はてなキーワード: セーフティーとは
覚えたいものがまとまってる教科書の図とかあるじゃん。アレをイメージで焼き付けた後、「そこに貼り付けるように」ゴロあわせを覚えると使い勝ってがいい。
俺、ADHDで記憶力マジで悪いんだけど、これだと結構覚えられる、人並みの半分くらいになれた。
②ゴロあわせを忘れても、ゴロで覚えようとした内容が思い出せる
逆説的かもしれないが。ゴロあわせを考える過程ってのが、大事みたいだ。
もちろん、ゴロあわせも覚えやすいが、ゴロあわせ無しで覚えようとするより、ゴロあわせありで覚えたほうが、たとえ当のゴロが出てこなくても、思い出せる。
③「知識をためている」というより、「点につなげる力」が大切
日々努力して、知識を盲目的に入れるより、ある程度割り切って、点数からつなげたほうが勉強しやすい。
ついつい、軽視ってか、忘れがちだけど、「これを点につなげるにはどうしたらいいだろう」って思考が努力してるもの同士の差なのかなって。
基礎に漏れが無いのは大切なんだけど、点になるところを抑えている安心感や、目標点までのギャップを埋めてる安心感は長期の『努力の楽さ』に相当影響与える。
ついつい、『テストのためだけの勉強、知識の入れ方』って拒否りガチだけど、そこは割り切って、そこにエネルギーを注ぐ勝負だと思うと、また違った楽しみ方に思える
リア充とか、っぽいけど。「今日生きた意味を残す」って考え方は結構おいしい。「1時間だけでも勉強して、一応生きた意味残した」くらいで結構次につながるわ。
周りよりセーフティーで努力するのは楽。周りよりアウトで努力するのも得。
一人だと、沸け分からなくなってくる。
やっぱ、1教科目より、2教科目で、違う。スピードも理解力も。
だから、早め早めにやると、後半超絶ぶっちぎれる。
今まで、何度も何度も試練があったけど。
裏ワザで出会い喫茶というほぼ売春会場みたいなところ(相手は半分くらい素人)があるが、そこは3万くらい。
② ホテヘルでもやれる
ヘルスは建前上、口や手で、本番(セックス)は無しと言っているが、俺は10回以上行ってやれなかったことが無い。
もちろん、場所によるとも思うが、鶯谷とかはほぼ全部本番ある。
やれる奴もいるだろうが、ホボレアケース。ここは手コキまでとか、フェラまでとほぼ決まってる。セックスはほぼほぼ無理。
④ プレイの流れはだいたい決まってる
嬢が風呂を沸かす→シャワーでまず体を洗って、歯磨きさせられてうがいをする→風呂にいっしょに入るのでおっぱいやフェラ
→ベッドに移動→乳首なめ→全身を軽くキスしてくれる→フェラ→挿入(騎乗位から入ることが多い、色々体位を嬢が変える)
という感じ。手順は長いがやられてみればまたこのコースかーって感じ。
脱童貞にたいして妙な思い入れがあったために、脱童貞に踏ん切りをつけられないので、段階を踏んでしまった。
イメクラ(コスプレでフェラとか)→オナクラ(オナクラはかわいい娘が多いと聞いたから、じっさいは嘘)→外人デリヘル(トラウマ、クッソ匂いキツイ整形ババア)→ソープ(仕組みがわからずおさわりまで)→ちょんの間(大阪の裏風俗、脱童貞)
なぜこんなかかったかというと、『二次元フェチで、三次元の処女でかわいくて俺だけが好きなロリの美少女とセックスで脱童貞がしたい』って思ってたから。AV女優の容姿ですら二次元ルーチンの箸休め程度で、不細工だと思っていた。
AVに無理やり興味を持ち始めて、ようやく三次でオナニーできて、『まあ、AVトップレベルとか、クッソかわいい白人少女なら脱童貞してやってもいいかな』くらいになった。
その後、女と付き合う方法やセックスする方法などを読むが、雰囲気イケメンになれだの、恋人になれだの100%無理なものばかり。そうすると現実的なアドバイスである風俗がめにつく。
風俗で俺の貴重な童貞を捨てるなんてと思うが、とりあえず、フィギュアなどのギリギリ三次にぶっかけたりと思い悩む。
