はてなキーワード: 本体とは
妹は、とにかくお金を出したがらない。
ワリカンで何かかったときも「ちょうだい」と言うとまず嫌な顔をする。
自分のためには出すけど、他人にお金を「払う」という行為をするときは本当にイヤそうにしている。他人って言っても、私は血を分けたたった一人の兄弟ですけどね。
貧乏な家で育ったからかな?って思わなくはないけど、自分の買い物とかはサクッと高いモノ買ってカード切ったりしてる。
で、「人のため」にお金を出すのをとにかく避けようとする。親戚の家のお土産とか、自分はまったく欲しくない冠婚葬祭グッズとか、あとなんだろう、親への労いの品とか?自分が食べたいからっていいところのシュークリーム買うけど、ほぼほぼ一人分しか買わないって感じ。
「お土産だよ〜」って家でみんなで食べよう〜みたいなのがないんだよね。いや、そういうのが必ず欲しいわけじゃないんだけど。
親戚のお土産とか立ち寄った土産屋でいつも「私が食べる分」だけ買って、お土産代は「あなたたちが買いたいからでしょ、私は知らない」みたいな感じでいつまでたっても1円も出さない。だからもう毎回毎回、説教を続けたらようやく「私も出すよ」と言うようになった。
まあこれは単純に「あまりに財布の紐を締めていると親戚から自分の評判が得られない&姉の評判ばかりが上がっていく」という焦りもあったようだけど。
そらそうだろ。何でもかんでも買い与えるのはよくないが、お土産やモノを買っていけば大半の場合は「ありがとう」のコミュニケーションが生まれ、自然と関係性も構築されていくもんだ。
実家に住んでいたときは仕事帰りにコンビニで買い食いしたからあげくんみたいなのを「これ今日の晩ご飯として買ったから食費ちょうだい(私は食費を数万実家に入れてるので)」とか親に言ってたらしいし。おかしいだろ。
ゲーム機も私が本体を持っているもののソフトだけを買って、私が帰省するたびに「ゲームは?持ってくる?」って聞いてくる。で、持って来たらゲームをやりに実家に来るのだ。家族一緒にとかじゃなくて、一人でプレイしてる。私は親戚の子どもとやりたくて持って来てたけど、労いもなくプレイする妹の様子を数日間見せつけられるのがあまりにもイヤすぎてあんまり持っていかなくなった。
あと、前にサブスクで映画観たいということだったんで、私が既に入っていたやつを「年会費半額ずつにして観るか?」と提案したら喜んでた。クレジットカード情報共有するのはいやだったので向こうの方の制限を少し強めにして。でも、3年目に入った頃から「サブスクの年会費だけど…」と私が言うと不満を言いまくってきたのだ。「半額払ってるのにお姉ちゃんより不便なのは変だ」とさ。
いや、おまえ、去年はおまえの部屋にあるいらないものを私が物色して「今年はこれでいいよ」って一回も使ってない雑貨品をもらったじゃないか。去年は一円も払ってないじゃないか。
私は「今年も全額じゃなくていいよ」と言うつもりだったのに、それを言う前に「半額はおかしい、ずるい」と言われるとこちらも気分が良くない。それも、「いらないもの」で交換した実績があるというのに。
「文句があるなら各々でやったらいい、もうええわ」と言うと「それはイヤ」なのだ。妹が全額払うことになるから。こうやって文句言って半額以下になれば儲けもん、半額なら文句もんだ。何でやねん。信頼度や好感度が下がっていることよりも、金額が気になるのだ。
こういうのを、一度や二度とかじゃなくて、何十年とされ続けて「友達なら絶対に言われないことなのに何で私がこんなこと言われなきゃならんのだ」とふと思っちゃったのだ。
そのうち仲直りはしたいと思うけれど、なんかどうしてもその気になれなくて、半年以上経ってしまったな。
これ統一教会側が言ってると責任逃れでしかないんだけど、深刻な問題だよね。
「信者は2級市民のような扱い」 旧統一教会の田中会長、18個の「被害」とうとうと 1年ぶり会見:東京新聞 TOKYO Web
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.tokyo-np.co.jp/article/288605
その被害の軽減や拡大を阻止するために解散請求だったり、本部のが搾取した金を返せって話であって
それなのにここ1年「壺w」とか信者を蔑む宗教狩りが行われてるけど
悪質な統一教会本体を攻撃してるつもりなんです。とか言うつもりなのかな。
君たち差別できる対象が生まれたから喜んで被害者巻き込んで殴ってるだけでしょ。
プレミアついてる初代じゃないその辺にいくらでもありそうなGBCだのGBポケットだのですら全部5000円超えてる感じなのか。
ビネガーシンドロームの端末ですら3000円4000円平気でする価格ですわ。
そんなの買うくらいなら一万円くらいのPS1動くくらいの中華エミュ機買ったほうが(画質、電池)マシじゃん。って思ってアリエク漁ってたんだけど、
そう言えば一昨年くらいに3000円で買った初代PSP(改造済み)合ったなって思い出した。
これならGBのエミュ動かせるんじゃねって思って調べたらどんぴしゃ対応エミュレータあるのね。手元のROM動きました!
