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はてなキーワード: ブルーハーツとは

2019-10-03

ブルーハーツチェルノブイリって曲

チェルノブイリには行きたくねぇ!

って歌詞だったけど、あれをフクシマってして出したらやっぱ叩かれてんのかな?

2019-07-31

anond:20190731150300

さな恋のうたに決まってんだろ。酒入ると結局〆に歌っちゃうんだよ。ブルーハーツとかも。安居酒屋の〆のお茶漬けみたいなもんだよ。

2019-05-26

褒められたら嬉しい

正直仕事ではよく褒められるし、出世させてもらい地位お金もそれなりにはある。

ただ他人から褒められても正直嬉しくない。

しかし、子供が頑張って褒められると素直に嬉しい!

プレッシャーにならないように本人には言えないけど心の中でニヤニヤしちゃう

頑張れって部下に言う時は建前だけど、子供には心の底から頑張れって思う。

ブルーハーツの「人にやさしく」の歌詞が今更ながら凄く心に響くそんな40代男性です。

2019-05-16

今度、自分のことを嫌ってる人と二人きりで過ごさないといけない日があって、今から憂鬱

相手は気分で行動が変わるタイプで、落ち着いてる状態なら無視されるだけだからいいんだけど、躁というか行動的になった時が怖い

前に長時間ダメ出しされた時は、楽しそうで何よりだな…とか感じてしまうほどイキイキしてたわ

どうやってやり過ごせばいいか

脳内ブルーハーツでもリピート再生しとこうかな

2019-04-06

クラッシュって

演奏も歌も下手過ぎて聞いてらんない

ブルーハーツパクリ元っていうくらい

2019-02-06

相対的評価目的にしない事だよ

https://anond.hatelabo.jp/20190205131906

世の中でどれだけ結果を出して活躍し、

人に必要とさせるかってのは

その人なりに努力する前提で、運と才能で決まってるから

人間には器ってものがあるので。

からそんなもんどうでも良いと考えては。

どうにもならないことなんてどうにでもなっていいことって

ブルーハーツも歌っていたじゃない。

大切なのは自分が持って生まれポテンシャル

最大限発揮することかと。それができれば満足ですよ。

それ以上はわがままなっちゃう。

なんでお殿様に生まれなかったんだ!って

農民が嘆いてるのと同じ構造になる。

2019-01-07

寝れないから月の爆撃機を語らせて欲しい。

とても寝れないので月の爆撃機について書かせて欲しい。

俺はブルーハーツの月の爆撃機って曲がめちゃくちゃ好きだ。この曲の歌詞は(個人的解釈だが)絶対に譲れない男の中の一線を歌っているようでたまらない。古い表現かもしれないがシビれる。

歌詞の中の「薄い月明かり」は、個々の持つこだわりや譲れないポイントなんだと思う。

そういう心の中の明確に表現しえない「自分の在り方」をぼんやりと照らす月明かりになぞらえているんだと思う。

から、「友達恋人も入れない」譲れない一線を照らすのが「薄い月明かり」で

から、「どんな風に逃げようか、全ては幻と笑おうか」と諭す自分思考が「薄い月明かり」なんだと思う。

普段自分は、自分深淵にある白い月に照らし出された影なんだと思う。

からこそ、普段自分がどんなに悩んでも、そのルーツとなる「薄い月明かり」が不変だから「僕らの行く道は変わらない」んだと思う。

それは俺たち皆に適用されることで、色んな選択肢に苦しめられても、取るべき答えは自分のやりたいことでいいんだぞって訴えてるんだと思う。

自分人生に向き合って、色んな選択肢に悩まされた時、「手掛かりになるのは 薄い月明かり」なんだと思った。

ます

2018-12-28

怪談と隣人―波勢邦生「トナリビトの怪」を読む

【読んだもの】本を購入しようと思ったら、リアル書店ネット書店最近では出版社による直販(弊社もやってます)などさまざまなあるかと思いますが、今回ご紹介したい『アーギュメンツ#3』という評論誌は「手売り」、つまり関係者による直接販売というきわめて珍しい流通チャンネル選択した書籍です。売り方の時点でかなりチャレンジングな企画なのは明らかで、魅力的な論稿も多数収録されているのですが(レイ・ブラシエ(佐藤正尚訳)「脱水平化―フラット存在論に抗して」や、大前粟生さんの小説断崖」もすごかった)、その中の波勢邦生さんの論考「トナリビトの怪」が本当に本当にすばらしかった。ので、今回はそれについて書きます

