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はてなキーワード: 2ちゃんねるとは

2024-03-19

刑部真芯少女漫画が最もエロかった時代活躍した漫画家

大富豪美青年が、ひと目見た瞬間に惹かれた美しい女児を引き取り、初潮が来るより前から性的に開発する」

という設定だけなら18禁でもおかしくないような展開を好み「禁断」「囚」はけっこう売れたシリーズだった

20年ほど前の当時のネットはいわゆる表現の自由戦士は目立たず

しろ男性オタクが「エロ少女漫画をぶっ潰せ」という運動2ちゃんねるで行い行政への通報テンプレがつくられ抗議活動していた

まだアフィサイト流行る前で、テキストサイトでもエロ少女漫画叩きが盛んに行われていた

運動の成果なのか知らんが、エロ少女漫画はTLへと分かれ、少女漫画自体は全盛期より健全化が図られ昔はエロ漫画雑誌だった「デザート」は超健全雑誌

ピッコマ刑部作品配信されているのを見てふと当時を思い出した

でも10代だった当時と比べて、今読むとそこまでエロくもないな

いやストーリーとしてはエロいことやってるんだけど、赤面してもだえ少女の顔や男の大きな手などがうつされ

胸も性器もほぼ出ないし、具体的描写全然ない

一応少女向けだからナーフしてたのかな

あと女の子を可愛く描いてる一方で男の描写が雑

男がみんなやたら長くてうっとおしい前髪をしていて、髪で片目を省略して描いてることが多い

作者は、無垢な魂を持ちつつ体は淫蕩少女を描くのが楽しい人で、男は少女の引き立て役なんだろうな

長身金持ちイケメンというのも、少女の小さな体を引き立てるため、少女価値を高めるため、少女釣り合わせるため

男がいわゆる便利棒でしかない

2024-03-18

   東京都板橋区場合は、 坂下小川建設集落2ちゃんねらーが大量にいることが割れているが、延岡等の場合は、どこのだれが2ちゃんねるをしているのか分からない

  状況

       

https://anond.hatelabo.jp/20240318064310

   私もそう思うような気がする。高野伸という裁判官文科一類特別採用した、鈴木光という女は、可愛くないし魅力もない。頭がいい頭がいいと言っているだけで中身がない。

   クソガキで何もいいところがない。しかし、検察官山田朋美が、ブサイクやブスだから検事をやっているとすると疑問なしとしない。山田朋美は検事のみならず、農林水産業関係

   仕事歴任する中で、平成23年9月に、2ちゃんねる資源が枯渇したか自殺すると書き込んで暴走が始まった。書くこともリモートコントロールで決まっているから何の内容もない。

   こういう状況に対して延岡市では全く反対がなかったわけではなく平成26年~29年の間はバクサイSNSなどでも反対が多く当時はほとんど論破されているような状況にあった。

   この国は昭和54年頃からあるが、途中で論外になり、日本自体が消えたし、金も消えた。しか最近若い警官の間では、生活はどうするのか、お金はどうするのか、という言動がみられ

   超絶に寒いという他ない。こんな言動人生でも一度も聞いたことがない言動である・・・ 現在の3,40代は小さいころから食べるもの存在して当たり前で、生活をしなければいけないので

   お金を稼がないといけないなどという意見をおよそ聞いたことがない。本件は警察官の書いた公文書と呼ばれるものであり、一般人は、その記載内容をおよそ信じていないのであるから、そこに

   つばを吐いても悪戯であり、威力業務妨害罪には当たらない。 百歩譲ってこの国が昭和54年頃からあるものである、いわば、大昔からある、滋養にいいもの、いった感想でとらえられている

   のではないかと思う。 40年間の長きに渡って続いており、長続きしており、滋養によい、といったような状態のものとして評価されているのではないかと思う。門川市に設置されているバス停

   椅子をみても、中谷がやっていた行政事務所をみても、昔からあって一度も崩壊せず、滋養健康にいい、というふうな状態のものしか解釈できないように思う。

   

2024-03-13

   意見書     東京地検検察官検事 山田朋美

           さいたま地検越谷支部 同   山本未来(みく)

           前橋地方検察庁   同   土屋大気

     本件で被疑者被告人は、2ちゃんねるに、50回以上にわたって警察官殺害する趣旨文章掲示しており、その量も膨大であり、所轄の県警が威力業務妨害罪として

  取るに足ると判断たか事件化したもので、原判断は相当である

    意見書 八王子  法律事務所  古城英俊

        代々木総合法律事務所  新宅正雄

        成合一弘弁護士事務所  成合一弘

        西山 総合法律事務所  西山律博、松岡優子

        

        

       威力業務妨害罪として取るに足るだけの文章掲示したのは争わないが、被告人は、2ちゃんねるスレッドを伸ばすことにあったから、犯罪結果発生のおそれがあることを知らなかった

     もので、故意は争う。

  平成の国というもの状態にかんしては基本的犯罪者世間的に誰も認めていなかったし、現在でも、そのものないし状態は悪質で、何も評価する余地がないので

   百歩譲って国の管轄に入っている株式会社ほとんどなく、警察が、ごく一部の店しか相手にしていなくてインターネットを含むほとんどの株式会社店舗については

   何も分からない状態のものであると解するとしても、なお、悪質で、どこに認める余地があるのか分からない。某の店の従業員女性自体は非常に魅力的で犯罪的でも

  詐欺でもない上に外観上嫌悪感を催す状態のものではないのでそれ自体は認められるが、それ以外に属するもので、認める余地がない。

     バクサイと言うSNSは、全国的行政区分市町村)で分類し、結局は、警察行政正当化のために運営されているSNSと認められるが、Twitterは元々、SNSではないが

  実は悪人が多く利用していた。2ちゃんねる一般的にはSNSではなく、インターネット上の掲示板認識されているし、最近まで、子供が多く利用するわいせつサイトもあり、

   バクサイSNSのような犯罪性の高いものは論外であるという風潮だったが、それがなくなった。

2024-03-11

  昔の2ちゃんねるYoutubeは、この国がしていることを知悉していることを踏まえ、これを論破するという動機の下に開始されたものであるが、それをしていた西村博之堀江貴文

