はてなキーワード: 魔術師とは
「“回復”はプレイヤーの時間を奪う要素だから要らない」──『サガ』生みの親・河津秋敏氏が語る、超鋭角な「攻める」ゲームデザイン論。最新作『サガ エメラルド ビヨンド』では短くかつヒリつくバトルを追求、「プレイヤーに同じような体験を何度もさせない」ことを目指した
https://news.denfaminicogamer.jp/interview/240527t
そのブコメ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.denfaminicogamer.jp/interview/240527t
先に断っておくと、ギリギリのゲームバランスみたいな事に異を唱えるわけではない
だが限られたリソースの削り合いって意味ではヒリヒリする緊張感を味わえる
救援対象の操作可能キャラが砦に居て、リーダーがロードでユニットがソルジャー
敵に囲まれながら削られたユニットを下がらせ城壁に元気なユニットを回す
さてどうやって防衛してやろうか
RPGバトルで行動の最適解をシステムが押し付けてくると自由度は下がるんだが
「ギリギリで独壇場発動して勝利」をバランスがいいと有難がるのは違う
レベル(サガ系ならステータス)を上げて物理で殴っていい筈なんだよ
力こそパワーとばかりに、ビュッテン突破しても良い筈だ
だから「“回復”はプレイヤーの時間を奪う要素だから要らない」と選択肢を奪ってしまってはダメなんだ
そう思うプレイヤーがいるなら、勝手に制限プレイすればいいだけなんだよ
でも大概のシリーズは製作者のシステム的な思想がゲームに侵食していく
どんどんとプレイヤーの手からゲーム体験が離れてクリエイターの理想のリプレイになっていく
「敵のガードをブレイクしよう、一転攻勢だ」(ブレイクしないと満足にダメージ出ない)とかが典型で
これを有難がる人が増えると、シリーズが停滞していく
「魔法使い」について知らんかったから自分なりに掲示板とかで調べたけど
要は型月の世界がFGO以外も含めて枝状に分岐してる世界があって
その並行世界の先の全てが最終的には積んでるから宇宙移民する世界線を1つでいいから作る必要があって
蒼崎青子は「宇宙移民を目指せる可能性がある世界の人類絶滅をフォローする」っていう立ち位置なのはわかった
ただ宇宙移民とかカルデアの全員は誰も望んでないし考えてもない
逆に言うと人類が残り10名以下になるような事態でも異聞帯を巡る事でストームボーダー含めて色々と充実してるFGO世界はまたとないチャンスって見ていいとして
世界の剪定とかしてるのって魔法使いサイドじゃねーかそれって思うんだけど
やろうとしている事が数世紀後だか数千年後だか知らんけど人類が積む事のない世界線を作ろうとしてて
地球を捨てると言うか脱出する為に世界線ガチャ回して世界線の育成してるようなモンじゃん
共感できないとかそういう意味で「蒼崎青子はすごい」ってよりも「蒼崎青子は敵チームの一味」って感じてしまう
今回のコラボも青子がもしも暴走したプロイキッシャー倒せないなら倒せないでこの世界線をこれ以上伸ばすのは諦めようって上位レイヤーから判断されて終わっちゃうワケで
そういう視点で考えると今回のコラボってトンチキイベントの皮被った世界観の迂遠な補完であって今まで潰してきた異聞帯を剪定するように要らないって判断した上位存在達の傲慢みたいなのをすごい感じるんだけど・・・
イベントだからって思考停止する方が間違いなんじゃねえかなって
【追記ここまで】
FGOでは今、型月原作コラボとして魔法使いの夜コラボなるものをやっている。
これが最悪なのだがFGOを語る各種掲示板では絶賛されていて意見が封殺されるのでここで筆を取った。
本コラボについて要約すると
「コラボ先の主人公である蒼崎青子はFGO主人公を彼が所属している組織のカルデア丸ごとと比較して個人で圧倒する程の超存在である」
という事が未履修のFGO以外興味無い民にもわかるように丹念に描写されているコラボだった。
FGO主人公が失敗して人理修復失敗してもその時になって動き出す人達がいるからFGO主人公のやってきた事は警察のお世話になる前に自警団でなんとかしようレベルの話だったって事?
