はてなキーワード: スランプとは
http://d.hatena.ne.jp/Lobotomy/20120121/p1
むちゃくちゃ同意。
人の笑いや泣きがどれだけ簡単に操作できるかについては
http://www.nicovideo.jp/watch/sm8905211 でも見れば一発で分る。
世の中って、感動屋の方が人を動かすことが多いのだよね。
というか、本当に
・「嘘だとかって言う前に感情が動くほうが人生充実してない?」
・より多く感動した方が素晴らしい人生を送っているというのが正しいとすれば、我々の大半の人生はオウム真理教の信者よりもつまらないことになってしまう
こういう人多い。
で、こういう人が多く集まって、それが正しいのだって空気が形成された空間、プチ社会は本当に息苦しい。
私にはこれが形を変えた体育会系とか吉本喜劇のクソヒエラルキーのように、脳が酸素欠乏になればなるほど偉いみたいなドMの集団にしか見えない。
はてなは、そういうのが苦手な人が多いと思う。他人に笑顔を強いられるくらいなら自虐することを選ぶくらいそういうのが嫌いな人が多いと思う。
上の記事のような、ユーモアやアイロニーでこういう空気に冷水を浴びせる記事が人気になりやすい。
多くの人が批判記事を書いて抵抗の意思を示す。
ハイテンションな人がちょっと本気をだせば、あっという間に2500ブクマ越えを達成してしまう。
ゲーセン少女など可愛く思える、病弱な少女を酷使して死に至らしめておいて、泣けばすべて許されるという初期ケータイ小説的な道徳を描いた虐待推奨小説が300万部のベストセラーになることを止めることはできない。
ハイテンションな人の熱狂には結局勝てないのだ。
その理不尽な現実はますますはてな民を苛立たせるが、早いところ受け入れざるを得ないのも事実だろう。
頭が冷えているときは、「人と人って簡単に分かり合えないよね、というか絶対に分かり合えないよね、みんな一人で生きて一人で死んでいくんだよね」ということと向き合わざるをえない。
そういうのは人気がでない。人気が出ないと言うか、あまりオススメしない。
特に今みたいに、支えとなるものが金くらいしかなかったのに金すらもない状態で、そういう訓練したことがないのにいきなり一人で向きあうのはむしろ危険だとすら思う。
ある程度みんなそれがわかってるから、すごくつまらないことでも共有して盛り上がってハイテンションにはしゃぐ。
とにかく泣く、怒る、やばいやばいと黄色い声で絶叫する。そうやってうすっぺらい経験を少しでも濃いものとして錯覚しようとする。
自殺しないで生きていくためにはこういう必死の努力が必要なんだろう。
そういうことを考えると彼らは彼らなりに生きるのに精一杯なのであって、愚か者といって批判するのもなんか違う気がする。
命がけではしゃぎまわり、群れようとする彼らには勝てない。
でも負けを認める必要もない。負けを認めて、彼らのルールに適応しようとして頑張ってモテ系の記事を読んでも、どうせ一度冷めた熱は上がらない。
日本人のうち9割はドMなんだ、でも僕はMじゃないんだ、体育会系ではないんだ、とはっきりとカミングアウトする勇気が必要。
意識して別路線を選ばないと、その自覚を持ってないと、生きるのが苦しくなる。
そんなことより今週のハンターハンターがめちゃくちゃおもしろくて生きるのが辛い
うわーそうきたかー。 蟻編とはなんだったのか、どころか、24巻あたりの伏線がこんなところで生きてくるとは。富樫神すぎるだろ。
追記
だから、私はその上下とか高低ってのがいやだから、横に広げようとしてるわけよ。ヨコのものをむりやり縦に考えないといけない病気でないならそこは理解してください。
H×H単行本はシリーズ累計5500万部でていてケータイ小説のトリプルミリオンなんか鼻で笑えるくらいハイテンションな人御用達コンテンツと思うけど。あたなが横と思ってるものこそ縦かもしれんぜ
系のツッコミありがとう。それについては一つ目のトラバの返信に書いてあるから読んでね♪
ハンターハンターを好きなオレは縦社会から抜けだしたヨコの人間だと主張するつもりもないし、どんなマイナーな作品が好きだろうが、それはただのマイナー好きです。
あと、文中でも述べているように、ハイテンションな人たちを批判するつもりは全くないんですよ。それどころか彼らの気持はよくわかるつもり。
私が言いたいのは、「ただそこしか居場所がない」という考えから抜け出したい、ということなんですね。
必要ならみんなで盛り上がっていい。 何かをきっかけにして、人とつながりあう感覚は時々必要になります。キャッキャウフフな人たちを批判するつもりなど毛頭ない。
分かりやすいように話をぐっと傾けると、「・・・してたら楽しかった!」が逆転して盛り上がることやつるむこと自体が目的化され、常態化されるような状態は嫌だってことです。
これずっとやってると感情が薄まるんですよね。良い方向でも悪い方向でも自分の頭が麻痺してくる。
形的的を追い求め過ぎて、外からみるとリア充だけど中身は・・・って経験は誰にでもあるでしょう?