   多くの芸能人がもう飽きて機能していない結果として、悪人自分のやりたいことを容易に実現できる状態になっているところ、かつてそれを阻止しようとしていたこいつらが

  一向に答えを出さないから。

2024-03-09

   東京高裁控訴したとき国選弁護人に原判決を見せたら、文章として滅茶苦茶である、ということであった。一審の弁護士も、決めつけているから滅茶苦茶な文章で成立していないと言っていた。

   何が理解できないのか?

    被告人2ちゃんねるに対する認識や本件書き込み動機を前提としたとしても、・・・・・・ 警察官無用の警戒活動をするかもしれないと思うことは当然であるから弁護人の主張する

   上記事実から直ちに被告人偽計業務妨害故意が存しなかったとは到底言えない。

     確かに私は2ちゃんねるに書き込むときに、かなり本気で、あるようにみせてやんよオラアアアアアアアアという風に書きました、しかし、パソコンのある居室内を警察官監視しているわけでもない

  むしろ個人アパートの居室を誰かが監視している方がおかしいので、もし、本当に見ている者がいるとすれば、そちらの方が捜索されて、問題になる。しかも、2ちゃんねるは、種種雑多な事柄

   大量に書き込まれインターネット上の掲示板であるので、なぜそこに記載された本件文言警察官通報により発見した場合に、それが、あるようにみせている、と分かるのか理解し難いという他ない

    本人があるようにみせたのではなくて、逮捕祭りをした人があるようにみせたのではないか

2024-03-06

https://anond.hatelabo.jp/20240306184427

  検事山田。  被告人インターネット利用者で、2ちゃんねるスレッドを伸ばすことにあったから、犯罪結果発生を知らなかった、という原判決の主張。

   延岡市おぐらは閉店し、国道と、旭が丘おぐらがある。  記宏は小さいころからそういうところに連れて行っていまして、普通に食べていました。勇吉が生きて

   いる頃に、敬一と一緒におぐらに連れて行ったり、グンポウのラーメンをとったこともあった。そういった昭和天皇努力が実り

    記宏の正体が発揮されて、  よく食べて東大文Ⅰに受かった。しかし、 佐藤はそのことに関して電磁的なプログラムを持っていないし、それに関する強い指令を送ることが

  できないので

    なぜかというと、佐藤もしくは、尾崎正和がどのような人生を送っていたのか分からない。ラーメンを食べていたとも思わない。だから認めているじゃない、と言っているのは

  2ちゃんねる装置をつけて言っているだけで、現在の状況で

   南方小学校や西階中学校で食い物にしようとしている若者に そういう平和ものを食べさせると、若さがなくなると考えているから、やらないというもので、予想はそういうこととなるが説明

  できない。都合が悪くなると、日光の明かりを、テクノロジーで全力でつけて、昭和天皇についていった人の視覚的な状況を減殺しようとする。

https://anond.hatelabo.jp/20240306071435

   平成24年10月18日さいたま地裁越谷支部判決

     被告人は、2ちゃんねるを多くの虚偽情報が含まれる種々雑多な事柄が大量に書き込まれインターネット上の掲示板認識している上、本件各書き込みは、2ちゃんねるスレッド

  伸ばすことにあったのであるから被告人は、本件書き込みによって警察業務妨害するおそれがあることを知らなかった。

   令和5年は捉えどころのない年であったが、 具体的に言うならば、 令和5年5月3日の使用窃盗の件は、6月27日で不起訴になった。それから、令和5年は不吉な

   夢の連続する年であった。 令和5年7月15日、9月26日、といった感じである。 美観たいうようなものはないと思う。

      東京都板橋区北部では、スギ薬局がやたらと大量に開店しているような様子だった。整合性と言うことで言うと、何のこともないように思う。何の変化もない、ということである

  門川市の加草では、有限会社いおりが閉店し、福祉施設になったというような設計である。ただし、設計と言っている割に、労働者の間では、いかにも不自然な感じで失笑を禁じ得ない。

   付近ホテル営業では、平成25年(2013年)頃の状況だと、アラビアンナイトというホテル営業が、現在では、モアになっているけれども、平成24年以前の、加草の状況など

  調べようもない。なんという芸術的な趣もないように思う。昔はどうだったかということを調べようとしても、検索しても出て来ないわけだから、誰に聞いても分かるわけがない。

   かつては、2ちゃんねるなどに本当の情報が書いていて、多くの者がそこにむらがって本当の情報を求めようとしていた時代もあったが、あの2ちゃんねるすら、最近うそばかりとなり、それでは、

 バクサイというのは、地元情報が書いてあるとして、昔は有名だったが、気が付いたらうそだらけのサイトになっていた。何がうそだらけかというと、ここには黒羽刑務所の中のことも書いていないし、

