はてなキーワード: 欧米人とは
映画に限った事じゃないけど、
女性向け娯楽作品ってのは心理描写がメインだから楽しめるかどうかは文化とか年齢に依存するんだよ。
日本の若い女性向けの作品を、おっさんだの文化が違う欧米人だのが理解するのは困難。
だから日本か、文化が似通ったアジアの若い女性にしか売れない。
でも男性向け娯楽作品ってのは暴力とセックス描写メインだから、全世界の男性が大体理解出来る(描写が穏やかであれば子供でも楽しめる)。
ジャンプのバトル漫画はおっさんが見ても楽しめるけど、ちゃおの恋愛漫画をおばさんが楽しむのは難しいのと同じこと。
バトルなら子供向けだろうと精々(大人向けと比べて)リアリティや残虐描写がないと言う程度で大人でも楽しめるけど、
小学生の子供ならではの心理を大人が今更理解・共感するのは無理。
だから最初から全世界に売るのが目的のハリウッド超大作は男性向けに偏り、
日本と周辺の狭い市場を対象としたものは女性向けに偏るんだろう。
日本の乏しい予算で男性向け映画作ったってハリウッドに敵うわけがないから。
でも日本の文化を反映した日本人に理解しやすい心理描写という面を売りにすればハリウッドに勝てる。
ハリウッドにも女性向け映画は無い事はないけど、やはり日本人が見ると文化が違い過ぎるものね(全く売れない訳ではないが)。
たまに日本で大ヒットする事もあるけど。
反捕鯨にも何種類かあるんだと思う。
この立場からすれば、人間が完全に繁殖を管理し絶滅のおそれがない牛豚は食うことに何の問題もない。
この立場からすれば、「は? 牛や豚も駄目に決まってんだろ?」ってなると思う。
こいつらはまあ腐れダブスタ野郎ってことでいいと思う。ただ日本だとAやBの立場までCのダブスタ野郎と同一視されてる面はあって、正直それってどうなのよと思わなくもない。
私は近海捕鯨は賛成だけど、もし近海で捕れるクジラの個体数とかその辺がきちんと管理されてないならAに転じるかなぁ。動物倫理よりも食文化の方が重く、食文化よりも種の絶滅を防ぐことの方が重いと思うので。もちろんウナギ食反対だし犬食擁護です。犬食バッシングは本当に醜悪だと思う。イヌだと絶対にAの立場が成り立たない以上犬食に反対してる欧米人って一部の原理主義ヴィーガン以外は単なる自文化中心主義野郎じゃん、って感じ。
ヨーロッパの町の中心には必ず教会がある。教会の鐘の聞こえる範囲を教区と言い、キリスト教における統治の最少単位だったからだ。
朝な夕なに聞こえる鐘の音、そして町のどこからでも見える教会の尖塔、それこそがコミュニティの象徴だった。
かつてのキリスト教会は行政機関であり、司法機関であり、軍隊であり、教育機関であり、医療機関であり、福祉機関であった。
そして何よりも思想の中心であった。
人々は己の知的能力を超える判断を迫られた時には、「神の御心に沿うかどうか」と己に問いかければ良かった。あるいは聖書を開き、あるいは聖職者に問うた。
神の御心にさえ沿っていれば、理不尽な要求を突っぱねようが、相手を怒らようが、死後に天国に迎えられるのは自分である。
現代ではどうだろうか。街が発展して行く中で、中心にあるのは行政機関か、高層ビルディングかか、大規模なショッピングセンターか、資本主義社会にふさわしい姿に変容しているだろう。
しかし、欧米人の心の中心にはいまだにキリスト教がそびえ立っている。町中のどこからでも見え、目を背けていても鐘の音で存在を知らせる、教会の尖塔のように。
これは欧米人の全てがキリスト教の教義に従って生きている、と言う意味ではない。生きて行く上でキリスト教という存在と対峙しなければならないのだ。
Christian=キリスト者としてキリスト教の教義に沿って生きるか、他の宗教を信仰するか、無神論あるいは他の思想信条を信仰するか、あるいは無視するか。
おのれの精神的立ち位置を決定することを強いられるのだ。そして彼らは自分の選択した思想に沿って生きて行く。
さて、翻って本邦ではどうだろうか。信仰と教育が分離されて久しい現代の日本では自分はナニナニ教を信仰している、と明言できる人はかなり少数派なのではなかろうか。
むしろ明言できる人はおかしな思想を押し付けてくる人、と言うイメージさえあり、何かしら信仰していたとしても、自分から言いにくい空気すらある。
中には「無神論です」などと知った顔で言う御仁もおられるが、無神論というのはある種の信仰であり、理論武装が必要な類である。
では、そんな曖昧な、信仰を持たないものをなんというか。「無信仰者」である。ちなみにこれはキリスト教圏であれ、イスラム教圏であれ、信仰の篤い社会では最大級の軽蔑を受ける。
さて、そんな「無信仰者」が多数派となった本邦において、己の能力を超えた判断を迫られた時には、何を基準にすればいいのだろうか。
もうおわかりだろう。
「みんなと同じ」
である。とりあえず周りと合わせておけばいい。周り、と言ってもごく狭い範囲、顔見知りのレベルである。
みんながキックバックを受け取っているから自分もキックバックを受け取る。
……
そしてもう一つ。
「怒られたくない」
である。とにかく怒られるのが怖い。否、怒られた時に思想、あるいは倫理といった、精神の背骨がない。だから声の大きなものが押し通ってしまう。
「日本人の腸は欧米人よりも長いため、穀物系の食事に向いている」という話が、実はウソだったことをご存じですか?