・・・と、ココらへんまで話を傾ければ誰にでもわかってもらえるとは思うんだけれど、私がいいたいのはそこまで傾けない状態のことです。
ここまで極端な話をシなくても、もうちょっと手前の微妙なところで、しんどいって言うくらいはいいじゃない、と思うんですがどうでしょう。
単純に言えば、あんまり周りに振り回されずに、好きでないものや、必要でないもの、必要でないタイミングにはNoという。
その代わりに好きなものやここだというタイミングではワッと楽しみたいです。感情を濃くしたい。そんだけ。
追記2
反応が帰ってくるのは予定していたとおりだけれど、内容は予想以上。我ながらナイスアシストができたと胸を貼りたい気分。
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20120124/1327388248
彼がまともな記事を書くと、普段の彼とバッティングするというのが非常に味わい深い。
私はこれからも岩崎さんの綺麗な面を際立たせるような、彼がまともな記事をかけるような問題提起をしてきたいと思います。
今回は、直接作品について、しかも悪口の形で触れてしまったのである意味反則です。
そうではなく、岩崎さんの正義の心を激しく揺さぶるようなテーマを提供していきたい。
最近岩崎さんはスランプらしく、自分で考えて記事を書くことができないみたいなので、みんなもアシストして行きましょう。
あと非常に悲しい誤解があります。
またぼくの悪口がはてなに書かれていた。
私は岩崎さん個人は大好きですよ。
1月だったのは確かだけど、第3週じゃなかったっけ。
私は10年前にセンター試験を受けた。英語の試験にリスニングは無かった。
8割以上得点でき、国立大学に現役合格できた。4年で卒業して就職して今に至る。
こうして書いてみると、就職まではレールの上を走るように順調にやってきた。
高校の先生はまずそんなことは言わないけれど、
社会に出ると(いや正確には学生時代も)、「浪人経験のある人はメンタルが強い」と言う人がよくいる。
浪人して大学に入るということは、若いうちに失敗して、乗り越えたということだから、と。
私が現役だと知っていてそれを言うということは、
「現役合格で苦労知らずのお前はちょっとメンタル不安だよね」という意味だと理解していた。
私は、ずっと腑に落ちなかった。失敗を回避する能力、努力よりも、失敗することの方がそんなに良いことなのか?と。
両親は、私は受験勉強中スランプに陥るたびに、「浪人してもいいんだから、リラックスしなさい」と励ましてくれたけれど、
本当は浪人させるほどのお金なんてなかったはずだ。やっとの思いで大学を卒業させてくれたし、私も奨学金を借りた。
高校生の頃にもそれを分かっていたから、何が何でも現役で合格するつもりだった。
あの努力、プレッシャー、親に余計な負担をかけさせたくないという気持ちが全部無になって、苦労をしらない人間になってしまうの?
若い頃に失敗する方がいいの?親のお金を使ってする、失敗体験が?