そしてこの「魔法使いの夜主人公」なんだが死んでもギャグっぽいノリで復活してくる
今までFGO主人公が対峙してきたクリプターという魔術師達はたった1つの命をどう使うかでエゴだったり愛だったりでドラマを見せてきた
そのドラマをないがしろにするような勢いで「死んでも別の時間から自分がやってきて特異点を解決すれば辻褄はあう」というノリで加わってくる
そしてしまいにゃ青子が独力で2年間も時間軸を固定化してた事がわかってしまう
・FGO主人公はレイシフト1つするのに組織の施設と大勢の職員の手を借りないとできないのに青子は手ぶらで軽い気持ちでできてしまう
・青子は死んだとしても別の時間軸から干渉してくるから個の死が即座に意味をなさない
・青子はFGOの世界に介入できないとかの設定があるわけではなく特異点からFGO主人公がストームボーダーに復帰する前に先回りしてやってきてしまう
この3点の設定による過去作主人公持ち上げって不快しかねーよマジで
他出てくる人みーーーーーんな2001年だか1999年の日本の富山県に来てた存命人物ときたもんだ
FGOに出てくる英霊の子孫とか聖杯戦争参加者親族とか空の境界関係者だったりしてみんなサーヴァントじゃねえの
こちとら歴史上の偉人とか大昔の小説や演劇のキャラの型月解釈楽しみでFGOやってんの
なーにが悲しゅうてサーヴァント登場0の平成の温泉宿物語読ませられにゃならんのだってのと
FGOの他の章に比べてやけに豊富な絵素材と立ち絵があって気合いの入れ方全然違ってて
って思ってたのにめちゃくちゃネットでは好評で
はぁ????ってなりました
深夜って突然起きるんですたまに
そんな時は大体心の中でもう1人の自分の「何をしてる?お前はそんな平穏など望んでないだろう」
と衝動が暴れ出すんです。実は俺、前世は違う世界で闇の魔術師だったらしいんですよ。誰からも恐れられ、常に孤高だけど正義だけは捨てない
そんな魔術師
昼間は太陽のにっこりした日差しで「くっ…これじゃ支配できん」と大人しくしてるんですけど
顕現するわけで
俺はそれを必死で「だめだよだめだよ」って抑えるんです。身体中に闇の力が流れてる様な気分で
そんで朝迎えた時はもう汗だっくだくですよ
でも、外を歩く人を見て呟くんです
「勝ったか…」と
そっからはいつも通りママとパパと反抗期の妹と朝ごはんですよ。ママもパパも俺が深夜戦い続けたことも知らずに俺を子供みたいに褒めたり叱ったりするんですわ
ああ、やっぱりその顔を見てると闇の力なんか
要らなかったんだなぁって…
人生はまだまだ続くよ(ノ∀`笑)
なんの権限も持たない一消費者としての戯言なんで、世のクリエイターや業界関係者の人は「無責任なアホだなあ」と思ってくれていいよ。
俺は漫画版のチート付与魔術が大好きだが、コイツが原作改変なのは間違いない。
原作改変がこの世になかったら俺はこの漫画を読めなかったので、原作改変を俺は支持することにした。
漫画版チート付与魔術師はナーロッパが舞台なのにドラゴンがUZIを隠し持ち、半グレを倒すために黒塗りの乗用車が押し寄せる脅威の原作改変漫画だ。
中世風の世界だったはずなのにパチンコが存在し、文明の利器を使うと魔力がなくなるから使ってないだけで電気は街中に通っていることが明かされる。
現代と中世が交差する異様な空間として漫画版チー付与はインターネットで大人気だが、これは紛れもない原作改変の産物だ。
この様子に原作者はどういう心情なんだろうか?
