はてなキーワード: 悪態とは
1.加害妄想について
加害妄想とは、自分が相手に不利益を与えてしまう・しまったという妄想だ
言葉による暴力、振る舞いによる加害、自己臭や自己造形とうの不快なものを与えてしまうという迷惑
「こんなことをしたら嫌われてしまう」「こんなことをしてしまったから、きっと不愉快に思われている」
一種の自意識過剰だ
それと同時に、過剰なそれは対人恐怖をも招くことになるだろう
加害妄想を持つがゆえに、人に接する時の自我をとにかく綺麗にしようとするのだ
誠実で、正直で、優しく、思いやりがあり、等々
そして、自分の素の部分を隠して接していく
そうした人ばかりだから、表面上だけをなぞるような人間関係が氾濫する
3.加害妄想を持つ人の原因と結果について
では、そうした人達はどの様な形で人と関わる欲求を解消しているのだろうか
Twitterやmixi、ニコニコ動画や掲示板、モバゲーはてなといったSNS的なもののことだ
それと同時に、サービスから離れることで緊張化した人間関係を破棄することが可能だからである
この2つを利用し、時として自分を守り、時として対人接触欲求を満たすことが出来る
ここにおける問題は、「人間関係全てをネット上だけで賄えない」という事である
そして、目の前に相手が居るような直接的な人間関係において必要な対人スキルはネット上の人間関係では育まれない
なぜなら、ネット上では理想的に振る舞え、逃げる事が可能だからだ
そうした環境であれば、互いの主張や要求の対立が生じる事は少なく、生じても逃げることで回避する事が出来てしまう
相手に踏み込む経験の少なさによって、相手に踏み込む事への不安が発生する
その不安を正当化するために、「自分は相手を不快にさせてしまうから踏み込まない」という加害妄想が発生する
もちろん、実際に不快にさせてしまった=加害してしまった事はあったのかも知れない
しかし、そうした経験がなければそもそも相手との距離感の測り方は、対人スキルは育たないのだ
4.終わりに
ここは本筋とは関係ないが
名家に生まれた彼女は生まれつき大人に囲まれて過ごすことになる
それにより、幼い頃から礼を尽くす事を強いられ、他人に踏み込むという経験が欠如する
また同時に、名家ゆえの敵の多さから自分を守るために悪態を吐く事で距離を空ける行為を繰り返す
そうした自分を恥じて、「人と真っ当に関われるようになるまでは一人でいる」と実家を出て集合住宅で一人暮らしを始める
そこで、夏目残夏という人物に「人と真っ当に関れるようになるには、他人の中で傷ついたり傷つけたりする必要がある」と指摘される
http://synodos.livedoor.biz/archives/1877537.html
これは、思うように動いてくれない若者たちに対して「このままだとこんなひどいことになるぞ」と脅かしたり、
「やーいざまーみろ」と逆ギレの悪態をついて溜飲を下げたりする趣旨のものではない。
すでに現実として目の前にあらわれつつある動きを、少々露悪的に(もちろん「本書」のスタイルに倣ったものだ)
書き記しただけのことだ。
まず、エリート的な高機能ビジネスパーソンが国境越えて活動するのは当たり前で、
これを「(露)悪の未来」として論ずる筆者はなにかがおかしい。
防ごうとする意識の方が間違い。
彼らは国に頼らないし、活躍できる場があれば国を選ばない。
彼らに将来を任せれば、わたしたち40代の老後、少なくとも生きているあいだくらいは、
きっと安心していられる状況を保ってくれるにちがいない。
なにを根拠に「ちがいない」のか。
読んでいてなんだか切ない気持ちに襲われる。
国に頼らず「自分の能力を発揮する場」「高い報酬を獲得する場」のみを求めて国境をまたぐエリートが
どういう動機で狩場の原住民の老人の住み心地ケアなんてことに気を掛けるのか。
どうも中高年移民推進論者というのは
を何故か無視する。
(これは移民を「気に入らない日本の若者」のカウンターとして夢想するからで、
いきおい移民若者像は全てが理想的で自分に尽くしてくれる感心な若者として描かれる。)
実際は、せいぜい来日者が比較的貧しいうちは
年金を始めとした日本の高齢者向け社会福祉なんぞ来日者が維持推進する動機があろうか。
彼らにとって年金制度なんぞは「意味不明な控除で自分の手取りを減らすインチキみかじめ料」であり
それではさすがにイヤだという人もいるかもしれない。若者たちはいいとしても、
40代のなかには、あと40年以上生きる方もいるかもしれない。
もし長生きしてしまったらと考えると、現状を「幸福」と感じ、満足してしまっている若者たち、
スティーブ・ジョブズがいうところの「hungry」でも「foolish」でもない若者たちに、
どこの国の「hungry」で「foolish」な若者だったら
あなた達の老後の支えなんかを任されたいのですか
と問いたい。
具体的な答を返せたらたいしたもんだ。
老後の支えというのは
若者個人の才能や情熱やハングリー精神から産まれるものなんかではない。
社会の老後の支えは、よく練られた社会制度と、なにより社会全体の余裕から出てくる。
もう一つの足は構成員一人一人がその社会にコミットする気持ちだ。
日本はどっちも既に破壊したのだから、あとは一人一人が覚悟しましょうということ。
「頼り甲斐のあるニューカマー」なんぞを呼んだところで、
彼等傭兵は絶対に日本社会なんかにコミットをしない(当然で、薄情でもなんでもない)。
安易に助かる都合のいいボートはないのだ。
近々死ぬ人間を除き。
なにより
「見限ろう」もクソも、若者世代はとっくに見捨てられて長い。
「生意気なことを言ってるなら見限ってやるぞ!」なんて、意趣返しにも脅しにもなってねーのだ。
もらったことない仕送りの打ち切り通告で怯える人間が居ようか。
実際に筆者自身、もしくは筆者の世代が、
若者世代に具体的にどんな支援をどれだけしてきたか聞いてみたいもの。
恩着せがましく口にする「実りのないおせっかい」とは具体的になにをしたことだ?
