はてなキーワード: 新興宗教とは
好きな女性に便利に使われてしまう。キャバ嬢に入れあげて貢いでしまう。
声優に入れあげてグッズの購入やブログの監視に明け暮れ、時間と金を浪費してしまう。
思うように女性が手に入らないことに苦しみ、憎悪に悶えている。
一切の性欲を持たない状態。
「自己愛」のみで性処理ができる状態。
男性作家が生み出した小説・漫画・イラストのみをオカズにする。
女性作家による作品や、女性声優に声を吹き込まれたキャラなど、
男性作家や女性作家がかいた小説や漫画、イラストなどをオカズにする。
「実在女性の声」や「実在女性の容姿」など、実在女性のみが生まれ持った魅力は性的対象としない。
風俗利用。即時破門。
女性への復讐が目的ではないので、「ゲイになる」「男の娘に走る」はズレています。
このような道に進んでも、イケメンなり、一番可愛い男の娘なりに振り回されるのは変わりません。
魅力がある者がない者を振り回し、搾取する構造は変わりません。
急に思い出したので書いておく。
『金田一少年の事件簿』が大人気だった頃
俺もコミックスを買ったんだが、合間の作者のコラムが意味不明だった。
コラム名も確か
「六根煩悩シアター」(うろおぼえ)みたいなそんな感じで
とかなり迷って内容を含め戸惑いながら読んだ。
金田一少年のつけるペンダントにも教義のシンボルがあしらわれたりしてると知った。
信教の自由はもちろんある。
個人的には幸福の科学も笑えるから新興宗教の中では嫌いじゃない。
「子供を狙った布教」みたいな悪辣なニュアンスは感じなかった。
でも小学生のとき俺はあれが意味わからなくてかなりひっかかってたし
後年その意味を知ってかなり腹が立った。
ということを突然思い出したので書いておく。
「こんなのは自分のいる場所じゃない」「自分はここにいてはいけない」等と思う場合も同様。そういう思いで鬱屈してしまった人間に対して安全に効くのが自分の立ち位置を自分で再確認できるまでの状態に持って行って納得させることor納得できないなら納得できないと思う自分がいると認識させること。
別のルートもあって「あなたの立ち位置を用意しました」とドヤ顔で持ってくる連中もいる。典型的な例でいったらマルチ、悪徳新興宗教ビジネス。すこしおとなし目になると、エンタメ業界。ファンタスティックの語源は宗教的熱狂。能動的にやってくるか、受動的に促すか。
外に求めない場合は、内側に孤独が巣食う。そうすると何らかの依存に走る。アルコール、ギャンブル、恋愛、自己啓発。いっぱいあるよ!清潔や仕事、人間関係に憑りつかれるのもメジャーだね!
ちなみに不安によって社会性が脅かされたりする重度の人間は病気と名付けられるけど、人間すべておんなじです。少しでも揺れたら不安。でもリカバーもする。誰かにメールするという小さいのから夢を信じて追うという大きめのものまで。誰かのために生きるっていうのも強力。どの程度の不安をどの方法でリカバーするかの違い。不安を感じないようにすることなんてできない。メンタルなんか補強はできない。どう対処するかだけ。
なんつーか信者の方の発言までいちいち預言者チックになってて笑う。
日常会話で「時は来たレリ」とか「尊い~」とかホントに使ってるんじゃないだろうか。
それだけならまだしも「現在起きている地震は○○○のせい」みたいな言説はちょっと危険に感じる。
それはともかく、本を読み始めた経緯などを聞かれてもないのに語ってくれる人がいるせいで、
こういう人達がどういう経緯で宗教に入り込んでいったのかも垣間見えるような気がする。
以下はホントに少ないサンプルを下に勝手に推測した話で本とかどうかは知らない。責任が取れないので増田に書き捨て。
やっぱり自分のアイデンティティや自分が正しい人間であると確信したい人がいて、
そういう人達は共同体とか世間とか日本そのものに立脚してたんだと思う。
ところが、そういうものへの信頼というか盲信が崩れちゃってるんだろうな。
要するに、もともと別のものを漠然と信仰してたけど、それが壊れてしまった、と。
そういう何かにすがらざるをえない人たちのニーズってのがあるんだな、ト。
特に教育ママのように、過剰に何かにすがりついているような人は、
自分のあるべき像がギチギチに固まっていて、柔軟性がないようでちょっとした挫折や回り道にも耐えられず、
今回の自然災害の連続で、物事に対処する困難に挑むのではなく信仰に逃げる人間は更に増えるだろう。
老害っぽい物言いになるけれど、なんでこんなへっぴり腰な日本人が増えたのだろう。
あるいは昔の日本人は、今よりもっと困難というか理不尽な物事から逃げなかったのだろう、逃げられなかったのだろう。
そう考えると、本当に昔は「日本教」みたいな縛りが強く存在してたんだろうな、トか思った。
両極端な話だけど、みんなでまとまって戦えるのはいいけど逃げられず玉砕しちゃうようなのと、
みんなが戦う前に逃げちゃってそもそも戦うことすらできない現状と、どっちがいいのかわからん。
とりあえず、新興宗教の人間に言いたいのは、現実から逃げるのは構わんから、
逃げた場所から偉そうに現実批判をするのはやめろってことかな。逃げずに現実と戦ってる人間に対して失礼。
http://anond.hatelabo.jp/20111013124015
ソウデスネ。
どうでもいいけど、この文章なんでちょくちょく言及されるかな。
正直書いてからしばらくは放置されてたから失敗作だと思ってて、
特に反応もなかったから私も忘れ去られるままにしておけばいいや、と思って特に訂正とかしなかったんだけど。
一回REVさんに補足されてから反応がついて、後になってからも時々言及される・・・。
どっかで紹介されてたりする?よろしければ、どこ経由でこれ読んだか教えていただけますか?
