はてなキーワード: 通信簿とは
小学生 単元終わり毎に理解度や誤解の有無の確認にテストをするだけなので
ほぼ毎回満点でないと理解自体が出来ていない事となる。
ここで理解すら出来ていないと、基礎中の基礎なので、かなりヤバイし
ここで何時も満点だからといって、優秀とか頭がイイと勘違いしちゃうと、後々ヤバイ。
知識定着のための学習習慣をここで身に付けるか
テストの時のみに回答可能なように、その場しのぎの暗記で覚える勉強が必要となる人もでてくるが
まだまだ覚えなければならないことが少なく、授業のみや一夜漬けでも間に合う人も多い。
高校生 各学期の中間、期末にまとめてテストをする上に、覚えなければならないことが多くなり
上位校を目指す者は、遅くともこの辺で知識定着のための学習習慣を身に付けるが
ドロップアウトコース組は、相変わらず、定期テスト用にその場しのぎの暗記で覚える勉強だが、授業のみや一夜漬けでは無理な人が多くなってくる。
早いほど良いですが、遅くとも高校生までには”習熟度”を確実に高められる良い習慣を身につけておくことが望ましいのでしょう。
通信簿対策の為だけのその場しのぎの暗記で一時的な短期記憶の詰め込みではなく、深い理解と長期的な記憶として定着させ習熟度を高める学習習慣。
http://anond.hatelabo.jp/20130626153722
色々ブコメをもらったけど、発達障害、それもADHDの可能性というのはなるほどと思った。
実際同僚の中にも「あの人はたぶん脳の障害がある」と見なしていた人がいたから。
しかし仮にそうだとしても、彼はなんとか自力で苦手を克服できなければ、この先居場所はないだろう。
仕事で最低限求められるのは、どんな業務であっても可もなく不可もなくこなせることだ。
5段階評価の通信簿で例えたら最低でも全教科3以上。そうなって初めて一人前であり、利益を出せる人になるわけで。
個性を活かすとか適材適所なんてのはその最低ラインをクリアした後の話であって、半人前はそんな事を気にするヒマがあったら、1秒でも早く一人前になるべき。
勿論職場は学校じゃないので、OJTを通じて自学自習してもらうしかない。例えそれが苦手な仕事であっても。
それから、こういう障害って目に見えないでしょ?
すると現実問題、「俺はもうこれでいっぱいいっぱいなんだから、お前らが俺に合わせろよ!」は通用しないというか。
それに、本人に診断受けて来いと言って素直に行くとは思えない。
「障害認定されたら負けだ」と思っているかもしれないし、歳を取れば取るほどそう思っている可能性は高い。
あと、出来ない奴になんで仕事振るんだというコメだけど、既に周囲は彼を相手にしていない。下手に関わり合いにならないよう、ほぼ無視状態。
でも彼の仕事が客先のインシデント処理である関係上、放っといても業務がどんどん自動的に降ってくるのだ。
そして彼は中途採用ながら、もう業界年数的には中堅と言っていいポジションなので、この期に及んで新人や若手がやるような下っ端仕事ではなく、こういう業務で複数の作業の交通整理や、グループのリーダー(といってもごく少人数だけど)や、外部との折衝や、スケジュール管理をやってもらうしかないと。
彼みたいなタイプに向いているという、1つのことに集中する仕事については、残念ながら自分の業種だと単なるワーカー作業しかないので、ちょっと彼には任せられない(給料分の仕事とみなすのが厳しいので)。
ともかく、今まで出来ていないことを1つだけでもいいから、なんとかやり遂げて欲しいのだ。それを繰り返して出来る事を増やせばいいわけだし。
今度知人が結婚するそうだ。
結婚相手の紹介を兼ねて飲みませんかと誘われた。
しばらく考えた後、欠席しようという結論になった。
仕事の納期があるというのもあるけれど、少しだけ、会いたくないなという気持ちもあった。
ただ、同年代の同僚や道行く人達を見るからに、きっと友人たちもしっかりとした大人になっていると思う。
私はどうだ。学生時代から何も変わっていない。それどころか、停滞していて見苦しいばかりだ。
化粧をしてもお洒落をしても自分が綺麗になるとは思えないし、頑張ってしようとしてみても鏡を見てすごく気持ちが悪くなる。吐き気がする。
マナーとして化粧やそれなりの格好をしなくちゃいけないのは分かるけど、自分がそれをするというのはおかしい気がする。
それは周りから見たらただの子供の我侭で、「ああ、あいつは子供のままなんだな」と鼻で笑われているのだろう。
過去一度だけ付き合った人がいたけれど、好きで一緒に居た、と言うよりは周りからの煽りを受けて勢いで付き合ったようなものだった。
何をするにも一緒で、休みの日は多い時はメール3桁をやりとりして、というのが抑えつけられているようで怖くて1ヶ月で別れた。
別れてから2年くらいしてまた付き合いだした。好きだ、というよりも寂しいからくっついたという感じだった。
中学生みたいな付き合い方しかできなくて、手をつないで触るだけのキスをして、距離が離れてからはskypeで顔を見たり、話をしたり。
ルールをふたりで決めてskypeで話をしていたけれど、それがだんだんと面倒になった。話が合わなくて、会話が続かなくなったからだ。
それからまたごめんなさいを言って別れた。私の我侭で別れたようなものだった。
きっと知人は綺麗になって恋をして愛を知って、素敵な人と結婚するのだろう。
それはとても極普通なことで、とても喜ばしいことだ。
だけど、私は一体何なんだ。
綺麗になることもなく、人を好きだと思うこともなく、一体何をしているのだろう。
こういう時によく、中学時代の先生が通信簿に毎回書いていたことを思い出す。
「人ともっと関わりなさい」と。
綺麗になることの大切さや、人を好きになることを覚えたんだろう。
本当に、なんでこんな人間になったんだろう。
37 名前:ソーゾー君 投稿日: 2013/02/28(木) 23:31:05 ID:fo.kYtBs
アホの自民がハリウッドと連携してナイジェリア?アルジェリア?の人質事件の舞台裏を激白したな。
今年のアカデミー賞はビンラディン殺害をネタにした物語が獲得した。
こんなちんけな茶番に騙される奴いるの?
「一旦恐慌や戦争を起こして破壊して落として去年より良くなった工作」
通信簿の成績がオール5を一騒動起こしてオール1に落として「国語が2になった!去年より良くなった!」と言うわけです。
「今年の自殺者は約2万7千人で15年ぶりに三万人を割りました!」
↑だから?良くなったと?
