はてなキーワード: 貴方とは
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※嫌な思いを吐き出しているだけです。読んでも今後の投票や貴方のためになる内容は微塵もなく不快感を覚える可能性が高いので
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事細かに当時の出来事を覚えているわけではなく、主観100%ですので妄言として聞き捨ててください。
まず軽く自己紹介として、私はミリシタのサービス開始から触れ始めた人間です。
そこから半年後のちょうどTBが始まる少し前に今の担当アイドルに出会い、この娘の行く先を見届けたいなという気持ちから担当を名乗るようになりました。
TB自体に対しては担当の投票先が定まらず終わったくらいの印象しか残っていませんが、TBをきっかけにTwitterなどで同担Pをはじめとした同僚と関わるようになりました。
そこからのはどんどん新しい楽しさを発見していく1年で、ライブへの参加、同担Pのソロ曲考察記事を読み漁ったり、フラスタ企画や打ち上げ参加、ラウンジに加入しての100位イベランなど、すべてが初めての体験であり今の自分はこの1年で出来ているといっても過言ではないくらいミリオンを満喫していました。
そんな中、TBの1年後となる12月にまた新たな投票イベントが開催されることを知り、他のPたちはどう動くんだろう、自分にも何か残せるかな、とか私自身も期待していました。
投票イベントが告知された時点で有名だった同担Pが専用のdiscordサーバーを作り、そこで名前だけは知っていた沢山の同僚たちが集まっていてワクワクしたのを覚えています。
この時が楽しさのピークでした。
Theater Challengeについて、正直に当時の感情を表すなら「地獄」でした。
最初に嫌な雰囲気を感じたのは投票先の意見が分かれ中々定まらなかった頃でした。
「担当の可愛い面をもっとアピールしていくべきだ」「担当外にも分かりやすくアピールできる配役で行くべきだ!」「競合相手が強いからこの役にすべきだ!」など意見がまとまらず、ちょっとした派閥・対立構造ができているのを感じました。
本投票開始後も意見はまとまらず、とはいえ投票先をまとめない限り万に一つも勝ち目はなく、しぶしぶ有志がTwitterのアンケート機能で多数決を採り全体としての投票先が決まりました。
投票先が決まったことで次々にイラストや投票企画なども立ち上がりました……が、その頃には大勢は決しており結論からいうと、まともに勝負できずに担当は敗北、自分も投票企画が終わる頃には担当以外で好きなアイドルの応援に回っていました。
顛末をまとめてしまえばそれだけの事なのですが、その過程で嫌なものをこれでもかと見続けました。
たとえば
自分と解釈が違う相手を批判する人、コンベンションセンターに苛立ち愚痴をTwitterに書く人、直前まで通話にいた相手をボロクソに否定する人、あまりに使い勝手の悪いコンベンションセンターを作った運営、意見がまとまらないことに焦り過激な言葉で仕切ろうとする人、それを批判する人、コンベンションセンターを操作しようとする人、それを批判する人、病んで離れていく人、裏で暗躍アピールをする人、人格攻撃を始める人、話の流れを壊す人、やる気のない人、傷ついた相手を揶揄する人、他人を「浅い」と切り捨てる人、争う人、担当を諦めて他のアイドルに逃げた人、偉そうに持論を語ってくる人、興味ないアピールをわざわざしてくる人、それに苛立っている自分自身、こんな企画を立ち上げた運営
明らかに自分自身も狂っていましたが、当時は全てが悲しかったしすべてが憎かった。
冷静に振り返ればまともな人、頑張ろうとしてくれてた人が多かったし、自分自身にもいくらでも批判すべき点はあったとも思うけど当時の私は投票イベントなんて二度と来るなと長く思っていました。
結果的に現在の自分は当時よりも深くミリオンライブにハマり、交流も積極的に行なって今を楽しんでいます。
