はてなキーワード: リテラシーとは
はてなでウェブ上を巡回していると気づくが、ブクマ数毎に記事・ブコメの質が変わってくる。ただブクマが多ければ記事の質も比例してよいというわけではなく、数に応じて傾向がある。
人気ブクマには上がらず、その情報を探していた人にとっては有用な情報が記事になっている。またはブクマする癖のある人がふらっとブクマしただけ。
その情報を探していた人にとっては「非常に」有用な情報が記事になっている。特定の人ではなく、特定の分野(カテゴリ)に属する人が集まり、コメントも属性の近い人同士で有用な意見が集まる。
この辺りからホッテントリに表示されるようになり、特定の分野に関係の無い人、また同じ分野でも記事の意見に否定的な人が集まってくる。id指定のディベートも起こるようになるが、「あなたはこういう意見、私はこういう意見」という互いに頬をひっぱたき合って互いに納得する、調和が取れた状態で落ち着く。
ブクマが二分している状態または片方の勢力にドヤ顔でケチをつけ、「多数勢力になびかない俺かっこいい」的コメントを残す人(はてな村中級者に多い)が段々出てくる。
※ただ、既に31〜100ブクマで議論が交されたところにいきなり踏み込むと、その議論が起きるまでの経緯なしに目にすることになるので「何こいつら熱くなっちゃってんの」となってしまう心情は理解できる。
このような流れなので、せいぜい250ブクマまでが記事、ブコメ共に楽しめるバランスのいい状態。これ以上ブコメがつく記事については、そのブクマ数に達するまで短期(0〜2日)か中長期(3日〜)かで質が分かれる。
割と常識過ぎてその筋の中上級者には記事にする気すら起きないような内容(Excel で If の空白処理とか)だが、初心者には目からウロコとなるような記事はホッテントリに上がるや否や凄まじい勢いでブクマがつく。こうなると、「やり方が間違っている。正しくは○○だ」という親切心や「こんな適当な記事でブクマ数集めやがって」という嫉妬、「なんでこんなブクマついてるの」という、ブクマするお前が言うなっていう大衆忌避のブコメがダイソン状態で集まってくる。こういう記事は内容だけ軽く頭にとどめておき、ブコメの阿鼻叫喚ぶりをサラっと眺めてページを閉じるのが精神衛生上ちょうどよい。自分も熱くなってしまったら負け。
こちらは、記事の内容がよく推敲されておリ、脊髄反射的によさげな雰囲気だけでブクマされたものではなく、内容を丁寧に読んだはてな村民が丁寧にブクマした結果で時間を掛けてブクマ数が増えているため、内容が自分に合っているのであれば素直に便乗してブクマしておくべき記事である。ブコメも(ブコメ数)/ 100 ぐらいの数で記事に新たな視点を加えるような建設的・効果的な意見が上がっていることも多いので、はてな村民としては「ブクマが多いページをブクマして多数になびいたら負け」という気持ちからブクマをせずに閉じてしまいたくなる衝動にも駆られるがそこは我慢。新しい知識を得るための痛みだと思って恥を捨ててブクマした方がいい。
2011.3.11 の震災以降、情報に敏感な人が増えたのか、昔よりも記事のブクマ数が増えてきたように思う。ユーザ数が増えることは称賛すべきことだけど、(どんなサービスでもそうだが)多くなりすぎるとノイズが増えすぎてコンテンツの質を損なってしまうことが多々ある。
だけど読むべき記事、読まなくていい記事、コメントしなくていい記事など一人ひとりで基準を持って使っていれば、(時代の流れやユーザ数の遷移に伴って基準は修正しなければならないけれど)自分が得たい情報以外に無駄な感情や精神力を使わなくて済むので、はてな村の皆様もぜひはてなリテラシーを高めて過ごして頂きたく。
自分もやってるけどさ
いちいち、どこに居るとかさ、「おはよう」とか「おやすみ」とか、
誰に対して言ってんだろうな。
○○したい!とか報告なんていらないから勝手にしてろよよか思う。
こういうやつらって恋人居てもそっちのけでネットでだけおはよとか言ってんだろ。
朝起きたらベットでも恋人との会話とかそっちのけで携帯を弄り、ご飯中も携帯を弄り、寝る時も最後は携帯でtwitter。
友達の恋人がこんな感じらしく良くこんなヤツと付き合ってると思った。
インターネットの楽しさもわかるけど、SNSでの喧嘩とかも増えてるらしい。
リテラシー無いよね。
ちなみに、自分の元恋人はデートでどっか行く度にどこどこに居るとかツイートしてる人でほんと嫌だった。
皆気をつけろよ。
某サイトに掲載されたコラムが発端となり、ブログ・SNSに飛び火し、基本的に若者は恵まれているというスタンスで進んでいる論調。
現在の社会はインフラが高度で合理化され、過去の自分たちが費やした苦労や時間とは比較にならない容易さで、クリック一回で実行できる社会。
そこで高い代償を支払わずに、ゆるい連携を持って生活する若者は恵まれている、しかし熱が感じられないので、過去の経験から「夢」と「積極性」を持つことをアドバイスする。
という点、過去は苦労したが未来は明るいという楽観的な先入観はもう通用しない時期に来ているのに、発展した未来のインフラや生活様式に気を取られ新たに発生した問題が見えていない。
見えていないというより「更に発展した未来で解決可能」又は「過去の苦労に比べればやさしい問題」と考えているのでしょうか。
社会基盤が発展すれば、価値観や生活水準が変わりますと言えば、誰もが同意するでしょうが、負の発展(規模の縮小)は誰も経験していないのです。
例えば90年代まで若者のアイテムとして誰もが持っていた車、車離れが叫ばれて久しいですが、都市に住んでいる若者における車の必要性が低下し、代わりに携帯電話とPCを持つようになっただけです。
しかし車の購入・維持に比べれば遙かに購入が容易な端末なのに、PCを持っていない人が大勢いる。00年代初頭における我が国のITインフラ整備率は世界一位ですが、現在は目も当てられない状況です。
