はてなキーワード: 南京虐殺とは
----------------------------------------------------------------------------
670 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:2010/10/22(金) 19:55:44 ID:cTTejQa+0
今週号のロシアの新聞「アルグメント イ ファクト」(論拠と事実)に面白い記事が
載ってたので、拙い訳ですけど紹介しますね。
もし、スレ違いなら指摘してください。
『南京でのジェノサイドは共産国家陣営による作り物だった!!』
ソ連邦崩壊後、様々なソ連時代の公文書が日の目を見ていることは読者の皆さんも
良くご存知であろう。さて先日、ウラジオストークで開催された極東地区歴史学会で
(中略)
「南京ジェノサイド」の証拠として中国が挙げている写真の一部が、ウラジオストーク市
近郊の都市トルストゥイ・フイにあった「ソ連人民芸術局極東撮影所」で撮影されたことを
示す公文書が発見された。この公文書を発見したのは、ロシア科学アカデミー
極東戦史研究所のアーラヤ・ピズダ氏である。ピズダ氏の発見した文書によれば、
「南京ジェノサイド」の証拠として中国政府が公表している写真の一部は
上記の撮影所で撮影されたもので、ブリヤード人やシベリアのマイノリティー
など日本人そっくりの人を日本兵役で出演させ、「中国人にひどいことをする
日本人」という構図の写真を撮ったそうである。この研究所の副所長で
日本海の向こう岸にある町新潟の大学で教鞭をとったこともある親日家の
イヴァン・ドラチョク氏は「冷戦時代は西側陣営に失点を与えるために
こういうおかしな協力もソ中間で行われていたようだ。しかし、今は
そんな時代ではないし中国に協力する謂れもない。また、これに関心のある
日本の歴史家の皆さんを是非お助けしたいと思う」と語った。
このあとに詳細が載っていますが、全部訳す元気ないのでごめんなさい。
それと(中略)のところには、いわゆる「南京虐殺」についての中国側の公式
見解が書かれてますが、皆さんご存知でしょうから略しました。
----------------------------------------------------------------------------
という書き込みのコピペが流行っている。googleで"ドラチョク"と検索したらこれと同じ内容のコピペばかり約 354 件が引っかかった。
わずか二日間でこれだけコピペされるとはなかなかたいしたミームではないか。
ちなみにこれは2ちゃんねる既婚女性板の「中国・韓国・北朝鮮が大嫌いな奥様 6」というスレッドだ。
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/ms/1287233369/
ネトウヨな奥様方が日々、中韓朝を嫌っていらっしゃるスレッドだ。
で。
それも、ちゃんと捏造であるということがその文中に明示してあるという良心的(?)な捏造だ。
鍵はその中の人名にある。
「アーラヤ・ピズダ」=ロシア語で「真っ赤なマ○コ」
やれやれ。可愛い奥様になんてはしたない文章をコピペさせるのか。元スレの670氏はお人が悪い。
でもこのネタを書いてるときの「おまえらこういうのが好きなんやろ?こういうのがエエねんのやろ?」というエロい顔はちょっとだけ同感する。
そういうわけでこのコピペを拡散させた奥様はちゃんと顔を真っ赤にして恥じ入っておくように。
670はあとで職員室に来るように。
「他人と過去は変えられない」とか言ってる奴がどの口でそれを言うのか。
自分を変えたとしても、そういう奴から見れば全然変わってないし、
未来を変えたとしても、そういう奴からは今ダメだった事を延々と責められる訳だ。
餃子の王将が「社畜研修やめました! やっぱり人材は大切にしないと」とか言っても、信用ならないし社畜大量生産した罪は消えない。
東浩紀が「やっぱり南京虐殺無かったとか言ってる奴は場から排除しないと」とか言っても、何か裏があるのか? とか思ってしまう。
pompom20が「小沢は起訴くらいならされてもいいかもね」とか言っても、釣りっすかwwwとしか思わない。
日本から差別を排除できても、真珠湾奇襲してアジア侵略した事実は消えない。
http://anond.hatelabo.jp/20091003143039
これ書いた増田だけど、増田のはてサネタだけじゃなくて、はてサ全般がとにかくうざいって意味だよ。はてサ連中がはてダ書いて大量はてブされるはてサ連中も含めて非公開のSNSに移転して欲しい。
メンヘルはナチスに殺されろとか書いてるはてサとかそれを話題にしてる増田とかみたくないって気持ち。はてサの書くことはナチスとか南京虐殺とか女性器切断とか気持ち悪いネタしかなくて吐き気がする。それがはてブつけられてブクマのトップページにあがってくるし最悪。
さすがにこれについては本人、この対談の中でもう少し触れています。
東 (前略)個人の価値観でこういう風に生きてもらいたいとか、こういうふうに生きるべきだということを、友人や知人に言うことと、社会のみんながそれを信じるかどうかということについての予測は、まったく関係がないでしょう。その時に、ぼくは、そういう友人や知人を増やしていきたいとは思う。それこそが希望だから。でもそれは社会への絶望と両立するしかないんですよ。
大塚 それが公共性っていうことなんじゃないの?