そりゃあ、社会に出て会社に損失を与えるような失敗をするよりはマシかもしれない。
なら尚更、いずれ失敗の許されない世界に出て行くために、失敗しないことを考える人間である方が良いのではないか、と。
お察しの通り、私はそういう下らないことで嫌味を言われる程度の人間で、また下らないことに頭を悩ませる程度の人間だった。
まさか毎日そんなことを考えていたわけではないけれど、最近やっと気づいた。
確かに私は、18、19歳で失敗を経験し乗り越えられる人間ではなかったな、と。
大学受験で不合格になるという、今思えば何でもないと思えるようなことでも、きっと乗り越えられなかったと思う。
という風に。
そう思うと、すっと楽になって、
「私はあの時は確かに弱かった。けど、今は違う。」と、堂々と言えるだろうと思った。
そして、もうそんなことを言われないくらいには、ちゃんと社会人をやっていると思う。
今日の試験がうまくいった人もそうじゃない人も、道は長いから、明日ものんびり頑張ってください。
おわり。
hukeという初音ミクさんをパクったブラック★ロックシューターの作者が今度はダンボーをパクる
http://hamusoku.com/archives/6130168.html
上の記事にイライラっとしたので、思いの丈をぶつける
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<基礎知識?>
下の短縮URLは Wikipediaにおける「ブラックロックシューター」についての記事へのリンク
>元々はhukeが2007年12月26日にpixivや自身のブログにおいて発表していたキャラクターイラスト。
>注目を集めるきっかけとなったのはsupercellのryoがこのキャラクターに着想を受けて
>音声合成ソフト「初音ミク」を用いて曲を作り、hukeが映像を付けて2008年6月13日に
>『初音ミクがオリジナルを歌ってくれたよ「ブラック★ロックシューター」』として
以下は、ASCII.jpのブラックロックシューターについてのhuke氏へのインタビュー記事
『スランプに悩む自分を変えた「ブラック★ロックシューター」』(2009年8月28日)
http://ascii.jp/elem/000/000/449/449394/
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<思いの丈>
そもそも初音ミクというキャラクター自体、強いストーリー性や性格付け等の
設定を持っているわけではない。
つまり一部の人々に「初音ミクのパクリ」と判断されるキャラクターが
存在するとすれば、その殆どは、初音ミクの外見的特徴との類似点を持っているに
過ぎないのではないか。
確かに、ブラックロックシューターは初音ミクに類似する点(と言っても髪型とスレンダー体型くらい)を
幾つか持っているように見える。ブラックロックシューターの発表が初音ミクの登場より時期的に
後であることから、ブラックロックシューターが「ミクのパクリ」と揶揄されるのもある程度は仕方ない。
しかし、ブラックロックシューターの持つキャラクターイメージは、ミクのそれと類似しているとは
考えにくい。それは、ミクではなくブラックロックシューター自体をメインに据えた
オリジナルのゲーム・アニメが作成され商業展開されていることからも伺える。
ブラックロックシューターに端を発するhuke氏は、確かに初音ミクの存在に大きく支えられた
部分もあるが、それだけに頼って現在の人気を得たとは言いがたい。
最近、複数の2chまとめブログ(ハム速・カナ速など)にて、「アンチhuke」的な
記事がまとめられている。huke氏のファン達の一部は、このようなアンチhuke的記事に対して
「huke氏の人気への嫉妬の表れ」という評価を下すことも少なくないようだ。
寧ろ、ハム速などのまとめブログの運営者達は、huke氏の人気を認めているに違いない。
ここ数ヶ月で、huke氏がキャラクターデザインを担当したシュタインズゲートの人気拡大に伴って