意を決して脱童貞チャンスの無いセーフティーなイメクラやオナクラに行くが、フェラも病気が怖いから断って、手コキとかしてもらうがまったく気持ちよくなく、オナホールを持ち込んでオナニーする感じが続く(本当にオナニークラブじゃねーかw)
そこそこ慣れてきて、でも三次女はやっぱり汚いから、かわいいだろうなと白人とやれる外人デリヘル、トラウマ。
絶対かわいい娘とやる方法はないかと探したら、「ちょんの間」ってのは女を見て選べるしクッソかわいいと知って、夏休みに大阪遠征を決意。
いざちょんの間行くと、納得の美少女と15分のプレイ時間だがやれた。嬢に「もう死ぬつもりで来た、最後に童貞卒業できてよかった」と泣きついた。でも今も死んでないけどさw
⑥ その後は風俗通いが大好きに
その後、セカンド童貞、サード童貞を次次とソープで切っていく。まあ普通だよ。
そのうち、セックスが難しいことを知る。腰とかなかなか触れないし、すぐちんこ抜けるし。それで、研究研究。
メリット→童貞特有の思い悩むことがある程度消える、女への幻想もあるていど冷めたものになっていく、女体にカドワサれず痴漢などもしなくなる、性欲の解消手段が増える、女としゃべるチャンスが増える
デメリット→童貞の時はもっと基地外じみた発想力があったんだけど、無くなったなそのバイタリティ。本当に残念。童貞特有の性への憧れやセックスの気持ちよさへの憧れがガラガラと崩れた。
子供にハーネスを付ける事に人権的な問題があるのかどうか、そんな事は知らん。どうせまたインテリの言葉遊びなんだろ。ただ俺は子供ハーネスには別の問題があると思ってる。
子供ハーネスは、ベビーベッドの柵と同等では無い。そういう純粋なセーフティー機構とは意味が違う。ベビーベッドの柵は落下の危険性を抑える為の施策としてもっとも効率よく理にかなった機構だ。他の方法で代替しようとした場合、なかなかへんてこな事になる。かといって無くしてしまって、寝ている最中ずっと監視してるのも不経済甚だしいだろう。
一方、子供ハーネスはどうだろうか。確かに紐を括りつけて行動範囲を限定すれば不慮の事故を回避できるかもしれない。親の身体に不自由などがあるのであれば大変有用なデバイスであるのは確かだ。
ただそういう回避できない制限が無い場合、同様の効果を得るための手段として代替できる別の方法が沢山ある。
こういう常識的な回避策がいくらでもあって、普通の親はいつのまにかこういう事を自然とできるようになる。ハーネスを繋ぐことをまず思いつく親はなかなか少ないのではないだろうか。
確かに、みんな大好きアカチャンホンポなどでハーネス付きリュックなどを見かけると「へえ、こんなのがあるのか。便利かな?」と一瞬思わなくもないが、それを装着して連れ回すのがあまり現実的でないのはすぐ想像できる。単純に「こんなの使うシーンなくね?」と思い至る人が多いのではないか。強いて使いそうなシーンを思い浮かべると、混雑してる子供イベント内などでは使えそうだけど、その実やっぱり先ほどの「ゴールテープ状態」になりまくって、ハーネスにゴールインして引っかかりまくるおともだち(この呼び方にやっと慣れた)続出してやはり危ないと思う。
なにより実際に試してみれば、便利かどうかの前に親として感じる違和感が拭えない人が多いのではないか。実際、俺もみんな大好きアカチャンホンポで子供にハーネス付きリュックを背負わせてみたことがあるが、その時感じた強烈な違和感は忘れられない。試した事さえ謝りたくなるほどの違和感。「ごめんごめん、ないない」とすぐさま子供から外して謝りたくなったのを覚えてる。それが偏見だろうが思い込みだろうが、親として到底許容できない感触がそこにあったのは正直意外だった。もうこればっかりは子供作って使ってみなよとしか言えない。
ちょっと話が逸れてしまった。こういう感情の話を極力排除して語らなくてはいけない。
つまり、ハーネスと同等かそれ以上の “子供安全策” は他にもたくさんあるのだ。