せいぜいが、
「状況も見えてない無責任な若者論で説教していい気になる」ことを
なんとなく凄いことしてあげたみたいに記憶してるだけだろう。
この”暴論”すら結局はそういう匂いが濃厚に漂っている。
「若者を挑発してケンセツ的な議論を導いてあげた」とかなんとか。
「食えもしない”おせっかい”でお為ごかしの恩恵面されてもなあオジサン」
という「本書」の序文をきちんと読みながら
新春のお笑いのつもりだとしても若者から失笑しか買わないだろう。
「暴論」は状況が見えてないことの言い訳にはならない。
若者はこの筆者みたいにあてこすりで人を動かそうとか、なんかを乞うてるとか、そういうことをしてるわけではない。
何よりもう、仮に今から全速力でどのような若者向け政策を打ったって、今の20~30代世代には手遅れだ。
ライフステージにせよキャリアにせよ、取り返しが付かないことだらけだ。
もっと究極的な話をすると、
バブル世代以上中高年が下の世代に何かしてくださるつもりがあるなら、
団塊ジュニアのピークが繁殖期過ぎるまでには彼らの雇用をどうにかしとくべきだった。
あそこを無策に過ぎた時点で日本の人口ピラミッドが回復するチャンスは無くなった。
別にこの山口浩という人がそういう状況わかってたら当時何か出来てたとも思わないが、
ただ何もしてこなかったし何も出来ない人間が吠えんなよということ。
もし「いや違う、俺はやろうとすれば何かが出来る」ということなら、
今の若者世代よりざっと20年長く世に出ていながら何も出来ず今日の状況を招いて
あげく下の世代に恨み節をいうとは烏滸の沙汰だろうバブル世代。
無力を認めたほうが立場はマシ。
要するに、今後はもう全員覚悟するべき。
十年以内に死ぬ予定の人間以外は。
40代は敵に回る?
あんた達にはたいした嫌がらせなんか出来ないし、
なによりあんた達も確実に、絶対に、助からない。子供が居るなら子供もだ。
沈む船の中でまーだ「誰を脅せばいい目見られるかな」「誰を殴れば助かるのかな」
なんてことを考えてる暢気さはさすがのバブル世代の貫禄がある。
繰り返しになるが
「暴論」という体はこの山口浩さんがまるで状況をわかってないことについての言い訳にはならない。
この世代のオッサン達がするべきことは下の世代に喚き散らすことではなく
ネットで通勤電車内でのイライラや駅員への怒りが書き込まれると
「ラッシュ自体を解決する方向に考えるべき」というレスポンスがつくことがある。
いつもこれには全く同意している。
全面賛成はできないなあ。
「ラッシュ自体の解決」のためには、車両、運転手などの増設が必要不可欠。
そのために会社はコストを追加しなければならないが、そのコストはどこから捻出する?
企業努力もしてはくれるだろうが、最終的に巡り巡って消費者である我々に跳ね返ってくると思うんだが。
後、
単に妊婦が立っていればいいか、「すみませんが、席を譲ってもらえませんか?」と頼めばいいだけでは?
今話題の写真を晒した妊婦も、一言声かければ大抵譲ってくれるだろうに。
自分の体験だが、2年ほど前、就職活動で電車で移動中に具合が悪くなって、でも快速電車で後10分くらい駅には到着しなくて、立っているのがつらかったとき、優先席に座ってる人に「すみません、体調がすぐれないので代わってもらえませんか?」と頼んだら代わってくれた。
時間は午後5時頃、帰宅ラッシュの始まりかけで、車内は立っている乗客で割と詰まっているような状態で、自分は妊婦でも何でもない、スーツを着た24歳の男だったにもかかわらず。
と、ここまで書いて確認作業と言うことで2chのまとめサイト見たら、おおよそ自分の意見と同じこと書いてあった。
23 名前:名無しさん@涙目です。(橘神社)投稿日:2011/12/23(金) 16:51:05.17 ID:AsPSgarq0
席譲ってほしけりゃ声くらいかけろよ
73 名前:名無しさん@涙目です。(寒川神社)投稿日:2011/12/23(金) 16:53:51.22 ID:nsnwL4GXP
男が座っている→譲ってくれと頼む→悪態をつかれて譲ってくれない→盗撮して晒す
なら10000歩譲ってまだわかる
でも
出遅れという言葉じゃ済まないほど今更だけど、レイプエロゲー問題について考えた。
12歳前後の女子学童が通勤電車に乗っている。後をつけていた男が彼女の体に触り、彼女に性的いたずらを試みる。やっとのことで電車は停まり、恐れをなした彼女は公衆トイレに駆け込むも、追って来た襲撃者は彼女の腕を縛り、レイプする。襲撃者は彼女を監禁し、様々な状況下で彼女を何度もレイプする。彼女の母親と、10代の姉妹もまた同じ運命をたどる。この一家は以前、かつてこのレイピストが別の女性に対して性犯罪を図った件について、姉妹の姉が警察に通報したことにより、その報復としてレイプの標的とされたのである。
以上が、イリュージョン・ソフトウェアが開発したレイプ・シミュレーター・ゲーム「レイプレイ」のあらすじである。このゲームは日本で販売され、Amazonでも取り扱われている。
http://fragments.g.hatena.ne.jp/yuuboku/20090508/1241760087
まあ、酷い話だよなとは思う。
ただ、女性から無視・嫌悪されてきた男性たちへの慰めとして、こういった性差別的フィクションの存在は必要なのではないかとも思う。
と、なぜか彼女は信じて疑わなかったという。
体が大きく、早熟な彼が姉たちに手を出すことを心配した彼女は、まだ幼いケンパーの部屋を地下室に移した。
ケンパーはこのじめじめした牢獄のような、窓ひとつない場所におびえ、なんでもするから二階の子供部屋に戻して、と嘆願した。だがこれは聞き入れられなかった。
彼はこの地下室で悪夢にうなされ、暗い妄想にふけった。TVもラジオもなく、窓すらないこの部屋では外的刺激などまったくなく、彼は内なる妄想でみずからを慰めるよりほかなかったのだ。
彼の両親は彼がものごころついたときから、すでに不仲だった。母親は体格がいいだけでなく、ケンパーを産んだだけあって頭の回転が速く、とくに舌鋒の鋭さは無類であった。
