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2022-06-20

邦画がクソとか言われてたけどそういう人は

「峠 最後サムライ」を見てほしい。

時代劇だけど。

越後長岡藩河井継之助戊辰戦争新政府軍と戦う話。

一流の役者の一流の演技が見れる。

2020-10-26

anond:20201023231024

新潟県長岡市なら小林虎三郎だな。小泉純一郎が「米百俵精神でー!」なんつって一時期少しだけ話題にもなったけど。簡単に言えば米を食わず教育に回した人。他にも同郷には山本五十六河井継之助がいるけど、知名度と功績で言えば小林虎三郎が一番主題に合う。

2020-09-28

我が子をアホの子にするために

6歳の我が子の事だが、成長が早すぎる気がして心配してる。

6歳なのだが、何かと私のまねをしたがるものから、私の書架を漁って司馬遼太郎を読んでるし、私が勉強するときに一緒に勉強したがって既に連立方程式を解くことが出来る。

余りに理解が早いものから、悪いことでもないと面白がって教えてしまうのが良くないのだろうが、知的好奇心を飢えたまましておくのも・・・と思い暫くは知りたいことを知りたいまま教えていた。

勉強をあまり進めてもまずいと思いなおし、将棋を教えたところメキメキと力をつけて、私も既に二枚落ちでは手こずる様になってきた。

子供らしく動物博士かにでもなってほしいと思って、犬を飼い始めたが効果は乏しく、私のジョギングパートナーが出来ただけに終わっている。


困ってしまうのは同級生との関係だ。

そもそも河井継之助が学んでいたという陽明学和訳を読んでみたいから、図書館へ連れて行って欲しい」などと休日にねだるし、

バラエティーよりはドキュメンタリーを好んで見るような子供公立小学校同級生と会話なんぞ成立する訳がないし、

大人ですら手に余るほど将棋が出来る子が同級生将棋をやっていても楽しい筈もない。

なので、必然孤立しがちになるし、本人も同級生よりも大人相手に問答してる方が楽しいと感じていて、それを気にもしてない。

正直なところ、この子未来不安を感じてしまう。早熟はいいとばかりは言えない。

小学校に上がる頃には自分は人と違うと自覚していた私よりも余程に成長がはやいのは問題がある。



親としては、子供らしくサッカー野球でもやって、泥まみれになって帰ってきてほしいんだが、

バットサッカーシューズよりも、中学数学参考書が欲しいという子なので困るのだ。

将来の事を思って子供の間は外に連れて行かねばと思って、サッカーに誘ったり、山登りキャンプなどに連れ出したりしてるんだが

私自身がインドア派で家で勉強でもしてる方が楽しい人間から、親が好きでもないものは、なかなか子供には浸透しないものだ。

近頃はTVゲームなんかをかなり用意して、友達を家に連れてこいと言って同年代友達でも出来ないものかと期待してる。

私も9歳くらいになると友達サッカーをすることが他の何よりも楽しくなっていたので、我が子にもそうなってほしいのだ。

スポーツをすれば自分には出来ない事、上手くいかない事、自分けが凄くても勝てない事の連続で、多くの事を学んでくれる。

大学受験の時期が来れば、この子も、どの大学だろうが志望校に入る位は苦も無く出来るとは思うし、今は勉強は全く大事ではない。

あと7,8年くらいは勉強なんかしないで、TVゲームで遊んでばかりで、悪戯でもしては大人に怒られまくる位でいいし、

中学生になれば彼女でも作って、どうすれば彼女キスできるか知恵を絞る位でいいのだが、

子供というものは、なかなか親が思うようには育ってくれないものだ。

妻は、アホの子なんてとんでもない、今のままでいいなんて呑気な事をいっているが、私は非常に心配だ。

私の父も同じような心配をしていたのだろうか・・・と考えると、なんとも楽しい気分にはなるんだが、笑ってばかりもいられない。


追記

ブクマが大量についてて驚きました。

ギフテッド教育お受験は当然のこと選択肢にはあったけど、夫婦で話し合い特別なことをあえてしない事にしました。

そこには当然、良し悪しはあれども親である私の経験からくるものもあります

私自身、大学に行くと決めるまでは1分も学校勉強にいそしんだ事はないけれど