だのになぜ、ハーネスなのか。安全策としてそれを選ぶ親の考えはどういうものなのか、それこそが子供ハーネスの問題だ。
子育て経験が無い人が純粋に “デバイス” として子供ハーネスの安全性を語るのは、バイクに乗らないヤツが「バイク乗りはなんで全員カブに乗らないんだ」とかそういう話と同じじゃないかな。違うかな。
ちなみに老人のハーネスとの大きな違いは、子供は物理的に軽く親ができる事がたくさんある事。(その点、老人ハーネスは物理的にそれでしかできない部分が大きく、ベビーベッドの柵に近いセーフティー機構)
増田は先輩から受けた暴力を(あえて暴力と断言する)主観的にエール、祝福、激励、叱咤と捉えてポジティブな影響を受けたかもしれない。
けれど、万民がそういうとらえ方を出来るとは限らないわけだ。それは増田の個人的な体験であって外部へ敷衍できない。
そもそも真実は増田の脳内に発生した幻想であって、先輩がどんな気持ちで暴力を振るったかなんてのは計りようがない。ただ単に「増田がそう感じた」という体験があるだけだ。
ポジティブな暴力行使を容認した増田は、自分の後輩にどんどん暴力を振るってゆくとする。そして、それは後輩にはそれがポジティブに受け取られる保証はない。
増田は有益な効能をそこから引き出せたかもしれないけれど、それは再現性がない。たまたま有益だったひとりの意見で、数百倍の被害者を出すわけにはいかない。
体罰と暴力を混同することを増田は「乱暴な理論だ」とのたまうわけだけど、自分ひとりの体験で社会の制度、しかもセーフティーを切り飛ばそうという増田は「乱暴の化身」だよ。
原発推進の人に、原発推進したらコストめちゃくちゃかかるでしょって言ったら反原発と罵られた。
そんでせっかくだから思ったことを書くので意見を聞ければと思いました。
その時には言い返せなかったんだよね。
どっちでもなくって、どっちかというと科学信者だから納得させてくれれば賛成したい気持ちなんですよね。
でも、今後事故は起こさないから安全ですという趣旨の発言って大ウソだと思いますよね?
少なくとも大事故が現実に起きた以上は、同じくらいの予算なら同確率で事故は今後も起きると考えるのが普通ですよね?
それで納得させてくれれば僕は十分だと僕は思います。
例えば、本当に山奥とか北海道の最果てとかの周囲数十キロ住人が居ないとこに作って、
事故が起きても何重にもセーフティー装置があるってことなら僕なら大賛成ですけどね。
だからこそ、運用上だけの安全ってことであっても原発のコストは膨大にかかるって思うわけですが。
現実にはそんなの無理ってことで現状の施設を再稼動させたいなら、
(正直に事故のリスクを説明した上で)経済的な理由で既存の設備を使うかどうか
に関して国民の選択に委ねるべきでしょう。
いざというときの自分の誠実さや慎重さが当てになりません。だから、ここぞというときや心が浮ついて動揺したとき、潜在意識に自分の身を守ってもらう為に、私は車のいない赤信号でも止まって待つよう心がけています。
きっとさんざん議論され尽くしているだろう。いろいろな考え方を目にしたり耳にしてきた。それでも未だにつらつら考える。何も考えていなかった頃、信号が赤なら渡ってはいけないと無条件で従ってた。自分の周りもそうだと認識してた。みんな信号を守っている世界が自分の見ている世界だった。思春期、ちょっと大人びた同級生がいた。車が来ないと分かっているのに待っているのは頭を使っていない証拠だよねと貶された。その瞬間から自分は車が来ない赤信号の意義を絶えず意識してしまうようになった。馬鹿にされたことがきっかけだったから、自分は意地になって渡らない理由を探し求めた。見つけた答えは「人間の脳は誤作動する。赤信号で車が向かってきても渡ってしまうような過ちを犯す。だからフールセーフティーのために渡らない習慣を普段から養う」だった。