はてなキーワード: ショタコンとは
可愛いキャラをティーンエイジャーに設定する必要性が自分にとって薄いというお話
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キャラデザこそ萌えも好物の範疇だけど、年齢設定がティーンエイジャー(これは19歳も含むらしいけれど)である必要は個人的に無い
ジャンルが「部活物」の場合は必然的に中学高校が舞台で、年齢設定も18↓固定にはなるけれど、キャラとして萌えたり、恥ずかしながら興奮しちゃう分にはそうである必要性は感じない
たとえば、鬼滅の刃でも柱に萌えてたけど、柱は無一郎以外は18↑だけど特段気にしなかった。ワンピースもREDのウタちゃんは18↑で何ならルフィより年上。ポケモンもソニルリはどっちも18↑
萌え系統にも触れるなら、映画ゆるキャン△で大人になった野クル。ごちうさで言えばモカ姉とか翠ちゃんとか好きだけど、チノちゃん辺りがそのままの姿で大学生なっても萌えると思う
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ただ正直、時勢的に可愛いキャラデザを好んでいるだけで「ショタコンorロリコン」と言われるのがしんどいから、その逆張り精神も起因かもしれない
同じように感じる増田は、どれだけいるのだろう?
「でもこの場所はとっても大事なところなので、増夫(仮)くんが増子(仮)ちゃんに見せてと言っても簡単に見せられないところです」
「増夫(仮)くんも興味本位で聞いたりしちゃ駄目だし、増子(仮)ちゃんも本当に好きな人にしか見せちゃ駄目なのわかった?」
あー気持ち悪い。
今でも忘れていない。
この時、もうひとりは自分の斜め向かいに居たけど、その時ちゃんと話を聞いてなかった感じでもないから注意の意図もないだろうし。
自分ももう一人もかなり大人しめで、所謂いじめられっ子みたいな感じだったから教師からも舐められてたのかな?
個人名を出すと結果的に他の40人にとっては自分たちと無関係な話になるリスクがあるじゃん。
ちなみにここで名前出された相手と自分は別に付き合ってもないし、そういう噂がクラスの中であったわけでもない
コレ以降は気まずくなったのかお互いに話す機会を積極的に避けるようになったと思う。
いや本当気持ち悪いし意味もわからないし、本当に頭が悪くてイライラする。
なにより「デリケートな話題の特にデリケートな所です」みたいに強調しておいてやってることにデリカシーがないっていう論理的な矛盾があるだろ。
ほんま最悪すぎるわ。
こんなカス共が日本獣で性教育してるからそりゃ日本中から毎年のように痴漢や誘拐犯やセクハラオヤジやショタコンババァが誕生して問題起こすわな。
子供の頃にあった嫌なことは忘れないって本当すぎるね。
流石に光景が鮮明に思い出せるわけではないけど、「なんか恥ずかしい話してるな」と思った所に脈絡無視でいきなり名前を出されたことに対して恥ずかしさと殺意が湧き上がった感覚は微塵も消えちゃいねえよ。
まあ教師の名前も顔も忘れちゃったから酔った勢いで何かがフラッシュバックして地元戻って殺そうとするとかはないだろうけどさ。
つーかまあ40年も生きてると殺したくなりかねない相手なんてこの程度のレベルじゃなくてもっといるし。
でもさーこれが自分の親とかで、それがもっと積み重なってたと思うと怖いわ。
こういうのがあると自分の子供とどう接するのかとかも分からなくなってくるね。
どんな相手に対しても礼節を持ち、決して相手を舐め腐らないのが大事ってことなんだろうがそんなん出来るほど人間が上等じゃねえわ。
所属する趣味のサークルにお父さんに連れられてやってくる10歳の男の子がいる。
その子はついてきているだけ。
お父さんを待つ間、時間の関係で私と私の5歳と2歳の子どもと毎回1時間近く遊ぶ。
ボール遊びやかけっこなんかしたり、学校のこと話したり、好きなゲームのこと話したり。
将来の夢や家のことも話す。
大人になったら家を建てるから、その時は犬を飼って一緒に住まない?と聞かれたから私の夫と子どもたちもみんなで住もうって答えたらそっかーって残念そうに笑ってた。
その子はお母さんと住んでいない。
はっきり聞いていないがどうやら離婚していて、離れて暮らす5歳の妹がいるらしい。
その子ははつらつとしていて、運動が得意で元気で頭の回転も早くて、多分誰が見ても良い子。
その子のお母さんと私は多分歳が一緒くらい。
その子はサークルに来て私を見つけると子犬のように駆け寄ってきて、「今日来たんだ?」と満面の笑みでそわそわと挨拶してくれる。
多分その子は、本当にうっすら私が好きなんだと思う。
触れたりもしない。
