はてなキーワード: 常連とは
もう人生の折り返し点をすぎて久しい。目を通す文字は、仕事の書類ばかりとなった昨今。
でも小学校高学年から中学生にかけての頃に、文学少女に憧れた時期があった。
書店の奥のほうにいっては新潮文庫コーナーで、適当に数冊手に取っては解説に目を通したりしていた。
生まれて初めて自分で買った詩集は、井上靖の詩集だった。小学校5年生か6年生の頃だと思う。
頁を開いたとき、これは詩なの?というのが最初の感想だった。普通に文章だったからだ。
調べてみると、井上靖の詩は、散文詩という形式らしい。なにが自分の知っている詩と違うのだろうというところで
「韻」という言葉もその時初めて知った。
井上靖の詩集を手に取ったのは、国語の教科書に載っている著者の本でなるべく読みやすそうなものを探したからだった。
というわけで、あすなろ物語のついでに手にしたのが、人生最初の詩集だった。
小中学生の頃、国語の授業で、詩や短歌に少し関心をもった私は、韻を踏む、という作法が苦手だった。
季語などルールがあったり、韻で楽しめなければならない、みたいなものが短歌や俳句だとすると、ちょっと縁がないなと。
特に覚えているのは、中学校の時習った在原業平の短歌に、かきつばたを詠みこんだものがあるが、韻だけでなく、言葉のニュアンスにいろいろな仕掛けを作らないと詩として成立しないのかと思うと到底自分には向いてないジャンルだった。しかし、そうはいっても、短い言葉で何かを表現してみたいという思いは消えず、ひそかに詩集をつくって引き出しの奥底にいれていた。
幼少の頃、川辺の石段の下で手を洗っているとき不意に石鹸が手元を離れ、深みに落ちていったという情景の詩があった。その喪失感をその後の人生でも刻まれているという内容だった。これなら自分でも書けるかもしれない、と思った。
自分の世界の表現の仕方や詩の味わい方を学べたのも井上靖の詩の影響が大きかった。
例えば、雪という詩がある。
雪
―― 雪が降って来た。
―― 鉛筆の字が濃くなった。
こういう二行の少年の詩を読んだことがある。
みつけた詩だ。雪が降って来ると、
私はいつもこの詩のことを思い出す。
中学生の私は、なるほどと思った。
詩というのは、雪が降って鉛筆の字が濃くなったという描写やその言葉のなかにあるのではなくて、物語は書かれてない背景のなかにあるのだなと。
鉛筆の字という描写だけだったら、だから何?という感想しかない。しかし、鉛筆を持つ誰かの表情を想像し、その背景を想像して足してあげることで一枚の絵になる。
当時、大好きだった先輩が「友情」を読んで感動したといっていたので、友情ともう一冊詩集を手に取った。その後しばらくして、私の失言が原因で先輩は私からフェイドアウトしていった(つまりフラれた)ので文学をダシに先輩と仲良くなろうという作戦は失敗した。しかし、武者小路実篤の詩はそんな私をなぐさめる言葉にあふれていた。
いじけて 他人にすかれるよりは 欠伸(あくび)して他人に嫌われる也 夏の日。 嫌う奴には嫌われて わかる人にはわかってもらえる 気らくさ。
ほどなくして、種田山頭火という自由律俳句というジャンルを知った。
山頭火は面白い。普通の俳句じゃないところがいい。規律から解放されるってすばらしいことだと。
定型詩嫌いな私にとっては、ある意味で、俳句短歌のエントリーポイントとなって、
しかし俳句は、季語の煩わしさにどうしてもなじめず、自分には遠い世界のままだった。
いつしか手にしていたのは、興津要の解説する江戸川柳 誹風柳多留だった。古典落語にはまり始めた時期だった。
剣菱という酒を飲むことを江戸時代の人が剣菱る(けんびる)と言っていた、など、現代の言語感覚と近い、興味深いことがいろいろと書かれていた。
その後は巴毎晩組み敷かれ
木曽義仲の元を離れ、和田義盛に見初められ身柄を預けられた巴御前、ネトラレ系の元祖ともいうべき味わい。思春期の私はこうした江戸時代の川柳で妄想たくましく想像し、手が動いた。五七五だったら、こっちの世界のほうが楽しい。
