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2024-03-29

スキップローファーをまとめ読みした感想 ネタバレ注意

持ってる人間と持ってない人間の関わりあいを狙って描いていそうなところに注目したい。

人間だれしも自分特権を持っていることには無自覚で、社会を生きる上で、持ってない側からそれを直接的に指摘されることはないから、

自分自分環境立ち位置理解できる程度の観察力や内省力がないと、「ああ自分は(相対的に)恵まれている」という考えには至らないし、そこに至るまでにある程度年を重ねるものだと思う。

高校生のみつみちゃんは「まだ」自分ちゃんと愛されて育ったことと、志摩くんが愛されずに育ったこと「まで」は気付いていない。

作品内で扱われている「人間関係ポジショニングゾーニング」についても、自覚的な側と、無自覚的な側、愛されている側と、愛されてもいない側、かなり繊細な部分まで、スキップローファーキャラクター演出をしている。

氏家くんの脆さと強さ、八坂さんの愛着への強かさと諦め、志摩くんの自己のなさ、みつみちゃんの自信ぶり。

作中では、稠密人物内面描写キャラクターを掘り下げる描写こそないけれど、彼らの言動を恐ろしくリアリスティックに感じるのは、人間相互作用することで起きる「トラブル」を上手に躱していることにあるかと思う。

グループで過ごす時間不協和音スレスレスクールライフコメディ”を謳っているだけあって、やっぱり、かなりとげとげしい描写もある作品なのに、大部分が牧歌的空気を持っているのは作者の技量だと思う。

スキップローファーが学園青春群像劇としての価値をもっているのは、それぞれの人物属性振りやキャラクター性に無理がないからだと感じる。

田舎と都会、陰キャ陽キャ、一軍と日陰者、現実では水と油のように混ざらない関係だと決めつけているのは「ああ、自分自身じゃないか」といえるくらい、みつみちゃん水と油をなじませる乳化剤としての機能をもっているし、こうあってもいいなと感じるまっすぐさは物語の中だけでなくてもいいじゃないかと思える。

そのみつみちゃんに、わざとらしくなく「あなたはでも、愛された経験をもっていますね」っていえる八坂さん、今後、彼女物語を大きく動かす役割もつ可能性は高いか

このストーリーは愛されて育ったみつみちゃんと、愛されずに人の顔色をうかがって生きてきた志摩くんをどう解決するかになっていくかというとこに落ち着くのか、正しさに生きるみつみちゃんを掘り下げるのか気になる。

恋愛漫画というフォーマットだと、主人公+未来パートナーのために舞台装置出来事が用意されていて、寄り道は誌面のためのフック、引きでの巧さとしてみてしまうけれど、

ここまで群像劇の色味が強いと、寄り道の寄せ集めこそが本題という印象になってきて、今後のストーリーがどうなっていくのか楽しみ。

本当はもっと掘り下げたり、メタ視点から感想を書きたい気もするけれど、ちょっと一気読みをするとキャラクター名前を憶えられないので、あの子があの子に対していった「少しのホントウ」をたくさんあつめたような作品でそういうがっつりした考察はしたくないな。

需要があるから、「らしく振舞う」とか、自我が強いから周りに合わせないとか、社会に対して協調性ありすぎることも、協調性がなさすぎることも、結構うんざりすることだと感じるけれど。

自分には価値自己肯定感がないから……自分肯定してくれる、承認してくれるあの子が好きなんだ」という解決にも、素直に納得できず「結局最低限、自己愛や社会的な地盤という下地必要だよね」という皮肉を放つ八坂さんに共感してしまう。

スキップローファーではそもそも都内進学校に通える学力があって、経済的問題に直面している子が出てきていないことも、この愛着(attachment)への問題を抱える青年という描写の分は物足りなく感じる面があるなと感じてしまう。

志摩くんがそういう意味で、単に幼稚・稚拙、初々しいという印象になってしまうのも、自分の中では頷ける。でも、やさぐれた感じとか、荒んだ感じを出したいキャラクターとしては彼は恵まれすぎている。

スキップローファーに感じる物足りなさは結局、それなりの予後可能性をもっているんだから。そんなに悩んでも君たちが最底辺世界とは無縁だよね。という強がりの業か。

アフタヌーン掲載漫画結構心理描写にも力をいれているように感じて、かなり好きなんだけれど。美大生とか高校生とかだと結局、上澄みの世界側だよね……って言いたくなってしまうらしい。

