はてなキーワード: 2ちゃんねるとは
「大富豪の美青年が、ひと目見た瞬間に惹かれた美しい女児を引き取り、初潮が来るより前から性的に開発する」
という設定だけなら18禁でもおかしくないような展開を好み「禁断」「囚」はけっこう売れたシリーズだった
20年ほど前の当時のネットにはいわゆる表現の自由戦士は目立たず
むしろ男性オタクが「エロ少女漫画をぶっ潰せ」という運動を2ちゃんねるで行い行政への通報テンプレがつくられ抗議活動していた
まだアフィサイトが流行る前で、テキストサイトでもエロ少女漫画叩きが盛んに行われていた
運動の成果なのか知らんが、エロ少女漫画はTLへと分かれ、少女漫画自体は全盛期より健全化が図られ昔はエロ漫画雑誌だった「デザート」は超健全雑誌に
ピッコマで刑部作品が配信されているのを見てふと当時を思い出した
でも10代だった当時と比べて、今読むとそこまでエロくもないな
いやストーリーとしてはエロいことやってるんだけど、赤面してもだえる少女の顔や男の大きな手などがうつされ
男がみんなやたら長くてうっとおしい前髪をしていて、髪で片目を省略して描いてることが多い
作者は、無垢な魂を持ちつつ体は淫蕩な少女を描くのが楽しい人で、男は少女の引き立て役なんだろうな
長身金持ちイケメンというのも、少女の小さな体を引き立てるため、少女の価値を高めるため、少女に釣り合わせるため
男がいわゆる便利棒でしかない
私もそう思うような気がする。高野伸という裁判官が文科一類に特別に採用した、鈴木光という女は、可愛くないし魅力もない。頭がいい頭がいいと言っているだけで中身がない。
クソガキで何もいいところがない。しかし、検察官の山田朋美が、ブサイクやブスだから、検事をやっているとすると疑問なしとしない。山田朋美は検事のみならず、農林水産業関係の
仕事も歴任する中で、平成23年9月に、2ちゃんねるに資源が枯渇したから自殺すると書き込んで暴走が始まった。書くこともリモートコントロールで決まっているから何の内容もない。
こういう状況に対して延岡市では全く反対がなかったわけではなく平成26年~29年の間はバクサイSNSなどでも反対が多く当時はほとんど論破されているような状況にあった。
この国は昭和54年頃からあるが、途中で論外になり、日本自体が消えたし、金も消えた。しかし最近の若い警官の間では、生活はどうするのか、お金はどうするのか、という言動がみられ
超絶に寒いという他ない。こんな言動は人生でも一度も聞いたことがない言動である・・・ 現在の3,40代は小さいころから食べるものは存在して当たり前で、生活をしなければいけないので
お金を稼がないといけないなどという意見をおよそ聞いたことがない。本件は警察官の書いた公文書と呼ばれるものであり、一般人は、その記載内容をおよそ信じていないのであるから、そこに
つばを吐いても悪戯であり、威力業務妨害罪には当たらない。 百歩譲ってこの国が昭和54年頃からあるものである、いわば、大昔からある、滋養にいいもの、いった感想でとらえられている
のではないかと思う。 40年間の長きに渡って続いており、長続きしており、滋養によい、といったような状態のものとして評価されているのではないかと思う。門川市に設置されているバス停の
椅子をみても、中谷がやっていた行政事務所をみても、昔からあって一度も崩壊せず、滋養健康にいい、というふうな状態のものしか解釈できないように思う。
本件で被疑者被告人は、2ちゃんねるに、50回以上にわたって警察官を殺害する趣旨の文章を掲示しており、その量も膨大であり、所轄の県警が威力業務妨害罪として
取るに足ると判断したから事件化したもので、原判断は相当である。
威力業務妨害罪として取るに足るだけの文章を掲示したのは争わないが、被告人は、2ちゃんねるのスレッドを伸ばすことにあったから、犯罪結果発生のおそれがあることを知らなかった
平成の国というものの状態にかんしては基本的に犯罪者で世間的に誰も認めていなかったし、現在でも、そのものないし状態は悪質で、何も評価する余地がないので
百歩譲って国の管轄に入っている株式会社はほとんどなく、警察が、ごく一部の店しか相手にしていなくてインターネットを含むほとんどの株式会社の店舗については
何も分からない状態のものであると解するとしても、なお、悪質で、どこに認める余地があるのか分からない。某の店の従業員の女性自体は非常に魅力的で犯罪的でも
詐欺でもない上に外観上嫌悪感を催す状態のものではないのでそれ自体は認められるが、それ以外に属するもので、認める余地がない。
バクサイと言うSNSは、全国的な行政区分(市町村)で分類し、結局は、警察行政の正当化のために運営されているSNSと認められるが、Twitterは元々、SNSではないが
実は悪人が多く利用していた。2ちゃんねるは一般的にはSNSではなく、インターネット上の掲示板と認識されているし、最近まで、子供が多く利用するわいせつサイトもあり、
東京高裁に控訴したとき国選弁護人に原判決を見せたら、文章として滅茶苦茶である、ということであった。一審の弁護士も、決めつけているから滅茶苦茶な文章で成立していないと言っていた。
何が理解できないのか?
