はてなキーワード: 物質とは
右手と左手は、構造の相対的な位置関係が全く同じであるにもかかわらず立体的に重なり合うことがありません。
それと同様に、結合している元素が同じで、元素同士の相対的な位置関係が全く同じであるにもかかわらず立体的に重なり合わない分子が化学の世界には存在します。そのような、構造が同じであるにもかかわらず立体的に重なり合わない2種類の分子の関係を「鏡像異性体の関係にある」と言います。
鏡像異性体の関係にある化合物は、R体、S体という呼び方で区別されます。生化学の分野では、L体、D体と呼ぶことも多いです。L-メントールとか、L-アスコルビン酸という名前を耳にしたことがある方も多いと思います。
R体を鏡に写すと、鏡に写ったR体は、S体の立体構造をしています。逆に、S体を鏡に写すと、R体の構造が鏡には写っています。ですから、R体とS体の関係を鏡像異性体と言うわけです。これは右手と左手の関係と全く同じです。右手を鏡に移すと、その像は左手と同じ立体構造のものです。
鏡像異性体の関係にある分子は、化学的な性質(沸点や色や反応性など)が全く同じであるにもかかわらず、生体内での働きが全く異なることがあります。これは、生体内の酵素が立体的な分子であり、薬理効果は酵素の立体構造に分子の立体構造が作用した結果であるからです。右手にピッタリと合うように設計された鍵穴に、立体的な配置以外は全く同じ構造をしている左手を入れてもはまらないのと同じです。酵素は鍵穴のような形状をしていて、多くの薬理作用を持つ化合物は、鍵穴に適切な分子がはまったときに薬理作用を発揮します。
例えば、ミントに多く含まれるL-メントールは皮膚に対して清涼感を与えることで知られますが、その鏡像異性体であるD-メントールは清涼感を与えません。
また、サリドマイドと呼ばれる物質は、R体のみ薬理効果を示し、S体は催奇性を呈します。睡眠薬として販売されたサリドマイドは、S体のみがもつ催奇性により、重大な薬害事件を引き起こしました。有機化合物の多くは鏡像異性体を持つため、薬学的には、R体とS体を区別して考えることは非常に重要です。
薬理作用、すなわち生体内での働きというのは、匂いについても同様です。ある分子は良い匂いがするけど、その鏡像異性体はそうではないというケースは十分に考えられます。
したがって、元増田は、ええニオイがしない分子を化学合成しようとして、ええニオイがする物質ができあがってしまったため、分子の立体構造が上下左右前後全部逆になっている分子、すなわち鏡像異性体を作ってしまったのではないかと考え、そのおかしさから腹が痛くなってしまったのではないかと考えられます。
・川は公害で真緑色、海は赤潮で赤色。背骨がグネグネの魚が取れる
・発がん物質DDTを頭からぶっかけ。今は使えない危険な農薬も使いまくり
・中共の気違いがぼかすか原爆の空間実験をしていたから雨に濡れると頭が禿ると親に叱られた
・人さらいが横行してたから5時過ぎまで外で遊んでると「サーカスに売られてしまうから」という理由で親に殴られた
・どぶ川はメッキ工場の青酸廃液できれいなエメラルド色がデフォ
・ソーセージ工場からは肉の生残滓がものすごい蒸気とともに排出されて即腐敗
・ジュースの素はなぜか陽の光に当てると色が消えた
・川崎球場はガラスでできた1合瓶が後ろから飛んできて普通のサラリーマンが殺し合いのけんかをしていた
・おとなは戦争で人を殺した経験があるやつがうようよいたからけんかはいつも殺し合いのようだった
・下水がないので、バキュームカーというウンコ収集車が定期的に来る
・空き地が多く、危険な薬品や資材などが雨ざらしなってて子供がそこで面白がって遊んでた
・野犬がうろうろしていて襲い掛かってくる
俺が考えたわけじゃなくて
5chに書かれてたのを張り付けただけなんだが
南青山の児童相談所の件、ネットを見ると建設に反対している住民を叩くコメントが多く、twitterでも金持ち批判ツイートが1万RTを越えている。
その理由。
1.不動産業者が住民のフリをしているフェイクだと見抜けないと世の中では損をする
このニュース、情報リテラシーがある程度ある人ならすぐに理解できたと思うが、
不動産屋が建設予定地を狙っているので児童相談所を作りたくないために住民に成り済まして反対をしているというだけのこと。
世の中には馬鹿なお金持ちもいるが、児童相談所ができるくらいで騒ぐ人はほぼいないよ。
しかも南青山の児童相談所はDVを受けた子供を預かる施設ではないからね。
情報の裏側を見ないと世の中を渡って行く時に騙されて損をする。
金持ちは価値のあると判断できる情報に飛びつくのでこんなニュースで騒ぐ人はお金持ちからは遠い人生になる。
これでたくさんの人に人生に関係する政治がおかしなことをしていたら声をあげるのは良いことだ。
しかし、人生では他人を叩くよりも自分を成長させたり幸せな時間をすごすことが最も重要である。
今回の件で金持ちを叩いても1円の得にもならないどころか、貴重な時間を無駄にしている。
ただ、人間の脳は他人を批判すると快楽物質がでるという厄介な性質があり、ネットで批判ばかりしている人はタバコや酒の中毒患者と同じように、批判がやめられない病気になっているという可能性もある。
経済って、すべての職を求める人が職にありつけて食うに困らん状況を作る必要があるからね。
ある意味、労働資源だの、物質資源だの資源はいろいろあるが、「労働資源については使いつくしている状態が望ましい」ということでもある。
>いやでも、ごちゃごちゃ考えて躊躇するくらいならともかく他の人に回せ!その金の使い道は他の人が考えてくれる!! って考えでいくならこれで正しいのか?わからん
資金循環、言い換えれば景気のことのことだけを言うならそう。と言っても、貧しい人が飢えるような状態は防がないとならない。働いても生活を営めない様な状態は防がないとならない。
>いやでも、、、 なんでそんなよくわからん複雑な手続きを踏む必要があるねん?なんかあるだろ??なんか?俺が知らんだけでさあ!出せこら!!!