PC購入するだけの収入がない若者は携帯で何をしたか、現在ではスマートフォンでかなり情報収集が便利になりましたが、ガラケーと呼ばれる国産端末におけるネット探索能力は前者と比べると劣悪で、利用者は検索エンジンで何かを調べるというより、遙かに狭い範囲でしか活動できなかった。新聞も購入していない、TVも見ない、社員として収入が確保できる30代以上は例え不慣れでもPC位なら即金で購入する事が出来るので、ある程度のリテラシーを培う事が出来ますが、その機会さえも与えられていない。結果情報を持つ人と持たない人の間の格差が広がる。所得が低くなっても相対的な幸福度は昔より高いという人は、かつての新聞とTVから情報を得ていた経験から言うのでしょうが、インターネットで必要な情報を素早く調べて理解するというのが基本となった世の中で、流動的な情報ニュースより固定化されている公的・私的な各制度のアクセスにおいて絶望的な差が生まれている。利益が1与えられるか99与えられるかの差でなく、0か100かの差で生きなくてはいけない。この問題に最初に晒されたのが現在の20代後半。
今の大学生はPCを所持することを半ば義務化されていますが、業務で使用できるレベルでOfficeを使えると認定される資格を持っている人は、2割居ないでしょう。ですが、職安に出されている求人のほとんどはOfficeを最低限使える人間を求めている、でも資格を取れるレベルで教えてくれる高校や大学はほとんどない。高卒は自力で学ばないとスタートラインにさえ立てない。しかし採用基準は厳しくなったのに、現在働いている社員になんら教育を施さない、Excelで文章作成する事の何が悪いかのかさえ分からない。
収入は、小泉改革以降合理化され、事務職は派遣で構成され収入は捨扶持レベルの15万円程度、それでも仕事があればマシと言えるかもしれませんが、今後は労務環境の国際化によって事務職そのものが国外に外注されるのは確実。そして発生する人口減による国内市場の縮小、70年代に隆盛を誇った着物業界の現状の様な事態が各分野で発生するでしょう。
中年が考える未来は必ず発展し、解決されうるものとして存在していますが、今後の日本が進む道はその真逆としか言いようがない。中流のホワイトワーカーは営業を除いて全滅し、高所得者は移民の導入を要求する、対して単純労働者は仕事を取られまいと反対に回る、すでに同じ事が発生している会社もあるでしょうが、これが社会全体で常識となるのに何十年もかからないでしょう。
更に合理化され、余計な費用を払わずに生活できる世の中、しかし収入は少ないのに、最低限のインフラをそろえないと就職さえままなならない世の中、企業では仕事を一から教えてくれないので、自費で各種の専門校に通い勉学する日々、収入のすべてをつぎ込んで遊びなんて全くできない20代、当然お金が足りないので脛を齧れる人は脛をかじり、齧れない人は何年もアルバイトをして費用を捻出して、職歴なしというハンデを背負い戦う。大人は新卒ですぐ就職することが全てでないと高説を垂れるが、そんな人間を雇う気は無い。
昔あった問題と今の問題、問題という意味では等価値で、その大きさは当人には判別できない。過去にとらわれているのはどちらだと。
戦前に生きていた人達は、次の世代に多くの機会を与えましたが、その世代は次の世代に機会を与えない。というのは言いすぎですかね。
http://live.nicovideo.jp/watch/lv77506187
50分から70分までの内容。
文字書き起こしではありません、主観を混ぜて恣意的に編集してます。ニュアンスも微妙に違っていると思います。
(カッコ部分は岡田さんは言ってない部分です。私が勝手に付け足しました。明確に私の意見であるとわかるようにしてます。)
「勝利のイメージを持たず、勝算を考えず、勝算が低いとわかってもその活動にこだわろうとするのは、運動自体がやりたいからだよ」
経団連と交渉して就活のルール変えていきたいっていってるけど、
そもそも今の就活のルールは経団連の責任なの?経団連さえ変われば就活は変わるの?
それを受け入れてる学生側の意識に問題はないの? 変えていくのは学生の意識が先じゃないの?
経団連がどんだけ強いのか知らないけど、経団連に関係ない企業が95%以上あるよね。
経団連がアホなことばっかり言ってるならそっちには行かないって
みんなが言うようになればいいんじゃないの?
「経団連に左右されてるだの影響力が多いだの」っていうのは主語が消えてるよね。「学生が、影響されている」だよね。
まずそれを取り違えてない?
別の話で例えよう。
ジャニーズみたいなイケメンが5%、それ以外の男が95%として
「女が、自分はイケメンに選ばれないから不満だ。自分がイケメンに評価されるようにルールを変えてください」って
女が交渉したらうまくいくと思う?
それって個人だから聞いてもらえないけど団体交渉にしたらうまくいくって類の話だと思う?
この場合だったら変えるべきなのは、女の意識じゃない?イケメンにこだわらなくてもいいって考えを押し出すべきでしょ?
・・・ほらそこですぐ「イケメンに訴えかけつつ、女性側の意識も変えていきたい」って言わない。
(今は両面選べないって前提で話をしてるんだ。わかりやすい例えまで出して選択を求めているのにそうやって問から逃げるのは卑怯だよ?)
戦い方として考えた時にも、単に団結して交渉しようってのはおかしい。
労働組合に意味があるのは、運動しているのがいなくなったら困る人だからだよ。
たとえきみたちが頑張って10万人集めたところで、
交渉したいんだったら、まず相手をよわめて自分たちを強めないと。
経団連の影響が弱くなる状況を作らないと。
「経団連の影響が強いから直接経団連に訴えかける」っていっても
向こうとしたら交渉のテーブルに座る必要すらないよね。
君たちがやるべきなのはまず
「相手は間違ってるから私たちのいうことを聞くべきだ」なんて
真正面から突撃することじゃなくて(というかこれただの自己満足玉砕だよね)
ハッピーになれる人たちといった現実的なイメージを数多く作って
というルートを作っていくことだよね。
(あととにかく「学生が」「親が」って言うのは一旦やめろ。
まずキミはどうなの?キミは95%に興味がないの?大企業に就職したいってことでしょ?