漫画を読んだ後、こうやって乱文でも書かないとやっていられない27歳誕生日

スキップローファーをまとめ読みした感想 ネタバレ注意

持ってる人間と持ってない人間の関わりあいを狙って描いていそうなところに注目したい。

人間だれしも自分特権を持っていることには無自覚で、社会を生きる上で、持ってない側からそれを直接的に指摘されることはないから、

自分自分環境立ち位置理解できる程度の観察力や内省力がないと、「ああ自分は(相対的に)恵まれている」という考えには至らないし、そこに至るまでにある程度年を重ねるものだと思う。

高校生のみつみちゃんは「まだ」自分ちゃんと愛されて育ったことと、志摩くんが愛されずに育ったこと「まで」は気付いていない。

作品内で扱われている「人間関係ポジショニングゾーニング」についても、自覚的な側と、無自覚的な側、愛されている側と、愛されてもいない側、かなり繊細な部分まで、スキップローファーキャラクター演出をしている。

氏家くんの脆さと強さ、八坂さんの愛着への強かさと諦め、志摩くんの自己のなさ、みつみちゃんの自信ぶり。

作中では、稠密人物内面描写キャラクターを掘り下げる描写こそないけれど、彼らの言動を恐ろしくリアリスティックに感じるのは、人間相互作用することで起きる「トラブル」を上手に躱していることにあるかと思う。

グループで過ごす時間不協和音スレスレスクールライフコメディ”を謳っているだけあって、やっぱり、かなりとげとげしい描写もある作品なのに、大部分が牧歌的空気を持っているのは作者の技量だと思う。

スキップローファーが学園青春群像劇としての価値をもっているのは、それぞれの人物属性振りやキャラクター性に無理がないからだと感じる。

田舎と都会、陰キャ陽キャ、一軍と日陰者、現実では水と油のように混ざらない関係だと決めつけているのは「ああ、自分自身じゃないか」といえるくらい、みつみちゃん水と油をなじませる乳化剤としての機能をもっているし、こうあってもいいなと感じるまっすぐさは物語の中だけでなくてもいいじゃないかと思える。

そのみつみちゃんに、わざとらしくなく「あなたはでも、愛された経験をもっていますね」っていえる八坂さん、今後、彼女物語を大きく動かす役割もつ可能性は高いか

このストーリーは愛されて育ったみつみちゃんと、愛されずに人の顔色をうかがって生きてきた志摩くんをどう解決するかになっていくかというとこに落ち着くのか、正しさに生きるみつみちゃんを掘り下げるのか気になる。

恋愛漫画というフォーマットだと、主人公+未来パートナーのために舞台装置出来事が用意されていて、寄り道は誌面のためのフック、引きでの巧さとしてみてしまうけれど、

ここまで群像劇の色味が強いと、寄り道の寄せ集めこそが本題という印象になってきて、今後のストーリーがどうなっていくのか楽しみ。

本当はもっと掘り下げたり、メタ視点から感想を書きたい気もするけれど、ちょっと一気読みをするとキャラクター名前を憶えられないので、あの子があの子に対していった「少しのホントウ」をたくさんあつめたような作品でそういうがっつりした考察はしたくないな。

需要があるから、「らしく振舞う」とか、自我が強いから周りに合わせないとか、社会に対して協調性ありすぎることも、協調性がなさすぎることも、結構うんざりすることだと感じるけれど。

自分には価値自己肯定感がないから……自分肯定してくれる、承認してくれるあの子が好きなんだ」という解決にも、素直に納得できず「結局最低限、自己愛や社会的な地盤という下地必要だよね」という皮肉を放つ八坂さんに共感してしまう。

スキップローファーではそもそも都内進学校に通える学力があって、経済的問題に直面している子が出てきていないことも、この愛着(attachment)への問題を抱える青年という描写の分は物足りなく感じる面があるなと感じてしまう。

志摩くんがそういう意味で、単に幼稚・稚拙、初々しいという印象になってしまうのも、自分の中では頷ける。でも、やさぐれた感じとか、荒んだ感じを出したいキャラクターとしては彼は恵まれすぎている。

スキップローファーに感じる物足りなさは結局、それなりの予後可能性をもっているんだから。そんなに悩んでも君たちが最底辺世界とは無縁だよね。という強がりの業か。

アフタヌーン掲載漫画結構心理描写にも力をいれているように感じて、かなり好きなんだけれど。美大生とか高校生とかだと結局、上澄みの世界側だよね……って言いたくなってしまうらしい。

漫画を読んだ後、こうやって乱文でも書かないとやっていられない27歳誕生日

2024-03-02

anond:20240302090503

趣味牧歌的プロとのはっきりとした棲み分けがあったのって平成の途中くらいまでじゃない?