  私が、 令和元年11月頃だかに荒川大橋の下で迷惑行為をしていたことも、何ら生々しく書いていないので、やっぱりうそだったかといった感じだ。

     板橋区視覚による詐欺がないわけではない。ファインズコート前野6丁目は、発見出来たり出来なかったりする。

   志村警察署は元々、自然公園が広がっていたところを発掘して、期限が延期された挙句に、 令和5年4月15日から開始した。

   東京文化性が高いので、さらに、頑強なので、視覚による詐欺に騙されるということは少ない。 昼間になると、リモートコントロールで眠くなることも比較的少ないが、延岡場合は、

  露骨なので、

     何の特色もない、 何も語ることがないという点では、目の前に広がっている世界をみれば分かるだろう

2024-03-04

   裁判官鈴木秀行は、 警察官面前調書(乙7)は問答体によってなされているし、検察官面前調書(乙9)は、書き込み当時の心境をまじえながらしていると

   書いているが、 これらの書面は、捜査官が作成しているもので信用性はない。被告人は、法廷において、故意がなかった理由を述べるとともに、お前のしている裁判

   現在日本列島に住んでいる多くの者にとって意味不明で、お前が存在していること自体おかしい、ということを言っただけであって、この言動は何ら不合理ではない。

   故意がなかった理由については、法廷で、2ちゃんねるで遊んでいる子供が知ってるわけねえだろ、という言動をしたもので、これも別に不合理ではない。

2024-03-02

    自宅にいて2ちゃんねるをいじって遊んでいる子供威力業務妨害の仕方を知っているわけがないという社会的事実から裁判で、2ちゃんねるスレッドを伸ばすことにあったのであるから

  被告人には偽計業務妨害罪故意が存しなかった、という主張をした下級審裁判例はある。

    これの趣旨は、2ちゃんねるで遊んでいる子供2ちゃんねるにした適当書き込み逮捕事案に該当させるなど論外である趣旨である

     この際、  被告人は知らなかった、と主張するのが弁護士の間のならわしとなっており、 教えていないから、知らなかったと言われれば有罪にしようがない。

2024-03-01

弁護人は、被告人は、2ちゃんねるを多くの虚偽情報が含まれる種々雑多な事柄が大量に書き込まれインターネット上の掲示板認識している上、本件各書き込みは、2ちゃんねるスレッドを伸ばすことにあったのであるから被告人は、本件書き込みによって警察業務妨害するおそれがあることを知らなかったとして上記(4)の主張をする。

   という下級審判例があるから

検察官山田朋美のクソガキ

    こいつがどういう言動をしたか

  H24、2取り調べ     「こういう書き方をしたらこっちも動かざるをえないでしょー?」 「この国は変わらない」

 公判における言動       弁護人     被告人は、2ちゃんねるで遊んでいたため、警察業務妨害するおそれがあることを知らなかった。

               検事としての反応    しまった、 法律デザインであることは必死で隠しているけど、 教えていないから、 知らなかった、 という弁論は痛い。

    裁判官  鈴木秀行の反応         被告人法廷における言動  これただの意匠やないかおまえ、 法なんぞもうない

             →     あ、それはいえる、ぐすん

2024-02-17

なるくんの友達もっと真剣に引き止めるべきだった

暇空茜の相棒のなるくんはまだ30そこそこのIT業界で働く青年

彼は大学生の頃は「みんなで本名明かしちゃわない?」と2ちゃんねる大学スレに書き込んでセルフ身バレしたり

顔写真動画を乗せたりゲーム実況投稿するなどどとにかくネットから有名になりたい・稼ぎたいという願望が強かった

ドラクエⅩでネカマ姫プして取り巻きRTA誘導して金稼ぎしたがバレてBANされ、

運営への殺害予告を繰り返したり広場で猥語連呼して荒らしたりして永久BANされてそちらの世界では厄介者として名が知れた

でもなるくんは孤独なわけではなく、大学時代のリア友ドラクエ仲間と今でもつながっている

2022年末、暇空騒動の中で友人たちは「そのうちなるも捕まっちゃうんじゃない?」「もうこれぐらいにしたら?」と心配してリプを送っていた

なるくんは「マンション買うところまで行きたい」と返してそれでも暇空と共に歩む道を選んだ

友人の中にはなるくんと一緒にかぶれてナニカグループ存在を信じるようになった者もいるが、

おっさんにしっぽ振ってるなるをもう見たくない」と言ってなるくんと袂を分かった者もいた

現代って友情の成立から崩壊まで全部ネット上に記録しちゃう人がいるのがすごいな

なるくんは電通デジタル勤務で、詳細は不明だが多分正社員ではないと思う

暇空と組むようになって収益の半分を渡されるようになり、なるくんの金遣いは急速に荒くなった

先日は腹部の脂肪吸引もした

30そこそこの男が、ただ食事制限ダイエットするだけで筋トレもしないぶよぶよの腹を晒していきなり脂肪吸引とは、手にした大金を消費したい欲求も膨らんでいるのだろう

暇空の動画はすべてなるくんが作っており、なるくんはただの下請けではなく独自解釈なども加えている

フェミ叩きが受ける」として仁藤を次のターゲットにすればバズる提案したのもなるくんだ

暇空は複数人から刑事告訴されており、6億円レイドバトルのためこれからも参戦者は増えていくだろう

なるくんは仁藤から名指し済みだし、他の暇空被害者からyoutube共同運営者として恨みを買っている

いや本当、友達もっと真剣に足抜けさせるべきだったよ

ただの下請けとしてガーシーの動画制作してた人ですら捕まった

なるくんはもう逃げられない 取り返しがつかない

2022年時点で手を切れてたらまだどうにかなったかもしれないけど

暇空は前科がついても金があるけど、なるくんはそこまでじゃないだろう

尽くせば暇空が一生養ってくれるのか?

