はてなキーワード: 無謬とは
例えとしては秀逸と認めてもいいが、頭が悪いせいで、導く結論が間違っているね~。
なのに最終的に結論は「やっぱりクマには人権無い扱いが妥当です」という結論出すじゃん。
これは頭が悪い。"人権"というものに関する知識とか理解の欠如。
この理屈で否定されるのは、ペドフィリアではなく、基本的人権という概念そのものなんだよね。「社会が人権を決めていても、嫌な奴はいじめられた排斥されたりしてあたりまえである」、と言っているじゃない。いや、わかるよ? 人権という概念は別に無謬の鉄則ではなくて、犯罪者をさばいたりするのに不都合で問題点があるとか主張されることもある。
でも元増田のしたい主張は、それじゃないじゃん。明らかに覚悟も準備もなしに人権を否定するという大闘争に一歩を踏み出しているじゃん。頭が悪いから気付けないんだよね。
そして、このことを別の方向から見れば、この比喩が元増田自信がいかに誤っているかを示しているとも言えるんだよね。
その熊には、人権があるのよ。
その熊を排斥するためには、いや排斥しようと主張するためには、人権を無視するする必要があるのよ。
「私は人権とかは無視するタイプです」ということを、わざわざ秀逸な比喩で主張したんだね。
頭が悪いよね~~。なんで自分の間違いをわざわざ主張するんだろうね? 地方裁判所で、確かに私は泥棒をしましたが、果たして泥棒は悪いことでしょうか? と主張するようなアホさがある。
杖をついて歩く人への合理的配慮すら無い事実を見せないように、写真から外して誤魔化してたじゃないかって倫理の問題に対して
杖をついて歩く人は謝罪しちゃいけないというのか!
Colabo界隈は暇空ガー!暇アノンガー!女性への攻撃ガー!
事実としてこの話題が盛り上がる時って暇空の追求より殆どColabo側の自滅なんだよなあ
https://anond.hatelabo.jp/20231216191459
この件もそう
お前らの言う暇アノンにとっては極めてどうでもいい話
そこで相手は杖をついてたかどうかなんてのは微妙な付加価値が一個付くか付かないかどうでもいいか程度の事
そんなとこまで必死に暇アノンガー!とか責任転嫁してんのマジでクソバカなんよね
どんだけ自分達だけ無謬でいたいの?言えば言うほど無理なのにwwww暇アノンとか言ってる時点で何も身綺麗でもないのにwwww
最初に暇空はデマ!難癖!私たちは何も悪いことしてない!とか言って見事に着火した時点からリーガルハラスメント記者会見からもう全てと言っていいほどこの問題が盛り上がってきたのはColabo側の自滅の歴史なんだよ
歴史修正してないで人間なら自分たちがしてきた事とその結果を思い返してみろ。事実と向き合え。
それが出来ないとしてもいっそ貝のように黙ってた方が色々と相当マシな形で鎮火すると思うぞ。マジで
まあ無理なんだろうけどなw
他言及でも書いたが一連の流れや動作原理についての資料は漁ってるし、日本の著作権法の条文は何回も参照してる あと科学技術は無謬じゃねえ
引用の要件を満たしているかを検証している段階でこの読み方をされるのはおかしいが、まじめに「完全に支配できるとお思いですか?」という問いに答えるならそりゃそんなわけない
世界情勢や経済を論ずる新書がなにも参考にせず本人の言いぐさだけで書かれてたら「引用してソース出せよ」って思うし、"家庭内"での私的利用によるコピーや"学校"での著作物利用について制限するほど著作権法がキツくないとかそういう基本は押さえてるつもりだが
AIの学習が人間のそれと同じという視点に立って書いており、先に書いた通りAIが引用の要件を満たさない転載を行った扱いなので「AIが」「無断で使用したデータを含む学習モデルで画像出力を行ったことが」「無断で使用されてしまった著作者(または権利保持者)の」「複製権(第二十一条)、公衆送信権等(第二十三条)、翻訳権(第二十七条)のいずれか、または全ての侵害にあたる」かな。AIに対して訴訟を起こすならこうって感じなので「半導体に訴訟起こすとか何考えてんだろ」とは思うが…