当該論考のテーマをおおきくまとめると、理性的自己判断できる存在としての近代主体(いわゆる「強い主体」)の淵源にあるものとしてのキリスト教という一般的イメージに対して、ハワイ日本沖縄におけるキリスト教受容史をふりかえることで別の可能性(本書でいう「隣人」)がたちあがる場としてダニエル書・イザヤ書を読みかえすという試みといえます

いろいろ論じたい点はあるのですが、とくに筆が冴えるのは、小原猛『琉球奇譚 キリキザワイの怪』に紹介されている怪談ジーマー」の話です。曰く、ある男性が「ジーマー」という老婆に「神様用事の手伝い」を頼まれる。それは波上宮という砂浜で、彼女三味線に合わせて民謡を歌うというもの。そこで事は起きる。

知ってる歌は歌い、知らない歌は手拍子うつ適当にこなすうちに背後の砂浜に人が集まりはじめるが、おしゃべりの中に英語やうめき声が聞こえるなど、奇妙な何かがそこにあった。徐々に不審なおもいにかられたその男性は後ろを振りかえる。「すると、そこには誰もいなかった」やがて夜も明けて、ジーマーの三味線も鳴り終わったあとに砂浜をみてみると、声が聞こえた場所には子どもをふくめた無数の足あとが残されていたという。こうした情景に、その男性は戦争太平洋戦争のことか?)の傷跡を読みとり、波上宮鳥居を抱きしめて泣く。「みんな死んでしまった。父親も、幼馴染の友達も、学校の恩師も、みんなみんな死んでしまった。自分は生き残ったが、果たしてこれは良いことだったのだろうか。自分のようなくだらない人間が生き残って、優しく勇気のあった友達や、才能のあった人々が死んでしまう。この差は何なのだろうか?」(30ページ)

この「ジーマー」は沖縄固有の物語ですが、波勢さんはここに「死者との交換可能性」という「怪談本質」を見ます。生者と死者の想像力が同時に起動する場所、そこに怪談という物語は立ち上がる。そして同論考にとって重要なのは、この「怪談想像力」はキリスト教テクストにも見出されるという点です。

(「怪談として聖書を読む」というこの箇所は本稿でもっとも屈折し、そして読みでのある所なのですが、そこはあえて飛ばします。気になる方は「アーギュメンツ#3」をお買い求めください)

この怪談という想像力からみて、「西洋近代的自我による主体区分による解釈は、恣意的グロテスクな切断」(34ページ)となりますしかバベルの塔神話が示すように、神は常に「言語文化を奪われたものの側に立ち上がる」。つまり強き主体の側にではない、という点が重要です。

「神は奪われ排除されたものの側に立ち上がる。歴史と非歴史境界で『主体』と『弱い主体』を隔てる壁は消失し、ありうべからざるものが現れた。」「ぼくはそれを『隣人』という言葉に求めたい。なぜなら聖書において隣人とは、まさしく自他の交換可能性を示す言葉からだ。」「隣人が現れるとき、『神を愛せ、己を愛するように隣人を愛せ』というイエスの声が、聞こえ始める。隣人は、神の赦しを伝達するぼくらの似姿であり、またぼくらの赦しを待つ異形のものでもあったのだ」(35ページ)

ここで提示された「隣人」は、大仰で圧倒するような<他者>、私たち理解を拒む絶対的な<他者>ではないでしょう。どこにでもいるあなたであり、わたしであり、そして誰かです。これはブルーハーツの歌に出てくるような、といっていい。そう思います。(すこし恥ずかしいけれど、いや、しかしそう言ってしまっていい)

