はてなキーワード: 同窓会とは
・俺
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・C
身長176、筋肉質、今の彼女含め5人と交際(同時並行もあり)
・D
他の同級生見ていても成人式や同窓会で女子から「垢抜けたね!」って言われるのは決まって高校や大学前半辺りで背が伸びたパターン。低身長だと服装や髪型こだわっても「昔から変わんないね!」としか言われないんだよ。向こうは悪気なく言ってるんだろうけど。
身長低いってまじで非モテ要素なんだな。今まで気にしてなかったけど、最近「彼女がいまだにいない同級生や友人」が自分含め軒並み身長低い男で、どんなに昔冴えなくても身長高いだけで社会人になると彼女できてるってのがキツすぎる。もう少し歳取ったら変わるのか、或いはもっとその傾向が強くなるのか。注視。
高校の時のつまらない陰口やあの時気に食わなかったことをいまだに同窓会とか同級生と会った時に話してる奴って人生スッカスカなんか??特に女。
この前久しぶりに同窓会出たら、あの時の○○まじむかついたよね〜とか、調子乗ってたよね〜って女子(もう女子ではないが)が話してて引いた。男子(こっちも男子ではないが)たちにあいつら毎回あんな話してんの?って聞いたら、まあそういうことしか話がないんじゃないか?ガハハ!とか言っててこっちはこっちで、なんで男女入れてやってんだかわかんないぜ全く、もうそれぞれいい年だから混ぜたところで何が起きるわけでもないし。男だけでやればいいのに…いまだにムカつく元クラスメイトの話とか元カレ(何年前だよ…)の話とかしてて、男は男でつまんない下ネタか愚痴が同じく過去の栄光か…他にもっと話すことないのかよ…となり、もう2度と同窓会には参加しないと決意した。俺も結構ぶりだったんだよ、独立して忙しくて忙しくて…久しぶりにみんなに会っていろんな話できるといいなーとか思ったらこれだよ、昔話しかしねーなら出る意味ないだろ、田舎だからか?みんなのところもそう?つまんなくない?
仕事仲間と話してる方が生産的で楽しい、あいつら年に1,2回集まってるらしいけど毎度あれってそりゃ精神も幼いわけだ…色んな意味で過去に縋りすぎだろ。参加してない人がかなりいるからその人たちとは話してみたいな、特に上京して仕事してる人とか、子育てしてる人とかは今後の参考にしたいし。
※この記事の趣旨は決して「昔こんないじめに遭った、ひどい」ではありません(世の中にはもっともっと凄絶で深刻ないじめが蔓延しているのだから、大昔のこの程度のことを訴えるために書いたのでは当然ない)。
しいて要約すれば「男性の優しさを厳しく見極めようとしてしまう変な癖がついてしまった人生」の話です。
私はアラサーになった今でも「子どもの頃スポーツが得意だった」「明るくて優しい」男性のことを一切信用できない。それゆえ、好意を打ち明けてくる男性がいると必ず変な尋問にかけてしまう。
小学生の頃、一日だけいじめにあったことがある。原因は私にもほかの誰にも、おそらくいじめてきた男子本人にすらわからない。ただある日突然、クラスのひとりの男子がこう宣言したのだ。「俺は今すごくイライラしているから、今日一日だけ、誰か一人をターゲットにしていじめる」と。その標的になったのが私だった。その男子は普段いじめっ子ではないし、また私も普段いじめられっ子ではなかった。たしか「だれにしようかな」とかでランダムに選ばれたのが私だったけど、その男子は足が速くて、私はめちゃくちゃ足が遅かったので、小学校でありがちな強者と弱者の構図にぴたりとはまっていた。
それで何をされたかというと、かなり記憶が薄れてはいるが、覚えているのは体育館でひたすら一対一でドッジボールか何かの硬いボールを繰り返し投げつけられて私が逃げまわるという光景だ。あれが体育の時間だったのか休み時間だったのか、私がそこに行かない/そこから逃げ出すという選択肢はなかったのか、同級生や先生たちはそのとき何をしていたのか、その場面に至るまでの状況は残念ながらもうまったく思い出せない。
普段問題児でもない子が、普段からいじめに悩んでいるわけでもない子に、一回限りだと宣言してやったことだから、周りの人たちもまあ反応に困っただろう。ボール遊びをしていて(同時に罵倒もされていたが)私が一方的にボールを当てられてしまうのは、単にその子の運動神経がよくて私がどんくさいから、とも言えるかもしれなかった。
このほかにも、たぶん私がトロいせいで、小学生男子の有り余るエネルギーを暴力として喰らってしまったことはある。掃除の時間に床の雑巾掛けをしていたら男子がいきなり頭の上に座ってきて、床に顔面を強打したことがあった。どうもその男の子は、雑巾掛けをしている子たちの上に次から次へのしかかろうとして、雑巾係はその股の下を潜って避けたらセーフみたいな遊びになっていたらしかった。でも私はトロいから避けられなかった。床にぶつかった衝撃で鼻の付け根がツンとして涙がぽろぽろ出たが、目の辺りを打った生理的反応だと思われたのだろう(実際そうではある)、周りの子たちに「目、大丈夫⁈」と聞かれたのに対して咄嗟に「うん大丈夫だよ」と答えてしまったらそれ以上はなんの騒ぎにもならなかった。