戦後復興も同じ仕組み・・破壊されて戦前と同じ水準に戻っただけ。
「壊したのは誰だ?」
アルカイダ=欧米政府別動体=国連の飼い犬=欧州の銀行 家の私兵
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1359207037/
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1353851390/l50
私は自分でとても冷たい思いやりがない人間だと思う。そんな自分が本当にいやだ。
でも頭で考えて思いやりのある行動をしたとしても、心が伴っていなかったらそれは意味がないよね?
友達の悩みを聞いてがんばって共感したり優しい言葉を言ったりしたとしても、本当は心のなかではどうでもいいと思っているし(悩んでる友達よりも自分のほうが不幸だと思うからかもしれないが)
接客をしていても興味を持てないしお客さんが喜ぼうとどうでもいいと思ってしまう。
実際は思いやりがあるふりをする行動すら取れていないんだけど。
小学生のときから通信簿のおもいやりの欄に○がついたことが一度もないから、人からみてもわかるくらい思いやりがないってことだと思う。
こんな冷たい人間の自分はさびしい人間だなって思うし、このままでは孤独になって自分が困ることになってしまう。
でも思いやりがある振りをする行動はがんばればできるかもしれないけど、本当に思いやりをもつ方法がわからない。
思いやりがありそうな行動をとっていてもそれは本心じゃないんだもん。
性格検査の結果とかでよく思いやりをもちましょうって書いてあるけどあれって無責任だよね。
そんな方法あるの?って思うし、あるなら教えてよって感じだ。
(悩んでる友達よりも自分のほうが不幸だと思うからかもしれないが)とさっき書いたみたいに、自分が子どものころから人からあまり優しくされてこなかったことが原因かもしれないけど、この流れを断ち切りたい。
そんな私でもなぜか本やテレビの中の話では普通の人よりずっと涙もろいから変だよね。普通泣かないでしょって話でも泣く。
ここまで書いて自分で気が付いたことは、私が思いやりを持ちたい理由って、良い交友関係を持ちたいからで、その方が心的にも社会的にも自分の利益になるからだ。
つくづく心がないなー。
思いやりってそんな気持ちで持つものじゃないよね。先天的にもっているべきものな気がする。
それとも思いやりなんて、優しいふりするのが上手で空気の詠める行動ができる人が思いやりがあるってことになるだけかな?
周りは9割方専門学校卒で、残りは大卒と高卒という会社に勤めて10年になる。
資格は大昔に取ったソフトウェア開発技術者だけ。
しかしその頃の俺は今以上に世間知らずだったので、学歴なんて関係なくね?と素朴にというか迂闊に考えていた。
結局仕事というのは何をやるか以上に誰とやるかが大事だということを痛感させられている。
そしてこの「誰とやるか」を考えたとき、学歴の違いというのは全く以て抜きに出来ないと思うことしきりだ。
ぶっちゃけ専門卒とはどこまで合っても噛み合わない。上司や先輩だったら最悪だ。
実際、過去に当たった専門卒の上司とはうまく行ったためしがない。
そんな専門卒の上司の一番の特徴、それは「プロの仕事というのはまず非の打ち所があってはならない」と本気で考えていること。
つまり通信簿に例えたらオール3以上取れて初めて一人前であって、そうじゃない奴はどこまで行っても半人前の半端者なのだ。
個々人の強みを伸ばすなんてのはその先の話で、全てが平均水準をクリアしていない状態では、順番が違うのだ。
そしてプロである以上、一度任せたら上司は最初と最後に関わるだけでOKというのが理想であり、「デキる」部下ということらしい。
間違っても「部下の良いところを使って立派な仕事をしてもらうために、悪いところを補う仕組みが作れないか」なんてことは絶対に考えない。
そんなんで今もこれからも業務が回るほど簡単な仕事じゃねーだろと思うし、そもそも一体この人らは何の仕事をして給料もらっているのか不思議で仕方ないのだが。
何よりこの人ら、いざというときに部下のヘマのために頭を下げてくれるのだろうか。それすら怪しい。
ちなみに俺は能力にとんでもなくバラつきのある人間なので、当然ながらこういう上司の前では今でも半人前扱いだ。
そんな人たちが会社の中枢にいる限り、俺の昇進昇級なんて永遠にないだろう。
まあこんな所でリーダーとして仕事したってストレスが増えるだけだろうから、ヒラで気楽にやってるのが一番な気もするけど。
そういえば昔、人事考課で「今の上手くやれている能力を伸ばして会社に貢献したい、可能性に賭けたい」みたいなことを訴えたこともあったっけ。
もちろん無視され、ダメなところに対する説教タイムとなったが。
挙句、目標による管理という仕組みそのものがなくなり、管理職の密室会議で評価が決まる仕組みに逆戻りした。
大卒クラスの人は「これくらいの規模の会社で人事評価の仕組みが確立していないのはおかしい」と今頃言っているけど、
あの説教タイムが復活するだけだったらいらねーよと思う。制度だけ作ったってまともに使いこなせないわけだし。
一応、今は大卒の上司や営業と働けているので何とかなっているが、それが永遠に続くわけがない。
もし今の体制が今以上に悪くなるのなら、それがもう潮時だと思っている。
一つ反省があるとすれば、もし俺がもっと評価されるよう立ち回れていれば、俺に続いて修士の人が入ってくる可能性もあったのだろうから、その流れを俺の仕事ぶりで潰したのだとすれば、それは修士に対する偏見を増やしたことに他ならないので、世の修士の皆さんにとても申し訳ないと思う。
ちなみに協力会社の人への指導も含めて考えると、専門卒の良いところとして挙げられるのは「やれ」と言ったことは完璧にこなしてくることだろうか。
大卒や修士はこの辺ちょっと詰めが甘い。でもそれ以上に、こちらが良い意味で驚くアウトプットを出してくるので、俺としてはそこが楽しい。
固くないところがいいのだ。
高卒になると、今の事業部長がそうなのだが、他の学歴の人間から「頼りない」「暴投ばかり」と完全にバカにされている。
実際いつも社長のところに話に行くばかりで、過去の直属の上司以上に何をやっているのか見えないし。
あと中卒の元カノは最悪だったけど、短大卒の今カノとは結婚を考えるくらいに相性はいい。
それから博士の人の下で動いた経験もあるが、その人は盆暮れ正月関係なく会社にいて、こちらが夜中の1:00にメールしたら1:30に「夜遅くまでご苦労様です」と平然と返信してきたし、でも全く憔悴したそぶりなく、いつもにこやかな人だった。ついていくの大変だったけど。
まあそれくらいじゃないと、3年も4年もかけて学術誌に載るレベルの論文書くなんて無理なのだろう。
この人に肩を並べるには自分も博士になるしかないんだろうけど、そんな対抗意識(?)だけで博士を目指すのもどうかと思う。
でも昔は開発の仕事をやっていて、今でも人生の半分くらいコードの読み書きでも構わない程度にプログラミングが好きな関係上、ソフトウェア工学の最新の知見に精通したいという思いはある。
その知識で周りがもっとうまく回るようになれば・・・って感じ。
それは幻想かも知れないし、今の会社にいる限り無理だろうけど。
以上、住む世界の違いについてダラダラ書いてみたけど、実にくだらない。
こんな些細なことに気を揉まず、もっと気持ちよく生きたいとつくづく思う。
大桃美代子緊急会見
http://www.youtube.com/watch?v=hYOVfGX3Jg8
【ワイドショー通信簿】海外から?「麻木久仁子と元夫不倫」大桃美代子ツイッター暴露
http://news.livedoor.com/article/detail/5222929
sengoku38の時もそうだったけどさ、ネットのサービス経由で暴露すると、マスコミの人達は内容を扱わないで投稿したことを問題とするよね。
「仕返し」、「twitterで公表した目的」とか聞いているけれど、記者様を集めて仰々しく記者会見しなければ、何も発言しちゃいけないみたいw
(俺たちが決めた俺たちが得する)仕来りを破ったのが問題だって事ですかね?
