はてなキーワード: 善行とは
いきなりきわどい出だしだが、Facebookのある投稿を見て失神しそうになりながらタイピングしているので許してほしい。
某氏のウォール経緯で知ったのだが、2012年2月2日14時30分、次のようなエピソードを、
セピア色の美しい画像とともにHさんがFacebookに投稿する。
誰を結婚相手にするか長いこと考えていた。
彼女らがその金をどう使うか見ることにした。
一人目の女は、高価な服と高級な化粧品を買い、最高の美容院に行き、
あなたが町で一番の美人を妻に持っているとみんなに思ってほしいのよ」
二人目の女は、夫になるかも知れないその男のために新しいスーツやシャツ、
車の整備用品を買って、 残さず使いきると、こう言った。
全部あなたのために使ったわ」
「私はあなたをとても愛しているわ。 お金は、私が浪費をしない、
賢い女であることをあなたに分かってもらえるように使ったのよ」
男は考え、3人の中で一番おっぱいの大きい女を妻にした。
この投稿に関して、2012年2月2日15時10分現在、いいね!の数が40人、シェア25件と大変話題を呼んでいる。
しかし、この投稿されたエピソードは有名なブラックジョーク。ネット大好きッ子ならご存じだろう。
このジョークのフレーズを使ってGoogle検索すると、3,460,000件もヒットする。
さて、Facebookの反応は「素晴らしい! シェアします」という書き込みが多数見られた。
中には「これは嘘じゃないか?」との指摘もでてくるのだが、
市場で無視されるツァラトゥストラのごとく、褒め褒めコメントに埋もれていくのであった…。
この騒動はツッコミどころがたくさんある。
どうしても言いたい2点だけ言わせてほしい。
心が震度7レベルで感動しようが、社会正義に目覚めようが、元になったエピソードが「嘘」だったら、それは意味がない。
「いい事だったら嘘なら嘘でも構わない」という考えの人は、インターネットの利用に向いていない。
Hさんも大変問題だが、その投稿を何も考えずに拡散するユーザーも問題だ。この行為は放火魔が着火した箇所に、ガソリンをぶちまけているのと同じ。
悪いことをやっている自覚(いや、むしろ善行をしていると思っているに違いない)もなければ、注意・修正コメントを受ける確率も低く、間違った情報をずっと拡散しつづける。
このデマ拡散ユーザーが、インターネットの情報の質を低下させる原因となっている。
・その3 おっぱいの魅力は大きさだけではない
ぼくは、ハリの良さこそが最も大事だと思うんだけど、
みんなはどうですか。
http://anond.hatelabo.jp/20110626171454
「寄付する」のが「善行」? 税金控除の対象になるから、その分税金が安くなって、結局実入りはよくなるんだよ。
証明書をもらわない寄付もあるって? (財布が小銭で重い。ゴミ箱に捨てるより、ここに入れたほうが世間体がいい)って人間も存在するよ? オフィスの清掃やってみ。信じられないことに、ゴミ箱に1円玉とか入ってるから。他に道端に落ちてたお金をつい拾っちゃったけど、警察届けるほどの額でもないし、かといってネコババは窃盗だし、寄付しちゃえとかさ。
そう言えば、飲み屋で知り合った赤の他人におごるのが好きな奴がいたなあ。なんでかって聞いてみたら「若いときは金が無くて、先輩にしょっちゅう飯食わしてもらってたから恩返し」だってさ。他人に気前の良い人間って、苦労してる奴なんじゃね? 世の中ってのは他人と助け合わないと生きてけない。足引っ張り合ったら共倒れするだけだよ。
募金でもボランティアでも何でもそうだけど、そういった「善行」が自分にとっては全く理解できない。
どっかのハゲ社長みたいに、自己資産から*億寄付します!とかって公言してからの寄付の価値はわかる。
企業とか自身のイメージアップとか、そのお金を失ってもメリットは大いにあるからね。
ただ、店先での募金みたいな、誰からも評価されず、してもしなくても変わらないのに
募金とかなら、金の有り余ってる金持ちだけがしたらいい話で、一般庶民の自分たちが、
昔からそう思ってきたけど、社会で生きる以上、他人を蹴落とながら、
間接的に殺し合いをしながら生きていかないといけないはずなのに、
表面上はニコニコ仲良くとか本当に気持ち悪い。