男がせっせと働いてる間に、女様がその金で遊びまくってたので、バブル以降
女性消費者主体の娯楽がさんざっぱら世間を闊歩してたけどそれもうようやっと終わりの時代に入る。
調子に乗りまくってパワハラ・セクハラの巣窟を作り上げてるのに自分たちは何もしていないと歴史修正しまくる大日本帝国脳。
相性が滅茶苦茶よかったのか陰謀論者とかQ annon系の人と連帯し始める始末。歴史修正しまくれるもんね。ジャニーズがなくなれば韓国人(K-POP)に乗っ取られるぞとヤクザも真っ青な差別し放題。
女性様無謬説を頭から信じ込んだせいで、当の女性たちは徹底的な被害者ムーブで自分たちの文化圏が何を作り出したのかなにも認識していない。
聖帝安倍が女性様を専業主婦からパートタイマーに引きずり下ろしたことで、段々女性主体の娯楽に力がなくなってきた。
逆に男性向けの漫画だのゲームはどんどん力を増してグローバルに進出し始めてる。
未来が楽しみだね(ニチャア)
リベラルは「弱者を(とりあえずは)無謬の存在として扱う」らしいですよ。
扱うってのも随分な上から目線ですが、それは措くとして。
リベラルが無謬な存在として扱ってるのは実際は自分自身なんですよね。しかもたちの悪いことにだいたいは無意識的に。
権力に刃向かっているというだけで正しさに酔えた全共闘からはだいぶ時間も経ってるのに、
相変わらず自分を疑うということをしようとしない。
結局その社会規範が行き着く先は「可哀想ランキング©白饅頭」のランカー争いになってしまう。
米国では既に「トランスの弱者性は女性を上回る」というランク認定が済んでおり、
無謬の存在であるトランス女性に異を唱えるシス女性は、職を追われるのが当たり前の社会となっている。
起きていないことにされてしまう。
シス女性が職を追われる理由は、「強者による弱者への差別行為」だ。
ランク認定が済んだ状態では、上位弱者であるトランス女性は無謬の存在として全肯定を受けるようになり、
「無謬の仮定」に従い、トランス女性を全肯定する義務を負う。そこに衝突は発生しない。
もし、トランス女性を全肯定できないシス女性がいたらどうなるか。
それは社会からは「無謬ではない存在が無謬の存在を迫害した」という差別行為として認識される。
だから、トランス女性を全肯定しないシス女性は職を追われる。差別主義者として。
「無謬の仮定」を崩して平和な話し合いを行う世界を想像しているのだろうが、
人間はそこまで賢くない。
シス女性は「無謬の存在を否定する非道徳的な存在」という社会的認識を与えられることとなった。
全く同意で、言いたいことがほぼ尽くされている。
問題は、マイノリティや被害者を無謬化する戦略は、他方でマジョリティ側を強者・権力者および潜在的な加害者として一括りに断罪する戦略を必然的に伴うこと。
マジョリティ側にも当然ながら労働市場や恋愛・結婚市場における弱者は膨大にいるわけで、だからマイノリティを擁護する社会運動は、社会的分断の原因にもなりがち。誰が悪いということではなく、これは根本的なジレンマだと思う。
フェミニストが女性を擁護する時に限らず、リベラル系の団体では「まずは弱者の言うことをちゃんと聞いて、いったん全肯定しましょう」と考える。
虐げられてきた弱者の傷つきに寄り添い、嘘偽りのない存在として守るところから、リベラリズムは始まるんだよな。
無謬の弱者なんていない!なんて攻撃されることもあるが、さまざまな被害や犠牲を受けてきた弱者はいったん無謬としておかないと、後の救済プログラムが続かない。
リベラリズムでは、女性やLGBTは無謬であり、ユダヤ人もムスリムも黒人もアジア人も無謬だと考える。
弱者の無謬の仮定を崩すとしたら、女性とLGBTの要求が衝突したり、女性とムスリムの要求が衝突したり、LGBTとムスリムの要求が衝突したり、ユダヤ人とムスリムの要求が衝突したり、アジア人と黒人の要求が衝突したりと、弱者同士の衝突が起きてからでもいいじゃない。