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はてなキーワード: ストーブとは

2012-01-28

「過激な反原発」の愚かさに辟易

"脱原発テント村"撤去命令に市民団体らが抗議集会 「撤去するのは原発だ」

http://news.nicovideo.jp/watch/nw186165



タイトルだけ見て「震災原発事故によって作られた臨時のテントを、撤去しようという勝手な命令出したのか?」とか思って記事を見たら・・・

なんてことはない、反原発団体が「経産省敷地内に設置」したテントに対して撤去命令が出ただけではないか

やってることは不法占拠でしょ?

それじゃあ、共感は得られないだろう。

さらには「昨年12月30日テントに持ち込まれたガソリン発電機を火元とした小火が発生。同省は火気等の使用をしないよう注意したが、その後も喫煙カセットストーブの使用が確認されたため、「防火管理上の危険性」があると判断」

こりゃあもう、人として、団体としてダメダメじゃん。



この件や放射脳な人々に見られる一部の「過激な反原発」というのは本当に迷惑だ。

なぜなら、彼らの過激な行動が「反原発=過激な人達」というレッテルを貼る材料に使われてしまうからだ。

本当に原発を廃止すべきときに、原発利権を手放したくない側から「反原発とは頭のおかし過激派の主張だ」というメッセージを発信されかねない。

損をするのは国民全体だ。

2011-12-10

暖房

2Dゲーム宿屋なんかでよく見るんだけど、二階に暖炉がある部屋ってどんな構造してるんだろう。

煙突とかさ、どうなってんの。そもそも、暖炉一つでその建物全体の暖ってとれるものなの。とれるとして、どうやったら可能なの。建物構造はどうなってんの。

中世ヨーロッパの城とかさ、どうしてたの。石炭とか薪とかとにかく燃やせばよかったからなんとかなってたって書き込みを見つけたけれど、その石炭とか薪を一体どこでどのような形で燃やしていたの。床か。石造りの城だから、そのまま床に燃料広げて燃やしてたのか。キャンプ気分か。お城の中でピクニックでもするのか。んなわけないだろうが。

それに加えてさ、一酸化炭素中毒とかどう気をつけていたのよ。窓ないべ、城にはさ。あっても冬は開けらんねえべ。寒いじゃんかよ。凍りついてて開けらんねえよ。まあそれでもどうにかして換気はしてたんだろうけどさ。

昔の人達がどうやって暖をとっていたんだかわからん。宿舎とかあったんだろうけど、例えば個室だった場合ひとつひとつの部屋は糞寒いじゃんか。どうやって寒さを紛らわしていたんだろう。ストーブって、十九世紀の発明らしいじゃん。それ以前はどうしてたの。寝るまで部屋にはいなかったのかな。宿泊客みんなで集まるような大部屋があって、そこには暖炉も取り付けてあって、そこで眠たくなるまで時間を潰したのかな。酒飲みながら。カードゲームなんてしながら。あるいは町に繰り出して遊んでいたのかな。と言うか第一に旅なんてできたのかしらん。

とにかく、二階に暖炉が設置できるのかどうかが気になってしょうがない。もっと言うなら、一階と二階とに分けて暖炉を設置するなんて行為が可能なのか知りたい。

ストーブの普及と家族内でのコミュニケーションの変遷って関係しているような気がしてならない。

2011-12-09

結婚おめでとう!って言われたい

はてな界隈結婚したよ!って言うとけっこうな数おめでとう!って言われてる人がいる。すごい羨ましい。



病気仕事退職して、良くなるまで毎日だらだらしてる(医者の指示)ので結婚したよ!って言える人が両親以外にいない。ツイッターでは婚姻届提出しました~って書いたけど11/22の平日、しかも多くの人は思いっき仕事中の15:00に受理されたので、おめでとうございますのリプは早上がりした友達の友達(現場技術者)の一人だけだった。ありがとう、会ったことないけど、って感じである



まぁ、フォロワー100人もいないし。今までの忙しさにかまけて人間関係を疎かにしてたし。自分でもお祝いの言葉を言われたいのは、わたしを見て!かまって!っていう思考だろうって思ってる。友達全員に厚かましく結婚しましたよメールを一斉送信したところで、あぁそう、くらいにしか思われないだろうし、返信もないだろう。みんな年末進行で疲れてるだろうし。



私もここ3年くらい忙しくてろくにメールの返事も書けなかった。新卒就職した会社が1年未満で倒産再就職先も1年経たず事業縮小で契約解除。生活費を稼ぐのに必死すぎて、大学友達(7割は実家住まい)の女子会()も上の空で出席した。当たり前のように、会話も仕事に関係することしかできない。趣味の話をしようにも、スイーツ的な、赤文字系雑誌そのまま、みたいな人に、今年のアニメ面白かったのはまど☆マギピンドラかな~とか、モンハン3G楽しみすぎて寝れないわー今回は双剣から始めるつもりなんだ~とか言えない。しかも文字にするとあっさりだけど、きっと実際に発音したら無意識にデュフフって言いそうで怖い。メールも何書いたらいいのかわからなくて事務的になりがち。友達の真似してデコメ頑張ったけどわからなさすぎワロタwwwっていうか事務的なメールデコメ似合わなさすぎワロッシwww



まぁ、付き合う友達趣味自分と合わないからそんなに仲良くないっていうのもわかってる。でもそれにしたって、仕事しかしてこないのは、いつか生活することをメインに人生を歩き始めたとき自分の回りに何もなくなる可能性があるので、独身社畜の方はよく飲みにいったりするお友達を大切にしてください。それで友達結婚したら、知るかよ!!とか拗ねず、結婚とか人生墓場だろjkとか皮肉らず、半年くらいは素直におめでとう!って言いまくってください。恋愛はひけらかすのはつまらないけど、結婚はおおっぴらにした方がいいし。多分言われて悪い気持ちにならない。結婚したばかりの人じゃなくても素敵ですね!って言われたら嬉しいよ多分。私はそんなこと言える既婚者って両親くらいだけど。



ちなみに、結婚して嬉しいって思いたいだけだろって思われそうだけど、結婚して1ヶ月も経ってないので結婚生活がどういうものなのかわからないので、そうです!とも、ちがうよ!とも言えないです。ただ、残業して11時過ぎにへとへとになって家帰ってきて暗くて寒いストーブスイッチ入れて暖まるまでそこから動けないのよりは、相手が寝てても、ほんのり家の中あったかいし家族がいて安心するのは確かです。年々感じなくなるかもしれないけどね。



ということで、おめでとう!コメントください。

わたしもおめでとうって言われてる人を羨ましがらないでおめでとう!って言うから

2011-11-21

http://anond.hatelabo.jp/20111121233805

そんなこと言って~。

だってガスコンロ湯沸かし器のない家になんかすみたくないだろうし、

最近寒くなって来たか石油ストーブ出して来たりしたでしょう?

それと同じだよ。コントロールできるなら、ガスも石油も怖くない。

コントロールする為のマニュアルは、多分みんなに配られてるし、分かっているはず。

地震の時は? 火を消す。はい、正解!

原発だって同じさ。マニュアル通りに対応していれば、非常時だって怖い物はないんだよ。

大丈夫大丈夫安全であるように何重も設計してあるから。角度とか!

2011-11-18

別れ 井上靖

河北省の京漢線・元氏駅の土間で、私はアンペラの上に仰向けに倒れていた。銃一挺を抱くように持ち、外套を頭から被って、眼を瞑っていた。

この何日か、衝心性の脚気の発作が烈しくなったため、今朝、雪の中を南下、行軍して行く部隊と別れて、この元氏駅で北上して行く列車を待っている。列車に石家庄駅まで運んで貰い、そこで下車、最近設けられたと聞く石家庄野病院入院する。

──これが自分が選んだ自分を生かす、ただ一つの道であった。これ以外、生き得る方法はなさそうであった。部隊の軍医も、看護兵も、また同じ意見であった。

私が仰向けに倒れている元氏駅には、中年歩兵上等兵駅長として、これまた一人、アンペラの上に胡坐をかいたり、そこらを歩き廻ったりしている。駅長と言っても、他に駅員が居るわけではなく、ただ一人、駅に配されている。

一日に三、四本入って来る軍用列車を迎え、送り、それをどこかに、電話で連絡するだけの仕事を受持っているようであった。

夕方、彼は病兵の私のために夕食の支度をして、飯盒と罐詰を持って来てくれた。その時、二人は初めて、壊れかかった石炭ストーブに手をかざしながら、言葉らしい言葉を交した。

──夜、七時過ぎには、一応列車は来ないことになっているので、七時になると、俺は俺で、そこらの壕に入る。壕の方が、幾らか寒さは防げる。お前さんも、好きなようにしてくれ。このまま、ここに居たければ、ここに居ればいい。

──ただ、どこへ行ってもいいが、臨時の列車が来ないものでもない。臨時であろうと、なかろうと、上りが来たら、お前さんは、それに乗ることだ。おとなしくしていたら乗れない。しがみついてでも、乗っちまうことだ。

──そうしないで、こんな所でうろうろして居てみろ。お前さんの場合は、いいところ三日で、まあ、お陀仏だな。

そんなことを喋っている時、遠くに銃声が聞えた。

──ああいうのは、大丈夫毎日、今頃になると、撃ってくる!撃たしておけばいい。近寄っては来ない。だが、すっかり昏れてしまうまでは、線路の向うには行かない方がいい!

駅長は言った。

いつも、お前さんはここに一人か、と私が説くと、

──ここに来て、まだ五日ほどだ。咋日までは、自分の隊から離れちまったのが、四、五人、ごろごろしていたが、それぞれ、みんな、昨日のうちに、列車で、前線の己が部隊へと向った。すると、替って、今日はお前さんがやって来た。病人でも、まあ、居ないよりはましだ。

実際に、病人であろうと、なかろうと、居ないよりはましであるに違いない。こんな大平原のただ中の、ちっぽけな駅に、一人で置かれたら、気でも狂う以外、どう仕様もないだろうと思う。

結局、夕近くなると、二人は駅の小さい建物から出て、その横手に掘られてある帯状の、細長い塚の中に入った。かなり深く掘られであるので、待合室に居るより、寒さは多少ましだった。

それに、列車が来れば、すぐその音が響いてくるので、そこから直かに、ホームに上って行けばよかった。

二人は、それぞれ、壕の中に己が寝所を造り、身を横たえて、外套をかぶった。いつか、雪はやんでいる。どれだけの時間が経ったか、知らない。

──おい、起きろ。

その声で眼を覚した。

──夕焼がきれいだ!こんな夕焼は、めったに見られるものではない。こんな所に、ばら撒かれていればこそ、こうしたものにも、お目にかかれるというものだ。まるで、天の火事だ!

私は黙って、夕焼を見ていた。駅長が騒ぐだけあって、西の空は真赤に焼けただれ、それが大きく拡がっていた。確かに、今までに見たことのない、壮大な天の火災であった。今朝、別れた部隊は、どこで、この天空大火災を見ているのであろうか、と思った。

それから、また眠った。

その夜、十一時、北上する臨時の貨物列車が入って来たので、壕を飛び出した。いつからか、また雪が降っている。待ちに待った列車に乗り込もうとしたが、容易なことでは乗り込めなかった。雪をかぶった無蓋貨車で、どの車輌にも、やたらに梱包が積み上げられてあり、何人かの応援でもない限り、そこに身を移すことはできなかった。

駅長はホームを駈け廻り、私を乗り込ませる車輌を物色し、自分も半ば、それに乗り込むようにして、私を引き上げたり、押し上げたりして、どうにか私を、車輌の一つに乗り込ませてくれた。

列車が動き出してから、私は世話になった駅長名前も、所属している部隊名も聞いていないことに気付いた。気付いた時は、もう遅かった。駅長は、長い、これほど長いとは思わなかった、長いホームに一人だけ立って、手を振っていた。“孤影”とは、この時の、彼のために造られた詞であった。私もホームに向って、手を振ったが、私が手を振るのが、駅長の眼に入ったか、どうか。

私は、私の八十年の生涯で、“別れ”なるものを一つ選ぶとすると、昭和十二年十一月の、この元氏駅に於ける、深夜の駅長との別れということになる。私はある時、ある所で、ある人と別れたのである。本当に別れと言える別れを、異国の小さい雪の駅で経験したのである

http://anond.hatelabo.jp/20111118120610

よくわからないなぁ。俺は今家事全部終わってメシ食って大絶賛ヒマなんですけども。

スーパー八百屋魚屋肉屋、それに夜の半額札狙いは当然ですよね。カネないし。

例えば今日買ってきたのは、ほうれん草60円)、大根(90円)、白菜1/4(40円)ひき肉(100g58円)、牛乳(150円)だけど。

これに昨夜半額で買ったブリのアラがあるから、ブリ大根白菜のじゃこ炒め、ほうれん草チーズ焼き、大根味噌汁

みたいなメニューにしようかと思ってたとこです。今年はブリが安くていいですね。ただ、サケは高い。そろそろサケ食いたいんですけど。

せめて鮭のアラでもないかなーと探してるんですが、あっても法外なお値段でとても手が出ません。

スーパー八百屋も九時から開いてるし、自転車で店4軒回っても正直一時間以上かかるとは思えない。

そもそもわかんないんですよ。主婦ってことは、5時には起きてますよね。俺のサラリーマン時代も出勤は6時でしたし。

彼女にちゃんとした弁当を持たそうと思うと、必然的にそういう時間になります。すると、買出しに行くまでに3時間は必ずあるわけで。

この三時間で、普通な家事くらい全部終わると思うんですよ。僕は既にブリまで煮終わりました。

常備菜は色々ありますが、肉そぼろ、冷凍のおひたし(アクのない葉物野菜解凍すれば食えるから便利ですよね)