そして真夜中、眠っている彼女をハンマーで殴り、ナイフで喉をかき切った。それから「もう二度と悪態がつけないよう」喉頭を切り取って、ディスポーザーで粉々にした。そして首を切断した。
首を失った体は、いつものようにもう「母」ではなく「女体」だったので躊躇なく犯した。首のほうはダーツの的にし、罵声を浴びせながらサンドバッグ状に殴った。
http://www8.ocn.ne.jp/~moonston/kemper.htm
こういった、被支配者が支配者を惨殺する復讐劇に私はカタルシスを得る。
特に、口が達者な親によって子が洗脳状態に置かれていたが、洗脳が解けた子が親を惨殺するストーリーが好きだ。
これは私的な体験から来ている願望なのであろうと思う。
対象から逃げるだけだった私は、理想の姿として復讐ストーリーを欲し、消費している。
今回Equality Nowが提示した問題点は、そのような「わいせつ」という概念に基づく物ではありませんでした。Equality Nowは、今回のエロゲ―を批判するときに、非難されるべき点として、次のような表現を使います。
これらにおいて問題となるのは、それが「わいせつ」であるかどうかではなく、それが「女性に対する暴力」を維持するようなものであるかどうかなのです。今回のようなレイプゲームが問題となったのは、それが性的なものであるからではなく、女性に対する差別を維持するものであるからなのです。
http://d.hatena.ne.jp/amamako/20090520/1242764989
子による親への復讐ストーリーを必要とする私のように、性差別ファンタジーを必要としている男性がいるのではないか。
女性たちに無視され、嫌悪され、排斥されてきた男性たちにとって、
女性たちを性差別し暴力を振るう理想的なストーリーは救いになるのではないか。
虐待していた親が改心し子に謝罪して、子がスムーズにそれを許し、全てが上手くいくようになる例が非常にまれなように、
女性から嫌悪されてきたある男性の前に女神のような女性があらわれ、その男性を無条件に愛し、
男性の内にあった女性への全ての屈折や憎悪が消えてなくなり上手くいくという例も非常にまれで、期待するだけ無駄な話だ。
被害者意識に苦しんでいる状態から一時的に救ってくれるのは、後ろ向きな復讐ストーリーだけかもしれない。
私は必要悪としてそういった性差別ファンタジーの存在を認めたい。
ただし性差別ファンタジーの消費者と関わりたいかといったら全く別の話で、当然、できるだけ関わりたくない。私は女神ではない。
元増田の文章、文法力が低すぎて時々意味が通じなくなるから意思疎通だけでも苦労しそうで
悪態つかれたら嫌だし、関わりたくないからコメントつけたいとは思わないし「読まなかったことにして」スルーしたくなる
それでも答えるのは文章の意味は支離滅裂でも「苦しい」という感情は伝わったから
幾ら苦しさを抱えていて、他人の気持ちを思いやる余裕が無くても
自分の思い通りに事が進まない度に相手の悪態をネット書き込んでたら「手助けしてくれる人が現れるどころか」
オフラインどころかネットの世界でも敬遠されますます孤独になるだけだよ
向かい合う余裕が無いときは、他人をあざ笑ったり、見下したり、突き放したり、奇麗事いってかわしたり、
、付き合いきれないというのが「普通」の人間です。それをしない人は「人間」じゃない。
皆、人間のそういう弱さをを少しずつ許しあって生きている
だけど理性より苦しさが上回って耐えられなくなって痛いことやらかす時も人生たまにはあるよね
数年ほど知り合い関係だったけど、正直つきあってられなくなって、この前、縁を切った。
どうやら、自分が世界で一番の人間だと思ってる。そういうふうにしか見えない。
とにかく、相手のことを見下しまくってる。
そして、自分が一番「トランスとして世の中に生きれる」人間としてふさわしいと思い込んでる。
困った相手を見かけたら、これぞと言わんばかりに追い込む。
お客さんである女装さんをバカにする発言をtwitterなどでしまくってる。
それでもって、自分が憂鬱になったりすると、かまってちゃんになるという。
正直やってられん。
ちなみに、ちんちんも(まだ)切ってないはず。
実際、縁を切ったのは私だけではなかった。
いつか、じぶんがやってきたことに対する「報い」が来ると思う。
メシウマではないけど、いいざまだと思う。
私も実際こいつにいろいろ(精神的に)やられたし。
ただ、一言だけ弁護すると。
彼…いや、彼女は昔…初めて会った時はこんなんじゃなかった。
何がここまで変えたのか。
それを自覚してなお見せびらかしてやろう、くらいの心構えの人間は見ていて微笑ましい。
でもこういうのはちょっと恥ずかしいのでやめていただきたい。
「草食系」というおばかワードについて、大まじめに議論する。これは恥ずかしい。
しかも、男の私から見たら、この「おばかワード」に意味を見出しているという時点で、女性だと思っていたから、
「父不在母が一生懸命育てた」「親思いの良い子」を「草食系」という言葉で父含む男性陣に悪態つかれるのが許せないと言っているのです。文句があるなら、子育て中に言えと
このような認識は本当に驚きだった。男が「草食系」なんて言葉を嬉々として使うわけねーだろ、と。
これは何も女性をバカにしているわけではない。(上記の女性がこの言葉を使ったということ自体はバカにしているが)
性別問題には、相手の性別への無知ゆえの変な表現が生まれることがある、ト言いたいのだ。
男性が「スイーツ」という言葉に侮蔑的な意味を見出すのに、女性にとってこのスイーツと言う言葉はニュートラルな言葉であるのと同じだ。
もっと言えば、アニメオタが、何かというと社会現象というのと同じ。一般人に取ったら大した意味はないのに大はしゃぎする、あの内輪の盛り上がり、みたいなね。
もともと、こういう「肉食とか草食」みたいなのは表現は内輪だけで使うものだ。男同士のY談。女同士のガールズトークの中でしか使われないような言葉なのだ、。