どのジャンルでもSNSだと本職にしてないだけのプロ顔負けが掃いて捨てるほどいてレベルが高すぎて〇〇が好きですとかもはや言い出せないし作り手としてコミュに参加することは不可能だし

2024-02-06

令和最初の5年間を代表するゲームゼルダ・ブルアカ・パルワールドの3つで決まりっぽいね

3つに共通

・親しみを感じるが唯一無二でもあるビジュアル

アクションRPG

暴力による問題解決

・ほのぼのしてて割りと残酷

ソロプレイ最後まで攻略可能

2作に共通

インターネット環境対応

・協力要素あり

女の子可愛い

なるほど。

今のゲームネット環境が前提であるとでもほざくつもりだったが、よく考えたらブルアカもパルワールドソロクリア可能なんだよな。

ぶっちゃけパルワールドマルチがメインってほどではなく、ソロの延長としてマルチがある感じだな(ARKと比べてサクサクから皆で協力しないと何も始まらんって状態じゃないのがデカイ)。

まあ売れるゲーム最大公約数ぐらいは語れそうではあるな。

ビジュアルでまずプレイヤーを惹きつけられないと何も始まらないってのは間違いない要素だろうな。

どこかで見たことがあるようなビジュアルでは似たようなゲームに埋もれて終わりだ。

ゼルダが毎回チマチマちょっとずつデザインを変えるのもユーザーに飽きられたら終わりだと思っているのだろう。

変にビジュアルが毎回一緒だとユーザーに新しい体験をさせようとしているうちに変な方向にズレてくか、ユーザーガチで飽きて終わりだからなあ。

映画が3作目ぐらいかおかしなことになりがちなのも、ユーザーを飽きさせない工夫が迷走した結果だろうな。

からといって全く真新しいものが来るとユーザーの警戒心が高まりすぎるので、どこか既存の物に近い感じにする。

そうすることで個々人の頭の中にあるクラウド的な所に保存されたイメージでどういうゲームなのかがキャプ画像を見るだけで想像もできて相乗効果だ。

絵柄とゲームジャンル乖離してないってのは大事だろうな。

たとえば、パルワールドコミカル雰囲気えぐいことをするというゲーム性と絵柄はマッチしている。

全部アクションRPGってのも見逃せないな。

コマンドポチポチ型のRPGはいい加減飽きられてきてるんだろう。

客を熱中させたいなら画面にずっと釘付けにさせた方がいいってことだ。

プレイヤースキル要求が低いゲームは段々とダレてくるのもあるな。

からといって難易度が高すぎるとプレイヤーが絞られすぎるのでアクションオンリーではなくRPGにする。

遊ぶ側が自然自分レベルに合わせた進行度で遊べるように勝手に調整されていくのがアクションRPGの魅力なんだろうな。

上手くなれば早解きが出来るし、下手くそでもいつかはクリア出来る。

でもこれをちゃんとやるならゲームバランスの調整は難しくなる。

正直この辺は運も絡むかな。

まあゼルダは流石に人海戦術とかでいい感じにやってそうだが。

アクションRPGの忘れちゃいけない要素に暴力がある。

敵を暴力で倒すのがアクションRPGだ。

これは実にシンプルで爽快だ。

ゲームルールがすぐに分かる。

敵を全部倒せ。はい終わり。

何よりこれは現代人に未だに組み込まれっぱなしの狩猟本能を適度に解消してくれる。

現代社会で獲物を堂々と狩れる場所なんて早々ないからな。

からハンマーガラクタを壊す店なんかが開かれる。

敵を殺して問題解決というシンプル世界現代人は求めているんだなあ。

世界観における残酷さは現代における重要要素だ。