社会運動って言ってるのにその中心であるキミ自身の考えをいろんなもので代弁してごまかしてるようにしか見えないよ?)
君たちの活動が盛り上がらないのは、他の学生が参加できる、したくなるような明確なサクセスストーリーがないからだよ。
「就活活動をしないで多様な幸せ像」を提示していく必要がある。お金がないとか広報する手段がない、っていうよりまず中身を詰めなさいよ。
厳しいこと言ったけれど、僕(岡田)は今の就活、特にリクルートのやり方が正しいとかは全く思ってないよ。
リクルートが学生や就活を対象としたプアビジネスに目をつけてそれを続けた結果として、洗脳が完了してるってのが今の状況だろうくらいに思ってる。
パ○ンコとか就活産業は社会的正義ないと思うし、日本の恥だとおもうんだよね。
社会にあるものは誰かに必要とされてるのは認めるけど、そろそろやめようよって言いたい気持があるよ。
でも潰れろっていっても潰れないでしょ?デモしても受け入れてもらえないでしょ。
それよりは「就活リテラシー」がない人が食い物にされてるって問題に注目して
この人達の就活リテラシーを上げて、支援するためのサービスやんなよ。
今はリクルートが用意した呪いの剣と呪いの鎧しかないわけじゃない?
鎧は重くて体力奪われるし、剣も切れ味悪いよね。しかも高い、と。
呪いを解く教会と、適切な価格でちゃんとした武器防具を提供してあげればいいよ。
すごく話が盛り上がっていたんだけれど、このあたりでいきなり生放送が切れてしまって復帰しなかったため(リクルートの妨害?)
残念ながらここまで。「就職肉食系をやめて草食系スタイルで行こうよ」ってテーマでかなり興味深かったんだけどなー。
ここから感想。就活ぶっ壊せデモの学生側の言葉は全く響かなかった。迷走ってレベルじゃないわこれ。同じ年の私から観ても子供のお遊戯。
私も大学3年生で就活を控えており、彼らがそれなりのビジョンを持ってるのかな、と期待して話を聞いてみたんだけれど
とにかくピントがぼけまくりな上に、唯一明確な行動方針が「人数集めてデモしたい&経団連とルール交渉していこう」ばっかり。
現実性が全くなかったうえに、代替案があんまり考えられておらず、岡田さんの問題指摘についての反応が鈍いなど柔軟性にも疑問があった。
あと、リーダー?が宮内という人2ちゃんねるでよく見かけるバーチャルな人格がそのまんまリアルに出てきたみたいでかなり気持ち悪かった。
妙に上から目線だし、岡田さんがアドバイスしたら「じゃあ岡田さんが協力してくださいよ」とか「それは岡田さんのビジネスになりますね」とか返す。
それでいて、主張にしてもいちいち「マクロ的にこうだから」「みんなそうしてるから」「経団連がー」というのが多くて
彼自身が、彼自身の責任で、自分の主張をするのを避けているのが、ものすごく不愉快だった。
我が強くて自分の意見をゴリ押ししたがるくせに、自分の意見について責任を取らないって最悪じゃね?この人と一緒に仕事したくないな、と思った。
それでも・・・空気読めないにしても、岡田さんにさんざんダメだしされてもひるまずにしゃべり続けたって度胸はほんとすごいと思う。
こういう感じで怯まずにいろんな人達から色々話を聞いているうちにちゃんと目標が定まって、何かやラかしてくれるかもしれない。
あと都合が悪い話になると逸らしたがるのも顕著だね。
例えばhttp://anond.hatelabo.jp/20120102214247はその前の増田の答えになっていない。
女性自身の『家事・育児の負担(C)』の認識の違いを指摘してみたんですが。
フェミニズムの方は古典的な女性観に縛られているのではないかな、と思うのです。
(ある意味でフェミニズムが目指してきたもの、が実現した、と捉えることもできると思うんですが)
ついでに、http://anond.hatelabo.jp/20120102220513の方では
「アンケートの答えは信用できない」と言う内容のURL貼ってそれに同意しているのに
他のアンケートは全面的に信用してるのは何故?
上記のURLは http://anond.hatelabo.jp/20111231121527 ですかね?
農協のアンケートに関しては、そもそも男女の選択肢自体が異なる点がおかしいです。
(少なくともPDFを見るかぎりはそう)
『手作り料理と味の伝承に関する意識調査』JA全中 http://www.yoi-shoku.jp/guide/pdf/newsletter_07.pdf
貴方も「そのアンケートの結果はおかしい」みたいのがありましたらツッコミくださいな。
私も単純に、よくあるフェミニストの主張の根拠って正しいの?というツッコミなので。
レビュー読んだら「調査は首都圏在住に限る」とは書かれてるらしいね。
この時点で相当偏りがあるわな(世の中首都圏在住ではない人間の方が遥かに多い)
まあ「こういう調査に協力する人」と言う時点で偏ってる訳だが。
この偏りは存在しますね。 ですので全国に一般化はできません。
私も『全ての女性は』とは全く思っていないのです。 この本は嫁が図書館で借りてきていたんですが、
嫁自身がそういう女性ではない(内容に衝撃を受けてた)ので。
貴方は途中で投稿し、追記しましたね? リロードして分かりました(私は一度、「それで情弱は騙せても、まともなリテラシーある人間は騙せないんじゃないかなー」まで見てました)
追記は別に構いません、私もします。ただ返事は遅くなることもあります。
これに関しては原本がうちにないので即答はできませんね。すみません。
ただ気になるので買ってみようと思います。
変わる家族 変わる食卓―真実に破壊されるマーケティング常識 岩村 暢子
http://booklog.jp/asin/4326652780
ですね。
著者は、広告会社アサツーディ・ケイで食卓、家族、主婦などをテーマに長年、調査研究に携わっている方だそうで。読んでみると、
もともとは広告代理店がターゲットの主婦層の状況を調査することから始めてみたら、
それまであったイメージとは違いましたよ、という本です。 フェミニスト必見。
個人的には、この本が出てから『食育』って言葉が流行り始めたと認識しています。
追記
私が間違っている可能性もあるし、君が正しい場合もある、
それ、どういう調査なのか書かれてないんだけど…
ずっと同じ増田だろうけど、根拠が怪しい「調査」「統計」をやたら持ち出してるよね。
自分に都合がいい「調査」「統計」だけを探して来てるんだろうけど、
それで情弱は騙せても、まともなリテラシーある人間は騙せないんじゃないかなー
あと都合が悪い話になると逸らしたがるのも顕著だね。
例えばhttp://anond.hatelabo.jp/20120102214247はその前の増田の答えになっていない。
ついでに、http://anond.hatelabo.jp/20120102220513の方では
「アンケートの答えは信用できない」と言う内容のURL貼ってそれに同意しているのに
他のアンケートは全面的に信用してるのは何故?
