はてなキーワード: 羞恥心とは
おハロー。
聖おにいさんはオサレというのよりサブカル臭。それも悪いタイプの。
http://anond.hatelabo.jp/20081210172325
とても根が深いサブカルミーハー問題。『このマンガがすごい2010』を読んで。
http://anond.hatelabo.jp/20091216230059
「このマンガがすごい!」は罪深い延命装置。もう犠牲者を増やすな!!
http://anond.hatelabo.jp/20111224192828
を書いたぼくだよ。みなさん自意識丸出しでごちゃごちゃ言ってくるんで、胸焼けするぐらい非常に切ない気持ちになりました。なんというかもう……。
「かわいそうだね?」
って言葉しかでてきません(おっと、つい芥川賞受賞作家ネタが飛び出しちゃったよ。やべー、まさかここで芸術に携われる人間だったら絶対にチェックしておくべき、芸術を理解できないやつは興味ないふりして精神防衛していることでお馴染みの芥川賞のネタが飛び出すとは、俺のセンスパねえ)。
はてなブックマーク、およびツイッターの皆様がたは心のホメオスタシス機能をフル稼働させて自分の殻に閉じこもっちゃっていますね。みなさん図星を突かれたことを必死に隠そうとしていますけど、何で等身大の自分を直視できないのかねえ。
「格好をつけないことで、格好をつけている」
「「ホメればセンスいいと思われる記号」を批判すればセンスいいと見られると思ってる人の典型的批判」
やれやれ。春の熊に全員屠殺してもらいたいよ(センスある村上春樹ネタ)。
ぼくはきみたちの断末魔の叫びで心が汚れちゃったんで、ストラヴィンスキーを聞いて洗い流していました。グッドなアートはエバーグリーンな輝きでディ・モールト・ベネだね。
ということで、本題。反応を見ていると、ぼくが批判したい対象がイマイチ伝わっていないようなんで、ここでまとめて表明してみようと思う。
これ以上、この惨状を放置しているとホント取り返しのつかないことになるからね。砂漠に水を与えるようなものだけど、何もやらないよりはマシ、かな……。
きみらの軽い脳みそでも理解できるように4つに大別してあげているから熟読してほしい。2010年代はこういう奴らをいかにカルチャーシーンから排除するかにかかっているので、宇野常寛さん、荻上チキさん辺りは参考にしてほしいね。東浩紀さんは河原で石でも積んでてください。
では、いきますよー。
「ボンクラ」なんていう安っぽい価値観で連帯して、「中学生マインド」なんていう恥ずかしい心性を至上価値にしちゃっている一派。やっていることはひよこのオスメスの仕分けみたいなもん。ライムスターの宇多丸や町山智浩辺りが「いい」といったものを「味方」と見なして手放しで褒め称えて、けなしたものを一緒になって叩けば、「センスあるポジション」にいられると思っている。
「売れてる邦画はテキトーに叩いておけばおk」みたいな頭からっぽな行動も平気でしちゃう。そんで周りも見てもいないのに賛同しだすから目も当てられない。
中身をまともに分析しないで「大沢たかおが出演しているから、これはクソ映画だ」みたいな論理で動いていて、そんで「バカな大衆」と「審美眼のあるセンス抜群の俺」という謎の対比をしだすんだよね。「なぜこういう内容の邦画がいま売れるのか」なんていう深遠なトピックに触れることは一切ないし、考える頭もない。
自分の物の見方だとか価値観だとかが一切抜け落ちた、ゾンビみたいな奴ら。サブカル年長者の金魚のフンをやることに、羞恥心の欠片もない。「独自な物の見方をする人間」についていけば、「独自な物の見方をする個性的なわたし」が出来上がると思っている。
彼らの反応は非常にわかりやすい。ちょっと宇多丸のラジオを聞いただけで、習性がまるわかりで、「ああ、この映画はこいつら叩くだろうな」ってことがすぐに判別可能になる。その分かりやすさが蔓延の原因だといえよう。映画リテラシーがないのに、センスいいと思われたいやつらの格好の逃げ場になっている。
そんで、こういう奴って美意識がないから恥ずかしげもなく部屋に映画のポスターをべたべた貼って、ダサいバンドTシャツを着ていたりするんだよね。それでいて、オシャレに過剰なコンプレックスを抱いているから、「無理してオシャレしているやつは上辺だけの中身のない単なるカッコつけで、ちょっとダサいくらいの自分が本当は一番センスいいんだ病」にかかっていて非常に厄介。自分のダサさまで理論武装しなきゃ生きていけないなんて、ほんとに可哀想だ。
この病気を完治させるには映画について語りだすたびに「それ、ウィークエンドシャッフルで宇多丸が言っていたことだね」って言い続けるしかないと思う。「あ、その映画、町山智浩がキラキラで紹介してたやつか」、「昔、みうらじゅんがその映画をネタにしているのを見たことあるよ」でも可。
「人生で大切なことは、すべて伊集院光のラジオから教わった」とか真顔で言っちゃう恥ずかしいやつら。
映画秘宝系との違いは、映画を見たりする気力も何もなくて、横になってラジオを聞くぐらいの体力しか残されていないのに、自分が第一線にいることを疑わずに最新のカルチャーを必死に否定してくる。「最近のアニメって萌えばっかりで中身がないよね」って見もしないくせにしたり顔で口を挟んでくるのがこいつら。
自分が中年化し、ついていけないことを認めることができなくて、漫画やアニメは伊集院が褒めるものだけが絶対だと思っている。『わたしは真悟』だとか『アストロ球団』だとかね。
映画秘宝系はまだ自分の足で作品を鑑賞しようっていう根性があるけど、こういう奴らにはそれすらない。平気でCMカットのMP3音源を違法ダウンロードして、「やっぱり伊集院さんって聡明だよなあ」なんてアホ面下げてる。その続きはもちろん「本当に頭が良い人って伊集院さんのことを言うんだよな。やっぱり人は学歴や職業じゃなくて、物の見方で頭の良さが決まるんだよな~」なんて考えいて、「ダメな自分は本当は感性が鋭くて、周りのくだらない奴らよりもずっとずっと頭がいいんだ!」って泣きながら自己肯定をしている。
もうなんでもあり。
こういう奴らのためにはっきり言ってあげるけど、「感性」っていうのは行動で示さなきゃ形にならない。布団のなかで自分を慰めるための感性だなんて、ありゃしないよ。ゴミクズよ、もうよせ、こんな不毛な自己肯定は。
「センスがいい」というタグを貼られた商品を必死に買い集めて、なんにもない空っぽな自分を必死にデコレートしようと頑張っている。ビレバンに下駄を履かせてもらわなきゃ、外を歩くことすらできない可哀想な人。自分がビレバンから与えられる餌を食べているだけの家畜だってことに気づけない。
こういう奴がセンスいいと思われたい一心でカルチャーシーンを引っ掻き回して、むちゃくちゃにしていく。「このマンガがすごい!」で上位に入る漫画が悲惨な犠牲者なのは、前の記事に書いた通り。