さすがにメシウマとまでは言わないけれど、他人がどんなに苦しもうが知ったことではないし、
1円でも自分が損をしてまで助ける気なんてさらさらない。
もちろん、自分が苦しんでるときだって、赤の他人に助けなんて求めないし、助けられたくもない。
今まで生きてきて思うのだけど、結局のところ、他人がしてくれることといったら、
安全な上のほうから「かわいそうだね」って顔で同情してくれるだけ。
同情の気持ちなんて言うのは一銭にもならないし、苦しい自分の何の助けにもならない。
それどころか、されればされるだけ惨めになるばかり。
恵まれた自分と比較して哀れむって言うのは、さぞ気持ちいい行為なんだろう。
本当に苦しんだことのある人間ならそれくらいわかるんじゃないか。
そんな目に遭ったこともない、そんな幸運な人間が大勢いることに
本当に反吐が出そうになる。
本当に自分にとって何のメリットもなく、ただ単に良心というやつに従って
「善行」というのが出来る人がいるとしたら、よほど何の不自由もなく育ってきた、
頭の中がお花畑の人くらいなんじゃないだろうか。
「移民受け入れという慈善」はやめた
イギリスのデービッド・キャメロン首相は14日、南部ハンプシャー州で開かれた保守党の会合で行った演説で、EU諸国以外からの移民の受け入れを制限する方針を明らかにした。
キャメロンが移民政策に特化した演説を行うのは、1年前の選挙戦以来。移民の受け入れ数を現状の年間「数十万人」から「数万人」に減らすと約束した。
インドのビジネス・スタンダード紙によると、キャメロンは演説でEU圏外からの移民が多くなった要因としてイギリスの福祉制度を批判。その上で、現政権は「大量の移民ではなく優秀な移民」のみを歓迎すると発言した。
「問題は、働かない国民を長年支えてきた福祉制度のおかげで、ぽっかりと空いた労働市場の穴を、移民が埋めているということ。非難されるべきは、このひどい福祉制度であり、前政権がその改革に完全なまでに失敗したことだ」
インドのヒンドゥスタン・タイムズ紙によると、キャメロンはさらに、前政権である労働党は大量の移民と不法移民(主に学生や合法移民の家族)が法の抜け穴を利用して入国してきたことを傍観していたとも批判した。
英ガーディアン紙によれば、英語を話せなかったり社会に同化する意志のない移民は、コミュニティーを分断させる「一種のわだかまり」を生んでいるとも語った。
ガーディアンが公開しているキャメロンの演説全文から、要点を一部引用すると──。
■移民の大量受け入れは善行で、経済もおかげで助かっているという主張もあれば、移民はイギリスの寛大な福祉制度を悪用しているという主張もある。こうした両極端な主張をただし、分別ある理論的な議論を展開することが、政治家の役割だ。
■しかし先の労働党政権はそれとは逆に、議論を煽ってきた。移民に反対するのは人種差別だとでも言うように議論そのものから目を背けた閣僚もいれば、自身の保守派としてのイメージを守ろうと躍起になって反移民を叫びながら、移民削減へ向けて何一つ具体的な行動を起こさなかった閣僚もいる。
■わが国は移民から計り知れないほどの恩恵を受けてきた。どこの病院に行っても、ウガンダ、インド、パキスタンなどから来た人々が病人や弱者の世話をしている姿を見かける。学校や大学では、世界中から集まってきた教師がイギリスの若者たちに刺激を与えている。外国から来た起業家たちは地元経済に貢献しているだけでなく、地域社会の一員としての役割を果たしている。
移民がイギリスに多大な貢献をしていることは間違いないし、われわれも歓迎している。だがそれでも、私にははっきりさせておきたいことがある。長い間、イギリスは移民を多く受け入れ過ぎてきた。
■移民の制限は、この国の将来にとって非常に重要な課題だ。だかこそ、わが保守党は選挙戦中に国民にはっきりと約束した。移民の数を80〜90年代のレベルにまで削減することを。そして政権を取った今、われわれはこの目標の達成に向かっている。
合法移民については、EU諸国以外からの移民の数に上限を設ける。不法移民については取り締まりを強化。難民の認定ついても見直しに取り掛かった。こうした取り組みの成果は見えてきている。
