はてなキーワード: ホッテントリとは
男性差別を挙げてけっていう増田がホッテントリにあがってたけど、ハラスメントの事例ばっかりじゃん。
童貞いじりなんかも、セクハラで人権侵害で大問題であってはならないことだと思うけど、男性差別ではないだろ??
差別ってのは、男だからという理由で育休取らせてもらえないとか、大企業の事務系一般職に採用されないとか、保育士になりたいと言ったら難色を示されるとか、寡婦控除が適用されにくいとか、男だったら既婚子持ちじゃないと昇進させてもらえないとか、法律上助産師になれないとか、性犯罪の被害届を受理してもらいにくいとか、そういうのだろ????
正直、男性差別の例として挙げられてるのが、明確なハラスメントの事例ばっかりで、男ってやっぱ恵まれてるんだなって思ってしまった。
でも分断されるのはアホらしいし、もっと男性差別が知りたいので、ハラスメントじゃなくて差別を教えてほしい。男の人も差別されて大変なんだなって思って、男女手を取り合って、性差別を無くすために闘っていきたい。
男性差別を教えてくれよ。
大学生の頃、友達と2人でABCクッキング行ったら30代くらいの男にずーっと話しかけられて、教室終わってからも着いてこられたの思い出したわ。
若くて断り方とか慣れてなかったからそのまま無理矢理連絡先交換させられたのめちゃくちゃ嫌だったな。あれ以来料理教室とか行ってないや。
そんで、一緒に行った友達の方には全然話しかけなくて連絡先聞かなかったのもまじで最悪だった。ただのナンパでも嫌なのに、2人組の片割れにばっかり声かけるナンパはまじでまじでやめてほしい。
私のn=1の経験だから、料理教室に来る男みんながそうってわけじゃないのは百も承知だけど、ホッテントリ見て料理教室側がそういう判断をしたのに何の違和感もなかったな。
ああいう男ばっかりだったら客離れるだろうなーと思ったよ。私はしなかったけど、苦情山ほど入ってたんじゃないの?
特定のやべー奴に都度対応しろって声もあるけど、それってどうしても何かしらの被害が起きてからの対処にしかならないんだろうね。私みたいに一度嫌な思いしちゃったらもう二度と行かなくなる人もいるわけじゃん。
プログラム完全に理解したレベルのWeb系雑魚プログラマーの戯言。
先に気になるだろう話だけしとくと、自分はn万円単位でしか入れてないしわけわからんうちに手数料やらなんやらでn千円消えてる。これから増えるといいな。
まじでこの遊びは投資ではなくギャンブル。競馬と一緒。でも賭ける対象が馬じゃなくてWebサービスなところが面白い。
以下オタクの自分語り。丁寧に解説する気なし。やらないほうがいいよ!
ホッテントリ入りした某増田の記事を読んで、LPの仕組みを知って興味を持ったんだけど当時は手を付けなかった。
ここ数ヶ月でいっちょやってみるかと色々調べてたところ、きっかけの記事移行にかなり情勢が変わってることを知った。
LPトークンの概念が生まれた、ネットワークの圧迫で別基盤のクローンサイトが当たった、そっちの世界ではいまのところ1強。
後追いのクローンが続々と出ては消えていって、最近では最適化とか自動複利とかネズミ講的なやつとか、付加サービスを付けるところが多い。くらいが自分の知る最近までの流れ。
いちおうプログラマだから自分でコード書いてなにか面白いことに参加できそう(できない)部分にも夢があるし、
「次に出てくるサービスはこんな仕組み考えてきたか、頭いいなあ」っていう感覚も面白い。
自分が試しに推してみたサービスの売上が全部開示される(とはいえそんなによく見ない)のと、そこの独自通貨が価格というスコアで可視化されるのもいい。
『3ヶ月で英語力を大幅に上げた』
https://anond.hatelabo.jp/20210415222429
これ読んで、
「いいなー、羨ましいなー」
と思ったのがきっかけ。
というのは、表向きの理由で、本当に心を撃たれたのはこっちの記事かも。
『才能ある人は努力が報われていいな』
https://anond.hatelabo.jp/20210405102425
共感できる。
努力って報われない。
金あったら整形したい
たちまち飢え死にすることはない。
2年9か月ぶりの学習再開。
4年前に825点を取ったことがある。
1400時間に到達した。
冒頭の増田さん羨ましい。
YouTubeでも数か月でできるようになったって人るし。
まぁでも継続してりゃいずれは聞こえるようになるんじゃね?みたいな。
3ヶ月で上達した増田さんのようにジャンルを限定すればいいのかも。
「うわー懐かしいー、昔やったよー」って、
僕はてっきりダンジョンに入ってダラダラ敵をかわしつつ宝箱を回収するゲームだと思ったのだけど。
あぁこれが老害か。
2週間でやめた。
資金が底をつくまで、
で、一応、2022年末、かな。
年内に3000時間突破は確実だろう、でも2022年はどーかな。
あとは、もう長期戦。
「やり方下手」「遠回り」でもいいので、モノになってくれたらいいなって希望です。