当時いた同担の多くはコンテンツ自体から他界したり担当を変えたり、交流をやめてひっそりと続けている方も多く、正直自分もそうなってた方が自然だったと思います。
きっとそれは執念のようなものだったり、他人より鈍かったことが幸いしていて、何よりその後の出会いに恵まれたおかげなのだと思います。
先日よりTD改めミリオンキャスティングという新たな投票企画が始まりました。
当時と同じようなものや当時とは違っていることを感じた結果、あの頃の記憶を思い出して衝動の赴くままに文章を書き殴りました。
今回少しでも嫌な思いを感じる人が少ないように……
誰かがけんかをする事であの娘が悲しまないように……
息子は2歳で、言葉はだいぶ増えてきたけどまだ何をしてはいけないか分かっていなかったり、思い通りにならないとこっちを叩いてきたりする。結構痛い。俺は割りと体罰とか受けてきた方だから、一度、「本当にやっちゃだめなこととかを繰り返す時は軽く叩いたりつねったりしてダメだと分からせた方がいい?」と提案した。それに対して妻は「今の時代にそんなこととんでも無い!」と反対した。「まぁそんなもんだよなーいまどき虐待だもんな」と思ってそこで話は終わった。
余談だがこの時、俺は「言葉がわかるようになってからは叩いたりする必要はない(諭してダメなら他のペナルティを与えてしつけをするべき)」という意見で、妻は「言葉がわからないのに叩いたりするのは可哀想、むしろ言葉がわかるようになって諭した上で言うことをきかなかったら叩いていい。」という意見であることがわかった。
本題に戻ると、育児の場でどうなっているか、俺は叩いたりしていない。しかし妻は息子が反抗して妻を叩いたりしてくると反射的に(本人はそうではないと言っているが)叩いたり突き飛ばしたりしている。
「そういうことをしないと言ったんじゃないのか?」というと、「貴方はつねったりたたいたり肯定しているんでしょ?何が違うの?」と言ってくる。「叩いたりが悪いと思っている人が、ノータイムで突き飛ばすのはそれは躾ではなく怒りに任せた行動だ。」と指摘しても梨の礫でなんなら話を切り上げても延々と一方的に詰られる。
さすがに本気で手を出してるとは思わないので、体罰云々という話よりは聞く耳を一切持たなかったり、俺に対してNGとしている行動を自分はOKとしてくる行動がストレスがたまる。妻は普段は明るく元気で親しみやすいが、体力があまり無く、病弱で疲れやすいため、疲れているときは顕著に機嫌が悪くなるので相手をするのが疲れる。という愚痴の垂れ流し。
でも貴方の苦しみは貴方だけのものだし、苦しみと向き合う辛さは共感できる。
スーザン・フォワードの「毒になる親」やモラハラについて書かれた本を読んでみて、
数年前にあっ無理だ、と思った人がいた
閉鎖的な掲示板的なところで、悩み相談室、という部屋を占領しているような人だった
生きているということさえ分からないのにどうして死にたいと思うのか……などという哲学的なことを書く人だった
常識を嫌うというか、型に嵌まった物言いを好かないというのか、話を聞くぶんには、なんとなく彼が何を言わんとするのかは分かった
単純に人と感性が違うのだろう
共感できることもあったから、同意するような文章を書いたところ「それはちょっと違いますね」と言われた
そして彼は「無理に反応してくれなくていい。同じ気持ちの人がいたら教えてほしい」と言う
彼にとっての私の文章は、無理に反応した部類だったのだろう
たしかにズレた回答だったかもしれないけれど、正解を語れなかったから貴方は分からない人だね、と暗に告げられるのは良い気分ではなかった
毎日毎日、彼はその部屋にそんな独り言とも言える長文を投稿していた
あるとき、管理人が「あまり書き込みすぎると他の人が投稿しにくくなるから」とやんわり注意した
個人的には嬉しかったが、掲示板での彼はそこそこ古参のようで、その部屋に復帰を望む文章がぽつぽつと投稿された
また戻ってきてほしいです、とかなんとか、そういうかんじの
他の人は、その哲学的()長文をどう思っていたかわからないけれど、彼が望む返事を投げれたのは一人くらいだった気がする