内輪でしか使われないからこそ面白いのだ。限られた仲間内で通じる奇抜な表現。ここだけの話、としての陰口のために洗練させた表現。
そういうものを使ったコミュニケーションはほんとうに楽しい。でもそれは、あくまで閉じた場所で行うから楽しいのだ。
それを男のいる場所で堂々という、女のいる場所で何も考えずにつかう、それが外に通じると思っている、という事自体がバカの証明である。
だから、twitter上で大まじめに「草食系」などという言葉を取り上げ、その意味を考えるという事自体、私から見たら手のつけようのないバカである。
このどうしようもないバカは、もちろん男女どちらにも発生しうるが、この「草食系」という言葉に関しては、女性だと思った、それだけの話だ。
ちなみに、さっきコメント書いた人間とおなじ人間ですけれども…
まあ、こういうのって要するに、
たぶん、上司は、いまだに、自分のやったことは正しいと思っていて翻えらないんだよね、ああいうのは。一朝一夕では。
未熟でわがままな人なのだろうし。
まったく、ぼくよりも、はるかにバカだったくせに、どの口がいうか、って感じだけど。
(本当に死ねとは思ってないけど)
ただ、まあ、世話をしてくれたところもあるし、迷惑をかけたことがないわけでもないので、
それは確かにそうなんだけれども、そこだけ過剰にとりあげられて、未熟だなんの、っていわれても、
ほんと、むかつくよね。
結局、こっちは元上司の発言に対して、
過呼吸やら頭痛やらで適応障害になるまで、我慢して、もうこれ以上はむりだわー
好きなものをその時々に応じて「価値がある」とか「美しい」とか「建設的だ」とか自分勝手に賞賛する
…いやごめん、それは憶測かもしれん。
でも高確率で人は好きなものを自分の周りに置こうとしたり、追い求めたりする。
わざわざ自分の嫌いな曲を集めて聴く人なんてまずいないし、
苦手な人と付き合うという人も…いるかもしれないけど苦痛だと感じているかもしれない。
(自分が何かを嫌うという「対象への嫌悪」それ自体を好む人はいると思うし、実際にいる)。
ネガティブな発言は人を不幸の方向に導く。
不幸せになりたい人なんてのはほとんどいなくて、みんな自分が幸せになりたくて必死だというのが現状だ。
金がほしいし、
恋人がほしいし、
仕事したくないし、
気ぃ遣うの疲れたし、
時間がほしいし、
休みたいし、
あのボケナスの脊髄ひっこぬいてフニャフニャにしたろかっておもうし、
あー遠いなー 幸せって。
だからまあ、どこの誰かも知らん人のネガティブ発言を聞いてるヒマなんかこれっぽっちもない。
ストレスばっかりたまっていく。
もうちょっと説得力のあるというか、全体の最大幸福のための話だと、
要するにネガティブな発言を吐いても、主体も客体もだれも幸せにならない。
(私はいいけど)他の人が迷惑するからやめろ、という感じで主語が大きくなる。
ネクラではない「明日が楽しみな人たち」は、自分が幸せだと周りも幸せになるということを知っている。
その逆の発想で自分の不幸を拡散すれば周りも不幸になってしまうじゃないかとかなり注意勧告される。
更に明日が楽しみじゃない人たちにとってもこの説はけっこう支持される。
糾弾されるのはネクラでネガティブ発言をやめられない人たちだけになってしまった。
(ベテランのネクラになると自分をネガティブな気持ちに落としこむことですら快感になったりする。
それでもネガティブな発言をする人はあとからあとからどんどん増えていく。
仕事場や学校でたまるストレスを愚痴として発散するのと似ている。
みんな人生という仕事場でたまったうっぷんをちょっとでもごまかしたくてネガティブ発言をする。
「イヤなら見るな」と言われてもムリだ。
あーじゃあ、そういうネクラな人の心理状態を鑑みて、慎重になってネガティブ発言は見逃してあげるべきなんだろうか?
友だちのグチを聞いてあげることは許して、ほかの人のグチは聞かないし許さないだなんて不公平なのかも?
そんな誰かが割を食うような解決方法はイヤだなあ。
ネクラな人だって「我慢してやってんねんぞ」みたいな態度を感じると気ぃ悪いわ。
できればwin-winの関係がいい。
もうちょい考えを深めてみよう。
論争が起こることのそもそもの疑問が二つある。
ネクラな人たちにとってこの世界は、悲しみとか怒りとか醜さとか無意味とか悪に溢れているように見える。
しかし、もっと冷静になって考えるとそれは世界の一側面でしかないことに気付く。
ネクラな人たちが見る世界と同じくらい、そこには楽しみとか喜びとか美くしさとか価値とか善がある。
実際、自分を劣悪な環境に置いていれば、どんどんネガティブになっていくけれど、
ちょっと笑える話を聞いたり、
お酒を飲んだり、
気の置けない友だちと話したり、
引越ししたり、
仕事をやめたりするだけで、なんかちょっと楽しくなる。
環境の改善する度合いが高ければ高いほど(つまり劣悪な環境から離れれば離れるほど)、
(世界が変わるのを期待して待っていても、その前に狂うか死んでしまうかもしれない、
もっと悲惨なのは、より悪い方に世界が変わっていくかもしれないということだ)。
ぼくの書いたことがもし正しいとすれば、ネガティブな発言を我慢するだけでない、もう一つの道が見えてくる。
世界のことをよく知っている人がいるならば、この世界はどうしようもないと思っている人に向かって
と教えてあげることである。
これがやはり根本的な解決となる。
できれば言葉で教えるだけでなく、一緒に楽しいことをするといい。
言葉による理論ではなく体験による感動で理解してもらうといいんじゃないかな。
人にはその避けがたい特性があるから、誰か忍耐強い人が世界の素晴らしさを説く前にケンカが起こってしまうのだ、
たぶんね。
しかし、だからといって個人的には「対象が嫌いだ」という感情を封殺してしまいたくはない。
人はなるべく朗らかに、全てを愛する博愛主義者のように生きたほうがいいんだろうか?