一見すると暴力支配する世界に見えるが、やってみると意外と牧歌的な部分もある。

だけどやっぱこの世界暴力が全てを解決するんやっていう割り切りがある。

その割り切りの元でエグいことが色々起きていて、そのエグさを眺めてプレイヤーは安全愉悦に浸ったり可愛そうな被害者を笑ってたりするわけだな。

繰り返す暴力麻痺させないための適度な暖かさ。

そうしてリセットされた意識に再び暴力を叩き込むことで新鮮な脳内物質が出てくるわけだ。

甘味塩味で交互に楽しませるようなバランス感覚

娯楽としての重要気遣いやね。

なにより重要だと思うのが、結局のところソロクリア出来るのかってことだ。

ゼルダはほぼ完全にソロゲーだが、ブルアカソーシャルゲームだし、パルはオンラインゲームだ。

もしここで「このゲームは4人用なんだ。でもネット友達が見つかるから大丈夫だよ^^」と言われたら、ビビって遊ばない引きこもり日本には大勢いる。

ネット出会う仲間たちはクソの役にも立たない初心者だったり、説明を聞かない文盲挙げ句99999ダメージ無限に出し続けるチーターだったりの可能性がワンサカだ。

こんな状態ではクリアしたときにあるのは達成感よりもクソ味方を引かなかったことへの安堵感だろう。

まあそれはそれで独特の快感があるが、万人向けじゃない。

自分のペースで、自分の手で、ラスボスを手に掛けるっていう体験がやっぱ求められているんだろうな。

あくまで、ゲームが売れるための最大公約数的な意味でだけど。

こうしてアレコレ言ってみたが、なんかこうマジで「売れているものありがちな要素」って感じだな。

振り返ってしまうと売れるべくしてく売れているものが売れたって感じは強い。

そりゃそうだ。

刺さる人にはめっちゃ刺さるとしても、その刺さる範囲が狭いほどに売れなくなる。

スレスパはあのジャンルにおいて売れる要素の塊だが、それでもあのジャンル自体が刺さらない人が大勢いる。

アクション要素がないなら遊ばないとか、やるたびにリセットじゃ嫌だとか、そもそもカードゲームルールがごちゃごちゃしてて嫌だとか、ストーリー重厚じゃないと嫌だとか、売れなくなる要素が目白押しだ。

ストーリー的なゲームアーケード的にぶつ切りで遊ぶのは不可能ではないが、アーケード的なゲームストーリー的に遊ぶのはそもそもが無理という構造上の代替不可能性なんかもこの辺に絡んでくる。

たとえば、ブルアカエッチな見た目だから皆の前では遊べないけど、スマホゲーだから一人でこっそりは遊べるし、人前に見せて自慢したいならスクショを裏垢で公開すればいいわけで、ユーザー側の自由裁量で好きな遊び方が選べるゲームほど最大公約数的な条件下で有利って話だ。

こっからが、この話のオチなんだが、そもそもゲームの良し悪しを売れた売れてないで測るのはやっぱ無理なんじゃねえかな。

狭い範囲しかさらないけど、俺には滅茶苦茶刺さったか神ゲーだって作品が皆にもいくつかあると思うわけだ。

それこそ、outer wildsやLoL人類全員が遊ぶべきだって主張するやつがいたら、そいつが今後変なイデオロギーに染まる前に人格矯正されて欲しいと願ってしまうだろ?

売上はゲームの良し悪しを測る重要指標じゃない。

レビューの点数でさえそれぞれの好き嫌いが延々と喧嘩してるわけだ。

まあでも強いて言うなら「一見してイメージした内容から少しでもズレがないゲームであって欲しい」と思ってしまうよ。

そういう意味じゃ、ゼルダの最新作も、透明感のある学園銃撃スマホゲームも、ポ◯モンっぽい見た目のマイクラARKも、ちゃんと見た目や看板PV広告通りのゲームになってる。