内容についてはあなたのおっしゃってるとおりだと思いますよ。うん。
魔女の概念そのものが消えるだけで、もともと魔女だった存在なんてどこにもない。そりゃそーだ。
その代わりにはてウヨとか新興宗教みたいな代わりを見つけるだけだね。
もともと、こういうシステムって、まどかみたいな特異点が発生しない限りは
利用する側の存在と、それに搾取される存在以外にとって全く関係のない話だよね。
GREE潰したところでドリランドやってる奴がまともになるとも思えんし、風俗なくしたらかなり危険だろう。
そう考えると、生贄に頼らない、エタヒニンなどの身分差別に頼らない社会って、
その恩恵を受けてた「普通の人」にとって本当に幸せかなぁってところを言いたかったの。
つまり、この物語を賛美する奴は、今何か社会がうまくまわるために虐げられている存在に対して同じ想像力を持てって話なわけでしょう?
魔法少女や魔女にされた人間にとってはハッピーだけど、他の人はそのぶんの負担を引き受けることになる。
それでも魔法少女だけが犠牲になる物語より、世の中に魔獣が溢れて一般人が被害に合う世の中のほうがキレイで納得いくものだ。
原発止めるなら、エネルギー効率競争で負ける日本はグローバル競争で負けて生活の質が上がるけど福島の人間を犠牲にするよりはずっといい。
まどマギってそういう話なんとちゃうん。
というかさ、そんな細かいところはどうでもいいよ。
私はまどマギ大嫌いなんだわ。 まどかを絶賛してるやつらも嫌いなんだ。私が言いたかったのはそれだけなんよ。
まずはそれを分かれよ。正直言ってあんたみたいな反応って一番ムカつくんだよ。
実際は頭が悪くて理解できてないだけでもいいよ。 もったいないとか思わなくていいからほうっておいてくれ。
要するに、私はまどか教には入れなかったってそれだけでいいよ。タイトルだけが言いたかったことで後の中身は阿呆の考えってことでいいじゃん。
マイアミに巨大カタツムリが大量発生、さらにカタツムリ教団まで登場
http://gigazine.net/news/20110920_miami_invaded_by_snails/
すっかり垢抜けない中堅オタニュースサイトになった感のあるGIGAZINEだけど、
久々に見てみたら相変わらずひどい。上の記事のなかに
また、直近の大発生を受けて、新興宗教「カタツムリ教団」が小規模ながら登場しており、アフリカマイマイを治癒力を高める存在としてあがめていると言います。
A more recent introduction several years ago was traced to small religious sects in Miami, where the snails are believed to harbor healing properties.
単にどこかの新興宗教がカタツムリを治療薬として利用したらしい例もある、程度の意味だろ。
これをどう訳せば ”新興宗教「カタツムリ教団」が小規模ながら登場” になるの?
わざとやってるなら東スポ以下のセンスだし、誤訳だとすればアホすぎる。。。
(記事タイトルにまで入れてるんだから、誤訳なんだろうな。。。)
ロケットニュース、ガジェット通信がオタ層を拾いつつ、適度に一般受けするネタを広く扱ってるのに対して、
GIGAZINEはいまだにあの強固な自社サーバー(笑)でこんな個人ブログ以下みたいなことやってるのかと思うとなんとも胸熱。
何がいやって、すべての面においてセンスがなさすぎるんだよ。。。。
・俺が体験した葬式。年配の人は坊主と一緒に般若心経を合唱してた。子供を抱えたおばあさんが紙を見せながら子供にもお経を教えてた。創価の「ナンミョー」ではなく般若心経でもドン引きしたのか?
・そのお婆さんはグズる子供をせかしてお焼香までさせてた。
・四十九日まで毎週、親戚だけど葬式付き合いしかしない家へいって法事に参加して坊主のお経と説法を聴かなきゃいけない。
・兄弟の結婚式に参加したら、地元政治家から祝電届いた。親父がいつも批判している政治家なのにまんざらでもない様子。
選挙の電話ウザすぎ、とかなら同情するけど、式典の仕方が違う、ではなぁ
新興宗教に限らず、宗派、地域によっていろいろ異なるんだから、「へー、こういう葬式のやり方するんだ」って面白がるくらいが丁度いい。
これを読んでいたらもやもやしてきたので書く。
4つだけは本当だということじゃない。
8つすべては「真実」に近いと思う。
実践できれば楽に生きれると思う。
それがいいとか悪いとかいう問題じゃない。
ただ、この理論だけでは結果的に不十分だとおもう。
いったいなにを欺いているのか?
リンク先で語られている内容よりも
語られなかった内容に注意してほしい。
1、今に生きる
過去を悔やんでたらればを繰り返したり、起きてないことをあれこれ憂いたりするのは時間と労力の無駄遣いで非生産的。
2、人や社会に期待をしない
求めたり「こうあるべき」とイメージを持ったりすれば、現実との差異にがっかりすることになる
自分が見ている他人は、他人という物質に反射して映った自分だと考える。
その出来事を通して味わいたい思いや学びたいことがあるからそれを引き付ける。
こうしなきゃ、こうでなきゃ、というのは自己満足であって、大抵の場合は不必要
6、ワクワクするものごとを選ぶ
選択の連続の人生で、自分の心がワクワクする方を正直に選ぶのが一番スムーズ。これができないと葛藤やジレンマに苦しむ
7、自分の行いは必ず帰ってくる
きちんと受け止めないでぶつかった時に、痛いと言って責任転嫁しようとしても事は進まない。
自分が受けたい言動をとればそのまま返ってくる。
8、物事は全て中立
「悪い出来事」「縁起の良い場所」なんてのは本当はなくて、全て中立な物事に自分が意味付けをしてるだけ。
たとえば同じ場に居合わせて災害にあったとしても、ある人はたまたま見舞われたと感じるし、ある人は自分の宗教の教えを遵守しなかったからと捉えるかもしれない。
ぐうの音もでない。
いろんな本を読んだり、テレビを見たり、人と話したりすれば
わりと納得できる考え方だなーと。
(というかこれがわからないとしんどい)
しかし、正しいということとそれが妥当であるということはまた別の問題だと思う。
でも、とりあえず
ということはほぼ間違いないと思う。
世界じゅうの人がみんな
この方法を身につければ
きっと生きやすい世界が目の前に広がると思う。
ちょっと想像してみよう。
(親、兄弟、親戚、同級生、上司、同僚、社会のしくみ、政府、日本、テロリスト、なんでも)が
もし、これらの特性を身につけたならと考えてみよう。
こりゃパラダイスだ!
