はてなキーワード: Jrとは
ここらへんの言ってることとして
「TPOを考慮した上で憲法ではない新しい基準が必要なのではないかという話だ」って主張してるんだけども
…いや言いたいことはわかるよ?
「それだと正しい判断が常にされるとは限らない」って言いたいんでしょ?
だったらそんときゃ騒ぎゃいいのよ
そうすれば掲載主も一旦見直して掲載するに値するか改めて判断するじゃん
この一連の流れで十分にTPOに沿った広告が掲載される世になると思うんだけど
掲載主判断以外の基準を設けないからこそ現状こうして議論ができてると思うんだよね
なんか「新基準を作るべき!」って言ってる人たちは自分達に有利な基準が絶対できるって勘違いしてるよ
仮に表現の自由戦士に有利な基準になっちゃったらそれ振りかざされて議論にならないと思うぞ
でもそれってTPOに則していないと思わない?
広告だってその場所や時間によってどういうのが適しているのか変わってくるし
アニメ絵に対する国民感情だって刻一刻と変化してきているのに今の価値基準で何かしらの基準を作ろうとすることはかなり危険だと思うんだよね
まぁそういう点から「現状のままでいい」が俺の答えかなぁ
最近、イーロン・マスクが買収したTwitterの動きが不穏だ。マスク個人の意向によりめちゃくちゃにされている。
しかし、Twitterのように公共インフラ並に発達したSNSも、結局は一民間企業に生殺与奪の権を握られていると考えるとかなり怖い。
明日、マスクの気まぐれでTwitterがサービス終了したらどうなるだろう。LINEが潰れたらどうなるだろう、Googleが潰れたらどうなるだろう。
鉄道や電力、電話は民間企業運営とはいえ公共インフラとして認識されているし、法律の保護もあるし、万が一企業が潰れたとしても別の企業がその物理的な資産を継承してサービスを継続することもできる。JRが潰れても鉄道や車両が消えてなくなってしまうわけではない。
しかし、インターネットのサービスは終われば跡形もなく消え去ってしまう。類似サービスが出てきたとしても、過去のデータや人間関係はリセットされ一からの再スタートになる。互換性も無いのだ。そしてGoogle検索レベルのものとなると、代替は容易ではない。
YouTubeやSpotifyなどの娯楽サービスはいくら潰れようが生活には影響しないが、SNSが潰れるというのは悪夢に近い。
JRの改札におちち放り出して乗り換える
いやいやいや…
そんな話は初めて聞くぞ。
到底、にわかには信じられない。
JRの広告は「男をムラムラさせて痴漢させない」を基準にしてるの????
まあ広告出した人はJR内部の人ではないだろうから仮説に過ぎんとは思うけどさあ…。
だとすると an-an の男性の上半身ヌードがセーフな理由にも合点が行く。
99:1とかじゃなく、完全なるすべてが。
女をいくら扇情させても痴漢にならないならば基準が緩くなるのも合理だ。
っていうか・・・
残念だけど、敗北は敗北として認めなくちゃ先へ進めない。「ライザのアトリエはフェミに屈した」は本当にヤバい。
JR駅の広告に貼り出された女の子、ライザのアトリエのライザの太ももは、文字で隠されていた。太ももは性器じゃないのに。現実にこんな格好の田舎娘がいても誰も何も叱れないどころか、気にも止められないだろう。togetter まとめのコメントでも、TPOをわきまえた配慮は嬉しい、などとする意見が人気になってしまっている。
明らかにフェミニストの罵声とともにセーフアウトのラインが動いている…。目を逸らしても、これは否定しようもない現実だ。
フェミニズム v.s. オタク戦争は防戦一方だ。形態は侵略戦争なのに、「今回の侵攻では被害はゼロだった」がオタクの勝利条件になってしまっている。長い目で見ればオタク側の表現の自由の前線はジリジリと押され続けている……。
表現の自由戦争で敵基地に反撃する方法は無いものか? フェミニズムに対して反旗をひるがえす方法を考えるべき時は、今だ。今までになかった斬新な方向性が必要とされている。