それに最近は大体かぼちゃの煮つけがあります。ああ、そういえば彼女実家から送られて来た筋子もイクラにしてあるな。

ついでに、大豆も煮てあります。本当は発芽させて食った方が栄養あってウマイんですが、この季節は時間かかるんで煮ただけ。

コメに放り込んでもいいし、適当に味付けしてやってもいい。大豆チリコンカンだって作れますしね。

そろそろコタツも出すので納豆も仕込めますそれから生姜砂糖漬けを干した生姜糖もありますね。彼女冷え性対策と、

お菓子の食べ過ぎを防ぐための甘味です

今日は布団も干しました。それからシンクを磨き上げて風呂洗って、ストーブを出して来て灯油を入れて

夏の間に積もった埃を掃除しました。洗濯も終わったし、掃除機もかけた。ついでに観葉植物の手入れもしました。

正直、たかがこれっぽっちの作業量が「昼までに終わらない」ってのはわからないです

昼までどころか10時までに全部終わりますよ、ちょっと急げば。

2011-06-20

不思議なんだけど。彼女は昼食を食べている途中でそう切り出した。不思議なんだけど、最近よく同じ夢を見てしまっているんだ。

へえ。どんな夢なんだろう。私は購買で手に入れたサンドウィッチを飲み下してからそう尋ねてみた。

変な夢なの。彼女は箸を置くと、困ったような悲しんでいるかのような表情を浮かべて力弱く微笑んだ。とっても変な夢でね、いつもいつも、その時間帯に受けなければならない授業に出席できない夢なんだ。

決まって授業に遅刻してしまった場面から始まるのだというその夢は、確かに奇妙で意味深な内容を伴っていた。彼女には寝過ごしてしまったとか、気分が優れなくて少し体調を気にしていたとかいう具体的な理由があるわけでもなく、出し抜けに授業が始まってしまった学校廊下を歩かざるを得なくなってしまっているのだという。

わたしはね、出なければならない授業のノート教科書参考書と筆記用具を腕に抱いて、一人ぽっちのまま、惨めな気持ちでとぼとぼと静かすぎる廊下を歩いているの。恥ずかしさとか後悔は全然ないんだけど、ただひたすらに辛くて苦しくて悲しい気分になってるの。

それはまた面妖な夢だね。相槌を入れると、彼女はまた萎れかけた向日葵のような笑顔を浮かべた。スーちゃんもそう思う? まあ、私なら少なくとも辛くも苦しくも悲しくもならないと思う。そうだよね、どうしてわたしは夢の中でそう思ってるんだろうね。

それは本人にしかからない類の問題だった。答えに一番近いはずの彼女がわからないのだから、私になんてわかるはずがない。黙したまま紙パックのジュースを飲み始めると、でもそれだけじゃないんだよね、と彼女が続きを口にした。

わたしはね、夢の中でまっすぐその時間帯に受けなければならない授業がある教室に向かっているんだ。サボろうとか逃げちゃおうとかいうことを考えもせず、じっとリノリウムの床に眼を落としたまま、脇目もふらずにその教室に向かっているの。それで最終的には目的教室に辿りつけるんだけどね、こう、ドアをスライドさせてね、びくびくしながらも懸命に勇気を振り絞って視線を上げてみると、時間を飛び越してしまったみたいに、その教室ではもう次の授業が始まってしまっているということに気がつくの。英語なら英語化学なら化学。わたしが抱えていたノート教科書とは全く別物の、わたしとは関係の無い別のクラスの授業が開かれてしまっているの。

わたしは夢の中ではこれっぽっちもお呼びじゃないみたいなんだ。そう言って彼女は少しだけ俯いた。追いつけないんだよね。何をしても。何があっても。結局どこにも行けないんだ。搾り出すような声は紛れもなく小さな悲鳴だった。

でも、夢なんでしょ。現実じゃあり得ないことでしょ。私はできるだけ、それがなんでもないことであるかのように口にした。気にすることないよ。気にしないほうがきっといいことであるはずだよ。

でも、この夢、結構堪えるんだ。暗く沈んだ声で彼女は口にする。いつもみんなに置いていかれてしまうんだもの。どれだけ繰り返しても、どれだけ身がつまされそうになっても、わたしが望む空間には絶対に辿りつけないんだもの。それにね、朝起きると、汗がすごいんだ。ベタベタしてて気味が悪いの。

堪ったもんじゃないんだ。彼女は諦め卑屈になってしまった敗北者のごとくいびつに笑った。嘲笑だった。彼女自身はまるで悪くないはずなのに、自分自身のことを嘲り貶して一笑に付したのだった。

しばらく私はなんと返事をしたらいいかからず迷った。励ませばいいのか、同情すればいいのか、あるいは突き放してしまったほうが彼女を思いやることに、優しさになるのかどうか。重たい沈黙が流れこんできて、更に焦ってしまった。残っていたパンを食べきった。ジュースを三度口に含んだけど、あまり味がしなかった。

ちらりと上目遣いに彼女を覗いてみると、箸を手に持って食事を再開していた。動作は緩慢で、なるほど最近妙に元気がなかったのはこの夢があったためなんだと確かな確証でもって納得することができた。

紙パックをじゅこじゅこいわせてジュースを飲みきり、私は一言だけ、大変だねと彼女に話しかけた。顔を上げて、うんと頷いた彼女の表情は、内心どこかほっとしているようだった。

ちょっとだけね。かなり、大変なんだ。そう言って屈託なく砕けた彼女の表情には、今にも崩れ去ってしまいそうな脆い矜持が滲んでいた。

やっぱり、私は何もできない、できるはずがなかったのだ。

その揺るぎない事実をありありと突きつけられて、私は少しだけ鼻の奥がツンとした。

そうなんだ。うん。ま、あまり気にしすぎないことだよ。スーちゃん、それさっきも言ってたよ。そうとしか言い様がないんだから仕方がないよ。ふふ、それもそうかもしれないね

食事を終えて、私は窓際に設置された横に長い業務用のストーブに、彼女はすぐ側の椅子に腰掛けた。私は窓の桟にもたれかかってぼんやりと外の景色を眺めている。ちっとも動かない雲とか誰もいないグラウンドなんかを、頭を空っぽにして見下ろしている。

きっと隣で彼女は、おしゃべりに興じたり忙しなく教室から出入りしているクラスメイトを見ているんだと思う。ちょっとだけ淋しそうな、羨望の色を帯びた眼差しで、彼らのことを見守っているのだろう。

でもね、と言って彼女は夢の話を切り上げる際にちょっとだけ付け足しをした。でもね、もう絶対にどんなに願っても足掻いても辿りつけないのだとするのならね、いっそのことそこに辿りつけなくてもいいような気が、最近はするんだ。どこにも行かないまま、この場所に留まったまま私の時間を過ごしていたほうがいいようなね。何かにつけて、今はみんな早過ぎるんだもの。ついて行けなくたって仕方がないと思わない?

苦笑を浮かべた彼女に、私は何も答えなかった。そんなこと言っていられないよと思いつつも、やんわり苦笑を返しただけだった。

ぼんやりと窓の外に広がる景色を眺めてみる。グラウンドに動くものは見つからず、ぽっかり空の真ん中に浮かんだ雲は動かないままだった。

2011-04-17

http://anond.hatelabo.jp/20110417102822

チェルノブイリです事故直後の作業員と汚染された食料摂取した子供しか犠牲者出てないわけで

途上国原発事故日本に流れてくる放射性物質による被害は無視できるレベル

それより自動車タバコの煙とか石油ストーブのCO中毒に気を付けるほうがよほど有意義だろう

2011-04-13

東日本大震災から一ヶ月 過ちを繰り返さない為に。

まず最初に、今回の地震と津波に際して早くから支援体制を敷いていただいた

食品メーカーの方々

それを高速も動かない間にも届けてくれた運送関連の方々

販売をしていただいたスーパーの方々

本当にありがとうございました

現在も被災地への物資提供・医療支援・ボランティアを続けて頂いている

企業や個人の方には感謝してもしきれません。

未だ満足にインターネットや連絡手段が取れない被災地の方に代わりまして

御礼を申し上げます。

また、地震発生時から燃料不足など困難な状況でありながら

昼夜問わずインフラ復旧の為に当たっていただいた電力水道ガス道路関連の方、

市ガスに関しては現在も名古屋ナンバーや大阪ナンバーなど遠方からも

現在も支援を頂いている状態です。

余震による新たな再点検を求められるといった苦境が続いておりますが

自身の安全も含めて無理を成されないように。

市ガスに関しては仙台の天然ガス施設が被害を受け、新潟からのパイプラインで提供されています。

下水についても今回の津波で破壊されたり電子系統がやられた関係で2~3年は簡易処理しか出来ない状態です。

宮城県に限らず被災地を抱える県の方で処理場が機能してない地域の人は

自分たちは水が使えるからと今までのような使い方をしてしまいますと

疫病が発生する可能性も否定できませんので節水に努めましょう。

津波で下水処理場、ゴミ焼却施設に大きな被害、想像を超える宮城県内各施設の被災状況(2)

http://www.toyokeizai.net/business/regional_economy/detail/AC/6cce509478eb9164e8311792de9d52d3/page/2/

下水道復旧は数年かかる見通し 沿岸部に集中、被害深刻

http://www.asahi.com/special/10005/TKY201104020353.html

>下水管や処理場が復旧しないと、汚水が路上にあふれ疫病を引き起こす恐れすらある。このため新潟、札幌、大阪など自治体下水道事業者からのべ2600人が応援に駆けつけ、被災状況の調査や簡易処理での復旧の手助けをしている。


過ちを繰り返さない為に。

私が住んでいた地域は幸いにも地震から2日後という

早期に電気の復旧が行われた為、

手元にあったIS01ワンセグテレビと充電池でギリギリ間に合わない程度で

情報難民にならずに済んだという綱渡り的状態だった。

その間もワンセグで見ていた、地震だ!津波だ!何人が死んだ!

在京キー局主体報道が並ぶ。

そして思った。

それを今、報道してどうなるのだ、人一人も助けられないじゃないか。

家族や親戚が居ても津波の被災地に行く手段は無いのだ。

津波による第一報の大切さはわかる。

でも、それが終わったら次の事を考えなきゃいけない。

死ななかった人の命を如何に助けるかだ。

まずは

車での移動はしないでください、

ガソリンスタンドも人工呼吸器で発電機が必要な人など

不要不急な人には売らないでくださいとマスメディアは伝えるべきだった。

緊急車両だけに、と。

実際、兄は帰宅困難者自動車で幹線道路が大渋滞する中で

進まない自動車を置いて3時間歩いて我が家に立ち寄り、

更に30分歩いて帰宅していった。

自宅の電気が13日夜に復旧した翌日の14日、

電気が復旧したテレビで見た情報が計画停電発表による東京での買い占め、

ガソリンスタンドへの行列との報道である

計画停電の影響で弁当やパンなどがいつも以上に売れる事は別におかしくないと

最初、連日の報道に何やってんだかという呆れがあったが

次の瞬間、恐ろしさに気づいた。

そのガソリンや軽油が届かない事で間接的に救える人を殺しているのではないかと。

共に千葉のコンビナートが被害を受けたことによる需給バランスが崩れた為だ、

それにすぐ届く訳じゃないと思いながら軽い怒りと

コンビナートがやられたという事による燃料不足の長期化と

地震が起きる前に石油精製の設備が余ってるという情報を報道で知っていたから

どちらなんだろうという不安が感じた事を憶えている。

後に撮影した写真を確認しながらに

仙台でも地震発生後に冷静さを失い

自分が良ければ、家族は大丈夫だろうかという感覚で

多くの自動車ガソリンスタンドに並んでいた事を思い出すと

間接的に人を殺したかもしれないという意味では

仙台も同じだなと人の事言えないじゃないか思い直した。


仙台港石油コンビナート鎮火 「在庫配分、被災地優先」宮城知事

http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1062/20110316_39.htm

この15日緊急車両優先と宮城県知事が指示するまで

仙台で起きた事は地震発生翌日後ガソリンスタンドが自主的に行なった

一般車ガソリン5L10L規制+

整理券受け取りまで朝方から4時間待ちで受け取り午後3時といった

自主規制だった。


次に重要なのが生活情報だ。

給水車は何処に出てますと行った情報もテレビのL字に載り始めたのが13日か14日

スーパーマーケットの営業情報については17日である

後に知ったがラジオの方が生活情報を流すまで早かったとの事。

震災時に必要なのは発生時のみ映像で確認が必要なテレビ

後は生活情報を放送しているラジオの方が重要だ。

そして情報を得る為に重要な電池。

準備はしていたつもりが充電池の自己放電で3セットの内1セット、

しかも半分程度しか残量が残っていなかった。

これが今回の最大の危機であり、認識の甘さが露呈した格好となった。

頑張れ日本、がんばろう日本、日本の力を信じてるへの違和感

日本テレビ系の3秒キャッチCMで

頑張れ日本、がんばろう日本と言い出したのは3月20日

http://woman.infoseek.co.jp/news/entertainment/story.html?q=20110320hochi169

http://mainichi.jp/select/biz/bizbuz/news/20110320dog00m020025000c.html

ACジャパンサッカー編はYoutubeの日付を見ると22日

http://www.youtube.com/watch?v=Pre2YcOROnk

サンスポによるとSMAP編が23日サッカー編が24日

ACが新CM制作!SMAP、長友ら出演 

http://www.sanspo.com/geino/news/110324/gnj1103240505012-n2.htm

その頃の仙台のガソリン事情 ブログ報知

http://weblog.hochi.co.jp/tajihouronn/2011/03/post-8942.html

青葉区北仙台のあるスタンドで前日の夜9時から並んだ男性は、

>翌朝7時半の開店と同時に10リットル制限の給油に成功。

>しかし、11時前には完売となりました

>この日給油ができたのは約300台。

>後続の200台以上の人々は徒労に終わりました

その頃の仙台のスーパードラッグストアの様子

仙台の物資状況 3月21日

http://ffxi.no-blog.jp/2008/2011/03/post_d3bf.html

仙台の物資状況(震災から2週間 

http://ffxi.no-blog.jp/2008/2011/03/15_d5e5.html

>昨日3/26のスーパー (市中心部からバスで20分ほどの周辺部)

POPからみるにミヤギ生協です。

ミヤギ生協はそれでも全国から商品をかき集めていて商品が充実してる方でした。

高速が一般開放された3月24日がターニングポイントで3月26日から商品が徐々に入ってきました

それまでは大根一本300円、キャベツ600円、タマゴ400円といった状態です。

それでも商品が買えた仙台はまだ良い方です。

この頃、津波の被害を受けた被災地は悲惨です、

一日1食や2食、一日おにぎり一個コッペパン一個の世界です。

仮にお金があっても禄に買う所も水も電気もガスもありません。

それで計画停電したから東京目線でがんばろう日本、頑張れ日本なんて言ったら

被災地は見捨てられたと思うでしょう。

それ以前にがんばろう日本、頑張れ日本って誰に言ってるの?