同僚があるクリニックに行く時に、あまりにも憂鬱そうな顔してるからどうしたのか聞いたら、
なんでも、説明を聞いてくれず瞬間湯沸器レベルに沸点が低く怒り方が激しく、しかもどこに地雷があるのかもよくわからない上、機嫌の良し悪しで言う事も変わる女医さんらしい。
まあ、客としては相当厄介だ。営業で行くわけでもなくても気が重いのは分かる。
使ってる機械の調子が悪いから点検に行ってるのに、その説明も聞かないってなんなんだ。
けど、そういう先生って患者からの評判はどうなんだろう?と、興味本位でネットでクチコミ検索してみた。
大評判だった。
大層さっぱりしているのにとても優しく、対応も気持ち良い先生で、質問には明朗快活に答えてくれるし、腕も大変信頼できる。
看護師の対応も素晴らしく、クリニックも綺麗。玉に瑕なのは、評判故の混雑くらい。
病院の通信簿でも相当数のクチコミが寄せられているのに、病院・先生の点数が両方とも90点前後。
本当に同じ医者のことを言っているのかと、住所とか何回も見直すほどに、別人のような評判の良さ。
分からないもんだなあ、と言うのは失礼だけど、分からないもんだ。
診療科が減ってきていると問題になっている科だし、とにかく混んでいるようだから、先生も患者に優しく接してストレス溜まってるのかなあ。だから業者には思いっきり当たるのかなあ。
別に、病院は出入りする業者からの評判が良い必要はないから、それはそれで全く問題ないし、
業者は業者でどんな性格の先生であろうと、お金の支払が滞らない限り、病院にものを売ったりサービスを提供し続けるんだけど。
人間って怖いな。女の人だからこそのこの態度の違いなのかな。
わかんないけどなんか怖いわ。
http://anond.hatelabo.jp/20100913010926
の、続き。
トラバやブコメくれた方々、とくに辛辣なご意見をくださった方、ありがとう。
やり方に対して批判的なコメントをくれるのって、優しいことなんだぜ。
人間この歳になると、誰も叱ってくれないってのが当然の常識だからな。
もう一度書くぞ?
俺があげた要素は
の4つであり、全て依存関係にあるとも述べた。
いくら女と接したところで、他の3つのうち1つでも赤点とったらそれは出会いにはならねえ。
ちょっと見た目よくしたところで女から恋愛対象には入れてもらえないわけだ。
服だけ変えて数十人と遊んで全部ダメだった俺が言うんだから間違いないw
と、言うわけで今回はこのテーマな。
先ずな、女と接する以前に、人と問題なく接することができてるか?
おい、お前だよ、モニタにうっすら映ってるフェイスローラーでコロコロやってる男。
そう、お前だよ増田。
なんつーか、超基礎だ。
俺の様に通信簿に、
『増田君は思いやりに欠けます』
何て書かれているようじゃあダメだ。
この歳になってから考え直す羽目になるぜ!!
おはよう、こんにちは、こんばんは、ありがとう、ごめんなさい。
これ、小学生でもできるやつな。
相手の目を見て、はっきりした声で、言えてるか?
…意外とできてないやついるんだぜ。ちょっと前の俺とか。
いや、当たり前なんだけど。
上にも書いたんだけどさ。
でも俺、廊下で同僚とすれ違って挨拶する時、ちょっと目を反らしがちだ。
ダメじゃん。
これも上で書いたけど。
やっぱ俺、廊下で同僚とすれ違ったパターンだとボソっと言っちゃうんだよなあ…。
すげえカッコイイと思うぞ。
どうでもいいけど、オッサンほどボソっと言う率が高い気がする。
飲食店で「ごちそうさま!」って俺、絶対言うよ。
おいしかったら作ってくれた人に「おいしかったです!」って言う。
この時、おいしかったことを表情でも出す。
笑顔で伝えるようにするんだ。
するとお店の人からも「ありがとうございます!」って笑顔が返ってくるんだぜ。
知ってたか?昔の俺よ。
お店に行って「xxxって商品どこにありますか?」って聞くだろ?
この時、目を少しだけ開いて、口角を少しだけ上げる。
文で書くと何だか難しい感じになるけど、要は明るい顔をする努力するだけだ。
でもって、教えてもらったら「ありがとうございます!」って笑顔で言う。
すると、やっぱり笑顔で反応が返ってくるんだぜ。
知ってたか?昔の俺よ。
いつでも上に書いてあるくらいの明るい反応ができてるかっていうと、まだまだ全然だ。
てか、最近は心が沈むことが多くなってしまったので、意識すらできてないことが増えてしまった。
な、こんな時にも効いてくるんだぜ?ポジティブマインドてのは。
でさ、さらに一歩上を狙って、世間話までできたらいいなって思うわけだ。
できる人は自然にやってるよね。
常連さんとかじゃなくても。
飲むところだと普通にできるんだけどなぁ。
まあ、そういう場合はバーテンダーさんが気を遣ってくれるからに他ならないんだが。
これ、俺の苦手分野な。
幼いころ母親に軽度のDVを振るわれたり、ちょっとアレな家庭事情で兄弟と不仲だったりで、昔から家族とのコミュニケーションがぎこちない。
あ、今はいい母親だからな。そこんとこ間違えないでくれよ!!