被告人の2ちゃんねるに対する認識や本件書き込みの動機を前提としたとしても、・・・・・・ 警察官が無用の警戒活動をするかもしれないと思うことは当然であるから、弁護人の主張する
上記事実から直ちに被告人に偽計業務妨害の故意が存しなかったとは到底言えない。
確かに私は2ちゃんねるに書き込むときに、かなり本気で、あるようにみせてやんよオラアアアアアアアアという風に書きました、しかし、パソコンのある居室内を警察官が監視しているわけでもない
むしろ、個人のアパートの居室を誰かが監視している方がおかしいので、もし、本当に見ている者がいるとすれば、そちらの方が捜索されて、問題になる。しかも、2ちゃんねるは、種種雑多な事柄が
大量に書き込まれるインターネット上の掲示板であるので、なぜそこに記載された本件文言を警察官が通報により発見した場合に、それが、あるようにみせている、と分かるのか理解し難いという他ない
検事の山田。 被告人がインターネット利用者で、2ちゃんねるのスレッドを伸ばすことにあったから、犯罪結果発生を知らなかった、という原判決の主張。
延岡市のおぐらは閉店し、国道と、旭が丘におぐらがある。 記宏は小さいころからそういうところに連れて行っていまして、普通に食べていました。勇吉が生きて
いる頃に、敬一と一緒におぐらに連れて行ったり、グンポウのラーメンをとったこともあった。そういった昭和天皇の努力が実り
記宏の正体が発揮されて、 よく食べて東大文Ⅰに受かった。しかし、 佐藤はそのことに関して電磁的なプログラムを持っていないし、それに関する強い指令を送ることが
できないので
なぜかというと、佐藤もしくは、尾崎正和がどのような人生を送っていたのか分からない。ラーメンを食べていたとも思わない。だから認めているじゃない、と言っているのは
南方小学校や西階中学校で食い物にしようとしている若者に そういう平和なものを食べさせると、若さがなくなると考えているから、やらないというもので、予想はそういうこととなるが説明は
できない。都合が悪くなると、日光の明かりを、テクノロジーで全力でつけて、昭和天皇についていった人の視覚的な状況を減殺しようとする。
被告人は、2ちゃんねるを多くの虚偽情報が含まれる種々雑多な事柄が大量に書き込まれるインターネット上の掲示板と認識している上、本件各書き込みは、2ちゃんねるのスレッドを
令和5年は捉えどころのない年であったが、 具体的に言うならば、 令和5年5月3日の使用窃盗の件は、6月27日で不起訴になった。それから、令和5年は不吉な
夢の連続する年であった。 令和5年7月15日、9月26日、といった感じである。 美観たいうようなものはないと思う。
東京都板橋区北部では、スギ薬局がやたらと大量に開店しているような様子だった。整合性と言うことで言うと、何のこともないように思う。何の変化もない、ということである。
門川市の加草では、有限会社いおりが閉店し、福祉施設になったというような設計である。ただし、設計と言っている割に、労働者の間では、いかにも不自然な感じで失笑を禁じ得ない。
付近のホテル営業では、平成25年(2013年)頃の状況だと、アラビアンナイトというホテル営業が、現在では、モアになっているけれども、平成24年以前の、加草の状況など
調べようもない。なんという芸術的な趣もないように思う。昔はどうだったかということを調べようとしても、検索しても出て来ないわけだから、誰に聞いても分かるわけがない。
