はてなキーワード: Falseとは
日本社会には「良いものを安く売ることが良いことだ」ということを美徳だと感じている人たちが多いと思う。
しかし良いものを安く売ることは、その良さを減じている。良いものとは高いのである。良質なものは珍しいことが多く、手に入らないから高いのだ。
良いものを作り安く売ることで、作り手には何が入るのか。名誉である。
良いものを安く売ることで「あの人はいい人だ」「できた人だ」「立派な人だ」という称賛を浴びることができる。
逆に、買い手はその安さのかわりに称賛を売っているのだ。
もし良いものが価格に十分見合ったものだったらどうだろう。買い手は「こんなものか」「そういうものだろう」「なぜ感謝しなければならない」「正当な対価である」と感じるのだ。称賛などしない。
「良いものなのに安くする」というのは、自信の無さの裏返しである。高い値をつけたときの罵倒に耐えきれないから、その自信の無さが値段に出るのだ。
「でもみんなに提供するためにこんな低価格でやっているんです」と言えばみな納得する。「そんなに安いならしょうがない」「こんなに安いのにうまい」「こんなに安いのに高品質だ」という評価になる。
その頑張り、その苦心がいっとう評価される。買い手は安くものが手に入って満足する。素晴らしく理想的な物語である。
しかし良いものとは高くなるべきなのである。本来もっと価値があってしかるべきである。そういう売り手と買い手だけが存在する一商品のクローズドな市場ではなく、世の中には別の市場もある。世界とは魑魅魍魎が跋扈する極めて不安定な世界であり、小さなクローズドな世界とは性質が完全に異なる。その別の市場での価値からだいたいいくらぐらいになるのかを知っているのが転売ヤーである。
転売ヤーは基本的に悪である。買い手からすれば、「手に入るハズだったものが、欲しくもないヤツに目の前でとりあげられて、ニヤニヤされるムカつき」を味あわされる。
そうして「どうせ手に入らないなら手にした者が破滅すればよい」というルサンチマン・すっぱい葡萄の合理化から、転売ヤーが敵視される。
これは自然な感情であるので、転売ヤーを擁護することはしない。転売ヤーは大人しく罵倒を受けていればよい。
売り手からしても、転売ヤーは名誉をかっさらうモンスターである。自分には人徳があり、美徳を重んじたために、その対価として名誉を得られるはずだったのに、転売ヤーは購入しても売り手に称賛など送らない。したがって売り手も転売ヤーを敵視する。顧客が高い金を払って転売ヤーから買った場合、顧客は称賛など一切しないからだ。
これも自然な感情であるので、転売ヤーを擁護することはしない。転売ヤーは大人しく罵倒を受けていればよい。
そう。悪いのはすべて転売ヤーである。転売ヤーは徹底的に悪である。
しかしその罵倒のメカニズムもまた、市場経済に組み込まれている。転売ヤーは、罵倒されることで、金銭的な利益を得ている。
一方で売り手も買い手も、適正な価格というものを理解していない。売れるならば、それで手に入るユーザーが少なくなっても高くしなければならない。それが適正価格だからだ。
この適正価格では、名誉の売買などされず、感謝はない。単なる正当で公平な取引である。もちろん「価格以上のものを売る」というピュアな精神自体は素晴らしいものであり、経済を推進させるために重要なものだ。
買い手の「高くて買えない」「高いなら買わない」という思想は、資本主義を悪とみなし、みんなが平等に貧しくなろうとする清貧な思想につながる。
結局のところ「そこまでして欲しくはない」のだ。「そんなに高いのならいらない」のだ。適正価格よりも安くすることで、本来手にとれないはずだったユーザーにまで裾野を広げ、そして人気と称賛を得る。
安いのだから、責任は負いたくない。どこまでいっても、最後の最後で「だって、こんなに安いのだからしょうがないじゃないか」という言い訳を作ることができる。
だから成長しない。
適正価格よりも安くすることで、従業員の給料なども安くなる。取引先にも「安さ」の圧力をかけ、よりものを安く安くと要求する。「いいものを安く」とは聞こえがいいが、「安くなければまともに買ってもらえない」「安くなければ称賛などされず対等だと思われてしまう」ことを知っている。
「高いけど買う」「買うために稼ぐ」「ほしいものを手に入れるために戦う」という思考にならなければならぬのだ。
日本はこの「名誉」とその逆である「恥」を子ども時代から徹底的に教育されている。「嫌われること」「排除されること」「村八分にされること」を必死で恐れている。