なんにも作り出せない、作ろうともしないくせに、必死に消費物で「ぼくちゃん、クリエイティブなんだじょ!」とアッピールしたい厚かましい愚鈍なマリオネットたち。
こういう奴には「お前、ひょっとして浅野いにお漫画の登場人物を気取ってない?」って聞いてみよう。ズレてない眼鏡を何度も押し上げながら、「き、きみぃ、いにお漫画はね、単なるセンチメンタルじゃなくて実験的な手法にも取り組んでいて云々」って聞いてもいない作品論を震えながら語りだすぞ。
さらに「そのボブ、もしかしてつぶやきシローをリスペクトしているの?」って言ったら卒倒しちゃうので注意。
もし友人にこの手合いがいたら適度に自意識を潰してあげて、「やっぱビートルズが一番だよな」ぐらいのレベルに留めさせてあげるのが吉。弾けもしないのに部屋に置いてあるギターは、親切心で河原で燃やそう。
そう、お前らだよ。お・ま・え・ら☆
はてブやツイッターなどの安全圏からお手軽に一言批判して、「ふふ~ん、ぼくちゃん、こいつらよりも頭がいいもんね~。見てみて! ぼくこの人否定しているよ!! こいつより頭いいんだよ!! ほら、見ろよ、もっと! 見ろっ、見ろぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!!!」と汚い欲望を身体中の穴から漏らしている。
文字数制限を盾にして根拠もなにも示さずに、自分の頭で否定できる一文をなんとか見つけ出して、「やれやれ。きみはなんにもわかってないね」とただ否定するだけ。熟議に何の貢献もしない、耳を汚すだけのノイズ。
大抵のバカなネットユーザーは脳の大部分が「最新情報の暴飲暴食」でスカスカになっているため(俗に言う「グルーポンおせち状態」)、比較検証なんていう基本的なこともできない(本人は「できない」とすら気づいていない。そこを突かれると「時間がないから」「忙しいから」と言い訳して、何も届いていないメールボックスをチェックしだす)。だから、「最後に勝利宣言をした人間」に説得力があると思っちゃう。
このような「つぶやき批評家(気取り)」と「情報ジャンキー」はまとめてネット中毒矯正院にぶち込むべきですね! そこで『アルプスの少女ハイジ』でも見せて、少ない情報をいかに咀嚼するかを学ばせたほうがいい。こいつら、醜く太っていることが勲章だと思っているからさ。
以上、今すぐカルチャーシーンから撤退すべき害毒な消費者4タイプでした。こういう奴らが蔓延っちゃったのは「個性が大事」という間違った教育と、「作品の解釈は受け手が決める」なんていう甘やかしの成果だと思う。
確かにある程度の解釈は読者に任されるだろうけど、それを理由に笑っても怒っても何しても構わないなんてことはない。それだとスタンリー・キューブリックの『博士の異常な愛情』を見て、原子力礼賛だと思っちゃうようなことを許してしまう。
ぼくのような高い視座に立てているクリエイターって本当に少ない。名前を挙げるとしたら、映画監督の紀里谷和明か、小説家の岩崎夏海くらいか。
特に岩崎夏海の『「小説の読み方」の教科書』は上記であげた連帯のためだけや、センスいいと思われたいだけに消費する行為の解毒剤として最適なので、みんな読みなさい。早く読まないと、時代に取り残されちゃうよ。2010年代のクリエイターズ・バイブルだね、この本は。
みんなもうさ、中身のない自分を無理やり肯定するためにアートを利用するのはやめようよ。空っぽな自分を直視して、中身ある人間になるために努力するべきじゃない? ソクラテスもプラトンも、みんなそうやって大きくなっていったんだよ。
出生以来、こんな自分にも初めての恋人ができ3ヶ月。未だよくわからず試行錯誤の日々が続いてる。
だが特に最近は、付き合い始めてからずっと心身共にお近づきになれない状況が続いてることにヤキモキしている。
色恋に全く出会わない人生を長く続けたことで染み付いたキモイ童貞思考のお陰で、性的行為やイチャイチャまでは行かなくとも(究極的理想ではあるが)、身を寄せ合ってアハハウフフするような関係を想像してた。ただ実際は違った(この童貞思考にツッコミ所があるのはわかってる)。
バッタリ会っても、メールでも、数少ないデートでも、特に人前では素っ気ない態度を毎回とられる。目線をあわせてくれることも少ない。厳密には、意図的に意識しないように努めが隠しきれていない素っ気なさ、か。超奥手な自分が勇気を振り絞って、手を奪った時も、そこはかとなくそんな感じだった。
以降、身体的な距離を縮めることは「あー嫌なんだろうな」と思って躊躇してしまうようになった。同様に心的距離も縮められない。だからこの3ヶ月、一般的な彼氏彼女のような「振る舞い」をしたことは、手を握った一度を除くと、カミからシモまで、ない。
独りよがりではあるが、それが個人的には凄いさびしいし、物足りないし、嫌われてるんじゃないかと何度も思う。
そもそも相手は(自分もだが)結構な奥手志向だから、思い切った一歩を踏み出せないというのはある。ちなみに彼女は大人しく、真面目で、性に関する知識が全くない箱入りで、恋愛に疎く、だいぶ鈍感な、まさに現代日本にこんな人がいるなんて…という感じの女性。
この間二人で飲んだ時、酒の勢いに任せて本音をぶつけてみた。そしたら珍しく酒に酔った彼女が「確かに…だけど(「好き」と言いたかったらしいが、恥ずかしいらしくゴマカシてた)、『彼氏』と認識できない。悪い意味じゃなく、『友達の延長』のような感じ。増田は全然悪くない、全部私の性格の問題。ゴメンね」と言っていた。
それを聞いた時、先の童貞思考をもった自分は、ドゴォッとぶん殴られた気がした。この高裁関係でも自分は「彼氏」ではなく「友達の延長」なんだ…じゃあこの関係は形式的なものなのか…なんで付き合ってんだ…と、自分が相手に抱く感情とのギャップにショックだった。自分も、いやむしろ自分には、至らない所がたくさんある。こんな不器用でどうしようもない人間に告白してくれたことに、形容できないくらい感謝してる。だからこそ大切に、一生懸命尽くしたいと強く思う。しかしそんな自分の想いが一方的に空回りしてる感じなのかな…と正直落胆した。
その数日後には「自分が増田の期待に応えられない彼女であることはわかってる、申し訳なく思う」というメールもきた。
つまり彼女は、(たぶん)嫌ってはいないようだが、自身の性格(推測するに己の羞恥心?)によって心身的距離は縮められないようだ。
つい最近もクリスマスの予定をメールで話し合った。彼女は「クリスマスって何やるかわからない。いつものように『普通』じゃダメなのかな…」という内容を送ってきた。ここから、ああやっぱり先の童貞思考は未来永劫叶わないんだ、完全に叶わなくとも心身的にアハハウフフするのは難しく、ましてやこの子と性的行為なんて雲の上の上の上の…と確信した。