hukeファン数は大きく数を伸ばしたと推測する。
シュタインズゲート熱も醒めやらぬ今において、アンチhuke記事を公開すれば
このような発想が、最近の2chまとめブログ管理人達の間で共有され
どうなのかしら
じゃあ煽ってみるか~みたいな
// 追記
個人的にhuke氏とブラックロックシューターが好きなんだよね
初音ミクっていう存在を(結果的に)取り込んで人気を広げた上に
初音ミクという設定に縛られない作品展開を見せてるのはクールだなって思う
あと、ブラックロックシューターを観る時はいつだってミクさんの幻影がチラつくけど
なんかそういうのも含めてブラックロックシューターだなって感じ
完全パクリでも完全オリジナルでもない空気。なにこれよくわかんない
ハム速みたいな大手まとめブログがネガティブ方向に煽り立てることで
もっとブラックロックシューターみたいな、フワフワした存在を産み出して行って欲しい
今勉強の方がスランプ状態で塾をサボってゲーセンとか行ったりふらふらしていたら
34歳くらいに見えたおじさんが話しかけてきた。
最初はこうだった。「あのう、ちょっと待ってる人が来なくて代わりに来てもらえませんか?」
私は興味本位で付いて行った。そうしたら物陰に呼ばれて、「ちょっと、ここででもどこでもいいんでしてもらえませんか?」
みたいに言われたので私は風俗の勧誘かと思って、でもちょっと暇つぶしに良いか、(ここで恐怖感は全くなかった、逆に少しわくわくしていた)と思い
「ええと、相手はどこにいるんですか?」と聞いた。私はどこかの部屋に連れてかれて、オナニーを眺める仕事してお金がもらえるものだと思っていた。
そうしたらまじめそうなおじさんなのに「いや相手は僕です」と言ってきた。
そこで私は少しびっくりした。でもまぁ良いかと思い案内されるがままにでも、「どこがいいですか?」と向こうは聞いてきた。
「ネカフェでいいですかね?」と言うのでまぁ良いかと思い、二人で入った。ネカフェは初めて私は入ったのだが、暗くてソファが一つ、パソコンが2台
置いてあった。非常に狭い空間だ。
そこに二人は入り、座ってたらおじさんが手を伸ばしてきて私の腰のあたりに触れた。
そこでフェラチオとかするわけだが、初なのでうまくできず、ネットの動画のプロのを見ながらやった。
そうしたらおじさんは気持ちよさそうにしていた。私もしゃぶってるうちに「私が舐めてるのか、おじさんのおちんぽ、じゅるじゅる」みたいにエロく
感じていたのでかなり濡れてきた。おじさんのおちんちんは勃っていた。最初は縮んでいたのに。
まぁさわりあって囁かれてすごいうまくて気持ちよくなって最後はおじさんが出したのを飲んだ。
私はまだ処女だったからすべて初めての体験だった。しかし私は実はエロいのでそれが前面に出たとおもう。
ディープキスもした。ぬるぬるするだけで気持ちよくないけど、唇は柔らかかった。
事が終って帰り際、「また会えませんか?」という。金をくれる気配はない、これじゃなんか損したんだか気持ちよくなって得したんだかわからない。
僕が言っているのは、単なる「リアリティ」の話じゃない。設定を細かくしろと言っている訳じゃない。先に言ったように、キャラクターバランスの説得力の話をしている。
一度あげたドラゴンボール(Z以前)を例にとる。ドラゴンボールにおいて、孫悟空は常に導き手に従い、それを克服して、次々取り替えながら成長している。ブルマ→亀仙人→カリン様→神様という具合。悟空は常にロールモデルを持ちながらそれを乗り越えることが「成長」になっている。特に亀仙人はとてもいい加減な性格をしながらも、拳法に関してはとんでもないパワーを発揮したり、非常識な修行を課すことで悟空(およびクリリン)の師匠としての役割を、長期にわたって果たしている。だから、それを悟空が克服してしまうことが、大きな成長を示すひとつの根拠になっている。
ここで悟空の立ち位置になるのが、チルドレン+皆本。で、ちょっと複雑だけど、チルドレンたちにとっては、皆本が成長するべきロールモデルを果たしている。彼女らは皆本を目標に過ごしていけば、成長することができる。ところが、肝心の皆本にロールモデルが無い。だから、彼が優等生みたいな台詞をはいても、モブの学級委員長みたいな薄っぺらさしかないのよ。