そんなせまっ苦しい考え方のために人が生きているとは思えないし思いたくない。
人はもっともっと多様な価値観や考え方を持っていいと思う。
ニューギニアの島では弔いの儀式として食人の文化があった気がする。
今はない?
かならずしも弔いのために用いられた儀式ではない?
それを野蛮で邪悪な悪習だと言えるのは現地人でない人だけである。
アフリカの牧畜民ヌアのコミュニティでは、不妊の妻にかわって姉妹が夫の子を生んだり、
またその逆や、あるいは夫が子を持つ前に死ぬと兄弟が亡兄の妻との間に子を作ることがある。
前者の場合は夫の子であり、後者の場合は弟の精子で宿った命でも、亡き兄の子どもということになる。
この社会でいう夫とは、彼らの生業手段である蓄牛を婚資として支払ったものだ。
日本では親子関係は血のつながりなんだけど、彼らは牛のつながりであって、
ぼくらは彼らをバカにする時、彼らはぼくらをバカにするのだ。
「血のつながりってwwwwwつながってるわけないやろwwwwww」
ある事象に価値があるとかないとかって判断してしまうのは多くの場合、
特定のコミュニティ内でしか成立しない狭い考え方による独断と偏見でしかないのかも。
あれ?ちょっとまてよ…。
ぼくさっき”個人的には「対象が嫌いだ」という感情は封殺してしまいたくない”と書いたよねえ?
んで、
今その理由を書いたよねえ。世界にはいろんな価値観を持った人がいて、
それを認め合っていいんじゃねーの?みたいな。
「みんなちがってみんないい」論法。
でもちょっとまって。
ネガティブな発言をする人は、世界を(あるいは自分を)嫌悪している。
バーロー「あれれー?どっちの人たちも{きらい}って感情は同じだねー。」
そうなのだ。
ネガティブな発言というのはポジティブな感情ではない。絶望とか嫌悪感の表出なのである。
ネガティブ発言を許せないという人は「○○が嫌いだと、人が言うことは嫌いだ」と言っている。
これはなんともバカバカしい話だ。
自分の嫌いは認められても、他人の嫌いは認められないと言っているのだから。
ぼくは個人的にはみんなちがってみんないいと思ってるんやけど、
その前提が成り立つことを許してもらえるなら、
「自分の嫌いを認めるなら、他人の嫌いも認めていいんじゃないか?」
ってことになる。
そうじゃないと「ネガティブ発言やめろ!」と言うたびに自分のクビを絞めてることになる。
ブーメランが飛んですぐに返ってきてる。「あんたがやめろよ…」と。
このバカバカしさは「ネガティブ発言をするな」という注意喚起のけっこうな抑止力になるかもしれない。
わーい!ぼくらは誰のことを嫌いと言ってもいいんだぞー!
○○のバカヤロー!!必死に走って間に合わずに目の前で電車のドアが閉まってしまえー!!!
というわけで
これでみんなハッピー?かな?
間違ってるかなあこれ?
2つ目は若干強引な感じもするから、もっといい方法あったら教えてほしいな~◎
ここまで読んでくれてありがとうございました。
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追記
現段階で寄せられたコメントにできる限り返答していきたいと思います。
どうしても批判のほうに目がいってしまって精神的にキツいです。
お前が一番ネガティブなんじゃね?って誰か突っ込んであげるべきだと思うの
ぼくはたぶんネガティブなんだと思います。ポジティブそうに見える書き方になっていますが、
ネガティブさを排斥しようとする状況が見るに耐えられないのです。
せめて「死にたい」ぐらいは言わせてほしいのです。ほんとに死なないために。
そういう人がたくさんいると思うんです。たぶん。
殺したくないんです。
ごめんなさい。生きててすいません。
生きてるんじゃなくてまだ死んでないだけのような気がしています。
ぼくはあなたのような人と共に生きたい。許しあいたい。強い人が怖い。
よかったらぼくのブログを読んでください。
http://d.hatena.ne.jp/yukkun1986/
新人の頃、意識的なマイナス思考が仕事には重要だと教わった。物事のいい面よりも隠れた危険性を常に考えろという「かもしれない運転」的なやり方
建設的なマイナス思考ですか。たしかにそれはいいのかもしれないですね。
未来という不確定性を検証するための思考はプラス・マイナス関わりなく可能性の一つとして考える余地があるのかもしれない。
ぼくはなんの役にも立たない(かもしれない)マイナス思考も封殺したくない。
あとでよむ
お願いします。
そうだね~、「いけない」ていう義務的じゃなくって、「いいたくないなぁ」ってね、うん。
誰も傷つけたくないのですが、それよりも自分が傷つくことのほうが怖かったりします。
これに関して自分は結論がまだない
ぼくもたくさんの意見をいただいて、
これで終わりにすべきではないと思いました。
そうなんです。相手の気持ちを考えることができれば、ぼくらは少しは寄り添えると思います。
問題は、双方にその余裕があるのかということです。
個人的にはぼくたちはもうちょっと相手を褒めたり、甘やかしてもいいんじゃないかと思います。
もうこれ以上人が病んでいくのは、堕ちていくのは耐えられない。
結論は俺も同じ考え。
現状が少しでもラクになればいいんです。
死ねばラクになれる、みんながもっと優しくなってもきっとラクになれる。
ぼくはどうせなら後者のほうがいい。
わーい。ネガティブ発言してもいいんだー(違)
ぼくはそれを咎めません。咎められません。
でも彼らを嫌いになれないのです。