中華エミュ端末ほしかったけども、手元でまともに動くPSPあるからもうこれでいいや。ゲーム端末たくさん増えても困るし。
PSPってUSB-Cコネクタの給電に改造する方法ないんですかね。改造パーツあったらやりたい。PSP専用充電ケーブルが邪魔。
中古のGBゲームなんか面白そうなの買おうかな♡。実家にまだゲーム残ってたらそれ吸い出して遊んでみたい。
というかUSBからPSPに給電するケーブルってのをいま見つけた。給電専用のUSBハブのソケット余ってるし買おうかな。数百円みたいだから試してみるか。
ほんと増田でこの手の会話すると😩ってなる
トンチキなこと言ってるからではなくて、妄想で何者かになろうとしているからだ
何かを真っ当に楽しめるようになる、自信を持つには、根気良くコツコツ積み上げなきゃいけないんだよな
残念ながら君の親はそれを放棄しちゃったみたいだけど、世の中には重たい知的障害があっても正社員雇用で働き、
余暇にピアノやゲームを楽しんでいる人たちがいるという事実を重く受け止めて、自分で自分を育て直したほうがいいぞ
う○ち・ち○こ・ま○こはオッケーで△△はダメってこたぁない
ただ、それだけ繰り返していても人生上向かないぞ
ネタ抜きにマジで言ってるんだけど、君が思ってるほど増田民の生活・給与レベル低くないぞ
フツーにはてな基準(首都圏なら単身で600万以上、地方なら500万以上)あるぞ
賃金格差の闇で微妙にその額に届かない場合もフツーに人生楽しんでる
あと、ワイのような文字通りの意味でのガチ技術ポンコツが何かの間違いで侵入したりすることもゼロではないですけど、
基本的には、某デストリ・某DB屋・某メーカー研究所は、著名なOSSのコミッターがいたりするところと、覚えておくと良いと思います
その人らをgeekと呼ばずして誰をgeekと呼ぶんだという話です
一度でも求人チェックしたことある?その上でエリートしか無理そうだなってなった?
1から10まで米国にお伺いを立ててる日本法人どころか、米国本体でもならないと思うが
そこそこエリートか、国際競争力のある人になる可能性は高いだろうけど、
(すべてのポジションに高給払っているわけではない。どうでも良いポジションはそれなり)
技術以外のウエイトのがデカいって点だけ事実。GAFAMで働いてる連中ですらそう
ミドルウェア界隈で働けば1ヶ月もしないうちに『あっ、技術以外のことしなきゃ』ってなると思うんだけどな
ならなかったのならフリーランスで技術のみ(マネージメント含まない案件) で1000万イケるクラスか
ただのバカですね
中国出身でアメリカの大学院卒でアメリカでソフトウエア開発していたのに
日本でアプリのテクニカルサポート(もちろん日本語堪能)してるオーバースペックとか、
同じく非英語圏出身でもちろん院卒、クワドリンガルで同じく日本でアプリのテクニカルサポート(もちろん日本語堪能)しているオーバースペックとか
もう日本人のサポートに日本人を雇う必要性って無さそうっての見るやで
タヒチのようなリゾート。青い海には点々と離れ小島。木造のコテージ/宿舎は暗く寺院の宝物殿のよう、外の眩い自然の緑と海の青に対して黒黒とした、時代がかった木造建築物内部のコントラストが美しい。様々な対応をしてくれる、体格の良い20代〜30代のスタッフが居る。
仏像がコテージ内に散見される、私は仏像の台座を見ている、年代物と思われる仏像本体に対して台座は新しい木材とパテで形作られている。柔らかな曲線の輪郭。パテの塗り跡/マチエルや鑿(のみ。木材を削り落とす刃物)の跡は研磨されておらず、人の手が行った仕事の跡を残しながら、ふわりとした曲線を形造っているのが、私にはこの上なく好ましく感じられた。
その台座を作ったのはスタッフの1人の男性である、というキャプションがついている。妥当な比喩が見つからないが、お菓子のコロンに似ている。外側に薄く硬いクッキー層(木材)があって、内側がふわっとしたクリーム(パテ)になっていて、異素材による色彩対比は馴染ませるのではなくそのまま活かされている。仏像自体は年代物で、台座を新たに作ったようだ。仏像自体ではなく、仏像に対する保護、賛美、敬意を示すような、仏像を支えて彩る台座の方をじっくりと見ている夢の中の自分について考えると、私だなあと思って面白い。仏像の方を見ろよという気にもなるが、仏像本体は既に多くの人間に崇められてきたのだろうから、私如きが見る必要もない、と、思う間も挟まずに態度がそうなっている。時間を経て今に語り継がれる敬うべき尊い宝、それを遺してきた人々の努力等も勿論素晴らしいが、今を生きる誰かがそれに添えた、それに寄せる想いが形となってそこにある、それを目の当たりに出来ることこそが私にとっての喜びなのだと。
夢なので特に脈絡はないのだが、離れ小島で海遊びをしていると、海でダメージを負った人間が浮いているので救護をする。コテージへ連れて帰りスタッフに任せる。
視点はコテージから離れる。広大な砂利採取場のような、開けた岩場、明るい灰褐色の地面と岩山、青い青い空、そこに古い巨大な機械がある。機械と機械が向き合った合間に錆びの浮いた金属の籠、口の開いた箱のようなものが固定されていて、材木を長いまま丸々その中に敷き詰めてぶんぶんと機械で振り回す事によって材木に捻れを生じさせるという、まあ理屈で考えると無理なのだが夢の中に出てきたのだから仕様が無い、そんな機械だ。イメージとしては遊園地にある振り子の遊具、あれの両端が結合部で支点となっており、交互に動いて捻れを生じさせるのだろう動きをしている。材木の高さは3メートル程で、長辺方向に×3で敷き詰められているから箱部分は9メートル程ありそうだ、それがぶうんぶうんと振り回された挙げ句に捻じ曲げられた(らしい)材木は向こうの方へそのまま弧を描いて放り出されていく。まともに考えれば放り出された先で重みで粉砕されていそうだが、まあ夢なので大丈夫だろう、兎に角その様子はなんとも爽快で豪快で清々しいものであった。