そしたら、ある時ある人からこんなことを言われた。
「家族とのコミュニケーションも満足にとれない奴が、他人とまともなコミュニケーションなどできるわけねえだろ。ましてや恋愛なんて無理に決まってんだろ」
と。
何かもうね、泣きたくなったね。正直言って。
俺の四半世紀以上の人生は何だったのかと。
今は、親にはプレゼントしたり、家族で集まる機会にはできるだけ顔出したり、家族でご飯食べた時は俺が金出したりしてるよ。
いや、何っつーかね、超当たり前だよね。
今更すぎるでしょ、こんなの。
もしこの増田を読んでくれてる人で家族とうまくいってない人がいたら、今すぐ改めた方がいいと俺は思うぞ。
いい歳こいてこれはあまりに情けないぜ…。
ここから先は、コミュニティーの中でどう振る舞うかとか、男女関係なく人と「トーク」する時にどうするか、そして最後にじゃあ女と接するかって話になってく。
女と接するってのは、具体的に何を喋るかってのもそうだし、振る舞い方なんかも含む。
正直、俺には分からないことが多くて頭を抱えてる部分でもある。
これは次回にしようと思う。
どうでもいいけど、
セックスで何かが変わるって本気で思ってるのかwww
と、
いや、変わらないよ。
ネットで出会って二人抱いたけど、ホント何っっっっっにも変んねえ。
変わんなかったよ…。
誰かが2chか何かで、
「童貞喪失なんて、ボールペンのキャップが取れた程度のものだ」
って言ってたけど、アレはマジだった。
じゃあ何であんな目標掲げたかっていうと、まだ精神的に童貞なんだろうなっていうのや、劣等感からの開放、自信の回復、過去の自分への免罪符、分かりやすい数値目標が欲しかった、てなところだ。
(…あれ、これてどれも根幹は同じじゃね?と、自分で書いてて思ったが)
ちなみに今回一番染みたのは
たぶんどんなに見た目良くして内面も良くしようって思っててもその理由が「100人とヤるため」だとしたら?
誠実ではないところが気付かないうちに、にじみ出てしまうと思う。
これな。
なるほど、これは響いたぜ。
他にもマインドに問題がある系のコメントがいくつかあったので、それを受けて感じたことや何かも書きたいと思う。
むしろ、女の子に見た目っていう要素を求めない男のがレアだと思う。
でさ、女の子の多くが見た目をよくする努力をしてて、とくにかわいい子ほどその傾向が顕著なんじゃないかなって。
まあ女分かってないから憶測だけどさ。
で、男の俺は見た目を磨く努力をしない、でも女の子はかわいい方がいいなあ、なんてのはあまりに失礼な話じゃねえの?って思ってる。
そんだけ。
ttp://gaikoanzenhosyo.blog4.fc2.com/blog-entry-929.html
”高速道路無料化”は、民主党が有権者を釣るための目玉となるニンジンだったが、その二つが空手形となれば国民の怒りは倍増しよう。
民主党は「揮発油税の暫定税率を廃止してガソリンを安くします」と国民に約束していたが、毎年2兆5000億円の財源が確保できず、それもまた約束やぶりとなった。
民主党が「現代の姥捨山」と批判し廃止を要求してきた後期高齢者医療制度だが、ミスター年金こと長妻氏は厚労相に就任してあっさりとその存続を容認した。
単に幕末維新の歴史の知識だけなら、百科事典講釈師のような物知りも沢山いるが、この対談は人物評が現代的で、政治家として官僚としての力量を問う通信簿的な作業でもあり、ことごとくがリアリスティックなのである。
しかも幕末維新を、本筋を外さないで不思議な逸話で溢れさせ、しかし歴史観の骨髄をしっかり守っている。
経済の視野から薩長と会津を比較してみると、京都守護職を越前の松平春嶽から押しつけられた会津の松平容保は、財政的艱難辛苦に耐えなければならず、藩士1000名の京と駐留経費の捻出は並大抵ではなかった。京都は島原の遊郭で遊ぶカネがなく、だから会津武士は京都人から嫌われ、薩長はすかれた。
なぜか。長州は竹島経由で、薩摩は沖縄を梃子に「密輸」をやっていて資金が潤沢、最新鋭の軍艦も鉄砲も買えた。中村彰彦によれば加賀前田藩も日本海の北と密貿易を展開した銭屋五兵衛を黙認した形跡があるという。
密輸で設けた諸藩の志士らは、経費をちょろまかして島原で遊興もできた。
本書で両人からコテンパンな酷評を受ける一つは御三家のなかでもイデオロギーの強い水戸藩、天下の副将軍と勝手に僭称した水戸光圀は、伝説では「名君」だが、じつはとんでもない御仁だった。
水戸学が、やがて水戸藩を分裂させ、悲惨な内訌が天狗党の悲劇を生んだが、じつはその後も明治三年まで復讐劇が続き、難を逃れて群馬や栃木あたりに逃げ、その末裔が現在もいるという後日談も、なんだか、西南戦争に負けた西郷軍のうちの1500名ほどが台湾へ逃れ、現地民に同化したという歴史の裏面の話に通じる。
本書は、薩摩が長州と歴史意識も政治構造も科学・天文学への心構え、軍事思想など似ているようで全く異なることを、これまた目から鱗のように別の視点からえぐり出している。
たとえば坂本龍馬が斡旋した薩長同盟の基軸の発想は公武合体の実現だった。