ぼくがもうちょっと社会的に弱い立場だったら、
その立場を利用して言い返すこともできたのに、だなんて
【一番いけないのは、お腹が空いていることと、一人でいること】という話。
どこかで泣いている人がいたら、笑わせるんじゃなくて
バーローww
ちょっと悪ノリが過ぎたかも知れません。
でもあなたが喜んでくれるなら、それはよかった。
注意喚起くらいなら別にいいよ。強制力もないし、カウンターできるし。ポジであれネガであれ、みんなで同じ方向向いてるのが一番キモい
カウンターできません。
ぼくが正しいとか間違ってないなどとは思えないのです。
ちきりんさんが最近おすすめしていた「若者殺しの時代」という本の中では
バブル経済のことを「国中上げて間違ったことはやってないだろうと思っていたのだ。」と表現していました。
ぼくが合ってるとも思えませんが、じゃあ世の中の望むべく方向が合っているのかと考えると、
ポジティブ思考のイケイケで日本は負けただろwww / 「文句言う前に努力しろ」の一言で様々なデモが潰れちゃってるんだよね、それ一番言われてるから。
ぼくはネガティブで、基本的にネクラだと思います(たまにはポジティブにもなりますが)。
「文句言う前に努力しろ」の一言でいったい何人が死んでいるのだろうと思うと、ほんとうに恐ろしい。
暗い人は四六時中年中無休で暗いわけではなく、暗いことを言う確率が高いのでは。明るい人も同様。10回会って7回暗かったら70%の暗い人確率/キャラってやつなのかしら
そうだと思います。
ネガティブな発言が少しでもその人の気を紛らわせることができているのなら、
それでまだ死なないでいてくれるなら、死んでしまうよりははるかにマシだと思います。
ネガティブな発言をしている人間はネガティブ志向と解釈してしまう時点で説得力が無い。ネガティブな事をいう奴は人生を面白がっている奴も多い。ポジティブバカのように人生を楽しもうとはしてないかもしれないが。
これはたしかにそうだと思います。ネガティブ発言を風刺漫画のようにコメディに昇華する人はいると思います
(その喩えが適切かどうかはわかりません)。
読みにくいけど、今抱えてる問題意識に近かったので読んだ/かくして、「そんなネガティブ発言してると、世間からうざいやつだと思われちゃうよ」という太宰メソッドで注意勧告する羽目になって自己嫌悪するわけよ。
人間失格にある
(それは世間が、ゆるさない)
(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)
(世間じゃない。あなたでしょう?)
自己嫌悪するしかないほど逃げ場がありません。もう首を絞めつくしました。
ぼくはそれをどうにかしたい。
何かを貶める発言をするなら逆の考えの人達から反感を買うくらいは覚悟してないとそれは甘え。反感を買ってでもする意義があると思う発言だけすればいい。
甘えたいです。ごめんなさい。
ほんとは人をイヤな気持ちにさせたくないです。ごめんなさい。
自分にウソをついて「大丈夫です」と言う度に、自分が嫌いになっていく。
皆でネガティブ言い合って皆でそれを嫌い合う。それが公平なのかも。どちらかが我慢するのはどうかな?/寛容さは大切だと思うけど。。
例えば、学校でデブな同級生に向かって「やーいデブ」と悪態をついて、
ひるんだり、へこんだりせずに「デブで悪かったな!」と言い返せることが対等で良い関係を作るのかもしれません。
乙武さんはそういうことをやっているので、みんなが彼のように強くなれればいいなと思いますが、現実はそうはいかないですね。
メンタルの弱い人に救済を。
あなたは素晴らしい人だと思います。あなたのような人が救いになるんじゃないかと思います。
出家するべき
今も思っています。
「ネガティブ発言を許せないという人は「○○が嫌いだと、人が言うことは嫌いだ」と言っている。これはなんともバカバカしい話だ。」…「フジテレビが嫌いだと、人が言うことは嫌いだ」と言っている人は多いね。
誰のこともあまり嫌いになれない(苦手な人はいます)ので、嫌いだと言ってる人に遭遇すると混乱してしまいます。
長期的な幸せを望みます。それと同時に短期的な不幸・死の連鎖を止めたい。
それらが同時にこなせたらどんなにいいだろうか。
何が間違っているのかぜひ教えていただきたい。
前にポジティブシンキングだかの企業が倒産したような。見えてる世界で綺麗醜いを言うことはプラスマイナスはないのかな。それをどう思って聞くか言うかでかわるのかな。
解釈の違いで人の反応は変わるかもしれません。
そういう人たちは怖いですが、ぼくには彼らを叱りつける権利がない。
しかし、気に入らないという思いが誰かを殺しているのかもしれないならば、
ぼくはこのケンカをやめさせたい。
ぼくもそう思います。
もし、将来ネガティブにならざるを得ない状況がひっくり返ったとしたら(つまり誰もが「明日が楽しみな人」になったら)、
根本的な解決になるかもしれませんが、その分ネガティブ発言への風当たりの厳しさは増すだろうと憶測します。
だから、やっぱり「それでいい」ということにしたい。
ぼくはもっともっと慎重になりたい。
間違ったことをしたくない。だから、
どういう論理展開したらそんな推論が出るんだ。
40歳男性と20代女性の夫婦見ただけで「金だ!」「人身売買だ!」と確信し
その確信を悪態とともに公に吐き散らしちゃう不思議思考回路について
「幸せじゃないおばさんが幸せそうな夫婦に嫉妬してるのかしら」
っていうのはそれを無理に理解しようとする推論の一例でしょ。