今のところちょっと思いつかない。
何もしないよりは何か勉強している方が性に合ってる。
リスクというよりもはや織り込み済みと言うべきか。
浪人生みたいなもん。
浪人生が「毎日勉強して偉いね」って言われて嬉しくないのと同じで、
僕もなんとも思わん。
下手すりゃ僕は生涯浪人生だし。
いいです。
僕は伸びなかった。
休みがあんまりなかったので、絶対量が足りなかったのもあるが。
「勉強してる」って言うと「何言ってんのこいつ」って、あの空気が好きじゃない。
だいたいこの世代はみんな辛そうだけど、なんか結局生きる。
まぁ徐々に病院のお世話になっていくけど。
でも20年ある。
それで一つでもコンプレックスを克服できたら、ありがたい。
だからね。
僕より若い人は死んで欲しくない。
それで僕より偉くなってください。
今の僕は世間的には弱者男性って資本主義社会のカスみたいに言われてるけど、
死のうなんて1mmも思わないな。
なんでだろ。
受験してない。
TOEIC LR は、800点は取れないと思う。
700点代は取れると思う。たぶん。
POLYGLOTZというアプリを最近インストールして、小テストがあったので受けてみたら、とても難しくって、
結果を見ると
うあー...って
角っこに家系ラーメンがあって。
他のお店が閉まってるせいで、お客さんみんなこのラーメン屋に集まってて。
店ん中ごった返してて。
あぁこれは感染するかなって思ったんですけど、無事でしたね。
チャーシュー麺の大食べました。
僕にとって上達とは、スピーキングのことです。
最終的に自分の考えは、長めの文章で立論して伝えられる英語力が欲しい。
受験生はよく聞くと思いますが、結局受験の敗因は、量らしいです。
ただし、これが語学学習にも言えるかって言うと、よく分からん。
冒頭の努力が報われない記事のブコメ読むと、「やり方がおかしい」って意見多い。
テスト勉強しないってのは、僕のスタイルで、ほとんどの英語学習者は、テスト勉強を軸に学習しているようです。
僕の努力がもしかして「TOEIC LR に集中していた方がもっと上達したかも」って観測はあるかも。
もうとっくに900点以上とか取れてたりして。
知らんけど。
オンライン英会話は学習初期に、一日75分やってた。あれはエグかった。
多聴はなんだか多聴になってないやり方だけど。
YouTubeで好きなものを聞くってのが僕にはなかったので。
学習時間が1500時間になれば、細かいデータをどこかに投稿しようと思ってます。
→2021年4月29日noteに投稿 https://note.com/oceansnote/n/n3bfdc03b3505
まず、どうやってケチをつけてやろうかと最初に考えるクセを直せ、恥ずかしい。
ポッと最初にひらめいた底の浅ーい浅ーいコメントを急いで書き込むのもよせ、恥ずかしい。
そういう人工無能レベルの悪口マシーンが書き込んだ浅薄なコメントに反射的にスターをつけるクセも直せ、恥ずかしい。
そういう脊髄反射だけでできている人気コメントに触発されて俺も悪口を書いてやろうと考えるのもやめろ、恥ずかしい。
どいつもこいつも恥ずかしい。
人気ブコメの上のほうに並んでるイキッた悪口はだいたい序盤のコメントで検討が浅い。
重要な点を見逃してたり、くだらない勘違いをしてたり、でなければわざと読み違えてたり誇張してたりする。
しょーもない勇み足をしたコメントがトップコメントでいつまでも腐臭を撒き散らす一方で、ブコメの後半では意見がじわじわ建設的になってくる。様々な見方が出揃うからだ。
いいか?
報道記事がホッテントリにあったら、頭の悪いコメントを読むのは後にしてまず記事から先に読め。
記事は最低2回読め。なるべくなら3回読め。
視点、ポイント、ツボ、カナメ、呼び方はなんでもいい、とにかくお前にとって記事の本質だと思うものをしっかりグリップしろ。
お前の価値観に軸ってもんがあるなら、その記事が伝える事実にいいところと悪いところの点数をつけろ。
そのふたつの点数を差し引いて、いいところが勝ってたらその記事のいいところをほめろ。
ほかのブクマをいっさい見ずに、胸を張ってこれが俺の意見でございますと言えるものを書け。
みんながブッ叩いてる中で擁護しているのが自分ひとりでも揺るがない軸を持て。
持ったらブレるな。
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結局、政治家を選んでいるのは国民なのだ、ということを改めて痛感する。それは選挙だけの話ではない。日常において政治を語ることが大切なのだ。では、どう語るべきなのだろうか。私たちがどういう社会を望むのか、どういう政治家が望ましいと考えるのか、という視点をもって語られるべきだと私は考える。なぜなら、国は、政治家のものではなく、私たちのものなのだから。国民主権という言葉は、天から降ってくるものでも政治家が保護してくれるものでもなく、私たちが地道な積み重ねで守り、作り続けていくしかないのだ。果たして、国民にその覚悟はあるか。