文筆家である本人でさえその内情を正確に吐露することが不可能なほどに混沌とした言語化不可能な心理状態と察せられる。
本人の知覚さえ不可能な無意識下でどれほどの愛憎が渦巻いているかなぞ無産階級の匹夫には想像する資格さえあるまい。
20年前とあるラノベのアニメ版で発せられ、今も語り継がれるセリフに「メディアの違いを理解せよ!」というものがある。
貴重なスタートダッシュの第一話であろうことかこの言葉を皮切りとして映像化に向けた会議が生徒会室で繰り広げられていたのを覚えている(その1話しか見てないので、他に覚えているのは聞き流してゲームのWIKIを更新しているキャラが居たことぐらいだが……あと主人公の髪がピンク……いや白……黒?あれ?髪の色も思い出せない。PSPをやっていたことは覚えている。DSだったかな……あれ……当時まだDSはない……アレ?セリフ以外に覚えてるものある?)
そもそもあってたまるだろうか?ラノベで初っ端アニメ化の台本を書いてくる作品なんて。
これは絶対だ。
キャラクターが一言目を発した瞬間からそれぞれの読者がイメージしていた声との差異について誰かがSNSで語りだす。
部屋の作り、主人公の佇まい、あらゆる所作と小道具が原作と比較される。
似せることは出来るし、再現しようとすることは出来るが同じものにはならない。
良くも悪くも。
原作改変の善悪を決める権利が原作者にあるというなら、権利者としての力を存分に振るってくれて構わない。
だが消費者からすれば、個人的な好き嫌いや楽しめたかどうかだけが、原作改変の良し悪しになる。
面白くなるならいくらでも原作改変して欲しいし、メディアの違いを理解せずに必死に原作を維持しようとして駄作が産まれたなら単に見ないだけだ。
好きにして欲しい。
○ご飯
朝:なし。昼:なし。夜:マクド。間食:チョコ。ハッピーターン
○調子
むきゅーはややー。13連休9日目。
・前提
僕はタイプムーン作品やインタビューなどを網羅的、横断的に追うことはしておらず、本作品以外の情報は仕入れていないので何か過不足があった場合それは悪意ではなく無知なので、ご指摘していただければと思います。
・はじめに
奈須きのこの未発表小説として度々インタビューなどで言及されていた作品を元にしたノベルゲーム。
1980年代後半、町の発展が進む三咲町を舞台に、そこを魔術的な意味で管理する蒼崎青子と久遠寺有珠が、山から降りてきた純朴な静希草十郎と出会うことから始まる、公称ジャンルはジュブナイルストーリー。
ノベルゲームながら静ではなく動を意識したルックがめちゃくちゃすごかった。
ストーリーも伝奇物のバトルシーンの痛快さに、衒学趣味たっぷりの小難しいパートと言ったエンタメらしい部分と、山から降りてきた少年目線で見た都会の息苦しさとそこに住む市井の人々の魅力を情緒たっぷりに読めて非常に面白かった。
群衆劇めいた部分が強くあるわけでもないのに、町そのものが主人公のように思えるのも印象深い。
そして、タイプムーン作品として横断的な言及が必要となる第五魔法を巡るエピソードも、この作品を点だけ見ても面白いと、どこを切っても面白いしかないすごく大好きな作品だ。
・凝られたルック
まず目を引くのが真正面以外の立ち絵と背景を利用した多角的なビジュアル。
ビジュアルノベルという立ち絵と背景で構成されたゲームながら、様々な表現でそのときそのときのシーンに応じた絵作りをしている。
大量のスチル絵を用意しているのではなく、背景と立ち絵の組み合わせでカットごとの構成を魅せる作りは圧巻。
細かい動きがあるシーンも多く、常に動き続けるアニメよりもむしろメリハリが効いて効果的とまで思える。
ヒロイン達がおでんを食べる何気ないシーンですら、たっぷり工数がかかっている手の凝り様で、終始飽きずに楽しめた。
・伝奇物らしいバトルシーンの魅力