「隣人の思想」、波勢さんの論考が到達した地点をそう呼んでいいと思うのですが、ここで示された思想の内実とともに、この思想に至る論述あくまでもキリスト者としての波勢さんの信仰に貫徹されている。ここに本稿のもうひとつの傑出した点があります

たとえば「昨年11月、九三歳で祖父が死んだ」ではじまる本稿は、「キリスト教信仰告白せずに死んだ祖父天国でないどこかへ行ったのではないか不安になった」という文章地の文で、鍵括弧抜きで出てきます。たぶん信仰をもたない人にとってこの一文は、理解の遠い、「向こう側の人」の言葉に聞こえるのではないでしょうか。(本稿の最後、註のラスト文章も「神に栄光、地に平和、隣人に愛と怪。感謝して記す」です)

聖書怪談として読む」という本稿の試みをもし信仰をもたない人がするならば、さじ加減をまちがえたとき即座に「他者信仰否定」になるでしょう。でも、波勢さんはあくまでも信じることで聖典を読み替える(またはこれまで読まれなかったものを読み解く)という姿勢を貫く。そこにこのテクスト独特の緊張感と救いがあります

イスラーム法学中田考先生や、このたび『トマス・アクィナス』でサントリー学芸賞を受賞された山本芳久先生などもそうですが、これまで護教論や宗学として避けられがちだった信仰自身による学問考察のいくつかには、相対主義決断主義あいだでさまよう私たち課題を乗り越える何かがあるように思います。私にとって本稿はまちがいなくその一つです。そう断言していいものがこの論稿にはあると考えます

以上、編集Aは自社本を紹介していないどころか本すら紹介していないのではないか疑惑もあるのですが(広報誌とか、雑誌特集号の論稿とか)、これにて「トナリビトの怪」の長文の感想を終わります。ご清聴ありがとうございました。

2018-12-10

ブルーハーツってなんか尾崎豊あたりと同じ「夭折した天才アーティスト」枠に入ってない?

実際には現役バリバリだけど。

2018-07-26

明日はどっちだ

明日はどっちだっていうフレーズ

初出は1992年ブルーハーツのTHE ROLLING MAN歌詞でよろしい?

2018-07-06

死ねプロパー

あれも欲しいこれも欲しい、してもらったけど気に入らないからやっぱ直してとかいちいちいちいち毎回ザ・ブルーハーツみたいなこと言いだしたら100年経っても制作物なんざできる訳ねえだろうが

ぶっ殺すぞマジで

2018-06-23

anond:20180622174651

1996年以前の話。

大通りからちょっと路地に入ったら、舗装されていない砂利道がちょこちょこあって、子供達は泥団子作ったり、水たまりから手で土を掘って水路作ってちっちゃな川を作って遊んだり、晴れた日にはコマをまわしたり、ビー玉転がして遊んだりしていた。

ちょっと大きくなると、学年で数人、テレビゲームを家に持ってる奴が出てきて、そいつんちが放課後の溜まり場になっていた。木こりの与作とか、シンプルゲーム。そのうち、ポケットゲームが出てきて、ゲームが浸透してくると、ファミコンが現れた〜。

レコードってものがあって、専用スプレーをふかけるとムースのように泡立って、それを専用のクリーナーでレコードの溝に沿って拭いた。あのスプレーの独特の匂いがなんとも言えず良かった。レコードが大きいし、聞けば聞くほど溝がすり減るからカセットテープダビングして聞いていた。カセットテープは聞けば聞くほどテープが伸びていくので、ヘビロテで聞いてるアルバムオリジナルの曲よりちょっとだけスローテンポになっていた。

バス電車で行儀悪くしてると、そこらのおっちゃんに結構派手に叱られることが多々あった。大人は本当に怖かった。それなりに本気で拳骨で叩かれたりもしていた。ただ、あやまれスカッ結構許してくれた。野球して窓ガラス割っても、ボールで車ちょっと凹ませても。