おハロー。
聖おにいさんはオサレというのよりサブカル臭。それも悪いタイプの。
http://anond.hatelabo.jp/20081210172325
とても根が深いサブカルミーハー問題。『このマンガがすごい2010』を読んで。
http://anond.hatelabo.jp/20091216230059
「このマンガがすごい!」は罪深い延命装置。もう犠牲者を増やすな!!
http://anond.hatelabo.jp/20111224192828
を書いたぼくだよ。みなさん自意識丸出しでごちゃごちゃ言ってくるんで、胸焼けするぐらい非常に切ない気持ちになりました。なんというかもう……。
「かわいそうだね?」
って言葉しかでてきません(おっと、つい芥川賞受賞作家ネタが飛び出しちゃったよ。やべー、まさかここで芸術に携われる人間だったら絶対にチェックしておくべき、芸術を理解できないやつは興味ないふりして精神防衛していることでお馴染みの芥川賞のネタが飛び出すとは、俺のセンスパねえ)。
はてなブックマーク、およびツイッターの皆様がたは心のホメオスタシス機能をフル稼働させて自分の殻に閉じこもっちゃっていますね。みなさん図星を突かれたことを必死に隠そうとしていますけど、何で等身大の自分を直視できないのかねえ。
「格好をつけないことで、格好をつけている」
「「ホメればセンスいいと思われる記号」を批判すればセンスいいと見られると思ってる人の典型的批判」
やれやれ。春の熊に全員屠殺してもらいたいよ(センスある村上春樹ネタ)。
ぼくはきみたちの断末魔の叫びで心が汚れちゃったんで、ストラヴィンスキーを聞いて洗い流していました。グッドなアートはエバーグリーンな輝きでディ・モールト・ベネだね。
ということで、本題。反応を見ていると、ぼくが批判したい対象がイマイチ伝わっていないようなんで、ここでまとめて表明してみようと思う。
これ以上、この惨状を放置しているとホント取り返しのつかないことになるからね。砂漠に水を与えるようなものだけど、何もやらないよりはマシ、かな……。
きみらの軽い脳みそでも理解できるように4つに大別してあげているから熟読してほしい。2010年代はこういう奴らをいかにカルチャーシーンから排除するかにかかっているので、宇野常寛さん、荻上チキさん辺りは参考にしてほしいね。東浩紀さんは河原で石でも積んでてください。
では、いきますよー。
「ボンクラ」なんていう安っぽい価値観で連帯して、「中学生マインド」なんていう恥ずかしい心性を至上価値にしちゃっている一派。やっていることはひよこのオスメスの仕分けみたいなもん。ライムスターの宇多丸や町山智浩辺りが「いい」といったものを「味方」と見なして手放しで褒め称えて、けなしたものを一緒になって叩けば、「センスあるポジション」にいられると思っている。
「売れてる邦画はテキトーに叩いておけばおk」みたいな頭からっぽな行動も平気でしちゃう。そんで周りも見てもいないのに賛同しだすから目も当てられない。
中身をまともに分析しないで「大沢たかおが出演しているから、これはクソ映画だ」みたいな論理で動いていて、そんで「バカな大衆」と「審美眼のあるセンス抜群の俺」という謎の対比をしだすんだよね。「なぜこういう内容の邦画がいま売れるのか」なんていう深遠なトピックに触れることは一切ないし、考える頭もない。
自分の物の見方だとか価値観だとかが一切抜け落ちた、ゾンビみたいな奴ら。サブカル年長者の金魚のフンをやることに、羞恥心の欠片もない。「独自な物の見方をする人間」についていけば、「独自な物の見方をする個性的なわたし」が出来上がると思っている。
彼らの反応は非常にわかりやすい。ちょっと宇多丸のラジオを聞いただけで、習性がまるわかりで、「ああ、この映画はこいつら叩くだろうな」ってことがすぐに判別可能になる。その分かりやすさが蔓延の原因だといえよう。映画リテラシーがないのに、センスいいと思われたいやつらの格好の逃げ場になっている。
そんで、こういう奴って美意識がないから恥ずかしげもなく部屋に映画のポスターをべたべた貼って、ダサいバンドTシャツを着ていたりするんだよね。それでいて、オシャレに過剰なコンプレックスを抱いているから、「無理してオシャレしているやつは上辺だけの中身のない単なるカッコつけで、ちょっとダサいくらいの自分が本当は一番センスいいんだ病」にかかっていて非常に厄介。自分のダサさまで理論武装しなきゃ生きていけないなんて、ほんとに可哀想だ。
この病気を完治させるには映画について語りだすたびに「それ、ウィークエンドシャッフルで宇多丸が言っていたことだね」って言い続けるしかないと思う。「あ、その映画、町山智浩がキラキラで紹介してたやつか」、「昔、みうらじゅんがその映画をネタにしているのを見たことあるよ」でも可。
「人生で大切なことは、すべて伊集院光のラジオから教わった」とか真顔で言っちゃう恥ずかしいやつら。
映画秘宝系との違いは、映画を見たりする気力も何もなくて、横になってラジオを聞くぐらいの体力しか残されていないのに、自分が第一線にいることを疑わずに最新のカルチャーを必死に否定してくる。「最近のアニメって萌えばっかりで中身がないよね」って見もしないくせにしたり顔で口を挟んでくるのがこいつら。