■とても若く英語がほとんど話せない外国人が英国民と国際結婚するケースがある。この場合、政治的公正に反したとしても、偽装結婚の可能性を疑わないわけにはいかない。昨年11月より配偶者ビザ申請の条件として最低限の英語能力の証明を求めているのも、そのためだ。われわれはまた、イギリスに来る配偶者の年齢制限を21歳以上と規定した。
■もちろん、イギリスは今後も世界の優秀な頭脳や、迫害から逃れてくる人々を歓迎する。だが現保守党政権の下、わが国の国境は開放されているわけではなく、移民の数は受け入れられる範囲でなければならない。そこに「もし」とか「しかし」といった条件はない。これは、われわれが国民と交わした約束であり、決して破ることのない約束だ。
就職活動を成功させたいのなら、就活塾や説明会にいくよりも、エントリーシートを書くよりも、やるべきことがあります。
人助けをしたいのならば、デマツイートをドヤ顔でRTするよりも、「僕にできることはないだろうか(キリッ」とドヤ顔で呟くよりもやるべきことがあります。
それはどんな努力よりも効果的で、短期間で出来て、就職活動を成功に導く方法です。
それは地震災害ボランティアに参加することです。災害ボランティアは考えられる限り最強の就職活動対策です。
理由は三つあります。
(1)日本企業が求める「誠実さ」「協調性」「行動力」「自己犠牲の精神」「相互扶助の精神」ほぼ全てを一発でアピールできます。
今の地震は安西先生も裸足で逃げ出すレベルです。その余震リスク、放射能リスクを物ともせず、今、困っている人を助ける為に行動する人間を評価しない人間はおそらく日本企業にはひとりもいません。他人を助けたいと思う「誠実さ」「自己犠牲の精神」「相互扶助の精神」は日本の企業が喉から手が出るほど欲しい能力です。
震源地に赴く行動力は「チャレンジ精神」「行動力」として企業に高く評価されます。
(2)マグニチュード8・8のインパクトとオリジナリティがある
「塾講師」「サークルの副リーダー」「飲食店バイト」なんていう自己PRは、アルマゲドンのシナリオ級にありきたりです。
誰でも出来て、誰でもやっているので何のインパクトもなく、就職活動で有利になることはありえません。
しかし、地震ボランティアなら、誰もやりたがりませんし、誰でも出来ないので、インパクトがあります。
インパクトがある行動は記憶されやすく、選考に通りやすくなります。
(3)わかりやすく、ケチがつけにくい
様々な学生時代の活動は、オリジナリティがあればあるほど、周辺条件を説明するのに手間がかかります。
特別な経験であるほど、説明コストがあがるのです。また、面接官によっては「他にやるべきことがあったんじゃないの?」
「ボランティアが好きならなんで民間企業に就職するの?」とケチをつけられることもあります。
しかし、地震ボランティアなら、日本人全員が周辺状況を共有しているため、一発で伝わります。
また、まともな大人なら公衆の面前で地震ボランティアにケチをつけることは出来るわけがありません。
この三つの理由から、地震災害支援ボランティアは数ある就職活動対策の中で、ほぼ最強の就職活動対策です。
この自己PRがあれば、トヨタだろうと、パナソニックだろうと、どんな難関企業の面接も屁ではありません。
どんな面接官もハンカチで涙をぬぐって、あなたを採用することでしょう。日本人にとっていい話は「TOEIC900点のアメフト部主将」を上回ります。
デマ情報をRTしている暇があるなら、 全国社会福祉協議会 03-3581-7851にボランティアを申し出ましょう。
中には、「そんな不純な動機でボランティアなんかするな!」と憤る方もいるでしょう。
しかし、凍える夜に配給される、飢えた胃を癒すおかゆに純も不純もありません。
乾いた喉を潤す、おいしい水に純も不純もありません。
ヘレン・ケラーですら見えない・聞こえないフリをするレベルのこの大震災の震源地に、善意だけで支援を申し出ることのできる人はほんのわずかです。
ほんのわずかな人ができる善行もほんのわずかです。ほんのわずかな行動では恐らく、今、困っている人達を救うことはできません。
偽善による善が行われないならば、善行が将来的に自分の利益になるものでないならば、世の中の善行のほとんどは死滅します。
ハリウッドスターのチャリティーなんかほとんど広報の一環ですが、多くの富を寄付しています。