逆に考えてみれば確かに彼氏彼女の関係における一つの形ではあるだろう、が、やはりここは童貞、本能的にヤキモキせずにはいられない。
もうなんだろう。自分は彼女を好きだし、関係を続けていきたいけど、一方で多少冷めてないかと言われればウソになる。「まあ色んなカタチがあるよね、付き合いが浅いし時間をかけて一緒に解決していけば」という理性と「あー!もっと寄り添って過ごしたい!一般的な彼氏彼女のように振舞いたい!チュッチュチュッチュ!」という本能のこのディレンマをどうすればいいのか。
煽り耐性のない自分には、手厳しく向けられるコメントが怖いからこんな記事は書き控えていたが、でもやっぱり吐きどころがなくてモヤモヤしっぱなしなゆえ吐いてみた。もうどうにでもな~れ
タウンワークを眺めている人が使う路線にお住まいである、もしくはお勤めである、という隠された事実に恥じるべきではないだろうか。
いやそのような羞恥心さえなくなってしまったのだろうか・・・・
となると、「タウンワークと無縁である」という彼の設定にも、疑義を差し挟むべきである、というのが論理的思考に基づいた結論であるし、
そんなこと思っても口にだすことじゃないと思うんだけど、羞恥心足りてないんじゃない?
最近電車の中でタウンワークを開いてる人間をよく見かけるようになった。
明らかに大学生とは見えないくらい年食ってる30代前半くらいの男が、真昼間に私服で電車に乗ってる。
で、タウンワークを1ページ1ページ丁寧に繰って見入っているんだよ。
今月に入ってもう3人は見たかな。タウンワークを読む私服の30代男。
タウンワークなんて俺の人生に縁がないものだから、眼に入るとちょっと印象に残るんだよね。
いい年してタウンワークの世話になるなんて恥ずかしいことじゃないのか?
タウンワークって、棚からササッと取ってカバンに隠して、家に持ち帰って、ひとりでこっそり見るもんじゃないのか?
基金訓練、今は求職者支援制度に名前が変わったみたいですけど、そこの講師をやめたというか、会社ごとやめて転職しました。
何の講師をやっていたかというと、今をときめく(?)Androidの講師です。
転職先にも少しなれてきて、今までのことを振り返って書き留めてみたのですが、せっかくなので発表することにしました。もともと僕だけが読むメモのつもりで書いたので、読みやすい文書ではないですがご容赦のほど。
Androidの講師になるまでは、Javaのサーバーサイドのエンジニアをやっていました。
お客様のところに常駐し、システムの一部ではあるけど、自社メンバーだけで上流行程から担当し、僕はそのチームリーダーでした。
プロパーの方でも仕事がないような状況で、それでも僕らのチームは半年ほどは細々とメンテなどの作業をやっていたのですが、最終的には契約終了になってしまいました。
自社に戻って、何をするのだろうと思っていたら、Androidの講師をやれ、といわれました。
Androidは、暇だった時期に少し動かしてみて、簡単なアプリなら組めるようになっていたのですが、人に教えるほどの技術はありません。しかも準備期間は1週間ほどしかありませんでした。
ビデオ教材と教科書が用意されていて、それに従っていれば最低限の講義はできるのと、最初のうちは純粋なJavaの講義だったので、前半をやっている間に講師はAndroidの勉強をしよう、という、何とも乱暴な計画を立てたのでした。
ほぼ定員いっぱい近い受講者の方が集まったのですが、スキルが全くバラバラです。
JavaやC#,C,C++の経験者がいるかと思えば、人差し指だけでキーボードを打っている方もいます。
講義の最初のうちはコマンドプロンプトを使うのですが、教材には説明がなく、最近の人は知らないだろうと思って説明書を作っていたのですが、まさかコピーペーストのやり方から説明することになるとは思っていませんでした。
それでもやる気のある方はまだましで、どうみても給付金目当てとしか思えない、やる気のない方が何人もいます。
こちらも準備不足の中、生まれて初めて「先生」と呼ばれる仕事を始めることになりました。
基金訓練を始める前は「きちんと技術を教えられるかな」ということばかり気にしていたのですが、講義の運営の方が問題続出でした。
いかにもやる気のない方々は講義中もトイレだ電話だといって抜けてしまう、講義中に当てても「わかりません」しかいわない、かといって質問もしない。当然課題も期限までに出さないので0点しか付けようがません。
そういう方でも、こちらから無理にやめさせたりすることはできないので、何とか講義だけはでてもらっていました。
けど、それがよくなかったようです。
まじめに受講されている方々から「金をもらって受講しているのにあの態度は何だ」「入校条件(キーボード入力)すら満たしていないのではないか」「講義のペースが遅すぎて時間が余る」などの苦情があがり、まじめな方から「就職が決まった」などの理由で辞めていってしまいました。
後に残った、やる気のない方々と、講義を続けていくしかありませんでした。
1度目の皆さんが修了し、2回目の講義を行うに当たって、前回の反省点を改善すべく、いろんな手を打ちました。
最後の手は、会社に怒られるのではないかと正直不安でした。実際辞めていく方が増えたのですが、こういう方は「家業が忙しくなったので手伝う」「体調が悪くなったので療養する」といったもっともらしい(?)理由で辞めていったので会社から怒られるようなことはありませんでした。
むしろ受講生の方の中から、積極的に他の方にアドバイスする方が増えたため、スキルの低い方からも「質問をしにいける人が(講師以外にも)大勢いたのでよかった」といってもらえるようになりました。
今回は、終了後の受講生の方どおしの打ち上げ会に呼んでいただきました。おおむね好評だったのだろうと思います。
未経験だけど、求職者支援制度を利用してプログラマになりたい方向けに、こういう人がプログラマに向いている、こうした方がいい、という条件を挙げてみます。
プログラムの勉強ははっきり言って辛いです。やりたいことが明確になっていないと、なかなか続かないです。
僕は「写経」と呼んでいるのですが、サンプルプログラムを実際に打ち込んでみて、エラーがあれば自分で修正する
という「訓練」をやらないと基礎が身に付かないです。そもそもキーを打つのが苦手、という人はきっぱりあきらめましょう。エラーの原因を自分でぐぐって調べられないような人も、この業界には向いていないです。
いき当たりばったりではなく、最初に手順・段取りを考えてから作業を始める方が向いています。
講義でも、課題作成に何日もかかる課題があるので、何も考えずに適当にやっていると期限までに終わりません。
「きりん、うさぎ、あひる、かば、4つの動物で仲間外れは?」みたいな問題が苦手な人は、向いていないと思います。