JRに広告を出した経験のあるコメントの人によると、駅ナカの公共広告の基準は「痴漢防止の観点からムラムラさせかねないのはダメ」らしい。いやしかしでも二次元少女のライザの太ももにムラムラして現実の女の尻を触る男性が存在しうるか?? 俺はそんなのはゼロだし、たとえ存在してもそれが理由でフェミニズムに表現の自由の領土を明け渡すベキではないと考える。
元増田です。
一旦寝るつもりだったが、ガマンならないので一言だけ言わせてもらう。
だーーーー
かーーーー
らーーーー
ライザのアトリエはフェミニストに屈してなどいない、っつってるでしょうが。
反論するならば、太ももが隠されたのがフェミニストの影響だとする合理的な説明をして下さいよ。
クレームは無いのだから無関係。広告主が自発的に決めた表現で、JR内部のルールに沿っているのだから、むしろ完全に表現の自由は守られてる。表現の自由に反する敵と戦うのが、いわゆる表現の自由の戦士であって今回はむしろ表現の自由が謳歌された、正義がなされている状況なんだよ。
あんたはどうしても規制派と自由戦士の対立に持ち込みたいのかようわからんけど
JR駅構内はJRさんちなんだからJRさんの好きにするよねってただそれだけのことよ
JRさんちの意思決定する人が規制派ならあーそうなんだーって思うだけ
そこがJRと全く違う
「配慮」感がすごいという『ライザのアトリエ』の駅中広告、配慮する場所そこかよと総ツッコミ - Togetter
❶ まとめ内のコメントでJRに広告を打った経験のある有識者が言っているが、
数年前で今は違うかも、との事だがシンプルにその基準が適用されて太ももが隠されただけだろう。
❷ デザインを何もわかっていない半可通は黙ってろ。一般に広告には説明を表示する必要がある。その場合、通常、中央か右下に配置せざるを得ない。人物を中央に立たせる/右下に座らせるセッティングをしてる以上、位置が太ももにカブるのは回避しにくい。文字を不自然に小さくしたりするくらいなら、単にカブせてしまう方が広告訴求効果的にベターだ。
なんかこの件、早速フェミニスト? が勝利宣言してるっぽいけどさ。別にキミらの過去のクレームなんて何の影響も及ぼしてないからな? 太ももが隠れる表現になった理由は❶か❷だろう。フェミニストのクレームに屈したと考えられる証拠は何一つない。ライザのアトリエは昔と違う特別な配慮なんて何もしてないと思う。仮にフェミニストが一人も存在しない別の世界線があったとしても、ライザのアトリエはあの広告になっていただろうさ。なぜかキミらフェミニストには理解できないようだが、現代日本には表現の自由があるんだよ。いくら口うるさくお気持ちを並べても無駄だ。表現の自由は小揺るぎもしない。
「配慮」感がすごいという『ライザのアトリエ』の駅中広告、配慮する場所そこかよと総ツッコミ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2001949
にあるブコメ
雀魂?の時に会社側のレスポンスで大勝利みたいな雰囲気だったけど実際には燃えるたびにこうして前線は後退している。そして自らが燃料となり炎上に加担しているのは大部分がオタク側という皮肉。
スターもほとんど集まってないけど流石に看過出来ないので書かせてもらう
JR大阪駅の広告について以前別の増田が張ってくれて知ったのだが
あのエリアは1年くらい前からスマホゲーの広告スペースと化してて
雀魂咲コラボ広告以前から二次元美少女の広告が出ていたとのこと
https://twitter.com/tennmoku/status/1481133259551830021
https://twitter.com/YakumoyukariRZ/status/1571839217025847298
https://twitter.com/buruaka_teru/status/1584923813870829568
見れば分かるように一部のイラストには胸や腰のあたりに名前が被せてある
JR大阪駅の広告として掲載する際のガイドラインに則っているのだろう
雀魂咲コラボ広告への問い合わせが塩対応だったのもむべなるかな
