はてなキーワード: 孫の顔とは
http://anond.hatelabo.jp/20120301123701
研究者になりたければ、そもそも院に行く前に助手として教授が声をかけてくれる。
もちろん、がんばれば職はあるが、普通に就職する旧帝大の友達との格差は埋められない。
かかれてあったレベルで海外で仕事するとなると、言語習得に一定期間必要で親への負担を強いる。
自分で稼いだ金でもない親が負担してくれている金で研究し続けて、
その後生活できるかかなり不明確。
生活できるかについて考えていないということは、
親はどうしても孫の顔が見たい。
しかし、出産は30ぐらいまでにしておかないと子供に障害が残る可能性がどんどん高まる。
障害の可能性をしらず晩婚で出産する人も多いが、
正直大変さは言い尽くせない。
それはありだとおもう。
これもあり、そういう夫は探せばいる。
その間の穴埋めさせられるほうはたまったものではない。
みんな自分のことで精一杯。
とりあえず、うちの妹みたいな甘いことばかり言うのはやめたほうがいい。
元増田は母親に対して別に憎しみだの復讐だのは考えてないと思うんだけど、
こういう解釈をしている人は
元々「女が子無し選択をするのは異常な養育環境で育たない限り有り得ない事だ」「そんな異常な養育をするような親だから憎しみを持っていて当然だ」
と思っているんだろうなあ。
元増田の話は
1・なにかにつけ「途中で投げ出すからダメ」とトライさせてもらえず育った
実際アレが本当に大元の元増田の肉付けだったとして、ではその肉付けをした上で増田に書いた意図を考えると、
「自分の性格」を理由に「子どもを作らない」ことは正しい判断であるっていうのを他人に肯定してもらいたい
という期待があったのでは? と考えられる
その場合、
「子ども持つかどうかは人それぞれの判断だし、今の時代子どもなしでも楽しんで生活できればそれでいい」
みたいな流れは、母親に孫の顔を見せないという復讐を正当化することにも繋がるので元増田的には一石二鳥で大歓迎となる
逆に「孫の顔見せてやれ、恩返ししてやれ」という助言に対しては、「なに的外れなこと言ってんだ」と怒りをたぎらせ、
「自分はこんなに抑圧された、こんな過程があってこそのこの結果なんだ」と切々と真意を訴えることができる
(実際にはその真意を示唆する描写があるので正面からは訴えなかったかも)
ところがここで、子ども持つか持たないかの判断の源すなわち骨の部分である恨みやトラウマにまで切り込まれてしまった
その際まるで自分の恨みや憎悪に無自覚であるかのように扱われたのが(なぜか他人である解説者らの)癪に障ったのだろう
当然だ、真意という骨に肉を巻いて意図的に皮肉に仕立てていたとしたらその憎悪と恨みに苦しんでいないはずがない
いわば傷口に塩を擦りこまれたも同然の指摘記事がついたのである
かくしてわざわざ他人のネタを懇切丁寧にネタばらす人が出現したのであった、とっぴんぱらりのぷう
解説者のいう「文章として面白みがないから肉付けを行った」という解釈はあまりよろしくない
面白いかどうかは主観の問題なので退けるとしても、肉付けを行ったことで背後に隠された「骨」が新たに展開しているかというとそうも言えない
骨すなわち真意が展開するとは、書き手の中でその恨みやトラウマがどのように昇華したのかが示されるということを指す
元記事において恨みやトラウマはまったく昇華してはいない、元増田は依然として母親の「教育」の影響下にあり、意趣返しこそ為したが何ら救われていない
「文章として」楽しむのならばそこで救いを生じさせ、感動を生むことを狙うのは定石である
この文章は定石を打っておらず、また定石を超えた独創的な結末を持っているわけでもない
よってつまらない。つたない。肯定的な評価を与えるための理由が無い。
骨である恨みつらみやトラウマをそのまま露出させれば得られたであろう「生々しさ」という面白さすらない。
例えばブコメにも「のろいがえしー」のような読みが普通に転がっているわけで、やっていることは増田記事での指摘と同じなのに、
何がどう琴線に触れてこんな大爆発に至ってしまったのかは不明。しかもその琴線の主は解説者であって元増田ではないときた。もう何が何だか。
ああ。ひまだな、自分。
あのねえ
わ・ざ・と、そういう書き方がされてるの
読んでる方はそれぐらい読み取れるし(アナタ以外)
書き手もそれぐらい読み取られることを期待して書いてるの(アナタのような頭悪いのは想定からも対象からもOUT)
元増田の話は
1・なにかにつけ「途中で投げ出すからダメ」とトライさせてもらえず育った
3・その母に「孫の顔も見せてやらねえよ、お前の教育どおりにな!」と言ってやった
だよ
骨だけむき出しに整理しちゃうとね
(3行にまとまるでしょ、あなたの解説はダラダラ長いよ)
でも恨みやトラウマの構造をそんなぶんぬきでシンプルに整理して書いても
書くほうも読むほうも「そうですか」で終わってしまう
そこで元増田は、
1・母に子供の頃から「あなたは飽きっぽい」という忠告を受けて育った
2・なるほど母は正しい、私は実際にそういう人間であることを後年自覚するようになった
3・そんな私の人格を熟知する母よ、何故「子供を育てろ」なんて危険なトライを薦めるのですか、理解不能!
