2021-04-19

国民主権という言葉の重み

最近ホッテントリで見かけた話題から

[B! 自民党] ヤマスグリ(山酸塊) on Twitter: "要するに、日本の一般国民は「自民党はインフラ」という認識であり、与党政治家を介した請願・陳情→調整こそが、大衆が唯一実感できる政治参加チャンネルなわけだ。 デモストが排除されるのも、選挙が儀式にしかならないのも当然。 もっとも… https://t.co/D8fMuVgYwI"

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結局、政治家を選んでいるのは国民なのだ、ということを改めて痛感する。それは選挙だけの話ではない。日常において政治を語ることが大切なのだ。では、どう語るべきなのだろうか。私たちがどういう社会を望むのか、どういう政治家が望ましいと考えるのか、という視点をもって語られるべきだと私は考える。なぜなら、国は、政治家のものではなく、私たちのものなのだから国民主権という言葉は、天から降ってくるものでも政治家保護してくれるものでもなく、私たちが地道な積み重ねで守り、作り続けていくしかないのだ。果たして国民にその覚悟はあるか。

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