仕事人間と言いつつ、自らの心に従って仕事をしていたのではなく、会社の価値観を内面化した形でずっとやってきてしまったのではないか。
自分自身を拠り所にしたアイデンティティを確立できないまま歳をとってしまい、会社という拠り所も失ったいま、何をどう拠り所にすればいいのか本人も全くわかっていないのではないか。
「やはり一番大切(=アイデンティティの拠り所にできる)なのは家族…だよな?」と思って依存してみても思った結果にならない。なんだこれは?依存の仕方が間違ってるのか?依存するべきではないのか?わからん。と。
他の増田が言う通り、何かビジネスをやらせるなりして外部に拠り所を作ってやるのがいいかもしれない。もちろん、本人が思う結果が得られなければうまく依存できないからダメなわけだけど。
日常で障害者差別や外国人差別の言葉を聞くことはそうそうないけれど、同性愛差別の言葉は頻繁に耳にする。その多くはとても“カジュアル”なもので、たぶん言っている本人たちも差別の認識はないのかもしれない。メディアでも、同性愛に限っては差別がやはりカジュアルに消費されている。
諸説あるが、全人口に対する同性愛者・両性愛者の割合は5%程度と言われている。1クラスに1人か2人はいる計算だ。比較するものでもないかもしれないが、これは障害者(身体・知的・精神)の割合に近い。つまり、これを読んでいる貴方の友人や知人にも、同性愛者や両性愛者がいておかしくないのである。ただ、カミングアウトしていないだけで。
もう一度、差別的な言葉を吐いていないか、思い返して欲しい。そして、その言葉が知らず知らずのうちに、友人や知人を傷つけているかもしれないということを、ぜひ心に留めておいて欲しい。
地域のイベントに関わったことがあるんだけど、そこでも元取締役のオジサンが空回ってたよ。
でも、少し仕事の相談するだけで、めちゃくちゃ嬉しそうな顔するんだよね。
要は、まだまだ働けるのに身の置き場が見つからなくてイライラしてるんだわ、彼らは。だから、コストのかからないスモールビジネスでも始めさせてみれば?きっとすげぇのめり込むから
http://anond.hatelabo.jp/20141117014426
思ったよりもブックマークがついた。
しかし、ブコメをみる限り、ぜんぜん伝わってないことが哀しい。
生で見ればわかる。
博物館じゃなくて、刷りたてをみればだ!!
いや、説得力がないのはわかる。
入信してみればわかる、南無妙法蓮華経と繰り返してみればわかる、ってのと同じだもんな。
で、絵について昔から納得がいかなかったことがいくつかある。
ピカソって下手だろ。
正直なところ、どの辺の時代が一番上手いかっていったら、レンブラントとか、あのへんじゃね?
って思ってた。
どうして、昔のほうが優れてるんだよ?絵だって進化しなくちゃおかしいだろ?
って思ってた。
こんなの(レンブラント)とhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%B3#mediaviewer/File:Self-portrait_at_34_by_Rembrandt_(rectangular_detail).jpg
こんなの(ゴッホ)
http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/h-inb1/h-pim/h-goh/h-goh2.jpg
こんなの(ピカソ)
http://livedoor.blogimg.jp/strange_emily/imgs/1/2/1222bd6f.jpg
で、どれが一番絵が上手いかっていったら、レンブラントだろ?
ぜったいおかしい。
と。
油絵のなにが凄いって、塗れることだと思う。
塗った上に、さらに色を重ねられる。
もうね、物理的に上に重ねていくことができるから、どんな質感もだせるわけじゃん。
筆跡一つなくつるつるの面もつくれるし、壁のでこぼこなんて、本当にデコボコにできる。
畳に人形が立っている絵だったんだけど、バックの畳が、まるで本物のようでさ、つい目を近づけたら、本当に絵の具が畳のデコボコを作ってたの。
「うへー」
って思ったよ。
化粧みたいなものなんじゃないかな。
どんなに荒れた肌だって、丁寧にファンデーションを重ねれば、滑らかにできる。上に上に重ねて、ハイライトを入れて、陰影をつけて、立体感をだせる。
それが油絵。
で、浮世絵をみて気付いたんだけど、そのやりかたって限界があったんだ。
色を上に上に重ねる先には、明暗をつける先には、なにもなくなる。
もう少し説明すると、対象物を立体たらしめるためには、遠近法と明暗だろ?
明暗でいうと、奥のものは暗く、手前の物は明るく、そうすることで対象物が飛び出してくる、そういう寸法。
たとえば、白い服で白い壁に立った人を描く場合、どうやって人と壁を隔てればいい?