かつては、2ちゃんねるなどに本当の情報が書いていて、多くの者がそこにむらがって本当の情報を求めようとしていた時代もあったが、あの2ちゃんねるすら、最近はうそばかりとなり、それでは、
バクサイというのは、地元の情報が書いてあるとして、昔は有名だったが、気が付いたらうそだらけのサイトになっていた。何がうそだらけかというと、ここには黒羽刑務所の中のことも書いていないし、
私が、 令和元年11月頃だかに、荒川大橋の下で迷惑行為をしていたことも、何ら生々しく書いていないので、やっぱりうそだったかといった感じだ。
板橋区も視覚による詐欺がないわけではない。ファインズコート前野6丁目は、発見出来たり出来なかったりする。
志村警察署は元々、自然公園が広がっていたところを発掘して、期限が延期された挙句に、 令和5年4月15日から開始した。
東京は文化性が高いので、さらに、頑強なので、視覚による詐欺に騙されるということは少ない。 昼間になると、リモートコントロールで眠くなることも比較的少ないが、延岡の場合は、
露骨なので、
何の特色もない、 何も語ることがないという点では、目の前に広がっている世界をみれば分かるだろう
暇空茜の相棒のなるくんはまだ30そこそこのIT業界で働く青年
彼は大学生の頃は「みんなで本名明かしちゃわない?」と2ちゃんねるの大学のスレに書き込んでセルフ身バレしたり
顔写真や動画を乗せたりゲーム実況投稿するなどどとにかくネットから有名になりたい・稼ぎたいという願望が強かった
ドラクエⅩでネカマ姫プして取り巻きをRTAに誘導して金稼ぎしたがバレてBANされ、
運営への殺害予告を繰り返したり広場で猥語連呼して荒らしたりして永久BANされてそちらの世界では厄介者として名が知れた
でもなるくんは孤独なわけではなく、大学時代のリア友やドラクエ仲間と今でもつながっている
2022年末、暇空騒動の中で友人たちは「そのうちなるも捕まっちゃうんじゃない?」「もうこれぐらいにしたら?」と心配してリプを送っていた
なるくんは「マンション買うところまで行きたい」と返してそれでも暇空と共に歩む道を選んだ
友人の中にはなるくんと一緒にかぶれてナニカグループの存在を信じるようになった者もいるが、
「おっさんにしっぽ振ってるなるをもう見たくない」と言ってなるくんと袂を分かった者もいた
現代って友情の成立から崩壊まで全部ネット上に記録しちゃう人がいるのがすごいな
なるくんは電通デジタル勤務で、詳細は不明だが多分正社員ではないと思う
暇空と組むようになって収益の半分を渡されるようになり、なるくんの金遣いは急速に荒くなった
先日は腹部の脂肪吸引もした
30そこそこの男が、ただ食事制限ダイエットするだけで筋トレもしないぶよぶよの腹を晒していきなり脂肪吸引とは、手にした大金を消費したい欲求も膨らんでいるのだろう
暇空の動画はすべてなるくんが作っており、なるくんはただの下請けではなく独自解釈なども加えている
「フェミ叩きが受ける」として仁藤を次のターゲットにすればバズると提案したのもなるくんだ
暇空は複数人から刑事告訴されており、6億円レイドバトルのためこれからも参戦者は増えていくだろう
なるくんは仁藤から名指し済みだし、他の暇空被害者からもyoutubeの共同運営者として恨みを買っている
なるくんはもう逃げられない 取り返しがつかない
2022年時点で手を切れてたらまだどうにかなったかもしれないけど
暇空は前科がついても金があるけど、なるくんはそこまでじゃないだろう
尽くせば暇空が一生養ってくれるのか?