日本人は腸が長いから「穀物系の食事向き」「肉食には向かない」という俗説が当たり前のように言われてきました。
しかし様々な研究により、「腸の長さに人種の差はない」ことが明らかにされています。
この間絵文字の違いについて日本人は目で、欧米人は口で感情を読み取るってあったんだけど、それって最近のことじゃない?
だって、昔は人の目を真っ直ぐに見るのは失礼にあたるって言われて、正面向かって会話するときは口から顎の辺りを見ながら会話するのがマナーって教わったもの。
ところがとくに最近の若い女性はとにかく人の目を凝視するくらいな感じで会話をしてくる。こわいこわい。
どこみてんの?って感じ。かといってこちらも目線をそらすのも悪い気がしてしまって目を見るんだけど、まずそらさないよね。
子供が日本人に盗撮されたと外国の旅行サイトに書くのはどうだ?
宿で差別されてほかの客の食事と内容が違ったとかスリッパが自分らだけ使い捨てだったとか露天風呂に入るなと言われたとか
観光地で外人の自分らだけ別料金だったとかタクシーで同じ道をぐるぐるとかも
特定の施設や宿のコメントで書くと営業妨害と言われかねないけどドコドコ地方とだけ書けば自由自在
日本の掲示板でなく日本と無関係でかつ日本と仲良くなさそうな国
で日本から問い合わせがあっても情報開示しなそうな法人又は個人のサイトで現地語で書き連ねるとその国の外人来なくなると思う
外国人排斥デモはYoutubeに実際の映像があるからそれと組み合わせて例えば
ただああいうのが店に出てると欧米人は「日本人だけ」と解釈しがち。
それは店に入ってくるところに出てるからだし(店の入口にありそうなメッセージとして「日本語のみ」と「日本人のみ」だったらどちらがありそうか?)、アメリカでは白人専用というメッセージが店に出てたような時代が実際にあったというような歴史的事情も関係してるかもしれない。
黄金比みたいなやつか。
A:Bの比を見たら絶対に脳が快感を感じてしまう反応が遺伝子に書き込まれている、みたいなこと言えたら確実なんだけど、意外と相対的な気がするんだよな。
アマゾンの、外部の文明に全く触れていない部族に、美しい欧米人を合わせて"美"を感じるかを実験してみたら、、とかやってみるとわかるのかな。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO32591700U8A700C1LX0000/ とそのブコメ http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nikkei.com/article/DGXMZO32591700U8A700C1LX0000/
これは日本のやり方が良いとか悪いとか、飯として豚骨が受け入れられるとか受け入れられないとか、ホテルの予約手法がいいとか悪いとかそういうことではないのだ。本当に身も蓋もないがそのとおりなのだ。
ここでは外国人=欧米の旅行者として話をする。同じ海外でも東アジアとか東南アジアとかそういったところは習慣が違うし、単なる観光旅行でアフリカとか南アメリカとかから日本に人が来ることも多くない。ちなみにこれから言う「旅行地としてのアジア」だけど自分の行ったところのある範囲に限るからそういう留保はしておいてほしい。
で、アジアに外国人が来る理由だが、特にあいつら食べ物を食べたいとか現地の人と触れ合いたいとかそういう目的でアジアに来てないのだ。いやもちろん現地のものだって食べるしエキゾチックな風俗嬢と遊びたい、って目的がないとも言えないのだがどちらも「体験してもいいかな」レベルの話なのだ。