そこは本当に立派だったし、そういう誠実さを持てるかは創作商売においてやっぱ重要なのかも知れねえなって。

2024-02-02

X

今のXに比べれば、政治的信条に基づいてリベラル系の政府批判や、

フェミ系の男女対立を煽る記事を有料でトレンド欄に乗せる程度だったTwitter時代はまだ牧歌的と言える程平和だった…

5chのアンチスレ渡り歩いてる俺ですら、今のXに渦巻いてる自発的対立煽動に恐怖を覚える

間違いなく、今日本で展開しているネットサービスで最低最悪の無法地帯だよ

2024-01-25

女がセックス生計を立てるってかなり原始的最近は逆に好感がある

管理したり組織化するヤクザ大人がおるから闇になってしまうだけでそういうのがなければ牧歌的で住み良い世界だったかもしれん

2024-01-01

情報量のない情報が欲しい

ネット散見するとたいていネガティブ記事ばかりが目立つところにある。

増田でも話題に上がるのはネガティブものばかりで、対立を煽るほど話題になる気がする。

そういうのはもういいんだ。疲れたんだよ。

もっとこう平和で、牧歌的で、偏った意識を植え付けてこないようなものを見たいし読みたい。

意味がないものでも心を満たしてくれるような、そんな素敵なものが欲しいんだ。

2023-12-30

ゼルダ最高傑作はブレワイらしい、

俺は違うと思うが。

時オカだよなあ?


トライフォースゼルダガノンドロフといった基本的設定の丁寧な再構築。

当時最高レベル3D殺陣アクション

多彩なアイテムを用いた謎解きながら子供でもクリア出来る程よい難易度

不気味の谷有効活用したあの時代ゲームけが出せるホラー感。

個性的かつ豊富ダンジョン

無限世界の広がりを感じさせるハイラル平原を中心としたマップ配置。

多彩な種族牧歌的生活とその破滅王道ファンタジー世界観。

過去現代タイムパラドックスによるSF要素。

RPG要素とアクションの融合による圧倒的成長感。

いやマジで全てのレベルが高い。

そして何より寄り道要素が必要以上に多くなく、コピペ的な部分がほぼない。

新鮮な体験だらけの世界なんだよ。

数合わせの要素がないっーか「アレもコレも全部入れたい!入り切らない!」って感じなの。

ブレワイはなんつーか「やたら世界を広く見せるために水増ししといたのねん」みたいな所あるやん?

そこの差だね。

変な虚栄心がなく、それでいてクソほど広大に感じる。

ブレワイは日本ゲーム集大成みたいな感じで祀られてるけど、そこが良くないんだなあ。

ゼルダ集大成ではないんだよ。

日本ゲーム最高傑作ランキング作るならブレワイのが上に来やすいかも知れない(まあ俺が3票持ってたとしたら、ドラクエV、SEKIRO、東方紅魔郷に入れるけど)。

でもゼルダの中で一番を決めるってなら、お山の大将として君臨すべきは時オカなのよね。

わかる?

品格が違うのよ。

2023-12-21

anond:20231221122708

ソース忘れたが、ドイツだかフランスだかも、15歳くらいで、大卒になるか職業訓練校行って一般労働者になるか決まるんじゃなかったか

18歳でようやくぼんやり進路が決まる日本が、世界的には牧歌的な方なのかも?

ブクマ米だと、ここで言われる「いにしえの00年代インターネット」って、2ch(今の5ch)のような匿名掲示板や、それを含めた総合的な評価として語っている人が多いけれど

でも00年代インターネットってそれが全てじゃなかったよねとも思う。

そういうもの存在特に知らず、趣味個人サイトブログmixiのようなSNS牧歌的に繋がったりあるいはただひたすらに壁打ち的に創作表現を発表したりといった、

『表の』インターネット存在だってかにあった訳で。

自分00年代個人サイトブログをやってそこから色んなイベントに参加したりして交流してそれが楽しかったタイプから

「昔のインターネットに女の居場所はなかった」みたいに言われても、それってあくまで限られた場所の話でしたよねって思う。

特にから叩かれるとかなく、女性だけで楽しめた空間も確かにあったんだよ。

勿論そういった場所に何の問題もなかった訳ではないしギスギスした人間関係トラブルもあったけれど、

背後に金の匂い企業存在が見え隠れしない、実在する人間が営むインターネットコンテンツが楽しかった時期であったのも確かだと思う

「いにしえの00年代インターネットへの憧れ」はわかる気がする - シロクマの屑籠

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20231220/1703074278

2023-11-27

anond:20231126225408

あーなんかあなたが言ってる通りな気がする

関東怖い→埼玉牧歌的なところに住む→住みやすいやん!→転勤で関東外に→家がなくて千葉

なんだけど、埼玉西側千葉ってなんか雰囲気違うんよな

ヤンキー文化っていうの超納得だけど、ヤンキーというよりなんか貧困‥って感じ

地元マイルドヤンキーは金だけは持ってたし

2023-11-26

anond:20231126224223

同じ田舎でも東側ヤンキー文化西側農民文化ってイメージがあるなあ

西側田舎はほのぼのしてる感じ

ギリ都内あと一駅でさいたまって処に住んでたけど、なんか牧歌的だなあと思った。樹木農地が多いせいか、季節になると道が這いずる蟲だらけになって気色悪かった

東側それこそ千葉にも住んでたけど、運転マナー最悪だった。そして雪が降ると亀よりもゆっくり走行になって笑った

(雪道で飛ばし事故るほど頭悪くなくて幸いではある)

