2007-07-13

マザーコンプレックス

今まで二十数年間生きてきて、自分の頭がいいとは信じがたいのだけれども、自分がたどってきた道を弟がひどく苦労して通っているのを見て、もしかしたら自分は本当は頭がよかったんじゃないだろうかとようやく母の言葉を受け入れようかという気になった。

そもそも私は自分の頭をいいと思ってこなかった原因は母にあるのだけど、最近本当にようやく自分をなんとか絶対的な評価でみることができるようになったので書いてみる。

私は勉強が駄目で大嫌いだった。

学生時代、試験前も受験前もほとんど何もしていなかった。さすがに教科書ノートを見直したりはしていたけれど、それでも前日とかに慌ててやってたぐらい。中学のときはそれで試験はどうにかクラス内で上位にいたけど、普段の提出物とかかなりさぼっていたのでオールプラスアルファぐらいの内申点だった。それは公立に行くためにとにかく内申点が必要だったうちの地方で学区内のトップ校に行こうと思ったら当日点をかなり稼がなくてはならないレベルで、反対に学区二位の高校は内申点がそれだけあったら当日結構ぼろぼろでもなんとかなるレベルだった(うちの学区内の高校レベルが偏ってた)。偏差値は塾の模試なので低めに出てると思うけれどたしかどの教科もだいたい60台だった。行った高校は当時の偏差値64だったかな。いわゆる併願校で名を馳せていたところだったのだけど、その併願基準に達する内申点を持っていなかったので単願で受けた。滑り止めで受けたし、試験を受けたとき落ちた気がしなかったので、合格発表後に担任に報告したら「マジか!?」っていわれてむしろ驚いた。

まあ本命は落ちたんだけど。

で、その高校のときの偏差値は平均58ぐらい。本当に大嫌いで駄目だった英語は50弱ぐらいだったけれど、国語は60台後半からどうかすると70に手が届いてた。世界史とか生物はその二つの間ぐらい。大学偏差値は当時は58だったかな。

こんなふうに成績はね、いちおう平均よりもかなりいいほうだっていうのは自覚していたけど、自分が頭がいいなんてかけらも思っていなかった。勉強が大嫌いだったし、その嫌いっぷりに手を焼いた母に小五の夏にして中学受験の予定もなかったのに進学塾に放り込まれたし。

ちなみに、この進学塾行きに疑問を抱いたのも最近だった。私が言い出したら私立中学を受けさせる気満々だったらしいんだけど、反対に嫌がったらどんな手を使っても逃げるだろうと思っていたらしい。聞かされたときに否定はできなかった。

今思うと勉強が嫌いと言うよりも私は勉強と言うものをどういうものなのかがぜんぜんわかっていなかったんだと思う。

しなくても授業は理解できていたし、点も取れていたからする必要性を感じてこなかったから学習しなかった。塾でも授業聞いて理解できていたから、宿題とかその日行く前とかバスの中とか授業直前とかでやってた。

その反面、私の妹はとても努力をする人で、勉強が出来る人で、もちろん提出物なんかも抜かりなくてオール5をとる人だった。彼女クラスには同じような人がもう一人いて、通信簿が相対評価の頃にクラス内に許されていた2個の5を二人締めしていたという逸話が残っている。

学年で3つ離れているので妹のこの所業はただ単に「すごいな」と眺めていればよかったんだけど、かわいそうなのは弟だった。

弟もまた勉強が嫌いであったようだけど、私より遙かに努力する人で、勉強に費やす時間だって比べ物にならなかった。ただどうしたって弟は妹の成績はともかく、私の成績にすら追いつけなかった。弟には申し訳ないけれど、前述のとおり私が自分の頭が悪くなかったのかもと思うようになったのは弟の成績からだ。妹とは勉強量も成績も比べたら失礼だと思っていた。

じゃあそもそもの「私は頭が悪い」という思い込みがどこから来たのかと言うとこれははっきりしていて疑問の余地はない。

私の母である。

地方のトップ校から国立に進学し、父(私の祖父)がなくならなければ院に行っていただろうという人で、勉強することを苦にしない。学生時代も普段からきちんと勉学にいそしんでいたらしく試験前だろうがなんだろうが就寝は九時半で高成績を保っていたと聞いた。

ちいさな頃から私たち兄弟の勉強をまとめてみてくれていたのは母なのだが、私は小五で塾へとやられたのは母の能力的に面倒が見れなくなったからではなく、私があまりにも勉強を嫌がったためだ。はっきりいって私は国語分野で母に優れたことはない。大学受験時に古文で分からなくなったらとりあえず母に聞けば答えあるいは糸口が帰ってくる人で、当然ながら百人一首で勝てた事も無い。

だが、この人は自己評価がとても低い。ものすごく低い。かといって評価が厳しいわけじゃない。私は前述のとおり不真面目だったのでよく怒られたけれど、弟妹たちによるとむしろよくほめてくれる人であったらしい。たしかに大学受験のころ、偏差値40を切った英語にさすがに危機感を覚えて勉強してなんとか54ぐらいまでもって行ったときに「だからやれば出来るって言ったじゃない」って言われたことはよく覚えている。

だが当の本人は自覚がないらしい。現役を退いてXX年経っているにもかかわらず高校文系レベル国語英語数学普通に面倒を見る事が出来るような人は「すごい」のだと、言っても信じてもらえない。「これくらいは普通常識)」と言い張る。

だから私は、ずっと長い事自分も大きくなったら母のようにすべてを知っている大人になれるのだと根拠もなく信じていた。

母自身の資質がやたら高かった事に気づいたのは、自分が母のようには到底なれないのだと諦めきったあとのことだった。

しかし幼い頃からの絶対的な壁に対するコンプレックスはあまりにも深く根ざしていて、崩したり乗り越えたりしようと頑張りはじめてはいるのだけれど、なんかもう高さが果てしない。

「無理」とつぶやいて見なかったことにしたいけど、既に気づいてしまったものはもう視界からは消えないわけで、かといって友人たちに愚痴る勇気もなく(「実は私、頭よかったんだ」なんて言えない)、とりあえずすこしでも壁が崩せないかと長々と増田に書いてみた。

すこし長すぎた気もするけど反省はしていない。

「やれば出来る子なんだから」といわれてもね、おかーさん。あなたの「普通」は難しかったよ。勉強は今でも大嫌いだよ。英語なんか日常でもあまり見たくない。でも言う事を素直に聞いて勉強というもののやり方をきちんと把握していたら、大学中退せずに済んだかなとは思うんだ。

ごめんね。

  • 増田ほど偏差値はよくないけど、自分も理解が先に走りすぎて、勉強の仕方がわからなかったよ。 一度聞けばわかってしまうから、予習もしなければ復習もしない、宿題は当日朝にやる...

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