壁を実際より黒くかき、人の服をより白くかき、境界を作るっていう方法しかない。
どんどん先鋭化していくと、背景は黒に沈み、対象物以外はなくなってしまう。
比較対象を置かなければいけなく、比較対象は黒く沈んでいかなければならないが、黒に沈むと比較対象が消滅していく。
というか、そもそもモノそのものを正確に写すなら、写真のほうが優れてるしな。
ハッハーw
「塗り」の発達する余地がなかった中国画、日本がでは、その問題とは無縁だった。
線が絵になる。輪郭が形を作る。
輪郭を強調することは、恥じゃない。
写実性を求めて、輪郭を排して塗りの技法を発展させたからこそ、絵の発達は袋小路だったわけだ。
なんのことはない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%9B%E3%82%92%E5%90%B9%E3%81%8F%E5%B0%91%E5%B9%B4#mediaviewer/File:Manet,_Edouard_-_Young_Flautist,_or_The_Fifer,_1866_(2).jpg
こうなる。マネの笛を吹く少年。
なにもない部屋の中でも、空気のなかでも人物は浮かび上がる。
改めて考える。
本当に背景は暗くなければいけないのか?
明暗のグラデーションではなくて、反対色で境界面つくったらどうなるのだろう?例えば、大地は緑に、空は赤くと言った具合に。
色の境界面で区別して、遠近法だけでレイヤーを重ねたらどうなるのか?
こうなる。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige160/
になるだろゼッタイ。
油絵と違って重ねることができないからさ、1トーンのグラデーションと、色を近くに並べることでしか中間色の表現ができなかったからなんだと思うんだけど。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai049/hokusai049_main.jpg
富士山の山肌が、近くで見れば明らかに点描のようなんだけど、明暗をつけていないのに立体的であるような、山であるのに躍動感さえ醸しだす不思議な感じ。
人間の視覚の仕組み上、例えば赤と緑みたいな反対色をちょとだけ隙間をあけて並べると、赤のフチに緑のラインがみえてきて、緑のフチに赤のラインが見えて、赤と緑の間の空間に赤でも緑でもない、灰色のような色が浮かんでくる。
筆のタッチは荒くても、強い色を同士を近くに並べる。そうして出来上がるのが
http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/h-inb1/h-pim/h-goh/h-goh2.jpg
そう、ゴッホに戻る。
明るい光のなかで活き活きとし、明るい光のなかで人物の影は消え去る。
これはマネ。
浮世絵のような明るい色彩。
影もない。
明るさといえば、雪あかりの表現について語りたいんだが、今日はまとまらなそうなので割愛。
輪郭線、点描、1トーングラデーション、効果線、etc....現代の漫画の表現にすごくすごく似てると思う。
そう。
恐竜と鳥、くらいに近いことは間違いない。
縦長の絵で鯉が泳いでいたら、鯉の進行方向は下から上、という感じで。
絵の上下にかかる雲などは、今ではもうお約束として生きていないものもある。
しかし、多くは生きている。
たとえば、一枚絵でスピード感がある移動を描くとき、こういう配置をする。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai037/
真っ直ぐ進行させず、弧を描くように進行させる。
http://stat.ameba.jp/user_images/20110923/02/good-luck-heiwa/36/f4/j/o0296021811501145041.jpg
浮世絵の時代に発明されたお約束、動きのお約束であったり、デフォルメのお約束だったり、効果線のお約束であったり、それらが今の漫画の基礎になってる。
と、僕は感じた。
というかそもそも、浮世絵って漫画の一コマみたいなのばかりだ。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/kunimasa005/
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/kuniyoshi027/
ここまで書いてこういうのもなんだが、生で見ないとよさがわからん。
騙されたと思って、是非、是非!
みてるとですね、もうね、鑑賞する側の好奇心を、ドキドキを満たすためだけに制作されてる感じがするのですよ。
当時、ずいぶん安かったんだと聞きます。
今でも、手作業で大変とはいえ、けっこう安い。
だから、なんとか、もっと人気が出て、手作業とはいえもう少し大量生産するようになれば、単価も安くなるじゃないですか。
世の中に浮世絵が溢れることは、すなわち人類の幸福だと思うのです。
書ききれないので今日はここまで
ちなみに、LIFE誌が選んだ「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」で唯一日本人で名前が出たのは葛飾北斎だそうです。
徳川家康も坂本龍馬も松下幸之助もAKBも吉田茂もおさえて、葛飾北斎です。
つまり、生で見れば誰でもわかるんです。
凄さが。
父親はかれこれ30年近く海外に単身赴任していた生粋の仕事人間だ、
それなりの企業の取締役として新聞にも載ったことがある父親は、バリバリ働き、たまに家に帰ってきても仕事の話しかできないようなタイプだ。
しかし、父親参観日であるとか誕生日であるとか運動会であるとか。
どんなに地味なイベントであっても、父親は必ず日本に帰ってきて、私達子供と一緒の時間を過ごしてくれた。