いきなり現れたおっさんより10年前から友達の言うこと聞いたほうが良かった

2024-02-13

ミーム革命だよね

インターネットミームって基本的に、「皆が使う」からミームになるわけだ

かつてのインターネットは有名フラッシュや有名テキストサイトはいわば「教養」として共有されているだけで、ただみんなが知っている、というものだった

2ちゃんねるはじめ掲示板全盛期に、皆がそれを真似して使うことで初めてミームに定着していった

教養からミーム化には、マスが真似することが必須と言えよう

なのでミームとは、コピペのように、ネット上で文字として書かれ続けることでミームになっていたわけだ

なぜならマスが操れるのは文字しかいか

絵や動画にしちゃえる人はほんの一握りの技術を持つ人で、ミームになる元ネタ提供だって一部の技術者に限られていたわけだ

ニコニコ動画ができたあたりから、一次情報転載や改変は行われていたが、それでもやはり職人のお遊びという側面はぬぐえない

結局マスは職人たちのお遊びを文字としてミーム化して遊んでいただけだ

そして時代がたち、ニコ動崩壊からYoutubeの再興、2ちゃん崩壊SNSの浸透などが起き、ミームSNSで起きるようになった

いま一番マスが文字を操る場はSNSから

やがてツイッターやインスタが画像を操るようになり、そうなるとすぐに画像ミーム、例えば有名漫画の一コマや、現場猫などが登場した

画像が気軽に張れるようになって「逆だったかもしれねえ」「君のようなカンの鋭い子供は嫌いだよ」的なやつはもはや浸透しきっている

現場猫は、それ以前であれば「ヨシ!」だけがミームとなったはずが、ネコイラストをいろんな状況に合成することで活躍の場を広げていった

そしてtiktokの登場により、ついに動画のものSNSになった

マスが操るのは文字画像にに限らなくなり、誰でも気軽に動画を操れるようになったのはここ最近

それでもしばらくは若い女の子たちが踊るだけだったわけだ

「はやりのダンス」はあっても、「はやりのミーム動画」はなかったわけだ

その間はかつての面白フラッシュのような welcome to underground 感はかけらもないきらびやか世界だった

しかし、浸透すればするほど若い女の子以外もはやりのコンテンツに流れていく

そしてyoutubeショート動画追随

そんな時代になってついに誕生したのが文字ではない動画素材としてのミーム、猫ミーム

猫の動画を素材として合成して自分動画に使うミームが猫ミーム

ついにここまで来たのかー、と思ったね

誰もが動画を作り投稿する世界

面白い文を練って書くのではなく、同じ文脈を共有する大勢のマスが作った大量のミーム動画を、テレビザッピングするように浴び続ける時代

文字(第1世代)、画像(第2世代)、動画(第3世代)とミームの形は変わっていった

ミーム三世代をついに始動させた猫ミームは、ミーム革命と言っていいと思う

2024-02-09

anond:20240209162856

2ちゃんねるって毀誉褒貶あるけど、なんだかんだ人生の役に立った人は多いよな。

愚かなこともしちゃうけども、ネットの膨大な知識を前にすればなんだかんだで最終的には自分立ち位置クリアになって正しい努力ができるようになる。

オレも2ちゃんねるのおかげで夢だった今の仕事につけてる。

まあ、周りに危害があるといけないからある程度サンドボックスをしっかりして隔離しておく必要はあるけど、愚かなことを経験しておける場って大事だよな。

2024-02-02

本邦の“女流ジャーナリスト草分けと言えるであろう上坂冬子は、かつて著書の中で原発について

我が国の優秀な専門家の方々がしっかりやってくれているのだから素人文句をつけるべきでない」という旨の主張をした。

まあ、よくある素朴な反・反体制言論である

ところで氏は東日本大震災の少し前に世を去っている。ほんの少しだけ長生きしていただきたかたこである

野次馬の声を押さえつけることなどできないしするべきではないが、それにしても野次馬の声のボリュームが(テクノロジーによって)大きくなりすぎている。

野次馬と一緒にリアルタイムでワーワー相談しながら進められることなどない。当局者は萎縮して右顧左眄し、一貫性を手放し、アリバイ的な形式主義に陥る。弊害しかない。

まあ、ツイッターのX化が一つの曲がり角かな。

中立的社会インフラになりかけてたのが、一気に2ちゃんねる的なモノに戻っていった。

野次馬はそういうサンドボックス内で好きなだけ騒いでなさい、実務は密室で進めておくからという体制が固まりつつある。

いま「権力は信用ならない、文春砲民衆武器だ」と、スキャンダルによる私刑に期待と支持が集まっている。

それはしか俯瞰的に見れば「うまく砂場誘導されている図」であると思う。

世界的な「法秩序より正義を」の動き、デマの物量戦、情報蝗害、インプレゾンビ

とりあえずメモまで

2024-02-01

anond:20240201122825

往年の2ちゃんねるっぽい絶妙な内容、改行、文字数・・・

この人は「プロ」だ・・・

間違いない

長年のきゅう覚がそう言っている

2024-01-31

ネット上の攻撃性の高い言葉ゾーニングする、という案

今回の件をきっかけに考えたことではあるんだけど、今回の件に限らず、現在ネット上はそれ自体の正しさは兎も角として攻撃的な言葉が多すぎると思う。

そうした言葉で傷付いてしまったり、悪い影響を受けてしまう人もいるし、ネット上で攻撃的な言葉を吐く事が依存症みたいになっている人もよく見る。

ネット上の(古くは2ちゃんねる由来の?)攻撃性に合わない人はこれまで「そういう人はネットに合わない」「SNSに触れない方が良い」と言われがちだけど、

しろ攻撃的な言葉の方をゾーニングする、という発想も有るんじゃないか?と思った。

 