人に読ませる話としても、
母親に実際にぶちまける時の恨み節としても
こうやって少し肉をつけたほうが面白いでしょ
(肉はつけすぎるといやみすぎてそれもまたオエッとなるけどね)
なんで肉をつけると面白いかっていうと
読むほうが話の表面の肉をかき分けて骨子にたどり着くまで
これはジョークの書き方とかも同じ
これじゃ悪意や蔑視は感じるけど何も面白くない
骨だけをシンプルに書くってのはこういうこと
1秒ぐらいして言わんとする骨子に気づく
これらは全部、
読む人が掻き分けられる程度の、嫌味にならない程度の肉を、慎重につけてるわけ
掻き分ける側も、書き手のそういう意図ぐらいは理解して微笑むわけ
それをまー、
一名の人よりずっと頭の鈍い馬鹿クンが
みんなわかってないみたいだから解説してあげるよよく聞いて!」
って、
馬鹿クン以外の全員どっちらけだよ
子供は「別」だよ。
「へーこの人が結婚したんだ」「えーこの人、子供いるんだ」なんて驚くことよくあるじゃん。
子育てに向いてないんじゃないの? ちゃんとできるの? って周りから思われてる人、たくさんいる。意外とちゃんとやってたりする。
子育てに向いてる、向いてない、はあるけれど、子供を生んじゃいけない人間なんていない。人は変われるのです。子育てに苦手意識がある人だって、立派に子供を育てあげている。
この増田は苦行から逃げているだけ。言い訳しているだけ。母親のせいにしているだけ。母親はきっと、呆れたんでしょう。例にあげたことと、子供を生み育てることを一緒くたにしている、物事を何もしらない増田に対してね。孫の顔みせてあげられなくてかわいそうな感じ。
大学時代、とある講義で使ったテキストに『精神疾患の要因には、遺伝的要因と環境的要因の2種類がある』と書かれていた。
教授は眉間に深く皺を刻み、苛立ちの隠せないざらついた声で、室内の学生に命じた。
「これは間違いだから、遺伝的要因の部分を黒く塗りつぶせ」と。
随分と古い文献を参照しているのだなと、教授は憤っていた。
4年前、兄は統合失調症を発症した。元々、ストレスを感じやすい人だった。
こういう病院に行くことになったから、と母から資料が手渡された。精神病院のパンフレットだった。
父は4人兄妹で、そのうち3人が自律神経失調症を患っていたことを、その時に知った。
叔父の息子(つまり従弟)が長い間入院しているのは、兄と同じ病気に罹患しているからという事実も、同時に。
笑いたくなった。父から子へと、遺伝しているじゃないか。テキストの記述が正しかったんじゃないか。
腹を抱えて笑いたくなった。偽善者め。あの講義をした教授に後ろから飛び膝蹴りを喰らわせたかった。
出来なかったので、代わりにテキストを開き、塗りつぶした箇所の上に修正テープを貼り、それから「遺伝的要因」と書き直した。
兄は、そして私も、もう結婚してもいいような年頃だ。両親にはそろそろ孫の顔が見たいと言われている。
しかし、少なくとも私は、結婚する気はない。万が一結婚することになっても、子どもを産むつもりは毛頭ない。
少し前、胎内にいる子どもに障害があることが発覚したら、産むか産まないかという討論があった。
普通の人にとって、何らかの障害を持つ子どもを授かる確率は、1000分の1とか10000分の1とかの、比較的低い確率である。
しかし、私自身の場合はどうだろう。普通の人よりは、高い確率であるだろうと思う。
障害は個性のひとつ。素敵な言葉だと思う。これが常識となった世の中は、お花畑のような素晴らしさなのだろう。