一方、短歌のほうは、というと、当時の朝日歌壇は毎週とても楽しみにしていた。
俵万智のサラダ記念日がベストセラーになったからというのとは全く関係なく、プロではなく、市井のいろいろな人が短歌を詠んでいるということが興味深かった。
例えば、こんな一首。
あさま山荘事件を起こした連合赤軍の幹部、坂口弘が収監中の東京拘置所から毎週のように短歌を朝日歌壇に投稿していた頃だ。
朝日歌壇では他にも穂村弘がいた。短歌の表現する世界の幅広さを朝日歌壇で知った。
風花って知っていますか
渡辺松男と太田美和は実社会で互いに関係があるわけではなく、それぞれの思いを歌に込めていたのだと思うけど、なぜか不思議と互いに呼応し合うものがあった。これは当時の歌壇をリアルにみていた人にしかわからないことだけど。雨の森や樹々など独特の世界観を表現する渡辺松男に対して、雨の日に部屋にこもれば憂鬱が発酵すると詠んだりする太田美和。
実生活で恋をしていた私は太田美和の言葉に自分を重ね合わせた。
でもこのころが私の文学少女期のおわりだった。
大学を卒業したものの、就職できずに苦しむ時期がやってきた。就職氷河期というやつだ。
生活が一変した。
書店で立ち寄るのは、奥の文庫コーナーではなく、店の前の新刊コーナーであり、資格取得のコーナーだった。
世の中からどんどんと取り残されてゆく焦りでいっぱりになっていた。
山頭火も武者小路実篤もへったくりもない、そんなことより面接と資格だ!という日々。
就職が決まってからは、病気になったら人生終わりだし、干されたら終わり。もう一歩先に、もう一歩とただひたすら走り、走らされる人生が始まった。
たまに思い出しては、現代短歌の最近の潮流を知りたくなって、枡野浩一の本を手に取ってみたりはしたものの、ピンとこなかった。
若い頃あれほど好きだった渡辺松男も改めて著作をみると作風が変わったのかと思うほど、何一つ言葉にくすぐられることなく、不感症になっていた。変わったのは自分のほうだ。
それから数十年、あるとき気が付くと、新しい家族が増え、家が建ち、旅行などしている。
そういえば何十年も詩や短歌を目にしていない。寺山修司の本は引っ越しのどさくさでどこかにいってしまっていた。
思春期のことを遠く思い出すようになった。実家の部屋の引き出しにはまだヘンな自作ポエム集が眠ってるはずだ・・。自分が死ぬ前にはなんとしても奪取してこないといけない。
中年になっていいかげん自分の限界を悟って、ふっと一息いれた、という形だ。
―― 雪が降って来た。
―― 鉛筆の字が濃くなった。
この二行の子供の詩を、何十年も経って思い出す井上靖の感覚がとてもよくわかるようになった。
これは人生の楽しみを食に見出して、ワインをたしなむようになってから思ったことでもある。
詩を楽しむということとワインを楽しむことには、ひとつ共通点がある。
どちらもウンチク語ってめんどくさい奴がいる、という意味じゃない。
鉛筆の字が濃くなる、という情景として、勤勉で真摯な子供の姿を思い浮かべる、という
文として書かれていることと、書かれていない想像の背景の補完的な関係は、ワインと食事、一緒に食事するひととの関係によく似ている。
ワインの味や香りは、それだけで勿論、それぞれのワインに特徴があるし、品種やビンテージ、気候土壌などさまざまな情報がある。
しかしワインのおいしさを決めるのはそれだけではない。過去に飲んだ記憶とか、一緒に食べているもの、そしてそのときの話題、体調などに大きく左右される。
水だって同じことで、喉が渇いているときの一杯と会議中にやり込められているときの一杯は全然違うはずだ。
マリアージュという言葉があるように、ワインは一種の調味料として機能するため、食べ合わせは重要だ。
ブラインドで呑むワインはどんな高級ワインだろうが、初見のワインでしかない。ワインの特徴まではわかってもそこまでだ。
逆に偽の情報を表現豊かに補完してしまえば、コンビニで販売しているワインを高級ワインと偽って出してもたいていの者には気が付かれないだろう。
ワインを色やら香り、余韻など物理的に因数分解した表現ができても、美味しさは客観的な規律として表現することはできない。