そんな絵作りが特に生きるのが、伝奇物をベースにした魔術バトル。
魔力を打ち出す蒼崎青子、童話の怪物を具現化する久遠寺有珠などの、特徴的な戦闘描写がスチル絵一枚だけでなく、それぞれのパーツが効果的に動きの演出で魅せてくれるのが楽しい。
特に久遠寺の童話の怪物にまつわるエピソードは非常に魔法使いの夜らしい映像映えするシーンの連続で、バトル面での活躍では大好きなキャラクタになった。
ビジュアル面だけでなく、作中の魔術が一定のルールを持ったものであり、それを打ち崩すために知恵も使う展開があるのもとても良い。
最初の山場である久遠寺率いるフラットスナークの居場所にまつわる幾つかのシーケンスは、ビジュアルノベルらしさが光るシーンで、ここで一気に伝奇バトルパートも好きになれた。
そのように魔術バトルはルックだけでなく、テキストでもたっぷり楽しめるのだけど、伝奇物らしく衒学趣味らしい解説パートも沢山楽しめる。
ここはタイプムーン作品として色々な作品と繋がりがある部分らしく、新参者としては全てを理解できなかったのが惜しい。
しかし、そんな小難しいパートは、主人公の静希草十郎は田舎から出来てきた魔術を何も知らない青年であるため、彼の目線でわからないものはわからないとしてストーリーを楽しめたのも良く、入門にはピッタリだったかもしれない。
作中で何度もわかるところだけわかればいいと繰り返されているので、ある程度はそういうものとしてフワッとした理解のまま読み進めれた。
とはいえ、要してしまうと、その様な設定の妙を直接的に理解することよりも、それらの設定が魔法使いの夜の視点人物の一人静希草十郎の理解を進めるための要素になっているのが面白さの重要な点だった。
電話すら知らないという導入だが、本当に何一つ知らないらしく、貨幣の概念に関心するぐらい常識から外れた人間。
彼の目線で物語は進むのだけど、この点は情緒たっぷりで読んでいてひたすらに面白くて、一番好きな部分だ。
街に馴染めず田舎を恋しく思うのだけど、それでも街を理解しようと試行錯誤色々と模索していく様が面白い。
アルバイトを頑張ったり学生生活を頑張ったりといった日常的なパートと、魔術を使った伝奇バトルなパートが、同価値の未知さで描かれている彼の特異さあってこそなのが面白い。
ここがとても楽しくのめり込める。
作中の世界では魔術は秘匿するもので、魔術師と呼ばれる特異な人たち以外はその存在を知らない。
また魔術師達は独自の価値観で生きており、一般人とは生死の考え方からして大きく異なっている。
そのため、蒼崎青子はまだ日が浅いながら自身を魔術師として律して一般人とは異なる価値観であることを強く主張する。
しかし、山育ちの草十郎にとってみれば、町に住む大勢の人間とそもそも価値観が合わないのだから、当然魔術師とも合わない。
これが皮肉の効いた良い情緒的な描写になっていて、たまらなく面白かった。
自身を特別視するキャラにそうでないよと悟らせるような読み方もできるのだけど、そうではなく、近代化していく町と同じように人の思想や価値観も移り変わって行き、変化することは当たり前で、青子が魔術師になるような大きな変化は確かに希少だけれど、大なり小なりあるものだと思わせられる丁寧な描写が続く。
この丁寧さは本当にしっかりしていて大好き。
発展して近代化する町を、何も知らない山から降りてきた純朴な少年の目で描写する。
そこに伝奇物としても作者独自の設定を、同じように未知のものとして紛れさせる。
そうすることで、ヒロインの特異な価値観すらも並列に扱え、二人のジュブナイルが瑞々しい読感になるのが素敵だった。
そんな価値観を相互理解しようと、様々なエピソードが尽くされており、コメディありバトルあり衒学趣味あり情緒的なただの日常ありと、一貫してこの点に着目した文量が費やされているのも好きだ。