あなたがなんだかよくわからない理由で異常に『不幸なおばさんの嫉妬』にひっかかって感情的になるならば
別に「過去に不潔なキムチを食って脳に有鉤条虫がわいてるのかしら」でもいいわけだ。
「宇宙人にさらわれて頭に手術を受けてしまったのかしら」でもいいし。
(俺に言わせれば「〇〇〇〇を理解しようと思うだけ無駄」でオシマイだけど)
それで気が済むならどうぞどうぞ。
でも自分がなんで嫉妬って言葉にそんなに感情的になるのか一人で自問しておくのもいいと思うよ。
俺はその理由にも興味ないし分析する気も無い。
俺の職場は山の上の方にある。
車で通勤している俺がいつも使っている道は車一台通るのがやっとというほど狭く、山の斜面に沿って作られた道なのにガードレールが無い場所も多くて、気を付けないと大事故になりかねない。
他の道がないわけではないが、このルートが一番時間がかからないのだ。
その日は家を出るのが遅れ、いつもより急いでいた。
幹線道路を抜けて上記の山道の入り口にたどり着いた時点で8時20分。いつもより5分以上遅い計算で、遅刻を避けるためにはもう時間のロスは許されない。
対向車がないことを祈りながら、狭く、勾配もきついその道を登っていたが、こんな時に限って対向車に出会ってしまう。しかも業務用のトラック。これだけの大きさの車が相手だとすれ違うことのできるポイントは少なく、ここからだとかなり後ろに下がらなければならない。
「でかい車でこんな道を通るんじゃねえ!」
悪態を突きながらも渋々バックする俺。気持ち的には一秒だって惜しいのに。
ガードレールがなくて崖際まで寄れるようになっている場所まで下がって対向車がをやり過ごし、お礼のクラクションにも返事をせず、すぐにいつもより強くアクセルを踏み込む。
職場までの残り距離を自己ベストのタイムで走り抜ける気だったが、しかしその気持ちとは逆に、車は猛烈な勢いで後ろ向きに動き出した。
元々崖際で停まっていた車は、ブレーキを踏み暇もなく崖を転がり落ちる。
回転しながら落下する車内に鳴り響く警告音。ああ、これはバックギアに入れたときに鳴る音だ。どうやらギアをドライブに入れ直すのを忘れていたみたいだ。普段はこんな失敗しないのに、時間がなくて焦っていたんだなぁ。これからは時間に余裕を持って運転しよう。
こうして、俺は短い一生を終えた。
出産や生理痛の痛みを、男は何にたとえて想像してみるか。そういう話を時々見かけるが、実は女同士でもこの痛みの差はある。多分、まったくケロッとしている人もいるし、文字通り動けなくなる人もいると思う。そして動けなくなる理由も様々だろう。元気だけど出血がすさまじいので結局家から出られないとか、気を失ったように横になっていないとだめだとか。
男の書いた鬱々悶々とした文章や小説を読むと、はあ、なにいってんだかなあ、と思う時がある。ライフハックネタに飛びつく男をみると、馬鹿だなあ、と思うときがある。
毎月死んでいる人間から言わせれば、男の頭の中だけで考えた諸々って本当にくだらないと思う。女に対する決めつけや怒りや嫉妬も全部程度がしれている。
パソコンの前にいる若い男は特にそうだ。女に向かって清潔か淫売の妄想だけふくらまして、どの次元の女に対しても悪態をついて喜んでいる。
だいたい本人の利害かナルシシズムで説明が出来た。
「女がわりー」は本人や友人がスーフリ方向なサークルをやってたと考えれば要するにただの自己弁護だし
「時代かー」はナルシシズムそのものだ。
つるんでる友人と集団自己陶酔とか
程度の差を考えなければいたって普通の若者、若者のお約束ともいえる。
違いはそういうディテールぐらいで)
一方
ひたすら目に付く人間、特に女について、常に敵意を剥き出して難癖つけているだけ。
ここには、ネットで問題起こす若者にありがちな「私達とそれ以外」的な感性が、ありそうでない。
女への基準不明なほど広範な敵意や悪口は、狭い友人の輪の中ですら株が上がりそうな感じがしない。
オシャレゴリラのツイッターは、それが彼の友人や後輩にどのように愛されて楽しまれたか容易に想像がつくが
アディダス社員のツイッターやミクシィにはそういうのすらない。
大学の同学年の女、若きイケメンスポーツ選手の妻、スーパーで見かけるおばさん達、
攻撃対象の選定が「女」以外に共通点不明。
ラインナップを見るに嫉妬とか対抗心と言った簡単な説明も出来そうにない。
果ては自分の帰属先の一つである”勤め先”にも無用かつ理由も無い悪態をついてる。
オシャレゴリラやトンコツ王子ほどわかりやすい精神構造や利害を持たない
もう少し破滅的なピチガイだった気がする。
まあそんな差異なんかほぼ誰も興味ないだろうし
ここに墓碑として駄文をうずめておきたい。
言う事を聞きつつ、正論を言ったら干されるのでぐっと堪え、
取引先のタヌキにも頭を下げつつも、さらに新人に陰口をたたかれ、
でも妻に奉仕しなきゃまた喧嘩になったり発言小町に書かれるから
安い発泡酒で我慢して、それで寝る。
起きたらまたギュウギュウの電車に揺られ、
今朝の電車で触れた女子高生の匂いを反芻する。牛のごとく何度も。
そんなこんなで稼いだ金がどこに消えるかと言うと、
ケツにぶちこんでやろうかと思ったりするんだけど、
そんな勇気はもちろんの事、クビになっても転職して成功するスキルなどがないので、
昼休みにモニタの前で、「たまごや」の弁当のおかずのすき焼きを味わい、
わずかな幸せをかみしめる。そんな日々。
「きみは資本主義奴隷だね」と言われたとしても、「はい」としか
答えることが出来ないわけで。