だからホステルの食パンとジャムとシリアルとミルクとコーヒーしかない朝食に全く文句を言わない。要するにこれでコンチネンタルブレックファストとしては十分だからそれ以上求めてないのだ。海外旅行サイトで「〇〇でぜひやるべき100のこと」とかあるけれどあそこの食べ物を常食としたいのではなく「得難い体験イベントとしてちょっとやってみたい」だけなのだ。ちなみにアメリカンブレックファストが食いたいやつはホステルじゃなくて少しランクが上のホテルに行く。そっちなら卵の焼き方にこだわりの注文を付けられるコックがいるからだ。
台湾人はおそらく世界で一番外食としての朝食にこだわる人だと思うが、パンとコーヒーしかないホテルの朝食会場は欧米人で埋まっていた。もちろんこだわりの朝食を探しに出かけている人もいるだろうが(でなければ近所の豆乳屋の英語がスラスラ通じるはずがない)、コンチネンタルブレックファストが欧米人の旅行スタイルなのだからしょうがないのだ。
振り返ってみれば日本人だってそうだ。大した大きさでなくてもバスルームに湯船があればお湯を入れて浸かりたがる。シャワーで十分汗が流せるから良いじゃないかと言われても意識外のレベルで否定してしまうのだ。
アクティビティだってそうだ。みんなアジアに行ったら何をしたいか。寺を周るか、そこでしか食べられない美味いものを食べるか、絶景を見るか。欧米人がなんとか理解できるのは「絶景を見る」だけだ。寺も食いもんも「体験してもいいイベント」の1つでしかない。食べログが信用できないこれからはgoogle mapsだなんて話があるが非英語圏アジアの英語レビューにろくなものはない。なんで東南アジアでピザ頼んで不味いって言うんだ。なぜそこでイタリアンを食べたいと思ったんだ。理解不能だが仕方がないそういう習性の生き物なんだ。
話が逸れた。アクティビティだ。欧米人がしたいアクティビティったらトレッキングにサイクリングだ。奥地じゃチュービングにジップロープ、ちょっとイケるところならシュノーケリングにパラグライダー、どれもこれも欧米基準のアウトドアアクティビティだ。エクスペディアあたりのサイトはこういうアクティビティをやりたい人間が集まっているサイトだから、失われた王国が作った「新しい街」という名の古都とか、ベトナム戦争の滑走路が通常の道路として今でも使われる景勝地とか、4千の島が集まる滝の際とかどこもかしこも同じようなアクティビティで溢れていて、しかも外国人は楽しそうに遊んでいる。彼らにとって旅というのはそういうものだから仕方がないのだ。言い換えれば、旅行先というものがそもそもあいつらにとっては劣化ディズニーリゾートなのだ。バンコクの町中を走るトゥクトゥクはちょっとスリルを楽しめるカート、古いお寺は雰囲気を増すパビリオン。だから「予約の仕方が違う」とか「出てきた飯が自分の思ってたのと違う」で文句をいうんであって、それはもうそりゃすいませんでしたねと改善方法を考えるのもありなのだ。
ただ、ブコメで社長の目線が変だ、といわれているのもそのとおりで、どこもかしこもこういうやり方で集客しようとするのは「レッドオーシャン戦略」だということを我々は既に学んでいるはずなのだ。日本だって登りやすい山が多いところか、綺麗な水の海があるところか、新雪が山ほど降るところとか、数ヶ所で同じことをするならまだそういった他の目的地に飽きた人たちが来てくれるかもしれない。一斉にやる必要はない。先にやりだしたところが飽きられ始めた時に「隠された名所」として知られる手法だってある。ちなみに欧米人のアクティビティと違い、アジア人のアクティビティは自撮りだ。トレッキングスポットの整備よりインスタ映えする看板のほうが安く作れる。海外事例(この場合の海外は欧米ではなく東南アジアと台湾だ)を参考に作ってみたらいい。ついでに看板の端っこに南京錠かけるところ作っておけばカップルが南京錠買ってくれるよ。