ぼくたちはお互いがお互いを認められるような
真に寛容な社会を実現できる!
誰と遊んでいようが楽しい!
よーし!あの丘の上まで競争だ!
これらの方法に従うことで楽に生きられると思う。
でもそれは「従うことができれば」の話。
実際、どこの場でも目にする。
「人生論」でも、「大往生」でも、「論語」でも、「エセー」でも、「徒然草」でもなんでもいい
長く広く読まれている「人生の教え」的な本を読んでると
最後にはだいたい前の8つくらいに収まる
(代わりにどっかの社長の話を聞いてもいいし、テレビで美輪明宏さんの話を聞いてもいい)。
昔の人は偉いなあと思う。
そういう感じの本はいろいろ読んだ気がする。
もちろん、まだまだ読み足りない。
なにせぼくはまだ今年から活字に触れはじめたばっかりだ。
きっと死ぬまで読んでも読み足りないのだけど
個人的には、ぼくの考えを
そういう本が「間違っている」と指摘してくれることを期待して
今のところ、ぼくの考えを「否定してくれる」本は見つからない。
いや、正確に言うと、否定してくれはするけども
それが納得できないのだ。
ぼくの読解能力がないだけならそれでいいんだけど
もしヒマならちょっとぼくの考えを聞いてほしい。
まず1つめのウソ。
ぼくが言いたいのは
すべての人間がこれらの方法を実行するのは不可能だということだ。
古今東西のえらい人がみんな同じ結論にたどりつくなら
さっさとそれを実行すればいいのに
なんで同じ内容の本ばっかり書かれていくんだろう。
それが人間全体に広くみられる普遍的な問題だからじゃないかなあと思うけど
じゃあ、なんでその普遍的な問題が
大昔から今まで解決されないままなんだろう。
般若心経の新訳を読んだ。
ぼくらはなんで2000年も前の真理がいまだに実行できないの?
そりゃあれじゃないの?
大笑いしながら観ていた。
その中の一作で寅さんの「おいちゃん」が
実は若い頃は文学をやりたいと思っていたと話すシーンがある。
おいちゃんは父親にこう言われたらしい。
「団子屋に文学なんか必要ない」
団子屋が文字を読む必要がないなら、
本なんてまったく読まない人がいてもおかしくないんじゃないだろうか。
これは団子屋だけの問題か?
かなり多く存在してるんじゃないのか?
それでなんの不自由もなく生きていけたなら
感覚だけで生きていくことを恥じることもない。
それどころか、論理的なことをバカにさえするかもしれない。
難しいことはわからない。
バック・トゥ・ザ・フューチャーを何十回も観てるのに
なにがどうなっているのかいまだに理解できてない。
でもそれがどうした?
バック・トゥ・ザ・フューチャーの理屈がわからなくてもなんの不自由もない。
熱心な仏教徒や
わかりにくいな…。
その最初の救いを信じていたら
いつのまにか犯罪者の仲間入りをしていたことだってあるみたいだ
(オウム真理教の元信者のそういうエピソードを読んだことがある)。
「念仏を唱えれば救われる」って
そそのかされただけじゃないのか?
バック・トゥ・ザ・フューチャーがわからないお父ちゃん。
念仏を唱えるだけの百姓。
そういう人たちがいるかもしれないと思ったことは?
つまり、ぼくが言いたいのは
読めない人がいるかもしれないということだ。
読んだ人に待ち受けているのは
でも、読んでない人はどうすりゃいい?
で、その論理を理解できなかったら?ほったらかし?
そりゃあもう素晴らしいことになるとおもう。
でも、現実はそうじゃない。
何を語っていないかをもっとよく考えたほうがいい。
この人生訓がなぜいいのかということを
絶望的なまでに理解できない人がいる。
そういう人たちは人生訓が提示されるたびに足場が少なくなっていく。
要するに勉強ができない、感覚で生きている人たちをないがしろにしているのだ。
このたぐいの人生訓すべてが。
掛け算までしかわからない子どもに、方程式の素晴らしさを説いているようなもんだ。
上から目線で「こうしたらいいのに」と言ってしまってることになる。
いつまでも掛け算のところでつまづいて
文句ばっかり言ってる子どもはほったらかして先に授業を進めるべきなの?
掛け算のところに戻って教えなおしたほうがいいんじゃないの?
やっと言いたいことの一つが終わった。
冗長になりそうだけど
もうひとつ言いたいことがある。
更に絶望的な想定だ。
さて、こんな文句をどこかで見たことがあるだろうか。
(まちがってたら言ってください)。
なんかさぁ…
内容自体はそんなに変わらないのに
急にうっとうしくなった気がしない?
どこかで見たことあるなあ…
これどこで見たんやろう…
ああ、そうか
「これ、うちの経営理念やわ」っていう人いる?
その時どんな気分がした?
殺したくなった?
泣きたくなった?
正義づらした誰かに強制されるのだ。
それが「楽に生きる」とは真逆の事態を連れてくる。
この想定のたちの悪いところは
その大義名分が「間違ってない」というところだ。
誤解なら間違ってると指摘することはできるけど
ほぼ正しいと思う。楽に生きるためならね。
え?
間違ってないなら実行できない人が無能で怠惰なんだから仕方ないって?
wikipediaによると2009年の時点で日本のニート総数63万人
彼らがみんな死んでしまえばいいと思うの?
賢くて強い人だけ生き残ればいいと思ってるの?
ニートだけじゃない。実際働いている人でも
(実際これだけの説教レパートリーがあれば人格を破壊するには充分すぎるとおもう)。
(統計を出すつもりはないけど)。
1つめのウソで言及しているような
感覚で生きていて、なおかつこういう人生訓に苦しめられている代表選手は
2つめのウソで言及しているような
こういう人たちはまとめて死ぬべきなのか?
損する人のほうが多くないか?