兄のことを馬鹿にするわけではないが、障害は、重い。妹である私がそう思うのだから、親として兄を背負う父母の負担は大きいはずだ。
そして、自分の子どもがそうなってしまったとき、私には耐え切れる自信はない。
兄はこれからどうなるのだろうか。障害をなるだけ軽くし、自立しようと、兄は努力を重ねている。
しかし、時折、ぎらぎらとした危うい光を宿し、家族を睨みつける兄を見ると、それは無理なことではないだろうか、という思いが湧いてくる。
父母が死んだとき、兄を背負うのは恐らく、私の役目になるのだろう。
その時に結婚していようといなかろうと、一生、兄を支えていくことになるのだろう。
それが嫌ならば逃げ出せばいい。選択肢のひとつとして、それを思いつくものの、そんな非情なことは出来ないと、すぐに打ち消す私は、家族の絆という名前の鎖に縛られている。
父は私に言う。「お前は元気で良かったな」と。
人よりも感情の起伏が激しくて、落ち込みやすいという自覚はある。
30目前、女、3歳児を育児中無職(一般的には主婦と呼ぶんかな)です。ああ、私も結果的に「でき婚」になった人間です。
親子関係は1親等と言いますよね。法律の中には0親等という言葉はないけれど、でも、夫婦を「0親等」と呼ぶ暗喩があります。
離婚したい云々の前に、なぜ奥さんがあなたのご家族と距離を置こうとしているのかよく考えて「自分を」学んでください。たぶん、「いい人」をまた見つけて再婚してもあなたがそのようにご両親や妹さんを優先なさるのでは将来の夫婦仲もよい結果が現れることはないでしょうから。
私も主人の実家から10kmどころか歩いて2分のところに住んでますが(全員を収容できる賃貸物件がないから)、義両親の体を心配こそすれど「嫌う」なんてことはありません。
「僕は孫の顔を親に見せるのが数少ない孝行だと思っているので」
それは正しいことだと思うけれど、あなたの一番すぐそばにいる人を先に気遣っては?ご家族が余命宣告受けているなら別(実両親で経験済み)ですが、奥さんはもう疲れたのではないかと思うのです。おそらく、奥さんを理解したいんだと真摯に話し合おうとしなければ関係の回復は難しいかと…。どちらかを選ばなければならない時っていうのはあるもんですよ。
追記: お、ご指摘ありがとうございます。修正しときますねー。でもねえ、何でそんなに腹を立ててるのかわからないんだけども。そんなにカリカリしてると体に悪いですよ。
うわっ
よく読んだらこいつ
じゃあ嫁に配慮しなかったら一体どんだけ実家に帰りたいんだよwwww
お前的には「年10回弱」ってすっごい嫁に譲歩してるつもりなんだ。
孫を連れていったのはさらにその半分程度になる。
なんで半分は嫁と二人だけで実家に帰ってるの?
僕は、他人と比較し批判しても仕様がないと思う性格なので、妻の主張がいかに不毛で妻自身の未来に寄与しないかを、その都度説いた。
その前にお前はお前と立場が違うお前以外の人間の気持ちを推し量れるようになろうな!w
お前のかーちゃんは姑、お前の妹は小姑だよ。
全てがサイアクだ。
僕は知っている。いかに正論であっても説教を受け付けないタイプの人が存在することを。
そして、人はおおよそ、正論を突かれるほど不機嫌になることを。
まずブクマやトラバでお前が絶対に女から総突っ込みされることを先に書いてやるけど
「年に十回も義実家に顔見世」
って時点で壮絶にうぜーよ。
嫁がお前の実家と上手く行ってないとわかってるなら、
接点を少なくするようしてやりゃいいのに、何やってんだおめーは。
夫の実家との仲が悪くない、一般的な嫁でも、
孫の顔を見せたい?
