今回は少年ジャンプ+
やる気のないコマ割は、まあ今に始まったことではないから置いといて。
今回の見所はやはり後半の展開。
まあ正直、今回の第一印象は「ウダウダやっといて最終的に“これ”って、どうなんだろう」って感じだけど。
アグニは頭では理解しているつもりだったが、復讐心は燻っているってことなんだろう。
43話の感想で、「何かしら演じている人物は間違いをしているってことを示している」みたいなことを私は考察したけれども、アグニが演者として脱却した結果の行動が今回のだとするならば、一概にそうでもなさそうだなあ。
アグニの心の中にいる妹が言うには、ドマは演技をしているってことらしいので、その演者を断罪するという意味と解釈することもできなくはないけれども。
とはいっても、妹との対話シーンは実質アグニの自問自答みたいなものなので、これはアグニ自身がそう思っているってことだから、そこまで信頼性に足るものではないが。
やっぱり本作のテーマは「演技」が主体で、善悪は抜きにしても「演じ続ける」か「そこから脱却するか」といったことを中心に語っていくんだろうかね~。
本編でやるとセキュリティがザルすぎるってなるので、スピンオフのギャグマンガならではのシチュだよね。
黒霧のコスプレは相変わらず笑わせに来ているが、もうこの漫画での扱いの方向性が定まった感があるなあ。
死柄木がオールマイトやデクの言葉にイライラしたり、逆に爆豪の言動に満面の笑みをしたりするのとかは、死柄木の特徴を上手くデフォルメしているなあと思った。
ありゃ、終わったか。
まあ、何がダメかっていうと行き当たりばったりな展開、演出だと思う。
そして、それがほぼワンパターンなんだから読者は飽きるに決まっている。
「ここで、このキャラを無残に殺す」だとか「登場人物が突飛な言動をする」などといった展開はここぞという時にだけやるから意外性があるのであって、それを毎回やればウンザリするだけだよね。
主人公の役割がしっかり物語への理解を助けて、漫画の面白さにも起因しているところは評価したいところ。
やり取りもところどころラブコメの典型を踏襲しつつも、あくまでそれを茶化している漫画だということを思い知らせる主人公の独白や、素っ頓狂なネタが合間に挟まれるのも本作の個性が出ていると思う。
友人とヒロイン二人の仲を取り持つコメディ寄りのラブコメというだけでもプロットとしては魅力的なのに、そこに更にエッセンスを加えて、話がどう展開するか分からなくなってきたなあ。
気持ちとしてはこの「どう展開するか分からない」というのはワクワク感の方が強いけど、話の運び方次第ではテーマが定まらないことにもなるし、現状そこらへんは個人的に警戒気味。
宮澤賢治のいわゆる「雨ニモマケズ」は検定教科書で出てくることが多く、やたらともてはやされてきた。しかし、「雨ニモマケズ」が宮澤賢治自身の信仰の表れであって、いわば宗教であることは、習っただろうか? 習っていないとしたら、いろいろとまずい。国家的にしれっと宗教教育をやっているということであるし、また、正しく教えていないという、まさに学力低下以前の話。
宮澤賢治がなりたかった「そういう人」というのは、ブッダである。欲は無く、いからず(瞋らず)、よく(能く)観聴きする、すなわち貪瞋痴(三毒)の無い、覚った人だ。相談を受けて廻り、調停に入って争いをやめさせる人物。なりたい姿を自ら書いて携帯することで、己への戒めにしたのである。本来の「お守り」、憶持仏のたぐいだ。
宮澤賢治には、肉食(ニクジキ)に批判的な著作がよくある。豚を主人公にしてみたり、人の方が食われそうになる話を書いたりした。農業を研究していたのもおそらくは、肉食をせずとも生きていけるからだ。
そしておそらく、宮澤賢治は、ブッダ(釈尊)に関して事実誤認をしている。史実の釈尊は、雨季安居をしている。つまり、雨季には外を出歩かず屋内で過ごしている。
史実の釈尊は、無理をするなと説いていた。しかし往々にして捻じ曲げられるもので、無理をしたり、苦行をしたりする「仏教」がつくられてしまっている。
それに、和國(日本)に届いた仏教と称するものは、中国の信仰がごちゃまぜになっていて。つまり、儒教が混ぜ込まれている。それは、中国での布教教化のために都合がいいからだし、権力者などが儒教の教義と矛盾しないことを求めたからでもあるだろう。そうして、中国では仏教と儒教が習合し、それが輸入された。ちなみに、中国の技術・文化を受容するためにも、神道も仏教と習合したり、儒教とまぜられたりして、現存する神道も本来のものではない。
ともかく、史実の釈尊も丈夫な身体はもっていたけれども、雨風に勝とうとはしなかった。
教科書にやたらと出てきて「雨ニモマケズ」がもてはやされてきたのは、いわゆる根性論、「頑張る」ということを注入するためだろう。無理をして「頑張る」ことを美化することが未だに行われ、わざわざ公的に教育されている。世(国家社会)のため、ひと(他人)のためには、己を傷めつけることも厭わない、そうした生き方がずっと美化されてきた。世のため人のために自らを犠牲にするという教条は、そもそもは儒教であり、言い方を換えれば軍国教育のようなものだ。要は、階級差別と、全体のために個を犠牲にするという全体主義である。