つ雇用・利子および貨幣の一般理論 (まんがで読破 MD134)
https://teratail.com/questions/163664
レベル1:組み込み関数のソースがOSのAPIをどうやって呼び出しているかの仕組み
レベル2:OSは実際のPCにどのようにそれを処理させているかの仕組み
レベル4:AND回路などをどう組み合わせて計算ができるCPUになるのかの仕組み
レベル5:AND回路などはどういう電子部品の組み合わせで出来ているの仕組み
レベル6:電子部品はどういう物質でその電子特性を得ているのかの仕組み
レベル7:なぜその物質が電子回路を作れるような特性を持っているのかの仕組み
レベル8:この宇宙の物理定数はなぜ今のようになっているの仕組み
レベル9:なぜ何もないのではなく何かがあるのかの仕組み
12月11日放送のザ!世界仰天ニュースの内容について、工藤博幸先生がツイッターでツイートした一連の呟きと、「理系でなければ理解できないことではないかと思えた」というコメントについて意見します。
http://www.ntv.co.jp/gyoten/backnumber/article/20181211_07.html
https://twitter.com/hi_kudo/status/1072461509626880000?s=21
アルカリ性洗剤を入れて蓋をしたアルミ缶が破裂したことについて、工藤先生は「理系でなければ理解できないことではないか」とおっしゃいましたが、この事件の内容は「理系に限らず義務教育を終えた人なら理解できるはずのこと」です。
中学卒業までに、アルミとアルカリの反応で気体が生じること、アルカリ性の物質で化学やけどを負う危険性があることなどは学習済みになります。
今回の組み合わせになったアルミとアルカリについては、小6の「金属を変化させる水溶液」、中3の「酸、アルカリとイオン」の単元で学んでいます。
確かに「両性金属」「錯塩」など用語を学び、それらを含めて化学反応式で表現するのは高校の化学に進んでからですが、酸やアルカリの水溶液は特定の金属を溶かし、その際に気体(水素)が生じるという知識は中学卒業の時点で身につけているはずです。
初めてこの現象に触れてから間が開きますが、「中学の3ヶ年ではこの現象は全くなかったことにされ」るということはありません。
それに、酸やアルカリを扱う際にはその危険性も教えています。
実験にあたり保護メガネを着用させるとき、なぜ必要かという説明なしには指導しないでしょう。
そうして学んできたならば、
「アルカリ性の洗剤を蓋つきのアルミ缶に入れると、化学反応で生じた気体が缶の中に充満して、いずれ破裂するだろう。破裂の際に洗剤が飛び散れば肌についたり目に入ったりしてけがをするかもしれない」
けして理系ではなくても理解できることだと意見させていただきます。
しかし、一般の児童・生徒・学生は、理系に進まなくては科学の学びを継続したり、深めたりする機会が少ないことは問題ですね。
基礎的な科学知識があれば避けられたはずの危険に気付けなかったのは、そもそも学習が身についていなかったからでしょうか。継続されず、忘れてしまったからでしょうか。
この事件は、理系に限らず義務教育を終えた人なら少し考えれば危ないと分かったはずなのに、現実にはそうではありませんでした。
番組で取り上げられるほど「驚きの現象」と受け止められていることが、私にはショックに感じられました。
学んだとしても、知識が身に付かなかったり忘れてしまったり、実際に必要な場面で知識を活用できるかは別なのですね。
理科の授業で学ぶ「学校知」と、生活の中で活用している「日常知」が統合されない、応用がきかないような教え方になっていることについて、お考えを伺ってみたいです。
長々と失礼いたしました。