仕事の話しかできない父親との会話は困難を極めたが、家のことを大切にしてくれていることはとても素晴らしいことだと思う。
社会人10年目になった今でも自分は当時の父親の年収の10%以下の年収に過ぎないことからも、早々居ない父親だと自慢に思っていた。
そんな父親が一年前に父親が定年退職をしてか、常に日本に居るようになったのだが、非常に良くわからないところでキレるのだ。
私が休日に遅い朝食を食べていたら、食卓の横のフローリングが少し濡れていたのだ。
父親が「ん? さっきその辺拭いたけど、どうした?」と聞いてきた。
拭いたにしては水たまり状態だし、寝ぼけてコーヒーでもこぼしたかな、と「コーヒーこぼしたっぽい」と言うと、父親が「いいよ、俺が拭こうか?」と言ってくれた。
なんで自分がこぼしたコーヒーを父親に拭かせるんだ、と言うことで、「良いよ自分で拭くよ」と言ったら思いっきりキレられた。
「なんだ! 俺は家の掃除もするなってことか!」
仕方ないので拭いてもらったが、とても居心地が悪い朝食になってしまった。
あるいは先月の話だ。
設定の問題か、タブレットがネットに接続できなくなった時に、母親が私に相談したところ、そこでもキレられた。
「なんだ! 俺だって元エンジニアの端くれなのに俺に相談もないのか!」
ちなみにネットワーク設定はキレている父親を尻目にルータを再起動しただけで直った。
かと言って、話しかけてもキレられる。
我が家にはノートン先生とウィルスバスターが両方入っているゴミみたいなノートパソコンがある。
母親が父親が帰ってきたタイミングでちょっと設定見直そう、と「このパソコン最近重いけどなんとかなりそう?」と父親に聞いたところ、
「なんだ! そんなことまで俺が考えないと行けないのか!」とキレられていた。
私がクリーンインストールした。
そんな日々に疲れきって、今日、耐えきれずに「何がそんなにイヤなの?」と聞いてみた。
「自分は家族の役に立ちたいとずっと我慢している。なのになんで家族は自分を蔑ろにするのか」という旨のことをやっぱりキレながら言われた。
愕然とした。
私達は父親が解決できそうなレベルのちょっと困ったことを探し出し、とてつもなく遠回しに「ああ困った困った」とアピールし、父親がそれに気付いてその問題を解決し、「やっぱり父さんがいないとうちはダメだねハハハ」と褒め称えるしかないのか。
家の中でもそんな息苦しい生活をしなければならないのか。
オマエ馬鹿すぎるだろ?
TwitterユーザーとTwitter社の人間は全く別のものだぞ?
50歩っつったら目クソとへそのゴマくらい違うな
the HIATUS…質の悪い気の強さを持つ
Mr.Children…厭世観、若干気が弱い。
YUKI、東京カランコロン、パスピエetc…ボブ、モッズコート(特にラフォーレ原宿にあるようなブランドのもの)、Canonの一眼レフを揃えたがる。
EXILE、仁志のカナ、3代目J Soul Brothers…リア充
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/ganbare_zinrui/archives/17080993.html
マスコミが犯罪者の卒アル掘り出して周囲の評判とか聞いて勝手な解釈して
同じなの
あのくだらないワイドショーを支えるやつらがここに大集合してるの
大人になったら納得できるかと思ったけど全然だめだった。
先日子宮筋腫になって、
全摘したら産まない性になれるかと思ったが、
夫に反対された。
10年後にはあがって産まない性になれると思いながら、
つらい更年期を乗り切っているところ。
女は損だみたいなことばかり言われてきた気がする。
腐女子なのも、自分の性別を否定したい心理のあらわれだと思ってる。
拒食症みたいな時期もあったし。
(拒食症も原因は母親との関係と自己否定であることが多いらしい)
母親のことは、この年になってもまだうまくいなすことができない。
「天下一品」に慰謝料命令 「視聴率低い時間にテレビCM流した」と広告代理店に示談金強要
http://www.sankei.com/west/news/140706/wst1407060028-n1.html
先日、心療内科にてPTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断されました。
簡単に言うと、過去に強烈なショックを体験した事によるトラウマが原因で
僕自身、自覚している症状がいくつかあって、それについて何度も試行錯誤し
それこそ躁鬱なのではないか、ADHDなのではないか?
様々なケースを想定していたのですが、専門医の判断を仰ぐ必要性が
出てきたので診断を受けた次第です。
さて、こういったメンタルヘルスというジャンルでよく見聞きされる
実際問題、他人に迷惑をかける事は明白ですし、出来ることならば
特に仕事の面においてはチームワークが大事なのでコミュニケーションが
メンタルヘルスで一番のネックは「認知」のフェーズにあると思います。
また、健常者と一緒になると共に、人間のメンタルという何とも体系化することが
厳しい分野というのもありますよね。
実際に専門医の意見を仰ごうにも人によって意見が診断が極端に違う。
セカンドオピニオンが当てになるかどうかすらも怪しいのが実情ではないでしょうか。
当事者の人たちは、大体の人が「認知」フェーズで精神状態が悪化します。
自分でわかっているのに特定の行為が改善されない、それは時として「甘え」だという事実も引き起こします。
しかし、それを改善する方法を知らないのです。どれだけ努力しても改善されない、潜在的な者が邪魔をするのです。
世の中真っ暗ですね。
ですから、専門医の判断というのは、非常に当事者にとってどれだけウエイトが大きいのか、ということを実感しましたね。
最後に投薬ですが、病院に行った時点では朝3錠、夜1錠と処方されました。