食事も無く、ろくに暖房もなく、薬もガソリンが無く届かなくて

避難所だけで30人以上亡くなってるのに。

被災者に頑張れって言うの?命を繋ぐ事に精一杯なのに

頑張れる人はもう限界まで頑張ってのに。

意味が分からないよ。といった状態でした。


そんな状態で頑張れなんて言われたら鬱状態になり、

下のような言葉が被災者から出てくるのは仕方がないじゃないですか

それなのに

>何でこんな態度でかいの?鬱病つーかただのクズ

とか、他にも叩くような事がはてブに書かれています。

はてブで書けるなって、

人として本当のクズをはてブでこれだけの数同時に見るとは思いませんでした、

ただただ怒りしか湧いてきません。

「『頑張って』と言わないで…」被災地からの悲痛な声。

http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20110320/Techinsight_20110320_50513.html

3月19日の『ニュース 深読み』(NHK総合)では、被災者から次のようなコメントが寄せられた。

>「電気が復旧し、避難所から自宅を片付けるため家に戻った。あまりの惨状に呆然としていると

テレビから、“頑張ってください。”との声がしてきた。何度も何度も。

>“これ以上、どうやって頑張るの?”と悲しくなった。」

>「“頑張ってください。”って言葉を聞くたびに、落ち込んでしまいます。」

頑張れとか復興とかって、多分、今言うことじゃない。

http://anond.hatelabo.jp/20110407001402

>すげぇ言われてるんだけど、CMとかで、頑張れ頑張れとか。

>ちょっと気を許すと、「一緒に頑張ろう!1人じゃない!」とか言うわけ。

>いや、おまえら家あるじゃん?そのCM撮ったら家帰ってるじゃんって。

>仕事もあるじゃんって。

>「正直、不幸になってくれたら嬉しい」

>と言われた。

CMについて思っていた気持ちを書いてくれたID:nakamurabashiさんの記事です、

これを読んで今回の事を書く気になりました

[雑文]なんかいろいろおかしいなーと思った話

http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20110410/1302373143

>なんていうのか「だれが」「だれに向けて」「なんのために」言ってのかまったくわからなかった。

>あれ、サッカーの日本代表応援してても同じじゃねえかな、って。

>で、さっき不意に気づいた。まず、被災地の人たちはがんばれない。がんばれるわけない。

だって、家とかなくなって、体育館とかで暮らしてて、がんばれるはずないじゃん。

>じゃあ「がんばれ」のメッセージはそれ以外の人たちに向けられている、と考えられるんだけど、

>じゃあ、あの大量のがんばれ日本とか強いぞ日本とか団結は日本の力って、いったいなんなんだろう。

ふつうの人たちのがんばりの許容量を超えたがんばれメッセージけが大量に出回ってる。

>善意搾り出さなきゃいけないってことか。そうやって搾り出された善意どこ行くん。千羽鶴作ればいいん?

この時期に必要な言葉は被災者に向けてなら

いつになったらこの状況を抜け出せるのかという希望です。

頑張ろうという言葉も最低でも食、衣食住が足りて

そして被災者被災地域の方からの声として出るべき言葉であって

その地域以外からの頑張ろうの強制ではないはずです。

被災地域以外であれば酷い被害状況ですが、

今も命の危険に晒されてながらも助けられる命があるのです、

その命を助ける為にも〇〇日まで我慢してください。というべきだったはずです。

また、どんなに平凡な表現であっても伝えるべき言葉は

頑張れ日本やがんばろう日本、日本の力を信じてるではなかったはずです。

フジテレビひとつになろうと言ったって情報共有が成されなければ

その言葉だけでは思いをひとつになんかなれないのです。

頑張れ日本やがんばろう日本といった被災者を傷つける言葉や

日本の力を信じてるという意味のない言葉より

まだテレ朝テレビで、日テレホームページで言ってるつながろう日本の方がまだ伝わります。

「被災に遭っても頑張ってる姿、助け合う姿、必死に生きようとする姿に感動しました

「過酷な状況なのに物資の奪い合いも強盗盗難の類も少ない」

何を言ってるんですか、非常に厳しい状態でこれ以上誰も死んで欲しくないと

思えば誰だって助け合い支えあうはずです。

命があるだけでいいのです。

私も今回の震災で叔父を亡くしました

今、命がある被災者を全力で支えることができるのは生きて無事な人間だけじゃないですか

被災者を頑張れる環境まで持っていく事が今できる我々の責任じゃないんですか。

死んでしまったらどうしようもないんです、取り返しは効かないんです。

また日本では同じように大震災といわれる事が起きるでしょう。

その状況の時に今回と同じ事を繰り返してはいけないのです。


備蓄について

今回の地震で分かった事は在庫を抱え込まないかんばん方式やコンビニの単品管理に代表される

在庫最小化は物流が途絶えた途端に近所のコンビニスーパー

「近隣地域お客様冷蔵庫」の機能を失うということです。

今回は地震が起きた時が午後3時に近い頃でまずはみんなが自宅に帰宅して

家族の安否確認をすることに必死で何かを買って帰ろうという余裕も無く、

停電したことから店側の準備も整ってなかったことから

翌日からコンビニスーパーガソリンスタンド

普段は賞味期限が切れた商品を売ってた個人商店でさえも

長蛇の列が出来ることになる。

イオンヨークベニマルイトーヨーカドー系列)などは2時間待ちにもなり、

開店している店の商品は一日で底を突く。

更に翌日は開くかどうかもわからない店に皆が並び店員が大慌てで

仕方ないとばかりに繰り上げ開店を行い、商品は消えていった。

まるで食欲旺盛な大蛇があるだけのエサを丸呑みして行くようだった。

この時に大切なのが

平時に普段、自分の家で消費する一ヶ月分の物を備蓄しておくこと。

そして出来るだけ買い占めなきゃ不安だという気持ちを周りに起こさせない事である

ちなみに私は自慢じゃないが貧乏だ、貧乏人には貧乏人らしい

備蓄のやり方がある。

その家によって違うと思うが

米なら楽天辺りで30kg買って米びつに一袋分(10kg)+一袋10kgで合計20kgになったら

一袋10kg買い足して20kgを割らないようにするだけでも主食は確保できる。

基本的に精米した米は賞味期限が短い、

3ヶ月も持たないというか食べられなくはないが風味は落ちる、

虫が付くかもしてないと米屋さんなら言うだろう。

また、備蓄向きと思われているインスタントラーメン賞味期限一年持たない。

特にフライ麺の賞味期限切れは食あたりの可能性があるので賞味期限は守った方がいいです。

2chのスレなどを見ると麺を茹でてお湯を捨てれば

メーカーが余裕を見て設定してるであろうマージン分3ヶ月ぐらい過ぎても食える的な話もあるが、

かやくやスープダメになるらしく

災害時で最も重要な水を捨てるという蛮行を働けば下手すりゃ死にかけます。

止めておきましょう。

日清食品 よくお寄せいただくご質問

http://www.nissinfoods.co.jp/utility/customer/faq.html

弊社で販売している製品の賞味期限は通常製造日からカップめんで5ヶ月、袋めんで6ヶ月となっています。


スパゲッティと乾燥大豆は涼しく風通しのいい所に置くと3年間持つので

スパゲッティを500g入り20袋=10kg用意しておくと飽きが起きにくい。

また乾燥大豆はどうしても起きやすい野菜不足タンパク質不足を解消できる

備蓄のマストアイテムと言ってもいい。

いっそのこと避難所に備蓄して欲しいくらいだ。

イタリア軍の逸話を知ってる人はスパゲッティは水を大量に必要になるじゃないか!

と言うかもしれない。

それはあくまで茹で汁を捨てるという事を前提にしている。

スパゲッティを茹でる時は塩を入れないで茹で汁を味付けし直せば

スープにもスープスパゲッティにもなるのだ。

乾燥大豆は30kg単位で買うのが一番安い。

楽天などのインターネットショップ

国産大豆でも1万円、アメリカ産大豆でも6000円程度であることから

お米と変わらないぐらいの安さだ。

30kgを買ってみたが二人分と考えると一合カップで量ると150g程度で二日分になる。=400日

一袋で一年程度、多すぎると感じたら知り合いと分ければいい。

大豆ダイエットで有名な大豆イソフラボンの影響か、大豆を食べて自転車で移動するようになったら

一年で100kg→70kgになった。ダイエットにもおすすめである

地震があった時点での備蓄は

米が米びつに一袋分(10kg)+一袋10kgで合計20kg

スパゲッティ500g入り25袋 12.5kg

乾燥大豆 10kg程度

中国産わかめ100g×5袋

賞味期限が切れた いりゴマ1kg5袋=5kg

賞味期限が切れた 札幌味噌ラーメンスープの素1kg7袋

賞味期限が切れた インスタント味噌汁250個(一袋100個入り)

