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すぎやまこういち氏楽曲っぽい要素集【ドラクエ楽曲あるある】Koichi Sugiyama-esque melody & chord patterns - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dOYqb1lBGSg
この動画もこの動画の曲もめちゃめちゃ好きで時々思い出しては何度も何度も聞いていた。ぶっちゃけ本家より好きなぐらい。というわけで今日も久しぶりに聞いた。
ものまねの人がルパンの声優したりドラえもんをアシスタントが描いて作品が続いたように、今後ドラクエの曲はこの人が作ればいいとわりとマジで思う。
宇崎ちゃんの例でもVtuberの例でも、女性の平均的身体からかけ離れた、過度にセックスアピールを強調した描写がされているのは疑いようもないことだ。
男オタクのために作られた性的な表現を子供が見て、女性の身体というものを勘違いしたり、或いはセクハラなどに対する精神的ハードルを下げることになる
なんかそういうデータとかあるんですか?
アニメが公共の場から排除されたら(現に平均的身体からかけ離れたとか言ういちゃもんで排除されてる)アニメを見ることは恥ずかしいことなんだと子供(性別問わず)が思い込み誰とも打ち解けられなくなり孤独になり鬱屈してでも性欲は旺盛で発散のさせ方がわからなくなって最終的にはドラえもんが助けてくれると思って殺人やレイプに走るよ。宮崎なんちゃらって例があったじゃん。もしそうした影響がないと主張するならお前が根拠を示せよ。
コンビニのエロ本はなくなったよ。アダルトビデオの話してるけどアダルトビデオ=アニメではない(アニメ=ポルノではない)ので、そもそも全年齢向けのアニメにはゾーニングは不要であるにもかかわらず平均的身体からかけ離れたとか言ういちゃもんで実際に排除しているから反発しているんだけど。単に気に入らないから取り下げろじゃ弱いからフェミが被害者ぶって取り下げさせようとしているけれど理屈が無茶苦茶すぎて突っ込まれまくってるだけだよ。そんな無茶苦茶なフェミと連帯しようなんて気持ちは一ミリもわいてこないね。活動のリソース割かないのは妥当だろ?
なんならもっと昔の小説や映画でもそこそこ学校関係ある作品多いけど
ゲームで学校が出てくる割合ってそれに比べるとすごく少なくないか?
アキネイターでシュタゲやらペルソナやらのキャラを何度も出してると
「学校に通っていますか?」と「ゲームキャラですか?」が揃ったとき
的外れだった質問が核心をつき始めすぐ正解にたどり着くので気づいた
テトリスやマイクラやマリカくらいストーリー性皆無ならまあわかるが
ぷよぷよやマリオ本編くらいのストーリーやキャラ性でも学校は少ない
これが他メディアならドラえもんコナンプリキュアなどの現行アニメや
vtuberがyoutubeに限らず様々な媒体にタレントとして出演するようになり、今や批判の有無は別にどこに現れても不思議ではない状態になっている。
そんなvtuberは架空のキャラクターでありその名前は奇をてらったものであったり一目で専門分野が分かるものであったり、あるいは「かわいい」を突き詰めたものであったりと、その命名はリアルのアイドルやタレント的ではなくどちらかと言えばオタクカルチャー的なキャラクターの命名の流れのうちに思える。
変な漢字の苗字+既存の単語か変な響きのひらがなorカタカナ の名前を見るとあ、またvtuberかなと思ってしまう。
https://www.hololive.tv/member
私はvtuberにぜんぜん詳しくないので深入りしないが、彼らがyoutubeを飛び出すとそこはひとつの人格というか成人のタレントとほぼ同じように振舞うわけですな。(魂が~とかはよく分からないし生身のタレントも素全開なわけではないから振る舞いに差はないと思う)
つまり今までの大人や事務所なら付けないような芸名の人たちがタレントとして様々な場所で見かけるようになった。
今の私の人間への命名感では「きもちわるい」と感じてしまう。もうしょうがない。
たとえば哲子の部屋で「今日のゲストはドラえもんさんです~」とかなってもああなんか特番の宣伝かCGを使った変わったことをするんだな的な特殊フォーマットとしてみることができるが、
