I love you」なんて言う人はいないでしょう? 歌ってそれと一緒だと思うんです。
尾崎さんの『I love you』って本当に一回しか歌ってないんです。だから、それしか世の中に流れてないんですよね。『I love you』のレコーディングにはプロダクションの人間も来ていなくて、僕とエンジニアと尾崎さんの3人だけでやったんですが、「オーケーいいね、いい感じいい感じ」って言っていたものが今も世の中に流れていて、何百万枚も売れているわけでしょう? そう思うとちょっとドキドキします。
よかったらリンク先で全文も読んでみてほしい。https://www.musicman.co.jp/interview/19700
それを「一発撮り」と呼ぶことを否定はせんけど(「通し」とかrun throughとかの方がより適切だと思うけど)「the first take」は嘘やんな。
「ありのままの音楽を。一度きりにこめる。THE FIRST TAKE ありのままの世界へ」と称してる以上、撮り直しも加工もおかしいよな
THE FIRST TAKE という英語表現の文字通りの意味と、音楽業界用語としての一発録りの意味がまず違うんだね。
THE FIRST TAKE を「一回の録音しかしない」と読み取るのは、英語の意味からしたら、ごく素直な解釈だとは思う。
音楽業界用語としての「一発録り」は sessioned とか simultaneous とか言うのかわからんけど、少なくとも first take とは言わんだろうなぁ。(調べてもないし英語力もないけど)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.j-cast.com/2023/08/14466968.html
出た人の関係者から直接聞いたことあるけど、修正なんて初期の頃からバリバリにやってたし、なんなら一発撮りですらないらしいよ。すげー!ってコメント欄眺めてると、世の中ちょろいなって心底思う。
この謎の噂話を元にブコメで一発録りを批判する流れができてるけど、そもそも THE FIRST TAKE に限らずインタビューとかでも載ってる一発録りは同時に演奏して一気に楽曲を録音する事であって対義語は別録りだよ。勘違いしてる人が多そうだけど一回の録音しかしない事ではないよ。音被りとかで機械の打ち込みとかでは出せないライブっぽい一体感が出るって言われてて、レコーディングには一発録りをガイドにして別録りで差し替えるみたいなやり方とかも普通にあるよ。
THE FIRST TAKE でいうとボーカルまで一発録りするのは珍しいからそこは十分なコンテンツの売りになっていると思うので、一発録りの部分でよくわかってない批判をするのだけはやめた方が良いと思うよ。
[B! 批判] 「THE FIRST TAKEはクソ」「若い才能を騙す行為」 ロッキン出演バンドメンバーが批判→投稿お詫び
ザ・ファーストテイクは未加工の音源だなんて一度も言ってない。
謳っているのは「一発撮り」だけ。
1回で収録した歌と映像ですよということ。
練習は何回もできるし音の加工もピッチ補正(音の高低を弄る)もする。
それをアーティストやアイドルに夢を見たい人たちが勝手に未加工と思い込んで「生歌なのに上手い!」とか、いきなり歌ってあのパフォーマンスだと勘違いして「すごい!」と騒いでただけ。
(ライブや生放送であれだけ音外したり声出なかったりするアーティストが完璧に歌えるわけないでしょ…)
ついでに言うと「肌キレイすぎ!」とかもね〜。
(解説動画を探してみるといいよ。音痴なあなたの歌もプロ並みになるよ!)
でもそれ
そういうレベルだよね。
ザ・ファーストテイクは通常の音源やMVより生々しく感じられるように作られたキレイな音と映像を楽しむものだよ。
後処理できるとはいえ緊張感はあるしささやかなハプニングがあったりするのも面白いし良いコンテンツだと思うよ。
なお根拠なく「知ってた。どうせ一発撮りも全部ウソ」みたいなのはただの誹謗中傷だし、そういう何でもウソと思っておけば安心みたいな人が陰謀論にスルッとハマるから気をつけてね⭐︎