この賞味期限が切れたものは賞味期限間近の商品を格安で売ってくれる所を

見つけたので買い貯めしていた物だ。

乾物や熟成が見込めるもの、アルミパウチな上調味料ラーメンスープなどであることから

多少、賞味期限を超えても大丈夫だと思って買った物、

どれも賞味期限が半年は過ぎているので気になる人にはオススメしかねる。

今回の震災を乗り越えられたのもこの備蓄でバリエーションが増やせたから

という気がしないでもない。

長期戦の場合に野菜+肉不足で抵抗力が落ちる可能性が高い。

ビタミンCコストを考えるとDHCなどのカプセルで、

ビタミンAはレバーを下茹でして冷凍庫に入れておこう。

レバーは5gで一日に必要なビタミンAが得られる。

災害時は水分も大切だ。

普段は飲まないがお客さんように特売日に100円で買ったジュース

備蓄してあった。

ジュースは意外と賞味期限が長く9ヶ月ぐらい持つものもある。

ただし、炭酸入りだと賞味期限近くなると微炭酸になってしまう、

その点は注意。

バヤリース1.5L×2本

伊藤園天然水ソーダ1.5L×2本

本当ならば給水所ができる3日間に必要なペットボトルの水を準備しておいたほうがいい。

一人当たり一日2Lペットボトル1本が目安だ。

備蓄ではないが他にあった水分は

ヨーグルトを作る為に買って置いた低脂肪牛乳1L×4本

電気ポット(1Lタイプ)+魔法瓶エアーポット(2.2Lタイプ

うちでは小型の電気ポットで沸かしてエアーポットに入れるようにする事で

保温時の電気を使わないようにしている。

と同時にお湯を移して空になった電気ポットに常に1Lの水を入れておく事で

断水時に最低1Lの水を確保できるようにしている。

LPガスという状況下での苦肉のエコ+災害対策という訳だ。

エアーポットのお湯が温くなれば電気ポットに戻して沸かし直したり、

もう1L沸かしたお湯を入れればいい。

エアーポットは空気が多ければ多いほど冷えやすい、

朝2L入れて徐々に使ってぬるくなったら料理に使ってもいいのだ。


 燃料や電池の備蓄について

今回、問題が出たのが電池だった。

準備していた物が単三12本。

しかし、自然放電と昇圧機能のないUSBコネクタ付きバッテリーケース

BP‐1だった為、充電が直前まで使っていた1セット分しか使えなかった。

USB出力付電池ボックス2種を試す 【起】

http://mast.cocolog-nifty.com/main/2010/03/usb-e306.html

電池の備蓄を考えた場合

エネループか普段使いの100円ショップ充電池+アルカリ乾電池の二択だろう。

電池は時間が経つほど残量が減って行く。

使用推奨年月日が製造から5年の物が多い物を考えると

一年目に5セット買って一年毎に1セットづつ買い換えるという事がよいのではないかと思う。

余震の事を考えるとロウソクよりLEDライトの方が安全だからだ、

ラジオ+LEDライトと考えるとそのくらいは必要だろう。

100円ショップアルカリ乾電池 性能評価実験

http://www.kansai-event.com/kinomayoi/battery/alkaline.html

>上位のほうが消費期限が長い = 製造から日が経っていない。

>という考察もできるのではないでしょうか。

グラフに載せている「オーム電機(参考) 消費期限04-2005」や

>「富士通7300(参考) 消費期限 08-2003」の電池はかなり性能が落ちています。

燃料の備蓄について

今回、電気が二日後に回復したという奇跡的な状況が起きた事や

地下埋設型のLPガス事で安全ピンが作動する事もなく当日から使えた事が

他の方と比べて非常に楽な展開になったは間違いない。

ガスが使えない状態であったとしたら

カセットコンロか石油ストーブ

+余裕があれば電気があれば使えるIH卓上コンロを準備する必要がある。

カセットコンロカセットガスを最低限用意する事は

必要としてカセットコンロに載る鍋やフライパンサイズは28cm、

ミニサイズカセットコンロは18cmが標準的なので注意しよう。

カセットガスは高いので電気が復旧したらIH卓上コンロに切り替えたい所だ。

両方使えるIH対応の物を普段から使っておきたい。

石油ストーブは暖房と料理両方に使える凄い奴。

しかし、備蓄の事を考えるとエアコンがある家は持っていないケースが多いかもしれない。

また、地震での転倒による火災発生などに気をつける必要がある。

灯油に限らずガソリン軽油といった石油類は使わずに一年間置いておくと

劣化してしまい煤が不完全燃焼が発生する可能性がある。

どうやら燃料劣化防止剤スタビルというものがあるらしい。

よく分からないが調べてみてはどうだろうか。

http://minkara.carview.co.jp/userid/355641/car/259411/1470407/parts.aspx

http://item.rakuten.co.jp/yusayusa/10000460/

トイレットペーパーラップフィルムの備蓄について

トイレットペーパーシングルで12コ入りのものを3セット準備しておくとよい。

これも最低2セットは維持しておくこと。

鼻紙から食器の汚れを拭き取るのにも使える。

水が重要な時に力を発揮する。(特に汁物を食べた時)

ラップフィルムは100m巻を使っていたが

備蓄としてはそんなに必要ではないかもしれない。

ダイソーイオンで売ってる40M巻を2本買って一本維持する形でいい。

水汲み道具の準備

折りたたみの水を入れるウォーターバックみたいなものもありますが

常日頃から水を貯めるということを意識して

ゴミ捨て場に捨ててある4Lの焼酎ペットか20L焼酎が入っていたキューテナーを保存しましょう。

焼酎が入っていたものなのでジュースペットボトルと違い、

衛生状態がいいので使いやすいです。

水専用のポリ管を用意してもいいです。

最高気温が20度以上(スプレーで黒く塗っておくと15度以上)

の気温になって晴れの日に4Lペットを日の当たる外に置いておくと

体を洗うのに丁度いい温度になります、一人が全身を洗うには16Lは必要です。

日頃から近くのゴミ捨て場でカンビンペットボトルの日にもらっていきましょう。

4本置いて温まったら翌日が雨でなければ新しく水を入れたペットボトルと交換して置いておきます。

一人当たり8本あるとスムーズに使えます。

これもLPガスが高いから考えついた方法ですが

夏場などで備蓄の水が多く必要になる季節にマッチしています。

今回は原発の影響で放射性ヨウ素水道に含まれていました

放射性ヨウ素131は半減期が8日ということで

テレビで学者さんが言うには一日10%ぐらい下がる的な事を言ってたので

それ対策と地震後に白濁が発生しやすいので

それを避ける為に貯め水用としても4Lペットは便利です。

ですが、大きすぎて蛇口から水を入れられない場合があります。

その場合は醤油などに使われている取っ手付き1.8Lペットに入れてから移すか

瞬間湯沸かし器の目盛を水にして入れましょう。

津波や計画避難など家を離れなければいけなくなった時に持って行けるもの

リュックサック一つ分と考えたほうがいい。

数日分の着替え、500mlペット2本、クッキーや飴玉などの最低限の食料

貴重品、モバイル機器 歯ブラシ等衛生用品 トイレットペーパー1個 ゴミ袋

赤ちゃんのおしりふき(体を拭く為) 使い捨てマスク トランプ双六ポータブル将棋

皮手袋 軍手

他にもあるかもしれないので教えて欲しい。

軽登山に必要なものを参考にするといいかもしれない。

災害に強いスーパーマーケット、災害に弱いコンビニ

今回思ったことがスーパーコンビニの差である

スーパーコンビニの一週間以上早く商品が入荷し始めたのに比べて

コンビニは遅く入荷数も少なかったのである

更にチェーン毎の復旧度合が明らかに違ったのだ。

具体的に書くと

スーパーの開店情報については河北新報で17日から掲載されるようになってきているが

26日時点で

ローソン 食品なし

ファミリーマート 山崎菓子パンコッペパンソーセージパン)、東洋水産緑のたぬき赤いきつねのみ

セブンイレブン おにぎり賞味期限が長い弁当(4日間ぐらい)業務用の牛乳、タマゴ、食パン

サンクスは閉店の所が多く比較できなかった。

同日にヨークベニマル、みやぎ生協、ウジエスーパーと回ったが

ヨークベニマルとみやぎ生協は頑張っていた記憶がある。

つまり燃料不足な状態では店舗数が多いコンビニは不利で

また最小ロットを1個からという必要な分を必要な分だけ

送る為には合同配送センターが必要となり

スーパーのように箱買いで直に送ってもらう事ができない構造が

立ち遅れを招いたと見ている。

スーパーには惣菜加工のキッチンが付いてることから

原材料が手に入れば加工出来てる違い

2011-04-02

http://anond.hatelabo.jp/20110402113436

遮光カーテンというのがあって、普通カーテンより確実に日光を遮るから、妙なものを張るより簡単でましだと思う。

 

 

ここからは余談。

うちは元々一般家庭にエアコンないのがあたりまえの北海道なんだけど。

暖房エアコンじゃなくてストーブ

去年は異常気象で30度越える日が6月下旬からあった。

こっちじゃふつうの家にエアコンいから、夏は窓を全開にして風をいれる。

レースのカーテンとかで適度に日光をさえぎりつつ、部屋の複数方向の窓を開けて家の中を風が通るようにする。

寝てる間も網戸引いて窓全開があたりまえ。

ずっと道民の僕は、夏は窓全開ってイメージだった。

なんでそんなあたりまえのことをわざわざ書くんだと言われそうだが

先日、首都圏に住んでる知人と話してて「そうか!窓あけるという発想がなかった」といわれてびっくりしたのだ。

生まれた時から冬は寒いから春は花粉から夏は冷房からで、窓をあけることは一切ない環境でずっと育ってると。

なんというかカルチャーショックを感じたのだ。

2011-03-26

原発を無くす」ための電力削減策

原発日本の発電量の3割を占めている現状では、不要な照明を消すくらいの節電では到底原発はなくせない。

抜本的に、社会全体で電力を削減しなければならない。



夏場のピーク電力を抑えるため、一般家庭では扇風機しか使わないことにする。

冬場は石油ストーブこたつのみ。

コンビニの消費電力の半分以上は冷蔵・冷凍から、深夜営業禁止だけでは意味が無い。

通勤電車がピーク時電力を増大させているので、通勤が不要な就労形態に変える。

大規模工場は全て海外移転海外生産できるものは極力海外から輸入する。

パチンコゲームセンターは閉店。野球場サッカー場はナイター禁止。遊園地は全て閉鎖。



他にも削減できる余地はあるが、これくらいやれば日本の電力が3割減っても大丈夫だろう。

これによって失業者が増大し、景気がさらに低迷するかもしれないが、原発をなくすためなら仕方ない。

2011-03-23

フミコフミオ氏に贈る、防災マニュアル叩き台

上司の挑戦状

http://d.hatena.ne.jp/Delete_All/20110322#1300804667


なんか気が向いたので作成

部長暗号と、その辺から拾ってきた防災マニュアルの落とし所を見つけてサクッと作成したもの。

詳細化と詰めで、この変をきちんと参考にされたほうがよいかと思います。

wordファイルです

事業所のための「防災マニュアル」(愛知県防災防災防災支援チーム)

www.pref.aichi.jp/bousai/jigyousyo_manual.doc


で、ここから下が折衷案的な叩き台。見づらいのは勘弁。

地震についてのみなので、家事かについては追記が必要。でも文章長くすると部長が読まなくなるか・・・

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1:普段の心がけ・準備

2:緊急時に実施すること

3:危機を脱してから気をつけること

4: 救急措置



1:普段の心がけ・準備

a)非常用具をあらかじめ会社・自宅に準備しておく。用意するべき品は下記6種類で、リュック等に入れて取り出しやすい場所に保管しておく。※定期的に賞味期限等を確認すること

防災用品】・携帯ラジオ ・懐中電灯 ・ヘルメット ・防災ずきん ・ロープ ・非常用のトイレ ・手動の携帯充電器 ・紐つき笛 ・乾電池 ・ヘルメット

【貴重品・身分証明】・現金(小銭も必要) ・預金通帳有価証券の写し ・健康保険証の写し ・認印 ・年金手帳 ・家の鍵 ・免許証

【食料品関係】・飲料水(1人最低1日3リットル) ・乾パンやクラッカー ・レトルト食品 ・ビタミン剤 ・缶詰(缶きりや栓抜きも忘れずに) ・粉ミルク、哺乳瓶(赤ちゃんがいる家庭は必需品) ・嗜好品

【衣類関係】・下着(家族分) ・衣類(長袖も忘れずに) ・雨具 ・タオル ・マスク10枚 ・メガネ(衛生不安からコンタクトは難あり)

医療用品】・ばんそうこう ・包帯、ガーゼ ・消毒薬 ・常備薬 ・鎮痛剤、胃腸薬等 ・紙おむつ

【その他】・ティッシュペーパー ・ウエットティッシュ ・生理用品 ・軍手 ・マッチライター ・洗面具 ・ローソク ・スリッパスニーカー) ・筆記用具とメモ用紙 ・軍手ポリ袋


b)家や会社の中を安全に保つ

本棚が崩れ落ちないように整理し、テレビ箪笥・食器棚などを固定金具で固定しておく。

・ベッドの周り・上に倒れてくる・落ちてくるようなものを置かず、安眠できるようにする。


c)日々の生活を災害対応できるようにする。

・日々の生活の中で、災害が発生した際にすぐに対応できるよう、時間や心に余裕を持った行動を行い、また事前の情報収集を心がけること。

ワークライフバランスを保ち、イザという時に動けるように疲労やストレスをためないでくこと。睡眠趣味運動を十分に行うこと。

・自宅・通勤途中・仕事場・家族の勤務先・子供学校の5箇所について、緊急時に非難する、避難所の確認を行う。




2:緊急時に実施すること

a)地震が発生した際は、丈夫なテーブルや机などの下に避難する。ビル街では、ビルの外の広い場所(看板が落ちてこない場所)に非難する。

テレビ等を押さえることは危険なので注意すること。室内の場合、ドアを開けて非常脱出口を確保する。


b)海の近くにいた場合津波に備えて揺れが収まり次第すぐさま高台・コンクリート製の丈夫な建物の3階以上に避難すること。




3:危機を脱してから気をつけること

a)被災後のインフラ悪化への対応

 被災後は、電気・ガス・水道がとまり、それによって交通機関がマヒを起こす場合がある。

 交通機関のマヒが食料・毛布・薬品ガソリンなどの物資の不足を引き起こすので、皆で分け合い、節約をして過ごすこと。

 冬場に暖を取る際は、ストーブ等の一酸化炭素中毒に気をつけること。


b)不安と付き合う

 被災後は、被災の恐怖と共に、日常とはかけ離れた環境に身をおくことになる。肩の力を抜いて、軽く体を動かしてリラックスするよう心がける。

 十分な睡眠をとれる環境を早くつくりあげ、体温・体力・気力を維持できるようにする。

 他の被災者運命共同体であるので、冷静さと思いやりを忘れずに、相互に助け合って行動すること。


c)被災後、インフラが整い安全が確保されてから

 被災の恐怖を克服するために、希望のあることを考えたり、今までの生活について考えてみる。震災で受けた痛みを、正しく癒す方法や気持ちを大事にする。




4: 救急措置

 被災の際に、救命処置や、応急手当を行う必要になる場合がある。

 あらかじめ講習等できちんとやり方を学んでおき、非常用具に必要な道具を入れておくこと。※会社での講習実施が良い

a)救命処置

・人工呼吸

心臓マッサージ

AEDの使い方


b)応急手当

・応急手当マニュアル(メルクマニュアルや、iPhoneアプリ「家庭の医学」など)の準備

骨折

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ロックンロール

2011-03-18

http://anond.hatelabo.jp/20110318233050

電力会社なんかは調査してるけど、かっちりしたデータはならないみたいね。

(家庭用、とまでは分かるけど、その先を立ち入って調べられない)

ちょっと古いけど、一応

http://www.rist.or.jp/atomica/data/pict/01/01090503/10.gif

という調査があるにはある。

これでみると増加が大きいのはエアコンカーペットなんかの冷暖房器具だね。特にエアコン

電気食うのは一緒だけど冷蔵庫なんかは伸びてないしAVPCなんかはテレビを除くとゴミっぽい。

石油ストーブ扇風機・団扇なんかが電気製品に/より電気を食う製品に、とって変わったということじゃないかな?