時が過ぎ、海を渡り、時代が環境が変わった。気付けば、今度は信号が赤でも渡れるなら渡ってしまう人ばかりが周りにいた。そしてまた考える。みんなが渡っている中で、自分だけ渡らないでいるのはなぜだ?集団心理として、周りの行動に揃えて動こうとする自分がいた。みんなが渡っているから自分も渡ってしまっていいんじゃないか。渡らないと外国では信号が赤でも安全確認できたら渡ってしまうよと、なぜ日本人は馬鹿みたいに立ちすくんでいるの。そんな意見もよく目にしてきた。でも誰かがやっているからやっていいなんていう理屈では、集団心理で動くメンタリティそのものだ。
映画「サトラレ」の主人公は、天才的な手術スキルを通して患者を直接救う道と、その人並みはずれた知能でもってより多くの未来の患者を救う研究の道と、進むべき道、進みたい方向で葛藤するけれども、仮に手術の道で数千人救えたとしても、研究の道でもし数万人の人を救えたのだとしたら、そしてそれが約束されたものだったなら、彼は救える人を救わなかった人殺しなのだろうか。何も知らずに決断したときには罪の意識はないけれど、全てを想定した上でなお万の命を諦めて、数千の命を助けようと決断したのならば、それは罪ではないのだろうか。許されるかどうかは別として。
そのような決断は誰もがしているはずで、自分の力をどこに注ぐか、その決断如何で未来が大きく分かれることを予想した上で影響の小さい方を選ぶのは正しいのかどうか。
「怒りを覚える」だけがupsetの意味じゃなく、「動揺する」リアクションのほぼ全般を指している単語だと理解したとき、とても腑に落ちた。動揺して泣き出す人もいれば、あまりのことに笑い出す人もあったりして、そのへん喜怒哀楽の感情と心が動揺することの間には線が引かれてる、つまり別ものとして認知されるべき。
人の個性なんて、1) 五感から取り込む情報への感度と2) それに対する心の処理と情動、3) そしてそれをどう発散するか、おおざっぱに三つ区切っただけでも無限のパターンができあがってしまう。
ところが、他人の個性を認識するには、その人が受け止め抱いた感情をどのように表現したかでしか認知出来ない。しかも、互いに相手の個性もまた一つの情報として自分は受け止めるわけだし、それをもって己の感情表現が現れるのだから、もうこの世の中、お互いの認知の順序はすごく入り組んでぐるぐるしてる。
例えば、脱いだ靴を思い出させる不快な臭いを嗅ぎ取ったとして、で臭いの元をたどったらそれが納豆だったとして、そこで許せる人と、許せない人といる。本能的に正常でない音を耳で受け取って、避けるべき事態が起こっていると認知すると、それに応じて臨戦態勢なり避難態勢に入るべく感情のモードが変わる。その後で音源が赤ちゃんの泣き声だと分かって許せる場合と、そうでないケースが人それぞれにある。一方で、無意識でも意識的にでも五感から伝わってくる情報というのは、赤ちゃんが鳴き出す前からたくさんあって、これもまた人それぞれ取捨選択して自分の感情や態度、心構えを状況に合わせて整えている。赤ちゃんの存在を認知して、飛行機内の気圧の変化やノイズ、温度や湿度、明るさや周囲の人との距離感など、さまざまな情報から、事前に赤ちゃんが泣くことを想定できている場合とそうでない場合がある。それが想定出来ていたとして、いざ赤ちゃんが鳴き出しても動揺しないでいられる体調、分かっていても我慢ならないコンディション、はたまた予想の段階から動揺してしまい、いざそうなったら腹が立ってしまうなんていうメンタリティもありうる。
マジョリティー・マイノリティーなんていうのは、あくまで一つの側面で多数派少数派となるだけで、ちゃんと全員が自分の認知模様を理解して分類し始めたときに、初めて、どちらが当たり前かなんて話題そのものの無慈悲な単純さが見えてくる。分類しちゃえばみんな孤独なんだって受け容れられて、ようやく多様性への理解が始まる。多様性への寛容さとどちらが多数派なのかという数の工作とマイノリティの保護と、いろんなこと分別なしにごっちゃにしたまま、正しさなんて主張出来っこないし、ましてやルールなんて出来上がる訳が無い。