つまり、基本的にみんなその部屋で彼に構うなどということはしていなかったのだ
それなのに戻ってきてほしい、とは古参故の支持力があったのだろうとしか思えなかった
ついていけないと思い、私はそれ以降掲示板にログインすることを辞めた
どちらかというと新参だったから、その長文を鬱陶しいと思っていたのかもしれないけれど、彼を擁護するような雰囲気に心底気色悪いと感じたから、そのコミュニティには近寄らないよう肝に銘じた
しかしネットというのは残酷で、偶然ながらSNSで彼の投稿を目撃してしまった
彼は閉鎖的な場所で鬱々とした文章を書いていた頃とは一転し、キラキラな投稿をしていた
noteをみつけたのでよんでみた
むしろ哲学的な話をすることに迷いがなくなったようで、吹っ切れたように見えた
人は変わらない
無理だと思った人が数年後にちょっとマシになることも多分ない
アカウントを見つけられたのが僥倖だったのでブロックをしておしまいだ
しかし、キラキラな人たち向けのdiscordを立ち上げたらしい情報は夢に出てきそうなくらい怖かったので、早く忘れたいものだ
リアコじゃなくても何故アイドルが結婚したらモヤっとするのか?自分なりの結論が出たので、書きとめておく。
これは私のオタクスタンスに基づく考えなので、すべての人がこれにあてはまるわけではないと思うが、「なんで素直に結婚を祝うことができないの?自分が推しと結婚できるわけでもないのにw」というお決まりのフレーズに対する答えの一つとなれば。
まず、私が信じている「オタクと演者の関係性」について述べたいと思う。
アイドル含む演者すなわちステージに立つ人間にとってのいちばんプリミティブな欲求は「見られたい」「愛されたい」だと思う。そして、それを満たしてあげる(敢えてこういう言い方をしますが)ことができるのは、ファンだ。
パフォーマンスを通して「見られたい」「愛されたい」というメッセージを放出する演者に対し、ファンはそれを受け取って、推しを見つめる視線や拍手や歓声という形で応える。時よっては熱い想いを送るファンに演者がファンサという形でさらに想いを返してくれることもある。こういう幸せな愛情の交換が現場では成り立っていると思っている。
アイドルがアイドルでいる限り、オタクは「身の丈に合った相手を好きにならなきゃいけない」とか「重すぎたら嫌われるかも」といった現実の人間関係における制約をすっ飛ばして無限の愛情を向けることができ、アイドルはオタクから注がれる膨大な愛情を受け止めてくれる。
愛情を受け止めてくれる(無視や拒絶をしない)こともまた愛なので、「受け止めてくれた」と感じられることによって、オタクはアイドルからの愛を受け取っている。(これはファンサや直接的な「ありがとう」の言葉に限らず、「愛してもよい存在」としてそこにいてくれること自体がアイドルからファンへの愛だと思う。)
これはオタクをすること以外では得られない関係性だし、おそらく演者にとっても同じく、ファンとの間でしか成立しない関係性だろう。私は、それが自分にとって最も尊い「愛」の形だと信じている。
(実際には推しに干されることもあれば、えげつない集金やクソみたいな運営に振り回されることもあり、綺麗事だけではない部分もあるが、この幻想を信じられるからこそ綺麗でない部分も飲み込むことができる。と私は思っている)
先ほどから「信じている」という言葉を何度も書いているが、この関係性は概念であり一種のロールプレイであり、言ってしまえば「幻想」である。
アイドルとオタクの間にこのような関係性が存在することをオタクが信じ、アイドルが信じさせて続けてくれることでこの「幻想」は成立している。
しかし、演者の結婚は、これが唯一絶対の「愛」の形ではなく、さまざまな「愛」の形の一つであり、相対的なものでしかないことを嫌が応にも突き付けてくる。
私の愛する貴方はステージの上でしか生きられない人間なのだと、ステージ上と客席で想いを交わし合うことで史上の愛を感じている人間なのだと信じたいが、実際にはそうではなかった。