現代日本で起こっていることは、名誉の価格が下落しているということだ。名など腹の足しにならず、名を取っていると死ぬときが来たのだ。しかも、名のため他人のためにどれだけ自己犠牲を払っても、他人はそれに見合った称賛をくれはしない。名を贈る余裕がなくなった。いよいよそれが耐えきれなくなったときに日本人の感情は爆発する。「実ばかりだけでなく、名も無いぞ」と。
誉や称賛を重視して、良い人であろうと、純粋であろうと、潔癖であろうと、善良であろうとするから、転売ヤーを敵視するのだ。実際には血塗れで強欲で禍々しいはずなのに。
実際には、転売ヤーだけが悪なのではない。売り手も買い手も悪なのだ。その悪を直視せず、小さな世界だけで完結しようとして、己と異質の黒船民族を排除しようとするのは、尊王攘夷と何が違うのか。江戸はもう終わったぞ。
いい加減「いいものを安く」はやめろ。良いものは高いのだ。高くしろ。プロであるならば。感謝や称賛など求めるな。
ダンピングしてお手軽に名誉を獲得しようとする輩は、徹底的に糾弾し、より合理的・徹底的に搾取しなければならない。それが全体のためにふさわしい。
this is completely false for AWD cars, I don't get why it gets repeated so much.
Ideally you want all 4 wheels to have the same amount of weight over them in an AWD launch, this way each wheel puts power down optimally. Since weight shifts towards the back during acceleration, this means that the ideal weight distribution for launching is somewhat to the front.
The RS3 is a good example of this effect in action, it launches well despite having a meh Haldex-like AWD system. The Hellcat on a prepped surface is another, despite being RWD.
Since the Turbo S is the opposite, it compensates by having way wider rear tyres compared to the front ones (255 front, 315 rear).
So actually the 911 launches well DESPITE the fact that it's rear-heavy, not because of it. It just modulates its power way better than the competition.
The 911's setup instead makes it brake so well, since the same principle as above applies just in the opposite direction.
「これはAWD車にとっては完全に間違いだ。なぜこのような誤解が繰り返されるのか理解できない。
AWDの発進では、4輪すべてに同じ重さがかかるのが理想的で、そうすることで各輪が最適にパワーを発揮する。加速時に重量が後ろに移動するため、発進時の理想的な重量配分はややフロント寄りになる。
RS3はこの効果の良い例で、ハルデックスのようなAWDシステムを搭載しているにもかかわらず、うまく発進する。整地された路面でのヘルキャットも、FRにもかかわらずそうだ。
ターボSはその逆であるため、フロントタイヤに比べてリアタイヤをかなりワイド(フロント255、リア315)にすることで埋め合わせをしている。
つまり、911はリアヘビー「であるにもかかわらず」発進がいいのであって、リアヘビーだから発進がいいのではない。911は競争相手よりもパワーをはるかにうまく伝えている。
