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リーナスがLinuxを開発したというのは、どれほど「技術的に」すごい偉業だったのでしょうか?
生越 昌己
回答日時: 2022年4月23日 · 執筆者は841件の回答を行い、180.3万回閲覧されています
なんか呼ばれてる気がした。
「技術的に」はどうってことないものです。別の回答で私の書いた記事が引用されているので、その辺の歴史的なことはそっちを読めばわかると思います。「やればできる」範囲のことです。実際、あの記事には書きませんでしたが、そのちょっと前くらいに私の知人(日本人)がフルスクラッチのUNIX互換マイクロカーネルOSを独力で書いてます。これも彼に言わせれば、「教科書通りに実装しただけ」とのことです。なお、UNIX系OSの実装は、いくつか教科書が出ています。また、「NET2」という4.3BSDのフリー(ってことになっていた)な部分のコードも公開された後です。つまり、参考にするものは結構あったんです。
実はOSそのものは、「技術的にすごい」必要はないです。もちろん、いろんな点で「技術的にすごい」ことをする必要性のあるところはありますが、「普通の実装」であれば「教科書通りに実装しただけ」で作れます。「ぼくのかんがえたさいきょうのプロセスモデル」なんてものは必要ありませんし、「マイクロカーネル技術」なんてのも、あればあったでメリットありますが、なければなくても困りません。UNIXのその辺は普通の人達が思っているよりもずっと単純で、実装もそんなに難しいものではありません。ですから、特に「何かの互換品を作る」というのであれば、動かすだけであればそんなに大変ではありません。バランス感覚が要求されて難しい部分は既に他人が実装しているわけですし、「教科書」や「参考コード」はいっぱいありましたから。
Linuxが凄かったのは、一つは「運」です。多くの人が求めているタイミングで、まがりなりにも動くものを出すことができた。これは多分最大最強の「すごいこと」です。
Linuxがリリースするちょっと前に、AST(Andrew Tanenbaum
)はMinixの「次のバージョン」についての「やらないことリスト」を作っていました。野良で作られたMinix386を使っていた人達を始めとする「MinixがもっとUNIXになって欲しいと思っている人達」は、それを見てガッカリしたものです(私も)。Minixを実用品にしようとする流れに完全に背を向けた形で「教材としてのOS」に力点を置いたもので、ASTの立場を考えれば当然とは言え、いろいろ残念な思いをしました。Linuxがリリースされたのは、そのショックから覚めやらぬ時期だったので、それを見た人達は、まさしく
キタ――(゚∀゚)――!!
その次に凄かったのは、「それを実用品に持って行けた」ことです。「動く」ということと「実用品になる」ことの間には、とんでもなく深い「谷」があります。これを超えるのは、「運」も大事だし「技術」も不要じゃないんですが、それだけでできるものでもありません。そもそもLinus自身が「最初はそんなつもりはなかった」的なことを言ってますからね。それでもどこで気が変わったか、あの「隙だらけのカーネル」でも、なんとなく実用品として使えないことはない程度にはなっていた。
そして、「隙」も凄かった。Ver 0.01のカーネルなんて、本当に隙だらけ。たとえば、システムコールのエントリテーブルがあるのですが、その先の「実装」部分には「未実装」ってコメントが1行書かれているだけなんて状態だったのです。これは結構後の版でもありました。でも、その「隙」ゆえに、多くの人に愛され、「俺が何とかしてやろう」と思わせる。当然意図したものじゃないにせよ、これがなかったら「今」はなかったかも知れない。
等々、いろんな「凄さ」はありますが、それは技術そのものではありません。「凄さ」は別のところにあったのです。
独自に似たものを作ってた人達(私も含まれる)が、一斉に自分の作っているものを投げ出して協力しようと思うくらいには「凄く」また、「隙」があったんですから。「マイクロカーネルこそが」とか、まぁとりあえずマトモに他人の使える自前実装作ってから言ってよね。ちなみに当時の私はMach