けれど私はその子に会えるのを楽しみにしていて、その好意を嬉しく感じている。
私の子どもたちがこんなふうに素敵な子に育ったら良いなと思う。
普通にキモいし、その例えでいうならジャニーズは中年になるまで育ててる方だから男向けアイドル差し置いてジャニーズあげてもね
年季の入ったジャニファンは将来スターとして活躍することを含めて青田買いで若いジャニーズをみてる節あるし純粋なショタコンは静かに大人しくしてる印象ある
一番人気が出るのも若い女の子にガチ恋される年代に入ってその辺のファンがついてからだし
しかも教養と本物の芸を身につけてパフォーマンスすることに重きを置いたアジアアイドルに負けて下火っていうね
舞妓で例えるなら芸妓として独り立ちしてから本番の世界になってるよ
種類としては完全に同じだろって言われたらそうというか、解説してみて思う以上に同じだなって思ったけどw
自分が弱者なのにポリコレに冷ややかな目を向けがちで、むしろ自己責任思想に接近しがちな人たちがいる。
そういう人は強者ではないのに弱肉強食を指向するのはおかしいと言われがちだけれど、私は自己責任に寄っていく感覚もわからなくもない。
太古からの一般論としては、時代が変わるにつれて価値観は変化するし、概ね道徳観は向上していくものだ。
でも、ここ数十年の変化の方向(ポリコレと呼ばれることが定着したもの)が軒並み自分の生きやすさに繋がらない状況が続いてるなら、「ああ、少なくとも私が生きている時代の道徳の救済対象からは私は外れてるんだな」って絶望するのはわかるよ。
「自分が救ってもらえないから絶望するなんて甘いこと言ってないで自分で声を上げろ」って言いたくなる人もいるだろうけど、しかし、ちょっと声をあげた人も民間レベルでは叩かれるし、トランプみたいな大統領を誕生させるという「快挙」を果たしてもそれが世界の潮流を変えなかったという失敗経験は絶望を強めるに足る。
「日本は自民党が一強だし世界でも保守派が強くなってるのに、世界の潮流がポリコレ寄りと考えるのはおかしい」と言いたくなる人もいるだろう。
去年カズオ・イシグロがリベラルに苦言を述べた記事が話題になった時も、彼の「リベラル側の人が理解しないといけないのは、ストーリーを語ることはリベラル側の専売特許ではなく、誰もが語る権利があり、私たちはお互いに耳を傾けなければいけないということです」という発言に、非リベラルの方が政治的権力が強いじゃないかとの反論があった。
それについては、ジョセフ・ヒースがインタビューで紹介している考え方を踏まえれば、カズオ・イシグロの指摘も理解しやすい。
「文化政治を追求するのを選ぶ際に,左派の方が実はすぐれた戦略を採用していたとバノンの方は考えていた,という点です.『我々はホワイトハウスを占拠したが,かたやリベラルはハリウッドを占拠するのに専心している』と彼は発言しています.つまり,右派は国家を支配しているけれど,左派は文化産出の道具を支配しているというわけです」という部分だ。
ポリコレ的な思想が、ハリウッドやSNSのキャンセルカルチャーやSDGsを主導したことで、ある種の人間には「これから私たちの待遇はよくなりそう」と希望を与えたが、その希望の分配から取りこぼされた(にもかかわらず他人の希望実現のための協力は要請される)人間はポリコレに絶望したくなるのだ。
取りこぼされている人でも、最初の頃は素朴な正義感によって「今は私には直接益がないけど、でもマクロでは良いことだろうからポリコレ支持しよう」と考えることはあるだろう。
でも色々な物語や現代文化が自分を省みない方向に変化していく傾向が続き、私生活では自分が老いていく、そんな生活の中で絶望に接近する人が増えてしまう。
だから、これまでポリコレ思想が後回しにしてきたり、なんなら反省ばかりを促してきた「弱者とされない弱者」層にも、燦燦とした希望を与えなければいけない。
そのための物語をポリコレやリベラルの名の下に作らなければいけない。
最近だと同性婚禁止は合憲であるという地裁判決が出たが、それでも今後十年でパートナーシップ制度は広がっていくだろうし、改憲が行われれば同性婚が保証される目は十分にあるという希望は力強いままだ。
それと同種の希望を、弱者男性とか喪女とかインセルとかロリコンショタコンとかトー横キッズとか地方のおっさんおばさんとかプアホワイトとか反社反グレとかマイルドヤンキーとかにも見せなければ、彼ら彼女らの絶望と弱者強食自己責任への接近を防ぐことはできないだろう。
雑踏で凶器を振り回す物語、暗黒啓蒙の物語、面白パフォーマンスの政治家立候補者に投票して世間を困らせる物語、戦争が起きて皆が大騒ぎの物語、自殺の物語、それらよりも魅力的かつ彼ら彼女らが主役になれる物語が必要なのだ。