蜘蛛の糸を喩えとみなせば、そのような一般的な言い分を認める人たちは、2派に分かれる。一派は、「ナチスは実は良いこともしていたじゃないか」として、絶対悪の淵から救い出そうとする勢力だ。これがおそらくそのような主張をする人たちの大半であろうと思われる。だから、それらの一派は蜘蛛の糸を絶対に切ったりはしない。たとえばそれらの良いことの実例の一つや二つ否定されたからと言って、それらの人たちは次から次へと蜘蛛の糸を垂らしてナチスを救い上げようとするのである。
もう一派は、蜘蛛の糸の話そのもの、みたいなものだ。良いことをしていたかもしれないことは認めるが、ホロコーストなどの悪行のせいで絶対悪の淵からは救い出せぬ、とするのである。まるでその人達は、天上界のお釈迦さまそのもののようでもある。
例えば「絶対悪の淵とやらから救い出すべきかどうかなど天上界のお釈迦さまでもない人間には判断しようもないが、それはそれとして良いことの一つや二つくらいはしていたかもしれない」いう立場だってありますよね
誤った二分法(あやまったにぶんほう、英: false dichotomy)、選択の限定あるいは誤ったジレンマ(英: false dilemma)は非論理的誤謬の一種であり、実際には他にも選択肢があるのに、二つの選択肢だけしか考慮しない状況を指す。
住居表示の正規化が話題になっていたが、住居表示の正規化は不可能である。
まずデタラメに書く人がいるということが重要な点である。これはどうやっても防げないものだ。デタラメさ加減にも許容範囲はあろうが、この許容範囲そのものも各要件によっては曖昧なものである。
問題は、そのデタラメに書かれたものや、虚無的な例外までも救おうとする態度にある。我々はとかくすべてを100%完全にやろうとしがちであり、ここについてコスト意識を持って考えない。
しかしながら、7〜8割ほどうまくいくルールというのは示せるはずであろう。そうしたルールを公開し、「このルール・規格に沿った自治体は恩恵が大きい。そうでなければ各自プラグインなどを作って頑張って。OSSもあればなお可」というようにすればよい。
要はシステムを作る側が地方自治体に配慮し過ぎなのであり、「住所正規化に携わる人間・組織は、名寄せ困難な地方自治体よりも格下」というような位置付けに現状なっている。これでは正規化は原理的に不可能ではないか?AIを使おうが無理であろう。
無限に例外があるならば、「その無限の例外を切る」という態度が非常に重要であるはずだ。だいたい、無限に例外があるのならば正規化もクソもない。正規なものなど何もないのだ。星の数ほどある例外まで気にしていたら、金がいくらあっても足りない。経験者たちが、バラエティに富んだ無限の例外の1つ1つについての苦労話を次世代に引き継ぐ語り部になっているだけではないか?
これではまるで、多種多様な契約の非正規雇用をパートナー社員と呼んで、全員を「正規の社員です」と言っているようなものである。
こうした「例外を切る」という態度について「酷い」という意見もあるかもしれないが、コストパフォーマンスで見れば、切らない方がコストが増えてかえって酷いのである。こうした事象はFalse Economyなどと言われる。嫌われる勇気を持てないのだ。
実際に例外を切っていけば「住居表示の正規化ができない地方自治体は滅びる」というような状態になってしまうであろう。だから、そちらを逆に支援すればよいのだ。支援すればよい、というよりも支援しなければならない。これこそが進歩であり前進である。
ただしこれは楽観的な論であり、住居表示の正規化のために地方自治体を無視するような法律を作ることは現状ではかなり困難であろう。各自治体住民からの反対運動が起きかねないし、必ず当地の議員からの反発が予想される。
つまりシステム開発側が、小金ごときでおもねるのではなく明確に「ノー」と言わなければならないのである。それを「へへぇっ〜!お金様ですかいっ!」と平伏して、日本各地で勇猛果敢なインパール作戦に突貫しているのが現実ではないのか??
そういう構造を評して「住居表示の正規化程度の問題」と無知な人から言われている。要は軽んじられており、気にも留められていない。「俺たちの方が賢いぞ」と思われているのだ。開発者が不可触民だった時代はすでに終焉を迎えているにもかかわらずだ。
ほう、政府とはそんなパワーすらない存在なのか?と思われている。鶴の一言でやればよいではないか?と思われている。
しかしそんな政府に我々の生活をなんとかしてくれと国民は言う。未だにそういう臣民体制の社会なのである。政府は弱いし、国民も弱いし、俺もお前も弱いのだ。経済がそれを示している。
AIさまがなんとかしてくれるというのは、単なるドラえもん待ちの空想ではないのか?