単に「読める」ではなく、課題を理解し、既知の技術で解けるものと未知のものに分けたり、繰り返し処理や、複数の似たような処理を一つにまとめるといった作業ができるかどうかです。
さっきの抽象的な考えもそうですが、今までそういうことを意識してやっていない、という方が多いと思います。そういう人は、しんどい思いをすると思います。
「AとBという方法がありますが、ここではAについて説明します」と講師がいったら、Bは自分で調べましょう。習ったプログラムを少し変えてみてどうなるか試してみましょう。それがうまくいかなかったとしても、経験というプラスが残ります。
講師の言うことが理解できたと思ったら、自分で応用問題を考えて、プログラムを書いてみましょう。もしそれが期待した結果にならなければ、どこかで理解が間違っている可能性が高いです。
先ほどの「試してみる」もそうですが、BLOGで実施すると、それをみた方からコメントやアドバイスをもらえることもあります。
いきなり何十行もプログラムを書いて動かなかったとしても初心者はまず動かせるようになりません。少し書いて、動かして動作を確認し、また動かして、を繰り返す方が結局早く完成します。
ちゃんと動く「プログラムの断片」を増やすことは、後で同じようなプログラムを書くときに、「断片」をそのままコピーして使えるようになると言うことです。
一度プログラムを書き始めたら、まずやることはプログラムを完成させて動かしてみることです。プログラムを書いている途中で、同じような処理があるからforで書きたいとか、メソッド化したいとか、思うかもしれませんが、プログラムの初心者はまず動くプログラムを書いて、それができてからきれいに書き直しをした方がいいです。
すぐに解けない課題は、書いて残しておきましょう。書いて整理することで、解けることがあります。今は解けなくても、後で見返して解けることがあります。
特に図に書く、という作業は意識的にやった方がいいです。講師に質問するときも、口で説明するより、図に書いた方がずっと通じやすいことがあります。
自分ができたことで他の人が詰まっていれば、アドバイスしてあげましょう。助けてあげると言うだけでなく、他人に説明すると言う作業は、自分自身の理解をより深める作業でもあります。
もちろん自力で最後まで解くことが重要な課題もありますが、そういうときは講師がそれとなく言ってくれるはずです。
とりあえずアプリを書いたら、同じ講義を受けている人や講師に見せて感想をもらいましょう。
アイコンを書くのが苦手なら、イラストが上手そうな人を見つけて、書いてもらったり、書き方を教わったりしましょう。
訓練を受けているのは同じような環境の方ばかりなので、相手だって同じことを考えているはずです。
紙のノートに講義内容を書いたり、テキストの余白にメモしている人がいますが、それは講義の内容を聞いて即理解できる人が、聞いたことを忘れないためのやり方です。
わからない人は、わかるようになるまで、何回でもノートを書き直した方がいいです。わかったことを継ぎ足して、表現を見直して、時には冗長な表現を削って、自分だけのオリジナルのテキストを作るつもりで書きましょう。当然書くのは紙のノートではなくパソコンをつかいます。
プログラミング以外の世界でもプロや、プロ顔負けの技術を持つセミプロ、ハイアマチュアといった方は自分の作品を世に出すときに恥ずかしがったりしません。不安はあっても、それを上回る意欲を持って、どんどんアプリを書いて、マーケットに載せましょう。
ひょっとすると業界の習慣よりあなたの意見の方が正しいこともあるかもしれませんが、未経験の人が言っても周囲はたぶん聞いてくれません。「私はずっとこのやり方でやってきたしこれからもやる」という意見はひとまずおいておいて、まずは周囲に認めてもらうようにしましょう。
余りに差がありすぎて自信をなくすと逆効果ですが、技術を身につけたければ自分より優れた人から学ぶのが一番です。コミュニティーや勉強会にも積極的に参加しましょう。
とてもよくわかる。
見るのも嫌だし、もっと恐ろしいのが自分にあの役割を期待されることなんだよね。
進行役はできないし、なにより絶対やりたくない。
あんまり面白くないことを大きな明るい声で言って愛想笑いもらうのも、
逆に愛想笑いするのも、耐えられない。
お互い目をあわさず横に並んで立つ感じ。
面白いことを思いついたときだけボソッとしゃべる。二人で忍び笑いをする。
どんだけ沈黙が続いても平気。
こういうのは人が多いとこでは許されないのはわかってるんだけど。
場のことを考えてないことは正直に認めるしかないけど
面白くないことを場を繋ぐために喋り捲るようなことに、羞恥心が耐えられない。
進んでやってる人はえらいなと思うこともあるけど。
(つか俺たちの行動様式が「結果的にモテない」ってお話なら甘受するしかないけど
なんで「モテるためにああいう行動様式を採っている」になるのかはわからん。論理がワープしている。)
俺達が場のことを一切考えてないなら、
逆に世の中の基準は場のことを考えすぎてるんじゃないか。
女の子がSEXのときにどのくらいエロいか(エロいことをしてくれるか)を推察する方程式をひらめいた。
各数値100点満点。本人の自己申告で計算することが望ましいが、
不可能な場合は普段の態度からの推測値でも、その推測の精度が高ければ隠された数値を導き出すことができるはず。
サービス精神は、人がよろこぶことに幸せを感じるかそうでないか。
これはまあ、SEXとの結びつきはわかりやすい。奉仕度合いですね。
チャレンジ精神は、新しい物事に対して抵抗を感じるかやってみようと考えるか。
これは例えばコスプレとかバイブとか体位とか、未知のエロを要求されたときの反応だと考えて下さい。
羞恥心に置き換えてもいいけど…「シャイな人ほどエロくない」というのは何か違和感があるので不採用。
あと羞恥心よりプライドの方が、普段の生活から推し量りやすい気がする。
ネコかぶってる場合、恥ずかしがるふりしたりするじゃん、あいつら。
で、代わりにプライドをはめてみたんだけど、ここは何かもう少ししっくり来る項目があるのかも知れない。
プライドの高い女だけどエロい、というのもありそうな気がするし。
当たってる当たってないなどのご意見、この項目はこっちの方がいいなどのご指導ご鞭撻賜りたい。
千葉県警松戸署は4日、電車内で女性の寝顔を撮影したとして、松戸市の会社員(46)を県迷惑防止条例違反(盗撮)の疑いで現行犯逮捕した。
発表によると、会社員は4日午後11時40~45分頃、JR常磐線北千住―松戸駅間を走行中の下り快速電車内で、右隣に座って寝ていた我孫子市の女子専門学校生(24)の顔など上半身を携帯電話のカメラで盗撮した疑い。専門学校生がシャッター音に気づき、会社員を取り押さえた。「かわいかったので撮ってしまった」と容疑を認めているという。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.yomiuri.co.jp/national/news/20110905-OYT1T00316.htm