そう考えたら、「人生を楽に生きる8つの方法」が最後の答えだと思えない。
この考え方を否定してもらいたくてそういう本を読んでいた。
でも納得できない。
これでは救いにならない。
でもいつまでも状況に進展がない。
だれか否定してくれよ。
「おまえ間違ってるよ!」って。
1つめのウソについては別の解決策が見当たらないし探そうともしてないけど
そして、その解決策をこの場で披露することを許していただきたい。
枠組みを作ろうと思う。
ほとんど働かなくてもいいような枠組み。
楽観的な言い方をすると、これは収益を生み出せるかもしれない。
そうして、口やかましい人たちを黙らせる
http://auauai.tumblr.com/post/9080858048
これはブログでも書いてるけど
やりたいことはphaさんのギークハウス構想に似てると思う。
優しくて閉鎖的な空間だ。
個人的にはなるべく一人でいたいんだけどそのためのコストが高い。
そういう人と連帯を組むことはしたくない。
じゃあ、ぼくが怖がらずに近づけるのは
そういう人たちととりあえずお互いを認め合う。
自信を少しずつ取り戻す。
まずはそこからだ。
誰だって生きていていいんだという相互理解をつくることだ。
心底、世の中に絶望していた。
どれも納得できなかった。
共感をもたらしてはくれたけど
やっぱり現実はしんどいままだった。
山の中に草庵でも建てて住もうと本気で思っていた
(いまでもその選択肢を考えてる)。
いくら本を読んでも
現在の恐怖と、わずか数年後の不安を解決してくれるものすらなかった。
でも最近考え方が変わった。
それもやはり本を読んで変わった
(次に挙げるだめ連の本とはまた違う本だ)。
だめ連の本によると
連帯すると分散される(当たり前か)。
家賃10万円の家を10人で借りたら一人1万円だ。そういうことだ。
近隣の人の援助もあったらしい。
それはちょっとできるかどうかわからない。
でもぼくらにはインターネットというツールがある。
レゴ作って2chにスレ立てるだけでプロビルダーになる人がいたり
自分の顔を毎日撮って繋げただけの動画がYoutubeで何万再生もされたり
「ありがとごじゃいます」って歌って動画として公開するだけでテレビに出演できたり
要するに「好き」とか「やってみた」とかの
ということは
そういうしょーもないアイディアが収益化する可能性があるのだ。
ちょっとでもおもしろそうなことはなんでもやってみりゃいいのだ。
社会不適合者が集まっているということだけでもちょっとおもしろいかもしれない。
誰が許さなくても本当は関係ないんだよね。
心苦しさを飛び越えるほどの、欲求があればぼくらは動ける。
外にある楽しいことに手を出すのは怖いしめんどくさいけど
ネトゲくらいならちょっとやってみようかなーなんて思える。
とりあえずヒマならその家に集まってみて
生きるのに向いてない人がリラックスできる場をつくる。
なんかちょっとやる気出たり、アイディアわいてきたら
そういう人たちの「好き」とか「アイディア」を片手間でネットに発信してみる
(ぼくもいくつかアイディアがある)
奇しくもこの考え方は
楽しいことだけを追い求めて生きていくことが可能かどうか確かめたいのだ。
しかし、生きるのに向いてない人がラクになれる場所
(SNSでの付き合いで世界のツラさを「ごまかす」だけじゃない場所だ)
これができるだけでも意味はあると思う。
もうだから早く家借りよう。
とりあえず、ツイッターかmixiかメールかなんでもいいから連絡をください。
http://twitter.com/yukkun1986/
http://mixi.jp/show_profile.pl?id=25533767&from=navi
breed0902@gmail.com
(悪いことをまったくやってないってことじゃないけど)。
たすけてくれよ。「私も怖かった」って言ってくれよ。
怖いよねー(*´・ω・`)(´・ω・`*)ネーって慰め合おうよ。
別に住まんでもいいのよ家には
慰めとか遊びとかアイディアの拠点にするねん。
もう疲れた。
もう待てない。
もう泣きたくない。
誰かが泣くのも見たくない。
きみは死ぬな。
それでも生きれるようにしたいのよ。
ぼくもきみも。
これがぼくらの「楽に生きるための一つの方法」じゃないかと思うんだ。
コメントに返事を書く!
なげーよ。
ごめんなさい。短くしようともしてませんでした。
短く的確に書ければいいなと思います。
書いていくだけでその練習になればいいななどと虫のいいことを思ってます。
誰も強制してないし、できない奴を馬鹿にしてもいない。自意識過剰/自分以下を眺めて満足したいだけでは?/「5. 自分がいなくても世界は回る」の「自分」は語り手を選ばないからこそ「楽」につながる
「なんで信じるのか?」の答えは「周りが信じているから」になると思う。
新興宗教ってその内部でコミュニティができてて、そこの中での価値基準が行動原理になってくる。
集金についても、そのコミュニティによって、だいたいどんなもんか相場があったりすると思う。
例が悪いけどお香典とかと同じかんじ。
このコミュニティが厄介で、
選民思考バリバリで、「正しい教えを知っている私たちが周囲の人を救わないといけない!!!」みたいなノリ。
意味の分からない言葉を熱心に唱えるのも、それに価値があると周りが思っているから。
じゃあなんでそんなコミュニティの中に入るかというと、
身内や地震に不幸があった時に、支えてくれたり助けてくれたりした人の影響というのが大きい。
具体的な奇跡や恩恵がなくても、そういう人の言うことを信用しちゃう。
中には折り込みチラシから〇〇さんの教えに感動して!!!みたいな人もいるかもしれないけど、多数派ではない。
結局のところ、入信についても、活動についても、人間の社会性というか、人と人との繋がりに引っ張られているんだと思います。
追記
Amazon.co.jp: 新編 新宗教と巨大建築 (ちくま学芸文庫): 五十嵐 太郎: 本
※追記しました http://anond.hatelabo.jp/20110703201811