もし、今の記憶や能力のまま10年前に戻ってやりなおせたらなあと思っているなら、今の自分は、10年前には持っていなかったやる気や能力を手に入れているか、今やっていることに意義を見いだしているか、もっといいやり方を知っているということ。ちっとは信じなくちゃな、自分の成長を。
勝つため(一番になるため)には、既存の枠に収まらない力が必要。それを勝つ力にするために二つのやり方がある。枠に収まらないアイディアを枠に収めて、ルールに則って勝つ方法と、枠に収まらない新しい発想で勝てる競技を生み出して世界に広める方法があるのではないか。
何をしているのか謎でふわふわした存在だけど、何となく社会にとけ込んでいる。そういうポジションで生きていける世の中であるというゆとりの証として存在している。そのような人がそこかしこにいて目に留まると、なんとなく誰もがその社会に安心し、ほっと息をつける。自分の所属する社会が「何をしているかいまいちはっきりしないけれど欠かせない人」を支えていけるゆとりある世の中であるために頑張れるなら、優しい空気が循環する世界になりそうだ。
この問題について書くつもりはなかったけど、佐々木氏のあの記事をみんなが読み違えてると思ったので一応書くね。
佐々木氏のこの記事はみんな読んだかな。
https://www.facebook.com/sasaki.toshinao/posts/10150927913787044
これについて、
http://anond.hatelabo.jp/20120526192735
こんな感じを代表として批判が出ている。
この人は内容としては分かる部分があると言ってるけども
http://d.hatena.ne.jp/Lhankor_Mhy/20120526
これなんてひどい読み違い。
佐々木氏は、「個人間の取引のことだから詐欺があったら個人間でなんとかしてね」みたいなことを言ってるんじゃないわけ。
多分この人は、詐欺以前の話をしているよ。
思い出して。Studygiftが騒がれ出したときは、対象者や説明内容に問題があることはまだ分かっていなかった。でも、既に叩きは始まってた。
彼らの主張はこう。
・こんなもんのどこがセーフティーネット? 網? 一本釣りだろ?
・こういうことを見えるところでやってくれるな
・まじめにセーフティーネットを作ってる人が可哀想
こんな感じ。だったでしょ。ちなみに家入氏が「何を謝罪すれば良いのか分からん」みたいな発言をしていたのもこの頃だよね。
で、佐々木氏の記事ってのは、これに対する反論なので、なんつーか、どうかほかの読み方をしてくれるなと思いました。
僕としては、これの反論としてはすごく良いひとつの意見を言ってると思ったよ。
http://anond.hatelabo.jp/20120527075902
でね、今問題になってるのは、Studygift個別の問題、表記の問題や、出てた人が退学してたとか、そういうまあ詐欺と言われても仕方の無い部分で、そこでみんなが怒ってる、それは分かるんだわ。よくないね! よくないねボタンがあったら100回押すよ。
でもね、僕は忘れてないよ。内容おかしくね? という声が上がるまえから、このStudygiftは叩かれていたんだ。今とは別の理由で。
だから、内容不備発覚以前と以後で、章を分けなければいけない。
佐々木氏は、おそらく分かってやってるんだけど、内容不備発覚以前の話をしている。僕は、これも仕方ないと思うよ。だって、発覚以後の話って、議論する必要ないもの。悪いし。だからスタッフだって謝罪したんでしょう。
もうその話はいいわ。僕。みんなもおなかいっぱいだと思うし、そろそろPV稼げないと思うよ、乞食のみなさん。