詩も同じだと思う。規律ばかりを語るひとがあまりにも多い。本居宣長には悪いけれど、歌をつくるのは道だとしても楽しむのは道じゃないと思うんだよね。
井上靖が「小学校の教室という教室で、子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。」というとき、井上靖にとってその詩に初めて出会ってからの何十年間が効いてくる。井上靖は詩は規律ではなく、詩との出会い方だと教えてくれた人だ。
その情景を自分のなかでセットできるかどうかは、鑑賞眼の問題ではない。
どちらかというと、そのような情景がセットされてしまう、長年の思いの蓄積、その詩と出会ったときのメンタル、いわば偶然の力だと思う。
渡辺松男と太田美和が並んで歌壇に掲載されていたあの空気感にしても、あのとき限りのものだったのだろう。
失恋をして武者小路実篤の詩に慰めれられた思い出もそう。まさに一期一会。
そのときに自分が置かれれる状況やそれまでの経験によっては、詩に対して、鈍感になることだってあるのだ。
ところで、先日、Yahooの芸能ニュースをみていたら、TBSのプレバトというバラエティー番組で、俳句を競う企画があって、ある芸人が俳句の先生から5点と酷評されたと報じていた。
消しゴムが 白き水面に ボウフラを
というもの。作者は「頑張って勉強して、消しゴムを何回も消すと、消しカスがたくさん出る。それが白いノートにたくさん積もっていると、ボウフラのように見えるという句です」と意味を説明したものの、腹が立つ、とまで評者先生にののしられている。
ちょっと間抜けた感じはするものの、正直、なんでそこまで素人の俳句が酷評されなければならないか理解できなかった。だが、番組の演出・脚本としてはそれがオチなのだろう。
演出もさることながら、これは、他の出演者の俳句が以下のようなものだったことも影響しているように思えた。
虹の下 クレヨンの箱 踊り出す
天王山 黒ずむ袖に 薄暑光
薫風や 隣の君と 教科書を
こんなふうに優等生を気取った俳句がずらりと来たら、それは「お約束」として、こき下ろすしかないのかもしれない。
バラエティー番組のなかで俳句を味わうということはつまり、こういうことなのだ。その芸人に対するイメージで作品のクオリティが補完されてしまうのだ。
しかし、この句が仮にお笑い芸人ではなく、どこかの学校の児童生徒が作ったものであったとしたらどうだろう。
消しゴムをかける姿は、情景としては授業中であることを示唆している。5月の番組で文房具だからまだ気持ちはフレッシュだ。だけどがんばろうという気持ちは長続きしない時期でもある。
ぼうふらにみえるほど消しゴムをかけるくらいだから、授業中、何度も消していて、その間、ノートをとる手が止まることになっただろう。
それでも授業はお構いなしに進んでいく。溜まってゆく消しごむのカスからは、授業についていく焦りとともに、生徒のひたむきさ、間違って消すことが多い生徒のどんくささも垣間見られる。
いいかげん疲れたかもしれない。めんどくさいと思ったかもしれない。
一方で白い水面(ノートの隠喩)は、清潔さや純粋さを象徴している。
ふと手を止めた瞬間に、そこにボウフラがいるようにみえた、というのは、一瞬立ち止まってボウフラ?などとくだらないことを想像してしまった自分の不純さや切れた集中力で抜けてしまった気力(投げ槍感)との鋭い対比となっている。
と、このように解釈すれば、俳句としてむしろ「ボウフラを」で間抜けた形で止めた意味が出てくる。そこから先は、苦笑いなのだ。
ボウフラを季語と認めるかどうかはわからない。しかし、純粋に詩としてみれば、消しゴムとボウフラという組み合わせは非常にユニークだ。
また、どんくさいもの、弱者がボウフラというノート上のより小さい存在に視線をフォーカスする、という手法は小林一茶の方法とも通じるところがある。
番組の評者は、この芸人の俳句を酷評したうえ、次のような添削をしたという。