「今日のゲストは白銀ノエルさんです~」なんてなっても白銀ノエルはvtuberという成人タレントだから通常の哲子の部屋回と変わらないわけで、哲子が白銀ノエルを連呼したり苦労話を聞きだしたりしていたら視聴に堪えないと思う。
vtuberの命名センスは芸人の、なんだろうな「もう中学生」とか「鉄拳」とか「ザコシショウ」、そんな流れのyoutuberの「ヒカキン」とかアーティストの「きゃりーぱみゅぱみゅ」とは違う現実に居たらおかしい痛ネーム、DQNネームなわけで。(田中のおっさんとか当然ある例外も多少存じてます)
正直昔はテレビに初音ミクの文字を見るだけでもじもじしていた。それにようやく慣れて市民権を得たある意味魂が入ってないクリーンでバーチャルなアイドルとして受け入れることができてきた。
しかし今後はテレビも「見る」しゲームも食事もするいち人格の人たちが「はあと」や「ちょこ」や「オウガ」さんとして知覚することが多くなるのだろう(vtuberに詳しくないので参考にホロライブメンバー表だけ見て適当に挙げてるが個々人や所属に他意はない)。
どうすればいいか?どうするもなにもない。受け入れて慣れるしかないのだ。vtuberは無罪である。
このネーミングセンスは生きている人間に、あるいは芸名につけてもおかしくないものだと自分に言い聞かせるしかない。苦痛を受けないために。
そうすると畢竟、今まで痛い名前と思ってきたアリスちゃんやらぶちゃんやぴかちゅうくんも笑えなくなるのだ。何も不思議を感じなくなるはずだ。
一般人の名前を笑ってはならぬ。自分でつけたわけではないのだから。今まで私のDQNネームへの嘲笑は現代社会でそれをつけるにいたった両親へ向けられていた。それがなくなることは善いことなのだろうか。少なくともDQNネームをつけられた本人はいいだろし、命名への変な同調圧力がなくなるのもまったくよろしい。が、何かを見落としてしまう気もするのだ。
いやしかし、人の名前から何かを見出すこと。これは人の箸の持ち方をもってその人の人格や両親の教育に難癖をつけるに近しいものかもしれない。よくないことかもしれない。
vtuberによってDQNネームは市民権を得て、生身の人間の名前をなんとも思わない日が来るかもしれない。
表現に対して規制より自由・許容を求める自分はそれを良しとしている。
オタク的カルチャーな何かが大々的に大衆に周知されることを恥じる古の自分はそれを恥じている。
思慮が足りない人物の行動をエンタメとして消費しているゲスな自分はそれを寂しがっている。
しかし、今しばらく、今しばらくは現実に見かけるDQNネームに対して、youtubeなどの配信環境外で見かけるvtuberの名前に対して、気持ち悪さと羞恥をもって接することになるだろう。そしてその頻度は緩やかに上がっていくのである。
連載初期のドラえもんはどう考えても心優しくなかった
大きな災害が起こるたびにいつも思っていたが、ドラえもんのドラえもん募金、あれはぶっちゃけどうなんだろうか
皆様御存知のように、ドラえもんというキャラクターは22世紀の未来から来た設定だが
仮にそれが正しいなら、それまでに災害がいつどこで起こったかも、彼は当然知っているはずである
キャラクターの設定からすれば、もはやあれは最悪に近いチョイスではないだろうか
しかし考えてみると、心優しいドラえもんが好き好んで人々を見殺しにしているはずはない
おそらく歴史の干渉だかタイムパトロールだかのせいで、事前に助けたくても助けられないのだろう
そういう文脈を読み取らないといけなかったようだ
ドラえもんという作品に出てくるのび太って冴えない少年って設定であると同時に
漫画をパッと見るだけでちゃんと冴えない見た目だなと思えるようになってる
一方で最近ウケてる漫画はオタク向けに限らずキャラがどいつもこいつも見た目は悪くないキャラばっかだ
そういうのを描いてる作者にのび太を描かせたら絶対可愛いショタキャラとかになってしまうだろう
結局今はこういう見た目がだいたい美少年美少女の範囲内にあるキャラしか描けない漫画家が全体的に増えてるし
もちろんイラストレーターとか他業種を見てもそういう人は増えている訳で傾向がそうなってしまったんだろう
だから萌え絵柄のキャラ自体を表に出すななんて言ってる人達は最近(と言っても10年20年クラス)の作家の傾向も分からねえ老害だって事なんだと思う
「過度に」性的な格好を公共でやらせるな程度ならともかく萌え絵柄(というか今は普通の絵柄)自体を忌避するとんでもない人ってはてブにすらいるからな…