「色はなぜ見える?」「鳥や飛行機はなぜ飛べる?」

といった好奇心を満たすための書籍漁りや、それを読むために必要勉強は幼少期から嫌わなかったというのもあります

一方で水泳教室やら書道に通わされて、自分が上手く出来ない事が悔しいという思いをしたことも今となれば有難かった。

大学受験程度であれば、苦労なんてする必要もないし、また彼は苦労はしないでしょう。

それよりは普通学校で色んなタイプ友達出会い海外旅行へ行って見聞を広めたり、友達キャンプへ行ったり、サッカーやったり

恋愛したりで人としての裾野を広げて欲しいのが我が家教育方針です。

英語をやりたいと言えば教えてやりますし、読みたい本があるなら何でも手に入れます

好奇心が赴くままに頭を使う事を止める子ではないし、親も興味や好奇心に蓋をするつもりはないのでご安心を。

2018-10-11

anond:20181010164531

あと言及群で触れられていない点では、

ご丁寧にも、敵味方に弾切れをお知らせしやがる銃、というものがありました。WW2に米が使用していたM-1ライフルです。

これは、弾が切れると弾を入れるための金属容器を銃が機械的にはじき出し、この際に特徴的な金属音を立てるので彼我共に弾切れが起きたことがわかってしまう、という特性がありました。

いくつかの創作(例を挙げるなら、NHKの咬んだ日豪合作映画最後弾丸」。あと松本零士戦場漫画シリーズにあった気がする)でこれが弾切れを知らすサインとして使用されています

ごく少数ですが、外部動力によって駆動する銃、というものはあります

例えば初期のガトリングガン日本では維新動乱の時に河井継之助がつかまされたことで有名)。これは人力です。

現在でも米系のガトリングや、大口機関砲の一部は外部電源で駆動されます。ただし、これらはヘリを含む航空機用のシステムで、人が手持ちで扱うような代物でもなく、そのためバッテリー切れの心配などというモノはありません。

とここまで書いて、バッテリー駆動拳銃を一個だけ思い出しました。「H&K P11」という奴です。ググれ。かなり特殊な部類ですが、水中用のダーツを射出する拳銃で、信管電気的に激発させるためにバッテリーを使うという代物です。が、この銃は再装填すらメーカーに一旦送りなおしてやるような代物で、使用中にバッテリーを入れ替えるような仕様ではありません。ま、銃版の「写ルンです」だと思えば。

まあ、ほとんど補遺のような内容ですが、重要なことはこれでしょうか。

ヤフー知恵遅れでやれクソ雑魚ナメクジ

2009-02-13

書評: 中村彰彦・山内昌之黒船以降 政治家官僚の条件』(中公文庫

 あまりに面白いので休日に半日を費やして読了した。

単に幕末維新の歴史の知識だけなら、百科事典講釈師のような物知りも沢山いるが、この対談は人物評が現代的で、政治家として官僚としての力量を問う通信簿的な作業でもあり、ことごとくがリアリスティックなのである。

 しかも幕末維新を、本筋を外さないで不思議な逸話で溢れさせ、しかし歴史観の骨髄をしっかり守っている。

 経済視野から薩長会津を比較してみると、京都守護職を越前松平春嶽から押しつけられた会津松平容保は、財政的艱難辛苦に耐えなければならず、藩士1000名の京と駐留経費の捻出は並大抵ではなかった。京都島原遊郭で遊ぶカネがなく、だから会津武士京都人から嫌われ、薩長はすかれた。

なぜか。長州竹島経由で、薩摩沖縄を梃子に「密輸」をやっていて資金が潤沢、最新鋭の軍艦鉄砲も買えた。中村彰彦によれば加賀前田藩も日本海の北と密貿易を展開した銭屋五兵衛を黙認した形跡があるという。

密輸で設けた諸藩の志士らは、経費をちょろまかして島原で遊興もできた。

 本書で両人からコテンパンな酷評を受ける一つは御三家のなかでもイデオロギーの強い水戸藩、天下の副将軍勝手に僭称した水戸光圀は、伝説では「名君」だが、じつはとんでもない御仁だった。

水戸学が、やがて水戸藩を分裂させ、悲惨な内訌が天狗党の悲劇を生んだが、じつはその後も明治三年まで復讐劇が続き、難を逃れて群馬栃木あたりに逃げ、その末裔現在もいるという後日談も、なんだか、西南戦争に負けた西郷軍のうちの1500名ほどが台湾へ逃れ、現地民に同化したという歴史の裏面の話に通じる。