夏休みかよ。口論の途中で勝手に話の前提を変えられたときのような不快感を覚える添削だった。消しかすって文房具じゃないし。
しかし、誰しも詩に対して鈍感になる、そういうことはある。端的にあれバラエティ番組だからね。
ただ、私の場合、やっぱり俳句には縁遠いのだろうと思った。俳句がメインのカルチャーであろうとする、優等生を選ぼうとする、そのいやらしさも嫌だ。上品そうな季語を競うかのような世界は一種のルッキズムだ。夏休みとかいって勝手におめかしさせようとするんじゃねーよ。
そういうところがまさに、かつて私が川柳などのサブカルに引き寄せられるひとつの動機だった。ボウフラにシンパシーを感じる感受性は恐らくはかつて親しんでいた落語や川柳で身につけたものだろうから、ゆりやんの一句を悪くないと思うのは邪心かもしれない。そもそも番組ADがテキトーにつくりましたってオチかもしれないんだけどね。
ことごとくやべーやつ常連ばかりで🪴
どうでもいい話だが、これらの映画のほとんどがAmazon Prime Video配信開始になったのは 配信開始カレンダーを見る限り2024年3月25日のことらしい。
https://animephilia.net/amazon-prime-video-arrival-calendar/week/2024/3/21/
せっかくなので、過去に10作品に挙げていなかったGTH作品も紹介しておこうと思う。
アンニョン! 君の名は //www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0CTLPNP9J/ref=atv_dp_share_cu_r
日本に少し先立って韓国がタイ人向けビザ無し渡航を解禁した時に作られたラブコメ映画。フラれて自棄になった男性と彼氏の束縛から逃げるようにやってきた女性が韓国で出会い、ロードムービー的に旅する。主題歌がいい。おすすめ。(特に冬のソナタ近辺の韓国ドラマ見てた人には)
カウントダウン //www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0CTXT9QTR/ref=atv_dp_share_cu_r
バッド・ジーニアスの監督のデビュー作。ニューヨークに住んでるタイ人たちが年末のカウントダウンパーティーでクスリをキメようと売人を呼ぶが、この売人が曲者で……というホラーとスリラーの混じった映画。その後の監督の活躍を考えるとおすすめ、くらいのややおすすめ。
カミングスーン //www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0CQFBTK7X/ref=atv_dp_share_cu_r
あるホラー映画と、その映画撮影時のトラブルと、その映画を盗撮コピーする話が絡み合うホラー。メインに、GTH映画ではたいていろくなことにならない主演常連が出てきて、結局今回もろくなことにならない。喫煙シーンとかガラケーとか、たかだか15年前の映画なのに妙に懐かしい。ややおすすめ。
スイマーズ/溺れるトライアングル //www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0CV3V9DLP/ref=atv_dp_share_cu_r
いちおうホラーに分類されているのだけど、悪事を起こした側とその真相を探る側の対決なスリラーに見えるかもしれない。親友だけどスポーツで張り合っている男同士と、そこに絡んでくるヒロイン、そしてヒロインの自殺、というプロットはありがちだがわかりやすいと評価すべきか。冒頭タイ語で「この映画フィクションだからね」と念押しされている(Prime Videoの字幕では訳されてない)のがかえってリアル。ホラーとしてはお勧めではない。
トップ・シークレット 味付けのりの億万長者 //www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0CV25P9MY/ref=atv_dp_share_cu_r