はてなにはゾーニング肯定派と反対派がいると思うけど、主にリベラル側の人は肯定派が多い印象。

そういう人は少なくともこの案にも賛成してくれるんじゃないか、と思っている。

彼ら彼女らの言っているゾーニングとそこまで変わるものでは無い筈、多分。

(逆にゾーニング反対派を説得する材料は残念ながら今の所有力なものは思い付けていない・・・・何かあれば教えて欲しい)

 

具体的にどうするかと言うと簡単で、暴言とか攻撃的な書き込みをしていい(もちろん現時点でアウトなものダメだけど)SNSを作って、

そこにはそういうのがOKと自認している人達だけ集まる。

で、それ以外のSNSでは暴言攻撃的な書き込みはしない、とする。そうすれば攻撃的な書き込みをしていい場所とそうでない場所を分けられるし(ゾーニング)、それは表現規制じゃない。(というのがゾーニング論の立て付けの筈)

まぁXはじめ多くのSNS日本企業じゃないので当然難しいんだけど、例えば日本ユーザーだけで自主的棲み分けゾーニング)を進めていく、くらいはアリなのでは?と思う。(完全な実現を目指さなくても部分的に実現するだけでもいい)

 

正直なところ、これは勝手思い込みだけど、今回の件もコメントが公開されたのがXじゃなかったら・・・・って思ってしまうんだよね・・・

あんないま一番地獄と言っても過言じゃないSNS日本メインストリームSNSじゃなかったら、他のSNSがもし選ばれていたら、もっと結果はマシだったんじゃないか、って。

しかしたら誰かが亡くなることはなかったんじゃないか、って・・・・・

個人的に今回の件は結構心にダメージを受けた。もう、こんなことはあってほしくない。

今、人々は当たり前に受け止めてるけど、かなり多くの人が利用するメインストリームSNSが、ここまで暴言や悪意や攻撃性にあふれている状況は、本当はおかしいんじゃないだろうか?

そしてその状況は「ゾーニングの不足」により引き起こされているのでは?

こういう所でこそゾーニング効果は発揮されるべきなんじゃないだろうか。

2024-01-27

映画機動戦士ガンダムSEED FREEDOM」へのコメントで懐古した当時の同人界隈と通販事情と闇

※ 始めにこの文は現在公開されている映画機動戦士ガンダムSEED FREEDOM」の内容やSEED本編には全く関係が無い、ただの人生の半分以上を同人という世界に身を浸してきたオタク同人懐古話である事を注記する。

20年越しでのSEED映画公開に対して某先生コメントしていたというのを見て、走馬灯のように思い出した昔のBL同人界と同人誌の話をする。

まだインターネット一般に普及しきっておらず、当然Twitterpixivも無く、2ちゃんねるも出来たばかりぐらいの2〇年前の話だ。

当時の情報媒体はまだ雑誌主体であり、同人誌の頒布方法イベント通信販売だった。

書店委託(当時はアニメイトまんだらけ)で買えるのは一部の大手だけであった。(書店委託できるサークル大手の証であった時期)

では大多数はどう通信販売をしていたかというと「自作同人誌の情報雑誌ぱふアニメーシュ・COMIC BOX ジュニアファンロード等)に掲載・ペーパーを配布(イベントアニメイトまんだらけ)し、欲しい人は記載された住所に手紙を出し、サークルと直接取り引きをする」だった。

前述通り、住所で調べたら行き方や家の画像が出てくるNAVITIMEやgoogleMAPは勿論無い時代で、むしろ住所は載せなければ通販はできない時代だった。(個人情報保護の考えや法案等は勿論無い)

この「サークルと直接取り引きをする」というのは、つまり当時通販作業殆ど全て作者本人の手作業でやっていたのである同人誌の梱包作業の為の資材準備から、何十・人によっては何百・何千件の郵送手配まで全て。

当時は資材準備に便利な百均や郵送を遅い時間や土日祝でも受けてくれるコンビニも無かった(コンビニ自体はもうあったが郵送受付は2004年以降)為、生まれ同人界のマナーがあった。

通販を頼んだ同人誌は1ヵ月以上待つ事もある、だからと言ってサークル主さんにせっつくのは辞めよう!貴重な時間を使わせているし様々な事情もあるだろうから

ここまで前提として話した上で、当時同人界隈の問題の一つとしてあったのは「サークルで予告された同人誌が出ない」だった。

中には予約まで受付して代金を徴収していたにも拘らず、作者がやる気を無くした、または別ジャンルに移る等様々な事情で発行できなくなったケースがあり、仲間内で話されるも表沙汰にはなかなかならなかった。

何故かというと前述した理由により、何ヶ月でも待つ方が多かったというのと、予告はサークル側の口約束であり、法に問える可能性は少なく、被害額も一人何百円程度が殆どそもそも同人活動という一種グレーゾーン社会の中での出来事有耶無耶になってしまい、結局は通販を頼んだ側の泣き寝入りになっていたことが多かった。

先生の話に戻す。

先生は既に商業誌活躍されていらっしゃる中、漫画ジャンルのかなりマイナーカップリング(A(攻)×B(受)と表すると、B受自体が少数派の中、B受の主はC×Bだった)の同人誌を出されており、高い画力と美しい表紙で人気だった。