ならお前と孫だけで実家帰ればいいじゃねえか。
嫁には小金渡して「日頃の骨休めでもしててくれ」でよろしい。
去年出来婚して、今年の春先に子どもが産まれた。
妻は専業主婦で、育児にも家事にも熱心だし普段はとても温和なひとだ。
だけれど僕の実家と仲が悪い。というより、妻が一方的に嫌っている。
何かがあったという訳でもないと思う。
ただ、当初から妻は僕の両親の前では意思表示を極力避け、出される料理に殆ど箸をつけないのだった。
なるほど夫の実家は緊張するだろうな、変なプレッシャーはかけたくないなという思いが僕にはあった。
実家との距離は10キロ程度だが、妻と一緒に行ったのはこの一年で10回に満たないだろう。
孫を連れていったのはさらにその半分程度になる。
僕は孫の顔を親に見せるのが数少ない孝行だと思っているので、本当はもっと頻繁に連れていきたい。
この点でフラストレーションが溜まっていることは事実だ。ここに僕のエゴが存在していることを認めて筆を進める。
この数カ月で気づいたのだが、妻は(自分にとって)ネガティブな言動を決して忘れず蓄積させ、以後、相手を評価するときの基準点とするようだ。
蓄積するのはあくまでネガティブな部分であって、相手から受けた善意などは特にカウントされないようだ。
あなたはあの時〇〇と言ったでしょ、と、僕は最近よく言われるようになった。
僕の父や母も同様だ。とうとう遠方に住む妹夫婦のことにも触れだした。
いわく、妹に子どもが産まれたとき、僕の母は赤飯を持って飛んでいったのに、私のときはなかった。
(たしかに赤飯はなかったが、僕達のために色々な差し入れや、孫のためにお食い初めのセッティングをしてくれたことも事実だ)
いわく、もし妹の子どもと私の子どもが一緒になった時に、妹の子どもが僕の親に贔屓されるようなら以後決して一緒にはならない。
(ここまでくると、妹の人格も、両親の人格も、全てが妻の想像上の産物としか言いようがない)
とか、そのようなことを色々と。
僕は、他人と比較し批判しても仕様がないと思う性格なので、妻の主張がいかに不毛で妻自身の未来に寄与しないかを、その都度説いた。
説いてしまった、と言うべきだろうか。
僕は知っている。いかに正論であっても説教を受け付けないタイプの人が存在することを。
そして、人はおおよそ、正論を突かれるほど不機嫌になることを。
でも、血の繋がった家族が不当に貶められるのは我慢ができないんだ。
そして今朝、妻は僕と離婚したいと言った。
どうしたものかと心迷って、はてな匿名ダイアリーを開いている。
追記:
トラックバック拝読しています。あとで個別に返信できればと思います。
「増田が実家に依存しすぎだ」というニュアンスの方が多くいらっしゃるのですが、
僕達夫婦については、少し、状況が特殊だと思うのでその点追記します。
そのほとんどが、妻の母の要請によるものであり、また、大抵は宿泊となります。
呼んでくれて、孫を可愛がってくれて、食べさせてくれて、泊めさせてくれるのですから、基本的にはとても有難いと思うんです。
私は高校生の頃から老老介護、痴呆などによるトラブルを見てきてるし
8年たった今も夫婦仲が不仲な親族から呪いのようにダンナの悪口を何十回と聞かされている女です。
愚痴を聞く度私は結婚してないから、もやもやとしたものがいつも心に残る。
何十年か後、私がこんなふうに文句言わないように生きてる確証ってないんだよなぁと思ってため息が出る。
一人で生きて行くことが寂しいと言う女性がよくいるが、
私からすれば、己の寂しさより他人に迷惑をかけない生き方を模索することの方が大事。
それでも孫の顔を見せるよう、結婚式に呼ぶよう、いい嫁になるよう、
年をとった結末を奴らが呪いのように吐いているのに笑わせる。
結婚に対する憧れなんぞとうに無いわっ!!
…ビンタして面と向かって言えたなら、こんな所に書いていない。
あー、でも色々言われんのがイヤで逃げてたりして、そしてまた巻き込まれてるけど
頑張って働いて生きて行くよ。一人で。
26歳一人暮らし。
三人とも元気そうで良かった。
母は家計の足しにパートをして、妹は専門学校へ通っているが、学費はすべて自分でバイトをして稼いでいるとのことだった。
俺もなんとか就職することができ、今年で2年目。
今のところ、幸せだ。
同時に、この幸せがいつまで続くのだろう、この幸せが壊れる時はどんなときだろう、その時両親妹はどんな気持ちだろう?、そう考えると心が痛い。
両親は「孫の顔が見たいなあ」と冗談めかして言っていたが、「彼女いない歴=年齢」の自分が果たして結婚できるだろうか?