実話に基づくドラマ。タイトルにもある「味つけ海苔」とは韓国海苔のことなのだが、実はこれタイのあるブランドが(日本以外では)トップシェアを誇っていて、そこに至るまでの苦労話。セブンイレブンの向かいにセブンイレブンがあるというタイのセブンイレブン普及率がいい味を出している。おすすめ。
ドーム/寄宿舎 //www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0CTMHKZVD/ref=atv_dp_share_cu_r
ホラー。とは言うものの、たぶん見た人は10人中9.5人くらいは「ホラーじゃない」と思うはず。青春もの、というよりジュブナイルもの、といいたくなるくらいの若い男の子の出会いの話。どうにも不穏だけど「世にも奇妙な物語」に時々あるハッピーエンド的な話を期待していい。(ホラーを期待している人には)お勧めじゃない。逆に言うと普通の映画としておすすめ。タッチとキャプテン翼のコミック(この時代だと海賊版かも)がちょっとだけ出てくる。
フォービア 4つの恐怖 //www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0CTXT2B32/ref=atv_dp_share_cu_r
ホラー。オムニバスで4つの短編をまとめられたもの。いちおう1話目と2話目、3話目と4話目にはリンクがある(あんまり関係ない)。2000年代なので一部CGがチープなことに目をつぶれば見れなくはない。まあまあ。
フォービア2 5つの恐怖 //www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0CV4839SH/ref=atv_dp_share_cu_r
ホラー。前作の好評を経て1話増やしてオムニバス5編になって、前作を越えてヒットした。ところどころ前作の設定が絡む(大筋ではどうでもいいけど)ので、前作見ておいたほうがいいかもしれないが前作がまあまあなのでそこの勧め方が難しい。3話目は日本人が出てくる。演じているのはAkiko OzekiとTheeraneth Yuki Tanaka。一応彼らの出演歴を見ると他の映画でもチョイ役で出てきてはいる(覚えてない)。
フリーランス //www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0CV2MGSLZ/ref=atv_dp_share_cu_r
ドラマ。仕事のためなら葬式会場でWifiを探すことも厭わない主人公が過労からくる不摂生のせいで身体を壊す。フリーランスの稼ぎでは私立病院にいけないので公立病院に行ったところ、美人の女医に出会い、生活改善にチャレンジすることになる。しかし、仕事を回してくれてた元請けの結婚退職がきっかけで新たに受けた仕事は過労死してもおかしくない内容だった、というわけで、ある意味ホラー。正直、美人の女医よりも元請けの女性(Violette Wautier)のほうが美人(諸説あり)。関西ローカルで深夜放送されたこともある。おすすめ。
フェート/双生児 //www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0CTN2RX9M/ref=atv_dp_share_cu_r
ホラー。フェート(แฝด)はタイ語で「双子」のこと。この場合は結合双生児で、片方に起きた恋愛と関わってか2人の分離手術をした結果、恋愛の起きていない方が死んでしまったがその後彼女が…というわかりやすいプロット。これだけホラーが多いと後回しでいいかな、という気分になる。お勧めではない(主に犬のせい)。
ボディ/白昼の悪夢 //www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0CV3CJPCZ/ref=atv_dp_share_cu_r
ホラー。大学生を主人公とした話と見せかけて、医者夫婦の因縁話になるというひねりが効いている。細かいエピソードはともかく、大まかな筋はタイで実際に起きた事件を元にしているのではという指摘もあった。ホラーとしてはおすすめ。