インターネットミームって基本的に、「皆が使う」からミームになるわけだ
かつてのインターネットは有名フラッシュや有名テキストサイトはいわば「教養」として共有されているだけで、ただみんなが知っている、というものだった
2ちゃんねるはじめ掲示板全盛期に、皆がそれを真似して使うことで初めてミームに定着していった
なのでミームとは、コピペのように、ネット上で文字として書かれ続けることでミームになっていたわけだ
絵や動画にしちゃえる人はほんの一握りの技術を持つ人で、ミームになる元ネタの提供だって一部の技術者に限られていたわけだ
ニコニコ動画ができたあたりから、一次情報の転載や改変は行われていたが、それでもやはり職人のお遊びという側面はぬぐえない
結局マスは職人たちのお遊びを文字としてミーム化して遊んでいただけだ
そして時代がたち、ニコ動の崩壊からのYoutubeの再興、2ちゃんの崩壊、SNSの浸透などが起き、ミームはSNSで起きるようになった
やがてツイッターやインスタが画像を操るようになり、そうなるとすぐに画像のミーム、例えば有名漫画の一コマや、現場猫などが登場した
画像が気軽に張れるようになって「逆だったかもしれねえ」「君のようなカンの鋭い子供は嫌いだよ」的なやつはもはや浸透しきっている
現場猫は、それ以前であれば「ヨシ!」だけがミームとなったはずが、ネコのイラストをいろんな状況に合成することで活躍の場を広げていった
そしてtiktokの登場により、ついに動画そのものがSNSになった
マスが操るのは文字や画像にに限らなくなり、誰でも気軽に動画を操れるようになったのはここ最近だ
「はやりのダンス」はあっても、「はやりのミーム動画」はなかったわけだ
その間はかつての面白フラッシュのような welcome to underground 感はかけらもないきらびやかな世界だった
しかし、浸透すればするほど若い女の子以外もはやりのコンテンツに流れていく
そんな時代になってついに誕生したのが文字ではない動画素材としてのミーム、猫ミームだ
猫の動画を素材として合成して自分の動画に使うミームが猫ミームだ
ついにここまで来たのかー、と思ったね
面白い文を練って書くのではなく、同じ文脈を共有する大勢のマスが作った大量のミーム動画を、テレビをザッピングするように浴び続ける時代
本邦の“女流”ジャーナリストの草分けと言えるであろう上坂冬子は、かつて著書の中で原発について
「我が国の優秀な専門家の方々がしっかりやってくれているのだから、素人が文句をつけるべきでない」という旨の主張をした。
ところで氏は東日本大震災の少し前に世を去っている。ほんの少しだけ長生きしていただきたかったことである。
野次馬の声を押さえつけることなどできないしするべきではないが、それにしても野次馬の声のボリュームが(テクノロジーによって)大きくなりすぎている。
野次馬と一緒にリアルタイムでワーワー相談しながら進められることなどない。当局者は萎縮して右顧左眄し、一貫性を手放し、アリバイ的な形式主義に陥る。弊害しかない。
中立的な社会インフラになりかけてたのが、一気に2ちゃんねる的なモノに戻っていった。
野次馬はそういうサンドボックス内で好きなだけ騒いでなさい、実務は密室で進めておくからという体制が固まりつつある。
いま「権力は信用ならない、文春砲が民衆の武器だ」と、スキャンダルによる私刑に期待と支持が集まっている。
それはしかし俯瞰的に見れば「うまく砂場に誘導されている図」であると思う。
世界的な「法秩序より正義を」の動き、デマの物量戦、情報蝗害、インプレゾンビ
とりあえずメモまで
※ 始めにこの文は現在公開されている映画「機動戦士ガンダムSEED FREEDOM」の内容やSEED本編には全く関係が無い、ただの人生の半分以上を同人という世界に身を浸してきたオタクの同人懐古話である事を注記する。
20年越しでのSEED映画公開に対して某先生がコメントしていたというのを見て、走馬灯のように思い出した昔のBL同人界と同人誌の話をする。
まだインターネットが一般に普及しきっておらず、当然Twitterやpixivも無く、2ちゃんねるも出来たばかりぐらいの2〇年前の話だ。
当時の情報媒体はまだ雑誌が主体であり、同人誌の頒布方法はイベントか通信販売だった。
書店委託(当時はアニメイトかまんだらけ)で買えるのは一部の大手だけであった。(書店委託できるサークルは大手の証であった時期)