自分が中年化し、ついていけないことを認めることができなくて、漫画やアニメは伊集院が褒めるものだけが絶対だと思っている。『わたしは真悟』だとか『アストロ球団』だとかね。
映画秘宝系はまだ自分の足で作品を鑑賞しようっていう根性があるけど、こういう奴らにはそれすらない。平気でCMカットのMP3音源を違法ダウンロードして、「やっぱり伊集院さんって聡明だよなあ」なんてアホ面下げてる。その続きはもちろん「本当に頭が良い人って伊集院さんのことを言うんだよな。やっぱり人は学歴や職業じゃなくて、物の見方で頭の良さが決まるんだよな~」なんて考えいて、「ダメな自分は本当は感性が鋭くて、周りのくだらない奴らよりもずっとずっと頭がいいんだ!」って泣きながら自己肯定をしている。
もうなんでもあり。
こういう奴らのためにはっきり言ってあげるけど、「感性」っていうのは行動で示さなきゃ形にならない。布団のなかで自分を慰めるための感性だなんて、ありゃしないよ。ゴミクズよ、もうよせ、こんな不毛な自己肯定は。
「センスがいい」というタグを貼られた商品を必死に買い集めて、なんにもない空っぽな自分を必死にデコレートしようと頑張っている。ビレバンに下駄を履かせてもらわなきゃ、外を歩くことすらできない可哀想な人。自分がビレバンから与えられる餌を食べているだけの家畜だってことに気づけない。
こういう奴がセンスいいと思われたい一心でカルチャーシーンを引っ掻き回して、むちゃくちゃにしていく。「このマンガがすごい!」で上位に入る漫画が悲惨な犠牲者なのは、前の記事に書いた通り。
なんにも作り出せない、作ろうともしないくせに、必死に消費物で「ぼくちゃん、クリエイティブなんだじょ!」とアッピールしたい厚かましい愚鈍なマリオネットたち。
こういう奴には「お前、ひょっとして浅野いにお漫画の登場人物を気取ってない?」って聞いてみよう。ズレてない眼鏡を何度も押し上げながら、「き、きみぃ、いにお漫画はね、単なるセンチメンタルじゃなくて実験的な手法にも取り組んでいて云々」って聞いてもいない作品論を震えながら語りだすぞ。
さらに「そのボブ、もしかしてつぶやきシローをリスペクトしているの?」って言ったら卒倒しちゃうので注意。
もし友人にこの手合いがいたら適度に自意識を潰してあげて、「やっぱビートルズが一番だよな」ぐらいのレベルに留めさせてあげるのが吉。弾けもしないのに部屋に置いてあるギターは、親切心で河原で燃やそう。
そう、お前らだよ。お・ま・え・ら☆
はてブやツイッターなどの安全圏からお手軽に一言批判して、「ふふ~ん、ぼくちゃん、こいつらよりも頭がいいもんね~。見てみて! ぼくこの人否定しているよ!! こいつより頭いいんだよ!! ほら、見ろよ、もっと! 見ろっ、見ろぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!!!」と汚い欲望を身体中の穴から漏らしている。
文字数制限を盾にして根拠もなにも示さずに、自分の頭で否定できる一文をなんとか見つけ出して、「やれやれ。きみはなんにもわかってないね」とただ否定するだけ。熟議に何の貢献もしない、耳を汚すだけのノイズ。
大抵のバカなネットユーザーは脳の大部分が「最新情報の暴飲暴食」でスカスカになっているため(俗に言う「グルーポンおせち状態」)、比較検証なんていう基本的なこともできない(本人は「できない」とすら気づいていない。そこを突かれると「時間がないから」「忙しいから」と言い訳して、何も届いていないメールボックスをチェックしだす)。だから、「最後に勝利宣言をした人間」に説得力があると思っちゃう。
このような「つぶやき批評家(気取り)」と「情報ジャンキー」はまとめてネット中毒矯正院にぶち込むべきですね! そこで『アルプスの少女ハイジ』でも見せて、少ない情報をいかに咀嚼するかを学ばせたほうがいい。こいつら、醜く太っていることが勲章だと思っているからさ。
以上、今すぐカルチャーシーンから撤退すべき害毒な消費者4タイプでした。こういう奴らが蔓延っちゃったのは「個性が大事」という間違った教育と、「作品の解釈は受け手が決める」なんていう甘やかしの成果だと思う。
確かにある程度の解釈は読者に任されるだろうけど、それを理由に笑っても怒っても何しても構わないなんてことはない。それだとスタンリー・キューブリックの『博士の異常な愛情』を見て、原子力礼賛だと思っちゃうようなことを許してしまう。
ぼくのような高い視座に立てているクリエイターって本当に少ない。名前を挙げるとしたら、映画監督の紀里谷和明か、小説家の岩崎夏海くらいか。
特に岩崎夏海の『「小説の読み方」の教科書』は上記であげた連帯のためだけや、センスいいと思われたいだけに消費する行為の解毒剤として最適なので、みんな読みなさい。早く読まないと、時代に取り残されちゃうよ。2010年代のクリエイターズ・バイブルだね、この本は。
みんなもうさ、中身のない自分を無理やり肯定するためにアートを利用するのはやめようよ。空っぽな自分を直視して、中身ある人間になるために努力するべきじゃない? ソクラテスもプラトンも、みんなそうやって大きくなっていったんだよ。
あーそうなんですか?すいません。。。
ただ書いた記事見てもらうとわかりますけど
1、ウェブサービスをこうやって作るといいですよということ。それでこれくらいなら作れます。
2、ただサービスの内容を勘違いされました。そしてこうやって修正しました。どうですか?