千葉県の県迷惑防止条例とは、「公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等の防止に関する条例」かと思うが、同条例は盗撮自体を禁止していない(記事に県迷惑防止条例違反(盗撮)とあるのは疑問だが)。
おそらく、同条例3条2項のことだろう。
公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等の防止に関する条例(千葉県)
第三条 (略)
2 何人も、女子に対し、公共の場所又は公共の乗物において、女子を著しくしゆう恥させ、又は女子に不安を覚えさせるような卑わいな言動をしてはならない。男子に対するこれらの行為も、同様とする。
(以下略)
(罰則)
第十三条 第三条第二項、第十一条又は前条第一項の規定のいずれかに違反した者は、六月以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。
2 常習として第三条第二項、第十一条又は前条第一項の規定のいずれかに違反した者は、一年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処する。
したがって、寝顔の無断撮影につき「女子を著しくしゆう恥させ、又は女子に不安を覚えさせるような卑わいな言動」であると千葉県警松戸署は判断したことになる。
特に撮影は要件ではない。あくまで「女子を著しくしゆう恥させ、又は女子に不安を覚えさせるような卑わいな言動」にあたるか否かだ。
この点について、比較的最近の判例(最3小平成20年11月10日刑集62巻10号2853頁)がある。
北海道の迷惑防止条例に関する判決だが、「卑わいな言動」について判示している。
http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=37011&hanreiKbn=02
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20090203172548.pdf
asahi.com(朝日新聞社):無断でお尻撮影、ズボン姿でも「卑猥」 最高裁判断http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/national/update/1113/TKY200811130077.html
多数意見の判示するところによると、
憲法31条,39条違反をいう点については,公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等の防止に関する条例(昭和40年北海道条例第34号)2条の2第1項4号の「卑わいな言動」とは,社会通念上,性的道義観念に反する下品でみだらな言語又は動作をいうと解され,同条1項柱書きの「公共の場所又は公共の乗物にいる者に対し,正当な理由がないのに,著しくしゅう恥させ,又は不安を覚えさせるような」と相まって,日常用語としてこれを合理的に解釈することが可能であり,所論のように不明確であるということはできないから,前提を欠き,その余は,単なる法令違反,事実誤認の主張であり,被告人本人の上告趣意は,単なる法令違反,事実誤認の主張であって,いずれも刑訴法405条の上告理由に当たらない。
つまり、「卑わいな言動」とは「社会通念上,性的道義観念に反する下品でみだらな言語又は動作」のことである。
もっとも、これは北海道迷惑防止条例に関する判決なので、ただちに千葉県条例の解釈もそうなるとは限らない。
公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等の防止に関する条例(北海道)
(卑わいな行為の禁止)
第2条の2 何人も、公共の場所又は公共の乗物にいる者に対し、正当な理由がないのに、著しくしゅう恥させ、又は不安を覚えさせるような次に掲げる行為をしてはならない。
(2) 衣服等で覆われている身体又は下着をのぞき見し、又は撮影すること。
(3) 写真機等を使用して衣服等を透かして見る方法により、衣服等で覆われている身体又は下着の映像を見、又は撮影すること。
(4) 前3号に掲げるもののほか、卑わいな言動をすること。
2 何人も、公衆浴場、公衆便所、公衆が使用することができる更衣室その他公衆が通常衣服の全部又は一部を着けない状態でいる場所における当該状態の人の姿態を、正当な理由がないのに、撮影してはならない。
http://www.reiki.pref.hokkaido.jp/d1w_savvy/HTML_TMP/svhtml-972975684.0.Mokuji.0.0.DATA.html
北海道は4号で包括指定としてるが、それでも北海道の条例の方が、卑わいな行為の内容について千葉県よりもまだ具体性があるのである。
また、判例の事件は、デパートでジーンズをはいた27歳女性の臀部を多数回にわたって撮影するというものであったが、これが卑わいな言動にあたるかについては裁判官でも意見が割れている。反対意見(田原睦夫)は、衣服の上から臀部を視る行為や、衣服を上から臀部を撮影する行為それ自体を卑わいか疑問だとする。
本件の寝顔の無断撮影はどう判断すべきだろうか。
千葉県条例の不明確さは置いて、仮に千葉県迷惑防止条例3条2項を上記判例と同様に解釈すると、「卑わいな言動」とは「社会通念上,性的道義観念に反する下品でみだらな言語又は動作」ということになる。
上記判例の反対意見でも衣服をはいた臀部に卑わい性があるのか疑問視してるが、今回は寝顔であり、より性的な意味合いがなく、卑わい性をみたさないのではないかという疑問が生じる。男性も「かわいかったので」と答えているが…
無断で顔を撮影されるのが迷惑としても、性的道義観念に反するのかというと少し違う気もする。
こちらの予言通り
在日や中国人から駄目だしくらってもそこはシカトではてサのせい
一顧だに値しない言動はある
についてまったく反論ができないようだね。
そんなんでよくカキコしにこれたもんだ。羞恥心を知らないってのはすごいな。
>卑しい豚だの豚小屋で鳴けだのとidコールで執拗に差別発言を送りつけてくれましたので、ブログ名を豚小屋と一時変更致しました。
豚のように卑しい発言と考えたのでああ書いた。馬鹿に馬鹿といったり、豚に豚といったらどこが差別なの? 君の書いたものはどういわれても仕方のないくらいひどいものだったが、あんなゲロ臭いものを人前にさらしておいて、罵倒されたら「それ差別」って、どこの特権階級様?
