はてなキーワード: 中東とは
何のことはない、テンプレのセリフであるが、思えば大学生のころから、この言葉に違和感を感じていた。
「海外で何をしたいのか」
学生の自分には分からなかった。何しろ田舎から上京してきたばかりで、地元では海外で働いている人などほとんど身近にいなかったのだ。
ただそんな自分にも、「海外志向の人はイケている」という雰囲気が漂っていたことは理解できた。
総合商社の就活人気が大きく上がってきていた時期ということも相まっていたのかもしれない。
そんな雰囲気を感じつつ、自分も進路を決めなくてはいけない時期が近づいてきた。
ミーハーな部分もある自分は、流行の「海外志向」とやらと、どう折り合いをつけるか悩んでいた。
そんな大学3年の春、海外で働いている大学のOBと現地(海外)で交流を持てる機会に恵まれた。
2週間ほど滞在し、グローバルに働いている人たちの仕事や生活を見させていただいた。
これは非常に勉強になったし、貴重な機会だった。
これまで姿の見えない亡霊のように感じていた「海外志向」というものが、自らの感触を伴って理解できた。
ただ、自分の抱いた感想としては「日本の高校に来ているALTの先生や、日本のケバブ屋で働いている中東の人と同じだな」というものだった。
別に、ALTの先生やケバブ屋の店員を揶揄しているのではない。
②「われわれ日本人の日本で働いている外国人に対する感覚」とほぼ同じだと。
同時に、
③「われわれが海外で働く日本人に抱いている感覚(=羨望)」は
これらとは異なるものだということにも気が付いた。
具体的に言うと、
②では、良くも悪くもその外国人に対して何かを感じることはない。
(職業上の役割(例えばALTや店員)の上で普通に接することはあるが)
強いて言えば、「日本に来て仕事をしていて大変だな、家族はどうしているのだろう」といった感じだろう。
一方、③の場合、
「~先輩は海外駐在をしていてイケている」、「~君のお父さんは海外で働いていてかっこいい」というものが結構ある。
この違いは何なのだろう。
仮に、①~③がすべて同一のものであれば、
学生A君は、上野で働く外国人から感銘を受け、彼らに憧れを抱き、同じように自分も海外で働きたいと感じている
というエピソードがあってもよさそうだが、寡聞にもそのような話を周りで聞いたことがない。
そもそも、「海外で仕事をすること」が個人の願望の対象となり得るのかという疑問がある。
私は日本で生活するのが大好きである。生まれた国だし、母国語は日本語で何ら不自由がない。家族も友達もいる。故郷もある。
学生時代に海外旅行にも行ったが、日本は生活水準・安全面など極めて高水準な国だと実感するばかりだった。
海外で生活するということは、このようなものを全て捨てる訳ではないが、多くの部分をトレードオフの対象としてしまう。
可能性として初めに考えられるのは、「相対的に高い収入」だろう。これは日本に働きに来ている外国人にも結構あてはまるかもしれない。
(もっとも昔ほど日本と諸外国との所得格差がなくなっているが・・・)
いわゆる出稼ぎだ。
あるいは、国境にとらわれず、トップレベルの仕事や研究をしたいというケースも考えられる。
大学の研究職の人がアメリカのトップスクールに、といったケースはこれだろう。
つまり、海外で働くことは、(ある程度生活環境を犠牲にしてでも)何かを得るための手段なのだ。
もっとも、単純に海外が好きで住みたい!という人もいるだろう。
そういう人を否定するつもりは全くないし、この場合は「海外で仕事をすること」が個人の願望の対象となり得るケースだろう。
長々と書いてしまったが、私は「海外で仕事をする」ということに対しては、
A:具体的な何かを得るための手段
B:単純な好き嫌い
にも関わらず、こんな内容を書いているのは、目的意識(≒A、Bのようなもの)がないまま、
「海外志向」と口にするだけでなく、それをマウントの手段とする風潮があるように感じるからである。
まさに私が亡霊のように感じていた「正体不明の海外志向」である。
今の会社に入社を決めた大きな理由の1つに「日本で働けること」があった。
一方で、そんな会社の中でもこのような「正体不明の海外志向」が跋扈しているような気がしているのである・・・。
(注)
この内容は長々とした個人の感想です。特に結論を持つものではありませんし、実際に海外で働いている方を貶める意図は全くありません。
それだと日本政府が強硬に開設を目指すのもわかる気がしてきて。
安倍政権が戦後レジームからの脱却を唱えて、目指すのは日米同盟を前提とした独立した主権国家。必要であれば軍事力も行使する。