ITバブル崩壊後に起業して、経営者歴がそろそろ10年になるので、酔っ払ったついでに書きなぐっておく。
恥ずかしながらオレにも、ポール・グレアムやスティーブ・ジョブズの言うことを真に受けて、「Aクラス」のやつらを雇おうと必死に頑張った時期があった。が、見事に失敗した。当然と言えば当然だが、「Aクラス」のやつにはほとんどの場合、多くの魅力的な就職先・転職先があるし、そもそも優秀なやつはどこの会社でもそれなりに尊重されることが多いので転職希望者がそもそも少ない。ので、よっぽど魅力的な事業でかつ経営者がとても魅力的な人間でない限り、「Aクラス」のやつを雇うに成功する確率は非常に低いし、偶然雇うことができてもまず長続きしない。
もっとも、雇うのに失敗すれば人材紹介料は取られないので、求人広告の費用と採用にかけた労力が無駄になるだけで、実のところ一番ダメージの大きい失敗は、「Aクラス」だと思って実際には「Bクラス」以下のやつを不相応な待遇で雇ってしまうこと。ベンチャー企業の経営者が「うちのエンジニアは天才だ」と言ってる場合の80%以上は、このケースに当てはまると思っていい。特に、自分自身の学歴があまりよくない経営者が高学歴のやつを過大評価することはよくあるので、両条件がそろった場合は95%まで見込みを上げてもいいと思う。
本来的には仕事のやり方や細かい成果をちゃんと見ていれば、すぐにメッキは剥げるのだけど、世の中のほとんどの人は自分には人を見る目があると思っているので、多くの場合は気がつくのに遅れて取り返しがつかなくなってから気がつくことが多い。ちょっと自慢させてもらえば、オレに経営者としてのセンスがあるとすれば、「オレには人を見る目があまりない」ということに結構早く気がついたことだと思う。まあ、そのときには既に社運のかかったプロジェクトが大炎上したあとだったんだけど。
じゃあベンチャー企業はどういう風に採用をやればうまくいくのか?というと、正直方式化するほどは経験がないのであまり自信がないのだが、実務能力的に「Bクラス」、そつなく振られた仕事はこなす能力はあるけどそれ以上ではないレベルで、かつマネージャー業務もそこそこできる人を、零細企業的にはかなりの高待遇(600万~)で雇う、というのがオレ自身の経験及びいろんな同業者の話を聞く限り良さそう。
キャッシュフロー的にリスクもあるしコストも重いんだけど、まずマネージャーを雇った企業は(キャッシュに困らない限り)うまくいってることが多いように見える。逆に、まず実務担当者(ヒラ社員)を揃えたベンチャーの失敗確率は体感的には8割を超えてる。経験したことのあるやつならリアルに分かるだろうけど、実務担当者から組織を固めていくのは、乾いた砂で泥団子をつくるのに似た感じで、どれだけ強く握ってもマジで全く固まらない。
マネージャーを先に雇うとうまくいく可能性が高いのは、採用を任せられるからだと思う。当然といえば当然なんだけど、プログラマの採用はプログラマにやらせた方がいいし、デザイナの採用はデザイナにやらせた方がうまくいく。ただこれをやると、ぶっちゃけ経営者による統制が効かなくなるし、エッジの効いたカルチャーをつくることは難しくなる。会社のカルチャーって、要するにどういう人は雇って、どういう人は雇わないのか、ってことだからね。
逆に、経営者が自分の専門じゃない職種の採用にイチイチ首を突っ込むやり方だと、特に専門外の職種の従業員の能力のバラツキが(特に下方に)多くなるが、社員のメンタリティは経営者の好みに揃えられるので、うまく(※)やればハードワークでモチベーションが高い従業員ばっかりにして、破竹の勢いで業績拡大できたりする。日本の成功しているベンチャー企業に多いし、構成員のIQを2周りほど強化するとシリコンバレーの急成長のベンチャーによくある感じになる。
※モチベーションの低い社員や不満分子は容赦なく退社に追い込み、新興宗教のごとき朝礼や表彰によるカルチャーの徹底を行い、そして何より実際に会社の業績が上がること
結局オレはここでいう前者のやり方(分権型)を選んだのだが、結果として、オレの会社では残業代は100%支給、というかそもそも残業するやつ皆無、有給消化率も8割超えという、ベンチャー企業としては本当に珍しいホワイトな会社になった。一応億単位の黒字になっているので、まあ悪くはないんだが、戦闘力の低い社員ばっかり(ただし専門の業務はそれなりにやってくれる)で、全責任がオレにのしかかっていて、マジきつい。マネージャー連中もルーチン業務は放っておいてもしっかり回してくれるのは素晴らしいんだが、不測の事態に本当に弱いし前例のないことはやれないし、マジで精神的にきついんですけど、、、
というところで愚痴終わり、以上。
私の両親は二人とも新興宗教を信じている。
父の家系は私の祖父の代から奈良県の某市に拠点を置く某宗教を信じていて、父の兄は祖父の跡を継ぎ、その土地の地区会長?みたいなものをしている。父の兄の子供たち(つまり私のいとこ)も、その宗教の学校に進学した。しかし、父はそこまで信仰心が厚いわけではなく、実家に帰省した際に“おつとめ”に参加するくらいで家では何もしなかったし、私に某宗教のあれこれを説くわけでもなかった。
私が怖いと思うのは、母だ。いや、正確には母が信じるものだ。
母の家系は私の祖母の代から、ネット上でもたびたび話題になる創のつく某宗教を厚く、暑く信心している。母は毎朝、仏壇に向かってお題目を読み上げ、地区ごとに開かれる会合に必ず参加し、選挙前には友人知人に電話をかけ、とある党への投票を薦めている。
そんな母の元で育った私は、小さいころからごくごく自然にその光景を目の当たりにし、母と同じようにそれらに参加していた。
母は私に、周りの友達がみんなが楽しみにしている神社のお祭りへの参加を禁じた。地元の神社へ初詣に行くのを嫌がった。“おそなえ物”を食べたい時は必ずお題目を読み上げさせた。
幼い私は「どうしてなんだろう」と思いつつも、素直に母の指示に従った。
母のことが心の底から大好きだったから。母が嫌がることはしたくなかった。