をいろいろいじくってました。Ver 3.0になっていろいろいじれるようになってて、MS-DOSの上からbootする版を作った人がいたんで、「これでユーザ空間でOS書けるじゃん」って。
そんなわけで、「ぼくのかんがえたさいきょうのOS」を作らなかったのが、Linusの偉かったところ。愚鈍に「どうにかこうにかUNIXとして使える程度のもの」をちゃんと作っていいタイミングでリリースした。そこが全ての始まり。
「毒にも薬にもならない昔話」とはこのことではないだろうか。
老人ならせめて1行くらいは誰かの役に立つ言葉がにじみ出るものだが・・・
そういう生き方としてきたということだろう。
これだよな。詰んでんねん
ブコメとかで色々こうやればいいみたいな意見あるけど、なんかどれも意味わからん。
どう考えてもここからは打つ手なしだろう。日本(国民は)円を抱え込んだまま円がどんどん安くなっていって、
溜め込んでいた過去の労働価値がみるみるしぼんでいく、国内の物品は(外国と相対的に)安くなる。日本は買い叩かれる
一般の国民にはマイナス。上級国民とか資産家は自分の持ってる資産の価値が上がるし、安く日本人を買い叩けるようになるのでウハウハ。
今回の円安が日本にとって良いとか言ってるやつって要は、上級国民とか海外の資産家目線なんよなぁ
どの視点で喋ってるやボケナスって思うわ。自分のことを海外在住の資産家だと思いこんでるやべー底辺労働者なんだろうけど
ま、おれはずっと自民以外に入れてきたし、日本円はなるべく所持しないように頑張って資産配分してきたし平気だけど、もう知らんって感じだな
可愛そうだけど、これが日本人の選択だからしゃーない。バイナラー
この国に生まれて日本語で生活してきたから、思い入れはあるけど、世の中の流れには逆らえない。俺がいくら日本円が下がる。日本の価値、日本人の価値が下がるって叫んだところで、彼らは海外に行くことも無ければ、SP500買うことすらないだろう
所詮自分の人生や立ち位置と、グローバルな世界との対比を把握できてないんだよ。そして、多分その知識や世界観を知ることの重要性自体に気が付けないし、素人もしない。だから無理なんだよ。
国が滅ぶなら一緒に滅ぶ。それが宿命だ、とでも思ってるんだろう。儒教かな。儒教なのかな。おれは宗教よくわからんのだけれど、なんかそういった間違った方の諦念があるように感じられる。
ナンだんだろうな、この日本人の負け犬根性。みてていらつくのは、そういったマインドが俺にもあるからなんだろうな。現に俺は日本をここから復活させたいだとか復活させようだとかこれっぽっちも思ってないし、そんな事するくらいならさっさと海外に移住するわっていう気持ちだし
ようは、運命を委ねる世界観のが国内ローカルで閉じてるか、グローバルの空間で動いてるかくらいの差くらいしか無いのだろうな。
と言っても、じゃあ宇宙規模で自分の立ち位置を考えるかというと、宇宙規模での経済の動きとかは現状無いので、まあグローバルの経済の動きを追っかけておけばいいんじゃねーのって感じです。
なので、世界経済の主要な動きを見ておいて、それが日本にどのような影響があって、そレを受けて日本がどのように反応するのかってのを考えて、その日本国内にいる自分の生活環境とかが今後どのように変化するのかとかまで、一人ひとりが自分の頭で考える必要があるってことだけど、
ちんちん。ちんぽ。ちんこ。男性の股間にぶらさがる棒にふさわしいニックネーム。
正に名はたいを表す。
さて?世界ではどう呼ばれているのだろうか?
【アメリカ】
【中国】
【インド】
シュリシ
【スペイン】
ポヤ
【フランス】
ズィズィ
※ちんちんと似ている。ズィンズィン。
【ロシア】
フイ
ポロヴォイ シュレン
【中東】
アズバーブ
【スペイン】
カラーリョ
【インドネシア】
ブウルン
※おちんちんブウルンブウルン
【ベトナム】
ドゥズゥンバッド
【イタリア】
ペェネ
【モンゴル】
ショドイ
【ポーランド】
プェニス
※草
【スウェーデン】
プゥウェニス
※アサヒィスゥパァドゥルァァァァイ味がある
【スワヒリ】
ウーーメ
【ドイツ】
ペイナス
【トルコ】
ペヌス
※山下清が言いそう
【ルクセンブルク】
レイウェン
【出典】
https://twitter.com/worldotinbot
大塚ニューコーポ