純粋な善行ではなく、自分の利益の為に打算的な考えで、ボランティアを申し出る普通の人はたくさんいます。普通の人が自分の為に行動することが、今、救える命を救うことにつながるのです。
だから、今救える命を救う為なんかではなく、「一流企業に内定して、ブランド社名をチラつかせて合コンで美人OLをお持ち帰りするために」「一流企業の内定で、自分の自己顕示欲を満足させるために」「就活武勇伝を後輩に自慢するために」こそ、ボランティアをするべきです。
救助を受けている人達にとって、ボランティアの人が何を考えているのかなんてどうでもいいことです。たとえ、あなたが「このボランティア経験をアピールして、一流企業に内定して、合コン無双して、童貞を捨てるぜ!うひゃっほう!」と思っていたとしても、温かい毛布は毛布で、おいしい炊き出しは炊き出しです。
ツイートでしか善意をしめせない善人よりも、自分の為に行う不純な善行の方が5000倍価値があります。
誰かが「世の中を良くしたい!」と思い立ったとして
知能や気力や時勢読みに優れてる若い人ならば
何かシステムを変革しちゃうほどの大きなことを出来る
近所のゴミ拾いは地味で、築き上げられていくような成果は無い。
人間はどうしても手応えや評価を求める生き物なので
何年もゴミ拾いに徹することが出来るような心栄えの持ち主は少ない。
というときに。
他人に影響や脅威を及ぼし
自分の爪痕が社会に認知されるような善行は何かなって考えた時に
人間とは
利潤的な対価を求めない場合でも
「あれはいけない言葉です」と、世の中に流通してる言葉を整理して仕分けしちゃえる。
その言葉を使ってる人に「無知ですね差別ですねいけませんね!」と迫って脅かせる。
言葉狩りはどんなに行き過ぎても
やってる本人も自分の胸に聞いて「やましいところなし」と自信を持ってる。だから厄介。
心の対価としてのオモシロ報酬、
それをやってる自分と言う存在は無意味ではないのだと言う保証、
それを懐に入れることについて「疚しさ」を検討する人が少ない。
絶望もしていないが、かといって絶対に希望などは持っていない。一見不幸そうにも思えるこの状態だけど、“絶望してない”っていうのは充分にありがたいことなのだ。絶望はホントに苦しい。ただ起きているだけで、何もしない時間を過ごすだけでも気が滅入って、それに対する方策は一つも打てず(というか対処法が皆無)、ただ一秒一秒が試練。そんな時を過ごしてきたから、今現在のこの平穏が、ひたすらありがたい。
自分には期待していない。ここから向上することはできない。現在の能力を持ってして、来るべき仕事を粛々とこなし、できる範囲で周りに貢献して過ごしていきたい。それ以上はもう、無理だ。
周囲の人間は悪だなんて思わない。むしろ、結構人間って慈愛に満ち溢れていて、素敵な助け合いとか「協同」なんてものがまま存在しているように思う。それはただ、自分という人間には決して向けられることがないだけ。それは誰が悪いとかじゃなく、自分が周りに親密さや慕情を与えられないから当然の結果なのである。不可能なことを責めるのならば自分が悪いのかもしれないが、そういう能力が欠けた人間が生きていることで何がダメなんだろうと素直に今は思うのだ。自分はまっとうに生きている。
現在の状態は諦めの状態にも似ていて、未来に対して希望を持っていないと現状を変えようと外部に働きかける“意欲”みたいなものはこれっぽっちもなくなる。困っている人がいても自分の羞恥心の方が勝れば手を貸すこともしない((何で善行を行うのにこんなに恥ずかしさを感じるのか、自分の精神構造がまるで分からない。))し、怖そうな人がいれば自分がかかわることなくその場をやり過ごせるよう息を殺して祈る。例えば今日、駅のホームで自分の息子(5歳くらい?)をど突き倒して泣かせている、ヤンキーっぽいお父さん(青年)を見ても何を咎めようとも思わない。少しだけ義憤のような念が起ころうとしても、その感情にふたをする。感情の発生自体をなくそうと努める。ただ、波風を立てずに、やり過ごすだけだ。
そんな無風の世界に生きている。
今はもう、ただそれでいいと思っている。これからは会社の飲み会に行くこともしないし、ただの同期(個人的な付き合いなど一切ないし心だって一つも許していない)とのイベントにも参加することはないだろう。もう無理しない。だって、トライはしてみたもの。努力してみて、その結果無理と分かったんだから、自分としても納得がいく。