シリーズ長編として銘打たれた分厚いA×B本を発行し、「続きは次のイベントで発行します!」と宣伝

しかし、次のイベントではその本は無かった。

売り子さんだったとは思うが発行延期になったという話にガッカリはするも楽しみに待ち続けた。

Bはその当時、最愛キャラとして推していた(当時は「推し」という単語は無かったが)のと、某先生の美しい絵での貴重なカップリングでの重厚物語にすっかり虜になっていた。

友人も某先生の大ファンであり、その本については予約もしたと得意気に話していたのを覚えている。

自分の中での妄想を(今でいう三次創作になるだろうか)ノートに綴ったりもしていた。

その後、ペーパーにて「発行が遅くなってすみません」の言及で、出す気はあるんだと少しの安心と、「○○の本は出すのにこっちの本は出さないんだな」とモヤモヤした思いを抱き続けていた。

月日は経ち、ペーパーからはその本の発行予定は消え、ガンダムSEEDが放映され人気ジャンルとなり、人気サークルの中に某先生名前をお見掛けし、ガンダムSEED推しキャラAへの愛を綴っているのを見、自分の中で

「あの本はもう出ないんだ」とやっと諦めが付いた。

あの当時同人誌を出されていた方々で、今では一般誌やBL商業誌活躍されている方も多数いる。

この件についてはとっくに時効でもあるだろうし、自分も今更問い質すつもりは毛頭無い。

当時の同人界隈ではサークル規模の大小拘らず「良くある事」だったのだ。

ただ、某先生名前を見かけるたびに未だに思ってしまうのである

「あの本は出なかったな、せめてどんな話だったかは見たかったな」と。




※2〇年前の話なので勿論齟齬記憶違いも多分にあるかとは思うが、記録として残したいとも思い投稿した。訂正、指摘は歓迎する。

勿論、「某先生侮辱するな、あの本は発行されている」の話があれば喜び勇んで検索の旅に出てこの文は全消去する。

※また、蛇足ではあるが、当時同人誌の通販をした人が何ヶ月でも待つ方が多かったというのは、決して我慢強い方が多かったという訳では無いと言っておく。

当時は待つしか手段が無かったのだ。

そしてその経験があるからこそ、自分は今の同人文化については「良い時代になった」という思いでほぼ占められている。自分の欲しいカップリングジャンル同人誌を探し手に入れる為に作者本人に手紙を出し、通販希望のみだと作者に失礼に当たるから感想を捻り出し郵送を時には何ヶ月も待つ、あるいはイベントでのパンフレットサークルカットの絵やジャンルカップリング表記だけを頼りにするしかなかったあの頃になんて戻りたくない。

2024-01-26

anond:20240126183251

9.「平和基本法から佐藤優現象〉へ

 〈佐藤優現象〉を支えている護憲派の中心は、雑誌としては『世界』であり、学者では山口二郎和田春樹である。この顔ぶれを見て、既視感を覚える人はいないだろうか。すなわち、「平和基本法である。これは、山口和田らが執筆し、共同提言として、『世界』一九九三年四月号に発表された。その後、二度の補足を経ている(56)。

 私は、〈佐藤優現象〉はこの「平和基本法からの流れの中で位置づけるべきだと考える。

 同提言は、①「創憲論」の立場、②自衛隊合憲化(57)、③日本経済的地位に見合った国際貢献必要性、④国連軍国連警察活動への日本軍の参加(58)、⑤「国際テロリスト武装難民」を「対処すべき脅威」として設定、⑥日米安保の「脱軍事化」、といった特徴を持つが、これが、民主党の「憲法提言」(二〇〇五年一〇月発表)における安全保障論と論理を同じくしていることは明白だろう。実際に、山口二郎は、二〇〇四年五月時点で、新聞記者の「いま改憲必要なのか」との問いに対して、「十年ほど前から護憲立場から改憲案を出すべきだと主張してきた。しかし、いまは小泉首相のもとで論理不在の憲法論議が横行している。具体的な憲法改正をやるべき時期ではないと思う」と答えている(59)。「創憲論」とは、やはり、改憲論だったのである

 同提言の二〇〇五年版では、「憲法九条の維持」が唱えられているが、これは、政権が「小泉首相のもと」にあるからだ、と解釈した方がいいだろう。「平和基本法」は、戦争をできる国、「普通の国」づくりのための改憲である。同提言軍縮を謳っているが、一九九三年版では、軍縮は「周辺諸国軍縮過程と連動させつつ」行われるとされているのだから北朝鮮中国軍事的脅威が強調される状況では、実現する見込みはないだろう(60)。また、「かつて侵略したアジアとの本当の和解」、二〇〇五年版では、周辺諸国への謝罪過去清算への誠実な取組みの必要性が強調されているが、リベラル過去清算は終わったと認識しているのであるから、これも実効性があるとは思えない。要するに、同提言には、論理内在的にみて、軍事大国化への本質的な歯止めがないのである

 佐藤が語る、愛国心必要性(61)、国家による市民監視(62)、諜報機関の設置等は、「普通の国」にとっては不可欠なものである佐藤饒舌から私たちは、「平和基本法」の論理がどこまで行き着くかを学ぶことができる。