あのな>馬鹿
僕がチミに対して、いかなる社会的・集団的カテゴリを否定的に使って罵倒したね?
僕はチミのタワゴトにふさわしい形容をしたにすぎん。
差別について少しでもまともに考えた者は、持論を罵倒されて「差別だ」などとはいわないのだよ。チミが差別についてまったくなんにも考えたことがない、ということを、チミはまた自分で証明してしまったね。ホントに馬鹿は可哀想。
チミはね、差別発言をしておいてそれを糾弾され「差別者を差別するな」とか抜かす、無知にして無恥な連中の手垢のついたやり方から一歩も抜け出せていない。
>一般人の目から可及的速やかに遠ざけ、喧伝を成功させないよう無力化すべきであることに変わりはありません。「画像を複製して広く一般に拡散してしまえ」とはなっていません。そんな差別の拡散は断じて許しておりません。
上書きうんぬんの議論は理解できなかったのかな?
それとも、都合の悪いことは理解する気がないのかな?
>あなたが「こいつの考えは全然定説を踏まえていない」と感じることこそ、俺がまともに考えた証拠です。あなたが「こいつの考えは全然定説を踏まえていない」と感じることこそ、俺がまともに考えた証拠です。それをあなたが「まともではない」と認定し、それゆえに「まともに考えたことはにゃー」と糾弾するのはトートロジーでしかない。
>「差別についてまともに考えたことはまったくにゃー」のは、あなたではないのですか?
で、チミ程度の馬鹿による「ぼくのかんがえたさべつ」に何か意味があるとでも思ってんの? ナニを自惚れてるんだ>この豚が
差別についてどう対応するかの「定説」は、基本的には被差別者が運動の中で試行錯誤しながら練りあげてきたものだ。それくらいのことは、最低限の想像力があればわかるはずのこと。それもわかんないで「あなたが「こいつの考えは全然定説を踏まえていない」と感じることこそ、俺がまともに考えた証拠です」だあ? テメエのような自意識で豚のように肥え太った馬鹿のタワゴトが、被差別者の試行錯誤しながらの運動からもたらされた方法論と比較にすらなるわけねえだろうが! 恥ってことばを知ってるか?>自意識豚
>差別落書きがtwitterで一瞬で拡散するといった、マニュアルの想定していないリスクについてまるで答えられていない。
差別落書のメディアとしての特殊性には触れてあるだろうが>馬鹿
ネットをつかうことの危うさについても述べてある。
>その副作用が告発によって獲得される利益より十分に小さいから、告発すべきである「とされている」。そうなのですね?
僕の書いたこととはちと違う。
>ですが、だからこそ、負の面には常に心を配らねばならないのですよ。「告発は正しいのだから負の面など差別主義者のいちゃもんである!」という態度は、弱者をふみつけにするものです。手段のために目的を忘れるものです。
チミがここでいっている「弱者」って誰だ?
チミのタワゴトは当の在日や中国系に駄目だしをくらったということを何度書けばいい?
「弱者を踏みつけ」にしているのが誰のタワゴトか、当人がどういっているかくらい参照しろよ。それをしないで自我肥大で肥太っているから豚といったんだよ>この豚。
うーむ、味わい深い。
たとえば本体と羞恥心単体を切り分けてそれぞれを遊戯王カード化したら、本体の方は弱いカードでも「羞恥心」は鬼強いと思う。
羞恥心カードの見た目のイメージは中島敦のせいで今のところ虎だけど、より遊戯王っぽくドラゴンとかでも良いかな。本体のイメージは私人間だし普通に人型で想像してるけど、より弱そうな感じでうずらとかにしてもいい。
自分の一部が肥大化してその部分だけが自分より強い別の個体に感じられるのは寄生虫のイメージにも似てる。
卵を芋虫の体内に産み付ける蜂の話を思い出してみる。芋虫の体内で孵化した蜂の幼虫は、芋虫の体内で芋虫の肉を食べて育ち、最終的に芋虫を死なせて皮膚を破って空に羽ばたくっていうアレ。だとしたら私本体の着地点は中身空っぽの残飯&死骸?嫌な想像しちゃった。(羞恥心が居ようが居まいがいずれは死骸になるんだけど)(頭の中に蜂がいるような気がしてきた)
羞恥心が私に書かせる攻撃的な文章は、私自身と体内に強めの羞恥心を飼っている知らない人々を殺傷する。いいや間違えた。直接殺傷するんじゃなくて私の中の羞恥心が私に書かせた文章が知らない人たちのそれぞれの羞恥心の餌になり、パワーアップした知らない人の体内の羞恥心が知らない人本体を殺傷する仕組み。
逆に知らない人が羞恥心に書かされて発表させられた文章を餌にして私の羞恥心が育ち私本体を殺傷することもある。そうやって羞恥心同士「俺たちは~」って歌いながら連携・呼応して肥大して。マジで邪魔。
こんな飼いたいとか一言も言ってない強すぎるペット飼いきれないよ。飼い主が大型犬にナメられて引きずり回されるさまに勝手にシンパシー覚えちゃうよ。とりあえずプリセットをやめろ!遊戯王カードの形で取り出して中古屋に売りたい。長文書いたら疲れた。
彼と喧嘩した。
反射的に、彼を凄くつまらない人だと思った。
頭でそう思った事はあったけれど、初めて感情でそう思った。
そんな風に思いたくなんてなかった。
臆病な自尊心と尊大な羞恥心というものが残念なまでに似合う人が、もうすぐ入籍する私の婚約者。
言い訳ばっかりして自分の殻を分厚くすることが自衛法で、自分の非は断固として認めたがらないあたり、思春期の頃の私によく似ている。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いを地で行く思考回路は、私には理解できないし、共感もあんまりしたくない。
共通の友人が沢山いて、お互いの家族にも何度も会っていて、一緒に暮らしていて。
彼そのものを見ても、不器用でどうしようもなくて放っておけなくて。
もし仮に振ったりしたら寝覚めの悪い結果になるし、失うものもきっと多いし、もっと酷ければ私にも被害が出るかもしれなくて。
今までも喧嘩して苦しむ度に、彼と私の良いところと悪いところを比較して、それでも好きって思い直して、
彼の機嫌が直ったら私の苦悩もなかったことにして、そんな風にやり過ごしてた。
でも今、全部投げ出してしまいたい気分。