ラッダーランド/呪われたマイホーム //www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0CTWMH827/ref=atv_dp_share_cu_r
ホラー。無理して高級住宅地にマイホームを買って引っ越した一家。しかしその住宅地は呪われていたのだった…というあらすじがあちこちに書かれているのだが、たぶんこのホラーな出来事の原因は住宅地が呪われているからじゃない、程度にはツッコミをいれたくなる登場人物たち。とは言うもののこれに似た噂が実際にタイであったこともあってそこそこヒットした。あまりお勧めではない。
手あつくハグして //www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0CV238N8B/ref=atv_dp_share_cu_r
ドラマ。生まれつき腕が3本ある男が、1本腕を切り落としてくれるという医師を目指してバンコクに向かうロードムービー。途中で、やはりバンコクに夫を探しに向かう女性が同行する。タイの小都市を含む田舎を見る分には面白いけど、ストーリーは退屈かもしれない。あまりお勧めではない。
けっこう前に見に行った舞台に出ていたへっぼこ役者の愚痴が今さらふつふつと再沸騰したので吐き出し。
推しが「ハンサム落語」というシリーズ企画の舞台に出たので見に行った。事前発表のビジュアル写真も衣装も素敵で、落語を俳優二人組の掛け合いで演じるというコンセプトも気になった。
舞台当日は推しのいろいろな側面や、様々な役を演じ分ける演技力の高さや、好みのビシュをバッチリ堪能した。その舞台ならではの企画もあり、舞台そのものはとても楽しめたし行って良かった。演出と音楽と美術もすべてが最高だった。
ただ、共演者に何人かへっぼこ役者がいたことだけがずっともやもやしている。悪ふざけが過ぎる連中だった。その場のノリで悪ふざけをして姑息に場を引っ掻き回せば「ウケる」と思っている連中だった。
彼らの演目は酷かった。舞台のコンセプトとして落語を演じる以上は、その元ネタに敬意を払って欲しかった。
古典芸能には「守破離」があり、習熟度に応じて型を守る、型を破る、型から離れる、という段階がある。その舞台シリーズに何度も出演経験があるらしいへっぼこたちは、「今さら真面目に演じてもサムいだけ」とでも考えていたのだろうか。それとも生来の悪ふざけ好きなのだろうか。
とにかく落語の登場人物を茶化し、その型を破ることに腐心していた。
そしてその悪ふざけはあまりにもサムかった。古典芸能は、洗練されているがゆえに古典となっている。長い年月を経ても消えなかった落語たちを、小手先で姑息にイジって面白くなるわけがない。そのイジり方で面白くなるのであれば、先人たちがすでにそうしている。それでは面白くないからこそ、今の型で伝承されてきているのだ。
古典という根のしっかり生えた樹齢数百年の大木を相手に、枝葉を追って笑いを誘うような真似はあまりにも無様であり、気分が悪かった。
リハーサルと異なる演技をしたり、女性役をオッサン風に演じてみたり、悪ふざけのすべてが「出オチ」でしかなく、出オチで一瞬の笑いを取った後はひたすらに寒かった。
私の推しは初心者らしくしっかりと型を守って演技をしていて、生真面目なその役者としての在り方を見てまずす好きになった。
そしてさすがは落語、見よう見まねでも初心者でも、きちんとやればそれなりに面白くなる。役者さんが演じるから演技はうまい。しかも企画が素晴らしく、掛け合いを二人組で演じるところがミソで、初心者の役者でもちゃんと落語として見られる仕上がりになる。
真面目に演じればそれだけできちんと面白いものになる舞台だ。しかも落語にはさまざまな登場人物が出る。推しが一舞台でいくつもの役を演じ分ける様を見られたのは大満足だった。
へっぼこたちはそんな推しを巻き込んでくだらない悪ふざけをした。そしてへっぼこたちの演目は余りにもつまらなかった。