山内教授は「オーストリア・ハンガリー二重帝国」の例があるように、天皇を頂き、徳川と薩長が二分するアイディアの存在を告げる。
イギリスのオールコックなどの歴史観や世界の情勢から、倒幕に踏み切っていくプロセスで西郷、大久保は坂本が邪魔になったという闇の部分にも光を当てる。これは中村がまだ直木賞受賞前にかいた『龍馬伝説を追う』(世界文化社)にも詳しい。
また榎本武陽の「蝦夷共和国」構想も、じつはハプスブルグ家の「オーストリア・ハンガリー二重帝国」が発想にあった、と示唆する。
脱線ながら、評者(宮崎)が鹿児島は指宿の「伝承館」でみたパリ万博の記録展示の或る部分に驚いた。パリ万博は薩摩と徳川幕府が出展した。薩摩焼など、パリジャンの度肝を抜いた。ともにそれぞれの勲章をつくった。
薩摩は「薩摩・琉球国」として勲章をだした。つまり独立国として、国際社会にアピールしていたわけである。
もう一人、こっぴどく批判されているのは福沢諭吉だ。
福沢が欧米派遣のおりに経費を誤魔化して図書を買いあげたが、それは小学生程度の英語の本が多く、小栗上野介は「あの男の選択眼は節穴、語学能力はその程度だ」と評した逸話は有名だろう。
福沢は本来なら切腹ものだが、ばれて詮議にかかろうとしたとき徳川幕府が瓦解した。
他方では講釈やら近年の小説の裁き方や世評はともかくも、食えなくなった旧幕臣らの面倒をよくみた勝海舟と榎本武陽への評価が高い。
さて表題も示唆する「黒船来航以後」の話であるが、アメリカとロシアが日本にとって最初の接触だったのは、幕末の混乱期における日本にとって僥倖であり、もし英仏のような『ならず者国家』が日本に先に乗り込んできたらどうなっていたか。
シナにしかけたアヘン戦争のような略奪と、国内分裂は防げなかったのではないか。幕府はフランスに薩摩は英国に頼ったが、本気で内戦にのめり込んでいったら、日本は良いように利用されたあげくに英仏の植民地化されていた恐れがあった。
しかし幕末に徳川幕府をさしおいて薩長が最新鋭の武器を大量に買えたのも、その先見性や薩英戦争、馬関戦争敗北の体験から軍事知識と実践があり、おりしも南北戦争が終わって大量の武器をもてあましたアメリカから大量に買い付ける。
市場開拓を狙うドイツ人の武器商人だったスネル兄弟は河井継之助の長岡藩にガットリング銃を売りつけたが、会津に強力にテコ入れし、最後は榎本軍に従って函館戦争をともに戦った。
ドイツはむろん、英仏米露の隙間を狙って日本での武器外交が主眼だった。
しかし幕府敗戦により、スネルは代金を回収できず、兄はやがて会津武士団の食い詰め組を率いてカリフォルニアに移住したり、弟は御維新後、浅草で落語を聞いていたとか。脱線する逸話もまた本質に付随した、人間の描写なのである。
それにしても幕末維新を縦横に語る中村彰彦は歴史作家だから回天の内幕に詳しいのは当然にしても、なぜイスラム中世の専門家である山内昌之が、ときに中村を唸らせるほど幕末日本に精通しているのだろう。
もう一つ不思議に思ってきたことがある。山内昌之教授は、『世界』と『諸君』の両方に論文を書く器用な論客でもあり、保守なのか旧左翼なのか、いまもよく分からないところがある。
山内がいみじくも「後書き」に書いている。
国際会議で、オスマントルコ帝国の解体過程やイスラム政治の歴史と、日本の近世・近代との比較をよく問われる。国際的要請でもある。まして日本史を知らずして世界史を語れる筈があろうか、と。
最後節あたりの日露戦争から大東亜戦争に至る山内の歴史講釈には、ちょっと首肯できない史観部分があるが、山内教授の主観だから、その部分は聞かないことにする。
http://anond.hatelabo.jp/20081229060442
はてなの既成ブランディングにこだわらない路線を確立するという点では同意なんだけどね、
そのまえにはてなは相も変らず自分たちがどこにいるかもわかってないと思うんだ。
今年の一番の評価ポイントは、まずあれだね、
はてなクラブをつくったこと。
ようやくっていう感じだけどとても期待値が高い。
サービスにようやく一般人の意見が反映されるんじゃないかとわくわくします。
いままではユーザーに「これくらいわかるでしょ」っていう要求する暗黙知のレベルが非常に高かった。これを機に改善していってくれればと思います。
今年はマイナスの評価が多い。
・京都に拠点をうつしたこと
俺についてこれないやつはこなくていいみたいな態度。
ここまで急いで拠点を京都に移す意義が会社にとって本当にあっただろうか?
これがきっかけで離反した社員も多くいたようでとても残念です。
・日本にもどってきちゃったこと
残念ながら種を撒けたとは評価できない。
米国にいったことが社長や経営者としての個人の成長に寄与したとしても、
いったことによる成果が今後数年後に国際的に結実できるだけの種をまけてこれただろうか?
疑問。
どうせ負け戦だったなら社員にもその経験をさせればよかったのにね。
・社員数が増えちゃったこと
50人ぐらいになってるの?
これからみぞうゆうの不景気がくるときにひと増やしてちゃんと収益計画たてられてるんでしょうね??