では大多数はどう通信販売をしていたかというと「自作同人誌の情報を雑誌(ぱふ・アニメーシュ・COMIC BOX ジュニア・ファンロード等)に掲載・ペーパーを配布(イベントかアニメイトかまんだらけ)し、欲しい人は記載された住所に手紙を出し、サークルと直接取り引きをする」だった。
前述通り、住所で調べたら行き方や家の画像が出てくるNAVITIMEやgoogleMAPは勿論無い時代で、むしろ住所は載せなければ通販はできない時代だった。(個人情報保護の考えや法案等は勿論無い)
この「サークルと直接取り引きをする」というのは、つまり当時通販作業は殆ど全て作者本人の手作業でやっていたのである。同人誌の梱包作業の為の資材準備から、何十・人によっては何百・何千件の郵送手配まで全て。
当時は資材準備に便利な百均や郵送を遅い時間や土日祝でも受けてくれるコンビニも無かった(コンビニ自体はもうあったが郵送受付は2004年以降)為、生まれた同人界のマナーがあった。
「通販を頼んだ同人誌は1ヵ月以上待つ事もある、だからと言ってサークル主さんにせっつくのは辞めよう!貴重な時間を使わせているし様々な事情もあるだろうから」
ここまで前提として話した上で、当時同人界隈の問題の一つとしてあったのは「サークルで予告された同人誌が出ない」だった。
中には予約まで受付して代金を徴収していたにも拘らず、作者がやる気を無くした、または別ジャンルに移る等様々な事情で発行できなくなったケースがあり、仲間内で話されるも表沙汰にはなかなかならなかった。
何故かというと前述した理由により、何ヶ月でも待つ方が多かったというのと、予告はサークル側の口約束であり、法に問える可能性は少なく、被害額も一人何百円程度が殆ど、そもそもが同人活動という一種のグレーゾーン社会の中での出来事と有耶無耶になってしまい、結局は通販を頼んだ側の泣き寝入りになっていたことが多かった。
某先生の話に戻す。
某先生は既に商業誌で活躍されていらっしゃる中、漫画ジャンルのかなりマイナーなカップリング(A(攻)×B(受)と表すると、B受自体が少数派の中、B受の主はC×Bだった)の同人誌を出されており、高い画力と美しい表紙で人気だった。
シリーズ長編として銘打たれた分厚いA×B本を発行し、「続きは次のイベントで発行します!」と宣伝。
売り子さんだったとは思うが発行延期になったという話にガッカリはするも楽しみに待ち続けた。
Bはその当時、最愛キャラとして推していた(当時は「推し」という単語は無かったが)のと、某先生の美しい絵での貴重なカップリングでの重厚な物語にすっかり虜になっていた。
友人も某先生の大ファンであり、その本については予約もしたと得意気に話していたのを覚えている。
自分の中での妄想を(今でいう三次創作になるだろうか)ノートに綴ったりもしていた。
その後、ペーパーにて「発行が遅くなってすみません」の言及で、出す気はあるんだと少しの安心と、「○○の本は出すのにこっちの本は出さないんだな」とモヤモヤした思いを抱き続けていた。
月日は経ち、ペーパーからはその本の発行予定は消え、ガンダムSEEDが放映され人気ジャンルとなり、人気サークルの中に某先生の名前をお見掛けし、ガンダムSEEDの推しキャラAへの愛を綴っているのを見、自分の中で
「あの本はもう出ないんだ」とやっと諦めが付いた。
あの当時同人誌を出されていた方々で、今では一般誌やBL商業誌で活躍されている方も多数いる。
この件についてはとっくに時効でもあるだろうし、自分も今更問い質すつもりは毛頭無い。
当時の同人界隈ではサークル規模の大小拘らず「良くある事」だったのだ。
ただ、某先生の名前を見かけるたびに未だに思ってしまうのである。
「あの本は出なかったな、せめてどんな話だったかは見たかったな」と。
※2〇年前の話なので勿論齟齬や記憶違いも多分にあるかとは思うが、記録として残したいとも思い投稿した。訂正、指摘は歓迎する。
勿論、「某先生を侮辱するな、あの本は発行されている」の話があれば喜び勇んで検索の旅に出てこの文は全消去する。
※また、蛇足ではあるが、当時同人誌の通販をした人が何ヶ月でも待つ方が多かったというのは、決して我慢強い方が多かったという訳では無いと言っておく。
そしてその経験があるからこそ、自分は今の同人文化については「良い時代になった」という思いでほぼ占められている。自分の欲しいカップリングやジャンルの同人誌を探し手に入れる為に作者本人に手紙を出し、通販希望のみだと作者に失礼に当たるからと感想を捻り出し郵送を時には何ヶ月も待つ、あるいはイベントでのパンフレットのサークルカットの絵やジャンルカップリング表記だけを頼りにするしかなかったあの頃になんて戻りたくない。