だから推しの活躍には満足しつつ、ずっとがっかり感を抱えている。推しが良かったんだからいいじゃないか、と思う一方で、古典落語を粗末に扱うへっぼこ役者を目の当たりにしたのが残念だった。
舞台のコンセプト、企画、演出、脚本、美術、音楽、衣装もグッズもなにもかも素晴らしかった。和洋折衷の色っぽい衣装も、演目を切り替えるときの演出も、お洒落な照明も、客入れの案内からグッズ販売のスタッフまで感じが良かった。
だからこそ、悲しい。
へっぼこ役者たちはこの舞台の常連らしい。つまりあれだけの舞台を作り上げられる企画グループが、あのへっぼこ役者たちの悪ふざけを良しとして、繰り返しオファーしているのだ。
私は「あのへっぼこ役者さえいなければ素晴らしかったのに」と思っているが、へっぼこ役者たちの悪ふざけが企画者の本意ならば、この舞台に関しては私の方こそ「お門違い」なのだ。
あの素敵な舞台から「お前はうちの客じゃない」と言われた気がした。好きになったから、悲しかった。
どんな漫画もドラマも小説も舞台も、自分が楽しめなければ悪いのは自分だと思っている。ただ、Not for meなだけだ。作品に「私好みじゃなかったんですけど!」と言っても意味はない。ただ去るのみだ。
多分もう見に行かないと思う。すくなくともあのへっぼこ役者が出ている回は。
今日たまたま配信で見た舞台作品に、一番へっぼこに悪ふざけが過ぎた役者が出ていた。やっぱり悪ふざけしていて、そのくせ声量がなくてダサくてやっぱり寒かった。第一印象が悪すぎてもうよく見えることはなさそうだ。
まっこと申し訳ないけど、通販会社で働いてた時、「渡邉(なべは難しい方です)太郎」って名前欄に入力してきて、文字数オーバーでそのまま印刷すると、「渡邉(なべは難し」で切れてしまって、送り状の再発行になる常連の渡邉がいたおかげで、わたなべ姓にいい感情がない…。
今日は美容院に予約している。もう長年行っているところなので常連だ。
といっても美容院の人員は移り変わっている。ある人は公務員になってやめてしまった。
だから「指名」なんてシステムは大して機能しない。毎回安定したスタイルを提供するようなこともなく、辞めてしまうからだ。
美容院では、話を積極的にかけてくる美容師と、そうでない人がいる。そうでない人のほうがありがたい。
「宮くんって知ってます?彼と同級生でしょ?あの人も美容師やってるよねー。彼と仲いい?」という話をかけられたときは、
「彼のようなスポーツが得意なタイプは苦手です。私達は地味なので、中学生の時は彼のグループにジミーズと呼ばれていました。」と、いらぬことを言ってしまった。
私が精神錯乱状態のとき、自由自在に髪を伸ばせる魔法を使えたことがあった。その魔法を使いすぎてとんでもなく髪が伸びきってしまったのだ。
そのとき美容院へ行ってカットしたが、さすがの美容師も「なんでこの短期間にこんなに伸びたんですか」と驚いていた。
まあ美容院へ行くときは高確率で精神がおかしくなっていることが多い。今回は大丈夫そうだが、いらぬことを言わぬようにしたい。
新学年なので、新しい人間関係(友人関係)を作りたくなった。いつも同じ人間関係(友人数人)なので、飽きてきたというのがその理由。
将棋で近所の町道場に常連で通ってて、そこの常連さんたちとは結構仲がいいのだけど、年齢の差もあり「友人」という感じはしない。「棋友」ではあるが。
読書会も数年ほど(コロナ以前)通ったことがあるのだが、そこでなぜか友人になることはできなかった。本の話題をみんなで議論してそれはそれで楽しかったのだけど、月1の開催だからか、深い友人関係になることはできなかった。毎回読書会テーブルがシャッフルされちゃうし。
気の合う友人を作るのに、なにかいい方法やコミュニティとかないでしょうか?賢明なるはてなー諸氏のお知恵を拝借したい次第です。
友人の友人のつてをたどる、という方法も頭に浮かんだのだけど、友人みな「ほかに友人がいない」ので、それは現実的でない。