2023-11-22

大谷グローブ運用外野から見ても大変だと思う

anond:20231112000907

大谷グローブ運用が大変になる、というのは当然だし教育現場は色々気を揉んでいるだろう。当たり前のことだ。

学校としては寄贈を希望すれば寄付される、ということだけど、これだけ大々的に話題になったものに対して「希望しない」という選択をとるのは難しいだろう。生徒としては普通に考えて納得できないだろうし、生徒以上に怒る保護者がいることも容易に想像できる。生徒や保護者、またあるいは地域の住人を納得させられるだけの理由説明しなければいけない。いや、する必要はないんだけど、絶対どこかで教員が詰められるだろう。

では寄贈を希望してグローブをもらったとする。今度はグローブ管理運用について考える必要がある。

寄贈の意図形式からして「ちゃんと使ってもらいたい」感が非常に強いので、ケースに入れて校長室に飾っておくわけにはいくまい。仮にグローブを死蔵していることがバレたら保護者から怒られるからである。「大谷選手の思いを無駄にしている」「せっかくなのにもったいない」「うちの子可能性を奪った」何でもいい。

じゃあちゃんグローブを使おうとした場合ブコメでは「他のグローブとかといっしょに倉庫に入れて使いたいやつが使えば」なんて意見がいくつもあったけどそんなことが実際にできると本当に思っているんだろうか。ほぼ確実に盗まれて終わりだろう。

はてぶの超上級国民様たちは大変牧歌的平和小学校生活謳歌されていたのだろうが、校内で窃盗・物隠しなんてごく当たり前にある現象で俺が小学生だった頃にはAIRMAXの盗難が続いたのでナイキ禁止だって出た。別に特別治安の悪い地域ではなかったがそんなもんである

まれたり、無くなったりしてそれでいいならいいが、保護者は納得しない。

グラブ3つあるうち、どれか紛失してしまったら即保護者にバレる。

親「今日学校でどんなことあった?」

子「大谷グローブが盗まれた」

当然保護者は怒る。「大谷グローブですらちゃん管理できないなら給食費も盗まれて当たり前ですよね」「ちゃん犯人は見つかったのでしょうか」何でもいい。

じゃあグローブを3つ、誰か教員監督下において貸し出しの名簿を管理させようという話になる。それぞれグローブに番号をふって、使いたい人は名簿に名前と貸りた時間/返した時間を記入させるようにする。おそらく大体の現場ではこうなるのではないかと思う。別に特定教員監督下に置かなくてもよさそうだけど、備品である以上は保守必要なので責任所在を明確にするためにもとりあえず名前だけでも定めた方がいいだろう。何かあったらその教員責任である。ただその教員には何も見返りはない。グローブと名簿の管理という仕事が増えただけだ。仕事が終わってもう帰りたくてもグローブが返却されていないとヤキモキしながら校庭の様子をながめる。

そしてその教員大谷選手ファンだったとしてもグローブ使用することは許されない。許されるだろうが、リスクが伴う。

大谷グローブ、生徒を差し置いてファン教員使用!!」なんて見出しニュースになってもおかしく無いし、実際はもっと露悪的な見出しになるだろう。そんな教員はいないだろうけど。

こんな感じで大体学校内部の事情というよりは外部から目線内面化による理由ほとんどだろう。

そんな保護者無視すればいいと言うだろうがそんなヤベーやつから担任教師は少なくとも一年間は逃げることができないのである。そして教員クレーム処理の職能に特化した人間ではない。そしてそんなクレーム対応して当然の給料果たしてもらっているのだろうか。日々の業務に追われ、残業時間や持ち帰り仕事の深刻さが問題視されるなかで。

もちろん、寄付を心がら歓迎しありがたく思う学校の方が多いだろう。ただ全国諸手を挙げて嬉しいと思っている、嬉しいと思うべきだ、と思っているならさすがに想像力に問題があると思う。

