はてなキーワード: 天賦人権説とは
自分が気に入らない奴には国はカネを払わなくていい ってのをどんどん拡大していく人間には天賦人権説なんぞ理解できんよ。
別に気にすることはない。そういう気分で他人を断罪することをなんとも思わないからこそマジョリティだ。
ハンセン病も遺伝疾患でないことがわかってからも「なんかキモいし」って隔離し続けることを選んだのはマジョリティ。
そういう腐った差別意識を持っていることを「しょうがないじゃん」って思考停止できるからこそマジョリティ。
崇高な保守思想って奴は、そういう「小市民感情」「庶民勘定」に根差した保守的(に見える)傾向を警戒しまくってたそうだけどね。
増田を見てると良く分かる。
>「自由を汚すな」と(少なくとも自分の文脈で)言った時の1個目の「自由」は、天賦人権説を肯定した場合に全人類に認められる自由という概念まさにそのものであり、
これそのものが「言葉遊び」を現実に適用している。創作の範囲でなら問題はないが、現実の殺人を「自由を汚すな」というときに果たして妥当と言えるか。
「血で血を洗う」など、たしかに事実なのだが言葉の選び方が強迫的で「とにかくこのゲームを勝ってやろう」という意識が強く見える。「人には人を殺していい自由がある」は自由の語意として正しくはあるのだが、法治国家だろうがなんだろうが殺人を軽々しく「自由であり自由だ」なんて言うことはただの言葉遊びでしかない。
これ「自由だ」って言いたいだけでは? もちろん言葉や意味としては正しいと思うけど、それ以上の意味はなく被害者や加害者に対して何らかの意味を持ちえるものだとは思えないし、害になり得る方向のほうが大きいと思う。
>自由を汚すなっていうとき、自分の自由を侵されること考えてないよね、これ。
この文1個目の自由と2個目の自由で意味が違うぞ。自覚してるのかどうか知らんが。
「自由を汚すな」と(少なくとも自分の文脈で)言った時の1個目の「自由」は、天賦人権説を肯定した場合に全人類に認められる自由という概念まさにそのものであり、
2個目の自由は俺個体が持っている(あるいは自由を汚すなと言った人間が持っている)だけのたった一個人が持つちっぽけなものだ。
俺は単に全人類に与えられた自由という血で血を洗って発明された概念をゴミが意見を正当化するために冒涜するのは気に触る(だがそのような発言をするのもお前の自由だ)と言っているだけで、法律でそれを制限しなければ俺個人の自由が侵害される可能性があるとかどうとかいうのは全く別の話だ。
言葉遊びをしているのはどっちなのか。
凄く真面目な話をするとお前は法学の自由という概念について根本的に勘違いしてる。一応言っておくとここから書いてあることは全部高校の教科書にでも載ってるぞ。
法律における「自由」というのがどの程度の「自由」というのを指すのかは、普通天賦人権がどのような意味であるかを習う時に一緒に出てくるからそれと一緒に書くが、
「人間にはそれが誰であれ生まれ持って何をしても構わないという自由がある(天賦人権説)。他人を貶めようが殴ろうがそれこそ殺そうが、それも全く自由の範囲内である。しかしながら、それでは集団生活や大規模な社会、ひいては国家が成り立たないので、仕方なく法律によって人間が持っているはずの自由を制限する」ってのが自由と天賦人権と法律の関係だからな。俺にもhagexにも低能先生にもお前にも人を殺す自由は本来的には備わっているが、それを簡単に行使できると社会が崩壊するので申し訳ないのですが皆さん我慢してくださいね規制しますよというのが法学における「自由」の意味。
自由や人権の概念は明治維新に急に輸入されたものだから未だに本当の意味が日本には浸透していないが、血塗られた歴史を重ねて民衆が初めて自由と平和を獲得した地ヨーロッパにおいては本来そういう文脈で発明された概念だ。
しかし、だからと言って低能先生がHagexを殺して良い理由になるのか?」
なる。なるし、「自由」という概念に本当に厳密になるなら殺して良い。ただし日本の法律では仕方なく禁止されている。刑法に従って相応の罰を受けることになる。しかしながら繰り返し、あくまで禁止されているのは大多数がそれを行使すると社会が崩壊するからで、彼は単に自分の人権と自由を行使したに過ぎない。