3、そしたらコンセプトがないと言われたので、それを作る過程を記事に。そしてこうやって修正しましたと。どうですか?
と、こういうことを書いたわけです。
宣伝って言われてますけど他経由でユーザーさんはけっこう来てるんでここにそういうのはあまり期待してないです。
ただ匿名なので率直な意見をもらえるのと、比較的リテラシーの高い頭の良い人が集まってるので意見を頂けたらなと。
実際コンセプトの欠如という素晴らしい意見をいただけたので。。
特に今日書いた記事はその人に対する答えというか、頂いた意見からこんなことをやっていましたと報告の意味もあったり。。
気に触ったらならすいません。。。
デマを極悪のように取り扱っているのが非常に気持ち悪い。
と、個人的に思っているので書きます。
なんでみんなデマを極悪のようにあつかっているのか?
これは、知ってます。
デマ → 傷つく人が発生
これは良くない。それは僕も知ってます。
じゃぁなんで傷つくのか?
ちょっと細かくするとこういう事だろうと思います。
ここで、ちょっと考えてみたいのですが、『デマ』と呼ばれるものが、
なので、それぞれについて考えていることを書きます。
「悪意を持って嘘の情報を発信すること」
例えばキリスト教徒が「神を信じる」と言うことが「嘘」かどうかという問題です。
極論を言うと、全ての情報が「嘘」で無いことを見抜くことはできません。
結局自分が信じるかどうかということ以外に、よりどころが無いのです。
そういう意味では、そもそも世の中に正しい情報なんてありません。
個人的に思うのは結構なのですが、ひとたび発信、情報化してしまうと、
「あいつは嘘をついている!」という事自体が、他人からすると、
嘘である可能性を否定できません。
信じきっちゃって、よかれと思ってやってる人の場合。
これは止めるすべがありません。なぜなら情報のよりどころは本人の中にしかありませんから。
ただもし自分の正しい情報と違うのであれば、私はこう思うと意見してあげればいい。
他に、「良く分からないから、みんなの意見が聞きたい」「面白そう」「興味がある」
「あの人はきっと面白がってくれるんじゃないか?」と言った場合はどうでしょうか?
悪意はありませんし、信じてもいません。
簡単に言うと、コミュニケーションツールとして情報を扱ってる場合です。
これも、どんどんみんなでコミュニケーションしたらいいと思います。
なぜなら、自分以外の人の中にある正しい情報に触れることができるからです。
「あれ?意外とみんな神様信じてないんだ・・・」と気付く事ができるからです。
こうして自分の中にある正しい情報と、他人の中にある正しい情報を付きあわせて行くことこそが
正に、情報リテラシーじゃないでしょうか?
広く情報を拡散することで、多様な正しい情報に出会えると思いませんか。
情報リテラシーの欠片も無いと言わざる終えません。
「悪意を持って行動すること」
あぁ、もうこれは問答無用の極悪です。DQNとリア充は、死ねばいいと思います。
信じきっちゃって、よかれと思ってやって人の場合。
問題はここです。
行動する前にちょっと考えよう。
行動する前に、傷つく人が居るんじゃないか考えよう。
よかれと思っても、それでどこかに傷つく人がいるんじゃないか?と考えよう。
こんな事は、リテラシーの問題というより、
人に優しくしようとか、人に迷惑をかけないでおこうとか、っていう
人として当たり前のことです。
自分さえよければ、他人なんてしったこっちゃないという行動をしないということです。
これが出来れば、情報を信じようが、信じまいが、
(あえて言うけど)情報が嘘だろうが本当だろうが、
傷つく人は居ないはずです。
「デマを拡散しない!」や、「反対情報を調べる!」とかって言うのは、どうでもいい。
あなたが正しいと思っていることが、
政府が悪質な嘘だと言っている。
それを、信じることが情報リテラシーなんでしょうか?
いや、信じないことが情報リテラシーでしょうか?
各メディアを色眼鏡で見ることや、自分が信じない情報を制限することが
何を信じるのかは自由だ、だが、他人を傷つけるのは別問題だ!
悪意ある嘘と区別しませんか?
もう、『デマ』って言うの止めませんか?
『人に優しくしよう』でよくないですか?