じゃあ、なんでここで「バベル」なのか。それは、彼らのアイデンティティだから。彼らはバベルに所属することで物語世界で一定の役割を果たしている。彼ら、特に皆本にとって成長していくことが可能な場所は、バベルしかない(チドルレンたちには、学校があるし、今後のパンドラとの関係もある)。もし彼がバベル以外で成長できるなら、さっさと彼をバベルから外せば良い。それすら拒否をするのであれば、皆本を最初から成長しきった老人として描くしかない。だからこそ、バベルをもっと厚みのある形で書いてくれないと、なぜ彼がバベルにいるのか(いようとするのか)、バベルでどういう成長を遂げるのかが見えないのよ。
という感じで、成長譚として描くなら、本来なら皆本に導き手が必要なはずだけど、それがないにも関わらず、完全無欠なキャラクターとして描かれている(特に精神面)のが気持ち悪いんだよ。一度スランプに陥らせるのが、物語の良いきっかけになると思うんだけどな。
2:8の法則の意味はよく言われるように、「物事の重要な8割は全体の2割の中に凝縮されている」という経験則だ。
ここから転じて、ライフハック本などでは「重要な2割を押さえて、8割をモノにしよう」というテクニックやアドバイスなどが紹介されている。
一見、素晴らしい法則のように見えるが、裏を返すと「些細な残り2割をモノにするためには、全体の8割を押さえなければならない」ということだ。
これは、完璧や頂上を目指す者にとって大きな壁となって立ちはだかる。
いわゆるスランプもこれで、説明できる。
標高1000mの山に登ろうとした時の速度で考えてみよう。
2:8の原則がなかった場合、1000mを等速度で移動するから、変化はなし。このときの移動速度を100とする。
2:8の原則に従うと、最初の800mは通常の4倍の速さ(400)で移動できる。しかし、残り200mの地点まで着た途端、今度は逆に通常の1/4倍速(25)になってしまう。
体感速度は400から25へと、1/16になるのである。
颯爽と流れていた風景が、いきなり1/16で流れ始めるのである。
試しに自分の持っている音楽や動画を1/16で再生してみるといい(そもそも、1/16で再生できるプレイヤーなんてあるのか?)
これが、スランプの正体だ。
「努力しているのに、結果に表れない」とは「今までと同じ速度で走っているのに、風景が全然変わらない」ということだ。
普通の人と一流になる人の違いは、この1/16の風景に最後まで耐えられるか否かである。
普通の人は諦めてしまう。
「800mは過ぎたし、もう十分頑張った。これ以上やってもコストパフォーマンスが悪いだけ」
一流になる人は諦めない。
「この先に必ず頂上がある。ゆっくりでも確実に進んでいる。今は耐える時だ」
誤解しないでほしいのは、決して一般の人が悪いと言っているわけではないということ。
プロ野球の選手の多くは、僅かな粘性を持った流体中の球体の振舞いを表す微分方程式を解くことはできないだろうが、バッターラインから打たれたボールを確実に取ることはできるだろうし、物理学科の大学教授はその逆だろう。
すべての人があらゆる事の専門家になることは不可能だし、それが自然の姿だ。
それだけの覚悟が必要ということだ。
巷で溢れる「絵がうまくなるために必要なこと」。実物を見ろとか、とにかく描けとか、そういうのを見てるとなんか違う、なんか欠けてると思うようになった。
なぜだろう。そういうのを見ても、ちっともうまくなる気がしないんだよ。
知恵袋や2ちゃんねるではこの手の言説が普通にまかり通っているし、実際グーグル先生で「絵 上達法」を検索する人達はそういう結論に達する。
あぁ、とにかく描くしかないんだな・・と
欠けているものってなんだろう。
多分それは、「好きになることの大切さ」なんだ。
絵がうまくなる人ってどんな人だと思う?
ものすごい気迫があって、執念があって、汗をだらだら流しながら、苦しみながら描いてる人だと思う?