母が嬉しくなることは進んでしてあげたかった。
しかし、中学生になる頃から“母が信じるもの”の正体がよくわからず、だんだんと怖いと思うようになった。兄に自分が信じる宗教を拒絶された母は、以前にも増してその道へ私を引き込もうとした。
私が悩むたびに、壁にぶつかるたびに、不満を漏らすたびに、自分が信じるものの素晴らしさを語ってきた。
反抗期というのもあったと思うが、単純にその話をすると目の色が変わる母が怖くなり、反発し拒絶するようになった。
「私は宗教が嫌い。何かを信じるのは素晴らしいと思うけど、それにすがっていくのは嫌だ。お母さんが何を信じようがお母さんの自由だけど、私には強要しないで」
何度この言葉を繰り返しただろう。母親はあの手この手で宗教を勧めてきて、私はひらすらそれを拒否し続けた。そのやりとりは、私が家を出て遠い街で暮らし始めても続いた。つい1年ほど前まで稀に、しかし一度その話になると激しい言い合いになるほど繰り返された。
1年ほど前、同居人と住んでいる家にその宗教を信じる女性2人が、某新聞の購読を勧めにやってきた。普段は奥さんとして、母として親しまれているであろう女性たちになぜこの家を訪ねたのかを聞くと「あなたのお母さんに聞いて」と応えた。
その言葉を聞いた瞬間、大好きな母に拳を振り上げたいほどの苛立ちを覚えた。冷たい言葉で女性たちをあしらい、すぐさま母に電話をかけて荒々しい言葉をぶつけた。
「今の家にはまったく関係のない人も住んでいるのに、私に断りなく住所まで教えて!その人が対応したらどうするつもりだったの!もういい加減にして、私はお母さんの信じるものを信じるつもりは全くない!もう二度とこんなことしないで!」
それ以降、母は私に何も言わなくなった。
これまでの経緯をみると誤解されるかもしれないが、私は母も父も大好きだ。兄も含めとても仲のいい家族だと思うし、なんでも包み隠さず家族に話してきた。今までもこれからもこれからだって母は私の尊敬する人の一人だ。
友達を家に連れていった時にあの仏壇と毎朝お題目を読み上げる母の姿を見たらどう思うだろう。
将来、愛する人と連れ添った時に、母があの宗教を勧めたらどうすればいいのだろう。
そもそも、母の信じるものに不快感を覚えたらどうすればいいのだろう。
母が何を信じようが、別にかまわない。
詐欺にあっているわけでも、全財産をふんだくられているわけでもない。
母の人生だ。自由にすればいいと思う。
何度か面接授業に参加したが、牢名主的存在の古参が必ず誰かしらいるのが鬱陶しい。
土地柄かも知れないが新入生や余所者を歓迎しない排他的な雰囲気。
面接授業の二日間は卒業のための単位取得と完全に割りきって参加すべし。
例えば全日制大学で起こりうるような、友達や恋人ができるかもなんて出来事は絶対に期待しないほうが良い。
そもそもカルチャー教室感覚で通っている団塊以上の世代が圧倒的なんだから、期待するのがおかしい。
(余談だけど、面接授業であの新興宗教と思しき勧誘を堂々としてる奴がいたりする。)
自分は編入学で入学したのだが、以前在籍していた大学の専門科目は全て認定してもらった。
(入学要項では認定されないと記載されていたが、なぜか認定されていた)
このままおいておいても腐ってしまうので鮭の卵のように放流です
仮に1年間生きるのに必要な最低限のお金を家賃込み200万円、研究費50万円、学費50万円としよう。バイトの時給を1500円としても、300万円稼ぐには年2000時間、週40時間働かないといけない
@t もし病気もせず、家族も持たず、貯金も必要なければ、ね。
ただし希望はある。新興宗教を見ていれば解るけれど、とことんニッチな市場を追求すると、あなた一人が辛うじて食べられる程度の収益を上げられるだけのコンテンツを生産・販売することは、それほど困難なことではない。
「院生問題」が内部では永久に解決しないのは、意志決定権を握る教員にとって、院生が「競争相手」であるからだということを忘れちゃいけない。正義の味方を演じたいアホ教員たちは、「敵に塩」なんてバカなことは絶対にしない。必ず正義は勝たねばならないのだから。
最後に、これではあまりに夢がないので、「博士と就職」について、少しだけ書いておく。
「博士まで行って就職するのと、学士や修士で就職するのとどちらが良いか?」というのは、正直答えるのが難しい。職種や業種によってあまりに違うから。ただ、「どちらが易しいか」ならば、明らかに後者
私は幸運にもいくつかの企業から内定をいただけたけれど、国内企業はすべて書類落ち、外資でも1つの企業ではひたすら圧迫面接だった。いかに私がモラトリアムに浸かっているか、私の研究が無意味であるかを延々説かれる1時間×3セットは、鬱になりかけた。
もちろんその企業は落ちたが。
私を書類で落とした会社は全部潰れちゃえ。っていうか今後じっくり時間をかけてすべて潰す。
一言で言うと、私が内定を取れたのは、1. 頭の回転がとてもとても速いこと(いわゆる地頭) 2. 自分の研究をより一般的な体験として語れたこと 3. コンサル用の話し方へとがんばってアジャストしたこと これに尽きると思う。
結論から言うと、すべての博士学生がコンサルになれるとは思わないし、向いているとも思わない。私だって、実際は来年の4月になるまで解りはしない。だから、博士はコンサルを目指すべきとも、就職すべきとも思わない。
2. については、既に述べたので省略して、1.と3.について少しだけ書いておく。
一般に、採用担当者は大学や大学院での専門にはまったく興味がない。早い話がなんでも良い。
これから以降の話は、「外資コンサル」のみに該当することだから、注意。
彼らが興味を持つのは、1. 中高を含めた学校歴 2. 素早く的確な分析能力 3. 他の事例から解決策を持ってくる結合力(アイデア) 4. 人間的なおもしろさ の4つ。
1. については、博士は相当高くないとダメ。学部だけではなくて、中高もしっかり見ている。私について言えば、学校歴は問題なかったけど、文系であるが故にMcK社では「この人、数字の計算とか大丈夫なの?」という会話が裏でなされていたそうな。