・魅力的なキャラクタ
主人公以外にもメーンヒロイン二人蒼崎青子と久遠寺有珠を筆頭に沢山の魅力的なキャラが登場する。
個人的に気に入ったのは、青子の姉であえう蒼崎橙子とその姉弟子の周瀬律架の二人。
絡みのあるシーンはワンシーケンスのみだが、印象深くもっとこの二人の絡みが読みたかった。
なお周瀬律架が本格ミステリを好んでいる設定も面白く、番外編での推理をしたがりゴネるパートの可愛さは一押し。
・三咲町
キャラクタにばかり着目したが、本作の真の主人公は町そのものだった。
群衆劇ではありがちな感想になるが、本作は主な視点人物は二人の三人称視点なので、色々な登場人物がいるから街が主役だと感じるのではない。
相互理解が必要な多様な価値観が生まれるには、生きていくだけでない余暇が生まれる町があってこそだからだ。
田舎の自給自足でも物々交換でもない、町の資本主義の貨幣経済が発展することで、はじめて彼らが自身の独自の価値観を持つことが出来、伝奇物らしい魔術師という独自の価値観さえもその一種にすぎない。
だから、草十郎と青子の二人が相互理解を深め、それでもまだ理解し合えない魔法使いの夜の主役は町なんだと思った。
・謎を残す蒼崎の魔法
彼女が使う蒼崎の魔法は全容が明らかにならないまま終わっている。
消化不良なわけではなく、草十郎よろしくわからないものはわからないまま理解をしたので、作品として不満があるわけではない。
ただ、作品を通うじて、価値観の相違と理解、それが生まれる土台には住む町の文明化が進むことが不可欠である主張などから、人の関係値をエネルギーに変換するみたいなことかなあと思いました。
・おわりに
ビジュアルノベルとしてルックもテキストの両面が優れており、ジャンルを代表するような世間一般の評価も納得だった。
ストーリーも発展が進み近代化していく町で、それについていこう理解していこうと草十郎が試行錯誤するパートがよかった。
彼にとって、伝奇パートにおける魔術も、日常パートにおける電化製品も乗り物も同じぐらい未知の物なのが、よくできた設定で面白く読めた。
改めて全部読んでみた
結果、全体的なフォーマットとしては至極普通、王道のなろう系だった
ギルド追放されて別のギルドに所属してそこで女に囲まれたパーティを作り上げていくみたいな
たぶんそのままコミカライズしてたら2,3巻くらいで終わってたんじゃなかろうかと思うくらい普通
はっちゃけの原因はどこかと思っていたが、作画担当の人とのこと
ただ編集も原作者もそれでOKを通しているので、単なる暴走ではなく全員合意のもとこうなっているとのこと
NPOのとこセリフ修正されてたけどもとのセリフと意図がちゃんとカバー裏にのっててよかった
本筋、先を知りたいという段階になるとノイズになっちゃうんだなあと
作者は絵が下手なわけじゃないんだよな
マーガレットのかわいくない顔と体つきだけエロいギャップがたまらん
作画担当、オリジナルのギャグマンガかいたらそこそこいけるんじゃねーかなシュール系として
昨日子ども連れて「くるみ割り人形」を観に行ったの。好きなんだよ、クリスマスの「くるみ割り人形」。色とりどりのチャイコフスキーの名曲に合わせて、エレガントからキュート&セクシーまで幅広い衣装とゴージャズな舞台装置、それにロビーを埋め尽くすバレエ少女の数々!みんなが幸せに暮らしているんだな〜この世は素晴らしいぜああ生の喜び!って錯覚できるじゃん。劇場の外はGAZAとか温暖化とか汚職とか炊出しとかデフレとかポイ捨てとかパワハラとか首切りとか胸痛むことばかりなのに、「くるみ割り人形」を見に行けば何も考えずに心を踊らせる体験に浸れるから、好きなんだよ。