このまま孫の顔を見せることなく、両親を死なせてしまうのではないか?
父の嘱託は、年金が出るまでは続けたいが、半年ごとの契約のため、4月/10月が来るたびに、今回は更新されるかどうかをヒヤヒヤしなければならないとのこと。
もし、契約を切られたら、母のパートだけが唯一の収入源になってしまうが、正直、それだけでは生活していけない。
妹のバイトは学費で消えている。生活費などは両親からだしてもらっているくらいだから、経済的には期待できない。
必然的に俺が援助することになる。
俺はと言えば、そこそこの大きめの企業に就職したので、「現在は」経済的な余裕は多少ある。だから、もし父が仕事を続けられなくなっても、俺が援助することは「現在は」可能だ。
「現在は」と二度も強調したのは、普段の生活が7時出の25時着の激務で、将来続けられなくなる可能性があるからだ。
今回、GWで帰った時も、「少しやつれたね」「体には気を付けてね」と両親に言われた。
これでは、いつ仕事をやめることになるか分かったものではない。
そうなると、最悪、我が家は経済的に困窮する可能性があるのだ。
娘が結婚した。娘が言うには、相手はなんだか頼りなさそうなのだが、同じ頃合いの若者にしてはよくできたほうで、稼ぎもいいという。
一応このときは娘を信じたし、娘のその言うところにおいては全面的に正しいようだ。若者が車を持たなくなったと言うが、彼は30を前にして持ち家と車を持っている。
ローンも心配しなくていいらしい。40を前にして完済できると意気込んでいた。草食系とは言ったものだが、彼は見た目より猛禽類のそれに近いのかもしれない。ヒョウヒョウとしている割に、眈々と獲物を狙っているのかもしれない。猛禽類だけに。ちったあやるじゃないか。猛禽類だけに。
で、そうも言うなら子供に期待せざるをえない。鳶は鷹を産まぬと言うが、蛙の子は蛙である。弱々しいタマではない、そう考えていた。オタマジャクシだけに。
もう十数回を数える帰省。何度目かは覚えていない。彼の入浴する合間に、恥を省みず娘に直截聞いてみた。
「こどもはどうだ?」
嫁が怪訝な顔をする。しかし、父としては確認しておかねばならない。それに、もう退けない。娘は、
「どうしたの、急に?」
と、笑顔だ。しかしこの笑いは営業スマイルのそれであり、娘もまた肉食生物のそれを隠そうとはしなかった。そうだ、社会においてその美貌は武器だ。
「いや、俺も、お前の孫を見てからでないと、安心して死ねないからな」
「んー」
娘は言葉を選んでいるのだろうか。そして
「こどもは、まだ、いいかなって。シンイチとも、そういうことにしてる」
笑顔を崩さず。髄まで染みた化粧は仮面のごとく。それでこそ我が娘よ。
「そうか」
少し残念そうな顔をして牽制してみる。デリケートな話題ではあるが、やはり血の行く末は見届けてから死にたい。
しかし、わからないでもない。自分の人生を謳歌したいという気持ちも。俺も若い頃は尖っていたつもりだ。社会なんか俺達でぶち壊せるという思いもあった。
その武器のために賢くなろうとしたし、世間の言う高学歴の大学に入り、野心を温めて社会に出た。親父もお袋も泣きこそしなかったが喜んでくれた。
ただ、社会を変えることはできなかった。いや、正確に言えば変えることをいつしか拒む自分がいた。そうしていれば黙っていても財を蓄えることができたから。
「父さんは、どうして孫が欲しいの?」
娘はその顔を変えることなく尋ねる。
「どうしてっていうようなものじゃない。家族が増えることは、それだけで喜ばしいことじゃないか」
と、それらしいことを言ってみる。もしかしたら、俺は先代からの呪縛に囚われているのかもしれない。しかし、これは本意だ。孫の顔を見たい。
ここで、娘の顔が曇った。それまでの笑顔が上っ面のものだとはわかっていたが。私は娘の今よりいい顔を知っている。
少し、間ができた。嫁は娘の顔をじっと見ていた。先行く女として看過できないものがあったのだろうか。洗い物をする手を止めていた。
「私は、こどもを産みたくない」
娘は、俺が最初に尋ねたときと同じ刃をぶつけてきた。すっぴんだ。水溜めに浮かぶ皿とフォークがぶつかる。