2. については、「とにかく速く目星を立てて、それを検証する能力」が大事。研究だと、どれだけ時間をかけても網羅的であることが求められるけれど、面接ではそんなの求められない。速さと、常識的な範囲での網羅性。
3.は飛ばして、4.はすごく難しい。McK社には五大陸最高峰制覇最年少記録保持者とかもいたらしいけど、そういうのでなくても、「まったく違う人とでも、良い関係を築くことのできそうなイメージ」という感じ。
いろんな企業があるけれど、一般に博士の就職に対する風当たりは非常に厳しい。大学の中でもいろいろな妨害や誹謗を受けるし、外でも色物扱いされるのは避けられない。でも、それを乗り越えるだけの能力と精神力があれば、何とかなる。
先ほどの繰り返しになるけれど、私はすべての博士が就職できるとも、すべきだとも思わない。ただ、研究の道は一般に考えられている以上に厳しいこと、研究以外の人生もあって、まだ完全に道がふさがれている訳ではないということは、知っておいて欲しい。
多くの博士は自分の研究分野で素晴らしい業績を挙げ、自分には才能も努力もあると思っているのだろうし、それは間違いではないのだろうと思う。ただ、あなたの能力や知識、技能には、他の活かし方もあるのです。
日々の研究生活で視野狭窄に陥って、高いリスクを伴う研究の道しかないなんて思い込まないでください。また、自分を「外」へ開くことを恐れないでください。
被災時に必要なものは何か?時間が立つに連れ必要なものは変わってくる。筆者は岩手県で今回の地震に被災したが、時間や場所によって変わってくるが、自身の経験を元にここにしるす。防災用品の準備や、被災地に救援物資を検討している方は、参考にしていただければありがたい。
この文章は、被災二日目にiPadにて作成した。電気と回線が復旧しだい、どこかに上げるつもり。
インフラがとまるので、食料や衣料はもちろん、燃料や情報を得る手段も確保しておきたい。今回は電気がなくても暖をとれる反射式ストーブ、これはお湯もわかせる、ガスが止まっても使えるカセットコンロが非常に重宝している。
固定電話は回線が生きていても停電していれば、最近の多機能なヤツはつかえないので、結局ケータイに頼ることになる。公衆電話が最近中々ないので。予備の簡易充電器や電池、車載充電器、iPhone用FMトランスミッターが役に立った。
いざという時の移動手段やカーラジオやカーナビのTVでいざという時の情報取得手段になるので、車がある場合はガソリンも出来る限り入れておく。携行缶などで保存する場合は、安全な場所に保存する事。
災害時に一番役に立つメディアはラジオ、次にインターネットとなり、最後にTV、新聞となる。ラジオは用意しておいた方が良い。ネットで情報を得る場合はデマや不確定な情報に注意する事。TwitterやFacebookなどで自分から発信する場合も、不確定な情報は流さない事。ヤフー知恵袋や2chなどは極力使わない。
当たり前だが、一番の被災地から離れていてもインフラが止まれば、店はまともな営業が出来なくなるし、道路も寸断されたり、信号機が止まったり、緊急車両優先などで渋滞する。
水は断水していなければ、早いうちに水を貯めておくこと。飲料用はペットボトルやヤカンに。トイレなどの水は風呂に貯めておくこと。
注意したいのは、ロウソクやコンロ、反射式ストーブを使う場合は余震に十分注意すること。当たり前だが、常にラジオはつけておいて揺れたり緊急地震速報がきたらすぐに消すこと。
余談だが大都市圏に住む人以外は、メインバンクは地元の地銀か農協、郵便局、信用金庫にしておくといいかもしれない。窓口対応がスムーズになる。
地震に限らず、台風でも水辺に近づく人がいるが、こういう人が一番最初の被害者になる。絶対に危険な場所に近づいてはいけない。
当たり前だが、沿岸部では揺れたらすぐに逃げる。ビルの出来るかぎり高い階層か、高台に。
また、心配なのはわかるが特に災害のひどいところに行ってはならない。阪神大震災の時の様な野次馬は論外。自分が被災するだけでなく、救助活動の邪魔になるから。
不要不急の外出は極力避ける。道路の寸断や信号機の停止で思わぬ事故にあうリスクが高くなる。
電話は極力しない、出来れば連絡はメールやtwitter、Facebookや災害伝言板、ラジオの伝言メッセージなどを使う。やむおえない電話の場合も、極力通話は短くすること。
デマを流すのは論外だが、意図せずにデマを信じてしまってもいけない。チェーンメールは無視し、拡散RTは慎重に行うとこ。デマは最悪の場合は人命に関わる。
ロウソクや反射式ストーブを使う場合は、そばから離れる場合は火を消すこと。一瞬でもそばから離れる場合は絶対に火を消すこと。ロウソクは使わないに越した事はないが、使う場合は周りに燃えやすいものをおかない。
よく何かあれば、千羽鶴を折って送ったり、古着等を送る、自分の小説本を送る俳優などがいるが、これらは役に立たないばかりか、ゴミにしかならない上に、輸送力の無駄遣いとなり、迷惑となる。地獄への道を善意で舗装しないように。
命の危険がなくなり、食事もある程度とれる様になると、非常に退屈になる。死傷者が多数でた沿岸部の方々や、原発関連で不安な福島県の方々には大変申し訳ないが、1次的な被害が少かった内陸部にいる自分は、二日目にはもう暇である。TVラジオは災害関係しか流れておらず、ブロードバンドは不通、携帯電話も不安定な為、webも長い時間見る事が出来ない。気を紛らわす為にも、何か簡単な娯楽はあった方が良い。昼間は文庫本を読んで過ごしたが、いよいよ退屈になってきたので、この文章を書いている。
余談だが、そういう意味ではある意味テレビ東京のスタンスは正しいとも言える。今回は岩手にいるので、テレビ東京が何を放送をしているのかは知らないけど。
お菓子、ジュースは非常用の食料という意味もあるが、気を紛らわすという意味で娯楽に共通する。自分はタバコは吸わないが、喫煙する方はタバコも用意しておくと良い。ただし、不測の事態に対応する為、飲酒は避けた方が良い。