従って、
「日本の法律では殺人が禁止されている。(正当防衛、誤想防衛を除く)」
「殺人のルールが守れないやつは日本には居られない。それでも日本に居たいなら、居場所は刑務所の中だけだ。(死刑になるので、刑務所にも長々とは居られないが)」
この点においては正しい。しかしながら、
「いかなる理由があっても、低能先生がHagexを殺して良い理由はない。」
「人の命はな、遊びに使うもんじゃねーんだよ?」
これについては間違っている。もう全部間違っている。殺して良い理由はあるし、殺して良い理由が存在するかどうかは法律で定めるところではない。罰があるかどうかが法律の定めるところだ。人の命を遊びに使う自由だって人間には備わっている。仕方なく禁止しているだけだ。
自由や法律っていうのはお前みたいなキチガイがテキトーぶっこいて侵していいようなもんじゃない血塗れの歴史の中で獲得されたとても神性な概念なんだよ。人を殺すことが良いとか悪いとかじゃなくて人間っていうのは生まれつき本当の本当に何をやっても良いっていうのが少なくとも法学上の自由の意味だ。自分の意見を正当化するために神性な物を侵すのをやめろ。まぁ勿論それも自由だし禁止されてもないが、多分馬鹿な事を言うのは君が一番したくないことだろう。
そりゃ「ズルしてる」のは野党やシンパやマスコミだと思ってるからだよ。
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マスコミも野党もあれが出るまで、まるでもう安倍夫人が大金を寄付していたと決めつけて宣伝して拡散していたよね。
なのに手書き領収書が出て、講演料を受け取らなかったのを森友側が勝手に寄付金扱いで処理しただけらしいってことになったら、それまで「大金寄付されたのは間違いない。とんでもない問題だ」と言って、国民に結果的にデマをまき散らしていたことを一度も謝罪せずに話をすり替えた。
加計問題でも、安倍総理側の主張や玉木を批判している民進議員の証言はほとんど報道されない。
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国民を不正確だったり憶測を元に印象操作して、間違っていても知らん顔して訂正しないことは「ズル」以外の何物でも無いけど、反安倍さん達は自分たちのズルには異様に寛容だよね。
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ネトウヨというか、モリカケに批判的な人たちは、安倍総理は野党と「マスゴミ」の卑劣なズルの被害者だと思ってるわけよ。被害者に同情するのは当たり前。権力者だから同情してはならないとかいう人たちは「自分が権力者認定した相手には人権はない」ていうリベラルの基礎である天賦人権説を否定する前近代的な人間で、単なる自分より偉い奴が嫌いなだけなんだろうなと思ってる訳ね。
烏蛇さんの「2012-12-12 天賦人権説(あるいは自然権)の否定は何が問題なのか?」http://d.hatena.ne.jp/crowserpent/20121212
について便乗質問
今ちょうどジョン・ロックの完訳統治二論を借りてきたんだけど(まだほとんど読んでない)
ロックが書いた時点では人は神の作品であって、何か存在するらしい神の目的を達成することが宗教的義務である
だから人間には目的達成のため自身を維持、再生産する義務があり、その義務を果たすためにプロパティ(固有権)としての生命・財産・健康・自由などの権利がある(自殺は禁止)
そしてそれは神が定めたものだから統治者の支配権より先立つものであり、上位のものであり統治者であっても不可侵のものであるって理屈だよね?
ただ気になったんだけどキリスト教圏じゃないところではこの前提が成り立たないよね
これがどういう理路を通って脱宗教してもうちょい普遍的な権利としての人権になったのか知りたいんだけど
どこらへんを調べればいいのかな?