一人で生きていかなくてはならない、その自分の素養は受け入れるしかないのだ。きっとこれから30歳、40歳と年をとるにつれどんどん心の重りのようなものは大きくなっていくだろう。今のうちからそれにしっかりと対峙し、共存していけるよう覚悟をきめていきたい。
24時間テレビの違和感は理解できるが、お前と元益のことは全く理解出来ん。
まあ何かしらにムカツイているのは確かとして、そのムカつきの元が元益の記事にちゃんと書けているのかを考えてみてはいかがか?
少なくとも広く共感を得られるような問題点は全く書けていない。
(拡散希望ということ自体の痛さはまた別の話だ)
正直に言って、いまの段階では「一見、善行であること」を疑うことを覚えたての中二病としか受け取れないんだ。
#募金を集める人間に「お前の財産は全部寄付したんだろうな?」と言うようなガキっぽさも感じる。
別に中二なら中二で構わないんだがなぜこうして問うかというと、本当に問題があるのであれば是非知っておきたいから。
こないだ、街を歩いていたら
「この詐欺師!」と怒鳴られた。
おかしな話だ。
相手のことも知らない。
だが少しだけ思索してみた。
もしかしたら、
この人は僕の風貌だけ見て詐欺師だと判断したのかもしれない。
だとしたら納得がいく。
セカンドバッグを小脇に抱えてチラシの束を持っていたのだから。
それなら仕方ない。
彼に対する恨みは忘れよう。
こちらにも非があった。
だが彼は、
僕の目を見て「この詐欺師!」と言った。
つまり、僕の風貌など見えていなかったということだ。
僕の目しか見ていなかった。
だとしたら、彼は僕の目というか人相だけで判断したということだ。
これには流石に腹が立った。
というのも、僕は昔から人相だけで悪い印象を持たれることが多いからだ。
ともかく僕は彼を蹴ると、いちもくさんに逃げた。
彼は追いかけてきたが、知ったことか。
僕は足が速いんだ。とにかく逃げた。
最終的にはタクシーに乗って逃げた。
これなら追ってこれまい。
しかしタクシー代がかかってしまった。
僕は財布に2000円しか持ってなかったので、
そんなにタクシーに乗っていられなかった。
途中で降りて、また走って逃げる。
さすがに相手の姿は、もう見えなくなったが、それでも念の為に逃げる。
ここまで来れば安心だと思い、僕は山頂で魔法瓶の水を飲んだ。
ゴクゴク。なんて美味しいんだろう。
しかし彼は一体どうなっただろう。
僕に蹴られて追いかけて、結局つかまえることが出来なかったのだから。
さぞかし悔しい思いをしただろう。
だが、そんなのは知ったことではない。
しかし流石に罪悪感を覚えたので、
せめて彼の言うとおり詐欺師になってみようと思った。
そうすることで、彼は自分が間違っていなかったと思うことができるからだ。
僕は自分の慈悲深さに感嘆した。
さらにそれを道行く人に売って、そのお金で複数の缶ジュースを買い、
ペットボトルにし、売り、買い、薄め、売り、買い、薄め、売った。
そんなことを20回ほど繰り返した頃だろうか。
飽きた。
最終的に12万円ほど儲かったが飽きた。
やはり金銭というのはモチベーションたりえない。
そう悟った僕は、彼が僕のことを詐欺師だと言ったのは、
やはり間違っているなと思った。
とにかく、しばらく経ってから罪悪感が沸いてきたので、
その金を全部ドブに捨てた。これでよかったのだ。
同じ問題をブログに上げる人が1000人もいれば世間で少しは話題にもなるだろ。その場合少なくとも1000分の1の価値はある。
これは重要だ、正義だ、搾取を是正せよ、被害者を救済せよ…というのなら、という話だったはずなんだが。もし「本気で」そう思ってる人間がこれだったらそれは凄いな。
「うまいことに」同じ問題をブログに上げる人が「もし」1000人もい「たとすれば」(やっとこさ)少しは、話題にもなる「だろう」、「かりに」その場合「でなら」、(ここでようやく)1000分の1の価値はある、というわけだ。
結果がそれで出るんならいくらでもやればいい。行動は結果を出すためのものだから。で、それはいままでにどんな現実の、具体的な結果を生んできたの?
