はてなキーワード: ペドフィリアとは
https://twitter.com/ogi_fuji_npo/status/1697482299422699711
あるいは、「LGBT運動と一緒にはしないでくださいね。私たちは、性行為を合法的にやらせろとか、自分たちを子どもとして扱ってくれとか言ってるわけじゃないので。そもそもの前提が違うので、まったく関係ないです」と主張して頂くべき局面なんじゃないかねぇ。それがお互いのためでしょ。
実際、こういう風に思ってるペドフィリアの人は多そうだなぁと思う。
単に「差別はダメ!」というだけの雑な言及じゃ、それこそ真面目なペドフィリアの人が一番「適当なこと言うな」って思ってるかもね。
トランスアライ達のペドフィリア差別に反対しますに乗っかって同調して凍結されたみたいだけど、アンフェオタクどもがトランスアライになったら女を叩けるぞー!!って乗っかってウェイウェイしてたの、どれくらいペドフィリア差別反対で凍結食らったんだろ。
活動家が頑張ったことである程度市民権を得るところまで来てマジョリティ認定されたら、馬鹿な裾野の一般人が自分たち以外のマイノリティを差別して排斥するの、とても人間臭くて良い。
こういう人って、内心と行動を分離できない、建前と本音を分離できずに差別を口にするような人間だから他人も信用ならないんだろうなぁ。
ペドフィリアが犯罪者予備軍だって言うのは別に結構だけど、その言説はゲイは犯罪者予備軍だ、日本のニュース見てないの?っていうのとほとんど変わんないポジショントークなのに気が付かないのほんと怖い。
まじで日本の活動家さんたちは、それが後ろから銃弾浴びせてるようなもんだって自覚を促したらどうかね。LGBTは私刑で殺されても問題にされない国だって未だにあるし、それこそロシアではLGBTはいまだに精神病扱いだし、まだ戦いは終わってないんだから。
ジェン・アイザクソン「フーコーからサンフランシスコへ――クィア理論の不変のルーツ」
https://appinternational.org/2021/09/10/izaakson_from-foucault-to-san-francisco/
本稿は、イギリスのラディカル・フェミニストでマルクス主義者でもあるジェン・アイザクソンさんが、彼女の主催するサイト「On the Woman Question」に掲載された論文の全訳です。著者の許可を得て、ここに掲載します。クィア理論が本質的にペドフィリアを肯定するものであり、欧米左翼とアカデミズムがクイア理論によって蝕まれ、それがいかに政治的に危険であるかが明らかにされています。
クィア理論の成立を画するのは、ゲイル・ルービンが1984年に発表した「性を考える――性の政治学のラディカルな理論のための覚書(Thinking Sex: Notes For A Radical Theory of the Politics of Sexuality)」という広く知られている文書だ。
ルービンは「セックスを考える」の中で、子どものセクシュアライゼーションに反対するのは「エロティック・ヒステリー」であり、一種のリビドー的に引き起こされた道徳的パニックであると主張している。これは、性的境界線を保護することを求めるセックス・クリティカルなフェミニストを、性的に抑圧された堅物にすぎないとする例の古典的考え方と同類だとみなしうるだろう。
左派はクィア理論を採用することで危険を冒している。というのもそれは、ペドフィリア擁護論にもとづいているだけでなく、今なおその軌道がペド的起源からそれほど離れていないからだ。
女の味方面をしていた左翼は、トランス女性を女性スペースや性犯罪者シェルターに入れないのは差別だとか、ペドフィリア差別に反対しますとか、児童ポルノの所持が犯罪になるのはおかしいとか言い出した。
どっちも頭おかしい。
トランスやQ:クィアがペドフィリアを含んでいることは、クィア理論の支柱となった文献をみれば明白なんだよね。
以下はクィア系文化人類学者のゲイル・ルービンGayle S. Rubinの「性を考える セクシュアリティの政治に関するラディカルな理論のための覚書」(1984)、クィア・スタディーズにおける超重要文献からの抜粋だ。ちなみにルービンはトランスの教祖ジュディス・バトラーの師である。
1950年代の共産主義者や同性愛者のように、小児性愛者は汚名を着せられているため、彼らのエロティックな指向性はおろか、市民的自由の擁護者を見つけることも難しい。その結果、警察は彼らを食い物にしてきた。地方警察、FBI、そして監視役の郵便局検査官が加わり、小児性愛者たちのコミュニティを一掃することだけを目的とした巨大な組織を作り上げた。20年かそこらで煙がある程度晴れれば、こうした男たちが野蛮で分不相応な魔女狩りの犠牲者であったことを示すのは、ずっと容易になるだろう。多くの人々がこの迫害に協力したことを恥ずかしく思うだろうが、獄中で一生を過ごした男たちのために良いことをするには遅すぎるだろう。
原文はこちら。
https://bpb-us-e2.wpmucdn.com/sites.middlebury.edu/dist/2/3378/files/2015/01/Rubin-Thinking-Sex.pdf
ペドファイル当事者は、自分の性指向を表に出して差別反対の声を上げれば仕事も友人も失う可能性が高いのだから仕方が無い。
過去のゲイやレズビアンが迫害を恐れて性指向を隠していたのと同じ状況なのが現在のペドファイル。
声を上げられない当事者に代わって、非当事者で発言力のある学者や出版社がジェンダー論やクィア理論を使ってペドフィリア差別に反対するのは良い流れだ。
ペドフィリア犯罪被害者が、ペドフィリア差別に反対させられてんのグロいわー。
最終的にはペドフィリア差別してはいけないからペドフィリアポルノを公共の場に出すのも叩いてはいけないとかに押し込まれたりしてな。
前々からオタク達が言ってた、ゲイがよくてペドフィリアはダメなのはなぜだー!!がついに、ペドフィリアも守られるべきLGBTに含まれて実現した感じがあるが、ペドフィリア当事者が別に全然喜んでる様子がないのが印象的。
ペドフィリアに関して、「 「内心の自由」って言うのは、表に出した時点で「内心」ではない」みたいな主張をしてる人いるけど、そんな訳なくないか?