・新規ユーザーをあまり獲得できていないこと
残念ながら。
通信簿及び内申書の評価基準の明確化、とか謳って出来ないだろうか。
消したようなのでバックアップしておく。
http://anond.hatelabo.jp/20081216205541
僕の周りにいる人間はみんな馬鹿でして、ああこいつなんて頭が悪いんだと思ったことは数知れず、いや、数はどうでもよいのですが、僕が人を見下すことにかけてずば抜けた才能を持ち合わせているのかについて多少書いておこうかと。
小学校に入学したときから卒業するまで、ずっと「今学期先生にクラスみんなの前で名指しで何回褒められたか」を数えることを欠かしませんでした。授業中積極的に手を上げた、1回、進んでクラス委員を引き受けた、1回、今学期は12回だったので前より減ってしまったな、とこのような調子でした。クラスみんなの前でというのが大切な条件であり、例えば班を組んでいる中で褒められたものは数に含めません。どのように振舞えば先生に褒められるか考え、意図した行動で褒められればよしやったという気分になりました。3年生と4年生のときには、帰りの会でその日のクラスメイトの善行を褒め非のある行いを諌める制度がありまして、そこでもできるだけ僕の名前が出るよう、音楽の時間には楽譜の読めないクラスメイトのために楽譜にカタカナのド・レ・ミを振ってやったり、給食係の後片付けを手伝ったり、分度器を2セット持ってきて忘れたクラスメイトに貸し与えたりと、さまざまな恩を振りまいていました。恩のパターンを増やしてできるだけクラスメイトが僕を褒めやすくするよう気をつけ、また適度に僕もクラスメイトのよかったところを褒め、褒められてばかりの状況にしないよう気をつけました。おかげで先生の僕に対する心証はすこぶるよろしく、三者面談ではクラスの中心になってよく頑張っていると必ず褒められ、毎学期の通信簿も上々の出来でした。いや、さすがに小学生の僕でも意図してここまで厭らしく点数稼ぎを行っていたわけではなく、どのような振る舞いをすればよく見られるのかということを意識しないまでも身体に染み付け、そう振舞うように僕は自律していたのでありました。
僕が勉強しなくてもよい成績を取れることに気がついたのは中学生の時分でありまして、テスト前に1週間くらい勉強すれば普段はなにもしなくても簡単に高順位が取れる、勉強時間では周りの生徒より少なかったかもしれません。そのころは親や先生や友人にちやほやされて気をよくしていたものですが、高校に入ってからは同じやり方で学年トップが取れるようになりまして、周りの皆様は僕のことをさらに頭がよいとみなすようになったものですから、すっかり天狗になってしまい、それと同時に頭がよいことは僕のアイデンティティであり触れえざる自尊心のよりどころとなりました。これで周りの人間と普通に接することができれば僕は普通の秀才君になれたのですが、元より卑しい性根の持ち主ですから、必死に勉強して自分より成績の劣る生徒を見下すことに快楽を覚えるようになって、それでもその卑しい性根を表面に出さなければまったく問題のないことなのですけれど、そんなことできるわけもなく、勉強の話になるとどうしても自分を売りたくなってしまいます。河合塾の模試で全国20位くらいになったときが絶頂期でした。教壇の前で先生から模試結果と図書券をもらった日には、一日中にこにこと気色の悪い笑みを浮かべ、友人が僕に模試の話題を振ることをまだかまだかと期待していたのでした。そんなことをしながら僕は自尊心をさらに肥大化させるのですが、臆病な自尊心と尊大な羞恥心といったところでしょうか、恥をかかされることを極度に恐れ、周りもそれは察していたようで何か壊れやすいガラス細工の置物のように僕を扱うようになりました。
それなりによい成績を維持し続けることができたので、大学も難関と呼ばれるところに合格し晴れて入学、さあ知の世界とやらにはどんな人間が集まるのかと期待していたものの、1年くらいたつと、あれっ、どうも違う、こいつらは自分と同じくらいの学力のはずなのにどうにも頭が悪いらしいと感じるようになりまして、そうなるとさあ持ち前の腐った性根の出番だ、友人との会話にちょっと難しい言い回しを使ってみたり、アーレントだとかフーコーだとか少しかじっただけの知識をべらべら披露してみたり、そうすると友人は僕のことを頭がいいと尊敬するようになるので、僕の悪癖は余計に拍車がかかるのでした。小難しい言い方をするやつは頭がいいと見せかけたいだけで本当は馬鹿だなんてよく言われますが、これは案外あたっているような気がします。
大学生はみなTOEICを受けるというので僕も受けてみところ、1回目は何も対策を採らずに740点くらい、世間では皆様が730点を突破するのに必死こいているのに僕は易々と通過してしまい、2回目は3日勉強して830点くらい、何だ簡単ではないか、TOEICが難しいといっている連中は馬鹿ではないのかなどと今でも思っているのですが、とにかく程ほどの得点が取れたのでTOEICには飽きてしまいました。TOEIC830点なんて何のことはない、実はTOEICで流れてくる英語が聞き取れるだけで、普通の英語は英会話教室の教師のようにゆっくり話してもらわないと聞き取れませんし、会話などできるわけもなく、外国人の教官に質問するときはあらかじめ質問文と対応を考えておいてそれをそのまま述べるという情けない有様でした。それでいてリスニングやスピーキングの特訓をして英語力をつけようともしないのです。なぜならばれて恥をかく心配がほとんどないから。己が羞恥心それだけが汚されないために勉強してきた人間なのです。そのような恐れがなければ当然努力するはずもありません。
僕の怠惰な性格はとうとう大学へ通うことすら妨げるようになりました。と、ここで疑問に思われる方もいらっしゃるでしょう。「大学へ行かないで引きこもるのは恥ではないのか?」そこは舌先三寸、まず「自殺したい」と言って心療内科にかかって抗鬱剤などを処方してもらい、家族や教官に「鬱になった。医者に薬を出してもらった」などと言えば、大概は「無理をしてはいけない、しばらく休むといい」と心配してもらえます。最近はこのように鬱でもないのに医者にかかって「自分は鬱だ」と言い訳をする人が増えているらしいのですが、自分の両親は落ち込んだ表情と声色を使って「鬱で死にたくなった」と言っておけば簡単に信じ込むことは心得ておりましたので、当初の見込みどおりに鬱を装い実家へ帰省、こうして日本にまた一人のニートが誕生したのでありました。いや、人を騙すのは簡単だ、両親が二人とも馬鹿でよかったと、そんなことをたまに考えることがあります。