でも、今まで特定のバレエ団のくるみしか見てこなかったから、噂には聞いてたけどこんなに解釈と演出と振り付けが違うなんて思ってもいなかった。出産前に観ていたバレエ団のくるみは、ねずみも子役も子供がやってるハートフル系でヨタヨタ踊りも「ん〜かわいい!」ってなるやつ。話もほぼ絵本通りのベーシックな、ドイツの貴族のクリパで魔術師風味のおじさんがアグリーなくるみ割り人形くれるけどウェルカムな少女クララはいい子だねってことで小さくなって夢の国にレッツゴー。最後は目覚めて、夢を見ていたの…わたし?トウシューズ抱きしめエンド。安心安全安定のくるみ。
今回初めて観に行ったバレエ団のくるみ、メッセージ性が強すぎ。こども向けだったから踊りにナレーションで解説が入るんだけど、クリパの主催者が少女クララになってるし、そもそもクリパじゃなくて大戦後に行方知れずと成り果てた一族友人が身を寄せ合って慰め合うための慰労会なんだって。戦争で死んだ知人空似の顔人形を両手に持って大広間で踊る人々。それもうパーティの面影消えて葬式の亜種じゃん。お菓子の国で出会う、チョコレートのスペインの踊り、お茶の中国の踊りも、完成された素晴らしい音楽をバレエの幅広さを感じさせるキュッとしたキャラクターダンスで見せてくれる最高の場面なのに、随所に挟まる「この踊りはクララの心の強さを表しています」のナレーション。表してないから!そのコサックダンスは人の心とか表さないから!強いて言うなら大麦糖の美味しさを表してるから!ドロッセルマイヤーおじさんが子どもたちにねだられて出す機械仕掛けの人形の踊り、これも息を呑むような幽玄な踊りなのに、「あっ!これは行方不明になったトレバー!こんなところにいたのね」とかナレーションがついちゃう。戦争で行方不明になった友人が機械仕掛けの人形になって帰ってきたら嬉しいどころかホラーじゃん。極めつけはネズミの王様対くるみ割り人形のたたかいの踊りに被さるクララの心情代弁風ナレーション「戦争はやめて!」。その直後にくるみ割り人形サイドを名指しして会場の子供の声出しを煽る「みんなもクララを応援して!がんばれーがんばれー!」って何?戦争やめさせたいならワンサイド応援させんなや。世相反映しすぎ!非戦のメッセージが強すぎ!調べたらリーマン・ショックのあとからこの演出やってて東日本大震災で死者追悼風味が増したらしいけど、暗い世相を夢のバレエに何で反映したのさ。最後に、逃げるように会場を後にする友人知人と今生の別れをキメるクララ、馬車に乗って立ち去るドロッセルマイヤーおじさんにすがりつくも振りほどかれ門は閉まり瀕死の白鳥みたいに泣き崩れるクララ。S席買って、絵本と紙芝居であらすじ確認して、楽しみにしてきた我が子、全体の悲壮さにポカンとしちゃってたよ。なんでこの演出で10年続いてるの?これ好評なの?終幕で舞台にどーんと出てくるメッセージボード「wish happiness for all people everywhere.」、分かるよウクライナやガザの事考えたら貴族のクリパ観に来てる場合じゃないって思っちゃうよね。キリスト教の博愛精神でより恵まれない人に愛の手を差し出すべきって日だよねクリスマスは。でもこっちは2万払って家族連れて遠くまで夢見に来てるんだよ、非戦は他所でやってくれ!せめてパンフとWEBに独自解釈書いてからチケット売り出してくれ!
これ本当は団員の中にもこの演出どうなの?クリスマスに商業的にやるには偏りすぎてない?って思ってる人がいるでしょ、でもそれ表立って言えない雰囲気なんでしょ。コールドの振りが揃ってないなーとか上手い人はいても脇役やってるぞ?とかカーテンコールそんな回数求められてないのにまた幕開いたぞ?とか、きっとこのバレエ団は自浄作用も客観視してくれる存在もいないんだなと思うと、期待外れだった怒りと閉鎖的な組織の成果物見せられた胸糞悪さでダッシュで劇場を出ました。ていうか、私が観たのは一体何だったの?