っていう一行を打つ時に感じた痛みが、好きだからなのかもったいながりだからなのか、両方ないしは別の感情なのかがわからない。
運の悪さと心の未熟さがもつれ合って転げ落ちているような人。
性格の問題点を取り上げて、「それは~だからこうなった」と責任を負わせるだけの説得力はある彼の育ち。
だけど私は暖かな人生を歩みたいんだ。
好きになった人には憎悪やら嫉妬やらにとらわれ続けてほしくない。
身近で頻繁にカッカされてると、単純に精神衛生上よろしくないってのも大いにある。
文章を書いていると、頭の中がクリアになっていくものだけど、今回は何だか感情までフラットだ。
捨て鉢になっているんだろうか。
数年前に自分で突き放してしまったけれど、心の片隅ではまだ引きずっている元彼に別れを告げることを決めた、あの時の気持ちによく似ている気がする。
214 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2011/02/09(水) 00:23:44 ID:DR9mkYMq [1/2]
どっかのまとめサイトに、
っていうシーンの絵があったんだ
普通に考えれば、スカート履いたままズボン履く→スカート脱ぐ だろう
上着は仕方ないにしても…
それとも私が女だからか?
男の着替え中も、そんな感じに全部脱いでパンツ一丁(と靴下)まで脱ぐのか?
くっそイライラしてきた
(以下数人が214に同意)
223 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2011/02/09(水) 01:36:59 ID:gjD7WnmZ
そんなのが普通なんて聞いた事がないな
女なんて友人と一緒に風呂入るのが男より抵抗ないくらいだし、
下着状態での会話なんてむしろ当たり前じゃないのかと思うんだけどな
233:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2011/02/09(水) 02:58:04 ID:F7hrPx5E
1人で着替えるわけじゃなく更衣室にはクラス全員の女子が集まるわけで
小中高大と様々な人たちと着替えてるわけで
そういった複数の体験の中でで下着姿になるのが普通じゃないって言われてるわけで
「自身」の体験ではあるけど「個人」の体験ではなく、
周りの女子もみんなそうだったからそれが普通って言われてるわけで
加えて言うと私も小学校から大学までずっとスカートの下にジャージ履いてからスカート脱いでたし
全部脱いでから着替える子はいなかった、いたにしても記憶に残らないくらい少数で
少なくとも漫画の絵のように全員が下着姿ってのはありえなかった
「下着姿になるのが普通だと聞いた」ではなく単に「聞いた事がない」だけなら
実際に体験してる人の証言のほうが信憑性高いのが普通なわけで
234 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2011/02/09(水) 03:01:24 ID:agzSRst3 [1/2]
わざわざ男に言うんじゃなくても、
そんな状態なのに下着会話なんてする訳ないとか
236 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2011/02/09(水) 03:07:25 ID:agzSRst3 [2/2]
そういえばフィクションにしても、少女漫画雑誌の着替え風景でも
わざわざ着替え中に小細工なんてしてませんよね
いちいちそんな所で女性作家が嘘をつく理由もないはずですけど、
小細工してるタイプのフィクションなんて、少なくとも自分の記憶にはないですね
さてこれはどういうことでしょう
絶望もしていないが、かといって絶対に希望などは持っていない。一見不幸そうにも思えるこの状態だけど、“絶望してない”っていうのは充分にありがたいことなのだ。絶望はホントに苦しい。ただ起きているだけで、何もしない時間を過ごすだけでも気が滅入って、それに対する方策は一つも打てず(というか対処法が皆無)、ただ一秒一秒が試練。そんな時を過ごしてきたから、今現在のこの平穏が、ひたすらありがたい。
自分には期待していない。ここから向上することはできない。現在の能力を持ってして、来るべき仕事を粛々とこなし、できる範囲で周りに貢献して過ごしていきたい。それ以上はもう、無理だ。
周囲の人間は悪だなんて思わない。むしろ、結構人間って慈愛に満ち溢れていて、素敵な助け合いとか「協同」なんてものがまま存在しているように思う。それはただ、自分という人間には決して向けられることがないだけ。それは誰が悪いとかじゃなく、自分が周りに親密さや慕情を与えられないから当然の結果なのである。不可能なことを責めるのならば自分が悪いのかもしれないが、そういう能力が欠けた人間が生きていることで何がダメなんだろうと素直に今は思うのだ。自分はまっとうに生きている。
現在の状態は諦めの状態にも似ていて、未来に対して希望を持っていないと現状を変えようと外部に働きかける“意欲”みたいなものはこれっぽっちもなくなる。困っている人がいても自分の羞恥心の方が勝れば手を貸すこともしない((何で善行を行うのにこんなに恥ずかしさを感じるのか、自分の精神構造がまるで分からない。))し、怖そうな人がいれば自分がかかわることなくその場をやり過ごせるよう息を殺して祈る。例えば今日、駅のホームで自分の息子(5歳くらい?)をど突き倒して泣かせている、ヤンキーっぽいお父さん(青年)を見ても何を咎めようとも思わない。少しだけ義憤のような念が起ころうとしても、その感情にふたをする。感情の発生自体をなくそうと努める。ただ、波風を立てずに、やり過ごすだけだ。
そんな無風の世界に生きている。
今はもう、ただそれでいいと思っている。これからは会社の飲み会に行くこともしないし、ただの同期(個人的な付き合いなど一切ないし心だって一つも許していない)とのイベントにも参加することはないだろう。もう無理しない。だって、トライはしてみたもの。努力してみて、その結果無理と分かったんだから、自分としても納得がいく。