よってJR秋葉原駅のライザの広告でふとももに文字が被せてあるのは
SNS上での論争では丁寧に議論を積み重ねて結論を得るのは難しいので、局地戦を仕掛けて勝利を積み重ね、相手陣営が如何に非論理的で頭が悪く、自分たちがその割りを食った被害者かを第三者に主張することが有効と言える。具体的な方法としては、浮いた駒(用意に破綻する主張をしてしまう無能な敵陣営)を晒し上げてTogetter等にまとめればそれを見た大衆は「○○派って変な主張ばかりだし、馬鹿にしてもいい存在なんだな」と思ってくれる。まあ所謂セレクティブエネミーというやつである。
暇空氏以前の表自と規制派の戦いを振り返ると、これまでは表自側が優勢だったという印象は拭えない。これは表現規制派が問題とする萌え表現について問題ではなく受忍限度内であるとの判断をする人が若者を中心に多い[1]にも関わらず、表現規制を要求する際の根拠や基準を明確には示せない(少なくとも聴衆を納得させられる状況ではない※)こと。またこれまで性的な被害を受けてきた被害者であるがゆえの強い言葉での否定が晒し上げられてしまった際にパターナリズムや男性嫌悪に基づいて規制をしようとする人達という印象が先行してしまったのではないかと考える。実際に日経新聞の月曜日のたわわ広告や大阪駅の広告では規制派側の要求は通らず、広告事業者側も客ではない規制派のクレームは社内基準等を盾にあしらう、という対応が(少なくとも商業広告では)定着しつつあるように思える。またそもそも問題であると感じた萌え絵表現をアドホックに叩くという戦術は、中立であった少なくないその作品のファンが根こそぎ相手陣営につきかねない危険な方法だったように思える。
前置きが長くなったが、これらを踏まえた上で暇空氏は現在表自側の浮いた駒になりつつある。暇空氏が現在戦っている土俵は表現の自由ではなく仁籐氏の本業であるColaboのアウトリーチ活動であり、表現規制に反対する立場の人でも仁籐氏の本業の活動については肯定的な人も多い。暇空氏は生活保護ビジネス陰謀論と会計の杜撰さを武器に戦いを挑んだが、陰謀論は返り討ちにされ、会計だけではColaboを潰すには足りない。また会計の問題についても意図的な不正で大金をせしめていたというよりは単に杜撰だったという印象があり、仮に「東京都と相談の上、今後は適切な会計処理を心がけます、それはそれとして暇空氏の誹謗中傷は許せません」となった場合にどちらに理があるのかは明らかである。また暇空氏自身だけであれば良いものの暇空氏は過激なファンネルを抱えており、彼らが誹謗中傷を行ってまとめて浮いた駒として負けてしまうことは世間への印象として非常にリスクが高い。これに関連して、暇空氏と同じく表自側のインフルエンサーである青識氏はColaboへの誹謗中傷をやめるよう注意喚起をしている。これはColabo憎しで本業に影響を与えた輩がまとめて敗北する事を危惧していると考えられ、青識氏の行いはあまり好きではないがネット上での喧嘩のやり方については流石にプロであると感心した。
Colaboの本業を叩きに行く暇空氏の戦いはほとんどギャンブルであり、今後の展開によっては大敗する可能性がある。また表現の自由の枠組みの中で戦っていれば有利であった表自にとって戦線を拡大するギャンブルを犯す意味は薄い。暇空氏はすでに暴走しており止めようがないが、良識ある表自としては一度暇空氏とその過激なフォロワーに肩入れすることはせずに推移を見守るべきと考える。
※自分の意見としては規制の基準は必ずしも規制派が示す物ではなく関係者の合意によって双方で作り上げるものとの認識なので、規制派が皆が納得する基準を示せないからといって即座に主張が無効とはならないと考える。一方で規制派も表自に対して基準を検討するためのテーブルに着けとの方向性を示せず、自身らの暗黙的な基準を押し付けたのはパターナリズムとの批判は免れないのではないと考える。
[1] JR大阪駅「性的広告」に見る日本で炎上が続く真因 https://toyokeizai.net/articles/-/636895?display=b