「私が、シンイチと結婚したのは、お金じゃない。こどもを産まなくてもいいと、言ってくれたから」
「私、こどもを産まないから」
反抗期があまりなかった娘だが、なんとなく理由がわかった気がした。
間。
シンイチ、浴室の戸を開ける音。嫁は洗い物を続ける。俺と娘は視線を外さない。居間に来るシンイチ。娘が視線を外す。仲睦まじき夫婦が私の視界に。娘は自立した。
ここで譲歩したら
「これこれこういう会社へ就職しろ。それ以外に就職するのは親不孝だ。何のために育ててきたと思ってるんだ。」
「早く結婚しろ。結婚しないなんて親不孝だ。何のために育ててきたと思ってるんだ。」
「結婚式ではああしろこうしろ。言うとおりにしないなんて親不孝だ。何のために育ててきたと思ってるんだ。」
「早く孫の顔を見せろ。でなければ親不孝だ。何のために育ててきたと思ってるんだ。」
「同居して介護しろ。でなければ親不孝だ。何のために育ててきたと思ってるんだ。」
「娘は親の思い通りにしても良い」という幻想をさっさとぶち壊しておくが吉。
爺ちゃんは、15年前に65歳で死んだ。その時ばあちゃんは怒っていた。爺ちゃんは大酒飲みでばあちゃんに迷惑をかけてばかりだったけれど、退職してからその悪い癖はだいぶ落ち着いて、しかも人より多く年金がもらえる仕事だったし、退職金も多かったから、やっとこれから夫婦水入らずの穏やかな余生を送れると、婆ちゃんがほっとした矢先だったのだ。爺ちゃんとばあちゃんは喧嘩はよくするけれど、浪花節的にとても仲の良い夫婦で、風呂も毎日一緒に入って背中を流し合っていたそうだ。なのにばあちゃんはイキナリ一人ぼっちになってしまった。ばあちゃんの娘、つまりわたしの母さんはそのときすでに死んでいたし、息子は東京へ行ったまま結婚し、恐ろしい鬼嫁の元、連絡もよこさなかった。そこからばあちゃんは狂い始めた。昔から信心深かったばあちゃんは、毎朝ながながとお念仏をとなえるようになった。お嬢さん育ちのばあちゃんは人を疑うことを知らなかったから、変な健康食品や水晶や絵を買わされた。数年後には立派な家が建つほどあったお金は全部なくなっていた。それからばあちゃんはたくさんの動物を飼い始めた。犬、猫、小鳥、亀。猫は一時期、30匹ほどになっていて、ばあちゃんは毎朝4時に起きてエサやりと掃除をしていた。餌は缶詰と鰹節とご飯をごちゃまぜにしたものだった。ときどきばあちゃん家に遊びに行っても、エサやりが忙しいから帰ってと言われることもあった。わたしの父に金の無心すること数知れず、サラ金にもたくさん借りていて、何度も自己破産をすすめたけれど強情っ張りで言うことを聞かず、それも父がたてかえた。そんなダメすぎるばあちゃんだけれど、なぜか憎めない人の良さがあって、友達はたくさんいて、ばあちゃんに金をあげたり、ご飯を作って持っていってあげたりしてくれていた。というそんなギリギリの生活が15年も続いている。
そして、ペットも大分へって、ばあちゃんも昔ほどの元気がなくなり、もちろん金は年金以外にないという状態の今日このごろ、ばあちゃんが新興宗教にはまった。ばあちゃんの部屋にその宗教の戒律のようなものが書かれた紙が貼られているのを見たときは、少し心配して、その戒律がびっしりと繰り返し書かれたノートを発見したときは凄く心配した。でも、その宗教にはまってから、ばあちゃんはすごく元気になって、目が輝きだしたのだ。いきいきとして楽しそうだ。3人くらいのオバサンが勧誘してきたそうだが、暇なときはあの汚いばあちゃん家に上がって、お茶をのんで愛の話や世界の話をしているそうだ。その宗教をネットで検索してもあまりヒットしないところを見ると、かなり小規模な団体らしい。よくよく考えれば、新興宗教にはまると悪い理由っていうのは、全部ばあちゃんに当てはまらないような気がする。まず、ばあちゃんには毟り取られるような金はもうない。ブラックリスト入りだからどの金貸しも金を貸してくれない。家は持ち家だけど、わたしも父もその家をもらうつもりは毛頭ない。だから資産を毟り取られる心配はない。新興宗教にはまって潰れてしまうと困るような素晴らしい将来も、ばあちゃんにはもうない。あとは死ぬまで年金でほそぼそと数年生きるだけだ。勧誘おばさんたちも、金なし、亭主なし、未来なしらしく、皆やさしくて、ばあちゃんにたかるようなこともなく、たいていは茶菓子をもってきてくれたり、ファミレスや蕎麦屋で奢ってくれたりするらしい。寂しくて、救われたくて、そんな仲間がそっと集まって語り合うのだ。