「ジモティー」というサイトで近場の人を募集しようか、とも思ったのだけど、近場というだけで趣味嗜好の特に合わないひとだと、友人にはなれない気がする。ちなみにジモティーで「将棋仲間募集!」してみたのだが、誰からも返事はなかった…。
>年齢くらいかけ 忘れてた。30代後半。年齢だけは立派なおとなです
ただしオッサンどうしはあんまつるむことがないので情報にたぶん偏りがある、という前提で読んでおくれ。
1円でも安くセックスしたいオッサンというものが存在する。ソープやヘルスでは新人割引のある嬢にしか入らないオッサンである。
とにかく安くセックスしたいオッサンは「素人相手ならうまいことやれば安く(なんならタダで)セックスできる」と何故か思い込んでパパ活にも手を出す。
ぶっちゃけ大衆価格(=低価格)なソープより安くセックスするのは至難の技であるのだが……(低価格店舗なら60分で基本2万切るからね)。
本当にじっくり探せば低価格で応じてくれるモノ好きな素人女子や、常連化し仲良くなったら値下げに応じてくれる女子もいたりするが、こういうオッサンはアホなのでそこまでいきつけない。
(余談:パパ活界隈は男も女もアレな奴が超多く、それなりに安心して会える定期はマジで貴重なので、高額で新規を探すよりもちょっと値下げしてでも安心な安定・定期客と会う方が良い、という女子が存在する)
(余談2:ワイが今まで金を払ってセックスした経験だと、タダを除けば最安値は3000円であった)
(余談3:ワイの今の定期パパ活女子とは1万か1万5千でだいたい会っている)
最終的に、こういうオッサンは素人と高い金を出してセックスするのは難しいと理解した結果、諦めて風俗店舗へ回帰するか、それでも安くセックスしようとしてヤリ逃げに手を出し始める。
なんせパパ活だと黒服いないからね、酷いことをやろうとすればやれてしまう。
ちなみによくある手口としては
逆説的には、「ホテルに入る前にきっちり約束の金を渡す」が最も優良なオッサンということになるが、そうすると逆にバックレる女もいたりするので、
なおヤリ逃げる気満々のオッサンは、対策されたら素直に金を払う奴と、全力拒否してとにかく金を払おうとしない奴とに分かれるが、あぶねーオッサンに対抗するのは現実的に不可能なので、パパ活女子はなんかヤバそうな気配を感じたら目先の金よりも自分の身の安全を最優先していただきたい。
けっこう多い。風俗店舗利用するのはなんか抵抗あるみたいなオッサン。言い換えれば素人信仰ということかもしれない。
お前から金貰ってセックスするパパ活女子は当然他のオッサンからも金を貰ってセックスしてるという現実から目を背けているのではないだろうか。
パパ活初めて(なんなら処女)で見た目は清楚系美人、愛想良し感度も良しなできれば女子高生みたいなパパ活女子といつか巡り合えるみたいなドリームを胸に抱いているのかもしれない。
当たり前だがそんな女子はエロ漫画の中にしか存在しないが、まあ見た目清楚系で金さえ払えば愛想が良いパパ活女子は探せばいるっちゃいる(ただし激レア)ので頑張って欲しい。
なおワイ個人の経験としてはパパ活がガチ初めてですという女子を過去3人だけ経験したが、たまたま知り合った一人(離婚したてのシンママでその後ヘルス嬢になっていた)を除いては、そん時の定期女子からの紹介コースだったので、やはり既存顧客(?)は大事にすべきである。
リアル接点があるとむしろ色々めんどくさいので、後腐れなく女子と接してなんとなく癒されたい的な欲求を持つオッサンは実在し、そうすると合法的には主に水商売嬢が相手になってしまうため非常に高くついてしまう。
またプロは店外に色々と制約がある(てか原則としてやらない方がいい)ので、パパ活で1万くらい払ってこっちの都合の良い場所で会って何か会話して、みたいなのの需要があるんだよね。
パパ活界隈における「真に優良なパパ」はこういう感じで実在するが、当然レアキャラ(最初はセックス無しでいいが、基本的にはどっかでセックスさせろという話になるので)なので、もしこういうパパ定期客を持っているパパ活女子は本当に大事にしてやって欲しい。