日米安保をある程度解消して、米軍が日本から減っても東北アジアの安全保障を日本が担う。それを実現する前提として日米が同意している。
アメリカは世界の警察官を辞めるにあたって、世界のパワーバランスの再編成を考えている。
アメリカが日本の対露融和外交を阻害しないのは、中国と朝鮮半島に対しての防波堤として置くため。ロシアに対してまでそれを担わせるのは酷なので和平を結ばせる。
ロシアに対しては中東などで譲歩した。中国に対しては台湾以南の東南アジアを当面諦めさせるために、朝鮮半島の宗主権を譲渡する。
統一朝鮮が対米強硬に出ても、日本が勝手に戦ってくれるし。だから今回のレーダー照射騒動も静観してる。
ロシアに対する牽制としてはEUが機能するし、中国に対してはインドも機能する。ロシアと中国とは結局ハリネズミ同士みたいな関係だろうし。
中東より西のイスラム教徒の大部分と南北朝鮮人とは関わりたくないと思ってしまう
「この国の人たちは平気で他人を騙してくる傾向があるから気を付けよう、信頼しないようにしよう」
と自分の二十数年の人生の短い経験に基づいて思うのも差別主義だと非難されなきゃいけないんだろうか
人間なんて皮を剥いたら見分けつかなくなるのに、と思っていた。
そもそも一部が悪いからと全部一緒くたに悪いと決めつけるのは良くないとも思ってた。
差別というのが見た目の問題で起こっているのではなく、その人々の気質が原因なんだと思った。
生まれ育つ過程で身に着いたものは良いものも悪いものも完全には消えない気がする。
見た目に起因する差別は当然許されることではないと思うけれど、それ以外の、国民性に対する差別(?)まで同じ問題にするのは無理があると思う。
「それよりもさ、『マホ使』観ようぜ。歌ばっか聴いてるより、こっちのほうが面白いじゃんか」
『魔法使いじゃありませんわよ!』かあ。
資金を持て余した貴族令嬢が、子供の頃の夢だった魔法使いになるのを夢見て、様々な“魔法使いっぽい”ことを大げさに実現する。
近年では超能力者の躍進や、魔法少女アンドロイドなどの影響もあり、マンネリどころか更に面白くなっているとさえ思う。
しかし、気がかりなこともある。
そうは言っても気にもするさ。
特に、中東の国に武力介入して鎮圧してしまったニュースは衝撃的だ。
その国の宗教にまで口出ししてブルカやニカブを廃止させた時は、いよいよここまで来たかといった感じだった。
噂では、魔法少女アンドロイドを作った大手ロボット企業と戦争をするという話もある。
この『マホ使』が種火になるんじゃないかと思うと、気が散って素直に観ることができない。
弟は言われたとおり掃除を済ませたのだから、個人的な感情はともかく見せてやるべきだろう。
「……ん?」
ふと、弟の掃除スペースに目を向ける。
よく見るまでもなく、まるで終わっていないのが分かった。
「おい、弟よ。まさか“アレ”で掃除をしたって言い張るつもりじゃなかろうな?」
「だって、年越したじゃん」
「……は?」
「“年末だから”やってた大掃除だろ。つまり年を越した時点で『年末の大掃除』じゃなくなる」
「言っておくが、『掃除を一生しない』という選択肢があるわけじゃないぞ」
「……」
俺がそう念を押すと、弟は無言で掃除を再開した。
俺もズボラなほうだが、こいつは筋金入りだな。
まあ弟の主張は理解できなくもない。
そもそもズボラな俺たちにとって、『年末の大掃除』というものは“理由”と“目的”が一致していない。
“年末だから”という理由がなくなってしまった時点で、“掃除をして部屋を綺麗にする”という目的も失われるのだ。
だが、とどのつまり「掃除をやりたくない」というのを誤魔化しているに過ぎない。
さて、そろそろか。
「じゃあ俺は出かけるが、帰ってくるまでには掃除終わらせとけよ」
年越しの大掃除をやっている弟を尻目に、俺は外出の準備を始める。
「え、今からどこ行くの?」
「元旦に仕事? 大企業ですらお休みモードのところもあるのに」
「あれは企業の“ポーズ”だって。元旦に働く必要がないのなら、元旦に休む必要もないだろ」
「ん?……」
「見せ掛けだけ良く見せて社会に媚を売るくらいなら、普通にモノ売ってたほうがマシってことだよ」
「それも、そうか……うーん、なんか言い包められてる気がする……」
「言い包められろ。それに抵抗するほどの理由や目的があるのなら話は別だが」
「……はいはい、兄貴が帰ってくるまでにはちゃんと掃除終わらせるよ」
この世の理由や目的なんてものは、俺たちが思っているよりも曖昧だ。
俺たちだってそうだ。
でも、それ自体は悪いことじゃない。
年末だからという意味不明な理由で、部屋を綺麗にする気力が湧く。
年を越そうが俺たちは、俺たちの日常は大して変わらないのである。