AIは、残念なことに不思議なポッケで夢を叶えてくれるドラえもんではない。したがって我々のび太くんが変わらなければならないのだ。のび太くんだけで住居表示の正規化をなんとかしなければならないのだ。
https://qiita.com/saetegaljewp/items/60a3580d8f08a53679c6
センスのあるなしではなく、
誤って語っていることを、誤りだと指摘されているだけです。
存在措定が問題になるのは「会話の含意」「伝統的論理学」の文脈においてであって、
現代の論理学、数理論理学においては、存在措定は問題になりません。
伝統的論理学の三段論法を説明します。(以下の例は存在措定してる例)
1.すべてのSはMである
2.すべてのPはSである
3.あるPはMである
このとき、Pであるような何かが存在しない限り、1と2から3を導くことができません。
したがって伝統的論理学は隠れた前提として「存在措定」が成されている、と指摘されているわけです。
だからこそ、空集合を前提しても、命題が真であることを帰結できるのです。
そして、ここでセンス云々問われている問題が前提している論理の体系は、現代論理学であって、伝統的論理学ではありません。
なので、存在措定の話はしないでください。
それは伝統的論理学の文脈の話であって、もともとの話が前提してる数理論理学とは直接的関係を持たない話題です。
しかし、命題にはP(x)に対する前提が隠蔽されており、この「P(x)なものが存在する」という隠れた前提(これを存在措定と言います)を勝手に補って読んでいるのです。
存在措定してるのは、「前件が空集合ならfalseが返されるべきだ」と主張してる側であることを理解してください。
なぜなら、「存在していないものに命題Pを適用できないはずだ」という主張は、まさに、「集合に対する存在の措定」を前提しているからです。
trueを返すべきと主張する側は、そのような「集合に対する存在措定」を前提していないからこそ、trueが返るべきだという話をしています。
また、プログラミングにおいては、論理の体系を自然言語に近づけるべきだとは、(私は)考えません。
そして、自然言語のあいまいさを排除すれば、「AならばB」という文の意味は論理包含となります。
Sub CheckForGarbledCharacters()
Dim rng As Range
Dim i As Integer
Dim garbledFound As Boolean
Dim unicodeVal As Long
garbledFound = False
' すべてのワークシートをチェックします。
For Each ws In ThisWorkbook.Worksheets
For Each cell In rng
If Not ((32 <= unicodeVal And unicodeVal <= 126) Or (12353 <= unicodeVal And unicodeVal <= 12447) Or (12448 <= unicodeVal And unicodeVal <= 12543) Or (65382 <= unicodeVal And unicodeVal <= 65439) Or (19968 <= unicodeVal And unicodeVal <= 40959)) Then
MsgBox "文字化けが見つかりました: " & vbCrLf & _
"ワークシート: " & ws.Name & vbCrLf & _
"セル: " & cell.Address & vbCrLf & _
"セルの値: " & cell.Value & vbCrLf & _
"文字化けしている文字: " & char, vbExclamation
garbledFound = True
Exit For
End If
Next i
' 文字化けが見つかった場合、次のワークシートへ移動します。
If garbledFound Then Exit For
If garbledFound Then Exit For
If Not garbledFound Then
MsgBox "文字化けが見つかりませんでした。", vbInformation
End If
End Sub
[{adjustment: false, retsuBng: null, usF: null, point_x: 0, point_y: 0, main: null, sub: null},…]
:
{adjustment: false, retsuBng: null, usF: null, point_x: 0, point_y: 0, main: null, sub: null}
1
:
{adjustment: false, retsuBng: "250", usF: 1, point_x: 822, point_y: 93,…}
adjustment
:
:
point_x
:
822
point_y
:
93
retsuBng
:
"250"
:
usF
:
1
2
:
{adjustment: false, retsuBng: "252", usF: 1, point_x: 483, point_y: 320,…}
adjustment
:
:
{no: "1502", type: "1000"}
point_x
:
483