モバイル関係やカメラは記録撮影や録音に使える。ただ、間違っても現在進行で危険なもの、炎上中の建物は津波などを撮影してはいけない。そんなものを撮っている暇があったら逃げる事。
人工透析や酸素吸入、糖尿病などの慢性疾患、妊婦の方はかかりつけの医院がどうなっているのか確認しておく。かかりつけの医師が診察不能な場合は、保健所や近くの総合病院、自治体の窓口などに相談すること。
スーパーやガソリンスタンドはかなり混雑し行列となる。そういうところで並んでいるのを無視し割り込んだりすると無用なトラブルを引き起こす。実際、筆者が給油のためガソリンスタンドの行列にならんだところ、何台かが無理やり割り込んでいたが、割り込んだ車両は全部店員によってつまみ出されていた。
水の節約やトイレを我慢するために水を飲まないのは、血栓などのリスクをよぶので、水分はとること。
ある程度インフラが復旧してきても、交通や物流の回復は更に時間がかかる。食料や燃料などは無駄遣いしないこと。また、電気や通信などのインフラも安定的提供には時間がかかるので、無駄遣いしないこと。
「何かしたい」と思って、古着や千羽鶴や自作の小説を贈ったり、慌てて炊きだしボランティアに向かってはならない。邪魔になるだけだ。善意を形に変えたければ募金をするか献血をすれば良い。今回は災害の内容から献血はそれほど必要無さそうだが、募金は最も有効な支援である。ただし、募金をする場合は信用できる組織・団体を介して行うこと。間違っても駅前の街頭募金などに小銭を入れてはならない。善意を装った詐欺や悪質な新興宗教などが関わっている可能性があるからだ。せっかくの善意が被災者に届かない可能性がある。
特に注意しなければならないのは、国連やユニセフなどを騙った振り込め詐欺だ。国連やユニセフはあなたの個人の電話やメールアドレスに、募金を依頼することはない。絶対に相手にしないこと。
東海地方に住む母から、安否確認の連絡があった。お互い無事だったのだが、母は
「浜岡の原発も危ない」
など、確実に「無い」と言い切る事の出来ない噂にとても脅えていた。
そういった噂に脅える必要は無い事、それらを人に話してこれ以上拡大させない事、
被災地の方たちのために節電する事、避難場所の確認をしておく事、
とにかく普段どおり冷静に行動する事等々を伝え電話を切ったが、
果たしてこれで母の不安を取り除く事はできただろうか。
「災害」に対しては誰もが無力だ。
特に母のような足の不自由な老人は悲しいくらい無力だ。
あと5分で津波が来る、と言われてもきっと逃げられないだろう。
母はそれを良く知っていたから、不安になり、噂に脅えていたのだと思う。
病人は自分がその病気に対して無力である事を知っているから「不安」になり、
冷静な判断力を失ってしまう。
自分や健康な人ならば、一晩くらい飲まず食わずでも大丈夫だろう。
走って逃げる事もできるし、数十キロであれば歩く事もできる
しかし母や老人にはそれが出来ない。出来る自信が無い。
噂を拡散するような発言を攻撃するのは簡単だろう。
しかし噂に脅える人たちは、体力など個々の問題を抱えていて、
災害に対する「不安」を強く感じている人たちなのだ、ということを理解してほしい。
そしてもし「不安」な人たちを見かけたら、その不安を取り除いてあげてほしい。
避難所の場所や行政の仕組みなど、災害に対する備えの知識や正しい情報を教えてあげる事かもしれないし、
それを少しでも減らせるよう、考えて行動してほしい。
決して自分とやり方が違う他人や、不安な人々を攻撃するような真似はしないでほしい。
一応時代の淘汰をくぐってるからよ。
わりかしよかったものが残ってるわけ。
あと伝統が100年てのはさすがに舐めすぎだね。
町並みで言っても何百年。
日本の町並みは割りと歴史に敬意を払わない方だからヨーロッパなんかもっとすごい。
「死に対して何のセレモニーもしない」って人は少ない。
これは人間の自然な感情であって、そういうのの積み重ねが伝統だと思う。
たまにそういうのすら否定しよう無くしてしまおうと言う「革新」が現れて
ようするにカルトなんだけど、新興宗教だとか新思想の顔をとる。
一時期大きな顔をした左翼なんてのは「宗教は一切やめろー」なんつってたが
彼等の論拠は非常に浅はかな合理性だったわけ。
誰でも中学生の時に考える、「大人みんなが大事にしてるけどこれって無駄じゃん!」という思い付き。
「大多数が長年やってきたってことはどういうことだ?」と思い至るほどの慎重な思考や謙虚な見方もなくて、
かわりに「自分だけは凡人どもから飛翔したことを考えられるに違いない」といううかつな万能感だけがある。
彼等の隠し切れない自信過剰や自己愛、他人を見下したいという未熟な自意識が露出してるからでさ。
別に頭が良くもないのに自分は頭がいいと信じ込みたいって人が多い。
こういう人がよく考えずに広い相談もせずにものを壊しました、焼きました、殺しました、
っていうのがカルトの興亡にはよくある。
伝統は万能でも絶対でもないけど、とりあえず多くの人の間でセレクションを受けてるから
カシコイつもりの少数の傲慢バカの思い付きよりはベターであることがほとんど。
というかまあ
なんか伝統や保守を憎んでるような匂いがするもの、敬意が全く感じられないもの、
よく考えてないことが明らかだし、
人によっちゃただの個人的ルサンチマンを政治運動に仮託してたりする(これがいっぱいいる!)。
進取の心は勿論大事だけども
そらそうだろ。
所有する意味は自分以外の人間がそれを独占してしまう環境があって初めて認識されるんだから。
他に独占されてしまう状況になければ元から自分がそれを独占しているに等しいんだし、独占欲・所有欲は現れない。
インディアンの部族の話にしても、破壊することで他の人間には得られないものにしてしまうことで自分の占有を恒久的なものにしていると見ることができる。
生命活動は総じて欲求を基にしていて、それを満たすための活動であるという前提が頭から抜け落ちてるんじゃねーの?
そういう視点に立てば、無駄遣い、衝動買い、全て当然の行動であり、意味があるものと見ることができる。
それを経済活動と混同して認識するとお前のようなことを考え出す。