後、人口ほとんど増えて無くても、世帯数は大きく伸びてるから、そこも利いてるんじゃないかと思う。

2011-03-15

ネットが繋がった

ネットが繋がってたんで情報集めてたけど、なんか今はどーでもいい話ばっかりだ。

しい話も泣ける話も怒れる話も恐れる話も、全ては今この状況を生き抜いて、それからでいいやと思ってるし、まわりの皆もそう思ってる。

ぶしつけだけど、地震発生から今に至るまでの流れを書いていこうと思う、こういうケースもあったよってことで、今後の参考になればいいな。色々ありすぎたんで、出来る限り簡潔に書きたいんけど、よくわからんかったらごめん。仙台在住の会社員場合

■3/11以前

地震発生の4日前くらいから、大小あれど地震が多発していた。地震にもだいぶ慣れてしまって、ちょっと揺れたくらいではなんとも思わなくなっていた。

■3/11

その日も忙しく仕事をしていた。14:46(らしいな)に大地震が発生。最初は「揺れる揺れる」とケタケタ笑っていたが、尋常はない揺れと長さに社長が「逃げろ!」と一喝、書類棚からは中身がぼんぼん飛び出している。あまりの揺れに立つことさえ難しかったので、手すりを使って飛び降りるように階段を降りた。会社ビルの6階にあるので、降りてる途中でビルが潰れて死んでしまうんじゃないか、と思った。ようやくビルを出て、市営バスの広大な駐車場に避難する。同僚たちと「やー恐かったねー揺れたねー」なんて言いながら笑っていた。辺りを見るとビルマンション、止まっていたバスがコンニャクのように揺れていた。新幹線は線路の途中で止まっていたし、SS30(なんか仙台では高い方のビルね)のアンテナがボッキリと折れていた。社長上司に「宮城県沖地震と比べてどっちがヤバい?」と聞くと「今回の方がヤバい」と言っていた。揺れが収まってから会社に戻り、防寒具、貴重品、飴玉やお菓子を運びだした電話も何も繋がらないので、お客さんと連絡が取れるはずもなく、津波が街まで到達するという知らせをパトカーから聞いたので、今日は解散ということに。社長の「明日はいつもお通り出社して片付け方すっとわ、そんじゃみんな気つけてけえってな」という言葉で僕らは散った。その日僕は車で出社していたので、車を停めていたヨドバシカメラの立駐に向かった。停電のために料金所が使えず、無料で出庫することが出来た。しかしながら、道路はかつて見たこともないような大渋滞で、とても車で帰れるような状況ではなかった。自宅の方向が一緒の上司と歩いて帰ることにした発電機が付いた信号以外は全部止まっていたので、輪をかけて渋滞がひどくなっていた。日本革新連合会という右翼街宣車が自慢の拡声器交通整理をしていた、ちょっと泣けた。やっとこさNHK前までたどり着き、街頭テレビをみると、津波漁村をさらう映像、製鉄所が轟々と燃えている映像、とても信じられない禍々しい映像が映っていた。この時はじめて自分たちがどんな状況かわかった。またしばらく歩く。歩行者の列の中、泣き叫ぶ赤ちゃんを抱えたお母さんがいて、周りの人が赤ちゃんに毛布を掛け直してあげたり、フードを深く被せてあげたりしてお母さんを助けてあげていた。仙台泉線という道路をひた歩いた。通りに面している建物は本当に悲惨だった、車屋の窓は割れ落ち、マンションのレンガ風の壁が崩れ落ち、歩道は隆起して歩くのが困難だった。ふと一人のおばあちゃんが、僕らに声をかけてきた。なんでも旦那さんがいる老人ホームに行きたいだが、道に迷ってしまったようなのだ。上司と僕で老人ホームを探して、職員さんに事情を説明しておばあちゃんを保護してもらった。またとぼとぼと道を歩く、その時はだいたい17:00頃で、場所は虹の丘というところを歩いていた。後ろから上司を呼ぶ声がする、上司の息子の同級生が僕らを見つけたので、車で送ってくれるということらしい仙台駅から8kmほど歩いただろうか、膝も腰も股関節ヘロヘロ、昼飯も少なかったから疲労困憊だったから、すごくありがたかった。上司の家に着いて、玄関を開ける。中は酷い有様だった。まず靴箱が倒れていて中に入れない。隙間をくぐり抜けて中に入ると、引越しでもしたのか?と思うほどにタンスはずれて、食器は床に散らばっている。家の中に奥さんがいないことを確かめると、周辺の捜索を開始した。もちろん携帯は使えない、仲の良いご近所さんのところにもいない、車もない。上司は途方にくれていた。避難所にいるのではないかと思って小学校に行っても、まだ小学校避難所としてすら使われていなかった。集まっていた人々は口々に「あんなに会議した予算割いたりしたのに対応が遅すぎるよ、なにやってるの」と不満を漏らしていた。いよいよ不安になって上司宅に戻ると、ご近所さんを見つけた。上司の奥さんや家族と一緒に駐車場の端っこで、車の中でエンジン焚いて非難している、とのことだった。再会した上司と奥さんは、やれ書き置きしろだの、そんな暇ねぇだのと喧嘩をしていた。まぁ生きててよかったじゃん。そこから上司の車で家に送ってもらった。車中で「明日仕事行けるっすかね?」と聞くと、奥さんに「なにいってんの!行けるわけ無いでしょ!」と言われた。続けて「仙台空港だって津波に飲み込まれてんだよ!」と。正直耳を疑ったが、カーナビテレビをみると、本当に仙台空港が飲み込まれていた。愕然としたが、今まず自分が生きることで本当に精一杯だ。この先何を食って、どう生きるか、そればかり考えていた。やっとこさ家につく。時間にして19:00頃だろうか。一寸先はどうなっているかからない最中に送ってくれた上司には頭が下がった。家も家族も無事だった。唯一、警官の兄が帰ってきていなかったが、無理もない。両親はろうそくを灯してラジオを聞きながらソファに横になっている。地震後すぐに片付けをしたらしく、家の中はそんなにぐちゃぐちゃになってはいなかった。この時までは、まだ水道とガスは来ていたが、それから2時間ほどでその2つとも供給は止まった。停電冷蔵庫が使えないので、残っていたアイスを溶ける前に全部食べた、この日の晩飯はこれで終えた。自分の部屋の本棚ギターパソコンモニターが倒れている。この部屋にいたらきっと怪我をしていたことだろう。今後高い本棚を使うことはやめよう、そう思った。当時情報を得る手段がラジオツイッターしかなかった。携帯は電池が切れるし、電気が来てないので、充電のしようもない。車なら充電できるし、テレビも見られるし、エアコンで暖も取れる。そうしてエンジンを焚きながら携帯電話を充電した。他の家でも皆そうしていたようだ、おそらく皆この日に結構な量のガソリン無駄したはずだ。車内でツイッターを使い、連絡が取れる範囲の人とは連絡をとった。十分に充電をしてから、この日はリビングに布団をしいて寝た。

■3/12

7:30ころ、両親たちの支度の音で目覚める。父は出勤で、母は介護施設に預けられる。父の車に便乗して出社することにする。この日は道もさほど混んでおらず、ストレスなく走ることができた。しかしながら道路の状態はひどい、アスファルトが隆起し、ひび割れて飛び出し、橋のつなぎ目は例外なくずれ、その度車を突き上げていた。周りでは緊急車両が忙しく走り回っている。街中の交差点では警官交通整理をしていた。父曰く倉庫しまわれていた新車両パトカーも投入されていたらしい。父が勤める署内も人員が遺体回収に駆りだされ、人は少なかったようだ。つまり、今の宮城県警は非常に手薄だということだ。程なく会社に着いたが同僚は誰もいない。上司に連絡するも「ん、こなくてもよくなったんだわ」とのこと。せっかく来たのに。。。と思いつつ、昨日置き去りにした車を回収する。すでにコンビニ携帯充電所には長蛇の列が出来ている。しかし、いずれのコンビニ開店している様子はなかった。開くかもわからないコンビニの前に、長蛇の列が出来ていた。ご苦労なこった、と思いつつ、家路についた。家に帰ると少し様子が違う。電子機器キーンという音がした電気が復旧したいたのだ。冷蔵庫電子レンジ炊飯器もポットもテレビも使える!そう思ってテレビをつけたが、我が家はケーブル回線を使っているため、テレビを見ることができなかった。まぁ、飯が炊けるだけ全然ましだ、と少し安心し、することもないので昼寝をする。昼寝から起きると両親が帰ってきていた。両親の晩飯は昨日ひねり出しておいた水で米を炊き、だるまストーブで温めた味噌汁を、僕は買い置きしてあったカップ麺を食べた。食後、会社カップ麺を備蓄していたことを思い出し、回収しに行くが施錠されてしまい、カードキーも使える状態になく中にはいることができなかった。そうしてこの日は終わった。


■3/13

この日はだいぶ暖かかった。月曜から出社する。という話になっていたので、社員間で連絡をとりあうという事になったが、やはり連絡が取れなくなる人がいた。取引先がパソコンと僕達ごと東京にさらって仕事をさせようとしている、なんて不穏な話があったので、どういう事なのか聞き出した会社に行くことにした。もちろん誰もいなかったので、近くに住んでいる役員の家に直接行くことにした。程なくして役員がやってきて、「○○さんと〇〇さんの家に行って出社の旨伝えてくる」「じゃあ俺は〇〇さんと〇〇さんとこ行ってくるわ」と打ち合わせをして、それぞれ足で人を探し回った。昨日とは打って変わって道路は大渋滞スーパーコンビニガソリンスタンドには凄まじい行列ができている、どんなに小さな店でも必ず人が並んでいる。幸いバイクで動いていたので渋滞に悩まされることはなく、それぞれの同僚の家を回っていく。家を訪問するたびに「水はあるかいごはんはあるかい?家にまだ水があるから持って行きなさい、お菓子もあげるから」といろんなものをもらった。物乞いするつもりは全くないし、荷物が多いと動きが鈍るので多少困ったが、ありがたくいただくことにした、非常にありがたく、申し訳なく思った。福田町、というところに住む同僚のマンションに行く途中、45号線を走った。テレビでよく見た七ヶ浜の石油コンビナートの煙が見える。下から見上げる黒煙は、テレビで見るよりもずっと巨大だった。結局その福田町に住む同僚は留守にしてあり、申し送りすることはできなくなった。バイクガソリンを使いきり、リザーブも残り僅かのところでぎりぎり帰宅することができた。下手にガソリンを使い切るものではなかった。。。電話回線は徐々に回復しているものの、自宅ではまともに受信できなかった。山一つ高いとなりの団地まで移動すると快調に電波が入ったため、そこの空き地でしばらくツイッターメールなどをして連絡を取り合った。その日の夜、高校の先輩からメールが入った。ガソリンが無いので余っていたら実家まで送ってほしい、ということだった。場所若林の古城、という所だったため、命に関わるかもしれない、と思い迎えに行くことにした。そうして国道4号線沿いにある先輩の住むマンションに到着した津波が近くまで到達したことを伺わせるように、外は磯の臭いをさせていた。マンションはところどころ天井が崩落しており、危険な状態だった。ひとまず先輩を預かり、実家である富谷町まで移送した。帰り道、片田舎にあるガソリンスタンドに目をやると、夜中の11時にもかかわらず2km程の渋滞ができている。みな翌日の開店を待って行列をなしていた。それほどまでに、皆ガソリンに困っているのだ。家に帰って程なくすると、兄が大地震以来はじめて帰ってきた。荷物をとりに戻ったのだという。どうやら兄は南署管内の本部にいるらしく、大変忙しいのだそうだ。「コンビニガソリンスタンドでは暴動、略奪が起きている。通報が無いだけでいろんなところで起こっているから気をつけるように」と言われた。加えて「テレビとかラジオでは荒浜に2~300死体って言ってるけど、そんなもんじゃねーからな、1000は余裕で超えるぞ」とも言われた。報道ネットでは綺麗な部分しか出ず、礼儀しい、とか、皆冷静だ、と言うが、実際はそうでもない。避難所では大人が子供の食料をひったくり灯油やガスボンベから目を話したスキに盗まれた、という話もこの日に多く耳にした風呂に入らぬまま3日目となり、体はベタベタ、髪にワックスも付けてないのに自由自在スタイリングが出来るようになっていた。パンツも変えていなかったので久々にパンツをかえることにした。不潔な状態でも大分慣れたが、さすがに辛い状況ではある。