一人で生きていかなくてはならない、その自分の素養は受け入れるしかないのだ。きっとこれから30歳、40歳と年をとるにつれどんどん心の重りのようなものは大きくなっていくだろう。今のうちからそれにしっかりと対峙し、共存していけるよう覚悟をきめていきたい。
例えば、「玄関では靴を出口側に向けて揃える」は大人数が出入りする場合なら合理性がある。「シャツはズボンの中に入れる」はまったく合理性がない、ファッションの押し付け(すでに廃れたけど)。
「室内で帽子を脱ぐべきか」は帽子の形体によると思う。顔まで覆うかぶり物は、宗教上の理由でもない限り、相手の表情が見えないのは不安という理由で忌避されるものだろう(例えばフランスで問題になってる)。顔面が見えるようなタイプのかぶり物ではそういう問題が起きない。だから、普通、「帽子」と呼ばれるものを室内で脱ぐべしとする風潮は単なるファッションの押し付けの類だと思ってる。
ただ、ファッションは気取りでもあるので、気取りを見せるべきでない場で、気取っているとみなされるタイプの帽子を脱ぐのはマナーかと思う。自分は、改まった場、目上の人との面談、宗教的な施設などでは帽子を脱ぐようにしてる。そうでなければ室内でもかぶりっぱなし。例えば、友達と会うときはたとえ室内でも、被ったままで問題ないと思ってる(友達の家族がいるところへ初めて遊びに行くようなシチュエーションは改まった場なので脱ぐ)。
あと、帽子が駄目ならズラも駄目なのでは?と思ったことがある。帽子は気取りだから×、ズラは羞恥心(パンツのようなもの)だから○なのかな。
ヲタのランク付けではないけれど、"真性"の腐は腐だと周りに絶対に言わない。
801ちゃんではないけれど自分の趣味が異端であり、周囲の目を考えれば気持ち悪いものと分かっているから擬態している。
801趣向を軽々しく口にしたりそれを羞恥もなく話す腐を、本物の腐は厨扱いする。
ニコニコで男性キャラに萌コメつけてるのは腐度☆1、動画上げたりしてるのは腐度☆2位と考えていい。
前者は腐以外の人間の存在からどう見られているかの羞恥心すらない点で、普通レベルの腐からも嫌われてる。
(こういう腐が目立つ為一般的に腐は余計に叩かれる傾向がある。)
後者は暗に好きなキャラを布教したいが為に動画を上げている腐。
同好の志を増やしたいと思ったり、自己顕示欲があるという点で自重出来ていない腐と見なされる。
pixivやtwitterで腐タグや鍵を付けずに801妄想を垂れ流したり、
携帯やブログでサイト作ったりする腐、コスプレイヤーもこの辺り。
腐ではないがドリーム好きもこの層が高い。
キャラ叩きや作者叩きをするのはこの手が大部分と思って間違いない。
当然年齢層は低く、801萌ターゲットにされるキャラもそこそこイケメン系。
コミケ等同人即売会に目的を持って参加したり、サイトを持っている、
801趣向は隠すべきと自覚があり、一般人の目を気にして社会で一応行動できる。
ネット上でもある程度そういった点を自制出来る為、
サイト上及びtwitterやpixiv等で801発信する際は同好の志のみに見てもらえるよう一般人に配慮出来る。
2chで言うと同人板、同人イベント板、同人ノウハウ板等の同人系スレ及び、
漫画・アニメ系の板も自分の好きな作品スレがあればチェックしている、所謂未成年者でも入れる板に生息。
ただし「未成年でも入れる」レベルの為、スレに、男キャラに対する隠し切れない萌(腐臭と言われる)コメを投下する等、
腐と自覚している為、腐にまつわる論争に敏感であり、まとめブログ等で食いつく層はこの辺り。
同人即売会参加+サイト持ちorサイトROMの歴が数年に渡り、色々な作品を巡って801を味わって来た腐☆4つ。
2chで言うと同人/漫画・アニメ系/pink板のみならず他の板にも紛れ込んだり、そこかしこに普通の面で紛れている。
通常のスレで男ヲタに完全擬態しうざいライト腐を釣って住人にフルボッコにさせたり等、えげつない技も身につけている。
さらには801だけでなく、百合や男女/男性向けも平気だったり、
特殊属性(無機物・人外キャラ・オヤジ・ショタ等)も克服するどころか好物であったり、趣向は悪化している場合が多い。
勿論好き嫌いも自覚している為嫌いな物はスルーする淑女さを身に付け、
腐にまつわる論争に対しても「俄か腐共一々騒ぐな!黙ってりゃそのうち飽きて消えるってのに・・・放って置いてくれ!」スタンス。
その為滅多に801萌の深遠からWEB界隈のヲタ系論争現場には出てこない、所謂「腐のサイレントマジョリティ層」。
一般社会でカミングアウトすることはなく、彼氏や夫にさえも言わない、死ぬまで隠し通すつもりの人間すらざらに居る。
年季が入っている為年齢層は高い。
腐女子を分けてみた。
腐だったら貴腐人目指そう、そう思う。
ちょうどホットエントリにこんなのが
http://www.ringolab.com/note/daiya/2010/08/post-1281.html
その精神的被害の見積もりについて、「恥ずかしい、とはいえ拳骨+徹夜正座程度の罪」という量刑が意識が男子・女子・教師に共有されていた時期があったんだろ。
また修学旅行のそれが異性の裸に触れる一大イベントの役割も持ったのではないか。
男子や一部女子の権利意識はいまだそこから遠くはなれていない。
「一般論として覗きは性犯罪であるが、修学旅行のそれは大人になる前の思春期に経験する通過儀礼、社会勉強の一つではないか」と主張する。
真の目的は女子の裸ではなく、多人数で協力して遂行するイベント。
しかし女子の権利意識が向上したために精神的被害が大きく見積もられることになった。
「恥ずかしい、もうお嫁に行けない、レイプと同じである」と主張することになる。
この乖離。
具体的にどのへんの技術なのかな。
フェラの技術だったら、自分がどこをどう攻められると気持ちいいかを教えるだけだから問題ないはず。
体位はまぁ、そんなに覚える必要も無いけど、騎乗位やったことない女ってけっこう多いよね。
AVよりも実践で動きを覚えてもらえば良い。
その他のプレーについては、技術じゃなくて羞恥心とかモラルを拭うとかそういうメンタルなとこなんじゃないかな。
たぶん、元増田の言う床上手ってあえぎ声の演出とかそういうのだと思うんだよね。