せいぜいネットには、はてな増田にあったような、エセ科学(ニセ科学だったかも)叩きとネトウヨの類似を指摘するようなものしか、無いのかと思っていたら、実にきめ細かい意見も発信されていて、驚いたが安心した。
http://anond.hatelabo.jp/20081209215136
これは、ちゃんとしてるなぁ、もっと挑発的な感じの、まるでネトウヨ!と決め付けたようなのがあったんだけどな
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
と、上まで書いて、色々探していたら、つい読み込んでしまっていた。
疑似科学については、本当に一つ一つ検証して行くと、かなりの根気が要る。前の水エセの時に、私は知らなかったが、言い方についてだけでなく、反証実験がされてない事に言及していた人もいたようだ。(でも、なぜ反証実験しないかも、書いてあったが。反証実験するまでもない、という説明。それが拷問という議論や色々ある。学術的な論文が提出されてないから反証実験しようがないとも。)
こういうものについて、考える時、科学だけではなく、リテラシーについて、わざとものを考えなくさせている力があるのではないか、みたいな事を考えないでもないので、色々と考え絵しまうのかも。
興味深いというか、何ていうか、不思議だったのは、本人さんも科学的素養がある女性で、科学者だった過去もある人が、元婚約者のニセ科学やそれに準ずるような全ての事(法事や葬式なども)に対する態度に疑問を感じた話。
これ http://anond.hatelabo.jp/20101225004203 ■アンチ似非科学原理主義者を恋人に持った女のつぶやき。
男女どっちも不思議な気がした。
まだまだ興味深いのはある
http://anond.hatelabo.jp/20081118001843 ■[似非科学]ひとまずメモしておく リンク先増田中身がなくなってるのもある
http://anond.hatelabo.jp/20081119072004
>自然科学者にとって、自然科学で説明できる範囲は普通の人が思ってるよりもずっと狭い範囲でしかない。普通の人は、自然科学だったらもっとたくさんの事柄について断定的に説明・予測できると思いがちだが、自然科学者は自然科学は限定的なもので世の中のほとんどのことについて説明できないのだと、ちゃんと認識している。もし認識していないならそれは自然科学者ではない印なのだ。
ハハハ これって、精神科医についても言えたりしてwww
それを探してて、違うところを読み込んでいた
気がつくと普段の生活圏にあるトイレが軒並みウォシュレット設置済みになって
排便時には水で洗って紙は水分を取り除く程度にしか使わなくなってるんですね。
で、たまに旅行に行ったりなんかすると紙だけで用を済まさざるを得なくなって
力入れすぎたりあるいは拭き取りがうまくできなかったりで結果としてお尻が痛くなる。たすけてボラギノール!
で、数年前だったら普通にできてた事ができなくなってる事に唖然とする訳ですが
ひょっとしたら今の子供はもっと大変なのではみたいなことを思ったり。
以前、学校のトイレは和式が主流だけど、生まれてからずっと洋式に慣れ親しんだ子供がうまく用を足せない
みたいなニュースを目にしまして、なるほどなぁと思ったのですが、事態はもっと進行していてウォシュレットないと用を足せない子とかいるんじゃないかとか。
まあ、学校のトイレで大の用を足すのが「社会的」に難しいからそもそも使われないとかそういう話で落ちがつくのかもしれないですが。
あれなんでできないんですかね。
比較的手広く「自炊代行」を手がけていた業者は、出版社と作家が連盟で出した質問状という名前の脅迫状によって店をたたんでしまうことになりました。
http://anond.hatelabo.jp/20110907193725
自炊業者を利用して自炊していた人たちが、脅迫状を出した人たちに感じる違和感はひとえにこれではないでしょうか。
Amazon Kindleで読める電子書籍は100万冊を超えています。
一方、日本で出ている電子書籍は22万冊をようやく超えた所で、しかもその多くがマンガだといわれています。
紙媒体で出ている本をすぐに電子書籍で読みたい人は、大手出版社が俺様フォーマットで、紙媒体とほぼ同じ価格で売りつけてくる電子書籍を、間抜けのようにあんぐり口を開けてずっと待っているべきなのでしょうか。
不利益を被っているのは読者であることは明らかなのに、出版社の既得権益保護システムが完成するまで黙って待っていなくてはならないのでしょうか。
それとも、自分で裁断機とスキャナーを揃えて自炊するべきなのでしょうか。
でも、そういう機材がそもそも高価で場所取りだし、スキャンの時間がもったいないから自炊代行業者を利用していたわけでしょう?
脅迫状に署名した作家や出版社をすべてボイコットするのは、現実的ではありませんね。
日本の電子書籍市場に感じられる鬱屈は、旧態然としたビジネスモデルを出版社が保護するために根回しばかりやっていて、なにひとつ読者の利益になりそうな要素がないという点ではないでしょうか。
電子書籍の価格や著作権関連の法制について、もっと読者の声が反映されるべく、出版社に対して影響力を行使できる団体を作るというのはどうでしょうか。
リストに載っている方たちはそれなりに功成り名を成し遂げた方々で、ファンも多い方々であるが故に、自炊民の失望も大きいのではないでしょうか。
読者として、自炊民だって作者に正当な対価を払う気持ちが無いわけではないでしょう?
ただ、あの方々が、脅迫状に署名をしたことによって、自分たちのファンを結果的に泥棒扱いし、唾を吐きかけたことが残念です。
彼らが出版社にそそのかされて将来の収入に恐れを抱いたあまり、誤った選択をしたことを、わたしたちは声を揃えて知らしめることができるのではないでしょうか。
そしてまた、作家の方々の恐れの原因が、出版社が押し付けてくる印税のパーセンテージにあるのではないかということも。
古い映画ですが、ガンジーの伝記映画を見たことがあるでしょうか。冒頭に近い場面で、若い弁護士であったガンジーは、滞在先の南アフリカで不当な人種差別を受けます。
その後、南アフリカの有色人種に義務付けられていた外国人登録証を燃やす会合を開きます。
多くの有色人種が集まり、イギリスの官憲に囲まれた中でガンジーは自分の外国人登録証を火にくべます。
ガンジーは殴り倒されますが、それでも登録証を燃やし、力尽きます。
有色人種たちはそれをずっと見守っています。彼は官憲の前で堂々と法律違反を犯しました。それが不正な法律だと確信していたからです。これはガンジーの非暴力抵抗運動の始まりとして映画で描かれています。
数あるソーシャル系サービスの中でもさまざまな分野でリテラシーが高いとされているはてなーのみなさんは、これから取ることの出来る行動について、どうお考えでしょうか。
これからの行動の指針について、ぜひご意見をお聞かせいただきたいと思います。
ちなみに、これを書いているのは、自炊代行業者の中の人ではありませんよー
↓
「原発についてまとめてみた」を読んでいただいた方々へ
↓
http://ja-jp.facebook.com/icoro.co.jp
Icoro
ここ一週間くらいずっと考えていたのですが、やっぱコメント欄をなくします。近いうちに。
お察しの通り原発のヤツがきめてっス。人格否定とかされると死にたくなるってのがひとつ。
コメント欄見た人がビミョーな気持ちになるんじゃないかというのがひとつ。
↓
http://www.icoro.com/201108176081.html
ここでこんな事を書くのはアレですが、
死んでも自分が悪いと認めない悪辣さ
しかし、「社会に役立つ知見・ノウハウを有しているか、否か」という観点で言えば、
まだまだ日本の社会では、男性高齢者の方が総じてノウハウを有している、と
言わざるを得ない。
(勿論、一部に例外があり、女性高齢者でも社会で活躍されている方もいらっしゃることは
承知している。あくまで絶対数として)
女性高齢者のノウハウは、いわゆる「おばあちゃんの知恵」と言える部分であるが、
「おばあちゃんの知恵」の部分は、家庭的部分に特化する傾向が強い。
男性側が職業的バリエーションに富んでいるため、ノウハウもバリエーションにが
富んでいるのに対し、女性高齢者側のノウハウは、単一的である、と言えば言いすぎだろうか?