■3/14

この日は出社日だった。2名を除く社員13名が揃った。それぞれ、家族の安否や地震後どのように過ごしたか、スーパー情報や給水所の情報ライフラインの復旧状況などを話し合っていた。それぞれ親類が漁村に住んでおり、連絡がいまだに取れないなどの不安を抱えながらも、冗談など言い合いって気丈に笑っていた。取引先との連絡も取れ始め、ほとんどの案件震災で中止になったが、スーパー広告だけは違った。3/25折込のチラシを打つとかなんとかで、制作することになったらしい広告なんて打たなくても客が来る今、被災者である僕らがこのチラシを作るのはおかしいだろ、そこに載ってる商品、ホントは俺達が欲しいのに、なんて苦笑いをしながら「ま、仕事仕事から」と言ってスケジュールを組んでいた。忍耐強いのか、ただの奴隷なのかよくわからないけど、この震災を生き抜いて、生活を立て直すには今の仕事を守るしか無いのだと、そう思った。職場の周りは電気水道が通り、そこかしこ炊き出しが行われていた。と言っても、もちろんお金はかかる。皆行列を作っておにぎりを買ったりしていた。上司たまたま仕込み中の店を見つけ、一番乗りで150円カレーを食べることができた。ルーがすごく緩かったけど、とても美味しかった。行列をつくっているとなりの店を尻目にカレーを食べていると指を刺されたり、じっと見られてすごく居心地は悪かった。ここ数日、袋を持って歩いているだけで、じっと見られることが多くなっていた。この地に住む誰もが行列や順番待ちに飽き飽きして、一様に殺気立っているのを感じる、もちろん、これを書いている今も。家に帰って、ダメもとでテレビをつけると、綺麗に映像が映し出された。ケーブル回線が復旧したようだ。あまりの嬉しさに僕は叫んだ。大地震があった日以来、大きな画面でテレビを観ていなかった。鮮明な映像で見る自分の住む街は、目を背けたくなるほど酷い有様だった。友人達遊んだ思い出の浜や、そこに住む人々も、家も、跡形もなかった。自宅から30分もない距離にある街が、ただの更地になっている映像を見て、一瞬息が止まったのを覚えている。繰り返し流れる遺族の叫びと、デリカシーのないインタビュー映像になんだかとても疲れたので、また昼寝をする。目を覚まして、今度はネット回線のチェックをしたネット回線も復活し、とにかく喜んだ。この数日何があったか無我夢中で調べたが、なんとも空っぽ情報で溢れかえっていた。「被災者のために歌を歌います、これしかできないけれど」みたいな話や「このツイートが感動した」とか「被災した人たちも頑張ってるんだ、私も頑張って仕事しなくちゃ」とか「東京のどこそこで買い占めが起きてる」とか、被災地の皆が今のいま命を長らえるための情報ほとんど無かった。人が死んでんだぞ、おそらく死者はこのまま1万を超えるよ。そんな状況で、なんで美談たいな話が出るのか全く意味がわからなかった。似たような話をテレビでも流すようになった。出来れば、そんな感動話みたいなものは震災から立ち直ってからにして欲しい、この震災過去の話ではなくて、現在進行中だ。

■3/15

そして今日も出社だった。取引先との話に決着がつき、必要な人員以外は招集があるまで自宅待機することになった。相変わらずの行列渋滞。未だ風呂にも入れていないしなか、東京では食料やガソリンの買い占めが起こっているという報道がずっと流れていた。おまけに噂の雨ときたもんだ。もし噂なのか真実なのかよくわからない話を信じるとすれば、僕は雨に打たれたのであまり健康上よろしくないことになるのではなかろうか。シャワーを浴びる環境などそうやすやすとはない。今被災地では口伝での怪しい情報に困り果ててる。どうすればより長く生きられるかシビアに考えている。手元にある食料や物資、燃料はひっ迫して、移動することひとつとってもリスクが高い、離れた親戚を引き取りに行けない人もいるし、安否確認さえ取れないでいる人もいる。出来ることなら、物資の補給場所時間、量についても出来る限り詳細に教えてほしいし、より苦しい人たちの所へ、より多くの物資を届けて欲しい原発に関する情報も、政府報道は本当に正しい情報を教えてほしい。この状況で命を長らえるために、正確に判断するための情報がほしい。どうか、どうかひとつ、よろしくお願いします。。。

1日目

その時、私は書店にいた。仕事は3時から始まる。

業務の前に書店に寄ることが、半ば習慣化していた。

買いたい本を片手に持って、レジへ向かう。

人の声の重なりのような、妙なざわつきを感じる。

地面が揺れていることに気づいたのは、その後だった。

一昨日の余震だろうか?それならばすぐに収まるだろう。

生まれて初めて体験する激震が、我が身を、そして店全体を揺らしたのは、そんな甘い考えが脳裏をよぎった瞬間のことだった。

平成23年3月11日午後2時46分の出来事である

本を買うより、身の安全の確保が第一だ。

左手に持つ本を放り投げ、私は出口を目指して駆け出した

棚の高い場所から、多くの本が勢い良く吐き出されていった。

店を出る瞬間に、視界の片隅だけに見えていたものだけど、その光景は良く覚えている。

職場はすぐ近くにある。職場へ向かおう。

激しく揺れ動く地面と同様に、あまりにも落ち着きのない思考が私を動かしていた。

だけど私は運が良かった。ガラスが割れる軽やかな音に気づけたから。

目の前で、ガラス造りの街灯が落ちて地面に砕け散った。

あと数秒、私の走りが早かったら、危なかったかもしれない。

まずは身の安全の確保だ。最優先事項にやっと気づいた私は、元々いた書店入り口近くにある金属の柱にしがみつく。

建物の近くにいては倒壊に巻き込まれるのではないか、という考えもあったが、倒れそうには見えない外見のビルであったし、何よりも、屋根があった。

何かが落ちてきても、屋根があれば最悪の事態を免れることが出来るだろう。

一息ついて油断した、その瞬間を見逃さずに追撃するかのように、それはやってきた。

もっとも、どんな覚悟も、あれの前には無意味だったと思う。

視界に入るもの全てが揺れ動いていた。地面が左右に揺れる、というのを視認したのは初めてだったと思う。

地鳴りと悲鳴が重なる。震度表には「立っていられないほどの揺れ」という表現があるが、まさにそれであった。

銀色の柱にしがみつき、身体を支えること以外、何も出来なかった。

勇気ある人は、危険な位置にいた女の子たちを比較的安全な場所へと誘導していた。

その後、ガラスの街灯がまたひとつ落ちた。ガラスの破片が散らばったけれど、気にしている余裕はない。

私は死ぬのか、この世は終わるのか。本当にそう思った。

長い、長い、私の体感では3分ほど、実際はもっと短いだろう(これを書いている時点では正確なデータがないのです)、

だけど長い地震が終わって、私の思考はまた落ち着きのないものへ切り替わっていた。

そうだ、職場に行かなければならない。

揺れが収まり、身動きが取れることを確認すると、私は職場ビルへと向かった。

本震があって間もなく、仙台市内全域は停電となった。

エレベーターは動かない。12階立建てのビルの3階に職場はある。

階段の壁は一部が崩れ、破片がそこらに落ちていた。非常灯がなかったので、昼と言えど薄暗かった。

それは階段だけではく、各階でも同様のようであった。日の光が差し込むだけ、階段よりは明るかった。

ドアを押しあけ、オフィスへ入るとほぼ同時に、余震が襲いかかった。あの本震の直後の余震である。実際にどれほどの震度の余震だったのか、これも現時点ではわからないけれど、本震と同じくらい強いものに感じた。

「危ないから入ってきちゃ駄目!」と悲鳴に近い声が私に掛けられたけれど、入ってきてしまったものは仕方ない。

オフィスの中にいた他の方々とともに、私は机の下に身を隠した

自ら飛び込んできた私はともかく、朝から働いていたオフィス内の人々は、突然の、しかも未曾有の大きさの地震を受け、憔悴しているようだった。

それから階段を降ってビルを出て、一度は近くの小学校へ避難したしかし、地域の方々の避難が最優先であるため、解散の命令が出るまで、私たちは歩道で待機していた。

その間も余震はまるで容赦しない。地面が揺れる、街灯や電線が揺れる。大きな看板地震で壊れていて、たくさんの人が携帯電話写真を撮っていた。

本震の最大震度が7と聞き、やっぱりね、とか、宮城県沖地震かな、などという話題が上がった。少量ながら雪が降り始めて、とても寒かった。

地震保険の話があった。我が家には適用されるのだろうか。いや、それよりも我が家は無事か。

携帯電話操作して、自宅に電話をかけるも、繋がらない。当たり前のことだった。

それからしばらくして、今日のところは解散、ということが上司から伝えられた。私は家まで歩いて帰ろうとしていたけれど、同じ方向に住まいがある同僚がいたので、家の近くまで送っていただくことになった。

車道は当然のように渋滞していた。加えて、一部を除いて、信号も動いていない。

仙台市中心部から郊外へ移動しようというのだから渋滞に巻き込まれるのは致し方ないことだ。30分で100メートル移動出来たかどうか、ということもあった。

正直に言えば、自宅まで徒歩で戻った方が、早く家についたかもしれない。しかし、車で送って頂いて本当に良かったと思う。

そう思う理由はいくつかある。ひとつは、複数の人とともに移動することによって、不安や恐怖と言ったものを少しは紛らわせたということ。また、車にはラジオが搭載されているから、最新情報を確認することが出来たのも大きい。外気を遮断し、暖をとりつつ移動出来たというのもある。被災直後から仙台市内には断続的に雪が降り、吹雪くことさえあったから。

最終的なマグニチュードが8.8であるという報道を聞き、私たちは笑うしかなかった。この地震で亡くなった方が出るかもしれない、という話題にもなった。これを書いている今現在、確認されている死者は1000人以上であると聞いている。ここまで多くの方が亡くなってしまうとは、あの時、思いもしなかった。

移動中、私は家族が心配でならなかった。特に、自宅にいるであろう、母。我が家は築25年の木造住宅である。自宅が倒壊してしまったのではなかろうか、それに母が巻き込まれてしまったのではないか、心配で心配で溜まらなかった。

同乗している同僚は、2歳のお嬢さんを心配していた。夫の実家に預けているのだが、連絡が取れないのだという。

私も母との連絡は取れない。「頼りがないのは良い証拠」であるという、この場にはまるでふさわしくない故事を信じるしかなかった。

被災直後であるから携帯電話は全く役に立たない。それはとうに承知していても、家族の安否を確かめたいというのは当然のことだ。電話はとても繋がりにくかったが、幸い兄との連絡はついた。それから機械に疎い家族が見るかどうか分からないが、災害伝言板に書き込みをしておいた。

車に乗っていても、余震は我が身に伝わる。窓から見える外では、多くの人が歩いていた。結婚式最中だったのか、よそ行きの格好のまま避難する人、スーパービニール袋を被る人、クリーム色のカーテンを纏う人、様々いた。

1、2時間も経つと、日が傾き、徐々に日の光が失われていった。明かりがあるのは車ばかりで、どの店、どのビル、どの建物も真っ暗なままだった。唯一、警察署だけは明るかったけれど、自家発電装置はいつまで持つのだろうか。

これだけの巨大な地震であるにも関わらず、高層ビルの倒壊がなかった、このことはすごいことだと思う。

しかし、それは外見の話だ。どこも大なり小なりの被害を受けていて、壁が崩れたり、窓ガラスが割れたりするのは当たり前、水道管が壊れて、水が溢れだしている家もあった。

時間半ほどの時間を掛けて、自宅の近くまで送って頂いた。ここからは、歩いて帰ることになる。

外はやはり寒かった。実際の気温だけではない。街のどこにも光がない。駅の近くにある大きな交差点、そこの信号は機能していたけれど、他の信号は依然光を失ったまま。これまで車で通り過ぎてきた光景と同じく、街のどこにも灯りはなかった。

この夜の空は、山中で見るもののようだった。星座が確認出来るくらい、綺麗な星空。あまたの星がいつもと同じように、黒のキャンパスの上で煌めき、瞬く。暗い街並みといつにも増して美しい夜空を、私は生涯、忘れないと思う。

さて、この地震では、かなり多くの方が避難所での生活を余儀なくされている。

我が家はかなりましな状況であるということを、ここで記しておく(こうやって被災最中に手記らしきものを書いている時点でお察しの方も多いだろう)。

何せ、不自由なことは多いものの、自宅で生活が出来ているのだ。現在、これを書いている3日目の朝も、白いご飯を食べ、暖かな野菜スープを飲み、ゆで卵まで頂くことが出来ているのだから

時間かけて自宅まで戻ってきたが、電気はついているはずもない。もしかしたらみんな、避難所にいるのかもしれない。あるいは……。

最悪の事態を思い浮かべながら、玄関を開ける。ただいまと誰もいないかもしれない家に声をかける。返事はすぐに戻ってきた。

家族全員茶の間にいた。みんな、無事だった。そのことに安堵の息を漏らしつつ、私は茶の間に入った。

意外なことに、茶の間は暖かだった。捨てるつもりでいた石油ストーブを物置から持ってきて動かしていたのだ。停電していても暖が取れるのはありがたかった。さらに、ストーブの上にやかんを置けば、時間はかがるがお湯が湧く。パンを置けばカリカリに焼ける。外は氷点下にまで冷え込む中、石油ストーブで外から身体を暖め、お茶で内からも暖める。とても幸せなことだった。これを呼んでいらっしゃる皆様には、是非一家に一台、石油ストーブの購入をお勧めする。

家の中には、父、母、兄、それに近くに住む親戚の小母さんがいた。小母さんは、この地震で誰とも連絡が取れず、また誰も帰ってこないという。家の中は地震家具が散乱しており、中にはとても入れない。一人でいるのも不安である。そのため我が家に来たのだという。