誰か、来年のクリスマスに子供を安心して連れていける、夢のようなショーを知ってたら教えてください。もしくは他バレエ団のくるみの様子を教えてください。
昔々、ある小さな村に、言葉の魔法を使う嘘つきの男が住んでいました。彼の名はギリアン。彼は言葉を紡ぐことで、人々を騙し、自分の利益のために使っていました。村人たちはギリアンの言葉に魅了され、彼の言うことなら何でも信じてしまうのです。
しかし、村のもう一方の端には、エリナという名の賢い少女が住んでいました。エリナはギリアンの嘘を見抜き、彼がどれだけ不誠実な人物であるかを知っていました。彼女は村人たちを救う方法を見つけることを決意しました。
ある日、ギリアンは村の広場で大声で話し始めました。「私はこの村を豊かにする魔法の秘密を見つけた!」彼の言葉に、人々は興奮し、彼の周りに集まり始めました。
エリナはその場にいましたが、彼女はギリアンの言葉をただ聞くだけではなく、彼の言葉を秘密裏に録音する小さな装置を持っていました。彼女はギリアンがどのようにして人々を騙しているのかを証明するために、彼の言葉を記録し始めました。
ギリアンが話すにつれて、彼の言葉はますます大胆になり、ついには村人たちに金を要求し始めました。「私の魔法は金がなければ使えないのだ!」と彼は言いました。
その夜、エリナは録音されたギリアンの言葉を村人たちに聞かせました。彼女はギリアンの言葉を一つ一つ分析し、彼の嘘を暴き出しました。ギリアンの言葉に隠された真実が明らかになると、村人たちは彼の言葉に騙されていたことに気づきました。
翌朝、村の広場に人々が集まり、緊張が空気を包んでいました。エリナがギリアンの録音を公開した後、ギリアンは怒りに震えながら立ち上がり、「これは私のプライバシーの侵害だ!一方当事者による録音は盗聴だ!」と叫びました。彼の声は怒りと憤慨に満ち、彼の目はエリナを非難するように睨んでいました。
しかし、エリナは静かに立ち、自信を持って言いました。「ギリアンさん、あなたの言葉は公の場で話されたものです。私はただ真実を明らかにしただけです。これは盗聴ではありません。」
村の長老が前に出てきて、全ての村人に向かって話し始めました。「エリナの行動は、私たちの村のルールに違反していない。ギリアンが公の場で話した言葉を記録することは、盗聴ではなく、違法でもない。彼女の行動は、真実を明らかにするためのものだった。」
村人たちの間にざわめきが広がり、彼らはギリアンの表情を見つめました。ギリアンは言葉を失い、彼の顔色は青ざめていきました。彼は自分が訴えたことが覆され、自分の嘘と欺瞞が完全に暴かれたことを理解しました。
長老は続けて言いました。「真実は時に厳しいものですが、それを受け入れることが大切です。ギリアンさん、あなたの言葉は多くの人々を傷つけました。今こそ、あなたの行動に対する責任を取る時です。」
この言葉に、村人たちはエリナに感謝の意を示し、ギリアンには失望と憤りの声が上がりました。エリナは一歩後ろに下がり、深く安堵の息をつきながら、村人たちと長老に感謝の視線を送りました。
この出来事は、村において言葉の重要性と真実の価値を再確認する契機となりました。そして、エリナの行動は、真実を守る勇気と誠実さの象徴として、長い間語り継がれるようになりました。
ジョジョ3部とタロットっていっぱい解説されてるけど、ちょっと不満がある。いやー書いた人本当に納得してる?けっこう違和感ない?ジョセフが隠者でいいのか本当に?みたいな。解釈が素直すぎるでしょ。
それにみんな意味しか見てないけど、どちらのカードの暗示のほうが強いかってけっこう重要な要素だと思うのよ。
強さとしては、自分の解釈だと世界=愚者>魔術師>法皇>星=戦車=隠者。
正位置の世界がいいとこにあったら星がどれだけ邪魔してようが吹っ飛ぶし、正位置の星がいたとしても最後に世界が逆位置だったら「考え直したほうがよさそうですけどね」って自分なら言う。
つまり強いカードからどんどん退場しててラストバトルの絶望感すごいんだわ。
いや、だからこそ承太郎達はえらいことをやってのけたってことになるのよ。こいつらタロットの暗示に打ち勝ってみせたんだな、すげーや、っていう。