違うんだよ。絵がうまくなれる人間っていうのは、絵を描くことが好きになれる人間なんだ。
なんだよ、って思うかもしれない。
それなら絵の上達法でも結構指摘されることじゃん、と。あたりまえのことじゃん、と。
でも、上で挙げた冷たい「上達法」の中には、そういうのが全く入ってこない。
そして、絵を描くことが好きになる、という上達法は、テクニック的なものというよりは単なる「気の持ち方」程度にしか考えられていない気がする。
そうじゃない、そうじゃないんだ。
絵を描くことが好きになるっていうのは、絵を描こうとする上で最も重要で根底にあることなんだよ。
それをテクニックと切り離してたいして重要でないもののように扱うからおかしなことになる。
絵が下手な人っていうのは世の中にたくさんいるけど、その中のほとんどは「絵を描くのが好きになれない人」だと俺は思ってるんだ。
絵を描くのが好きな人って自然に上達するっていうのは、良く言われることだし実際子ども時代とかに身の回りに結構いたと思うんだよね。
そういう当たり前のように見えることが、実は一番根本で大事なことなんだけど、どうも軽く考えられてる。
絵が好きになることがどうして絵がうまくなるために何より重要なのかといえば、それはこう考えてみると分かる。
好きなることで生産性が向上するのは、単純作業ではない仕事の場合だ。絵を描くことは単純作業か?と考えると、そうではない。
絵を描くのって、たとえば構図を考えるとなると頭の中で色々考えないといけないし、調子が出ない時は描けなかったりする。
マンガ家にスランプっていう状態があるのが何よりの証拠。単純労働にスランプはない。
絵を描くのが好きになれば自然と上達しますよ、って言う人達って、じゃあその方法は?っていうと答えられない。
描いてれば好きになるんじゃない?とか、なんか曖昧になってしまう。
多分それは、絵を描くのが好きになるっていうことが「感情」に根差したもので、テクニックと違ってかっちりしたものではないからだろうと思う。
じゃあ本題。
絵がうまくなるために必要なたった一つのこと。それは、絵が好きになること。
絵が好きになるために必要なこと。それは、「模写すること」
おいおい結局巷の言説と同じになっちゃったじゃないかって突っ込みはもっとも。
でも、巷の言説っていうのは、模写に妙に慎重になってる。
好きなマンガ家さんの絵を模写していると癖がついちゃって危険です♪とか、写真の模写をすると立体が把握出来ないのでいけないと思います♪みたいな。
そうじゃないんだよ!!
絵が好きになるために必要なことは模写、しかしその模写は「自信をつけるために」必要なことなんだ。
模写って、つまりは手っ取り早く「上手い絵を描く方法」でしょ?
たとえば好きな萌え絵を模写すれば、その人がその絵を描くために苦労した時間よりもはるかに早く、上手い絵を描けちゃう。
これってすごいこと。でも、世の中の頭でっかちな人々はそれを、パクリだの著作権法がどうだのつっまんねー話でたたきつぶそうとする。
自信がつくなら、パクリだろうが模写だろうが何だろうが、そんなことは全然どうでもいいの。
要は、描いた絵が「上手だね!」って言われる経験が大事なんだよ。
これは、子どもの絵を考えてみると分かる。子どもの絵ってめちゃくちゃ下手だけど、親や先生は褒める。よくできたねー、じょうずだねーって。お世辞でも関係ない。子どもにはお世辞は理解できないから。
実は絵が上手い人って、このフィードバックを何度も何度も経験してる人だと思うんだ。そのおかげで、上手くなれた。
絵が好きになれたのは、自分の絵を褒められるという経験によって自信がついたから。自信がつけば、もっと描きたくなる。もっと褒めてもらいたくなる。結果、絵は上達する。
とにかく、絵が上手くなりたいと思ったら模写してピクシブに絵をアップロードするんだ!
うまい模写なら、必ずだれか10点つけてくれるはず。そんなこと、絵の下手で自信のない君に今まであったか?いつも0、または5点とか中途半端につけられてたんじゃないか?
とにかく模写しようよ!
模写ってね、難しいようで実はものすごく簡単。
脳の右側で描けって本があるっしょ。あんな分厚い本をすみずみまで読む必要なんて全然ないけど、エッセンスだけは理解しといたほうがいいよ。
エッセンスとは、「ものを良く見れば模写って結構簡単に出来るよ」ってこと。あ、模写じゃなくてデッサンなんだけどまぁどっちでもいいやそこらへんは。
よーーーーーーく見ること。目と言えば何かしら想像するけど、そういう記号化されたものじゃなくて、ちゃんと今見てる写真なり絵なりの目にあたる部分を観察すること。これが大事。
模写がどうしても嫌だってんなら、トレースでもいいかもしれないね。
でも、トレースはそんなに長くやるようなことじゃないと思う。レベルとしては、絵なんてもう全く全然描けないって人が、「俺でもこんな絵が描けるんだ!」って最初の自信を持つ段階に必要なものかな。
そのあとは模写のほうがいいと思うよ。模写だと、トレースよりもずっと「俺がこの絵を描いてるんだぞ」って感覚を得られるから。これで自信つけようぜ。
さぁ、絵が下手で絵を描くことが嫌いだけど絵は上手くなりたいと思ってるみんな、模写しよう。そして絵を描くことが好きになろう。
え、模写が上手く出来るようになって自信もついて絵を描くのが好きになれたら次はどうすればいいかって?そんなのは好きになった後に適当に考えればいいんだよ!