 馬場は、小泉純一郎首相(当時)の靖国参拝について、「今後PKOなどの国際的軍事平和維持活動において殉死殉職した日本人の慰霊をどう処理し追悼するか、といった冷戦後平和に対する構想を踏まえた追悼のビジョンもそこからは得られない」と述べている(63)。逆に言えば、馬場は、今後生じる戦死者の「慰霊追悼施設必要だ、と言っているわけである。「普通の国」においては、靖国神社でないならば、そうした施設はもちろん、不可欠だろう。私は、〈佐藤優現象〉を通じて、このままではジャーナリズム内の護憲派は、国民投票を待たずして解体してしまう、と前に述べた。だが、むしろ、すでに解体は終わっているのであって、「〈佐藤優現象〉を通じて、残骸すら消えてしまう」と言うべきだったのかもしれない。

 ここで、テロ特措法延長問題に触れておこう(64)。国連本部政務官川端清隆は、小沢一郎民主党代表の、テロ特措法延長反対の発言について、「対米協調」一辺倒の日本外交批判しつつ、「もし本当に対テロ戦争への参加を拒絶した場合日本には国連活動への支援も含めて、不参加を補うだけの実績がない」、「ドイツ独自イラク政策を採ることができたのは、アフガニスタンをはじめ、世界の各地で展開している国連PKOや多国籍軍に参加して、国際社会を納得させるだけの十分な実績を積んでいたかである。翻って日本場合多国籍軍は言うに及ばず、PKO参加もきわめて貧弱で、とても米国国際社会理解を得られるものとはいえない」と述べている(65)。

 元国連職員吉田康彦は「国連憲章の履行という点ではハンディキャップなしの「普通の国」になるべきだと確信している。(中略)安保理決議による集団安全保障としての武力行使には無条件で参加できるよう憲法の条文を明確化するのが望ましい」と述べている(66)。川端吉田の主張をまとめれば、「対米協調一辺倒を避けるため、国連PKOや多国籍軍軍事活動積極的に参加して「国際貢献」を行わなければならない。そのためには改憲しなければならない」ということになろう。民主党路線と言ってもよい。今の護憲派ジャーナリズムに、この論理反論できる可能性はない。「8」で指摘したように、対北朝鮮武力行使容認してしまえば、改憲した方が整合性があるのと同じである

 なお、佐藤は、『世界』二〇〇七年五月号に掲載された論文山川均の平和憲法擁護戦略」において、「現実国際政治の中で、山川ソ連侵略性を警戒するのであるから、統整的理念としては非武装中立を唱えるが、現実には西側の一員の日本を前提として、外交戦略を組み立てるのである。」「山川には統整的理念という、人間努力によっては到底達成できない夢と、同時にいまこの場所にある社会生活改善していくという面が並存している」と述べている。私は発刊当初この論文を一読して、「また佐藤柄谷行人への点数稼ぎをやっている」として読み捨ててしまっていたが、この「9」で指摘した文脈で読むと意味合いが変わってくる。佐藤は、「平和憲法擁護」という建前と、本音が分裂している護憲派ジャーナリズムに対して、「君はそのままでいいんだよ」と優しく囁いてくれているのだ。護憲派ジャーナリズムにとって、これほど〈癒し〉を与えてくれる恋人もいるまい(67)。

10.おわりに

 これまでの〈佐藤優現象〉の検討から、このままでは護憲派ジャーナリズムは、自民党主導の改憲案には一〇〇%対抗できないこと、民主党主導の改憲案には一二〇%対抗できないことが分かった。また、いずれの改憲案になるにしても、成立した「普通の国」においては、「7」で指摘したように、人種差別規制すらないまま「国益」を中心として「社会問題」が再編されることも分かった。佐藤沖縄でのシンポジウムで、「北朝鮮アルカイダの脅威」と戦いながら、理想を達成しようとする「現実平和主義」を聴衆に勧めている(68)が、いずれの改憲案が実現するとしても、佐藤が想定する形の、侵略植民地支配反省も不十分な、「国益」を軸とした〈侵略ができる国〉が生まれることは間違いあるまい。「自分国家主義者じゃないから、「国益」論なんかにとりこまれるはずがない」などとは言えない。先進国の「国民」として、高い生活水準や「安全」を享受することを当然とする感覚、それこそが「国益」論を支えている。その感覚は、そうした生存の状況を安定的保障する国家先進国主導の戦争積極的に参加し、南北格差固定化を推進する国家―を必要とするからだ。その感覚は、経済的水準が劣る国の人々への人種主義、「先進国」としての自国を美化する歴史修正主義の温床である

 大雑把にまとめると、〈佐藤優現象〉とは、九〇年代以降、保守派大国路線に対抗して、日本経済的地位に見合った政治大国化を志向する人々の主導の下、謝罪補償必要とした路線が、東アジア諸国民衆の抗議を契機として一頓挫したことや、新自由主義の進行による社会統合破綻といった状況に規定された、リベラル左派危機意識から生じている。九〇年代東アジア諸国民衆から謝罪補償を求める声に対して、他国の「利益のためではなく、日本私たちが、進んで過ちを正しみずから正義回復する、即ち日本利益のために」(69)(傍点ママ歴史清算を行おうとする姿勢は、リベラル内にも確かにあり、そしてその「日本利益」とは、政治大国を前提とした「国益」ではなく、侵略戦争植民地支配可能にした社会のあり方を克服した上でつくられる、今とは別の「日本」を想定したものであったろう。私たちが目撃している〈佐藤優現象〉は、改憲後の国家体制に適合的な形で生き残ろうと浮き足立リベラル左派が、「人民戦線」の名の下、微かに残っているそうした道を志向する痕跡消失もしくは変質させて清算する過程、いわば蛹の段階である改憲後、蛹は蛾となる。