孫の顔も息子の顔もほとんど見られない、亭主も死んだ金のない独りぼっちの独居老人が、一つの宗教に希望を見出して、誰にも迷惑をかけず、社会の最底辺にある仲間とささやかな茶会をして、生き返ったように目を輝かせている。来世は救われると信じて、毎日一所懸命、戒律を守って、お祈りしている。ばあちゃんに、宗教の原始的姿を見たような気がした。
良いことだと胸を張っては言えないけれど、なんか、それでいいんじゃないかと思う。死ぬまでそっと見守りたい。
相手を選べば親戚付き合いをぶっちぎって好きに生きるのは可能だと思うよ。
私は結婚したけど、親戚付き合いと言える事はほぼしていない。
旦那の祖母の葬式に出て、会った親戚と話をしたくらい。
(法事なんかは旦那だけ出れば問題なし)
実家との付き合いは月一くらいで姑からメールが来て2,3通返すのと、中元歳暮を贈る程度。
帰省は数年に一度。
親戚付き合いをしなくても問題ない理由は
・次男
・旦那の実家とその親戚が住んでる地域から遠く(1000キロ位)離れてる
・旦那がそういう付き合いやしきたりに従わない性格だという事が親や親戚によく周知されてる(「まあ、あの子はしょうがないね」と諦められてる雰囲気)
・私の仕事がとても忙しい(…ということになっている。仕事をしているのは本当だけどあまり忙しくはない。)
だからだと思う。
旦那の実家は田舎の農家で親戚めちゃくちゃ多い、地元に住んでる親戚付き合い濃いみたいだけど私はほんと関わってないよ。
やっぱ遠いってのが効くんだろうね。
・俺の年収はかなりムラがあり、1000万超稼げる時もあれば、下手すると200万しか稼げない時もある。一方、嫁は年収400万をコンスタントに稼ぐ公務員。生計をともにすることによりリスクが減る。
・嫁の作る飯美味しい
・トイレ掃除、風呂掃除、ゴミ出しは俺の仕事だが、もともと1人暮らしで家事やってたので苦ではない。1人が2人になったところでトイレや風呂の数は倍にはならない。むしろ掃除や洗濯や料理をしなくて済むようになった分、独身時代よりも負担は減った。
・自分の子どもを残せる。親に孫の顔も見せてやれそう。(嫁は今妊娠中)
・いつでもセックスできる……はずだったが、今は妊娠につきおあずけ中w
・嫁と子ども(まだ生まれてないけど)を守りたいと思うと、仕事にも精が出る。
・夜更かしを控えるようになり、生活リズムが安定する。
・「行ってらっしゃい」「おかえりなさい」「いただきます」「おはよう」など言う相手が家の中にいると精神的にも安定する。
というわけでベネフィットだらけなのだがおまえらは何をそんなに躊躇してるの?
誰かがなんとかしてくれるはずだ、誰かに何とかして欲しいってのは、
要は「自分たちには責任がなかった」と言いたいってことでしょう。
誰にでも起こりうることなら、例えば若くして結婚した友達が居たら、
「なぜ気がつかなかった!」って言われる可能性があるから。
隣に住んでいる夫婦がケンカしてて、子供の声が聞こえなくなったら、どこに通報すればよいのか?
自分たちが「通報する必要がある」として面倒が増えるのが嫌だから。
でも、ネグレクトが個人と行政の怠慢なら「周りの大人の責任」にはならない。
個人でも行政でも日本社会でもなく、ムラシャカイ・町社会・近所のコミュニティの再構築が対処方法だろうね。
若い親が遊びたいのはしょうがない。それを慰めるおばちゃんが居れば。
親が無理矢理にでも(うざがられても)孫の顔を見に行くのが普通になれば。
実家に果物を送ってくれと言って、たまに電話をして、余りそうな果物を隣にお裾分けに行く。
そんなところから始めるだけで、ずいぶん違うはず。