2013-05-23

障害者問題が揉める理由

障害者普通に生活するためには、スロープが必要だったり、点字ブロック必要だったりのコストがかかる。

コストがかかるからやらないではなくて、やる必要はあるのだけどそのコストを誰がどれだけ負担すべきなのかというあたりが揉めやすくて炎上する。

障害者側が一切のコスト負担すべきではないという考えの人がいて、そういう人は、車椅子で行くという電話連絡でさえ拒否する。

連絡なんかしなくていい社会理想的だと考えている。

問題は、店側がコスト負担した場合と、障害者側がコスト負担した場合コストの大きさが違うこと。

障害者は一切のコスト負担しない、店側がコスト負担するということは、予約者全員に車椅子で来ますか?アレルギーはありますか?目は見えますか?日本語は読めますか?宗教上の理由で食べられないものはありますか????などなど聴くべきことが多くなりすぎて、コストが膨大になる。一方で、障害者側が自主的に連絡するならコストは小さい。

このコスト非対称性無視して一切のコスト負担を拒否する姿勢が例のなんとか武さんの問題で顕になった、障害者ならびに障害者の支援者の嫌われる側面なのだなのだ。それは別に差別ではないし侮辱でもないし尊厳を傷つけるなんてものでもない。

障害者負担するコストが最小限になることを目標にするのではなく、全体のコストが最小になるようにすることを目標にすべきと考えるのだが増田に書いてもきっとなんのリアクションもなくて悲しい。フォロワー60万人くらいほしい。

追記:

http://anond.hatelabo.jp/20130526115410

こういう本質的には同じ論法を使う人って、定量的な考え方ってできなさそうでピン!と来ない。

回りまわって【年間所得800万以下の低所得者】も

障害者と同じような、もしくはそれ以下の待遇を受けてしまう。

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