ttp://005.shanbara.jp/sports/html/mao/
・キムヨナがフリーで3回も使う2Aの基礎点が突如3.3→3.5点にUP。加点をつける基準が
難しい3回転と同じなので、簡単な2Aの前後には工夫ができあっさり毎度3L以上の点に
・3Lzと3Fの踏みわけが厳格化され、真央が1試合3回使う得点源であり
3回転で一番基礎点の高い技3Lzが不正扱いで使う度平均2,3点も減点
修正しない限り組み込めなくなる
・真央の甘かったシットスピンの認定基準も厳格化。しかし真央即座に対応し深いシットスピンに
・実はキムヨナも3回転で2番目に基礎点の高い3Fの不正があった。
ところが何故かキムヨナの不正3Fだけは見逃され続け驚異の加点
3 NLVFjk54ZI (09/10/27 11:03)
・その直後、来シーズンから今度は回転不足の厳格化を発表
更に3Lz跳べないでる浅田に、浅田の得意な3回転半を除いた
・予想通り真央の3Aと3L、安藤の3L、特に二人ともセカンド3Lが怖いぐらい全く認められなくなる
・ところがキムヨナの得意なセカンド3Tだけは決して回転不足にならず
初戦のアメリカ戦で3Fがまた見逃される。しかしVTRではっきり3Fの不正が映ってしまい、
2戦目からエラーではない「!」の注意がつくも、
・真央が3Sを克服しLzもなんとか矯正してくる。対照的にキムヨナは3Lが跳べなる
真央が文句のつけようのない演技をしてGPF優勝
するといつの間にか5種類ボーナスの話しが立ち消えに
4 NLVFjk54ZI (09/10/27 11:03)
・五輪シーズン、8月に韓国でルール改正決定。真央の最大の得意技3Fも、
蹴る足がつま先ではなくブレード全部で蹴ってるからと減点に。
ジャパンオープンで矯正しても不正扱いされ浅田の最後の砦3Fも減点、
しかもいじっていびつになり質が悪化、ついでに3Tも減点ジャッジが登場
CGのコンテストの作品を見たことがあるのだけど、優秀作品でもあまり感動しない。
自分は絵を書けるわけでもなく3Dを作れるわけでもなく、芸術すらあまりよくわかっていない。
それでも3Dの映像を見てもどこか感動できないのです。
なんとなくすごいことは分かるし、たぶん高度な技術やテクニックを使って作ったのでしょう。
でも感想は「それで?」とか「だから?」なのだ。
それでCG作品のそこに何が足りないのかを、真剣に考えてみたことがあります。
山下さんは作曲をするときにスランプに落ちて曲が書けなくなるということは無いのだそうだ。
なぜなら、音はいつも自分の中で鳴っているから。
作曲とはその自分の中で鳴っている音に近づける作業だそうです。
流石、山下達郎は深いことを言うなと感心しました。
確かスピッツも似たようなことを言っていました。
似たような感じの曲が多いことに対して、スピッツのボーカルの人が言っていました。
「まったく違う曲を作ろうと思えば作れるけど、それは僕たちの音楽じゃないから」
それがどうCG作品に関係するかというと、そのCG作品は本当に心の音かということ。
エディタの機能で作られたその不恰好なキャラクターは本当に、作ろうとイメージしたものの投影だろうか。
作者の作りたい物を、高度なツールで偶然出来た物に置き換えてないか。
優秀な画家や音楽家は既にあるイメージを表現する技術を磨いた。
そこに心の音が無ければいかに優れたツールを使っても人を感動させない。
パソコンの前に座る。メモ帳を開く。思いつかない。何か書かなければ。何も思いつかない。
とりあえずポータルサイトでも見てみる。ほう、楽天がCS進出か。そういえばニコ生見ようと思っていたのに見忘れた。
今日、あの時間は何をやっていたっけ。そうだ寝ていた。眠くて仕方なかった。結局見たいわけじゃなかったのか。そうなのか。
またメモ帳にカーソルを戻す。とりあえず打ち込む。「あ」「い」「う」。消した。