かように日本とかいうものは未だに政教一致国家なのだけれども、そのことに自ら気づかなかったり、気づかないようにしむけられていることは危険だし、だからこそ、社会の既成構造を優越させて変革を避け、創造性や生産性が低く、そして、自死率は高い。
いまやってるソシャゲの運営が近年まれにみるほどのクソ運営だと思う。
クソゲーオブザイヤーならぬクソ運営オブザイヤーがあったらノミネートしていいとこまで行くポテンシャルを秘めてると思う。
あんスタこと、あんさんぶるスターズ!っていう女性向けのアプリなんですけどね。
巷では頭キラキラ星とか誰得シリアスとか言われてるし、ソシャゲも協力システムの仕様が問題抱えたままイベント始まって2chのスレが崩壊してたりするしであんまいいイメージないけどこのアニメ結構楽しいぞ。
まず主人公からしてギター触りたいからと質屋の娘に粘着しまくっていつの間にか毎朝そいつの家で朝飯食うようになるような図々しさを煮詰めたようなクズなんだぜ。
凄くね?
アニメで不快な展開出すことが危険視されるこの時代に主人公そのものが不快なキャラって冒険でしょでしょ?
バンドの他メンバーも純粋な善人が1人いる以外は主人公に粘着されるまではパーフェクトボッチで盆栽いじりとネットサーフィンが趣味の高機能自閉症・頭にチョココロネが詰まっているとしか思えない電波女・その電波女も主人公も全く太刀打ち出来ない究極電波っていう恐ろしい構成。
主人公の頭のおかしさだけでもけいおん超えてるレベルなのに他のメンバーまで大部分ヤバイんだぜ。
主人公チーム以外もヌイグルミに喋らせるテンプレ不思議ちゃんとかその不思議ちゃんに介護されるレベルのアッパー系キチガイとかが出てきやがる。
たとえば「今日すきやきなんだー」「誕生日なの?」みたいな会話は序の口で、自分で「声が小さーい」と言っておいて大きな声が返ってきたら「店に迷惑だー」と言い出すような頭のおかしい空間が広がってるんだ。
日本全国が無理なら、せめて首都圏だけでも歩きタバコがなくなりますように。
21世紀にもなってまだ歩きタバコが存在するなんて思わなかった。
JTが製造者責任として、ちゃんと各所に喫煙所を設けて、その喫煙所から出る直前にタバコ消臭をきちんとすることを義務付ければいいのにな。
過日、九州旅行の締めに、有名な大規模温泉ホテルに泊まった。秘湯もいいが、スノッブもまた良しである。何より楽だ。御多分に漏れず夕食は澱粉質多めのバイキングで、それはそれでうまい。
ドリンクが並べられたコーナーにひときわ恭しく置かれていたのが「デトックスウォーター」。雑に生きているせいか、そんなもん、名前は知っていたが、拝むのは初めてである。なぜ名前だけ知っているか。増田に他ならぬ。思わずしげしげと眺めてしまったが、辛うじて「すいすい~」と叫ぶ衝動だけは押さえることができた。
連れや世人に言ったところで通じはしまい。なのでここに記す。
5~6人の仲が良いグループにいて、だいたい2~4人ぐらいで暇な人間集めて週に何度も遊んでた
誰かの家だったり公園だったり、近所の国立大学の敷地だったり場所はとわず
一緒に居るのが楽しかったし、お金なんてある奴が払えばいいってみんな思ってた
「酒かおーぜ!」
「安いからジン(テキーラだったりヲッカだったり)のボトルでいいよな」
「2000円やって」
「俺金持ってない」
「何百円あるの」
「300円、明日の昼飯代」
「今度払えよ」
みたいな感じでいちおうは割り勘だけどお釣とか適当だし、ずっと金欠の奴いたらいっつも少な目に払ってた
「飲みにいこー」
「じゃあ、あとの3人で割るから」
みたいな感じ
お金があったりなかったりする奴は払ったり払わなかったりだし
大体金欠マンは大体「1000円しか払えないけどいい」とかいって他に負担してもらう
そんな感じで生きてたし、今もそうだから
友達と金銭感覚がずれたから付き合いずらくなるとかいう話が全然分からないというか
まあウチの友人が基本的に贅沢を嫌うというかただ高いものに魅力を感じないタイプで
無駄遣いしないから他の人間よりも金銭的余裕があったというのもひとつかもしれないけど
もう40代が近づいて来て当時の友人に社長もいれば派遣社員も居る
「飲みにいこーぜ」(社長)
「今月金ない」(派遣)
ですむんだけど。
こう書くと誤解されどうだけれど、
奢られるほうも、相手が奢る金額よりも一緒に居て楽しい時間に価値を見出してくれてると思ってるから
小学校の時に小遣いいっぱい貰ってる同級生にみんなでたかってたり、そんな経験もあったし
お金ってみんなで共有したらいいじゃんって思うの
あと女子って割り勘とか細かそうだなって印象
10年後、こんな感じで立場が逆転しちゃっても、
彼女「増田ちゃん、苦労してるんだ。じゃあ、増田ちゃんちの近くで会おうか?