自宅へ帰って来た頃、時刻はもうすぐで8時を迎えようとしているところだった。こたつの上には大きな蝋燭が立てられていて、その脇にラジオが置かれていた。懐中電灯もあるにはあるが、あまり明るくないので、部屋全体は照らせない。そのため、トイレに行く時等、移動する際に使われていた。

そういえば、自室に小さなライトがあるのを私は思いだした。いつだかにゲームセンターUFOキャッチャーで取ったものだ。おもちゃに近いが、電球はなくLEDなので、大きさの割には強い光を出す。

本棚が倒れたため、本で埋め尽くされ、足の踏み場がない部屋へ行く(自室の荒れ方がまた素晴らしかったので、出来ればお見せしたいところであるが、この時既に携帯電話の電池が切れていた。残念である)。机の引き出しの中にライトはあった。スイッチを入れると、白い光が散乱した部屋を照らした

また、その時の私は、黒いタイツストッキングと随分冷える格好をしていた。荒れ果てた部屋からジーンズを引っ張りだして着替えた。ついでに、タオルケットと毛布を茶の間へ持ち出した

茶の間に戻り、ライトで辺りを照らしてみせると、蝋燭や懐中電灯よりも広い範囲をより明るく照らせたので、当座はこのライトで部屋を照らすことになった。裸火がなくなり、火事可能性が低くなったのでひとまず安心した

余震は断続的に続いていた。これを書いている今もそうだが、大小の関係なしに、何度何度地震に遭っていると、いつも地面が揺れているような感覚に襲われる。恐怖が完全に拭われることはなく、むしろ大きい余震があるたびに増大していった。

地震当時、各々が何をしていたかを話した

母は、少し昼寝をしようとしていた時に地震に見舞われたそうだ。これほど大きな地震であれば、逃げることをまず第一に考えそうなものだが、母は42型の液晶テレビが倒れないか心配だったらしいテレビを支えつつ、近くの柱にしがみついて、本震を耐えきったそうだ。

兄は仕事をしていた。オフィスの中にあったパソコンは全て倒れて使えなくなったそうで、しばらくは仕事にならないだろう、それどころか解雇されるのではないか、と心配していた。

父もまた、仕事をしていた。スーパーでカゴ集めのパートをしている父は、地震の瞬間に店内にいた。これは危ない、と思い、しかし出口からは遠い場所にいた父は、普段は閉じられたままのガラス張りのドアをこじ開けて外に出たという。後から聞いた話によると、父の勤務地のスーパーは、天井が落ちてしまったそうだ。

ラジオから聞こえてくる男性の声が、この地震による被害の状況を伝える。泉区で家がひとつ倒壊した、壁に挟まれて死んだ人がいる、火災が発生した津波で何もかも飲み込まれた……。いつもの夜のラジオなら、軽やかな音楽や楽しげに話すDJの声が漏れてくるのに、今宵は厳しい現実と、それを乗り越える手段が、無機質に流れ出ているだけだった。

私が自宅に帰宅して、1時間ほどして、親戚の小母さんの娘さんが帰ってきた。

この時、電話はまともに使えなかったが、メールインターネットならば使用可能な状態にあった。

機械音痴しい小母さんは、メールを打てない。私が代わって、娘さんに「小母さんは我が家にいる」との内容を打ち、送信したところ、娘さんはすぐに我が家に駆けつけた。それまでは近くの避難所を当たっていたらしい

娘さんの勤め先は、長町にある。我が家仙台市泉区に位置しており、長町とはかなりの距離がある。娘さんは同僚の方から自転車を借り、ここまで帰ってきたのだった。それまでに1時間半の時間を要したそうだ。

午後の10時頃に、小母さんの旦那さん、つまり小父さんが帰ってきた。小父さんは地震発生直後に車に乗ったのだけど、ひどい渋滞に巻き込まれて、この時間に帰ってきたのだという。実に7時間もの時間をかけての帰宅だった。

先にも述べたが、被災はしたものの、我が家はかなりましな方だった。屋根瓦が吹っ飛んだり、壁に多少のひびがはいったりはしたけれど、とりあえず住める状態にはあったのだから停電していて茶の間以外は真っ暗だし、ガスも当然止まってはいるけれど、この時点水道は使用できた。トイレも流せる。これだけで、精神に随分と余裕ができた。とは言っても、時間が経つにつれて水圧は低下していき、2日目の昼には断水になってしまうのだけど。

しかし、断水前に風呂に水を貯めておけたのは良かったと思う。おかげで、今のところ、トイレの水には困っていない。流石に大しか流せないので、そこらへんの節約は必要だ。

とにかく、電気とガスが使えないのが痛い。そうは言っても、ライフラインが回復するまでは今ある環境で耐えるしかない。母に菓子パンを食べるように勧められたが、遠慮して、お茶だけ飲んでいた。……皮下脂肪が厚いので、少しの間飲まず食わずでも耐えられる。

夜の11時を迎えたところで、両親に就寝するように言われた。どうせ、余震が続いて眠れないので、次の日の夜明け、6時50分頃まで起きているつもりだったが、せめて横になるように、と言われたので、茶の間の畳の上に体を横たえた。今夜は座布団が枕の代わりだ。寝転がり、目をつぶるだけで、少しは休むことができる。

形だけの就寝をし始めて1時間。日付が変わった後、ふと母の携帯電話を見てみると、2、3時間前まであった電波がなくなっていた。メールネットならば使えたのに、それすら出来ない。ラジオ以外の情報獲得手段がない。ニコニコ動画ユーストリームNHKの放送をしている、とラジオは伝えていたけれど、そんなもの役に立たない、と思った(もちろん、まだ電池のある携帯電話等を持っている人には重要なのだと思うけど)。ちなみに、家に帰ってきた時点で、私の電話の電池は切れてしまった。

日の出まであと6時間ラジオは伝える。どうか日の出まで、希望を持ってと。ラジオは伝える。現実を。荒浜に、200から300の遺体が流れ着いたとの報を聞き、涙が頬を伝った。

3時か4時になった頃、NHKラジオ音楽を流した。2曲流れて、1曲は確か「カノン」だったと思う。そのおかげがどうかは分からないが、私は少し、眠ることが出来た。余震がある度に起こされはしたものの……。

 

長い、長い夜を過ごしているうち、私はひとつ思いついた。

被災している最中から、忘れないうちに、体験談を記しておこうと。

携帯電話は使えない。iPadは不向きだ。だから今、pomeraを使って書いている。我が家にて、単4電池を使う懐中電灯等もなかったから、こうやって書いている。

これは被災してから2日目に書き始めた。現在荒削りながら、被災当日のことを書き終えて、5日目である。出来れば電気が繋がった3日目のことまで書いて、増田に上げられれば、と思う。私なんか、とてもとてもましな方だったけれど、千年に一度とも言われる天災体験談は書いておかなければならないと思った。……エゴイストで申し訳ない。

また、普段は趣味小説のようなものを書いているので、そのような表現があり、読みにくい箇所も多々あったかと思う。このことについてもここでお詫びする。

私が住んでいる仙台市泉区とあるところでは、3日目で電気が繋がり、4日目で携帯電話の通話及びメールが使用可能に、そして現在、5日目の朝にネットが復旧した

ガスと水道は未だ使用不能。ライフラインが完全に復旧するまで、一ヶ月はかかるそうだ。

しかし、命があるだけ儲け物である。生きていれば何とかなる、との言葉を信じてみようかと思う。

2011-03-13

激甚被災地の一歩手前にて

被災時に必要なものは何か?時間が立つに連れ必要なものは変わってくる。筆者は岩手県で今回の地震に被災したが、時間場所によって変わってくるが、自身の経験を元にここにしるす。防災用品の準備や、被災地に救援物資を検討している方は、参考にしていただければありがたい

この文章は、被災二日目にiPadにて作成した電気回線が復旧しだい、どこかに上げるつもり。

備蓄しておくと良いもの

出来ればもちだしたいもの

インフラがとまるので、食料や衣料はもちろん、燃料や情報を得る手段も確保しておきたい。今回は電気がなくても暖をとれる反射式ストーブ、これはお湯もわかせる、ガスが止まっても使えるカセットコンロが非常に重宝している。

固定電話回線が生きていても停電していれば、最近の多機能なヤツはつかえないので、結局ケータイに頼ることになる。公衆電話最近中々ないので。予備の簡易充電器や電池、車載充電器、iPhoneFMトランスミッターが役に立った。

いざという時の移動手段やカーラジオカーナビTVでいざという時の情報取得手段になるので、車がある場合ガソリンも出来る限り入れておく。携行缶などで保存する場合は、安全な場所に保存する事。

災害時に一番役に立つメディアラジオ、次にインターネットとなり、最後TV新聞となる。ラジオは用意しておいた方が良い。ネット情報を得る場合デマや不確定な情報に注意する事。TwitterFacebookなどで自分から発信する場合も、不確定な情報は流さない事。ヤフー知恵袋2chなどは極力使わない。

当たり前だが、一番の被災地から離れていてもインフラが止まれば、店はまともな営業が出来なくなるし、道路も寸断されたり、信号機が止まったり、緊急車両優先などで渋滞する。

水は断水していなければ、早いうちに水を貯めておくこと。飲料用はペットボトルやヤカンに。トイレなどの水は風呂に貯めておくこと。

注意したいのは、ロウソクやコンロ、反射式ストーブを使う場合は余震に十分注意すること。当たり前だが、常にラジオはつけておいて揺れたり緊急地震速報がきたらすぐに消すこと。

ATMが使えなくなるので、現金を用意しておく。

余談だが大都市圏に住む人以外は、メインバンク地元地銀農協郵便局信用金庫にしておくといいかもしれない。窓口対応スムーズになる。

やってはいけないこと

地震に限らず、台風でも水辺に近づく人がいるが、こういう人が一番最初被害者になる。絶対に危険場所に近づいてはいけない。

当たり前だが、沿岸部では揺れたらすぐに逃げる。ビルの出来るかぎり高い階層か、高台に。

また、心配なのはわかるが特に災害のひどいところに行ってはならない。阪神大震災の時の様な野次馬は論外。自分が被災するだけでなく、救助活動の邪魔になるから

不要不急の外出は極力避ける。道路の寸断や信号機の停止で思わぬ事故にあうリスクが高くなる。

電話は極力しない、出来れば連絡はメールtwitterFacebook災害伝言板ラジオ伝言メッセージなどを使う。やむおえない電話場合も、極力通話は短くすること。

デマを流すのは論外だが意図せずにデマを信じてしまってもいけない。チェーンメールは無視し、拡散RTは慎重に行うとこ。デマは最悪の場合は人命に関わる。

ウソクや反射式ストーブを使う場合は、そばから離れる場合は火を消すこと。一瞬でもそばから離れる場合は絶対に火を消すこと。ロウソクは使わないに越したはないが、使う場合は周りに燃えやすいものをおかない。

よく何かあれば、千羽鶴を折って送ったり、古着等を送る、自分小説本を送る俳優などがいるが、これらは役に立たないばかりか、ゴミしかならない上に、輸送力の無駄遣いとなり、迷惑となる。地獄への道を善意で舗装しないように。

あればいいもの

命の危険がなくなり、食事もある程度とれる様になると、非常に退屈になる。死傷者が多数でた沿岸部の方々や、原発関連で不安福島県の方々には大変申し訳ないが、1次的な被害が少かった内陸部にいる自分は、二日目にはもう暇であるTVラジオ災害関係しか流れておらず、ブロードバンドは不通、携帯電話不安定な為、webも長い時間見る事が出来ない。気を紛らわす為にも、何か簡単な娯楽はあった方が良い。昼間は文庫本を読んで過ごしたが、いよいよ退屈になってきたので、この文章を書いている。

余談だが、そういう意味ではある意味テレビ東京スタンスは正しいとも言える。今回は岩手にいるので、テレビ東京が何を放送をしているのかは知らないけど。

お菓子ジュースは非常用の食料という意味もあるが、気を紛らわすという意味で娯楽に共通する。自分タバコは吸わないが、喫煙する方はタバコも用意しておくと良い。ただし、不測の事態に対応する為、飲酒は避けた方が良い。

モバイル関係やカメラ記録撮影や録音に使える。ただ、間違っても現在進行で危険なもの、炎上中の建物津波などを撮影してはいけない。そんなものを撮っている暇があったら逃げる事。

その他

人工透析酸素吸入、糖尿病などの慢性疾患、妊婦の方はかかりつけの医院がどうなっているのか確認しておく。かかりつけの医師が診察不能な場合は、保健所や近くの総合病院自治体の窓口などに相談すること。

スーパーガソリンスタンドはかなり混雑し行列となる。そういうところで並んでいるのを無視し割り込んだりすると無用なトラブルを引き起こす。実際、筆者が給油のためガソリンスタンド行列にならんだところ、何台かが無理やり割り込んでいたが、割り込んだ車両は全部店員によってつまみ出されていた。

水の節約トイレを我慢するために水を飲まないのは、血栓などのリスクをよぶので、水分はとること。

ある程度インフラが復旧してきても、交通物流の回復は更に時間がかかる。食料や燃料などは無駄いしないこと。また、電気や通信などのインフラも安定的提供には時間がかかるので、無駄いしないこと。

「何かしたい」と思って、古着千羽鶴自作小説を贈ったり、慌てて炊きだしボランティアに向かってはならない。邪魔になるだけだ。善意を形に変えたければ募金をするか献血をすれば良い。今回は災害の内容から献血はそれほど必要無さそうだが募金は最も有効な支援である。ただし、募金をする場合は信用できる組織・団体を介して行うこと。間違っても駅前の街頭募金などに小銭を入れてはならない。善意を装った詐欺や悪質な新興宗教などが関わっている可能性があるからだ。せっかくの善意被災者に届かない可能性がある。

特に注意しなければならないのは、国連ユニセフなどを騙った振り込め詐欺だ。国連ユニセフあなたの個人の電話メールアドレスに、募金を依頼することはない。絶対に相手にしないこと。

2011-03-12

電力回復した。備えは大事だね。

 電力回復した。ようやくネットにつながったし、テレビも見られるようになった。私の地域は一日以上の停電だけですだが、近隣では引き続き停電、断水になっているようだ。

 家に父の古いラジオがあってよかった。それがなければまるで情報が得られなかっただろう。懐中電灯や電池の蓄えに関しては十分ではなく、ランプが切れている懐中電灯もあった。

 電気がなくて困ったことは、暖房情報の取得、携帯などの充電ができないこと、給湯も電気制御なので使えなかったこと。うちは暖房はすべて電力に頼っていて、石油ストーブもあるにはあるが、肝心の燃料が手に入らず使えなかった。ガソリンスタンドなども閉店しているので。

 食料は緊急用の備えと常備してある分で5日間くらいはもっただろう。冬なので冷蔵庫が使えない分は屋外に出して保存を図ることができた。

2011-03-02

北海道東北北陸に住んでみての感想

北海道は雪による負担が少ない

東北北陸はまちが古いため道が狭くくねっており、でっかい除雪車が入りにくい。

(いや、富山空襲があったから開けていたかな?)