仕事がひと段落したので

少し休憩することにした。

からこれは休憩中に書いているし、急用が入れば中断するかもしれない。

それでも書こうと思ったのは…なんとなく書きたかたからだ。

日記のようなものかもしれない。ログのような。

先々週の金曜。

仕事終わり、上司から飲みに誘われた。

正直そういう人とは思っていなかったので意外だったけど、嫌ではなかった。

大きな案件ひとつが無事に終わり、上司も心の中ではホッとしていたのかもしれない。

飲みの席はどこの駅付近でも見かけるような大衆居酒屋

二階に上がっていき、案内された席に座る。

まずはビール乾杯

適当料理を頼んでゆっくり食べ、こんなに色々と上司と話をするのは初めてだったかもしれない。

印象深い話は多かったけれど、特に心に残ったのはこんな話だった。

「そういえば2ちゃんって知ってるか?」

何杯かビールをおかわりし、空にすると話題は昨今のネット事情になり、SNSに対する批判それから昔のネットもっと牧歌的だったのだと語り、それから上司がポツりとこういったのだった。

「はぁ…確かひろゆきが作ったやつですよね?」

上司は頷き、赤ら顔のまま少し笑った。

「実は俺も昔やってたんだよ」

「えっ!?

自身2ちゃんという存在はもちろん知っていたが、その内容を見るにしてもまとめサイトからが主で、というか直接2ちゃんを見たことはなかった。

「意外か?」

上司は笑って尋ね、意外ですとねと僕は答えた。

どちらかといえば体育会系上司がこそこそ2ちゃんをやっている姿は想像できず、

PC自体それほど得意ではないと言っているのを聞いたこともあった。

「昔はクソスレをたくさん作ってたもんだ」

クソスレ…その意味は後に調べてなんとなく知り、僕のポカンとした表情を無視して上司は話を続けた。

「…昔、”5分で100レスついたら好きな子告白する”ってスレを立てたことがあった」

「どうだったんですか?」

「そういうときだけ妙に団結力があってな、絶対行かないと思ってたけど」

「じゃあ、ついたんですか!?

上司は頷く。

告白…本当にしたんですか?」

「したよ。釣りって言われたくねえし、何より冷めるだろ?」

「じゃあ本当に…それで好きな子告白したんですか?」

「…ああ」

上司は空になった皿へと視線を落とし、頷いた。

僕は聞いていいのか迷ったが、それでも気になり酒の勢いにも任せて尋ねた。

「…結果は、どうだったんですか?」

上司は何も答えず、右手ゆっくりテーブルから浮かせ、手の甲を僕に見せつける。

「それが今の嫁さんだ」

上司は薬指を僕に見せ、そして幸せそうに笑った。

僕は2ちゃんというものを、いやネット自体を少し誤解していたのかもしれない。

どこにだって幸せになるチャンスは潜んでいる。

そのことを知って、その日から少しだけ世界の見え方が変わった。

2023-11-19

インターネット免許制にしよう。

かつてのインターネットは今と比べればまだ理性的空間だった。

そりゃあ中には狂人もいたが、その影響力は限定的で、コミュニティ内の自治対応できるレベルだった。

今は違う。インターネットは万人に開かれた公共の物になった。自治の及ぶコミュニティは成立せず、狂人どもは自らが公共の場で糞をひり出す様を我々善良なネットユーザーに見せつけては悦に入るようになった。

我々善良なネットユーザーは奴ら狂人ものいわば自慰行為に利用されているのだ。こんなことが続いていいはずがない。

加えて誹謗中傷である現代において誹謗中傷根拠事実に即しているかはもはや二の次三の次になってしまった。狂人どもは自分たちに都合の良い理由を見つけては嬉々として人間を貶めている。

車の運転には免許必要だ。正しい運転方法を知らずに公道に出れば誰かの人生毀損する危険があるからだ。ではネットはどうか? 言葉の力の使い方を知らない狂人どもは野放しにされ、気に入らない人間言葉の針で刺している。言葉の力が弱かった時代は野放図で良かった。だが今は違う。いつ誰が正当な理由も無しに誹謗中傷に晒されるか分からないのが今の世の中だ。

インターネット免許更新制が望ましい。10代は所定の年齢から限定的アクセス付与、成人以降は3〜5年の更新とし、高齢者差し掛かる前後で2年に1度の頻度に増やしていく。金融機関の利用など、ネットを経由しないと難しい部分については、それらに対応した限定的アクセス権を設定するが、ネット空間での発言行為遮断する。