それよりもね、その、あれだ。僕は例えばこういう話を聞きたいわけ。
http://d.hatena.ne.jp/gorotaku/20120527/1338104154
「学生が顔と名前をWebに晒して学費援助を募るシステム」は成立するかどうか問題。
もっと一般論で、「ソーシャルを使ってセーフティー"釣り"」というシステムはありなのか、みたいなとこ。
僕はもともとありだと思ってた。
僕がずっと思ってたのは、最近えらくリバタリアンが多いくせに、セーフティーネットみたいな話になるととたんに左翼っぽいこと言うんだなーということ。
良くあるのが、例えば貧困層とか立場の弱い人に対する自立方法を説くときに、なんか案が出ると「それは全員にことではないから」と言う人ね。全員を公平に救うことができないとセーフティーネットじゃねえ! というわけだ(ちなみにこれが佐々木氏の言う「社会包摂」みたいなやつだと思われる。違うの?)。
でもね、救えるだけ救えば良いじゃん、みたいな考えもあるわけじゃないですか。全員を救おうとするから進まないこともある(Studygiftはなんと1人に絞ってきて、しかも、自分を商品にしてきた)。これを、救いたい人が救う。佐々木氏が個別包摂と言われてるやつですよね。まあ、誰も損しないしいいんじゃねえの。と個人的には思っていたんだけど……。
ただまあ、今回の惨劇やら
http://d.hatena.ne.jp/gorotaku/20120527/1338104154
これみていろいろ考えるところがあったんだけども。
あとは、個人的には良いと思ってるんだけど、みんなが良いと思ってるわけではないことが分かったので、佐々木氏のいうとおり、個人が個人を救う感じのつながりは増えていくよねっていう話が成り立つかどうかは、「ソーシャルを使ったセーフティー釣り」がみんなニコニコの状態で成立するのかどうかにかかっていて、僕はそこはまだ分からない。Studygiftのような直球だと問題はありそうで、じゃあシステムデザインを変えればみんなニコニコできる方法があるのかな、など。考える。
ふと、強姦する側の戦略、される側の戦略というものを書こうと思ったがうるさいフェミがうるさそうなのでやめた。
強姦する側の戦略でいかにして立件されないがということ。
強姦される側の戦略はいかに相手を捕まえる条件を整えるかということ。
まぁ、結構非人間的だから非難されるのはしょうがないとしてなかなか面白いことだよね。
一回戦略を組み立てるとそこからその戦略に対する対策ができるんだよね。そうするともっと面白いね。
女性側の戦略はいかにレイプされないかといかにレイプされた時の行動といかに相手を立件できる情報を集めるかということだよね。
レイピストの戦略はいかに相手を孕ませ捕まらないかの二つ。セーフティーレイプだって?レイプでコンドーム使うやつ。とりあえずこれは考慮しない方がいいね。これはこれでなかなかめんどくさいことだから。
まぁ、誰か暇があったら書けばいいと思うよ。
一か月前に言ってくれるんだからかなり良心的だと思う。
だがちょっと匂う。
一か月もあれば資金繰りはなんとかできるとおもう。
だが、いまからヤバス警告を発しているということは借入のあてが立ちそうもないということだろうか?
100名の会社であればそれなりに売上があるからそれくらいの借り入れは普通に考えればできる。
でも、できない。
これはこれ以外にも何かあるとおもったほうがいい。
100名の会社に下請けが?
下請けが潰れるとなんで資金繰りが悪化するのかわからない。
仕事を出していたのが頓挫して賠償に発展したとかそういうことだろうか?
出資金が滞ったとか?
下請けの売上をあてにするような変な体制があったことになる。
ここらへんよくわからん。変だ。
ちなみに取引先が潰れて潰れる会社は多いので、
中小企業庁の連鎖倒産防止のためのセーフティーねっとというものがあります。
経営者に進言しましょう。