なので人が大変な思いをする。

北海道は道が広く計画的につくられているし、除雪融雪設備が良いため雪に困ることが無い。

パウダースノーのため、雪かきで腰壊すリスク比較的少ない。

北海道の雪はきれい

新潟の重い雪は雪かきで本当に腰壊すと思う。少量でもずっしり重くて泣きそうになる。

金沢の雪は、いつも溶けかけていて泥が混じっていて汚い。

融雪設備が常温の地下水のため、半端に溶けた雪が歩道を覆って、歩くたびにビチャビチャ言う。

そのビチャビチャの雪が学校指定靴から足に滲みてきて、冷たくて冷たくて痛いほどになる。

風も強いし、足も痛いしで、泣きながら学校から家までの道のりを歩いたことが数回ある。

「いたい…いたい…さむい…さむい…」これ以外のことが何も考えられないんだよね。

あらゆる高尚なことも痛覚には劣るんだなってことを、小学生ながらにこのとき強烈に感じた。

(この体験がその後の中二病化を予防したのかな?と思ってる。

 これを知らずに行けば典型的女子中二を発病して、全力で闇詩とか鬱詩とか書いてたくちだと思う。)

北海道暖房が充実している

北海道小学校は全部暖房が充実している。体育館まであたたかい。

東北北陸小学校暖房設備の充実度は、千葉東京神奈川などのさほど寒くないエリアと変わらない。

あまりあったまらない古いストーブがあるだけ。

太平洋側よりずっと寒いのに、設備は同じなので、ただ耐えるしかない。

全校集会の寒さといったら!

たい床におしりをついて、骨まで冷え切り、顔も唇も真っ白になるあの地獄!二度と味わいたくない!

北海道はやたらに全校集会を開いて体育座りをさせられ説教されること自体が少なかったし、

学校内はどこも暖かくて快適だった。

東北北陸気合いでなんとかさせようとしたのに対して、北海道は優しかった。

気合いとか言ってると子供が凍死するからかな。

 

東北北陸をぼろくそに言っているように思えるかもしれないけど、

その頃できた友達とは今も仲良くしてます

勤勉な子が多いと思う。将来のことも考えているし、すごくしっかりしている。

ゆとり世代とは言われるけど、あの子たちからゆとり感は全然しないよ。悲観的で勤勉だもの。

東北北陸の50代以上には憎悪しかいです。老害というとそいつらが浮かぶ。

マナー最低。悪い意味での田舎者。今すぐ死ね

北海道のお年寄りはまったりしていて面白い人が多かったので今でも好き。

年賀状をおくる関係が続いている人が一人居るくらいだし。

 

http://anond.hatelabo.jp/20110301141300

2010-12-25

むかし、貧しかったころ。

父親がやらかして、母親がどっかに消えて。

18歳の俺は底抜けにしかった。高校を出て、働き出して、同じような仲間二人とアパートシェアして暮らしていた。

友人たちも似たようなもので、「親の再婚相手に連れ子が三人いて家を追い出された」とか「親と同居して働くと生活保護が止まる」とかなんというか、貧民丸出しド底辺、どうしようもない状況だった。

からクリスマスになるといつも思い出す。あれはもう7年も前のクリスマスだ。こういう話にありがちなとおり、俺たちの金は底をついていた。挙句に俺は失業中だった。さらにいえば、三人ともここ暫くまともな職にありついていなかった。

雪国地方都市に住んでいた経験がある人間ならわかると思うけれど、こういう町にはフリーターが生きていくだけの余地が少ない。時給は600円前半だし、こう景気が悪くては日雇いのドカチンも限られる。唯一マトモな収入が得られる可能性はパチンコ屋の店員だけれど、町に4軒しかないパチンコ屋のアルバイトはいつも奪い合いだ。

思えば、あの頃はいつも腹が減っていた。コンビニアルバイトにありついていたときけが例外だった。大量の廃棄がいつも腹を満たしてくれていたあの時期は、本当に幸せだった。

三人合わせて210円。家賃はもう既に一ヶ月滞納していたし、灯油は1ccもなかった。寒くて寒くて仕方がなかった。俺たちの住んでいたアパートの向かいには焼肉屋があって、クリスマスの夜には肥えたクソガキが旨そうにカルビだのロースだのをつついていた。なのに、俺たちは210円でなんとか腹を満たして、仕事を探しに行かなければならなかった。

どうするか、と我々は話し合った。210円で三人、出来ればひとり600カロリーは摂りたい。どうすればいいか。我々は、セイコーマート小麦粉を買った。それを水で延ばしてフライパンで焼いた。塩をつけて齧った。食えたものじゃなかった。一人が空になったウスターソースボトルを見つけてきて、我々はそれに水を注いで搾り出した。うまかった。少なくとも、食えるものだった。町はクリスマスで、俺たちは焼肉屋を襲おうかと真剣に考えていた。でも、腹が一杯になればそんな気力も失せて、とにかく明日は朝から仕事を探す、出来れば三人のうち一人は廃棄の出るコンビニを見つけよう、と決めた。

あれから七年が経って、色々あって。

我々はそれぞれ、大学に通ったり就職したりして今はそれなりに暮らしている。社員寮でストーブを贅沢につけるクリスマスの夜に、なんとなくそんなことを思い出した。今となっては、俺はガス代をケチらないし、寒ければストーブをつける。蛇口をひねればお湯が出る。幸せなんだろうな、と思う。とにかく、なんか色々あったけど、俺は幸せだと思う。

そりゃあ、合わない仕事はしんどいし上司に怒鳴られる度にうんざりもするけれど。少なくとも、蛇口をひねればお湯が出るし、スイッチを押せば部屋中温まる。幸せだ、と思わなきゃいけない。だから俺はもっとがんばらなきゃならない、鬱になってる暇なんかない。俺は幸せなんだから仕事に行かなきゃいけない。頑張らなきゃいけない。

仲間に会いたい。また、焼いた小麦粉を水っぽいソースにつけて食いたい。もちろん、あの頃は決して幸せじゃなかったけれど。でも、少なくとも孤独じゃなかった。

2010-12-17

http://anond.hatelabo.jp/20101217232210

昔ながらの、電気が要らない石油ストーブお勧めやかんシュンシュン言わせて。(灯油代はかかるけど)

あと、やっぱコタツ最強。

2010-12-08

QK

休憩。

ってなわけで。

ああ、ああ、ああ、

楽しくねーな、どうしようもなく、つまんねーな。

こんな俺は存在しちゃだめだな。

なんてことない、ストーリーを創り上げるだけの物語

諸行無常の響あり。

ああ、眠い

くだらねぇって、つまんねぇって、

やることないって、こんな燃えカスたいな腐りきったコミュニティ

期待なんて元々できないんだって、

分かってるんだよ。分かってるんだよ。

せめて、もう少し分かりやすければなぁ。

ああ、嘘でもいいから本当と行ってくれ。

そして黙って死んでくれないか

こんなコト言えちゃう俺のほうが死ねって話だよね。

どうでもいいけど見学にイクんじゃなかったのかよ。

全くむかつくぜ。

何もカモに、腹が立つぜ。

カモにされてる気分だぜ。

いいカモだ。

はいはい、それでそれで?

でっていうwwwwwwwwwwwwwww

でってゅーwwwwwwwwwwwwww

ピロリロ菌に感染してしまってねぇ。

やっぱりミスチルスルメだったねぇ。

電気ストーブをつけると熱いねぇ。

つけないと寒いねぇ。

困ったもんだねぇこの押し問答。

なんでもドロップアウトすればいいって話じゃないよねぇ。

ワーキングホイップだよねぇ。

奇が気でならないよねぇ。

そろそろ限界が来るってな話なのでしょう。

砕け散れ、マイジャスティス!!

俺のキーボードカバーはもうぼろぼろだよ。

一体どれだけの時間を浪費すれば・・

いやなんでもないよ。もういいよ。くだらねぇ話にゃ付き合いたくもねーよ。

一致団結して押しつぶすよ。神よ、世界を見てくれよ。

見てくれだけの世界を、果てを見えない在り処を。

ワンピースの正体を。我慢できない後悔を。

2010-12-07

おっぱいストレンジワールド

奇妙な世界へ迷い込んだようです

地面蹴って、hozzyになるのさ。

何度でも、何度でも

いつも何度でも

大好きだッッ

頭が悪い。どうしようもなく、頭が悪い

よくないことが起こり始めている。

理解はドを越して広がり続ける。

闇に消えてったメロディがある。

はてな匿名ダイアリー。しゃべりまくっても届かない地平線上。

趣味の延長線上なだけに猛勉強

∩(*・∀・*)∩ファイト♪俺。負けるな俺。

頭がどうしようもなく悪い貴様ことなどおいといて。

ミスチルの新しいアルバムに耳を済ませるとでもしましょうか。

ロックンロールは止まらない。最高だ。

ぴゅーとくる。ジャガー

がっちゃんごっちょん。

どっちが速いかな、ブストスブストス

やっぱり楽しいな、世界面白いwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

how wonderfull world.どんだけすごいんだ。

あっちはレベルが低すぎる、こっちはレベルが高すぎる。

もうどっちにいったらいいのか(><; ) わかんないんです

首を縦に振ってるだけで一日が過ぎるぜええええええええええええええ

いらないぜ荷物なんて 何も持たないで飛び乗れえええええええええええええええええ

ロックンロールは生きている。最高だ。

ウサイン・ボルトにゃ敵わねぇ。アリスター・オーフレイムは優勝できるのか?

色んな情報が僕らを駆け巡るよ。悲しみも追い越してなおもその列車は走ってく

暗闇を追い越して風を追い越して

なんでもいいからやっちゃってー

待ちに待った365連休意味なんてないぜ。

ロックンロールは生きている。

答えに迷った時は、とりあえずそう呟いてりゃいい。

世界に正解などあるのか?

全く、困ったものです

諸行無常の響あり。

時代は移ろうのでございます。

ハッピーフレンドなのでございます。

ドビー可愛いかったのです

さぁ耳を済ましてごらん。

憧れを連れ回して今日もその列車は走っていく

事務所がどうの、本当にうざってぇな。

俺が君の気持ちを代弁するぜ。

ぜっていうwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

頭が悪い

どうしようもなく頭が悪い

くそわろちwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

ぜっていうwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

同じこと繰り返すの楽しいwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

やべぇwww赤ちゃんたいwwwwwwwww

赤ちゃん人間だ俺wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

baby baby ここにきて見えるでしょう私がーあああwwwwwwwwwwwwww

びっくりくりくりっくりー

どうでもいいけどこれ一体どこにいくのよ。

方向性が見えてこないよ。

電気ストーブ、付けると熱いが付けないと寒い

この微妙感覚を共有して僕たちは生きていくのですね。

俺達と同等に見るのはやめてもらおうか・・・手下にしてくれの間違いだろう?

ワンピース面白いよね。クロコダイルとか、ロックスターとか。

しかミスチルまったりしてるな。

fanfareはいい曲だけどね。それ以外がどうもぱっとしない。

それともスルメ曲なのかな。BANKBANDのテーマは大絶賛なんだけど。

ロックンロールは生きているって曲もいいね

いね。いいよ。いいね

僕はどこかにいくよ。

どこかにはいくよ。

げろげろわろち。ひっくり返す闇の記憶

素敵な自分に妥協など許さない。

そろそろここらへんで。

2010-11-30

http://anond.hatelabo.jp/20101130170645

あんま詳しくないのだが

輻射熱と対流熱の違いじゃないか

普通ストーブは輻射熱だから肌に直接暖かさを感じる。


しいやつ補足もとむ。

石炭ストーブとか石油ストーブあったかいってのは

直火のあったかさってこと?

しか石炭ストーブあったかかったな

エアコンはうすらさむい

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