何を書いているんだ。何を書きたいんだ。スランプとかそんなんじゃない。その言葉はもっと能力のある人間が使う言葉だ。自分のは単に何も思いつかないだけだ。
何か。何か。眠い。何か。眠い。何かを。
どうしよう。頭がからっぽだ。
信用ってのは、要するに社会があなたのアウトプットをどのくらい「当てにできるか」ってこと。
アウトプットの形は業種や役割によって千差万別だ。接客業なら毎日時間通り、シフト通りにその場にいるってことが重要だろう。チームワークならミーティングに確実にいること、コミュニケーションが継続的にとれること、なんてのが重要かもしれない。一方、個人作業で成果物のみが問題になる業務なら、普段何してたっていいから締切りまでに十分なクオリティのものを出せばいいってことになる。
社会の厳しさっていうのは、何であれ「社会があなたに期待しているアウトプット」を出しつづけることが求められてるってこと。あなたならこういうことが出来るはずだ、という目論見をもとにあなたに仕事が振られるわけだから。
あなたが、成果物のみが問題になる職業に進もうというなら、毎日きちんと定時に学校や職場に行く必要はない。そのかわり、求められた成果は必ず出しつづけないとだめだ。締切りに遅れてもだめだし、クオリティがプロとしての基準に達していないのもだめ。どんなに調子が悪くても、どんなに気分が乗らなくても、スランプに陥ってても、言い訳はできない。満足いくものが出せなければ、切られる=もう仕事が来なくなる、というだけ。
小説家、漫画家、俳優、スポーツ選手など、成果のみが問題になるような職業についていても、結果的に毎日きちんとしたスケジュールをこなしている人もたくさんいる(そうでない人もいるけど)。ある小説家は、書けても書けなくても、毎日何時から何時まではタイプライターの前に座る、と決めている。彼らは「毎日きちんとしているから」信用を得ているのじゃない。「確実に求められたアウトプットを出す」方法を模索した結果、「毎日きちんとスケジュールをこなす」ことが必要だという結論に達したわけだ。
「確実にアウトプットを出す」ためになら、どんなことでもする。その覚悟があるなら、好きなように生きていたって構わない。でもいざ、何でもしなくちゃならないって時になってしり込みしたら、「甘い」って言われることになる。それだけだ。
■好きな絵を描く
あくまで取っ掛かりなので、
この取っ掛かりもなく「絵が上手くなりたい」ってのが変。(小学生の宿題?)
「楽しい」「本気」と「モチベーション」は「好き」とは一致しない。
■立体で描く
概ね同意
ただし、立体で「描く」じゃなく、「見る・考える」が正解
平坦に描く手法はアリ。
■模写する
模写は悪くない。
ただし他人の絵柄=自分の書きたい物を見つけるのは×
それが正しいと叩き込まれるのはもっと×
■資料をかならず見る
先に正しい先入観のない絵を描いておくのも手。
そこから現実とのギャップを埋めると自分の「描きたい物」ができあがる。
■省略しない
省略や構図は一番のテクニックのキモなのに。
それができなくて同じ構図(顔だけ、)ごちゃごちゃ
メリハリがなく細いだけの線ってのはダメなお手本
■ライバルを作る
まあ、居たら居たでよし。
最終的には自分がライバルにならなきゃ嘘
■自分を追い込む
締め切りは大事。
けど、一日何枚描こうが、作品としての目的がなければただのラクガキ
■自分より上手い人に見てもらう
むつかしい
大概、本当に上手い人は他人の指摘なんかしないのが常。
絵が上手い人<>指摘が上手い人
絵が上手い人=指摘の説得力がある人
■投資を惜しまない
必要な物を見極める目と状況が第一
■勉強する
?
資料でもマテリアルや手法でも、勉強は嫌でもしなきゃいけない。
「するな」って書かれてもむしろ無理。
手段としては曖昧すぎて理解不能。
■絵のことを好きになる
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