結局、水戸藩の“正義”の史観徳川幕府を毀した。

 

本書は、薩摩長州歴史意識政治構造科学天文学への心構え、軍事思想など似ているようで全く異なることを、これまた目から鱗のように別の視点からえぐり出している。

たとえば坂本龍馬が斡旋した薩長同盟の基軸の発想は公武合体の実現だった。

山内教授は「オーストリアハンガリー二重帝国」の例があるように、天皇を頂き、徳川薩長が二分するアイディア存在を告げる。

イギリスオールコックなどの歴史観世界の情勢から、倒幕に踏み切っていくプロセス西郷大久保坂本邪魔になったという闇の部分にも光を当てる。これは中村がまだ直木賞受賞前にかいた『龍馬伝説を追う』(世界文化社)にも詳しい。

また榎本武陽の「蝦夷共和国」構想も、じつはハプスブルグ家の「オーストリアハンガリー二重帝国」が発想にあった、と示唆する。

 脱線ながら、評者(宮崎)が鹿児島指宿の「伝承館」でみたパリ万博記録展示の或る部分に驚いた。パリ万博薩摩徳川幕府が出展した。薩摩焼など、パリジャンの度肝を抜いた。ともにそれぞれの勲章をつくった。

 薩摩は「薩摩琉球国」として勲章をだした。つまり独立国として、国際社会にアピールしていたわけである。

 もう一人、こっぴどく批判されているのは福沢諭吉だ。

福沢が欧米派遣のおりに経費を誤魔化して図書を買いあげたが、それは小学生程度の英語の本が多く、小栗上野介は「あの男の選択眼は節穴、語学能力はその程度だ」と評した逸話は有名だろう。

福沢は本来なら切腹ものだが、ばれて詮議にかかろうとしたとき徳川幕府が瓦解した。

他方では講釈やら近年の小説の裁き方や世評はともかくも、食えなくなった旧幕臣らの面倒をよくみた勝海舟と榎本武陽への評価が高い。

 

 さて表題も示唆する「黒船来航以後」の話であるが、アメリカロシア日本にとって最初の接触だったのは、幕末の混乱期における日本にとって僥倖であり、もし英仏のような『ならず者国家』が日本に先に乗り込んできたらどうなっていたか。

 シナにしかけたアヘン戦争のような略奪と、国内分裂は防げなかったのではないか。幕府フランス薩摩英国に頼ったが、本気で内戦にのめり込んでいったら、日本は良いように利用されたあげくに英仏の植民地化されていた恐れがあった。

 しかし幕末徳川幕府をさしおいて薩長が最新鋭の武器を大量に買えたのも、その先見性や薩英戦争、馬関戦争敗北の体験から軍事知識と実践があり、おりしも南北戦争が終わって大量の武器をもてあましたアメリカから大量に買い付ける。

 市場開拓を狙うドイツ人武器商人だったスネル兄弟は河井継之助長岡藩にガットリング銃を売りつけたが、会津に強力にテコ入れし、最後は榎本軍に従って函館戦争をともに戦った。

 ドイツはむろん、英仏米露の隙間を狙って日本での武器外交が主眼だった。

 しかし幕府敗戦により、スネルは代金を回収できず、兄はやがて会津武士団の食い詰め組を率いてカリフォルニアに移住したり、弟は御維新後、浅草落語を聞いていたとか。脱線する逸話もまた本質に付随した、人間の描写なのである。

 それにしても幕末維新を縦横に語る中村彰彦は歴史作家だから回天の内幕に詳しいのは当然にしても、なぜイスラム中世専門家である山内昌之が、ときに中村を唸らせるほど幕末日本精通しているのだろう。

 もう一つ不思議に思ってきたことがある。山内昌之教授は、『世界』と『諸君』の両方に論文を書く器用な論客でもあり、保守なのか旧左翼なのか、いまもよく分からないところがある。

 山内がいみじくも「後書き」に書いている。

国際会議で、オスマントルコ帝国解体過程やイスラム政治歴史と、日本近世近代との比較をよく問われる。国際的要請でもある。まして日本史を知らずして世界史を語れる筈があろうか、と。

 最後節あたりの日露戦争から大東亜戦争に至る山内の歴史講釈には、ちょっと首肯できない史観部分があるが、山内教授主観だから、その部分は聞かないことにする。

 
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