上記の男子の二人とも、もし小学生の頃の様子を友だちとか親とかに語らせれば、「スポーツが得意で明るくて優しい男の子でした」という具合になるんだろうと思う(知らんけど)。でも、私はそうじゃないことを知っている。だから私はいまだに信用できないでいる。「子どもの頃スポーツが得意だった」「明るくて優しい」男性のことを。
私は男性に好意を打ち明けられると真っ先にする質問がある。「小学生の頃、女の子にボールをぶつけたことはある?」だ。平成生まれのわれわれの多くはドッジボールというきわめて暴力的かつ非人道的な競技を強いられていたはずだから、「ない」と即答されるとむしろ変だなとか思ったりしつつ、まあその後もいろんな質問をしてみる。これはべつに答えだけのドボンクイズじゃなくて、表情とか言葉の選び方から私は相手が「件の男子」からどれだけ遠いかを必死に見定めようとする。そんなことは不可能で無謀だとも思うし、「本当の優しさとは何なのか」なんて私にもわからないけれど、どうしても探らずにはいられないのだ。
(ないと思うけどもし万が一この尋問に覚えのある人がこの記事を読んでいたら、どうか私の身元はバラさないでそっとしておいてください。)
大人になった今考えると、当時のそういった男子たちは有り余るエネルギーだけではなくて中学受験勉強のストレスなんかも抱えていたのかもしれない。私が通った公立小学校の学区域は地価の高いエリアが含まれていて、ハイレベルな中学受験をする子が非常に多かった。エネルギーにせよ親からのプレッシャーにせよ、それを正しく言語化できずに誤った仕方で発散してしまう子どもはきっと少なくないのだろう。
過ちという点で言えば、私だってその後の女子校時代や大学時代には、性格が弱々しいタイプでもなかったから(運動神経が悪い=弱者という動物的慣習は小学校で終わるのが世の常だ)、言動を誤って他人を傷付けてしまったことは何度もある。だから「小学校時代の」「男子の女子に対する」「身体的暴力による」いじめだけをあげつらうつもりはない。言葉による暴力がどれだけ深く他人を傷付けうるか知っているつもりだし、自分がやってしまったそれは一生後悔し続けると思う。
私がここで語りたいのはもっと軽薄なことで、ようするに、結婚式の回想ムービーだかスピーチだかで「スポーツが得意な、明るくて優しい男の子でした」とか形容されてニコニコしているけれど実際は猿から人間に進化しきれていない野蛮な小学生だった過去のある男性がそのイメージを保ったまま幸せな結婚をして平凡な家庭を築いているケースは日本全国そこらじゅうにわんさか転がっていると思っていて、ただ私だけは絶対にその類の男性にだけは引っかかりたくないし、そんな男に抱かれた日には死んでやるという気持ちで生きているということだ。
私が今のところ最も「優しい」と思えるのは、「自分の優しくなさや社会の優しくなさ(政府とか入管とか)に対して厳しく在ることのできる人」だ。いつでも穏やかにニコニコしていることとか、横にいる人の荷物を持ってあげることなんて、誰でも思いつくし誰にでもできる(下心があれば尚のこと)。「優しいは作れる」のだ。そんな小手先の優しい行為からは、その人が他者の痛みにどれだけ鋭敏で、自他の暴力性にどれだけ怒れるかなんて窺い知ることはできない。だから、私が無駄な問答を通して知ろうとしているのはおそらく、その人が自分の無意識の暴力の可能性をどれだけきちんと検討できるのか、みたいなことだと思う。
オレ一応ADHD/ASDの診断が下りた人だけど、彼女は大学時代に出来た。
自分も大学は午前中の授業が出れず、かろうじて必修と実習のようなことは最低限こなした。留年した。就活でも苦労はしたが、何とか就職できた。。
一方で元カノはその後別の男とくっついて半同棲みたいな生活をしていた。
その子は、学校に行かなくなった。別の学部の男だったから勉強の範囲が違ったんだな。
その後、どうなったか、知らなかったが。
風の噂でというか、同窓会をするのでSNS(FB)で登録して友達の友達の様子から知った。
色々あるわなぁー。
周りの人も、不器用な人ととかが多いと何年か前までは個性で済んだようなことも、何となく普通のレベルが上がってしまった。良く言われるようにコンビニのアルバイトでも求められるものがここ十年ぐらいで格段に上がったと思う。
何年か前、久しぶりに田舎に帰って同窓会に顔を出してみたんだけどさ、まぁ懐かしい顔を見れて嬉しかったわけさ。
田舎だから小中学校もずっと一緒で、高校でバラバラになってしまったから、近況報告がてら「今どこで何をしてるの?」という話に。まぁよくある感じの話の流れだわな。