point_y
:
320
retsuBng
:
"252"
:
usF
:
1
3
:
{adjustment: false, retsuBng: "253", usF: 0, point_x: 753, point_y: -20,…}
adjustment
:
:
point_x
:
753
point_y
:
retsuBng
:
"253"
:
usF
:
4
:
{adjustment: false, retsuBng: "255", usF: 0, point_x: 79, point_y: -20, main: {no: "10", type: "10"},…}
adjustment
:
:
point_x
:
79
point_y
:
retsuBng
:
"255"
:
{no: "21", type: "20"}
usF
:
5
:
{adjustment: false, retsuBng: "254", usF: 1, point_x: 1158, point_y: 320, main: {no: "22", type: "20"},…}
adjustment
:
:
{no: "22", type: "20"}
point_x
:
1158
point_y
:
320
retsuBng
:
"254"
:
{no: "501", type: "500"}
usF
:
1
6
:
{adjustment: false, retsuBng: "251", usF: 0, point_x: 483, point_y: 212,…}
adjustment
:
:
{no: "305", type: "300"}
point_x
:
483
point_y
:
212
retsuBng
:
"251"
:
{no: "502", type: "500"}
usF
:
取得できたデータがリンゴ5個、バナナ3個、コップが1個だったとする
このときにapple: 5, banana: 3, cup: 1というデータを作るのはいいのだが
フルーツがある場合のフラグとしてfruits: trueを追加するようなデータ設計をする人がめちゃくちゃ多い
apple: 5, banana: 3であることとfruits: trueであることは同義なのでこういうことはやってはいけない
誰かがソースを書き換えてfruits: falseにするかもしれない
もしくはappleもbananaも無いのにfruits: trueのままになってるかもしれない
apple: { type: fruits, num: 5 } っていうのはOKなんだけど
単純にfruits: trueは絶対ダメっていうのを全然理解しくれない
悪いけどそういう人はもう退場してください
プログラミングを一通り教えても
って言って作れない人が多い
ということに気付かない人が非常に多い
何を言っているか分からないかもしれないが本当にこれを理解してくれない人が多い
「閏年は4で割り切れるんだよ」と「yearを4で割った余りが0になると閏年」には非常に大きな壁があると思っていい
そしてこのハードルを越えても
「4で割り切れる年は閏年ですが100で割り切れると平年です。ただし400で割り切れると閏年です」
仮に乗り越えたという人が現れても
if ( year % 4 == 0) { if ( year % 100 == 0) { if ( year % 400 == 0) { return true; } else { return false; } } else { return true; } else { return false; }
ちゃんと整理すれば
if ( year % 400 == 0) return true; if ( year % 100 == 0) return false; if ( year % 4 == 0) return true; return false;
と、これだけで書けるというのが分かる
これは実は引っ掛け問題になっている
最初に「4で割り切れると閏年」というところから設問が始まってるので、その通りに実装するとあっという間にスパゲティになる
「要するに400で割り切れたらとりあえず閏年なんだな」
ということに気付けるかどうかが真の課題で、実際に業務でコードを書くときもその手の整理が非常に重要になる
顧客や課題やバグをそのまま受け取ってそのまま修正しようとすると一生直らないか非常に苦労する
この事象は要するにどういうことか、というのをベン図なり状態遷移図なりで整理するところが重要でコーディングはそれを実現するテクニックにすぎない
情報系を出ていない新入社員は知らないだけの可能性があるので教えれば使い物になる可能性もあるが
そうなんだ。
ちょっと調べたわ。
If MultiSelect is True, the return value is an array of the selected file names (even if only one file name is selected). Returns False if the user cancels the dialog box.
https://learn.microsoft.com/en-us/office/vba/api/excel.application.getopenfilename