 ただし、私は〈佐藤優現象〉を、リベラル左派意図的計画したものと捉えているわけではない。むしろ無自覚的、野合的に成立したものだと考えている。藤田省三は、翼賛体制を「集団転向寄り合い」とし、戦略戦術的な全体統合ではなく、諸勢力からあいもつあいがそのまま大政翼賛会に発展したからこそ、デマゴギーそれ自体ではなく、近衛文麿のようなあらゆる政治立場から期待されている人物統合象徴となったとし、「主体が不在であるところでは、時の状況に丁度ふさわしい人物実態のまま象徴として働く」、「翼賛会成立史は、この象徴人物の未分性という日本政治特質をそれこそ象徴的に示している」と述べている(70)が、〈佐藤優現象〉という名の集団転向現象においては、近衛のかわりに佐藤が「象徴」としての機能果たしている。この「象徴」の下で、惰性や商売で「護憲」を唱えているメディア、そのメディア追従して原稿を書かせてもらおうとするジャーナリスト発言力を確保しようとする学者、無様な醜態晒す本質的には落ち目思想家やその取り巻き、「何かいいことはないか」として寄ってくる政治家や精神科医ら無内容な連中、運動に行き詰った市民運動家、マイノリティ集団などが、お互いに頷きあいながら、「たがいにからあいもつれあって」、集団転向は進行している。

 ところで、佐藤は、「仮に日本国家国民が正しくない道を歩んでいると筆者に見えるような事態が生じることがあっても、筆者は自分ひとりだけが「正しい」道を歩むという選択はしたくない。日本国家同胞日本人とともに同じ「正しくない」道を歩む中で、自分が「正しい」と考える事柄の実現を図りたい」と述べている(71)。佐藤は、リベラル左派に対して、戦争に反対の立場であっても、戦争が起こってしまたからには、自国国防、「国益」を前提にして行動せよと要求しているのだ。佐藤賞賛するような人間は、いざ開戦となれば、反戦運動を行う人間異端者扱いするのが目に見えている。

 この佐藤発言は、安倍晋三首相の目指していた「美しい国」づくりのための見解とも一致する。私見によれば、安倍の『美しい国へ』(新潮新書、二〇〇六年七月)全二三二頁の本のキモは、イランでのアメリカ大使館人質事件(一九七九年)をめぐる以下の一節である。「(注・反カーター陣営の)演説会で、意外に思ったことがある。人質事件に触れると、どの候補者もかならず、「私は大統領とともにある」(I am behind the President.)というのだ。ほかのことではカーターをこきおろす候補者が、そこだけは口をそろえる。/もちろん、人質にされている大使館員たちの家族配慮するという意図からだろうが、アメリカ一丸となって事件対処しているのだ、という明確なメッセージを内外に発しようとするのである国益からむと、圧倒的な求心力がはたらくアメリカ。これこそがアメリカの強さなのだ。」(八七~八八頁)

 文中の、「人質事件」を拉致問題に、「大統領」を安倍に、「アメリカ」を日本に置き換えてみよ。含意は明白であろう。安倍は辞任したとはいえ総連弾圧をめぐる日本言論状況や、〈佐藤優現象〉は、安倍の狙いが実現したこと物語っている。安倍政権は倒れる前、日朝国交正常化に向けて動きかけた(正確には米朝協議の進展で動かされたと言うべきだが)が、こうなるのは少なくとも今年春からは明らかだったにもかかわらず、リベラル左派の大多数は、「日朝国交正常化」を公然と言い出せなかった。安倍政権北朝鮮外交に敗北したのは明らかである。だが、日本リベラル左派安倍政権ときに敗北したのである

 〈佐藤優現象〉は、改憲後に成立する「普通の国」としての〈侵略ができる国〉に対して、リベラル左派の大部分が違和感を持っていないことの表れである侵略植民地支配過去清算在日朝鮮人人権擁護も、そこには含まれる)の不十分なままに成立する「普通の国」は、普通の「普通の国」よりはるかに抑圧的・差別的侵略的にならざるを得ない。〈佐藤優現象〉のもとで、対北朝鮮武力行使の言説や、在日朝鮮人弾圧の言説を容認することは、戦争国家体制に対する抵抗感を無くすことに帰結する。改憲に反対する立場の者がたたかうべきポイントは、改憲護憲(反改憲)かではない。対北朝鮮武力行使容認するか、「対テロ戦争」という枠組み(72)を容認するかどうかである容認してしまえば、護憲(反改憲)派に勝ち目はない。過去清算も不十分なまま、札束ではたいて第三世界諸国の票を米国のためにとりまとめ、国連民主的改革にも一貫して反対してきた日本が、改憲し、常任理事国化・軍事大国化して、(国連主導ではあれ)米軍中心の武力行使を容易にすることは、東アジア世界平和にとって大きな災厄である(73)。

改憲戦争国家体制拒否したい人間は、明確に、対北朝鮮武力行使の是非、対テロ戦争の是非という争点を設定して絶対的に反対し、〈佐藤優現象〉及び同質の現象を煽るメディア知識人等を徹底的に批判すべきである

(1)岩波書店労働組合「壁新聞」二八一九号(二〇〇七年四月)。

(2)ブログ「猫を償うに猫をもってせよ」二〇〇七年五月一六日付。

(3)ただし、編集者佐藤右翼であることを百も承知の上で使っていることを付言しておく。〈騙されている〉わけではない。

(4)「佐藤優という罠」(『AERA』二〇〇七年四月二三日号)中のコメントより。

(5)インターネットサイトフジサンケイ ビジネスアイ」でほぼ週一回連載中の〈 Permalink | 記事への反応(0) | 18:37

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