東 それを公共性だというのであれば、南京虐殺は絶対になかった、韓国人や中国人はいますぐ死ぬべしと友人や知人に向けて書いている連中と同じになる。だって、彼らもそれは公共的な言説だと信じているのだから。だから私的な希望と公共性を混同することはできない。
大塚 (中略)たしかに、ネットの人間たちの狭い議論の中で、南京虐殺はなかったという人間と、あったという人間の間に何かが生まれると思うのは不毛なのかもしれないけど、ぼくはそこに、何かが生まれないとはやっぱり思わないし。
東 たとえ生まれたとしても、それは関係がない。問題はそんなことではなくて、ぼくが言いたいのは、いまやいろんな人間が自分の思想こそが公共的だと勘違いして、何億というホームページを開設して情報を垂れ流している。その時に、それに対して、ぼくこそが公共的なのだ、なぜならぼくは本も出しているし、東大とかも出てるからと言うわけにはいかないでしょう、ということです。もしそんな立場をとったら、それこそ不遜というものですよ。
大塚 ぼくの言っている公的というのはそうじゃない。あなたがいう公的というのは、俺のことを認めろ、ということだってのがよく分かったんで、理解はするけれども、ぼくはそういう意味では公的っていう言葉をまったく使っていない。ぼくは、つねに他者との関係によってあらわれるものを公的と言っているわけだから。
東 そんな公共性はネットによって実現されている。そのうえで、その「公共性」がいったい何を生み出しているだろうかというのが、先ほどから言ってるぼくの失望です。
同 pp.222-223
東 今なら、南京虐殺について調べたいと思ったら、ネット上で、一瞬にして、いろんな立場の人の意見を読むことができる。だから、その意味では、大塚さんのいう「公共性」は実現している。で、読んだから何が起きているのか、っていう話です。読んだから、そこで議論ができる。本当に真実の議論ができるか、それはできない。なぜかといったら、真実になんて誰にも近づけないからです。そうするとそこで起こるのは、誰が優位に立てるかの競争だけです。(中略)情報量が大きくなると「誰が頭がいいか競争」しかできなくなってしまう。
大塚 それは情報量が大きくなったからじゃなくて、まだそこに生きるわれわれがそういった環境に対して、どのように情報の処理や判断をしていくかの訓練ができていないからだと思うけど。
東 ぼくは、リテラシーの発想では対応は無理だと思います。
大塚 少なくともリテラシーの問題として対応し得る部分が、ぼくには充分ありうると思うけど。
東 リテラシー論というのは、普通読者の側の論理ですね。つまり読む側の話です。
大塚 いや、リテラシー論っていうのは、発信者論でもあるんだよ。読者の論理ではなく、書き手を教育する論理だと思う。
東 (略)百歩譲って、受信者のリテラシーは教育可能かもしれない。(中略)しかし、発信者の能力を教育するというのは難しい。人びとがネットで好き勝手なことを流す権利は、教育では止められない。だって、彼らはそれをやりたいんだから。
大塚 いや、発信者の教育はできる。にもかかわらず発信者としてあるための教育が未だなされていないということが問題だと思う。(中略)だからぼくはインターネットによって書く主体や、書き手としての自分、発信者としての自分というものを、この国において全員が意図すれば獲得できるという環境が生まれたときに、少なくともそれを断念していいほどに近代を通じてまだ努力はされていないと考える。(後略)
「無限に開かれた討議」というのは、根拠とか証拠とかデータを参照せずに、ひたすら思いこみだけでしゃべることも認めなくてはならにゃーようですにゃ
と東を批判します。この批判は全く妥当だと私も思います。少なくとも、知識人という立場にあるものが、知や学問に対してこのように不誠実であってはならない。大塚はこの対談では一貫してそういう立場から、東への激しい苛立ちを隠さずぶつけ続けていきます。
しかし一方で、おそらく東はそんな批判は織り込み済みなのだろうとも思います。たとえば、上記のような批判に対しては、それでは「ひたすら思い込みでしゃべる」人間を公共圏から駆逐していいのか、それが「公共圏」なのか?という反論も可能でしょう。そこまで下品な反論でなくとも、フレイザーは「複数のマイノリティによる多元的公共圏」は、それらの中には決して上品でないものも含まれうるが、しかしそれでも単一の公共圏よりはいいのだ、ということを「公共圏の再考:既存の民主主義の批判のために」で書いていたように記憶しています。
(もちろんフレイザーは、歴史修正主義公共圏?を容認はしないでしょうけれど)
さらに言うならば、インターネットの時代において、「ひたすら思い込みでしゃべる」人間を駆逐することがそもそも可能なのか、また、彼らが公共圏の議論に参加可能なレベルの「知の技法」を身につけることが可能なのか?という問いもあるでしょう。そして、東はその可能性に完全に絶望しています。ゆえに、