ただ悪い奴は本当に悪かったし怖かったな。内臓破裂するほど殴ってきたり、部活のシゴキで生徒が死んだり。

年功序列で先輩が本当に怖かったし、大人の言うことはきちんと聞かなきゃいけないんだって思っていた中高生の頃、ブルーハーツとかラフィンノーズとかのパンクロック流行ったり、お笑いではビートたけしとんねるずダウンタウンといった感じで、年功序列とか過去のしきたりとか関係なさそうなのが派手に出てきたり、男はみんな短髪だったのに江口洋介キムタクがロン毛で人気を博して急に男どもがロン毛にしはじめたり。

バブルの時の、繁華街タクシーはすごかった。二重三重タクシー路駐していた。派手な会社タクシーチケット使いたい放題で、それ使うために残業してる人もいた。ってか何枚かちぎってもらって勝手に乗り回している社員結構いた。

年々みんなの生活が派手になっていってたら、もっとも派手そうな証券会社もっとも有名な会社の一つだった山一證券倒産して、ああ終わったんだなぁと思ったなぁ。

2018-05-19

anond:20180519073346

アラフォーなら氷河期世代で、往復すべき職場もない同級生も多くいて、自分親友が過労で亡くなった時は本当につらくてその前後数年の記憶があまり無い。

中学の頃に好きだったブルーハーツは「あなたが生きている今日はどんなに意味があるだろう」と歌ってた。どうか恋人との時間を大切に過ごして下さい。

2018-04-28

anond:20180428202537

横だけどバンプの歌がバンプフォロワーっぽい感じになってなんか違うって感じって事じゃないの?

語弊があるかも知れないけど「ジュンスカイウォーカーズっぽいな」と思ったらブルーハーツの曲で「俺のブルハどこに行ったんだよ!」みたいな話じゃないの?

anond:20180427150033

よほど芸幅が広いバンドでない限り、20年も活動してりゃ、そら似た楽曲が出てきます

20数年前、ブルーハーツハイロウズになった時も、「ブルハっぽい初めて聴く曲」はことごとくハイロウズクロマニヨンズでしたよ(←年寄り

2018-04-16

久しぶりにブルーハーツ聴いた

涙が出た。いい曲だな。聴いて良かった。

2018-03-08

同調圧力死ねブラック校則について思うこと

なんか最近ブラック校則っていうのが問題らしいですね。なんでも髪染めるの禁止恋愛禁止、防寒具禁止とか。

もうさあ、ほんとアホらしいよね。髪染めたからなんだってんだよ。黒髪にしたら頭良くなるのか?ピアスしたら馬鹿になるのか?ただのオシャレだろ。

こういうのって教師がめんどくさいから一括管理するために作ってるだけだから、ほんとにくだらない。

これから個性を伸ばす教育を!とか言っといて実態はこれですからね。笑えますよほんとに。

僕の通ってた高校もありましたねこういうの。男は髪が耳と目にかかったらダメとかヘアゴムは黒か茶色しかダメとか。あとバイト禁止だった。

そういえば一度だけデンマークサッカー選手に憧れてモヒカンにして行ったらめちゃくちゃ怒られたことあったな。

なんか頭の固い人たちって基本的思考停止してるんだよね。未だに茶髪ヤンキーだと思ってる人もいるもんなあ。

どうでもいいことにこだわりすぎなんだよね。なんでもかんでも型にはめたがる。

まあ教師なんて基本無能しかいないから、子供達は教師の言うことなんて別に聞かなくてもいいと思う。

今ならスマホもっと素晴らしい大人たちの話が無料で聞けるからね。たとえばこの動画なんか凄くいいこと言ってる。

こういう大人の作り出したくだらない同調圧力とかで、子供個性や才能が潰されていくのはもったいない

なんかの本で読んだけど、日本教育ってジェネラリストを育てる教育からひとつ秀でた才能があって他の能力が低いようなスペシャリストが育ちにくいらしい。

無理やり平均的な人間になるように型にはめるから

もうさあ、型にはめるのやめようぜ。普通高校生はオーシャントーキョーみたいな髪型に憧れるんだから茶髪ピアスも許してやれよ。

ブルーハーツも言ってたぜ。「生まれた所や皮膚や目の色でいったいこの僕の何がわかるというのだろう」ってね。

記事

http://blackmagician.heavy.jp/topbuzz/2018/03/08/同調圧力死ねブラック校則について思うこと/

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