で、みんなして「俺は今ト◯タの社員なんだよね」とか「私はド◯モの正社員でさ」みたいなことを言ってて微妙に違和感があったわけよ。
よくよく聞いてみるとディーラーで営業してるとか、ショップで店員してるとかそんな感じで、まあ確かに彼らはその系列で働いてはいるけど、正確に言うとフランチャイズや代理店のスタッフなわけでさ、ちょっとギョッとしたんだよな。
後でいろいろ考えてみて気付いたんだけど、この感覚で仕事してる人は意外と多いのかもしれない。地元企業じゃなくて大企業の関係で働いてるから安心とか思ってんのかもなぁとか。
そういうことをまぁ思っていた中で、最近「某100均の店員が勝手に公式アカウントを立ち上げた」みたいな話が出てきて、あーこうなっちゃったかーみたいな。
たぶん、その店員さんも自分が某100均の社員だと本気で思い込んでいるてるからやったんだろうなぁーとか。
まぁ考えてみればフランチャイズとか販売代理店とかって今までは「大企業のデカい看板背負っている」と思い込ませて使いっ走りさせてるような面もあったわけで、そういう状況ならやってしまう気持ちもわからなくないよなぁ。
ネットがない時代はそれもうまく回ってたんだろうが、今はSNSで簡単に発信できるからもう綺麗に回っていかないんだろうね。
いやー、大変だね。学がないので俺にはどうしたら良いのかわからんが、まぁどうしてもそうなっていっちゃうのは仕方ないよなぁ。
中年男性の苦い思い出話なので花火ソムリエの人は読まなくていいやつ。
二十年は昔の話だけど、抱え込んでると心理的負荷が一向に下がらないというかむしろ記憶が結晶化して死ぬまで恨み続けるのだろうなという気がしてきたのでこういう形でテキストとして吐き出す。
高校の頃、気の合う人(異性)がいた。(以降、「その人」とよぶ)
文化系の部活で一緒で、どちらも対人関係があんまり積極的ではない感じだったのだけれどなんとなく馬が合い、放課後に部室で2人~4人ぐらいでのんべんだらりとしたり、たまに一緒に帰ったり、あれやこれやは略。で、恋愛関係では無かったけど、「周囲からは付き合っているのでは?」と言われ、たびたびそういう噂も立っていた。
まあでも、当人からは何か噂が立つたびに「一緒に居るのは楽しいけれど、それはそれとしてあなたのことは異性と見れないし、噂が立つのはものすごく 迷惑なのだ」と繰り返し言われ続けていた。その一方で、誤解を受けてもしょうがないような、友達と言うにはちょっと近すぎる距離感でもあった。
当時はそういうふうに言われるのもしょーがないと思っていた……けれど、やっぱり向こうが望むような距離感を保つことに疲れたのと、「自分自身が迷惑な存在であること」というのを繰り返し言われ続けることがかなり辛かった。いや一緒に居るのは楽しかったけどそれはそれとして。
高校を卒業してからは積極的に連絡を取ることはしなかった。ついでに、大学は東京を挟んで日本の反対側ぐらいの地域に行って、物理的な距離も取った。もうこれで「自分が迷惑な存在であること(を繰り返し思い知らされること)」という思い出から脱することが出来た……と思っていた。
のだけれど、大学卒業したタイミングで高校の同窓会があって。田舎なので一次会が終わったあとは川辺でみんなして花火となり、なんとなくその人と二人きりで向き合ってひたすら線香花火を消費する流れになってた。
なんでそんな(外見上だけは)エモいシチュエーションになってるのだ。意味が分からない。
しかも、いつの間にか線香花火の玉が落ちそうになったら相手の玉と融合して延命みたいなルールまで(向こう主導で)生えていた。なんだそのエモさ。訳が分からないよ。
向こうの恋愛感情に火がついてるみたいなことはなく(双方共に「今付き合ってる人が~」という話をしてた)、その人はむかしどおり「お前は迷惑な存在なのだ」と思っているのだろうけれど、それでそんな距離を縮めるのやめれ……「そういうの恋人とやればいいでしょ俺じゃなくて」という気持ちと「でもそれはそれとして楽しい」という気持ちがせめぎ合ってこちらの情緒が壊れる。というか壊れた。高校の頃から壊れていたけれど、決定的に壊れた。
それから20年ぐらい経つけど、未だにぽっかり時間が空いたときとかにいつも心の中で「それはそれとして、お前を異性として見られないのだ」みたいな言葉が延々と反芻されてるし、その人とは最大限距離を置き続けている。
「男女間の友情が成立しうるか否か」的な問いに一般解は無いけれど、しかし一方が辛みを持ち続けてしまう関係性になってしまうとちょっと辛すぎる。そして、若い頃はストレートに「こちらはこんなに辛いのだ」みたいなことを言えなかったし、痛みを率直に言えるような(擦り切れた)年齢になってしまうと今度は「わざわざ合う機会を作って辛みを訴える」というヤバい人になってしまうので言う機会がない。
ぐるぐる。