内心の自由っていうのは、それを表明する自由も当然含むでしょ。そうでなかったら、国家による思想弾圧はすべて問題ないことになってしまう
https://twitter.com/nohate38306133/status/1697213644583624968
太田さん自身がペドファイルの尾崎日菜子さんを "それは風刺だから問題ない" と擁護していたので、 "ペドフィリアを擁護していたの自分ですよね" という指摘を受けている現状
まあTwitterもといXの一部でトレンド入りしてるあの辺の話
俺は厳密に言えばペドフィリアではない それ専門ではないというか
俺の場合は二次元にしか興奮できない 実写も無理 ドラマがぎりぎりのボーダー
九割くらいは女性キャラクターのものだし13歳以下の少女を扱った作品もまあ多い
(この割合はその他R-18作品の傾向でもあるが一旦置いておく)
要するに俺は
「13歳以下の少女が拷問されたりレイプされたり殺されたりしてるフィクション作品」
かつ、今まで現実の人間に(性癖を理由として)危害を加えた経験は一度もない
ここまで前提
そういう一般的でない性癖のことが理解できなくて怖いと思っている人間からしたら、
「気色悪い」「治療しろ」「死んでくれ」と思うのは自然というか、そりゃそうだろうなと思う
嫌うなとは言わん それは無理 思う分には全然いい
ただ、「ペドフィリア」とかって単語で雑に括って(不特定多数に見える形で)非難されると、
社会的には犯罪を起こさず普通に生きている一般人である(と思っている)俺のことも
一緒くたに非難されている感じがして、嫌だなぁと思う
細部を知りもしないのに雑な糾弾をしないでほしい
正直、ここ最近のトレンド周りは若干しんどい(見なきゃいいのはそうだが)
結局は「社会の敵」を殴って、任意のプラス感情を得たいだけだよなぁと思っている
このプラス感情は他者を非難することの楽しさとか自分が正しいと信じられる安心感とかその辺
でも、別にネット上ペドフィリアを非難したところで現実の犯罪が減るわけじゃない
犯罪をしないペドフィリアは非難される間でもなく、その衝動を実現すれば悪だなんてことは理解してる
それよりは、過剰な非難の結果「社会の敵だってんなら本当にそうなってやるよ」的な行動起こしてしまう奴が出てくる可能性の方がまだ高い気がする
(そういうキレ方をするのはマジで最悪だがという前提で)
これ、本当に理解し難い部分だとは思うんだけど、
特殊性癖ってアイデンティティなんだよ マジで 何言ってるかわからんだろうけど
社会的に良くないって分かってようがなんだろうが「そう」なっちまったもんをどうしろと、
「そうなってしまった自分」を否定できないのは性癖に限らずあるあるだと思う
「治療」というか刺激のコントロールは出来なくもないんだろうが、
というか、それが容易なら「性的指向/性的嗜好」って概念事態が存在しないと思える
その性癖を持ってる自分が心底嫌いならコストをメリットが上回るからやった方が良いと思うが
ただし「ペドフィリアではない、他の『普通の人』と同じように」楽したいだけ
んなもん知るか最善を尽くせって連中は、身の回りに酒飲みも喫煙者も全くいないんだろうな?と思ってしまう
飲酒運転も副流煙も明らか害悪じゃん、でも自分が楽しいからやってるんでしょ
一線は越えない? ちゃんと弁えてる?
その「普通の人」の生活に「性欲を満たしたいので、性的に興奮できる材料を探す」っていう
選んでこうなったわけでもないのになんでそこの自由を極端に縛られねばならんのだ
当然ながら現実の加害や犯罪は全部最悪だし、自分が興奮したいからってそんな真似するやつは最低だけどさ
僕のためのオカズがなくなるのはヤダから性癖認めてほしいですぅ的な話ではない
社会にかけてる迷惑とかが「ペドフィリアでない人間と同じ程度」なのに
フィクションだろうが「そういう」作品が存在する時点で害悪、それはそう
(ノンフィクションのは全部正当に裁かれるべきだが)
でもそれ以外の「無害ではないが特定の人にとっては有益」みたいなものは容認されてるじゃないですか、
そういう状況で俺の好きなものだけが不当に非難されたり禁止されたりするのが気に食わん
そういう作品を叩くのと同火力でAVとかアイドルとか子供エッセイとかを叩けよ、
で、これをやり始めると世に出られる創作物なんぞ皆無に近くなると思う
だから俺は全部容認してほしいと思っている 成年向けゾーニングは必須だとして
そもそも、性欲に関連するもの見に行くなっていうのはかなり無理がある
長くなってしまった 自分の中では納得できたのでこの辺にしておく
要するに「感情的な嫌悪感を由来に、非合理的な非難が向けられているカテゴリ」に
非難してる人は「普通に生きてるペドフィリア」とかのことはあんまり考えてないのかもしれないけど、
そのラベルの中に人間が入ってるってのは認識してもらえた方が嬉しい気がする
そんな感じ
13歳以下に欲情するのは理解できるんだけど13歳以下とは法的にセックス出来ないじゃん?どうすんの?オナニーだけ?結婚もしないの?
あと相手が幼児なだけで真実の愛だって言われてもその愛した子が成長したら性欲湧かない訳じゃん?それって真実の愛ではないよね?