「まだ自分が関心をもつ問題がないから」とモラトリアムよろしく何の行動もしていないのに、他人の言い草が気に食わない等々でつっかかってくる人間こそ身の程を知ったほうがいい、と俺は思っているんだが。
自分を律して善く生きる、知り合いが困れば現実に助ける、というくらいには実際の行動をしてるつもりだけどね。まあ、お前も身の程を知れ、というのならそれはそれで聞くに値する。善行ばかりしてはおらんしな。といってもこんなものいくらでもブーメランになるが。
しかし「身の程を知れ」という点で「何の行動もしていない声高に叫ぶ人」はなんにも積極的な擁護をされていないのに、他人の言い草が気に食わない等々でつっかかってくる人間「こそ」知れ、とはね。「おまえもダメだ」、じゃなく「おまえこそがダメだ」(笑)。
言っておくけど、「言い草が気に食わない」というのも単に言葉遣いの問題じゃない。問題解決のことなんか考えちゃいないのに善人の振りをするな、効果さえない偽善をふりまくな、ということ。偽善を見ることができない●●は偽善者を正義の人と信じきる。偽善者が「得をするような世の中であってはまずかろ?」
アドバイスとかではないが、「職種を妥協し」の意味が知りたいな。
もし、前職よりもたいして稼げない、という意味なら俺はそれは間違ってると思う。正確には、そういう視点で職業を妥協するとかしないとかの話をするのは間違ってる、と。
そうじゃなく、もし、前職は好きな仕事だったが妥協して好きでもない仕事でいいからとにかく早く転職したい、という意味なら、それはもっと間違ってる、と思う。
失礼ながら、あなたの文章は言い訳に満ちていて、まるで「善い人間だと認められるような生き方をしてきたのに俺の人生を否定しやがった」って言ってるように見える。
打算的に生きたほうが良かった、というのは恐らく今の混乱した状況でついて出た奴当たりのようなものなんじゃないかと思うけど、
それにしても、ボランティアや「善いこと」をすることになぜそこまでこだわるのか。
もし、あなたが今まで「社会的に完璧な人間にならねば」という思いで生きてきたのだとしたら、その無理が仕事に響いたんだろう。
見返りを求めているわけではない、と書きながら自分がやってきた善行を「人生に失敗した言い訳」として使うのは、申し訳ないが偽善者なんだろうなとしか思えないよ。
そういった偽善者に、まわりの人は騙されたりしないものだ。まわりの人間を恨めしいと思うのは、彼らが自分より「善人ではない」という決めつけがある。
さらにその根本には、俺は善人だ、俺だけが善人だ、俺は善人でなければならない、というたくさんの「囚われ」が透けて見えてくる。
もしもあなたが、仕事というものを名誉だとか社会評価を得るためにやるものだと思っているのなら、今度は自分の好きなものをやってみるように、俺はアドバイス出来ると思う。
そこに、稼げるか、いい人だと評価してもらえるか、他人の期待にこたえているか、などの価値観は必要ない。ただ、好きなことをやればいい。
好きなことが見つからない、忘れてしまったというなら、現在の仕事が無いという状況を利用して、思い出してみればいい。好きなことがない人間なんてありえない。必ず見つかる。
そうして、打算的に生きるのではなく、他人の顔色をうかがうのではなく、本当にしたいことをやってみれば、おのずと答えは見えてくるよ。