(同、p.189)
公民的な自覚をもたない人をどれだけ抱えられるか、そちらから社会設計を考えるしかない。これがぼくの前提です。
(同、p.231)
市民であり公民であることが正しい人間であり、それを育てていくことでしか社会は変えられないという理念に対して、ぼくは違和感がある。ぼくの関心は、むしろ、全員を市民や公民に育てあげることなど不可能だという諦めのうえで、でもそれでもいい社会をつくるにはどうするか、というところにある。
と語ります。
つまるところ、東が歴史修正主義を「容認」するとすればその限りにおいてであって、歴史修正主義者がどれほどネットの中で暴れ回ろうとも、結果として歴史修正が実現しないような社会であればそれでいいし、それよりない、と言っているように私は読みます。その結果として歴史修正主義を容認したように見えたとしても、それはそうした態度の反射的効果にすぎない、とは言いうるかもしれない。
とするならば、デリダが歴史修正主義を支持もしくは黙認した言葉が彼の著書にあるか、と聞くよりは、デリダの思想が、公共圏に対する東の絶望に結び付くのか否かを問うた方が生産的であるように思います。おそらく東本人も、デリダが歴史修正主義についてどう語ったかは問題ではないと語るでしょう。もちろんそこは、十分に問題ではあるのですが、そこで水掛け論を行っても仕方がない。
大塚―東対談における大塚は、激しい苛立ちと同時に、東から一生懸命言葉を引き出そうと我慢を重ねています。もちろん大塚の我慢を我々が共有する必要は微塵もありませんが、しかし東の公共性に対する批判を行うとき、どれだけ絶望しようと対話の中から公共性を見出していこうとする大塚の態度に私は共感を覚えるし、それに倣うべきだという態度を取りたいという志向は否めません。
実際虐殺があったとしようや。仮にね。
でも当の中国人が言うのならともかく、日本人が口泡飛ばして、同じ日本人を
かばう日本人を貶めて、こう口汚く罵る心情って一体何なのだろう。
普通に考えておかしくね?
その時代に生きたわけでもない、遠い異国の地で起こったという会った事もない
異国人の惨状にここまで心を痛めるなんて。
どうしてそこまで自分達の祖父達が残虐的行為をしたに違いない、と固く信じられるのだろう?
不思議でならない。
http://anond.hatelabo.jp/20080104195742
いやさ、南京事件は政治的には東京裁判で決着ついてるし、中国政府もそれに加えて
謝罪と賠償を求めたことは一度もないよ。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/08.html
Q.8 「南京大虐殺」に対して、日本政府はどのように考えていますか。
1. 日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、多くの非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています。
2. しかしながら、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難であると考えています。
3. 日本は、過去の一時期、植民地支配と侵略により、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えたことを率直に認識し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを常に心に刻みつつ、戦争を二度と繰り返さず、平和国家としての道を歩んでいく決意です。
昨夜のTVタックルを見て思った。
3万枚にも及ぶ南京虐殺の証拠写真は日本側が撮影した物だったと。
「南京虐殺は無かった」という人々もいるけど、流石にこれは極論だ。
私の知り合いのおじいさんが、実際に南京虐殺に従軍していた。その当時の話を聞けば、やはり紛れも無く虐殺は有ったのだ。
数字としてのデータで不明瞭だからといってそれで帳消しにはならないだろう。
二万人の中国朝鮮の女性を日本軍がレイプしたと聞けば、可哀相に同情すると同時に、不謹慎に変な妄想をしてしまう俺はやっぱり馬鹿だなぁ。昔の話より自分のチンポが先か?
そのじいさんの話を聞けば、朝鮮の慰安婦が「日本兵なんてチョロいもんだ」って笑って語ってたというのも、
自分の悲惨な身の上を笑い飛ばせる朝鮮人女性の逞しさを思い浮かべてしまう。もちろん、そんな人ばかりだったわけでもない深い傷を負った人々もいるだろうけど。
じいさん曰く、小さな教会に大勢の中国人を閉じ込めて、火をかけて焼殺したところも目撃したという。
なんというか、表面は今の日本人は羊のようにおとなしく見えるけど、学校のいじめ問題や職場でのモラルハラスメントを見近に目撃するにつけ、そういう感覚がその時の世相によって他国でヒートアップして肥大化すれば、今の日本人も恐ろしい事をやっちゃうんだな。と感じる。