未来人は続けて、
「歴史の教科書で読んだんだけどさ、20世紀後半から21世紀半ばにかけて、
画期的だったんだってね。いや、むしろサラリーマンが勝ち組とか
ギュウギュウの乗り物に押し込められても文句を言わせない
と言ったとしても、私はハイとしか答える事ができないわけであって。
朝の電車で女子高生と合法的に密着できることです!と真面目な顔をして
主張したいんだけど、主張しても捕まりそうなので、言えない。
あとはオフィスグリコで「パキッツ」をゲットしたときだったり、
朝の電車の女子高生との密着だったりってのが、奴隷の私の一番の幸せだったりする。
レフェリーはあなたではなく観衆です。twitterに限らずネットの議論などただの同意獲得ゲームにすぎないのだから。
もし正しいほうが勝てるゲームだと思ってるなら「お前の中ではそうなんだろう」の言葉を贈ろう。
論理的には圧倒的に分があるにも関わらず、たぬきの人のみならずtikuwa_ore も非常に残念。
正しいことが明白である時に、それでも話が通じないとつい相手に悪態をついてしまうのは論理力がある(と思っている)人によくあること。
あなたが正しいと思うからこそ「けばけばしいカラー」「@つきのタイトル」込みで苦言を呈しておく。
現実の会話ではここは心のなかのつぶやきになるのだろうが、twitterではこの部分がダダ漏れになっているため、
「なんだ、tikuwa_oreも結局理性的に話せないのか。どっちもどっちだな」という評価になる。
自分が正しいと思っているなら、それが相手に認められなくてもゆとりのある態度を「twitter上では」取るべきではないだろうか。
私にはあなたが途中から自分の正しさに酔って、相手をやっつけることに集中し、相手の言い分を無条件で却下する断罪者になってるように見えた。
周囲に人がいない状況ならつぶやくのもいいだろう。
今のブームは「うしおととら。」
学校で孤立している少年にうしおのお父さんが、「理不尽」について話していた。
ひねくれて周りに対して背を背けていたから。
でも、周りを見ると、中学生で周りから勝手に、妖怪退治の宿命を背負わされたうしおがいて、
そもそも世の中には、そして誰しも「理不尽」なことがたくさんあると言った。
それに対して、背を背けるばっかりでいいのか。と話す。
生きていく中で、どうしても「理不尽」に見舞われたり、目の当たりにすることがある。
それに対して、その人がどう思うか、どう対処するか、どう事前処置をしておくか、
そういうのは、その人の人間性をみる上で、重要なタームだと思える。
・例えば、自分が起こしたこと、やりかたによっては防げたことに「理不尽」って免罪符を貼りつけ、悲観したり、自暴自棄になること。
・真の意味でどうにもできない理不尽にただもやもやする。いい意味の諦観がもてないこと。
・なんとかできる理不尽を、放置して、世の中に悪態ばかり付く人。
・理不尽が、自分で解決できる類かできない類か他人の協力を得ればできる類か判断しようとしない人とか。
アクシデントが起きたときにその人の本質が見える。と聞いたことがあるが、
誰も見に来るはずもないブログを延々と更新するのにはちゃんと意味があった。
そのブログを始める更に1年程前、僕はある人と知り合った。
その人は僕には無いものをたくさん持っていたけれど、いつも僕を小馬鹿にして、でも僕は何も言えずただ心の中で悪態をつくだけだった。
けれどある日彼の言葉に相当に苛立ってしまって思わずちょっと口答えをしてしまった。
彼は僕の事を明らかに下に見ていたから、その時の僕の言葉に一瞬ひるんだけれど、何せ弁が立つ人だったから結局あっという間に言い負かされてしまった。
その上お前なんて生きる価値も無い、仕方なく友達のフリをしてやっていた、こちらはむしろ被害者だ、なんて事まで言われてしまった。
悔しくて悔しくてどうしようもなくて、帰ってからひとつブログを開設することにした。
その中では僕は僕じゃない全然別の人になる。華やかで人生の全てを祝福されているような男性になることにした。
そして僕のほうが彼よりずっと秀でているのだと遠まわしに書き続けてみた。
そうしたらすっきりするのだ。夜もちゃんと眠れるし、彼に言われたひどい言葉も許せるような気さえした。
僕はブログの中で、彼に似たその人物を不幸にすることにした。もちろん全部でっち上げだ。会社でこんなミスをして怒られたらしい、とか、奥さんが浮気したらしい、とか、大怪我をしたらしい、とか。
藁人形みたいだなぁなんて思って改めて自分の根暗さに苦笑いしたけれど、こんなストレス発散方法を見つけたらやめられるわけがなかった。
あの口喧嘩以来、今日までずっと彼と音信不通になっていたのだけれど、本当にふとした偶然から彼のブログを見つけてしまった。
やめておけばいいのに、僕は全部それを読んだ。かなり昔から書いていたらしく読み終わるのに5時間もかかってしまった。
過去から順に読み進めて、さっき全て読みきったのだけれど、変な汗が止まらない。
もちろん100%じゃない、起こってない事もある、でも起こっている事の方が圧倒的に多い。
僕がこんなにも冷や汗をかいている一番大きな理由は、彼の奥さんが死んだと書いてあったからだ。自殺だと書いてあった。そして僕は遡ること約半年前に、妄想ブログでそれを書いていた。僕のブログは本当に藁人形だったんだ。
手が汗ばんで気持ち悪い。それから今気づいたのだけれど、僕はどうやらずっと笑っているらしい。心臓がものすごく早く打っていて、これが怖さのせいか喜びのせいかよくわからない。