未だに僕の邪悪な性根、穢れた精神は誰にも知られておらず、嫌味なやつと思われることはあってもここまで腐りきっていることは誰も想像できないでしょう。裏表のある人なんてのはかわいいもので、外見は変哲もない人間、中を見たら中はダニ、ゴキブリ、ハエ、蟲、蟲、蟲、糞便、尿、吐瀉物、血液、汚泥、悪臭、ありとあらゆる汚物が満ち満ちており、誰も想像しえぬほどの穢れた、醜く、忌まわしき、獣の、ああ、言葉では言い尽くせないほどの本性を僕が隠し持っていると考えるだけでも、気持ち悪い、殺したい、殺したい、殺したい、なんとかしないと。
鏡で自分の顔をずっと見つめていると段々おかしな気分になってきて、鏡に写っているのは本当に自分の顔なのか、実はそうでもないような気がしてきて、そんなはずはないのだけれど、物理法則は絶対のはずなのだけれど、頭の中が掻き回される感触、ぐるぐる、ああ気持ち悪い、見ていると吐き気がする。
少し落ち着きました。ついでにネット上での活動も懺悔ついでに書いておきましょう。一丁前にウェブサイトやブログも運営しておりまして、そこでもまた例のごとく、どこかで聞きかじった知識をつぎはぎしてさも自分で考え出した理論であるかのように雄弁を、そうネット上では雄弁をもって披露していました。それらしいことが書いてあるので馬鹿がどんどんブクマしてくる、まともな人が見れば「これはひどい」タグをつけるところでしょうが、若干のアカデミズムをちらつかせておけば文盲を引き付けることは十分容易いのです。「こいつら本格的に馬鹿だなあ、これでネットリテラシーとか言ってたりするのかなあ(笑)」などと思いながら、一方では人がたくさんいる掲示板を首尾よく荒らす方策などを練っていたり、はてなにいくつかアカウントをつくって気に入らない記事にネガコメ攻勢をかけるなど、裏ではネットの荒れ模様を作り出すことに労力を費やしていました。2ちゃんねるで6年くらい続いていたスレッドを糞スレ化することに成功したときは快感でした。FAQに載っているような質問をパターンを変えてしつこく繰り返す、自分で投稿した質問に対して「テンプレ読め、ぼけ」などの煽りを入れるとたいてい誰かが加わってくれます。自作自演と見破られないように手を変えながら同じことを、徐々に間隔を詰めて繰り返し、返答の煽り具合も過激にしてゆけば、次第に通常の質問でも荒れ出しついに人がいなくなってしまうという手法でした。かなりたくさんの人数を操作できたので非常に満足しました。よもやあの○○さんがこんなことをしているとは思わないだろう、あはははは。
ネットは僕の本性を活かすには恰好の舞台でありました。リアルな僕の存在を知られる可能性は警察沙汰にならなければ限りなく0に近いので、僕は本性に従った行動をほぼ無制約に起こすことができ、それは大変素晴らしい所でした。甘美。エクスタシー。こんな馬鹿げた駄文も匿名でなければ流すことはできないわけでありまして。
人間はみな、かくも恐ろしき二面性を持ち合わせているのでしょうか。僕はいつからか自分の本性に薄々感づいていましたが、自分の内面を覗いてみたついさっきはっきりそれを自覚したため、言葉にして綴ってみたら気持ちの悪い感覚が離れず、自分の身体の中はどうなっているのだろうか、本当に筋肉があって臓器があって人間の身体なのだろうか、皮膚を切ってみたら肉は少し見えたけれどバラバラにしないと本当のことはわかりそうにないので、しかし自分でバラバラにして自分の目で中を見るような器用な技は持っておらず、諦めるしかないのかなあ。考えれば考えるほど、螺旋の階段を下りるように、闇の底へ、もう戻れない、何もないのか、いつまで続くんだこれは。
就活の自己分析をするには自分史を書く、っていうのがまあ普通らしい。
でも、中学時代が全然思い出せない!!
なぜ?記憶喪失?
先輩に相談したら「通知表見てみれば?」と。 (°∀°)なるほど!
で、母に探してもらうと・・・・
でるわでるわ。
え?学級委員とかやってたっけ?
え?放送委員も?
覚えてねー!
かろうじて覚えているのは、文化祭と部活の部長をやっていたことくらい。
昔からマイペースな子だったんだね。
その代わり責任感や達成度は二重丸かー。
なんか必死に一つのこと突き詰めてた気がする。
そうそう、この時期からゆとり教育が始まったから、総合の科目がある!
なんか、自分のもってるコンプレックスにちょっと泣きそうだったから増田に書き散らしてみる。
彼女がいーとこ出の帰国子女アパレル系(23)。僕は宮城の農村出の組み込みエンジニア(28)。
お互い初めてカラオケいったり、プリクラ撮ったりで、わくわくすることが多かった。
そんで、一昨日、仕事帰りに渋谷で飲んでた時に、お互いの小学校??大学くらいの話になった。つまり、出会う前の話だ。
以下のような内容の話だった。(彼女については多少変えてはいるけど、とりあえず、全体的にこんなノリだった)
彼女 :
自分 :
話している途中で、自分の笑顔っつーか会話の調子が明らかにトーンダウンするのを感じた。
もう、すごい勢いで。
なんだか、途中から自分の話題は「お金がなかった」という笑い話に終始してしまうことに気がついた。どこかで、彼女の苦労話とかを「でもまー、それって失敗しても衣食住には困らないしなー」とか思ってる自分がいた。クソッタレな自分だ。
それ以来、彼女の「ガツガツしてるの苦手ー」とか「我先に自分が、って感じの姿勢は私ムリ。受け付けない。どうしてみんなで分け合おうって思わないのか理解できない」とか「なんで特に好きってわけでもないのに駄菓子買いたがるの?」、そういう言葉が妙に胸にちくちくと刺さる。好ましく思っていた部分が、なんだか悲しい気分を惹起する。
彼女への気持ちがまとまらない。好き、っていうか、すごく重大で深い部分に根を張った好意なのは確かだ。同時に、このお腹の底に溜まったモヤモヤしたものも、相当に根が深くて、正直とまどっている。自分はあまり感情的になったことがなくて、その感情そのものをうまく処理できていないような気もするんだ。
これは彼女に共感してほしい、認めてほしい、理解してほしいという気持ちなんだろうか。それとも、単純なコンプレックスの発露なんだろうか…。
ああ。なんだか増田に書いてたらどんどん混乱してきた。
せっかくの代休をなんでこんなに無為に使ってるんだ。買って積んである恋空でも読んで、恋愛的に自分を奮い立たせるべきなのか。
おまいは、オレかっ!