免許の有無は最終的に就職をはじめとした社会生活上の不利益などに直結するだろうが、狂人どもがもたらす潜在的課題、そしてそれに対応する社会的コストを削減していくためにはやむを得ない不利益と考える。次の時代を生きる人間に求められるのは、情報検索して集める力ではない。物事が分からない己を認めて受け入れる知的胆力である

20年以上ネットに浸かって育ってきた自分がこのような考えに至るとはまったく想像していなかった。ネットは常に自由で、社会政府監視を受けるべきではないと信じていた。今のインターネットの前には、そのような信条はもはや牧歌的ノスタルジアに過ぎない。

そして当たり前だが、こんなことを書いたって明日からインターネット免許制になるとはつゆほども思っていない。生きている間にはならない可能性が高いだろう。だが今の状況がこのまま続いていけば、いずれ私の頭に浮かんだような考えの一つ一つがやがてうねりとなり、何らかの形で善良なネットユーザーにふさわしい秩序が敷かれるだろう。

2023-11-16

あなた今日もよく目覚めました。

しかし、ニュースなんか見るのはやめましょう。

ニュース世界戦争事故災害犯罪に巻き込まれ被害者たちを伝えます

でも、あなたには関係ありません。

あなたには関係ないのです。

ニュースあなたより悲惨な目にあっている人たちを押し出してきます

すべての心ある市民はあまねくこれを知る義務があるとでもいいたげに押し出してきます

ですが、あなたあなたで大変なのです。

心優しいあなたは、自分より悲惨境遇の人たちに心を痛め、自分のことを二の次に考えます

あなたは、その優しさであなた自身をいたわるべきなのです。

寄付をするのはお金持ちに任せておけばいいのです。

世界を知るのは世界を変えることができる立場の人に任せておけばいいのです。

ニュースなんて見るな!

牧歌的生活想像してごらんなさい。

薄っすらと大地を照らす日の出と共に目覚め、高原の涼しく清らかな空気を吸い込むのです。

居間ゆっくりと温かい飲み物を飲むのです。

そう、この生活ニュースを伝えるメディアなんて入り込む余地はないのです。

旅館に泊まったあの日を思い出してください。

あなたあなた人生を取り戻していたのです。

あの時間を今も取り戻すのです。

2023-11-14

東大が猫の肝臓病治すクラファンやってたころは牧歌的で楽しかったよな

まさかあそこから今みたいなサイコホラージャンルが変わるとは・・・

2023-10-26

毎日似たような話題で似たようなレスバするよりは

みんなはお金あったらなにするー?というアンケート増田でもやってたほうがよほど牧歌的でマシかもしれない

2023-10-08

anond:20231008094405

埼玉トーキョーやチバシティとは違ってまだ昭和牧歌的なとこなんだろ、いやヨウシランケド

2023-09-17

田舎者が良い学校に行っても良い事ないんですよ

これさあ、実際は「いい学校に行かなくてもいい」だなんて牧歌的ものではなくて

「いい学校に行ける訳がない」若しくは「いい学校に行っても無駄」だと思うんだよ

だって学力殆ど遺伝で決まって低学歴の親の子はいくら教育を施したところで無駄だって言われているし

何よりも運良く良い学校に入れたとしても他の学生山手線圏内住みの上級国民ばっかりで

当たり前のように親から優れた容姿を受け継ぎ海外旅行ブランド物も当たり前のそういう学生ばかりに囲まれ

田舎者は惨めな思いをするだけだって現実ネットを通してとっくに知れ渡っているからね

田舎者が良い学校に行ったところで却って不幸になるだけ。

から無駄努力はせず、負の遺伝子を受け継がせないよう子供は産まず、緩やかに滅びるしかないという学習性無力感


田舎の子供達の学力が下がるのは「いい学校に行かなくてもいい」という価値観があるからではないか?』

https://togetter.com/li/2225652

2023-08-14

anond:20230812131044

うちのサークル趣味系の、なんかこう生き物が好きな人達が集まる牧歌的サークルだったのだがそういう外部から来てる嫌な女を追い出すために先輩がキモいオタクしか共感できないような会話とかやって追い出してた 

追い出すっていうか向こうが勝手に引く

そうしてキモいオタクが残りましたとさ

めでたしめでたし

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