それが明確にわかってしまうと、途端に自分の信じていたものが陳腐に見えてしまう。
芸能人の熱愛や結婚が発覚したときによく「ディズニーランドのミッキーが着ぐるみを脱いだ」という例え方をされるが、ミッキーが着ぐるみを脱ぐことはミッキーだけ問題ではなく、ディズニーランドという「場」への崩壊であると思っている。
(少なくとも私にとっては)推しの結婚は自分がオタクをすることの決定的な終わりではなく、パフォーマンスが好きな限り推しの出演作を観に行き続けるだろう。楽しむこともできるだろう。
でも、「ステージ上と客席で想いを交わし合うことが、私にとっても推しにとっても史上で唯一絶対の愛の形」という幸せな共犯関係のような幻想は失われ、二度と戻ってはこない。
結婚によって推しのすべてが損なわれるわけではないが、私がとても大切にしていて、推しとも共有できていたと信じていた一部分はポッカリ穴が空いたように失われてしまう。
2 居留守だろうなって分かってるのに何度も尋ねるとかウゼえ
3 軍師として必要として依頼してるならむしろ劉備が下の立ち位置だろ
1の「ちょっと相手のやる気見るために居留守しちゃおっかな」とか普通に単なる人格破綻者じゃないっすか。こういう人を試すような態度が許されるの学生までっしょ。
2の居留守と感づいて何度も来てるのも相手側の都合とか想像できてなくてサイコっぽいですね。断っても毎年電話してくる投資営業みたいなクソさ。
3がまあ一番アカンっつーか、「お客様は神様です」みたいなノリがキツいんですよね。依頼してる側って結局は頼む側なわけで、それって「貴方じゃなきゃだめです」って告白してる側じゃないですか。それでなんで「俺の生涯の肉便器にしてやってもいいぞ」みたいなウエメセかましとるんすかっていう。
こんなんをいい話だと思ってる人や国は終わってますよ
話の論点がこれっぽっちも見えてないな
「ヘイトワードで差別的だから、ど ん な 文 脈 で あ れ その単語の使用は禁止せよ」とする範疇は
抑制的であるべき、という前提の下に始まってる話なのよね。貴方はとうとう読めなかったようだけど
だから「文脈によっては侮蔑的な意味を持たずに使用されている現状がある」ということを示して
「マイナスイメージしかない」の反例を示すことに、意味が出てくる
ということをそもそも理解してないから、貴方のような素っ頓狂な解釈になる
「凄い」の例が出たのも「言葉の意味は時代によって絶えず変わるのが常」で
「ネガティブな言葉がポジティブな意味を持つこともある」ということを示すためのもので
だから、そもそも「 文 脈 を 一 切 考 慮 せ ず に 一律その単語が出ただけでアウトにする対象」に
軽率に入れるのはいかがなものか、という問題提起をするものとして出てきたって流れなのよ
ここまで「凄い」しか例が出てこなかったけど、例えば逆の例
「貴様」とかがそうよね。こういうケースって普段意識してないだけで
割と普通にあるからよく考えましょうね、って話の振りとして出てきたという
文脈を徹底無視してるのか、終ぞ理解できなかったのかは知らんが
無理繰りケチつけるようなことしか貴方はできないから、不毛な対話に終わる
「自分が正しいと凝り固まってるのはそちら」?
ソックリそのままお返しするわ
一般で落ちて自暴自棄になりかけてトイレで号泣してるあの子を支えたかった。それが親友の仕事だと思ったから。
人数が決まってて、泣く泣く友人に譲った。他でもない、親友の望みだったから。
連弾はぎこちなかったけど楽しかった。あまりの下手さに、先生も生徒達もぽかんとしてた。
だけど、何でも出来るアンタより唯一秀でたピアノで優位を取れたのが少し嬉しかったんだ。
最近、アンタと撮った写真が出て来た。関係が希薄になった今も、未だに取っておいてた。
引越が辛いなら戻っておいでよ。
お父さんが心配なら支えてあげなよ。
また下らないライン寄越してよ。
何でもない振りさせてよ。
職場で詰られてミスしてる私を笑ってよ。マイペースで良いってもう一度言ってよ。
理想の人でずっといてよ。
最後まで勝てなかったアンタこそ最高だと、思わせてよ。