っていうか、増田ちゃんちで鍋でもする?食材買ってくからさぁ」
みたいに屈託なく接してくれた時、増田はどう思うんだろうか…。
私には年の離れた従姉がいる。
彼女は私が8歳ぐらいの時に息子を生んだ。やたらと懐いてくれた。
その子が3歳くらいの時、全力で一緒に遊んでいたらトイレに着いてきて欲しいと言われた。
何を思ったのか個室まで一緒に入った。衝撃的だった。
その子が力む度に、小さな男性器がぴょこんと立つのだ。力を抜くと下がるのだ。めちゃくちゃ面白かった。
爆笑してたらその子も楽しくなって来たらしく、何回も動く姿を見せてくれた。
話を戻す。いつごろから放尿が見たくなったのかは覚えていない。
大学生になる頃には当時好きだったアニメキャラ(以下○くん)の放尿が見たくてたまらなかった。
目の前に仁王立ちになってほしい。できれば手で受け止めたい。口で受け止めるかどうかはその時になってみないと分からない。
その前の記憶では○くんを物理的に食べたいと思っていたはずなのに。いつから私はSからMになったのか。それともやはりSとMは表裏一体なのか。
そんな私ともお付き合いをしてくれる人が現れた。以下彼とする。
恋人という関係になって数年、互いの裸を見せ合う事にも慣れてきた。
そうしたら、忘れていたはずの感情がよみがえってきた。放尿が見たい。
ある日冗談交じりでトイレに着いていきたい。放尿が見たいと言った。言ってしまった。すぐに冗談だと取り繕った。
彼は冗談だと信じてくれて、それにしてもその発想はなかったと笑われた。
それから私はことあるごとに放尿を見せてほしいとお願いした。語尾に冗談だけどとつけて。
案の定、前から思ってたんだけどそれ冗談じゃないよね?と笑われた。嫌われはしなかったので、それをいいことに冗談だけど、という語尾が取れた。
彼はいまだに見せてくれない。代わりに私の見てもいいからと言ったら、興味がないと言われた。
○くんのアニメはいまだに続いているが、放尿シーンももちろん放送されるわけがない。
以前AVで女性の放尿を見た時は何も感じなかった。男性の放尿シーンはむしろ、いいな、この女の人はご主人様の放尿が見られるんだとうらやましくなった。
でもよくよく考えてみれば、あのシーンは奴隷役の女性の性器の中に放尿していたので、実際は見ているわけじゃないのか。おあいこか。
とにかく、ただ放尿が見られれば誰でも良いわけではなかった。
私は好きな人の放尿が見たいのだ。
○くんの放尿が見たい。それがだめならせめて彼の放尿が見たい。
この間、彼と電話で話した。
そうしたら、そういえばこの間実際に放尿を見せる夢を見たよと言われた。
その時は何も感じなかったが、電話を切った後ふつふつと、何か言いしれない気持ちがわいてきた。
ずるい。ずるいじゃないか。
私はこんなにお願いしても彼の放尿が見れないのに、夢の中の私はただ彼の夢の中に存在しているというだけで放尿を見ることができたのだ。
どうやってみた。背後からか、それとも正面からか。手で受け止めたのか。
そもそも現実の私がこうして数年頑張ったから夢の中の私が見ることができたんじゃないのか。
ずるい。うらやましい。
ふと思った。もしなんらかの形で明日世界が終ってしまったら。もし明日、私が車にでもひかれたら。
私は彼の放尿も○くんの放尿も見れずに一生を終えてしまう。
一生、誰の放尿も、見れないのだ。
悲しくなってきた。たぶん成仏できない。
誰かの放尿を求めてトイレの地縛霊になるも、きっと好きな人の放尿じゃないから満足できず、そのままよくわからない悪霊になってしまうのだ。
そんなのは嫌だ。彼は優しいし、今度会ったらもっと真剣にお願いしてみたい。見せてくれるかもしれない。
従姉息子は、前回会った時もう15歳になっていた。それでもやたらと懐いてきた。うれしかった。