「体育」だけは、どんなに上手く動こうとしても、思うように行かなかったのだ。
「体育」の授業の存在のおかげで、中学の成績は「オール5」を逃したくらいだ。
(その時の成績は、体育2、それ以外は全て5)
どれだけ体育が不得手であったかという思い出を、恥をしのんでさらすと・・・
それでも、俺はがんばった。
体育教師も、俺のあまりの運動音痴っぷりに呆れはしたが、その努力だけは認めてくれ、高校時代の通信簿に3を付けてくれた。
でも、ダメなものはダメなのだ。どうやったって。(この苦痛は、スポーツのできる人には理解できないだろう)
その後、中学を卒業して進学校へ進んだら、わりと周囲には同レベルの運動音痴もいたりして、いくらかコンプレックスは和らいだ。むしろ、周りの雰囲気は、運動のできるヤツと同様に、人格のできたヤツや、頭の良いヤツも尊敬を集めるようになったし。
社会人になっても、まぁ野球の試合に誘われて恥をさらした事もあったが、それ以降は声をかけられることも無く、平穏無事に過ごしている。
モテ期はとうとう訪れなかったが、恋もし、結婚する事もできたし。
まぁ、一時期は卑屈になったりもしたが、その後は何とか持ち直せた感じだ。
人によって得手不得手があるのは、あたりまえ。必ずしも努力で全てが何とかなる、とは限らない。
それが個性というものじゃないかなー。
今まで二十数年間生きてきて、自分の頭がいいとは信じがたいのだけれども、自分がたどってきた道を弟がひどく苦労して通っているのを見て、もしかしたら自分は本当は頭がよかったんじゃないだろうかとようやく母の言葉を受け入れようかという気になった。
そもそも私は自分の頭をいいと思ってこなかった原因は母にあるのだけど、最近本当にようやく自分をなんとか絶対的な評価でみることができるようになったので書いてみる。
私は勉強が駄目で大嫌いだった。
学生時代、試験前も受験前もほとんど何もしていなかった。さすがに教科書やノートを見直したりはしていたけれど、それでも前日とかに慌ててやってたぐらい。中学のときはそれで試験はどうにかクラス内で上位にいたけど、普段の提出物とかかなりさぼっていたのでオール4プラスアルファぐらいの内申点だった。それは公立に行くためにとにかく内申点が必要だったうちの地方で学区内のトップ校に行こうと思ったら当日点をかなり稼がなくてはならないレベルで、反対に学区二位の高校は内申点がそれだけあったら当日結構ぼろぼろでもなんとかなるレベルだった(うちの学区内の高校レベルが偏ってた)。偏差値は塾の模試なので低めに出てると思うけれどたしかどの教科もだいたい60台だった。行った高校は当時の偏差値64だったかな。いわゆる併願校で名を馳せていたところだったのだけど、その併願基準に達する内申点を持っていなかったので単願で受けた。滑り止めで受けたし、試験を受けたとき落ちた気がしなかったので、合格発表後に担任に報告したら「マジか!?」っていわれてむしろ驚いた。
まあ本命は落ちたんだけど。
で、その高校のときの偏差値は平均58ぐらい。本当に大嫌いで駄目だった英語は50弱ぐらいだったけれど、国語は60台後半からどうかすると70に手が届いてた。世界史とか生物はその二つの間ぐらい。大学の偏差値は当時は58だったかな。
こんなふうに成績はね、いちおう平均よりもかなりいいほうだっていうのは自覚していたけど、自分が頭がいいなんてかけらも思っていなかった。勉強が大嫌いだったし、その嫌いっぷりに手を焼いた母に小五の夏にして中学受験の予定もなかったのに進学塾に放り込まれたし。
ちなみに、この進学塾行きに疑問を抱いたのも最近だった。私が言い出したら私立中学を受けさせる気満々だったらしいんだけど、反対に嫌がったらどんな手を使っても逃げるだろうと思っていたらしい。聞かされたときに否定はできなかった。
今思うと勉強が嫌いと言うよりも私は勉強と言うものをどういうものなのかがぜんぜんわかっていなかったんだと思う。
しなくても授業は理解できていたし、点も取れていたからする必要性を感じてこなかったから学習しなかった。塾でも授業聞いて理解できていたから、宿題とかその日行く前とかバスの中とか授業直前とかでやってた。
その反面、私の妹はとても努力をする人で、勉強が出来る人で、もちろん提出物なんかも抜かりなくてオール5をとる人だった。彼女のクラスには同じような人がもう一人いて、通信簿が相対評価の頃にクラス内に許されていた2個の5を二人締めしていたという逸話が残っている。
学年で3つ離れているので妹のこの所業はただ単に「すごいな」と眺めていればよかったんだけど、かわいそうなのは弟だった。
弟もまた勉強が嫌いであったようだけど、私より遙かに努力する人で、勉強に費やす時間だって比べ物にならなかった。ただどうしたって弟は妹の成績はともかく、私の成績にすら追いつけなかった。弟には申し訳ないけれど、前述のとおり私が自分の頭が悪くなかったのかもと思うようになったのは弟の成績からだ。妹とは勉強量も成績も比べたら失礼だと思っていた。
じゃあそもそもの「私は頭が悪い」という思い込みがどこから来たのかと言うとこれははっきりしていて疑問の余地はない。
私の母である。
地方のトップ校から国立に進学し、父(私の祖父)がなくならなければ院に行っていただろうという人で、勉強することを苦にしない。学生時代も普段からきちんと勉学にいそしんでいたらしく試験前だろうがなんだろうが就寝は九時半で高成績を保っていたと聞いた。
ちいさな頃から私たち兄弟の勉強をまとめてみてくれていたのは母なのだが、私は小五で塾へとやられたのは母の能力的に面倒が見れなくなったからではなく、私があまりにも勉強を嫌がったためだ。はっきりいって私は国語分野で母に優れたことはない。大学受験時に古文で分からなくなったらとりあえず母に聞けば答えあるいは糸口が帰ってくる人で、当然ながら百人一首で勝てた事も無い。
だが、この人は自己評価がとても低い。ものすごく低い。かといって評価が厳しいわけじゃない。私は前述のとおり不真面目だったのでよく怒られたけれど、弟妹たちによるとむしろよくほめてくれる人であったらしい。たしかに大学受験のころ、偏差値40を切った英語にさすがに危機感を覚えて勉強してなんとか54ぐらいまでもって行ったときに「だからやれば出来るって言ったじゃない」って言われたことはよく覚えている。
だが当の本人は自覚がないらしい。現役を退いてXX年経っているにもかかわらず高校文系レベルの国語も英語も数学も普通に面倒を見る事が出来るような人は「すごい」のだと、言っても信じてもらえない。「これくらいは普通(常識)」と言い張る。
だから私は、ずっと長い事自分も大きくなったら母のようにすべてを知っている大人になれるのだと根拠もなく信じていた。
母自身の資質がやたら高かった事に気づいたのは、自分が母のようには到底なれないのだと諦めきったあとのことだった。
しかし幼い頃からの絶対的な壁に対するコンプレックスはあまりにも深く根ざしていて、崩したり乗り越えたりしようと頑張りはじめてはいるのだけれど、なんかもう高さが果てしない。
「無理」とつぶやいて見なかったことにしたいけど、既に気づいてしまったものはもう視界からは消えないわけで、かといって友人たちに愚痴る勇気もなく(「実は私、頭よかったんだ」なんて言えない)、とりあえずすこしでも壁が崩せないかと長々と増田に書いてみた。
すこし長すぎた気もするけど反省はしていない。
「やれば出来る子なんだから」といわれてもね、おかーさん。あなたの「普通」は難しかったよ。勉強は今でも大嫌いだよ。英語なんか日常でもあまり見たくない。でも言う事を素直に聞いて勉強というもののやり方をきちんと把握していたら、大学を中退せずに済んだかなとは思うんだ。
ごめんね。