ということで、男性高齢者が女性高齢者より8歳早く死ぬ、というのは、
社会的な損失でもあるような気がしてならない。
女性高齢者の寿命を短くしろ、とは言わないが、国家の総力を挙げて男性高齢者の
男性高齢者の暗黙知のアーカイブ化が急務だが、その障害になっているのが
2.ところで、男性の超高齢者(100歳以上)というのは、ボケ率が少ないらしい。
女性超高齢者は、絶対数は男性超高齢者より圧倒的に多いが、同時にボケ率も多いとか。
逆に言えば、男性の場合、脳がピンピンしていなければ、超高齢者になりづらい、
ということらしいが・・・
3.日本の場合、男女で寿命差があり、加えて結婚時年齢差もあるので、
高齢夫婦の場合、夫の死後10年以上妻が生存するケースが多い。
要は、一次相続で、夫の財産を妻が相続し、10年以上その財産を管理するケースが多い。
(妻側が死亡し、二次相続化するのに、10年以上の時間経過が必要)
金融財産が数千万円、という主人が死亡し、その半分を妻が相続した場合、
で、主人の方が金融リテラシー、経済リテラシーが強くて、金融資産を最適に運用していた場合であっても、
妻の方は、亡夫より金融リテラシー、経済リテラシーに疎くて、金融資産を最適運用せず、
定期預金等に消極運用(というか、運用しない)というケースも散見される。
日経新聞的には、国民が金融リテラシーを身に付け、株式等も含めた金融商品に
積極投資することが、日本経済を活性化する、ということになるのだろうが、
このように「さほど金融リテラシーを有さない未亡人が、10年以上金融財産を預かる」という
状況は、果たして日本経済にとって、プラスなのかマイナスなのか?
「未亡人への一次相続額を減らし、金融リテラシーが豊富な子世代へ直接財産移転させるべし」
というのは、果たして暴論か?
公式RTの発言によってその人の人格を判断するというのがいかにバカげてるかという話。
人民よ! バナナを食え! バナナこそは至高なり! ああバナナ! 汝はちんこの暗喩なり! 思い起こせば人類の歴史十万年、バナナは毅然としてそこにあり、人類によって食べられる日を待っていたのだ。人の叡智がバナナと出会ったそのとき、バナナの秘密が人類に開示された。バナナ! カリウム豊富! バナナ! 黄色くて曲がってる! バナナ! 場合によっては釘も打てる! バナナよ永遠なれ!!!!!!
引用するなと言われると引用したくなる駄目読者です。こんなダメダメな私は増田に埋まってますぅ。
これ文脈抜いてここだけ公式RTしたらとんでもないことになるだろうなぁ。
文脈といっても元の文は「全体がでっちあげ」である。ちゃんと序文でそう述べられている。
つまり「でっちあげだが、単体としては整合性がとれている話」「その話の一部」という二重構造であり、
ある人が、本当は良い人だし知識も豊富だけど、皮肉のためにツイッターでのアカウントでは露悪かつバカっぽい的な発言を繰り返しているとしよう。
その一連の流れの中ではある発言が文脈としても整合性がとれているとしよう。
jonetsuさんとかは良いキャラクターしてるよね。あの調子で死ぬまでやってほしい。というか幸せになったら殺したい。
そういう人がたとえば「福島は見殺しにするけどガンバロウ日本」みたいな発言をしたとする。
これは普通の人には <バカには文末のカッコ笑いとか、表現の周りにあるカッコが見えないという「裸の民衆様」を表現するアート>なのであるが、
しかもこの場合、文脈的には整合性がとれている。そういうキャラとしていつも似たような発言をしているからだ。
ところが、またここでキャラと実物の違いが分からないバカがいる。
よくリテラシーというと、知識とかメタ知識とかの話なるけれど、
ネットでよく問題になるバカというのはリテラシー以前の問題だ。
ネットの発言には、つねにこの「文脈」と「キャラ」の二重の壁がある。バカというのはこの壁が見えないということだ。
見えないから常にその壁にぶち当たって、壁とお話をしている酔っぱらいみたいな人たちがたくさんいる。
そういう人は、人間と本当の意味で会話をすることもないし、出会うこともない。
ネットでは、バカにはコミュニケーションそのものが閉ざされているシビアなセカイだ。
ネットを始めるなら、この2つのバカの壁の存在くらいは学んでからにしよう。
それまでは、リアルで人間というものを学んだほうがいい。コミュニケーションに関していえば、ネットでしか学べないものはろくなものがない。
更に言うとバカよりひどいマジキチの壁というのがある。
例えば福田なにがしとかいう主婦の人。まぁあれもキャラかも知れない。キャラなのだとしたら小説家になるべき逸材。
あれは自分の脳内という壁があって、その壁から一歩も外に出られない人である。
自らを精神病院に放り込んでいるようなもので、ほんとうの意味では誰とも会話してないし、誰にも話しかけていない。
ああいう人間は、周りから見ると恐怖を感じるが、実際的にはなんの害も無いので、そのまま病院にいてもらうのが世のためその人のためだ。